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下方五度進行を叛くドミナント7thコード──ジャズ/ブルースの6度 [楽理]

 先の示したコード進行に於て、大局的には「F9→B♭7」という下方五度進行の方が「正当な」進行であるのですが、そのプロセス中には経過的で脈絡の稀薄な弱進行を介在させているという事をあらためて注目していただきたい訳でして、ジャズというのは、或るコード進行間に於てその進行が調性的な意味合いから鑑みて脈絡の稀薄な弱進行があったとしても、それに対して整合性を持たせる様にして「Ⅱ -> Ⅴ」進行を忍ばせて細分化する事が能くあります。


 例えばKey=Gに於けるC7 -> Em7(※Ⅳ7 -> Ⅵm7)というコード進行でのブルース的な薫りは、逐次現われるコード・サウンドが醸し出すだけで、線的な方面では平行短調側に着地しようとしている為ブルース的な脈絡が稀薄(謂うなれば愚直で卑近な線運びの部類)な訳ですが、都度現われるコードはドミナント7thコードなので、それらの後続の和音というのは調性的な意味合いからは遠隔的な物なのですが、この進行に整合性を持たせる為にC7の後続のEm7に対して下方五度進行の整合性を持たせる為にB7やF7を介在させる訳です。



 すると〈C7 -> B7 -> Em7〉 or 〈C7 -> F7 -> Em7〉 という風に細分化される事になります。また、新たに「ドミナント7th」コードを創出したのですから、ドミナント7thコードはその前段に完全五度下方の副七=マイナー7thコードというコードとの「セット」という風に見做す事も可能なので、先ほど例示したプロセス中に新たに創出した各ドミナント7thコードの前段に更にマイナー7thコードを介在させる事も可能となるのです。すると、「F7」はB7の三全音代理(=トライトーン・サブスティテューション)で変換させた物であったので

〈C7 -> F♯m7 -> B7 -> Em7〉 or 〈C7 -> F♯m7 -> F7 -> Em7〉

という風にした方がより弾みが付く訳です。「F7」に対して下方五度進行のマイナー7thを愚直に介在させれば

〈C7 -> Cm7 -> F7 -> Em7〉

という新たな解釈にもなる訳ですが、先行するC7の引力を後続のCm7が同位和音あるいは下属調への転調感を醸し出す為、どこか生煮え感を仲介させてしまう様な響きを介在させ、進行感は動的ではなくなり、Em7の直前で三全音代理が発生して突飛な感じになりすぎる為、こちらは方策としての可能性を思弁的に提示する事はあっても例としてはそれほど好ましい物ではありません(※これを良しとする人があっても構わないものの)。

 これらの件であらためて声高に語っておきたい事は、こうしたジャズ/ブルースに於ける「附与された」ブルー音度、特にブルー七度が附与された時に生ずるドミナント7thコードというのは、それが後続和音に対して動的な解決を演出するドミナント・モーションの物とは異なる、和声を垂直的に見た時の生硬な響きだけを求めた音響的色彩に依って彩られたドミナント7thコードが用いられる時のコード進行というのは、ツーファイブ進行に見られる動的な下方五度進行ではなく、応用的に弱進行が分解・解体されたりして細分化していく事がある訳です。

 ジャズはそのコード進行解釈を細分化し、さらに物理的な演奏速度を奏者が速めない事には、次のコードの到来がある訳です。その刹那のプロセスに於て目紛しい程の音をちりばめて、細かなコード進行の中をかいくぐるインプロヴィゼーションを見せる訳です。

 その際、ブルー七度に相当する音がアンサンブルに現われていない状況でも、ジャズ/ブルースに見られる楽音の「薫香」から暗々裡にブルー七度の存在を胸に抱いて奏する事もある訳です。その際、そこにブルー七度たる長七度から下方変位された音(=必ずしも短七度ばかりではなく微分音による中立音程の場合もある。しかしピアノ・アンサンブルが重視されるならばそれは半音階に均される事になる)が無い状況である6度の音は、暗々裡に七度を想起しているので実際には13th音という役割になるのです。


