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和音とは [楽理]

 抑も和音というものは、3度堆積の形として異なる音高が3音在る状態が原形なのではなく、異なる音高が2音の合成音の状態でも本来は和音なのであります。然し乍ら2音の場合は、3音からの省略形として見做して捉えて来たという歴史があるのです。


 3音の状態というのが現今社会でも判り易い「トライアド」つまり三和音の姿なのでありますが、これも和音の歴史に準えるならば、3音がどんな状態で存在していても良いという訳ではありません。最終的には3度音程ずつ積み上げられる形として転回され、且つ完全音程を持つ事。これが三和音の原形なのです。

 つまるところ、三和音の原形を厳格に扱うならば、長三和音と短三和音しかその厳格な和音の扱いを受けない事になります。そうです。現今社会では能く見掛ける増三和音・減三和音というのはそれら長・短三和音の変位和音(オルタレーション)として取り扱っている物なのです。

 ポピュラー的表記で言うならば、メジャー、マイナー、オーギュメント、ディミニッシュという4種の和音体系というのは実際には長・短和音からの派生であるという事を今一度知って欲しいと思わんばかり。しかも長・短それぞれの和音でも長三和音が最もオーセンティックな姿であり、曲は短調であろうともこの和音で終止する事を強いられていた時代がある訳です。言うなれば短調の曲はピカルディ終止を求められていた時代があったという訳です。


 今でこそ西洋音楽に端を発する機能和声の枠組みに於て終止を得る為の解決感というのはⅤ→Ⅰという風に解釈されておりますが、これが整備される以前の進行というのは「Ⅱ→Ⅰ」だったのです。和声とて充実した響きではなかったでしょうから、旋法性の強い民族調というか土俗的な薫りを残した感じがあるかもしれません。例えば日本的な旋法に和声を附けるとなると、日本旋法そのものが「五度和音」という解釈にあったり、また五度和音の堆積から西洋音楽的な三度の響きを想起しない様に四度和音を充てて想起する事もあるのですが、三度堆積の和音というものが長・短音程の「不等」である事を思えば、五度や四度和音の音程も不等であって構わないのです。これはアーサー・イーグルフィールド・ハルが自著『近代和聲の説明と應用』にて語っている所です。とはいえ三度和音以外の体として使う時、我々の多くは等音程の方を多く採り入れる事が多い訳ですね。

 旋法性のある曲想に和声付けを行うとすると、過去にも君が代に和声付けをしたエッケルトや田中正平、箕作秋吉、早坂文雄らがクラウス・プリングスハイム作『管弦楽のための協奏曲』以降、日本的な和声という事に対して多くの物議を醸す事で多くの論究を得る事になった背景があります。その後信時潔、松本民之助等が日本的旋法を用いて作品や著書を残している事を思えば、あらためて深く首肯させられる事でありましょう。


 私がこうしてブログで取り上げているからには「意図」があるからでありまして、私の場合は「Ⅴ→Ⅰ」進行よりも「Ⅱ→Ⅰ」の方に着目しますし、ドミナント・コードの多義的な振る舞いの方に着目しているからこそ今回この様に和音を取り上げているのでありまして、どちらかといえば和音の振る舞いに従順になるのではなく「恣意的」に和音とやらを捉えて欲しいのであります。


 扨て、三和音という能く知られた長・短・増・減の和音以外にも嘗ては私のブログでは硬減三和音や二重減和音に就いて取り上げていた事があります。私は今茲で「二重減和音」に就いては過去に述べていた事を集成する必要があるのですが(※当該記事は既に修正済)、私がこれまで誤って理解していた二重減和音というのは、減三和音から第5音が半音下がる又は第3音が半音下がる事で得られる両者の中に特徴的なのは減三度を生じている事。

 その減三度が見かけ上は全音と物理的に等しい音程の為、硬減和音にも結果的に減三度が生じている為に硬減和音に類すると私は誤って覚えてしまっていたのです。実際には両者は、前者が硬減和音で後者が二重減和音なのですが、過去に二重減和音を取り上げた事は2度あり、それらについてあらためて修正しておく必要があるかと思い、この機会に取り上げる事にしたのです。


