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ブレッカー兄弟にポリトーナリティーを視る [楽理]

 漸くこの話題に至る事ができたという思いですが、私の意図はこの時点では未だ伝わらないとは思いますので当惑されている方が多いのではないかと思います(笑)。まあ、記事タイトル通りブレッカー・ブラザーズに多調(=ポリトーナリティー)を見出すという事を今回は語って行こうと思うワケですが、数日前にも実はツイッター上にてチラッと語っていたモノでもありまして、今回はその辺りを詳悉に述べて行こうと画策しているワケであります。


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 そもそも私は過去にブレッカー兄弟に依る「A Creature of Many Faces」の事をチラッと語っていたのでありますが、触り程度にしか語っていなかったのでありまして、今回その曲を題材に述べる段階に至るという個人的な思いに依り「漸くココまで語る事になった」と思いを抱いているワケでして、故に先述にある思いにふけるかの様な文章となったワケであります。とはいえ音楽理論という観点での深い考察というのは限りがありませんし、まだまだ私も語る事は多いのでコレで語る事が無くなると思ってもらっては困ります(笑)。


 扨て、ブレッカー兄弟の1stアルバムというのはこのブログリリース2012年時点で最早35年程前のアルバムとなるワケですが、私の実感としては「もうこんなに年月が経過してしまったか」というのが率直な感想です。私が音楽への「器楽的」な興味に覚醒した時とクロスオーバー・ブームの引きずり、オーディオ産業の躍進と成長というのは完全に同期していた事も相まって、私がこのアルバムを手にするのはリアルタイムではないもののかなり早期の段階で耳にする事が出来たのは幸運でした。私がこのアルバムを最初に耳にしたのは82年初頭辺りでしたでしょうか。当時は「スポンジ」ばっかり弾いていたモノです。ウィル・リーのミュートロンの音聴きたさというのが発端でしたけどね(笑)。

 そんな当時、今回私が述べる所の「多調性」の妙味など知る由もなく(笑)、楽理的背景を知る事になるのはそれから8年程経過してからの事となったワケです。楽曲を理解する上で誰もが経験することだとは思いますが、演奏面や技術面で追究する音楽と和声的もしくは楽理的側面の追究する音楽というのは全く別物であったりするモノです。勿論両者を兼ね揃えたタイプの作品もあるワケですが、往々にして私は演奏面を追究していた事もあって楽理的側面での聴き方が蔑ろになっていたのですが、それでも当初から「A Creature of Many Faces」の他には無い独特の楽曲の魅力には朧げ乍ら感じ取っていたもので、後にその魅力を自分なりに追究していくと、とても勉強させられるモノとして受け止めるようになったワケです。


 そんなワケで「A Creature of Many Faces」を語って行きますが、この曲の作曲者は兄のランディ・ブレッカーであります。当時の私のブレッカー兄弟の在り方は「マイケル」こそがブレッカーみたいな感じで近視眼的に聴いていたモノでしたが、この曲の魅力を探った後にランディ・ブレッカーの見方を変えたモノでした。
 
 大局的に見てこの曲のキーは「Fメジャー」です。ヘ長調ですね。しかし曲中ではEメジャーに「移ろう」箇所があったりするものの、その転調感は非常に希薄で寧ろ自然に行き交いをします。スパニッシュ・モードに於けるE△→F△→G△→F△の過程の様なものにすら置換できるかのような(※この曲でスパニッシュ感は全くありません)、それくらいスムーズに移行します。

 着目すべき点はキーの構造ではなく、そうしたプロセス内に現れる「V△/♭VI△」の用法、つまりこれは六声でペレアス和音でもあるワケですね。私はこの曲に遭遇する以前に渡辺香津美の「Inner Wind」を聴いていたので、ペレアス和音の用法自体にはこの時点ではさほど驚きはありませんでしたが、あまり出会う事の無いペレアス和音の使用例を他の曲でも知る事を出来るという点に於いても当時の私には強力な下支えとなってくれる使用例でもありました。

 ブレッカー兄弟それぞれのソロに入るまでの曲の主な構成としては

 前奏 - A - B - A - B - A -C - A - D - soloというパターンがありまして、正直な所CパターンもDパターンもBパターンの亜種の様に近しい曲想ではありますが、マジカルめいた技法はCやDパターンにて確認する事ができるのが大きな特徴です。

 まずCパターンでの「結句」はG♭M7(+11)でトップノート「F音」で偽終止感を成立させているのですが、この和音と似た構成音の和音をDパターンに於いては全く別のアプローチで「結句」させてきます。その和音は上声部「G♭△」で下声部は「Fsus4」という、下と上で短九度を形成させてB♭音を共有した接続先として用いる五声の和音が出現します。Fメジャー・キーなのだからなぜ短九度方向にて「結句」させるのか!?それがこの曲の妙味であり「Many Faces」たる所以なのでしょう。