ブルー・ノートの誕生

 ブルー・ノートというのは、本来変位される形ではない長音階の音組織の本位音度たる7度・3度(長七度・長三度)が「微小音程」的に(つまり半音よりも小さい微分音)下方変位(オルタレーション)した所から発生したという風に分析されて来て居り、そこに更に本位五度(=完全五度)も同様にオルタレーションを起こす様に変化していった物で、そのオルタレーションの過程にて微小音程は半音階に「吸着」せられ、やがてはそれほど多くの時を俟たずに微小音程という本位音度からの近傍値は半音階という本位音度の半音下の音に均されて行ったというのがブルース/ジャズの起こりという訳です。併しジャズでは総じてオルタレーションたる変化和音が下方変位する訳でもありませんが、上方変位よりは頻発します。これはジャズの初期の平行四度オルガヌムを語る時に詳述します。

 また、和声的には響きの生硬さ──これは往々にして〈響きの硬さ〉とも称される──を求められる様になるのですが、畢竟するにブルース/ジャズにおける響きの硬さを求めるという欲求は、都度遭遇する和音に対して「根音」と「五度音」に対して、暗々裡に響きが卑近な程に判ってしまうそれを「暈滃」するかの様に暈して用いたのが始まりである訳です。根音が何の暈滃もなく響くという事は、赤裸々なトライアドの姿である根音が恥ずかし気も無く愚直に根音を響かせる事でもあり、この卑近さを解消する様にして2度音をぶつける事で「根音+七度」という二度音程のぶつかり具合によって生硬な響きが出来上がった訳であります。

 同様に、トライアドに含有される五度音の卑近さを解消する様にして二度音程を「ぶつける」事で、「五度音+六度音」という音に依って生硬さが生じた訳であります。然し乍ら、この六度音は単なる付加六度という物ではなく「13th音」としての役割をほぼ同時に求められて行くかの様に発展するのであります。

 また、先述の様にアンサンブルにブルー七度が無い状況での便宜的な6th音(=実際は13th的振る舞い)は、ひとたびそれを聴けばリラティヴにある音が齎す何処かもの悲し気な「暗さ」を伴い、基の長和音を直視しない仄暗さがある物です。それに加えて5度音を愚直に直視しないという響きをも同時に感ずる訳です。


6thと13thとの違い

 13th音を随所に感じ乍ら、13thを「下支え」する音というのは概して9th音であります。11thを飛び越して能く使われる物で、「sixth add ninth」というタイプで「○69」という風な表記にて基底和音はメジャーおよびマイナーに対して附与されるタイプです。メジャーコードに附与される6&9の場合は、これは等音程構造の四度和音とも見做す事のできる物であります。

 マイナー6add9の方は不等四度という扱いと見做す事にもなる訳です。とはいえ私は付加六の和音という物を一義的に「四度和音」に属する物として決定づけようと読み手の方々に慫慂する物ではなく、四度和音とて集積し合えば二度和音に収斂しますし、他方、四度を転回すれば五度和音と見做す事も可能ですし、嘗ての日本和声を整備しようと試みられた箕作秋吉、早坂文雄やらの名を松平頼則著『近代和声学』や厚生音楽全集にて貴重な文章を見つける事ができるもので、そうした先蹤を拝戴しつつ旋法的な仕来りの和声観という物を使い手となる己の無知がそれらの先蹤を無視してしまうのではなく、顰に倣う事がなくとも先人の轍を見つけた時にはそれを改変したり脚色したりしてはいけないので、そこを踏み外す事なく取扱わねばならないと思っている訳です。

 少なくとも今こうして付加六の和音を取り上げている事によって、特にメジャー6thコードに於ける構成音の各音程が等音程である対称性が「不協和」の特徴的な色彩の末に起こる現象とも言える訳ですから、そうした点をあらためて実感し乍らこうした和音を吟味して欲しいと願わんばかりです。


