SSブログ

等価な耳 [楽理]

巷はクリスマスで、今年も残り1週間を切りました。

楽理的な話題の集中砲火みたいな今年の左近治ブログでありましたが、この傾向は年が明けようとも更に押し進めるコトになろうと思うわけですが、DAW環境周辺の話題においても大きな話題がそれほど無かったことに加え、何と言ってもウォルター・ベッカーの新作リリースがこの手の話題に拍車をかけることになったのは言うまでもありません。

まあ、ベッカー御大の新作リリースがなかろうともいずれはこの手の話題をブログに書き連ねた事は間違いないのでありますが、スティーリー・ダンやら過小評価されていると思われるウォルター・ベッカーの魅力というものを楽理的考察で語ることが出来ればいいなと思ってやっている事なのであります。

ベッカー御大の前作「11の心象」からの楽曲を引き合いに出すにしても今から14年前のことを「今更」語っているのでありますが、己の耳の習熟度の浅さを蔑ろにして14年も音の魅力に気付かずにダメ出しするようなどこぞのボンクラのような事は述べたくはないのでありまして(笑)、あらためて知ることで14年の歳月をムダにしてしまったことを憂うか、或は新たな発見をしたというポジティヴな受け止め方をするのは自由であります。

器楽的な経験も数十年積んでいるのに、この手の音の魅力に全く気付かないような人だとかなりマズイとは思いますけどね(笑)。

そんな左近治とて、いまだに自分が生まれてもいない頃の楽曲に出会ったり、数十年前の楽曲に「ようやく」出会うことなど普通にあります。なにせ平均寿命が70年ソコソコと言われていますが、日数で換算すれば2万7000〜2万8000日程度が与えられた寿命だとするならば、現存する全ての楽曲を聴く前に、たったそれだけの日数の前にはてめえの寿命など尽きてしまう(笑)。

だからこそ、本音を言えばその限られた時間の中で非常に興味深い楽曲だけに触れていたい、嫌いな曲に貴重な時間を割かれたくないという思いがありまして(笑)、楽曲構造をいち早く知れば、その人の魅力が伝わってくるので次もまた買ってみたい、という気にさせてくれるのでありますな。新作の音を聴かずとも全幅の信頼を得た人には一定以上のリスペクトがありまして、その背景には、リスペクトするアーティストのケツの穴まで覗き込むような深い楽曲の分析があった上での左近治の信頼なのであります(笑)。

この12月にも左近治には感慨深いことはありまして、チャップマン・スティックを手に入れてちょうど20周年なのであります。

スティックを手に入れる前にも左近治は既に多弦ベースと呼ばれる6弦ベースをフレッテッド&フレットレス合わせて4本所有していた当時でしたが、スティックは本当に可能性を広げてくれた楽器でありました。鍵盤の演奏力の拙い私には、いくら手元に四半世紀ほども友人から借り続けているDX7があれど、和声的な面においてもギターのそれとは違うヴォイシングやらを獲得できるスティックとの出会いには、偏狭的な自分の世界を修正してくれるのに充分だった楽器だったんですな。

その頃のMIDIの世界というのはQX3全盛期。それから数年してATARIやMacを手にして、鍵盤ありきの操作インターフェースに慣れざるを得ず、鍵盤楽器の器楽的な魅力を身につけられるようになり、ベース一辺倒だった私の「屈折した」アンサンブルは徐々にそれらの楽器達で中和されていくようになったワケですな。

理想を言えば、自分の作った曲をどんなに移調しようがそこに偏った情緒などなく聴く事のできる「等価な耳」を有したいものでありますが、いくら色んな異なる楽器で自分の偏狭具合を修正してくれようとも、好きな調、という情感の偏りというのはまだまだ有してしまっている左近治であります。

スティックを手にして20年。その20年は音楽的な側面でどれほど濃密であったのか?ということを振り返ると、無駄な時間があったように思えてなりません(笑)。