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5度重ねから色々考えてみる [楽理]

ロックな兄ちゃん御用達のパワーコード。5度弾き10秒くらい白玉でかましても音にうなりなど生じないほどに合わせたチューニングっ!

まあ、それはそれでアリかもしれんのですが、コレはほぼ純正律の完全五度を用いているのと変わりないんですな。押弦の力の入れ具合で弦の張力を操って、うなりを生じさせないようにしたりとか、或いはチューニングの段階でフレット楽器にも関わらず純正でチューニングしちゃっているヒトとか(笑)、色々あるんですが、「5度圏」(=circle of 5th)という言葉は器楽的な心得がある人なら一度は見聞きしたことがあるかと思います。

5度を等しく延々と重ねて行くと元の音に戻る、というヤツですが、各5度音程をドンピシャ!で合わせてしまうと、12個目の時にはオクターブより僅かにズレてしまうんですな。つまり、コレを巧いことオクターヴに合わせて各5度音程を均すことが出来ないと調律師にはなれねぇ、ってこってすわ。

オクターヴ除けば完全5度音程というのはオクターヴに匹敵する協和音程。オクターヴなんて12に分けていることが殆どなのに、3等分や6等分にせず、なぜか「7」の所の振動比が心地よく響く、と。もはやこれは音楽界でのケブラーの法則みたいなモンなんでしょうな(笑)。

太陽系の惑星だってケブラーの法則にマッチするかのように太陽から距離を隔てているワケですが、完全にキッカリの場所に位置しているワケではありません(笑)。コレを思えば平均律の「不完全さ」だって許容範囲(笑)。

音程を語る時、平均律であろうとも半音7つ分の音程幅は「完全五度」ですが、厳密には「不完全」と。


私は濱瀬元彦著の「ブルーノートと調性」で初めてジョージ・ラッセルの「リディアン・クロマチック・コンセプト」なるものを知ったんですが、まあつまるところ、C音に協和する5度音程を上に積み上げていくと、7つ目の所で「F#音」にブチ当たる。そうするとCリディアンの音列を形成するから、Cメジャーの調的な重心はCではなくGにあるんだ!という所から独自の理論を導いているワケですね。

その理論に基づいて新たな幾つかのリディアン系の音階を生んだことは興味深いと思いますが、突飛すぎるきらいはあります。ただそうして導いたことによって生まれた幾つかの新しい音階というのはポジティヴに利用してもイイのではないかと思います。

が、やはり倍音構造や差音は無視できないだろうという視点と、ブルーノートは何故生まれたのか!?という所にスポットを当てて繰り広げている濱瀬元彦著の「ブルーノートと調性」というのも非常に実態に則している興味深い理論であります。

ジョージ・ラッセルの方はどちらかというと体系的なスケールの利用で幾つかの音列をスムーズにモード・チェンジを行う「便利な」志向性があると思いますが、濱瀬元彦の方は見慣れないような音階でも器楽的に扱おうとする狙いがあって私としては濱瀬元彦のアプローチの方が好きですが、どちらも平均律の世界の中で調性を拡大しようとしている点は同じでありまして、ある意味では同じ土俵に行き着くけど、それまでのルートが違うといいますか、登山道の新たなルートを開拓しているようなモノと置き換えることができるのではないかと思います。

ジョージ・ラッセルだと、道中トンネルばかりで風景はほとんど見れなかったけど山頂に来れたと形容するならば、濱瀬元彦の方は稜線に出るまでの道中の苦労をも自然に浸ることのできる喜びを得ながら山登りしているような感じがあるんですな(笑)。

だからといって左近治は濱瀬元彦のそれだけに影響されているワケではありませんし、私なりに別の角度から和声面について語っているというスタンスです。


まあ、ジョージ・ラッセル風に5度の協和性を利用して、他の調性を生み出そうとするならば、仮にC音を基準にしようとも、そこから完全5度の協和性を語るならば何故上下に等しく完全5度音程を持った音に語らなかったのだろう?という疑問が沸きます。

単音でC音を与えれば、下に「F音」、上に「G音」という風に。

人間が単音である器楽的な音を聴いた時、その音が必ず「根音」に聴こえることは有りませんよね(笑)。低い音域でG#鳴らされれば幻想即興曲連想してG#が「属音」として聴こえることだってあるでしょうし、ベースの音域が必ずしもルートに聴こえるワケでもない(笑)。そんなコト言い出したらフランシス・レイの「男と女」のメロディの長七度の音なんて、倍音の共鳴度を見ようが何しようが非常に協和性にはほど遠い音程でメロディを生み出している(笑)。

すると、C音から完全五度を繰り返し重ねて、音程的に最も遠いF#音を導く前に、単音に対して等しく上下に完全五度音程を持たせるとC音の下方にF音を導いてしまうというワケです。すると、上方でF#音を導く前に結局Cメジャー・スケールを生成してしまうんですな(笑)。

単音に協和性の高い完全五度を上下に等しく「スプレッド」させて5度の協和具合を探ろうとすると更に厄介。これは図を確認していただければ、と。

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そうすると、ジョージ・ラッセル風な解釈でスプレッドさせた音から生まれる音列はCドリアン。すなわちCメジャーはBbメジャーに重心があることになってしまう(笑)。

