SSブログ

川の流れのやうに [楽理]

 そこには6ツの音がありました。「F#、A#、C#、E、G#、B#(=C)」という音ですね。綿菓子を作る機械の中にこれらの6ツの音があったと仮定してみましょうかね、と。


 綿菓子作るにしてもてめえの手で直に綿菓子巻き付けてしまうのもアレなんで、ソコで割り箸使ったりするワケですな。ま、その割り箸とやらを少しバリエーション付けて「増三和音」さんというキャラと「長三和音」さんというキャラを作って洟垂れ音楽キッズに楽しんでもらおうと画策してるのが左近治ってこってすな(笑)。


 んで、増三和音さんというキャラ使うと「E、G#、B#」という音を捕まえてきやすく出来ていて、長三和音さんというキャラ使うと「F#、A#、C#」という音を捕まえてきやすく出来ているんですなー。この割り箸は結構お利口さんなワケですね。


 まあ、ここでオトナの話に戻して真面目な語り口にしますけどね(笑)、長三和音というのは協和的で安定した形ではありますが、曲中においては長和音と短和音のメリハリ(例えばCメジャー・トライアドとCマイナー・トライアドとの行き交い)が在ったり、或いは増和音というのは長三和音からの変化和音だったり色んな構造があっての「メリハリ」というものは、よっぽど器楽的なボキャブラリーが貧困で無い限りは、そうしたメリハリ感覚というのは既に備わっているのがごくフツーの音楽的感覚なワケです。異端でも何でもないのです。


FreeHand_UScover.jpg
 あらためて思い出していただきたいコトは、増三和音を含むハイブリッド・コードにおいて、つい先日までは下声部を長三和音で表しておりましたが、「長短」という行き交いによって音楽的な可能性が拡大するであろう、そうした技法を視野に入れた場合、増三和音を含み乍らもうひとつのレイヤーの三和音が長三和音から短三和音に変化する、若しくはそのような構造が最初からある、という様式があっても何ら不思議ではありません。

 そうした構造こそが過去の記事にもあるようにジェントル・ジャイアントのアルバム「Free Hand」収録の同名タイトル「Free Hand」のコトだったワケです。リンク先の当該記事をお読みになっていだければあらためてお判りいただけるかと思いますが、先の記事でも「分数の分数コード」表記にて語っております。GGの「Free Hand」の場合、短三和音を基にして語っているワケです。

WR_BlackMarket.jpg
 その後ハイブリッド・コードの多調的構造の可能性として、増三和音を含む可能性やらで上と下の声部双方が仮に増三和音となった場合、それは全音音階の総和音としての体なのか!?、亦は他のヘプタトニックもしくはそれよりも音数の多いコンポジットな音階を示唆する「断片」なのか!?という狙いもあって、私はトゥランガリラ交響曲の第3楽章やら、ソフト・マシーンの「M.C.」やらウェザー・リポートの「Three Clowns」を例に出していたんですが、この辺りをきちんと一本の糸として理解していただいている方はおそらく限りなく少ないのではないかなーというのが正直な気持ちです。私の周囲では理解している人は少なくありませんが、面と向かってではないと理解できない人が多いので、ネット上での情報の在り方というのは、その存在意義と受容する側の理解度を含めて懐疑的な部分を払拭できない左近治であります(笑)。


 でも、物事杓子定規で理解しないとダメという愚か者もこの世にはおります。器楽的&音楽的な心得すら育っていないのに学校で音楽の授業受けて来たらみんな立派な音楽家に育っているでしょうか!?いいえ、きっと違うと思います。学校教育の側に責任を求めてしまうのは自分たちを責める事ができない愚か者の言い訳なのがこの世の常なのです。学校で習って何でも身に付くのだったら、性的欲求を牽引力にしてアイドルやらアニメの音楽を礼賛する人など学校で性教育習っただけで立派に操を捨てて来れるはずでしょうが実際には捨てたい貞操すら頑に守り通して悶々としてしまっている人がどれほど多いものか(笑)。つまり、習い事など習ったつもりでもそんなモンなワケですわ。恋愛のイロハなど学校や親御さんから手取り足取り学ぶワケでもないでしょうし、結局の所、躓いた輩が自分を戒めることのできない言い訳が講じて他を責めているのでありますね。そんな声など誰も聞いてくれないものだからいつしかネットにはびこるようにしつこい汚れのようにこびりつかせる始末です。そんなの何処かでご覧になったネットユーザの方々は多いと思いますよ(笑)。


