SSブログ

ドミナント7thからの脱却 (6) [楽理]

とりあえず左近治がよく用いる「ハイパーなコード」について色々と語って来たワケですが、その辺を総括しながら語ってみようかな、と思います。


基本的に、今回の「ドミナント7thからの脱却」シリーズにおいて特徴的だったのは長七と短七が混在するような2種類の和声をあらゆる角度から分析して、その音を導入する誘因はどこにあるのか!?みたいなトコロを語っていたのが今シリーズでは明らかにしてみたワケですが、いずれにしても勘違いしてほしくないのはですね、例えば「よくある」音楽の中でメジャー7th系やドミナント7th系のコードが出現する部分で代用できるものとはチト違うんですね(笑)。中には代用可能となる音楽もあるかもしれませんが、そういう局所的な使い方を述べていたワケではありません(笑)。

では、「通常の楽曲の情緒」を例にしてみましょうか。ハ長調におけるDm7→G7というコード進行があったと仮定しますね。

ただ単純に今シリーズのハイパーな響きを「G7」の所で代用して、そのコードの時だけ水を得た魚、或いはヘタすりゃ突拍子も無い音までも使っちゃうかのようにここぞとばかりに置き換えるワケではなくてですね、あくまでもそんな「ハイパーな音」というのは曲全体を見渡して何処でも使える、みたいに理解していただきたいんですな。つまり、それらのハイパーな音を呼び込むのに必要としたメジャー7th系やドミナント7th系のコードはあくまでも「概念的」でありまして、G7以外の所でも「共通するアウトサイドな音を常に感じ取る」という風に考えていただければ判りやすいかな、と。つまりは、あらゆるコード・チェンジにおいて目まぐるしいほどモード・スケールを対応させるのではなく、ある端的な音を想起してそれを使う。これがいわゆる「モード」のスタートとも言えるでしょう。

自分が歩き続けている道の向こう正面には北極星が見えたとしましょうか。まあ北極星だって僅かに北極点からずれているし、いまズレている位置は2万6千年後には同じ所を指すというツッコミは置いといてですね(笑)、自分の歩いている道が都合良く真北を向いている道なんてそうそう存在しないものであります。ドンピシャじゃないと極点を意識しないのか!?という例えで語れば、左近治の言う例えというのは、どの状況下においても極点を意識はしているものの、常にその状況で「特性的なモノ」を視野に入れているという風に言えるでしょう。道に迷っても太陽や月が出ていれば方向はある程度掴めそうなモノなのに、それを意識せずにグルグル同じ道を行ったり来たりしていては本末転倒なワケでありまして、迷うような状況でもその周囲には「特性的な目印」となるものが必ずしや存在するでありましょう。

で、ハイパーな音を使えば自ずと「異端な」音並びを形成するモード・スケールが視野に入るワケです。見慣れないモノであっても道に迷い込んだとしてもそれは立派な「特徴」となるモノでありまして、それを活かそうとするワケですな。

終始同じモードばかりを想起しているワケでもありませんけどね(笑)。BbaugというコードはDaugまたはF#augとも解釈するコトは可能です。Daugとして使用すればDから見た5th音は増五度となるので「Bb」と記した音が本当は「A#」というAを半音上げた情緒というコトに気付くかもしれませんが、Bbaugとした場合はAs、A、Ais(=Ab、A、A#)というA音に相当する部分にも音の可能性は膨らんで行きます。

すると、7音超のスケールも視野に入れることが可能でありまして、「Bbaug/Dddim△7」という七声の構成音にさらに8つ目のAを追加した世界を想起した場合、このような特殊なケースでは音列としてはメシアンの移調制限第7番が視野に入ってくるというワケであります。

勿論チェレプニンもそれ以前に視野に入れても可能でありますが、あくまでもスケールを単純に並べた音並びとなってしまうような身に付け方ではなく、スケールが持つ本来の情緒をきちんと体得するということを極力配慮するような方角から扱わないと、使った所で大した情緒を得られないのオチでしょう(笑)。恐らくは使えない人が多く、手に余してスケールを新たに覚えた程度の知識にしかならないのが関の山かもしれませんが、ココで埋没してしまうようではなかんずくハイパーな音世界を嗜好する者であるならきちんとした情緒を時間をかけて取り組むことが必要だと思います。ココで挫折してしまえば「スケール博士」程度の頭デッカチにしかなりかねませんのでくれぐれもご注意を(笑)。


