SSブログ

A Creature of Many Faces/The Brecker Brothersから読み取れるもの [楽理]

現段階では最新号のサンレコは、表紙がイーノのものでありますが、毎月連載している「DAWなら誰でも作曲できちゃいます」というコーナーがあるのは読者ならお判りだと思うんですが、あまりに表現を噛み砕きすぎているため、楽理的な知識が少しでもある人だと擦り合わせることが返って混乱を招きかねない表現があると思えるのも確かなのであります(笑)。

とはいえ、ああいう噛み砕いた表現というのはある意味確信犯的要素を備えているものでありまして、結局のところ「すりあわせ」が必要となるのであらば、その段階で本質を学ぼうとする意思がない限り、知識としてもその後の自身のボキャブラリーとしても備えることはできないので、学ぶ姿勢が重要でありまして、ましてやあのコーナーで全てを完結しようと思うようではいけないんですな。

解答を用意するのではなく、さりげなく読者の欲求をくすぐるようなスタンスでありたいのでありましょう(笑)。

しかし、愚かな者は教える側の予測を遥かに超えるほど愚かであるため、あれほど噛み砕いても読む事すらもしない読者だっているとは思うんですな(笑)。楽器に興味を示す者には等しく教育して、将来は世界に名だたる作曲家を育てようと手を施してくれるワケでもない(笑)。ただ、日本の私学ではない義務教育の方は、暗記型でどうにかなってしまうような向きがあるので、音楽ですらも暗記型で充分と誤解してしまう愚か者を多く輩出してしまうのも事実だろうと思うわけであります。

和声的な感覚を身に付けるには「暗記型」というよりも自身の感覚をどのくらい理解するかが必要だと思われるんですな。

例えば調的な偏向具合やら、どんな和声に耳傾くのか、どんな和声に拒否反応を示すのかなど、そういう自身の偏向具合を知ることが最も重要だと思うんですが、大半の人というのは自身の感性とやらにはやたらと利己的なワケであります(笑)。

てめえのヘッポコ感性というバイアスを捨て去って、調的な「うつろい」とやらを耳にしてくれよ、と左近治は言いたいのであります。

最新号のサンレコではGメジャー・トライアドの上声部にFメジャー・トライアドを乗っけたポリ・コードを「分数コード」という風に表現していたのでありますが、私が表現する時の分数コードというのは、通常分母部分は単音で、ONコードと等しい表現にしておりまして、分母部分をコードとして表現したい時は、分母部分がメジャー・トライアドで表現する時が出来る時にメジャーである「△」の略号を併記しております。

私が分母部分に短和音を用いることは極めて少なく、これには分母と分子も合わせた時の倍音列やら差音の観点から分母部分はなるべく長和音で表記できるようにしたいという思いからなんですが、別に分母部分が短和音で表される事自体は間違いではありませんので誤解のないようご理解願いたいな、と。ただ、分母部分が短和音で表現されるシーンとやらを解説するとなると、本1冊くらい書けるくらいの文章が必要となると思われるので、非常に簡潔にこのように表現しているので、その辺りも併せてご理解願いたいと思うばかりであります(笑)。


まあ、とにもかくにもサンレコでは例として「F△/G△」という六声の和声として取り上げていたんですが、他にもポリ・コードを取り上げてみようかな、と思うわけであります。

マイナー・キーにおいて「VIIb△/VIb△」というコードは結構常套手段でありまして、例えばAマイナーなら「G△/F△」という、さっきとは分母と分子が逆のコードですね。これをエンディングに使ったりすると面白い効果が出せると思います。Eマイナーなら上声部がD△で下声部がC△という使い方ですね。

コンディミをモードとして使った時のポリ・コードとして、上声部と下声部でメジャー・トライアドをそれぞれ積み上げるというのは前にもやりましたが、この積み上げ具合はコンディミの場合だとC△、Eb△、F#△、A△という短三度の隔たりでディミニッシュ的な構築なんですが、長三度を用いたオーギュメンテッドな構築法もあるワケであります。

例えるならC△、E△、G#△というように。


で、今回のブログタイトルにも用いているように、ブレッカー・ブラザーズの1stアルバム収録の「A Creature of Many Faces」という曲のポリ・コードの導入というのは、先の短三度の重畳と長三度の重畳、どちらもイイ所取りをしている好例の楽曲なのでタイトルに用いている、というワケであります。曲を進めると短九度ぶつけもありますけどね(笑)。

