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増三和音の応用 [楽理]

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扨て今回は、増三和音に慣れ親しむコトで和声的感覚を拡大していってみようではないか、という狙いで語っていこうと思います。増三和音に限らずオーギュメンテッド・メジャー7thなどは非常に使用頻度は高いですし、とはいえ和音の構造としては不協和音ではありますが「不協和」という言葉からついつい否定的だとか避けるべきかのように受け止められてしまうコトもしばしばです。


おそらくそういう理由の背景には、今日のポピュラーな方面の理論書というのは、理論方面を体系的に且つスムーズに流れを追って説明したいという決して読者に寄り添うスタンスではない所に責任の一端があると思うのでありますが、率直な所、「この手の話題は覚えてもらうコトが多いから、とっととオメーらはこーゆー流儀に慣れてってくんな」みたいなスタンスで覚えさせようとしてしまい、しまいには長三和音&短三和音と比較すれば間違いなく「不協和」なその和音には、本当ならとっつきやすいはずの例となる曲もとりあげてくれるコトなど少ないワケですな。

いちいち多くの楽曲の譜例を用意したりすると、そこに著作権料が生じるため価格も高騰させてしまう。故に「音楽やるならどのみち知っておかなければならないような名盤なんて、こっちから指示する前にテメーの方で入手する位の姿勢じゃなくてどーすんだボケ!」みたいな声が聴こえてきそうな位にそっちの流儀のホンネは知ることがないままに、本の内容をきっちり理解せねばならないワケですな。

理論的な知識を得る前に器楽的な心得がある人間なら多少なりともそういう流儀に慣れることは幾分早いかもしれませんが、そんな経験すら乏しい人間にしてみたらトンデモなく敷居が高くなってしまうモノでありましょう。しかも器楽的にも初歩的な理論の知識を備えていても杓子定規にしか理解が進まぬモノだっている。こうした「杓子定規」タイプの人というのはいわゆる暗記タイプ、つまり詰め込み型で応用力に欠けるため、ありとあらゆるモノを蓄積させて覚えていかないとダメなタイプ。最終的には雁字搦めになってしまい全てに及び腰になるタイプで、この手の人達がハイパーな世界を知ろうとするのは結構大変だったりするワケです。


オーギュメンテッドなサウンドを意識させるための曲を例に挙げるとすれば、まあリスト生誕200周年記念ですし「ファウスト交響曲」なんて取り上げたらある程度箔が付くかもしれませんが、正直クラシック方面の楽曲なんて、オーギュメンテッドな構造すら自身で探求出来ぬような楽理的に産声を上げたような人達に対しては最も縁遠いタイプの曲&音楽ジャンルだと思うワケで、クラシックだって普段まともに聴いていない人達が多い中で無理矢理ファウスト交響曲薦めても訴求力は弱いと思うんですな。というか、その手の人達にファウスト交響曲を聴かせるなんて勿体無いというのが正直な意見です(笑)。


時代もかなり移り変わっている今日においてどれだけ通用するか判りませんが、オーギュメンテッドな響きを強く意識させる曲って「ムーミン」なんですな。今はどうか判りませんよ(笑)。ここ15年くらい前のCMソングでしたら「は・じ・め・て・の シャンプー♪ ミネラルウォーターのシャンプー♪」というネタは使えたんですけどね(笑)。

ドミナントの場所で、しかもそれがオルタード・テンションという、オーギュメンテッドな響きの多くはドミナント7th上のb13thという使い方で、5度が半音上がったのとは違う所から教えていけるワケですね。色々深部を学ぶと完全五度ではなく半音高く増五度となっていて、4度の音と増二度離れていたりまたは4度の音も増四度だったりするという違いを非チャーチ・モード以外で生ずるコトを理解していって、オーギュメンテッドな響きの違いを体得していくワケであるのが本当の姿なんですわ。