無論、どんな状況に置いても無秩序にその音ばかり多用していれば、半音階の羅列に等しいモノにもなりかねないワケで、或る意味ではあらゆるシーンでアヴォイド・ノートをも意識せずにフレーズを羅列してしまえば結果的に何らかの音達はいずれ「よくある」チャーチ・モードに寄り添う姿としての音形を抜粋するに聴こえてしまうモノでもあるんですな。確かに12音の半音を使ったはずなのに、客観的にはチャーチ・モードの音が強く残るような牽引力と残像がそれを意識させてしまうような状況を生む人というのは、フレーズのボキャブラリーが足らずに知らず知らずの内に「よくある世界」の牽引力の「象り」に支配されているコトすら気付いていないモノとも言えるでしょう。


そんな牽引力をかき消すようなフレージングをするために、従来のコードの機能を希釈化させてみようとする狙いというのがこういうハイパーな音使いのひとつでもありますが、結果的に半音階の導入となってもシェーンベルクの十二音技法とはまるで違うモノで、「情緒を得ながら」半音階を得ようとする試みなワケであります。その情緒というモノもココでは「異端な」情緒なワケでもあるんですが。


Freed_power_from_Dominant01.jpg


例えば、先のfig.1に示した最初のコード「Bm△7/C△」というのは、便宜的なコード表記でありますが一応七声の和声なんで、それらの構成音を並べればとりあえずは7音で構成される音階を想起することが可能なのではないか!?という方面から今度は語りたいと思います。そうすると、「Bm△7/C△」の分子側の5th音を軸に鏡像化させて変質させていった「Bbaug/Dbdim△7」という、これまた便宜的なコード表記であるものの、こちらも「別の」モードスケール(=音階)を想起するコトが可能になるのではないか!?というコトで、まずはこれら2つのコードから生じるモード・スケールとやらを「想起」してみましょうか。






SpecialScales.jpg


すると、fig.4やfig.5のような音列を生むコトができました。ココまで来ると、ただ単に7音構成であるだけで何らかのコンポジット・スケールからの抜粋のようにもなります。オリヴィエ・メシアンの移調制限第4・7番辺りを強く意識させるかのような音並びでもありますね。メシアンのそれに合致しようがしまいが今回は無関係です。重要なのは非常に見慣れない音列になってはいるものの、比較的取り扱うコトの多い何らかの音階との近似性は備えているはずなのであります(笑)。


fig.4の例ってぇのはリディアンの第6音をシャープさせて結果的に6度・7度・主音に連続する半音音程を形成しているモノとも移りますし、fig.5の音列は、メロディック・マイナー・モードから生じるスーパー・ロクリアンの第3・6音をさらに重変化(=ダブル・フラット)させたモノとも言えるでしょう。実際の音と記譜上のジレンマを強く感じる音並びではあるものの(笑)。或る意味ではメロディック・マイナー・スケールの第2・5音を半音下げているとも思っていただいても差し支えないワケですね。

ひとつ注意すべき点は、fig.4での音列はリディアンの第6音が半音上がったように示しております。実際の音としてはCから見れば短七と長七が同居したようなものとなり、リディアンとしての特性音を持ちつつ、メロディック・マイナー・モードで生じるリディアンb7thスケールというのはリディアンの第7音が半音下がったものでありまして、これら2つの特性音があたかも同居しているような感じとして見かけ上ではなってしまい、一般的には使いづらいかもしれません。というのもfig.4の音列を長七と短七が混在するようなモノとして取り扱ってしまうようではダメです、ってぇコトを言いたいんですな(笑)。


どちらかというと器楽的な耳が未習熟されていない人の多くというのは、非チャーチ・モードの「聞き慣れない情緒」を体得しようとするあまりにただ単にスケール・ライクに音を並べて音を知ろうとする悪癖を持つような方が殆どだと思います。

いわゆるfig.4タイプの音列というのは「見かけ上」リディアンとリディアンb7thが混在したような長七と短七の音が一緒になってしまったように思えるかもしれませんが、ここでの「見かけ上の短七」はホントは増六でありまして、六度としての情緒を身に付けなければスケールを新たに覚えた所でフレージングとして会得出来るワケではないので、その辺りをキッチリ認識した上で情緒を覚えていただきたいワケですな。見かけ上は異名同音であろうとも、その取り扱いには十分に配慮した上で使わなければならないのであります。つまるところ、「見かけ上の短七」を増六度として扱い、そこに七度を加えれば自ずと七度は長七度音程と鳴らざるを得ない情緒を身に付けるというコトであります。


このような「増六度」の感覚を手っ取り早く身に付けるには、半音音程が連続して現れる音列をスケール・モードとして扱うことで(モードとして扱うということは常に全方角的にその音列の支配下でフレージングするというコトを意味します)、ある程度は体得しやすいモノとなるでしょう。ハンガリアン・マイナー・スケールをモードとして用いて、ハンガリアン・マイナー・スケールの第6音を主音とするように扱えば自ずと増六度の情緒は理解できるでしょうし、ハンガリアン・マイナー・スケールの音並びはそれこそ情緒豊かに響いて体得しやすい音列なので、そういう意味でも会得しやすいのではないかと老婆心ながら語らせていただきました(笑)。