だからと言って、ジョージ・ラッセルの理論を否定しているワケではありません。自然倍音列を確認すれば自ずと判りますが、例えばジェフ・ベックの「Blue Wind」でのジェフのギター・ソロにおいて、6弦E弦でのハーモニクスだけでソロを弾いている所がありますよね。

フレット位置としては近似的な所を軽く触れないと得られないハーモニクス・ポイントですが、さらにもっと高いハーモニクス・ポイントを探ろうとすると、ジャコ・パストリアスの「トレイシーの肖像」のような微分音を生むことになります。

「トレイシーの肖像」のハーモニクスを語る以前に、自然倍音列のそれは、どこかの音列の調性を満たしているワケではないものの、C音から基準とした場合、メジャー3rdを持ちながら短7度を持つモードに調性があるのではないかという、実際の調性とは違う「アウトサイド」な音を内包しております。

さらにアウトサイドで微分音でしか表せない近似的な音を、これまた人間様が得意の「均し」。「均し」によってその音を上下どちらかに丸め込むという、ご都合主義的な「拡大解釈」こそが、ブルーノートの存在や複調性を強固にしようとするひとつの側面だと思うんですな。

さらに結合音を考慮すれば倍音列と合致する音も多く、自然界の器楽的な音だろうとも複調感は備えているという十分な「拠り所」のために、より強固な世界を構築するために必要な解釈だと思えるワケですな。

ジョージ・ラッセルやブルー・ノートの世界をより強固に構築するための自然界の摂理を引用するには、一応は合致する現象というのはありふれているワケですな。ただ、先述のケプラーの法則の惑星の位置関係のようにドンピシャではなく、許容できる範囲で人間は巧いこと拡大解釈していっているというのが真相だと思います。一部の理論家が強引にそれらを引用しているわけでもなく(そういう向きもあるものの)、そこから生まれた拡大解釈をポジティヴに利用して、「器楽的」な演奏に役立てることが重要だと思うんですな。

先の「トレイシーの肖像」のハーモニクスの微分音的サウンドも、例えばあの曲をハ長調と考えれば、F#に近いようなそうでもないような音が出現するワケですよね。あの音をF#として「均す」場合、C音を基準としたモード的に解釈すると、短七度、長三度、増四度を持つモードを想定するという「拡大解釈」だって可能なワケです。

そうすると、リディアンb7thを生むことになるでしょうし、さらに自然倍音列でもっと高次の倍音まで視野を広げれば他のモードの可能性だって「強引に」
引っ張ることは可能となります(笑)。但し、ごく普通に使われるような長七度や長六度は自然倍音列では現れてくれない。

そんな現れてくれない所までアレコレ悩む前に、頭を悩ませる「微分音」に位置するビミョーな音の「均し」から、無意識に他の調性やらの世界が開けているのではないかと左近治は思っております。

リディアンb7thを内在してくれているなら、メロディック・マイナー・モード内で生じるモードなワケですね。

短音階での導音の扱いから、それを経過的な変奏をすることでメロディック・マイナーは生まれたものの、「均し」をすることでメロディック・マイナーの世界には随分と低次の倍音列にも「親和性」と形容しても些かオーバーではない根拠が自然界に存在しております。

そういう事実を考えると、何もメロディック・マイナー・モードが特殊だとか拒絶はしていられない。実は非常に近い所に存在しているんだという都合のいい解釈だって可能なワケです(笑)。

特殊なモードを使えばコード表記ひとつにも頭を痛めることがあるから扱いづらい、では勿体ない。もっと多様に、且つポジティヴに理論を後ろ盾にして使えばイイではないかと思うんですな。


「三角定規のレイアウトはどういう風にすれば美しいのか?」という事を我々はアレコレ考えているだけかもしれません。

複調感を得るための世界では、ピラミッドが末広がりで大地に腰を据えている必要もないだけかもしれません(笑)。

ただ、音の世界の「上下感覚」というのはありますし、これが最も影響しているのは人間の生活している空間の温度分布に他ならないでしょう。それに少しばかりの気圧の要素と、もうひとつの僅かな要素。それは、人間が重力に支配されている生活空間に存在することの「ステレオタイプ」な意識が作り出す世界でしょうな。

和声だって常にクローズド・ヴォイシングではなく転回することが普通。誰もがほぼ等しく平均律を用いて、12個の音の中でアレコレ考えている(笑)。人間の可聴帯域など10〜12オクターヴ程度の世界。視覚など1オクターヴ内の世界で色を語る(笑)。

「均し」や均しの許容量を越える「不協和」というのは、あてずっぽうで選別されたわけでもなく、理論的ではあるものの30オクターヴを越える領域まで計算されて精度の確かさを得て、音律は生まれているという背景があるという真実を、ただ単にパワーコード弾いてポゴっている兄ちゃんは殆ど知らないと思うんですな(笑)。

音楽の深みと同時に、理論のバックボーン程度でも知って、自身の演奏に昇華することができれば更に音楽が面白くなるのではないかなーと左近治は語っているワケでして、そんな魅力にも気付いていただけたら幸いですね、これがまた。