スティーリー・ダンに学ぶ

 私が思う、9thと13th音との妙味を探る事のできる好例となる曲はスティーリー・ダン(以下SD)のアルバム『Aja(彩)』収録の「Black Cow」のAメロのグリッサンドを伴わせたギター・リフを挙げます。

 今回用意したデモは譜例を確認可能な様にYouTubeにアップしている訳ですが、譜例がデモ演奏の一部となっている点はご容赦下さい(笑)。譜例を作成する事自体は私が作業する上で問題が無いのですが、その譜例を適切な解像度で動画に充てるという変換が私にとっては非常に厄介な作業であるため譜例が途中までとなっている訳です(笑)。

 とはいえ左ch.から聞こえるエレキ・ギターに依るコード・リフは、注力しなくても判る位にミックスしておりますので是非聴いてみて欲しいと思います。このリフが、9thと13thを活かしたリフであるというのを吟味していただけるかと思います。「Black Cow」は曲の冒頭のキーはCのブルース・メジャーと言って差支えないでしょう。次のパターンではAメジャーに転じますが、その唐突さというものはあまり感じないと思います。



 この曲はおそらくドナルド・フェイゲンのカラーが強く出ていると思われる曲調ですが、デモでは用意しておりませんが、原曲の冒頭のクラビネットとベースに依るリフは9度と13度音を強調している所に加えて唄メロが入って来ても当初はアンサンブルが稀薄ですから、C音をフィナリスという風に聴くには一定以上のブルースやジャズの感覚で耳を慣らす必要があるかと思います。嘗ては私の周囲にも、キーが掴めない、つまりは中心音としてのC音の振る舞いが弱く感じるので調性の立ち位置が判らないという状態で聴かざるを得ないという者は意外に多かったので、茲でもこうして注意喚起しておく事にしました。
 
 とはいえ、そのフィナリスたるC音が小火けているのがSDのお二方の狙いなのでして、これは明らかに主音(C7の根音)と属音(C7の第5音)を暈滃するが故の「暈かし」な訳です。

 しかも曲冒頭では唄が入る直前で、ギターがコードを奏するまではB♭音が現われないのですが、C音が中心音という風に耳に馴染めば、アンサンブルにB♭音が無くとも暗々裡に欲求としてB♭音を脳裡に映じたりすると思います。これは、6thとしては扱わずに13thとして振舞わせる為に必要な知識です。こういう時というのは「空虚な七度」の存在がどういう示唆があるのか(=長音階の導音たる本位音度の長七度なのか或いはブルー七度化した短七度のどちらを想起するのか!?という意)という事を鑑みた上でコード表記を慎重に充てるべきだと強調しておかなければなりません。

 今回の私が創った「Black Cow」のデモでは、原曲のボーカル・パートをハモンド・オルガンにして高音域に移高させつつ、多くの部分をセクショナル・ハーモニーで埋めつつ、時折スペクトラムに音を装飾しております。デモ冒頭の「In the corner」の「corner」部分では高音域に「田園」を持って来てしまったかの様に嗤笑される方もおられるでしょうが(※ベートーヴェンの「田園」に顕著なヴォイシングを自虐的に揶揄している私流の諧謔)、原曲ではこの部分に、非常に長い残響のプレート・リバーブ且つ低域が巧妙にカットされて「corner」の「ner」がスーッと際限なく伸びて行く様に聴こえる残響の「パワー」を私がスペクトラム的に形容したという訳です。残響という物も非常に細かなスパンで見れば、アンサンブルの音にある低次の倍音列が残って行く事で残響になる訳です。つまり、長い残響というのはそれだけ低次の倍音列を耳に響かせている事と同様なのです。