「A Creature of Many Faces」のイントロ第二部と呼べるローズのみのリフありますね。コアなメインリフ。ベースやブラスが入ってきてその正体を表すわけですが、このメイン・リフの4小節の内、前半2小節を抜粋すると、「F add9」で絡んで、2小節目2拍目はローズのみのリフだと「Fm7」に聴こえるかもしれませんが、これは実際には「Ab△/F△」。で、2小節目3拍目で「A△7/F△」という風になりまして、Key=Fという情感を抱かせつつ、トニックのFから見てメジャー3rdとマイナー3rdの移ろいを楽しむような感じに仕上げているんですな。

その後、曲が進みマイケル・ブレッカーのソロの直前のブリッジでは、非常に印象的な「Gb△/F△」が現れます。

このコードを見ただけでは強烈な不協和とも思えるでしょうが、実際にはここまで大胆にやってくれるとすがすがしくもあると言いますか(笑)、不協和というよりも調的な重心を探るのに耳が騙されてしまうかのような卒倒観にも似た「うつろい」を感じます(笑)。

このポリ・コードの分母と分子を逆にして長七でぶつけると、坂本龍一作曲の「Elastic Dummy」の世界にも近しいものとなりますな。

Key=Fを匂わせつつ、短七の音やらをまぶし、上声部で長和音を長三度、短三度、短九度(=短二度)ぶつけしてくるぞ、と。コンディミはおろかチェレプニン・モードを視野に入れたりしないと、とてもじゃないですがチャーチ・モードの概念しか抱いていなければ対応できない多様な和声の世界観となっているワケであります。

本来なら左近治のリリースと併せて楽理面で語る予定だったんですが、作っていた曲がもはや原曲のまんまアレンジだとつまらないと思って頓挫したままお蔵入りしそうな気配なので(笑)、楽理面の話題がホットな上に話題の進捗度がすこぶる良いので、リリースする前に語ってしまわないといけない状況になってしまったため、このように語っているのであります(笑)。

ま、いずれにしても耳コピが苦手な人とかには「A Creature of Many Faces」や、坂本龍一の「Elastic Dummy」を教材に耳鍛えてほしいと思うばかりです。この手の和声に耳慣れてくれば、その内楽譜に頼ったりしないようになるのではないかと信じてやみません(←ホントかよ)。

耳コピの得手不得手というのも、実際には「不得手」としての側面が半ばボヤキのように語られることの方が多いのではないかと思うんですが、それはそもそも自身の備えている和声感覚があまりに矮小で、耳に入ってきた和声が受容できるものを遥かに超越してしまっているから「耳コピ不能」に陥っているからではないかと推察できるんですな。

言い換えれば、普段使い慣れている和声なら聴き取れるものの、自分の感覚で捉えられないモノが飛び込んでくると途端にダメになる、と。音に対して得手不得手があるようでは、もはやこれでは「音感」とすらも呼べない偏向的な耳の習熟度を表していると言えましょう。可能な限り等価な耳で聴こうとする努力とでも言いますか(笑)、そういう感覚を身に付けようとしなければいつまで経っても難しく感じてしまうのではないかと思うんですな。

耳コピが苦手な人の感覚というのはおそらく、曲の始めから終わりまで調性がクッキリハッキリしているような曲を耳にした時に、耳に入ってきた音そのものを捉えているのではなくてパズルのピース合わせのような感覚でしか聴いていないと思うんですな。故に似た形状に騙されたりする、と。

酷い場合だと、パズルのピースそのものが非常に単純な形状であるにも関わらず、チャーチ・モードに収まっているにも関わらず分数コードだと全く判らないとか(笑)。この手の致命的な耳を持つ人だともはや楽器を手にしてはいけないのではないかと思える人など私の周囲にもおりますが(笑)、そんな左近治とて「等価な耳」を備えているかというと実は備えておらず、重心はどこかにブレてしまっているという感覚が実にもどかしかったりもするのであります。

無論、チャーチ・モードの情感とやらを忘れているわけではないのだから、決してその情感と決別できることはないのでしょうが(笑)、いずれにしても鍵盤の白鍵でいう「ドレミファソラシド」の音列の重みというのは実に根深いモノなんだな、とつくづく感じるわけですな(笑)。

私の知人で、「なんで鍵盤は白鍵6個&黒鍵6個」にしないんだろう?」などと実に鍵盤がスイッチ的な発想で疑問を抱いていた者がおりましたが(笑)、そんな彼にはホールトーン・スケールの情感ももはやチャーチ・モードの音列の情感に等しく思えるものなのか!?とある意味驚いたコトがあります(笑)。

等価な耳と音程すらどうでもよい耳とは全く別の感覚ですので、その辺りも誤解のないようご理解願いたいな、と。