SSブログ

Got the acquiring the taste !? (2) ~ジェントル・ジャイアント~ [ベース]

GG_bootlegs.jpg
 アルバム「インタヴュー」での同名タイトル曲「Interview」、加えて同アルバム収録の「Timing」「I Lost My Head」のベースの音はとても印象的でして、聴き比べをすればその差は歴然としておりますが、基本的なキャラクターとしては同一です。しかし乍ら歪み感は紛れも無く「インタヴュー」の方が色濃く出されてはいるものの、音のコシは失われず寧ろ太いのであります。こういう「ゴッキーン!」としたPBサウンドは実にキモチが良いモノでして、私の場合は当時JB(=ジャズ・ベース)でマーカス・ミラーのスラップ・サウンドを探りつつ、それと同様にレイ・シャルマンのPBサウンドを追究していた事がありました(笑)。


 マーカス・ミラー・サウンドが当時神格化されていた事を思えば、それと同様の扱いでレイ・シャルマンのベース・サウンドを追究していたという意味でして、それくらい難しい領域であるのは確かです。追究し甲斐のある音というコトですね。器楽的な経験が無ければあまり頓着するコトのない方面かもしれませんが、GGというバンドがプログレ界隈という狭い領域で語られてしまうコトで、本来ならもっと声高に騒がれていいはずのレイ・シャルマンのベース・サウンドは、もっと広く周知されるべき価値あるモノだと思います。マーカス・ミラーは2012年4月18日に新作「Renaissance」がリリースされるようなのでそれに併せてマーカス・ミラー関連の情報も今後ブログで掲載する予定です。


 嘗て私は、ベースの数ある奏法においてピック弾きを不得手としていた頃がありまして、ピックに関してはコンプレックスを抱いていたモノでした。それこそピック無しでピックの様な音を得ようとまで真剣に考えていた事もありました(笑)。そういう背景があったせいか、指弾きにおいても、親指と人差し指を腹同士で強く接したまま両方の指でオルタネートに引っ掛けて弾く様なプレイを参考にしていた頃があったモノで、イエロー・ジャケッツのジミー・ハスリップ(ヘイスリップ)や初期TOTOのデヴィッド・ハンゲイトによる「Georgy Porgy」でのPV映像にとても影響されたモノでした。細野晴臣もこうした弾き方は巧みでして、この親指&人差し指オルタネートで得られる音を2フィンガーで得られるようにアル・アイレっぽく弾く様になって影響されたのがエイブラハム・ラボリエルだったワケです。

 嘗てカシオペアの櫻井哲生が横須賀の観音崎でやったFM横浜系のライヴにて、親指と人差し指のオルタネートにてヤマハのMB(ミディアム・スケール)で「Black Joke」をオクターヴ・ユニゾンで弾ききっていた事を目の当たりにしたコトがありました。「Black Joke」はFM横浜では放送されず割愛されていたワケですが、かなりクリアに決めておりました。ああいうのを見て精進しないとなー、と思ったモンでした(笑)。最終的に私は親指のアップダウンを目指すコトになったのですが、ピックという指と弦の間に何か介在してしまうのがどうしても嫌だったのでピックに関してはまだまだ研究すべきモノがある部分ではあります。実際に、ティアドロップ型を横にして弾いたりするのが好きだったりしますし(笑)。




 まーたハナシが横道に逸れ始めたのでこの辺で軌道修正しますが、何はともあれレイ・シャルマンのベース・サウンドは特に中期クリサリス期や「Playing The Fool」というライヴ盤に収録されている音は教科書レベル、と言いたいワケであります。
foole.jpg


 そうした質の高いライヴがあまりにも有名だったため、GGの場合はオフィシャル・ライヴ盤である「Playing The Fool」の他に話題をかっさらっていた古いライヴ音源で有名なのが他に2枚あるんですね。ひとつが「Playing The Foole」ともう1枚が「Playing The Foole in Wonderland」ですね。この2枚はかねてから有名なブート盤で、クリムゾンで言えば「USA」と「Earthbound」の様な位置付けだと思ってもらえればよいかな、と(笑)。近年、この2枚は勿論ブートですがCD化されてはおりますものの、国内で流通した記憶は少なくとも私の見聞の範囲ではありません。個人輸入にまで目を向けたワケではありませんが(笑)。
wonderland.jpg


 他のブート盤でも色々ありますが、まあ、「Ultra Sonic '75」や「Amongst The Darkers」もCD黎明期においては有名なブート盤です。他にもGG音源は色々ありますがその辺については亦機会がありましたら語るコトにしましょう。


Amongst.jpg
 でまあ、GGというのは和声的にも旋法的にもリズム的にも非常に高度な技法を備えているのはケリー・ミネアーが王立音楽院作曲科を出ているからでありましょう。しかし乍らGGの場合作曲クレジットとなるとシャルマン兄弟とケリーで持ち合っているようです。亦、ケリー・ミネアーは鍵盤楽器だけでもかなりの数を使い分けておりまして、ライヴ映像で観る限りだとミニムーグ、クラビネット、RMI、ハモンドB-3など使い分けておりまして、その他にもスタジオ版で聴けるように「Just The Same」に現れるソリーナとか多岐に渡ります。
Ultrasonic75.jpg


