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40年以上の時を経て [楽理]

 2013年5月、BS-TBSの番組「SONG TO SOUL」に於いてプログレ・バンドのYESが取り上げられた事は記憶に新しい所であります。今回は私個人に依る番組への率直な感想を語ろうかと思います。


 こうした番組特集を一般視聴者が目の当たりにする事の出来る背景には、某アニメ音樂に於いてイエスの「Roundabout」が採用された事に依る物が大きいと思われ、サブカル方面のファンは投資を惜しまぬ程欲求を尖らせている人達でもあるのでビジネスに直結し、それが高じてお茶の間でYES特集を観るというご利益に肖っているのだと言えるでありましょう。


 私がアニメを語るなどとは門外漢であるものの、自分自身の幼い頃から少年時代の頃位しか語れぬ知識を呼び覚ましてあらためて振り返るとなると、「Roundabout」の時代が現在進行形のアニメに採用されたという事は、バビル二世や海のトリトンの頃の時代の音樂がそのまま受け入れられている事に等しいのだと思うとあらためて時代の違いに驚かされる譯でありますが、それほど昔らしさを伴わないのはやはり音の体系がポピュラーどころとは少々異なる部分があるからかもしれません。

 ややもすればブラッフォードの音が一番時代を感じさせる音なのかもしれませんが、あのカンカンしたスネアの音(無闇に不必要な部分音の多い音ではない共鳴的な)も時代を超えて再認識されるのだと思いますし、低域がふくよかではなく物理的な低音を削ぎ落として細かなベースラインをピックで弾くクリス・スクワイアのベース・サウンドというのも新たに受け止められる物なのかもしれません。


 ラウンドアバウトとは日本の交通システムで云えばロータリー交差点を指すと思えまして、今では駅前のロータリー的な構造を除けば普通の道路で何処に存在するのか!?と思う事しきりなのですが、私とて神奈川県民であるものの多くの存在は知らぬものではありますが、嘗ては相模原市内(現・相模原市中央区)の榎町交差点(JR横浜線淵野辺駅-矢部駅間)がロータリー交差点でありまして、昭和52年位迄在ったでしょうか!?若い人からすれば何時の時代のハナシをしているのかと嘲笑されかねませんが、駅前以外でロータリー交差点が在ったのは他に記憶がありません。



 孰れにしても先の番組で色々私が思いを馳せた事というのが幾つかありますが、ロジャー・ディーンが取り上げられたのはとても興味深いモノでした。彼のオフィスと思われる映像に一番最初に飛び込んで来たのが初期ヴァージン・レーベルの白デザインの物。
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 つい先日、Amassの記事にてヴァージン40周年という記事を見付けたりしたモノですが、私が成人する頃手に入れたヴァージン・レコード・サンプラーというLPを当時の連れにクリスマス・プレゼントをしたのを今でも思い出します。つい先日にはその彼女と自転車ツーリングを楽しみ合っているという夢を見たばかりの事でしたが(笑)、私が彼女にそのレコードを捧げた理由というのは、私の大事なコレクションのひとつを「割符」の様にしておけば共有できるだろうという思いもあっての事ですが、その後別離となるワケでありまして(笑)、中古市場でヴァージン・レコード・サンプラーを見掛ける度に、「コレ、俺のあげたヤツじゃないよな!?」と思い乍ら、ついつい「売り払って欲しくない」というキモチが何処かに在ったりしたりするモノです。

 カンタベリーという形態がその後ブランド化するのは初期ヴァージン・レーベルの貢献なのでありますが、ヴァージン・レコード・サンプラーにはハットフィールド&ザ・ノース、ヘンリー・カウ、ファウストやら、そうした連中を選曲したモノであるため、初期ヴァージンというのは如何に先鋭的であったかという事が今も伺い知る事ができます。そうして其のレコードには白ヴァージン・レーベルでサックス・ブルーの少女とドラゴンで彩られていたモノなので、先の番組で白ヴァージン・レーベルを真っ先に目にした時には色々頭をよぎる事がありまして感慨深いモノでもありました。

 40年以上前の音樂への受容という物が近視眼的に余りに遠過ぎる月日が正当な理解を風化させているのではなく、40年経過しても旧さを感じさせないという、他の音樂と少し異なる趣を備えているからこそ今でも採用されたりするのだと私は感じております。


 とはいえ、私が先の番組で一番瞠目に値するシーンというのが、スティーヴ・ハウ、リック・ウェイクマン両氏とも、ラウンドアバウトのリフを口ずさむ時に、元のホ短調(=Em)では口ずさもうとせず、自身の喋りの撥聲域に置換(=移調)させて喋っている所には私はとても驚いた譯であります。

 これは私の感覚にしか過ぎませんが、仮に私が会話中にある曲のリフを口ずさむ事になった場合、間違い無く元の調性で口ずさむので驚いたという譯なのです。ただ、誤解されたくないのは、私は移調が出来ないのではなく、移調して口ずさむなど容易いのですが、元の調性と同じ様に情感を傾倒できなくなるので、そこのジレンマがもどかしく、移調して唄ってしまうと曲想に相当大きな齟齬を来すのが厭なので私は移調を伴わず原曲の調で口ずさむのであります。多くのアーティストが過去の做品をセルフカヴァーして、若い時の聲域を確保出来ずに移調してしまうケースが多いのですが、最早そういう物でもアーティスト本人をリスペクトはしつつも曲そのものは別物にしか聴こえず、カルピス20倍稀釈化の様な印象にしかならないので私は厭なのです(笑)。


 所謂「あのリフ」とは、今回リズム譜にした通りの物で、ハウのパートのハーモニクスに依るモノで単聲ではないものの大抵の人は階名を振った様に「ド・レ・ミ♭」の3音で呟く筈で、この音形を先のスティーヴ・ハウとリック・ウェイクマン両氏のインタビュー時に口ずさむという事を私は語っているのですが、スティーヴ・ハウは嬰ト短調(=G#m)で口ずさみ、リック・ウェイクマンは変ロ短調(=B♭m)で口ずさむので非常に驚いてしまったワケです。
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 特に、ウェイクマンがあれほど無頓着に変ロ短調で口ずさむ(元の調性と三全音離れている)のは瞠目に値したモノでして、三全音異なる調性だと鈍重にも聴こえ、ハウの様にメディアント調域(短六度下)で唄うと、まだ鈍重さは緩和される様な感じでもありますが、これでも私の耳には異質だったので、喋りに重きを置く事で、自身の聲域に近い所に「移調」するモノなのかなー!?とあらためて驚いた譯なのです。


 余談ですが短調の曲を階名で唄う場合、長調と違って幹音は「ド レ ミ♭ ファ ソ ラ♭ シ♭ ド」となるので「ドレミ♭」(イ短調のABC)という旋律を平行長調のまま「ラシド」(ハ長調のABC)と割り振る手法がいずれも存在しますが、どちらかでなくてはならない、という教育体系ではないので混同せぬ様ご理解の程を。


 40年以上の時を超えて、あらためて知る事のできる側面を目の当たりにするのは實に興味深いモノであります。そういう意味でも先の両氏のインタビューはとても興味深いモノでありました。こういう番組を目の当たりにすると、亦、プログレ三昧の期待が高まります。