例を挙げる時の曲など取り上げていったらキリがありません。色んなジャンルがありますし、学ぶ側の人間の音楽ジャンルの嗜好具合の偏りがあるんで、そんな人達に対して最もポピュラーに知れ渡っているとするとやはりテレビなどで知られている曲を扱った方が「ツカミ」としてはオッケーなワケですが、ツカミで失敗すると耳が育たない人間を生産させてしまうコトにもなるワケですわ。無論、耳を鋭敏にするかしないかは本人の努力もあるので、淘汰という意味ではこういう所から始まるワケですが、音楽に対しては人並み以上に好きなのに耳が育たないのは楽曲を自身で分析できるほどのボキャブラリーを備えていないからであり、そこさえ鍛えられればいたずらに雰囲気や上っ面な感覚的な感性でしか語ることなど無くなるワケで、本来ならこういう側面の方での聞き取りを強化していきたい部分なのではないかと思うワケですよ。


ところが、色んなボキャブラリーを備えるのは苦労が伴うってぇんで、所蔵品ばかりは増えていてもいつまで経っても楽曲の深部は理解できずに物欲ばかりで音楽とやらを征服しているかのように欲求をもたれかける所がいつの間にか変わっていってしまう人もいるんですが、そんな人は大した違いもない他人の「ボキャブラリー」にシンパシーを得てしまうコトが多くて、言っているコトなど大差がないのに評論家の寸評やら雑誌の寸評やら端的に表現してあるだけで、その表現にもたれかかってしまう人間に育っちゃったりするんですな。つまり、音楽の深部を語らなくてはならないのに音楽を語る「コトバ」の方のボキャブラリーで、それこそ知っている限りの語句を並べていれば箔が付くかのような誤解を伴ったりするんですな。これは素人さんばかりでなく大半の評論家とやらも属していたりするからタチが悪かったりするんですけどね(笑)。


増三和音ってぇのはオクターヴを等音程による最小構成で分割することのできる和音でありまして、分割された音程は減四度/増五度=長三度で和音の構成音の各音程も長三度。全音音階の総和音という体もトゥーランガリラ交響曲の時にも語ったコトですし、過去にはオーギュメンテッド・メジャー7thの2ndベースの体というのもアジムスの「A Presa」で取り上げたコトもありました。

ケイ赤城の作品でアイアート&プリム夫妻による「The Return」(※アルバム「Latino!」収録バージョンの方)のローズのEbM7 (+5)のイントロとか、マンザネラの「Initial Speed」やらドナルド・フェイゲンのソロアルバム「Kamakiriad」収録の「Tomorrow's Girls」のイントロやスティーヴ・ヴァイの「Bledsoe Bluvd」など挙げればキリがありません(笑)。
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念のために申しておきますが、アイアート、プリム、ファレルの方の「Three-Way-Mirror」に収録の「The Return」は、あのオーギュメンテッドなエグいローズのフレーズは収録されていないんですな。コチラのベースはマーク・イーガンなんでピッチはかなり良いですけどね。ソフィスティケイトされ過ぎな感はあります(笑)。
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オーギュメンテッド・サウンドの不思議なトコロは、例えば全音音階の総和音が「全音違いの長三和音によるハイブリッド構造」という体になるように、上下に全音離れた所へベクトルを向きやすい性質があったりします。もっと突き詰めれば長三度を半音+増二度とかにも「解体」したりすることもできるワケですが「全音+全音」という風な情緒は非常に導きやすいワケでして、増和音を基にして2ndベースという分数コードの体を導きやすいのは最たる特徴なのかもしれません。


例えばAaugという増三和音があったとしましょう。まあAaugはC#augもFaugとして表記しても音は同一なんですが、私は2ndベースとして表記するコトが多いです。

Aaug/B・・・2ndベースのカタチ
Faug/B・・・対蹠ベースのカタチ
C#aug/B・・・7thベースのカタチ

と、こうして見ても音自体は同一なのはお判りですね!?トゥーランガリラ交響曲の全音音階の総和音もそうした2nd側を下方に置いている形式にしておりますが、どういう風に転回しても表記可能になってしまうので面白い所です(笑)。


この手のオーギュメンテッドな分数コードはカシオペアのアルバム「HALLE」に収録の「The Turning Bell」という曲の一番最後の白玉コードとか、ジョー・サトリアーニのソロ・アルバム「Surfing with The Alien」収録の「Lords Of Karma」など共通する音でありましょう。