 自分自身がまともに取り組んでいなかったことを口実にするな、と言いたいワケでありまして、ましてや音楽の方面など自分の判りやすい切り口から教えてもらおうとする事すら間違っているんですわ。けいおんとか初音ミクとかAKB絡みじゃないと音楽学ぶ気ゼロですか!?そんな所から音楽学ぼうとする所から神経おかしいんですけどね(笑)。本質が見えていないそんな世の中だからこそ、下方倍音列が平行調の関係にすら見出せると諭しても理解の及ばぬ愚か者は存在してしまうワケですな。情けないことです。オカルト扱いしてしまっていますからね。正しい事を教えても聞く耳持たないんですな。


 私が鶴見川の源流の話題について触れていたのは別に私の趣味を押し付けているワケではなくてですね、次の様な「暗喩」のためだったワケですな。


 あるひとつの川の源流(始点)と最果てとなる河口(終点)を例に出した時、その川の始点と終点は最短距離でないと気が済まないモノでしょうか?地図上で一直線に引っ張った距離で流れていないと気が済まないモノでしょうかね?


 川というのは長年形成された秩序から生まれた成れの果てなワケですな。不思議なことに河川というのは始点と終点の直線距離と河川の総距離というのは概ね円周率を係数とする近似的な倍数に収まるそうです。直線距離が100kmあったら「およそ300km」が河川の距離だと思ってもらっていいでしょう(笑)。
 数字とは面白いもので色んな所にそういった不思議な規則を見出したりするモノです。ノイズだって規則的に鳴ってしまったら楽音的な音に聴こえてしまうワケですからね。まあそんな円周率だのレンドヴァイの著書に見られる規則的な数列がどうのこうのと言いたいワケじゃないんですわ。直線的に河川が流れてくればそりゃあ最短距離で済むんでしょうが、河川はそうした「選択」はせずに形成しているワケですな。そうした形成というのもやはり収まりやすい体があるからこそ、なんだかんだ言い乍ら地球の重力と水の比重と雲の高さと形成される土地の標高というのはガイアな視点で見れば非常に似た所に分布していて、結局収まりやすい体というものがあるワケです。

 扨て、そうした不思議な規則の「収まり」を、過去に私は「凭れ掛かり処」と形容してきました。音階というものも河川に例えると「収まりやすい体」が存在するワケです。その収まりやすい体というのはつまり、下方倍音列というのはそれそのものが耳に聴こえて来るワケではないけれど、収まりやすい体としての姿、という意味で過去に私はそのように表現したのであります。


 「川の形ってなんでこういう風になったんだろう!?」という疑問を持つ事と等しく捉えていただきたいんですな、先ずは。


HugoRiemann.jpg
 で、フーゴー・リーマンの件も先にやったことですがあらためてもう一度語っておきますか。長音階の音列「全音 - 全音 - 半音 - 全音 - 全音 - 全音 - 半音」という音列と「下方に等しく投影」している音列というのは、Cアイオニアンに対してEフリジアンだという事なワケですね。これの何が重要なのか、というと、Eフリジアンというのは平行短調側であるトニック・マイナー・トライアドの5th音から生じる旋法であって、平行調同士の長音階と短音階にですらこうした投影された下方へ等しい音程を見付けることができるワケです。それが今回の譜例の「I」ですね。


 Eフリジアンというのが「トニック・マイナー」の5th音から生じている事を鑑みれば、同主調の時の短調側においても同様に考えることができまして、Cメジャーに対するCマイナー・トライアドの5th音から生ずるGフリジアンだってCアイオニアンとの「レトログレイド」(retrograde=逆行形)なのだという事を証明出来るワケですね。今回の譜例の「II」です。


 こうした下方への等しい逆行イコール「投影」というものを、今度は「C音を共有している場合」として見立てた場合はどうなるのか!?というのが下属調短調を見付けて来た例ですわ。それが「鏡像音程」として形成することとなるワケです。それが今回の譜例の「III」です。



 下方倍音列がどうのこうのと言う以前に、譜例「II、III」というのは、それこそクラシック界隈が対位法を追究してきた上で、「異なる調性」が併存した状況も示しているという事もあらためて述べておきます。当初は「併存」することなくふたつの異なる調性を行ったり来たりした程度だったのが、今度は併存という状況を生むようになった。そうした併存状態が今度は譜例「III」のような世界で起こった時、互いの音程関係は全く同一の鏡像関係になっていて、メロディック・マイナーのトーナリティーにおける音を呼び込むようになる、というのが前回の説明だったワケです。

 どうでしょう!?ジェントル・ジャイアントの例、フランク・ザッパの例やら色々取り上げてみてあらためてこうした多調の世界を考えた時、私が過去にどういう事を言わんとしていたのか!?という事があらためてお判りになるかと思います。