 そもそも硬減和音・二重減和音の類が最も分り易い音楽書というのはトゥイレ著の『和声学』(山根銀二・渡鏡子訳)なのでありますが、これ以降の和声学ではあまり取り扱われていない様にも思えます。オルタレーションという括りで取り扱った方が柔軟に富むという考えがあるからでありましょう。しかし、三度音程を積み上げて作られる三和音に多くの種類があるものだろうか!? と首を傾げる人もおられるかもしれませんが、今回は次の例の様に12種類を列挙してみたので、あらためてそれらの名称と各和音の音程関係を確認してもらえれば幸いです。


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二重増三和音……増3度+増5度
増完全三和音……増3度+完全5度
増三和音……長3度+増5度
長三和音……長3度+完全5度
硬減三和音……長3度*+減5度
短増三和音……短3度+増5度
短三和音……短3度+完全5度
減三和音……短3度+減5度
短過減三和音……短3度+重減5度
減完全三和音……重減3度+完全5度
二重減三和音……重減3度+減5度
減過減三和音……重減3度+重減5度


 各和音の音程関係を明確にする為に、本来なら本位記号を必要としない物でも敢えて振っているのでご容赦願いたい所。又、硬減三和音の「長3度」にアスタリスクを振っているのは、硬減和音を何の基準も無しに音程として見るだけなら長三度として見るしかないのですが、実際には減三和音の三度音が半音上がって変化する際に現れる和音なので、硬減三和音の存在が示唆(つまり硬減三和音に先行する和音)する物は、減三和音があって然るべき、あるいは減三和音が現れて然るべき「音度」に現れる筈なのでありまして、同様に二重減和音などの体も視野に入れる必要があるのです。

 例えば、減和音が出現し易いのは長調のⅦ度か短調のⅦ・Ⅱ度であり、増和音が出現し易いのは短調のⅢ度や長調の主和音(Ⅰ)のオルタレーション、属和音のオルタレーションなど上げればきりがありません。

 クマムシの「あったかいんだからぁ」の「スープを貴方に」の「あなたに」で使われる増三和音がどのようなオルタレーションで音程が「誇張」されているかを判断すれば、先行和音が決して減和音ではない事がお判りになる筈です(笑)。つまり、こうした事が判れば、硬減和音やら二重減和音やらがそこに存在するという事は、機能和声的にはどういう事を意味しているのか!? という事を読み取る必要があるという訳で、こうした半音変化する類の和音が、調的な薫りをいずれ消し去ってしまった時の振る舞いとして使われた時、音程を示唆する事が「無調」の世界ではヘプタトニックを示す事になり邪魔になりますね。ド・ミ・ファ#という音だと硬減和音ではないのです。ド・ミ・ソ♭ならまだしも(しかし本来ならシ・レ♯・ファである)。

 しかし、無調の世界で偶々ド・ミ・ファ#の体として使った場合、三度堆積のコードとしての同義音程の和音と同一である響きから12音組織の世界を恣意的に見る方が難しいのでは!? という見方も存在する訳です。つまり、半音階を駆使した調性社会からすれば、十二音技法の世界にもどこかしら調的な薫りを齎している断片はある筈だ、と。それをヒンデミットは自著『作曲の手引』で語る訳ですが、アンドレア・ゴレアやエドモン・コステール等は12音技法というあまりにシンプルで判り易い体系のそれに屈服しているだけで、音楽そのものに向き合っているのではなく、新たな形式に心酔して感覚が麻痺してしまっているかの様に陥っているだけの事で、ヒンデミットのそうした姿勢を今度は論駁する訳でありますね。


 半音階を駆使するがこそ、その背景に調的な余薫が有るのか無いのか!? 仮に無いとする世界観に於ても倍音構造は長和音や属和音を示唆する響きから逃れる事はできない、と。


 そうするとあからさまに複音程(完全八度よりも広い音程)を使って調的余薫を消そうとするのでもありますが、ドレミファソラシの各音を各オクターヴ毎(7オクターヴに対して1オクターヴ毎に1音を充当)に振り分けただけでも調的要素が消えてしまいかねないのは滑稽でもありますね(笑)。


 扨て、先の半音を駆使して重増や重減音程までを見て来た訳ですが、それらは総じて3度音程だった訳ですから、その音程が3度であるならば間隙である2度音程の存在は間違いなく存在する訳です。2度音程の事を全く語っていないからといって2度に在る音を無視してはいけないのです。言い換えるならば3度音程とこっぴどく語っている事が2度音の存在を示唆する事を意味しているのだと読み取らなくてはならないのです。


 つまり、根音から重減3度上方に第3音がある。第2音の存在もある、という事を意味する訳です。