 そのDパターンの結句に至る大きな「動機」というのが直前の二声による「d - c - h - a - cis」という旋律と「g - f - e - d - e - fis」という旋律で構成されていて、各声部最後の音を異名同音に置換するとG♭メジャーを構成するG♭とD♭の音という風に結びついているのが判ります。それら二声を下支えする為の安定的な存在としての音としてB♭が導入され、この音は奇しくも「下声部」の四度の「掛留」の音として機能しているのであります。


 上声部のC#音は本来Aメジャー・トライアドのメジャー3rd音として出現するための音なのですが、Aメジャーの平行短調であるF#マイナー・トライアドの5th音として脈絡を考えた方が合点が行くのです。それは、上声部のもうひとつの声部の「F#音」の脈絡は、キーがF#メジャー(然しF#ミクソリディアン)の音でして、仮にこの部分に「A音」があったとすると同主調の長調と短調(F#メジャーとマイナー)が併存する調に加え、下声部のヘ長調(=Fメジャー)も加わるという、3つの調性を垣間みる多調を確認する事ができるワケです。
 
 A音を避けている理由は上声部はC#フリジアンとF#ミクソリディアンで形成される時の背景として安定的に響く「F#△」の断片であってほしかったのと、下声部はFsus4と見え乍らも、実はF#△の三全音下に現れる「等音程」C - F - B♭としての姿なのだという事を視野に入れる事が出来るのであります。

 完全四度累積の等音程の魅力というのは、いかにして「二度音程」や「短三度音程」という風に四度を砕くか!?という所が醍醐味なので、上声部F#△の三度下に「仮想的に」与えられる根音バス「E♭」の想起が可能で、このE♭音は同時に下声部の「C - F - B♭ - E♭」という等音程を更に拡大して補強される「脈絡」としての道具になります。

 そうした「示唆」に留めておいて、次のFメジャーへと(ソロ)進行する方がスムーズな連結となるワケですが、こうした短九度の形成として出現してはいるものの強烈な不協和に聴こえない所が、それまでの旋法的な動機付けに依る物が大きいのであります。


 更に、曲中では大局的に脈絡が希薄な方向へキー・チェンジというのも視野に入れ乍ら「多くの調性」を見せる事も醍醐味として用いているワケですから、ソロ部分のコード進行の最初の方を見てみると「FM7 -> D♭M7 -> AM7」という風に進行させていきますね。

 この長三度ずつの進行、ココでピンと来る人はそうですね、アレです。コルトレーンの「Giant Steps」ですね。
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 コルトレーンが抱く標題の意図までは実際には判りませんが、「ジャイアント・ステップ」というのは音程の事を指していて、それは「二全音と四全音」の事だと私は解釈しております。四全音というのは「増五度音程」でもありまして、転回すれば減四度≒長三度でもあり、二全音というのも長三度音程(転回後=短六度)なワケです。

 つまり二全音上行進行と四全音上行進行を使い分けるのがコルトレーンのジャイアント・ステップスそのものでありまして、実際に曲は3つのキーに転調するワケですが、それがB -> G -> E♭と進行するか(四全音上行)、B -> E♭ -> G(二全音上行)と進行させるかを使い分けているというワケであります。本当は変ハ長調(=C♭)として考えると、この二全音&四全音はもっと解釈しやすくなると思うんですけどね。ある意味では四全音上行というのは転回すれば二全音「下行」という風にも言えるワケで、こうした所から私が以前に述べた「順行と逆行」というテーマは、こういう所からも察していただけると意図が掴めるのではないかと信じてやみません。


 抑もコルトレーン・チェンジというのはそうした二全音と四全音という脈絡が少々希薄な調域へ行くためにツーファイヴへの解体を経過的に用いたり、3種のトニックにスムーズに連結させるための中心軸システムの活用だったり(中心軸システムではオクターヴを短三度ずつ隔てたものが同族ですが、二全音上行の際は中心軸システムの短三度同族を利用して三全音への方角を「利用」してツーファイヴ進行という四度進行(C♭からFの方へ行きB♭へ四度進行してE♭に行く過程に於いてFを経由する※コードのメジャーorマイナーは無関係に語っています。あくまでも「方角」が重要です)、四全音の場合は「C♭からGに行く過程で中心軸同族を利用して短三度上へ一旦経由するという使い分けが顕著なワケでして(C♭からDに進みその後四度進行してGに行く)、重要視すべきは、この曲はテンポが速い「アラ・ブレーヴェ」における細かなコード進行の対応(ツー・ファイヴ解体)で、その過程のツー・ファイヴでのフレージングと前後の調域との脈絡の当て嵌めが醍醐味のひとつなワケでして、ジャズも時代が進めばこうした細かなコード進行への対応ではなく、ひとつのモードで一挙に「串刺し」できるような方法論がやがては生まれて行くものの、想起しない所にツー・ファイヴという解体を無理矢理を起こして別の動機を得るというのが最大のジャズの魅力でもあるワケですから礼賛されるワケでありますな。