サトリアーニの曲の方はいわゆるリディアンb7thのモードを示唆する、どちらかと言えばミクソリディアンの4thを半音上げたような音として終始使っていますが、とにかく#11th音を際立たせているのは明白です。エレクトリック・シタールのリフからもそれは顕著に現れていますね。そうしてテーマ部に入るとメインメロディは完全にアッパー・ストラクチャー方面を向いており調的な情感を巧く表現出来ない人でも「どっか明後日の方を向いているような感じ」と言えば理解しやすいのではないでしょうか。まあそういう調的な表現を先の様に述べてみたワケですが、その「明後日」という表現をした調的な世界というのは全音違いの世界を向いているワケですね。つまり「Gaug/A」という体が相応しい方角を向いているワケですな。つまり上声部はGaug or Baug or D#augという見方も可能なんですが私の場合は2ndベースの体で用いる事が多いと言いたいワケですな。


大抵の音楽というのはヘプタトニックを素に「情緒」を施すので、5度の音までもがシャープする、つまりオクターヴ音程を除けば最も共鳴する完全五度ではなく増五度を利用する必要がある旋法というのは耳が習熟されて来ないとなかなかそういう情緒は耳が受け付けないモノです。シェーンベルクの和声法にも詳しく語れておりますが、四全音という増五度を含む旋法というのは非常に少ないものの、こういう旋法を利用して「完全四度累積」を利用して半音階を持ち込む事が詳しく語られております。「四全音」なんてググッても「もしかして三全音?」とか出て来ちゃうモンだから眉唾になってしまうでしょう!?(笑)。コレがネットの限界なんですな。本当に楽理を学びたい方で四全音の妙を知らない方は一度左近治にダマされたと思ってシェーンベルクの和声法に目を通してみて下さい。四全音というモノがどれだけ重要な見立てなのかという事がお判りになると思います。


先にも完全四度累積の四声体は増五度/減四度で3組持ち合うことで半音階を構成すると述べましたね。四全音から生じる旋法というのはそれら各四声体を別の旋法で「埋める」ように想起させることが可能なんですよ。無論四全音はそのまま全音の羅列なので殆どは全音音階を想起しやすい構造となっておりますが、その次に四全音を包含している旋法というとメロディック・マイナー・モードなんですな。つまり、メロディック・マイナー・モードがどれだけ半音階の世界に寄り添う世界観を有しているということがこーゆーコトからもあらためて判るワケですが、メロディック・マイナー・モードの情緒を「挟む」コトで半音階という世界を絶え間なく「泳ぐ」ように操るコトができるワケですよ。

その特異な情緒に浸りすぎてしまうと、その特殊な音もやがてはキャラクターとなってしまうのでフィル・ミラーは完全にメロディック・マイナーを熟知してしまったようなキャラクターになっているワケです(笑)。まあホント言うとメセニーもそうなんですけどね。メセニーの場合はメロディック・マイナー・モードを想起しているということを気付かせないような半音アプローチを「挟んで」いる事、それこそが完全四度累積から生じる増五度/減四度の咀嚼によって、あたかもsus4的フレーズを弾かなくとも半音階を生じさせるという語法を有しているため「騙す」コトが可能なんですな。

こういう特徴が素人耳にも判るキャラクターならまだしも、対位的にフレーズを巧みにアレンジしてあると調的なフラつき加減ですら無かったかのようにダマされてしまう作品があったりします。ブルックナーは顕著ですな。ヒンデミットもこういう騙しが得意ですね。


半音を鋭く「ぶつける」と、もの凄いエネルギーが生じるワケですな。だからと言ってKornは実は闇雲に半音ぶつけてたりするワケでもないけれど、楽理的な側面を語ってしまうと知性を露呈してしまうため道化を装ってロックしちゃってた方がカッコイイ場合もあるワケですな。見た目楽理なんか知らないような風貌でも少なくともペンタトニック・スケールくらいは知っているほどの理論的な部分誰もが備えてたりするでしょう。見てくれは楽理的な側面など微塵も見せなくても、ソコソコ売れているロックな兄ちゃんは意外と楽理知ってたりするモンなんですな(笑)。ワルぶっていたりする方がウケが良かったりするんでヤッてもいないドラッグとか引き合いに出してそれを鵜呑みにしてしまうファンがドラッグにまみれてりゃ世話ねーっての(笑)。

そーゆーのをきちんと見抜かないとダメってこってす。クスリをヤッってるorヤッてないを見抜くのではなくて、音楽的な部分を見抜くのが大事だと言ってるワケであります。音楽の難しい部分、少しは見抜けるようになりましょや。