奇しくも、一般的任「ハンガリアン・マイナー・スケール」と称されるジプシー系音階のひとつは、本当は「プラガル」(=変格)な姿でありまして、本来のオーセンティック(=正格)としての姿は「ハンガリアン・スケール」というコトも以前に語ったコトもありましたが、今一度載せておきましょうかね、と(笑)。


そのような「情緒」を身に付けながらも、実際にはあまり頻繁に扱うことのない音列を会得しないままに覚えていってもボキャブラリーとして身に付くコトはないのでありますが、それなら普段扱うコトが比較的多いであろうという和声を頼りに、そこから拡大解釈することで「情緒」を得られるコトもあるかもしれません。それは例えばfig.5の便宜手に表記した「Bbaug/Dbdim△7」というコード。コレはもっと判りやすく言えば「Bbaug/C△/Db」という三層構造のハイブリッドな和声なワケですな。上層にBbaugという増三和音、中層部にCメジャー・トライアド、下層にDb音という分数の分数コードとなっているワケですな。


例えば、Cメジャー・トライアドを背景に色んなアウトサイドな音をちりばめながらフレージングしたとしましょうか。そこでベース音をDbに、さらにはBbaugという増三和音で得られる構成音をCメジャー・トライアドを弾きながらフレージングするというのは、なかなか通常では弾こうとしない音たちなのではないかと思います。

しかし見方を変えれば、ハ長調を強く意識せずに「モーダルに」Cメジャー・トライアドという和声を母体に色々と音的な彩りを加えてみたいという観点から見れば、非チャーチ・モードの世界を用いてもさらに「異端な」音使いになるという非常に得意な音を生むモノとして役立てるコトにもなるワケですね。つまりは、Cメジャー・トライアドを母体にBbaugという増三和音を構成する音をさらに構成するようになる世界というのは一般的にはこの時点でも馴染みが薄いかもしれませんが「メロディック・マイナー・モード」を想起しやすい6音を導くことが可能になります。さらにこの6音にDb音という音を加えると、最も想起しうるメロディック・マイナー・モードをも逸脱する世界を呼び起こしている、という風に考えていただきたいワケなんですな。


でまあ、今回取り上げた和声やらそこから生じる「特異な」音列というのは概ね半音音程が連続していたり、実質的には三度音程として扱えるのだけれども増二度として扱わなければならなかったりなど、ポピュラーな世界においての三度音程の扱いから比較すると非常にややこしいジレンマを生むシーンに遭遇することが多くなります。三度音程の扱いがそこまでややこしくなると結果的にその特異な音列を「モード」としての支配下で音楽を統率するシーンにおいては三度という扱いそのものから解放されたいという見方をする人もおります(笑)。

だったら四度累積の和声で対応しちゃえ!とか考える人もおりますし、その四度累積と言っても綺麗に等しく完全四度を累積してくれるものばかりでもありません(笑)。三度を扱おうが四度を扱おうが実際の音としては四度であるのに減四度だの短三度ではなく増九度(増二度)だったりするようなケースも多々出現するワケですね(笑)。


特異な音列を「モード」としての支配下に置くには、手っ取り早い所ではその音列をモード・スケールとしてダイアトニック・コードを形成させればよいのであります。しかし前述したようにダイアトニック・コードを形成してもそこから生じる各和声が一般的に耳に馴染んでくれるような「和声としての姿」を見せてくれないモノも多々生じるワケですな(笑)。


そもそもハ長調のダイアトニック・コードの中の「主要三和音」と呼ばれるスリー・コードというのは長和音のグループとしての最小単位はC△、F△、G△であるワケですね。この主要三和音の各構成音を羅列すればCメジャー・スケールの音を全て満たすから「主要」なワケでありますが、特異な音列をモード・スケールとして定義してダイアトニック・コードを便宜的に形成しても、いわゆる一般的な「主要な」最小単位を導くコトが困難なシーンに直面するワケです。しかしながらココで着目すべき点というのは、長・短・増・減といういずれかのグループとして属する和音を複数導くことができれば、モード・スケール内の音全てを羅列してくれているワケではないけれども、その最小単位に近い構成されたダイアトニック・コードを複数使って「進行」させれば、特異な音列であろうともソチラの世界を導くことが容易となる「誘因材料」として導入することが可能となるワケです。