 でも対応そのものはモード奏法を獲得していれば難しいモノではありません。テンポ追従の方がよっぽど難しいものでしてコルトレーン・チェンジそのものが難しいモノでは決してありません。


 でまあ、ついでにコルトレーン・チェンジを語ったワケですが、正直な所「A Creature of Many Faces」のソロに於けるコード進行も「四全音進行」を確認できるワケですよ。その四全音進行の過程にツーファイヴを経由していないシンプルな物ですが、こういうソロの流れを一望すればそれほど脈絡が希薄なモノではないという事があらためてお判りいただけるかと思います。

 余談ですが、「四全音」というのはアルノルト・シェーンベルクの「和声法」や松平頼則の「近代和声学」くらいでしか見る事のない呼称かもしれませんが、先のジョン・コルトレーンでは「四全音」という「等音程」という使い方は現れず、寧ろ「等音程」を使いこなしているのは奇しくもブレッカー兄弟の今回取り上げる曲「A Creature of Many Faces」というのが実に皮肉な所であります。

 「同族」から得られる方角というのは次の様に考えるとわかりやすいでしょう。例えばオクターヴをアナログ時計の文字盤に準えてトニックを常に12時の位置に置換した時、それがハ長調のCから端を発した場合、7時という属音の位置「G」はト長調のトニックでもあります。この時7時という位置を堅持せずに自身の振る舞いを12時の位置に変換するのです。これがモード奏法の最たる「細かな対応」なのです。転調というのは共通する脈絡を持ちつつスルッと姿を変える事もあります。奇を衒うばかりが転調ではありません。本来はこうした親近感のある調性を利用してスムーズに連結させるのが転調の醍醐味のひとつでありまして、新宿駅の山手線、中央線やらに乗り換える路線はいくつもありますが、共通する「駅」は共通する和音に対応する場所でもあるんですな。転轍機とはよく形容したモノです。

 自分の立ち居振る舞いを一番最初のCの12時の位置から動けずにあらゆる調性ですらその方角でしか見れない人はそもそも音楽を理解できていない特異な耳と調性感を有していると思われますので注意が必要です。まあ理論面で頭デッカチになっちゃって曲をまともに聴かずに机上の空論で音楽理論語ってみたりとか、それこそ今回の二全音と四全音という順行と逆行にも置換できるそれをも気付かないようではコルトレーン・チェンジを語るのは時期尚早でありましょう(笑)。どこの誰とは言いませんが、そうして吹聴する愚か者はネット上でも度々見かけるものでタチが悪いモノです(笑)。
 
 「調性感」というのはオクターヴを偏りのある分割をして得られている情緒でありまして、オクターヴを等方に分割する事で必ず遭遇する対蹠点(=三全音)の音程は、これが現れる事で調性は希薄な方向へ邁進するのでありますが、完全音程への導音として使うと是亦深い情緒を得る事にもなるワケですね。下属音→三全音→属音だと思っていたら実は次の調域の「短七度→導音→主音」だった、なんて事、古典的な楽曲でも発見できる例でありましょう(笑)。調性の「嘯き」と旋法性で発揮されるフレーズが持つ牽引力を最大限に活かして予定調和とは違う方向への解決と色彩感。そうした醍醐味に対して調性は希薄どころか残している作風というのは実に見事なモノだと思うワケですな。

 ただ、コルトレーン・チェンジとやらも朧げにしか理解できていない輩はモード奏法すら獲得できていないのではないかと思うこともしばしばで、そうした人達がいきなり多調の方向へ目を向けるのはオススメしません(笑)。 多調を知ると箔が付くのか!?きちんとその前に音楽聴きなさいよと言いたいですなー。ケツ青くても多調感を有する人など居るのにそんな人にもゴボウ抜きされてしまうような人にはなりたくないモノですね(嘲笑)。


 最後に、先の「A Creature of Many Faces」に現れる調域の例、そうしたEメジャーへのスムーズなキー・チェンジというものも渡辺香津美の曲で「Good Vibration」という曲は実に見事にEメジャーとFメジャーの行き交いを繰り広げている箇所があるので、稀少アルバムではありますが「桜花爛漫」に収録されているので機会があれば併せて聴いてみて欲しいと思います。
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