 ですが、通常はその低次の倍音列がエネルギーを潤沢に持ってしまうと原音を混濁させてしまう訳です。ですから多くの残響テクニックというのはBusルーティングにてBus側に挿したリバーブにLPFを噛ませる訳です。低域が要らないという事は前述の通りです。但し、リバーブの音に「飽和感」が欲しい時というのはリバーブの前段にてEQの中音域をブーストさせながら前段ではLPFを噛ませず後段にてLPFでリバーブの低域部をカットしたりなど、色んな方法論はある物です。スプリング・リバーブとて媒質中の幾多もの往復が残響を作るのでありまして、空気中のそれとは全く異なる音の速さ(海とて深い方が速く進む)であって、媒質の密度が高いと進み方が速い訳です。海の場合水の重量でそれが決定される訳ですが、浅い所と深い所では温度も密度も異なる為伝わり方が異なる訳ですね。

 因みに今回のデモにてメロディ・トラック用のオルガンとブラス用のリバーブは全く同じです。プリ・ディレイは87ミリ秒取っています。「そんなに長いの!?」と思われるかもしれませんが、リバーブ成分を原音に対して大きめにミックスしてしまえば音の遅れというのは顕著に判る様な長さに相当するものの、音の遅れ・ズレとして認識させない「埋もれる」音量の交差するポイントが必ずあるので、そこが一つのリバーブ・ミックス・レベルの適正値の基準点であると言えるでしょう。但し、オルガン・パートにエコー感を模しているのはヤマハのE-1010を模したショート・エコーを挿しているからです。

 話題がエフェクト方面に脱線したものの、「Black Cow」に見られる一部のアンサンブルには7th音がなくともそこに附与される6th音に相当する音は13thであり、そこにはモード解釈的な意味合いとしてコード表記にて7thコードを示す事で、暗々裡にブルー七度化しているモードの示唆を同時に表わしているという重要な解釈をするシーンがあるという事を、与える側も受ける側も念頭に置いておく必要があるという事を言いたかった訳です。


渡辺香津美に学ぶ

 例えば嘗て、ギター・マガジン誌上にて採譜者の橋本眞秀氏が渡辺香津美のアルバム『Mobo Splash』収録の「十六夜」の或る特定部分をして「興味深い」解釈で以て取り上げていた事があります。私からすると、氏のその和音の解釈は誤りであると捉えており、今回YouTubeのデモの方で用意している譜例動画の方では論駁する意味でも私が修正して表記しているのですが、抑も氏の解釈はギター・パートのみでコードを採っていてそれで話を進めてしまっているという点が特徴的でもあるので、その辺りを念頭に置いた上で私の解説をお読み下さい。



 曲冒頭から2つ目のコード《Adim△7(on B)》は、私が今回「このように表記すべし」としているコードでして、当時のギター・マガジンではこれを《G♯7(9)》という風に充てているのであります。

 ギター・パートだけでコードを採るのでしたらこれでも良いかもしれませんが、然し乍ら私が今回ベース・パートも附与してコードを鑑みた時、それが〈G♯〉某(なにがし)系統のコードというのは不適当であると私は解釈しているのです。

 無論、誌上には載せられていない所の話で、仮に氏が渡辺香津美氏と直接遣り取りをして、そのコードが《G♯7(9)》という風に本人の確認を取った上での事でしたら、ベースのグレッグ・リーがカウンター・ラインを刻んでいる事となるのですが、カウンター・ラインと解釈するにはポリ・コード上を横断する様な動きをしておりますし、グレッグ・リーのそれは、E△風の音脈を使いつつ、E△という和音の薫りが下にこびりつかない様にして四度(=A音)で巧みに暈滃している様にして、後続の《C♯m add9》に順次進行でB音(独名=h音)を挟んでいる様にしている訳ですが、E△の分散フレーズとして丸々現われておらず〈e - h - fis〉という〈完全五度 ─ 完全五度〉という重畳で結んでいるのがお判りいただけるかと思います。ですからここは、グレッグ・リーがE△系統の音ではない解釈と読むべきなのです。

 これは、オン・コードとして「on B」という、主体の和音Adim△7の根音を暈滃させる狙いと、旋法和声の側面を含ませる事で、先行のe音はh音の装飾なのです。h音が和声的な薫りを示唆するフレージングをしない様に下方五度で曇らせてから入っている訳です(という解釈)。