 そういえば私、今回の2012年マスタリングでようやく気付いたんですが、アルバム「インタヴュー」収録の同名タイトル曲「Interview」でのA'メロディが終わってブリッジ部はハモンドのパーカッション・スイッチによるショート・ディケイ・サウンドのみでブリッジを弾ききっていると思っていたんですが、ブリッジ部中間以降は中声部でRMI系とおぼしきエレピを弾いているようですね(2012年リマスタリング音源の1分46秒付近の高音部掛留のままもうひとつの声部の音がエレピ。2分35秒で現れるブリッジではのっけからRMIが弾かれている模様)。余談ですが曲終盤のエレクトリック・シタールのフレーズを弾いているのはミニムーグでしょう。因みにハモンドもサチュレーションがかかったオーバー・ドライヴ・サウンドであるのは言うまでもありませんが、オルガン・サウンドにおいてはその筋の人の方がお詳しいでしょうからこの辺でとどめておきますね(笑)。


 何はともあれGGというバンドは、音楽という物を器楽的にも楽理的にもあらゆる側面から追究しているワケでして、先の作曲技法面に関してもそうですが、リズムの取り方というのが実に特徴的で、そこにはフェイク・ビートやらの仕掛けが用意されているというのも堪能出来るバンドであるワケです。アルバム「The Power and The Glory」収録の「So Sincere」など最たる部類に入ると思いますが、初期ヴァーティゴ期で私が取り上げたいのはアルバム「Three Friends」収録の「Schooldays」です。


 この曲の中盤は非常にテンポがゆっくりとビート・チェンジになる所がありまして、ここはケリー・ミネアーとケリーの奥さんがコーラスで参加しているのも特徴です(子供っぽい声で唄っております)。このゆったりとした部分の最後の辺りが和声的にマイナー・メジャー9thの響きだというコトをあらためて明記しておく必要があるでしょう。私のブログではマイナー・メジャー9thというコードの構造がどういうモノなのかは散々語って来ているので今更述べるコトはしませんが、初期の段階から楽曲面において作風こそ変えても本質は変えておらず筋を通した特有のモノであるコトがあらためて伺い知る事ができます。

 この「ビート・チェンジ」を厳密に言い表すと「メトリック・モジュレーション」と呼ばれる技法であります。《拍節の転調》という、先行する歴時が後続の何某かの歴時と同等に聴かせるという技法であり、元来はヘミオラやリステッソ・テンポに端を発している物です。

 ハチロク(=6/8拍子)での1拍(=八分音符×3)を後続にて1拍子での1拍3連符と同等に聴かせつつ、アンサンブル全体が16分音符主体で繰り広げる様にすれば、先行の拍節感から見れば4連符の様にも聴こえる訳ですね。

 嘗てのワイドショー番組『2時のワイドショー』のオープニング曲はジャズ・シャッフルの4拍子が途中でスウィングせずに平滑化し、更に原テンポに戻るという風に聴こえますが、これは厳密には先行する拍子は12/8拍子であり、それが4/4拍子へ平滑化させる「リステッソ・テンポ」という技法なのであります。




 例えば他のバンドでメロディック・マイナー・モードの世界を如実に反映させている曲を取り上げるとしたらピンク・フロイドの「Us And Them」を筆頭に挙げるコトができるでしょう。それとは全く異なる、時代はかなり進みますが、キング・クリムゾンの「Elephant Talk」のAメロはまさしくAメロディック・マイナーなんですが、あたかも短音階的な情緒としては聴かせていないリフの組み立てで構築させておりまして、メロディック・マイナー・モードの世界の多様さをあらためて知ることができるのではないかと思います。亦、プログレ界隈ではないものの、「Schooldays」のそれと近しいマイナー・メジャー9thという情緒の使い方で似たフェーズにある曲は、ジェフ・ベックのアルバム「ブロウ・バイ・ブロウ」収録の「Diamond Dust」を挙げる事ができるでしょう。さらに年代はさらに進んでマーカス・ミラーの1stソロ・アルバム「Suddenly」収録の「Could It Be You」のテーマ部を終えてソロに入る所が同様のマイナー・メジャー9thサウンドです。

 マーカス・ミラーの和声感覚はこうした感覚を備えているにも拘らず、スラップのフレージングを優先してしまうため、情緒の希薄な方のメロディック・マイナー系統の和声を自身のソロやインタープレー時には呼び込まないので、結果的に自身のアドリブ時には「よくある」系統のコード進行を使って陳腐化させてしまった感は否めないと思います。軈て90年代以降スラップ・サウンドが飽きられUKソウル系アシッド・ジャズ系のローファイな音の頃には最前線から姿をかき消されてしまったのは、自身の曲作りにおいてリフ作りが簡便的な和声的脈絡を選択してしまっていた事が、本来の多様な和声感覚を活かしきれずに時代の波に埋没してしまったという負の側面があるのも確かだと思います。