非チャーチ・モードの世界においてココでは敢えて解を求めませんが(みなさんにご理解していただくためにも)、ある音階もモード・スケールに用いた場合、そこから生じるダイアトニック・コードで複数の「減三和音」を生じる代表的な(ポピュラー音楽視点では一般的ではありませんがジャズ界隈では基本中の基本です)モノがあります。例えば、それらの複数の減三和音を巧みに使って「四度応答」をさせて更にアウトサイドな音を呼び込むということも導入すれば飛躍的に音の世界が拡大するワケです。まあこの「代表的な」音列をモード・スケールとして用いたものは倍音列とも合致する音ばかりで構成されるのでアヴォイドが生じないという世界の上でさらにアウトサイドを得ようとする試みだとご理解いただければよろしいかもしれません。

そんな世界をも飛び越してあらゆる方角を誘因材料として用いて「こんな音まで使うんだ!」という、一般的な世界観からすればとても「異端な」音をフツーに使えちゃったりする世界を私はこうして形容しているワケです。但し重要なのはその特異な音世界にも「情緒」があるのだ、というトコロですな。この情緒を体得するには毎日器楽的なシーンに直面されている方でも数日や数ヶ月程度で体得できるモノではないかもしれません。

また、こういう世界を理解するための多くの参考すべく楽曲は多々存在するものの、得てしてこの手の作品というのはあまり高い評価を得ていなかったりして、器楽的に未習熟な方からコキ下ろされたりしていたりするような楽曲も少なくありません(笑)。しかもその手の参考にすべく楽曲を早送りして再生するワケでもなく、自身の中で咀嚼しながら理解を深めるという行動を伴いながら触れ合って行くと、自ずと月日というのはかなり長い時を費やしてしまうかもしれません。


一般的に考えれば、その手の世界を習得するには就学時代に会得した方が宜しいかと思うんですな。社会に出てから常に器楽的なシーンに触れ合うという方というのは限りなく少ないワケですからそういう意味では、ある程度の年齢になってからこの手の世界観を理解するには学生時代よりも困難であろうと思います。少なくとも一般的には高校を卒業するまでにはある程度の特異な世界観を会得していた方が望ましいと思います。

また、この手の世界観を体得するに当たって重要な点は自身が一番得意とする楽器ではなくセカンド・インストゥルメントとしての楽器を手にしながら楽曲を聴いたり研究したりする方が体得しやすいのではないかと思います。なぜなら自身の一番得意とする楽器の演奏をする上で自身の運指や操作のクセすらも克服してあらゆるフレーズを初見で対応出来るまで習熟された方ならその限りではありませんが、概ね自身の感覚的な手グセを持ってしまっていることで、そちらの「クセ」を利己的に優先してしまいがちになるとそれが理解を阻害するコトとなるので、和声感という世界観はフレーズ練習ではありませんので、そういう意味でも敢えて自身の一番得意とする楽器を避けつつそうして選択した二番目の楽器を手にしながら会得して行くコトがつまずきは少ないだろうな、と思います。尚、ここで「楽器」というのはヴォーカルは含みません。唄の巧いヘタ関わらず、自身の「声」は楽器としてカウントしないでくださいね(笑)。自身の声と自身の一番得意とする楽器は時として理解を損ねるコトがあるので注意が必要です。


とまあ、そんな「情緒」に理解を深めながら色々と探ってみると、非チャーチ・モード系の音階であろうともチャーチ・モードとの類似的な音列は存在しますし、非チャーチ・モードに属する音階だけを見てもそれぞれが何らかの類似性のある近似的な音列が存在するという所に注目出来るワケですね。

近似性とやらを見出すにあたって注意すべき点は、いわゆる一般的なコードを用いてこれまた一般的なコード進行としてしまうと、ついつい「一般的な」世界の情緒のチカラに引っ張り込められてしまいかねません。つまりは、近似的な部分に目を向けてもコード進行そのものにメリハリを与えるにはそれなりに配慮が必要というコトになるワケですな。

スケールの種類という部分だけに着目してしまってその数の多さに目を奪われ特性音も把握しているにも関わらず使いこなせない人が圧倒的に多い中でなにゆえスケールだけをそれだけ覚えようとするのか!?それでは意味も判らずにただ単にブ厚い辞書に魅了されてパラパラと辞書をめくっているのと変わりないのと等しい愚かな世界(笑)。挙げ句の果てに、自身が興味を持ってしまった特異なスケールというのも使いこなせず知っているだけなら実践にもほど遠いピーチなボクちゃんがエロ言葉習得しているようなモノにも等しいのかもしれません(笑)。本番を経験したくとも手淫の達人になってしまっては本末転倒(笑)。音楽面においては少なくともこういう愚行は避けて通りたいモノでございますな(笑)。

一般的な世界とは少々離れた所の非チャーチ・モードの世界を見つめて近似的な音列とやらに細心の注意を払って扱えば、その中の真の近似的な世界を見極めるコトができると思います。その上でジプシー系音階を含めた色んな音階を今一度あらためてザックリと語るコトにしようと思います。(了)