 ですから、茲はどうしても腰を据えたくなるのはB音(=h音)なのでして、それが後続和音への順次進行への経過音ではなく、オン・コードたる最低音の本丸だった、というのが私の解釈なのです。亦なにより、この当該部分を和声的に耳にした時、最低音がE音よりもB音としての方が際立って聴こえるというのも一つの特徴であるとも言えます。

 そして《Adim△7(on B)》というコードをオルタード・テンションを纏ったドミナント7thコードの断片として見立てると《B7(♭9、13)》という風にも解体する事ができる訳でして、ベース・パートがこのコード上での暈滃から始まらずにコードに従順に弾いていないのはE音を臆面もなく弾く所に、これは素直にB7系統のドミナント7thコードを奏している類の物ではないという事が判る訳です。

 ドミナント7thコードの根音から見た本位十一度(=完全十一度)に位置する音というのが臆面も無く現われる状況というのは、それが暈滃状態、すなわち三全音をどこかで包含していようともドミナント・モーションをしないタイプの進行である事に疑いの余地はありません。すると、それが機能和声的な下方五度進行或いはそれに準ずる三全音代理(=トライトーン・サブシュティテューション)の類では無い状況という事を確認する事になるので自ずと、

●旋法和声進行
●垂直的に和声的粉飾を纏っただけのドミナント7thコードの類型
●ポリ・コード(分数コードまたはオン・コード)

という状況であるとして見越した上で奏するのが賢明であるのです。

 《Adim△7(on B)》というコードを《B7(♭9、13)》として見立てる事は容易です。そのコード表記の体系から、多くの人は後者の取りこぼしの様に感ずる事でありましょうが、コードの体系が事実を歪めてはいけないと思うのです。

 コード表記の体系というのは極めて稀な状況のコードを指し示す必要になる時こそ混乱を生じる物です。そうした混乱に殆どの状況において及ばずに済むのは、機能和声的で安易な方法論に安堵する状況であるならば、こうした稀で例外とも言える状況に遭遇する事は無い事でしょう。そうした稀なケースだからこそ余計に疑ってかかるべきですし、そうした強固な体系にも易々と甘受できない状況だからこそこのように注視しているのです。


 私が今回解釈した当該コード部はお判りいただけたかと思いますが、橋本氏が嘗て誌上で解説している「G♯7(9)」というのは、その表記自体が先ず《G♯7(♭9)》の表記ミスである可能性を指摘できます。但しこれが仮に《G♯7(♭9)》と意図したかった物だったとしても、先述の様にベース・パートのフレージングを鑑みると矢張りG♯を根音とするコード由来ではない事の可能性を更に強めてしまう事になるのです。

 しかも、ベースはどちらかというとE音を奏している(A音を暈滃させる為の敢えてのE音)為、G♯をリラティヴに追う音脈から生ずるコードになってしまいますし、E音を根音とする類のコードにした時、《G♯7(♭9)》の♭9th音である=a音は、E音から見た本位十一度となる為、これまた和音の類型としては閉塞する状況となって、コード体系に雁字搦めになってしまうと和音の類推すらままならぬ状況となります。

 往々にしてこういう場合はポリ・コード(分数コードやオン・小コードも含)の状況の可能性が高いと言う事が出来る訳です。尤も、非常に稀な例ではオルタード・テンションをまとったドミナント7thコード(長九度・増十一度包含)にて本位十一度(=♮11th)音を奏でるウェイン・ショーターのアルバム『Atlantis』収録の「The Last Silk Hat」というのもありますが、ショーターのそれも、コード表記の体系に屈伏ありきで曲を書いているのではなく、そうした稀な状況というのは所謂機能和声的なカデンツを経由するコード体系とは異なる音楽観から生ずるポリ・コード観から創出される物であると私は分析するのでありまして、今回私が敢えて先の様な奇異なコード表記を充てているのはこれらの理由があっての事なのです。