 皮肉な事に、90年代中盤辺りになると世のアナクロニカル・ブームに乗っかってさらにはデジタルでのミックス分野において新たな音世界の構築のためのノウハウが蓄積されてくると(ワイドレンジ且つ急峻なフィルター特性の発達)、前時代なら暑苦しく忌避されていたような音のキャラクターが逆にもてはやされるようになり、そうした音が混ざっても他のパートを殺すことのない明瞭な音像を得るノウハウが確立するコトで、ベース・サウンドはJB(=ジャズ・ベース)からスティングレイに立場を譲り、現在ではPB(=プレベ)人気を博すコトとなっているワケです。勿論この変遷の過程において弦の発達とゲージのノウハウ、さらにはピックアップの発達も認めなくてはなりません。


 ベースの音像が際立つコトでレイ・シャルマンの音キャラクターというのは元来良質なので、こういう人の音源というのは後に再認識&再評価されるコトとなり、マーカス・ミラーがブームとなっていた様な頃のGGの在り方と比較すると今では雲泥の差でありまして(笑)、マーカスにしろレイ・シャルマンにしろ、どちらも音はリファレンスと称するコトの出来る音キャラクターを当時から持っていた、という事実を確認する事が重要なのであります。どんなアンサンブルにおいてもベースが際立っている音だと良い音楽になるモノです。
Schooldays_GG01.jpg



 そういう背景から、ベースという楽器パートが音質的にも器楽的にも明瞭だと曲の彩りや説得力を増すものでして、多彩なフレージングをしているというのも再認識できるのがGGを聴く上でのメリットのひとつでもあると思うワケで「Schooldays」を取り上げたいワケですが、例えば先の、ケリー・ミネアーとケリーの奥さんが唄う中盤に入る前に、譜例のfig.1のように5拍子の一連のフレーズが延々と弾かれ、クロスフェードし乍ら中盤のゆっくりとした部分に展開して行く際、ビートは無頓着にテンポを落としているのではなく実は譜例のfig.2に見られるように、「8分音符5つ分」の音価が、次のビート・チェンジの四分音符1つ分の音価だというコトを認識していただくと、GGのリズム面の多様さを再確認することができると思います。

 そのゆったりとしたテーマは軈て元のテンポに戻って、ケリーのビブラフォン・ソロに戻るワケですが、結局この元のビートに戻る時というのも譜例のfig.4に見られるように、ゆったりした展開時での1拍5連を元の8分音符5つ分に置換するコトで辻褄が合うようになっているワケです。


Schooldays_GG02.jpg
 心憎いコトに、レイ・シャルマンはゆったりとした展開部において1拍5連の一部を「チラ見せ」させるんですな。聴衆に向けて「この拍、忘れるなよ」とでも言いたげに「敢えて」CDタイム4分42秒付近で譜例のfig.3のようなフレージングをします。1拍5連はあたかも16分音符が突っ込んでいる様な、それこそミス・プレイに聴こえてしまうかもしれませんが、これは実は1拍5連の「暗示」なのですね。さりげないレイのやさしさが詰まっているワケです(笑)。


 こうしたビート・チェンジという方面から見てもGGというバンドは、曲をよく練り上げているというコトが判るワケですが、読譜力の秀でた人達というのは実はこうしたビートに対応できます。自身のプレイのクセを消失するほど励んだ人達というのは、楽譜での符割を如何なる難しいモノであっても自分のクセを投影するようなコトなくプレイに反映させてしまうワケです。ですから自分自身の聴き方、ビートの捉え方、手グセなどを抱えている人で読譜力の拙い人というのは譜面をスンナリと杓子定規に読んでしまえば対応できてしまう所を、自身のクセがそうさせない固執してしまう聴き方を備えてしまっているんですね。GGというのはそういう「クセ」を無くす人ほど深く没頭できるバンドでして、そういう意味でも「新たな発見」をしていくコトのできる希有なバンドのひとつではないかと信じてやみません。

 無論、GGを長く聴いていて「再発見」が遭った場合、そこには聴き手としての耳の習熟度が上がったと受け止めて良いと思えます。GGはそれを聴衆に押し付けているワケではなく、忍ばせているワケですな。それを読み取るのは確かに聴き手を選別しているような所があるかもしれませんが、彼らは聴衆には厳しくなく、寧ろ自分たちにストイックだったと思うんですな。但し、そんな彼らの真髄を読み取るコトのできない人間が多かったのも確かですが、彼らは本当に凄い作品を遺しているので機会があればまた別の作品など取り上げてみたいと思っております。

 何よりも今回はCD+DVDの新たな2タイトル再発があったワケで、彼らへの愛情が左近治をこうさせてしまうというワケです(笑)。


 そういえば、2012年4月18日にマーカス・ミラーの新譜「Renaissance」がリリースされるようです。私のブログでは色んな話題に絡め乍ら登場するコトの多いマーカス・ミラーですが、昔のスラップ・ネタと絡めてデイヴ・ヴァレンティン関連について語ろうとしていた所なんで近々語りますか!