 こうした私の表現が先の記事の時に必要なのではありません。なぜかというと説明するにしても順序が必要なワケで時には同じ様な事を何度も語っているように感じるかもしれませんが、順を追い乍らではないと説明できない事があるワケですね。ですからこのようにして語っているワケですが、性急に解答を急いてしまう輩は、それだけでは理解し辛かろう私の独特の文章でゲンナリして脱落してしまうんですな。しかしそれも想定内なワケです。そうした人達に迎合する必要など無いのですから。金貰ってやってたとしてもそちら側に合わせる事だけはしませんけどね(笑)。


 でまあ、先にも述べた「併存」という多調の訪れというのが結果的に「和声の発展」を更に増幅させるワケですよ。勿論単一の調性内においても和声は重畳し発展しますが、併存状況においても単一の調性では計ることのできない和声は生まれて来るワケですね。そうして先人達はハイパーな和声をこの世に出現して来たワケです。

 体系化されただけの世界ならばEマイナー一発とも呼べるシーンにおいて裏コード(=裏モード)のアプローチとしてスケール・ディグリー表記で言う所の「V7=IIb7」という解釈から「I=Vb」という見立てとして置換され、先のジェフ・ベックの「Air Blower」においてマックス・ミドルトンがBbペンタトニックを弾くのはそうした手法からなワケです。ここでのBbペンタトニックは「マイナー・ペンタトニック」という形ではあるものの、ペンタトニックの幾つか在る形の中でマイナー・ペンタトニックの形は最も使用頻度の高いモノですので敢えて「マイナー・ペンタトニック」とまでは前回表現しておりませんが、そうしたEマイナー・ペンタトニックをBbマイナー・ペンタトニックへの置き換えというのは、ジャズ的に体系化された知識からはそれは判るものの「なぜ裏コードとして使えるのか!?」という根拠までを詳しく語れる方は意外と少ないのではないかと思います。

 ジャズの体系化に収まるだけだと知識はその程度だけで済むので、結果的にそうした体系化された技法だけを理解してジャズ的な理解など浅薄であろうともそんじょそこらのバンド狂いがセッションでなんちゃってジャズをかませるのも、体系化された社会をそうした皮相的理解で済ますことができるからなんですね。そこから背伸びしただけの近視眼ジャズが今どれだけ多いコトか(笑)。音楽学校というのも過剰な程に整備され、ロックな兄ちゃんだってジャズ理論を皮相的に知っている世の中だ。そりゃあジャズ馬鹿にされますわ。


 Eマイナー一発においてBbマイナーと思しき「断片」が出現する「多調な状況」というのが答、と考えが及ぶ人はそうそう居ないでしょう。ネットに根拠を求めている人は今一度確認してみればイイんです。私がこういう事を語る以前に同じ様な事を知る事ができたかどうかという事を。それが出来なかったというコトは、それまで確認することの出来た情報というものに「それ以上」の物は無いのです。そうしたマジョリティも存在しないというワケですね。
 だからといってあまり見ることのない様な知識を披露している人(私を含めて)礼賛したり批判したりする事についてはどうでもイイことなんですが、披露している側がどうでもいいと謙っていると受け手の側というのはなぜか甘えてしまったり真摯に受け止めずに見下すような人がネットには多いのも事実なんですよ。そうした心無い連中からの悪戯や嫌がらせなど今に始まったコトではありませんが、そういうコトをボヤいても文章が無駄なので扨て置くことにしても最近の人達はネットに何もかも求め過ぎですね。だからこそ「選別」が必要なのだとあらためて述べておきたいと思います。


 扨て、先のこうした多調性の世界を知ることができたにしても、自身の未熟な音楽性によって理論的には文字面程度に理解できてもきちんと耳や脳が理解しない事には先に進むことはできないんですね。更に言えば、私が例に出すような曲を自分自身が見付けられるようになっていないと結果的に耳や脳が習熟していない事を意味するワケですね。


 純正律という調律よりもゆくゆくは平均律を選択していった様に、その揺ぎ無いほどの「純正」という名に真正な意味を求めたりピュア(笑)な感じを抱いているのかもしれませんが、そういうネガティヴな意味で純正律が失われたかのように理解してほしくないんですな。そもそも純正律から平均律導入の変化は不協和がより不協和ではなくなった事と同等ですからね。純正が無くなったのではなく、不協和が不協和の度を薄めたんですからね。「不」という文字でネガティヴな印象を抱いてしまったり、不協和音なんて俺のピュアな音楽には無縁だぜ!なんて愚か者輩出してやまない昨今なんで今一度念を押しておきます(笑)。ピュア求めているのならこのブログ読む必要ありませんので(笑)。

 では次は「情報」という面で音楽を考えるコトにしてみましょうか。