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七度への覚醒 [楽理]

パワーコード(=5度弾き)一辺倒で形骸化すらしていたロック界において、徐々に7th音や9th音を巧みに使うバンドが出現するようになったのは80年代末から90年代に入ってから顕著になりました。

前回のブログで私がニルヴァーナの「In Bloom」を題材に挙げたのは、「左近治もニルヴァーナの良さに目覚めたのか!?」とか思ってもらいたくはないんですな(笑)。私は、ニルヴァーナのファンには悪いけれども、ニルヴァーナはジャズの耳で聴いています(笑)。

KORNもロックな耳というよりジャズ寄りの耳で聴いております(笑)。

以前にも語ったことがありますが、ロックにおいて主要なアンサンブルとなるとパワーコードに加えて平行移動だったりするワケですが、時としてそれがホモフォニーとなるような偶発性なのか、和声への覚醒なのかはどちらともつかないけれども興味深いアンサンブルを生み出すことがあるワケですね。シンプルがゆえにそういう和声を生み出すシーンがある、と。

例えば、80年代末から90年代にかけて、七度の巧みな使い方が増えてきたように思えた興味深いアンサンブルを構築していたのはExtreme。その後Nirvana、Dizzy Mizz Lizzy、KORNというバンドを耳にしてきたワケであります。

ニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」がガツンガツンヒットしていた頃など、他のジャンルで言えばジャミロクワイのデビューとか。

例えばジャミロのデビュー時においては、時代がアナクロな流れになっていく変遷期。多くの人がオールド・ファンクのスイッチ入っちゃった!みたいな時ですね。スティーヴィー・ワンダーやらサウンドに形容されていたモンですが、初めて私がジャミロの1st聴いた印象はギル・スコット・ヘロンそのまんま(笑)。MAZEのフランキー・ビバリーとか。その辺のファンクに目覚めているような人など当時のフロア・シーンにおいても非常に少なかったと思いますな。

別に、流行とは全く違う道で早々と耳にしていたなど誇示しようととは思っておりません(笑)。そんな流行とは無関係の時代から私は「必須科目」的意味合いで過去に耳にしていただけのコト。

ただ、大衆に「スイッチ入れる」というムーヴメントを作るというのは重要なコトで、こういう潮流が広く伝播することで標準化していくことが進化でもあるワケですね。

こういう「潮流」がロックにもあったというワケです。特にアンサンブル面における7度のポピュラー化。


ロックのバンド形態となると大所帯は少ないワケですね。少ない方がよりカッコイイみたいな向きもありますが、共通するのはシンプルなパワーコード主体と旋律的なリフ、和声的な意味で重要になるのはメロディ・ノートとコーラスなワケで、多様で豊かなハーモニーをシンプルなバンド構成において構築するのに欠かせないのは実はボーカルとコーラスだったりするワケですね。

ま、そんなワケでエクストリームやらニルヴァーナなどは「7度に目覚めた」ソング・ライティングが特長と感じていたワケですな。

「In Bloom」のサビのコーラスが入ってくる所など、C△ -> Eb9と展開してBbに解決となるワケですが、Eb9の箇所においては、ボーカルがDb音(すなわち7th音)、コーラスがF音でハモり(9th)、メジャー3rdから5thへのグリスアップ、ベースがEbを刻む。Ebの直前のC△ではコーラスがE音、D音と唄っているワケですから、多調感を生むのはお判りですね。

シンプルな和声への解体と、本人の和声への目覚めが無ければこういう和声を成立させることは偶然を待っていてもなかなか実現できることはないでしょう。少なくともルートばかりに目が向いてスケール覚えたところでルートからしか弾けなかったり、ペンタトニックすらようやっとしか弾けないタイプの人は(笑)。こういう人だってニルヴァーナのような音に心酔している人はいるでしょうが、あてずっぽうにニルヴァーナ目指してトンチンカンな音出すよりも、分析できて初めて説得力を生む音を身に付けていけるワケですが、愚かな者は必ずと言っていいほどこの道は回避しようとするんですな(笑)。

まあ確かにニルヴァーナを楽理面で追究していくと、「知る事のできない何か」というモノにワクワクしている輩の中には興醒めしてしまいかねないタネ明かしになってしまうかもしれません(笑)。映画観に行ってド頭から結末知らされるコトに等しいかもしれません(笑)。

「知る事のできない魅力」にワクワク感を持ち続けたいから楽理面を知りたくないというのは理由にはならないんですな。

自身が純朴あるいは無知であるために新しいモノに出会っているからに過ぎず(出会うもの殆どが新鮮であるにも関わらず)、「好き」という欲求のベクトルがいつしか偏ったまま、終いにはバイアス触れたまま真相を知らずに年月だけが経過するというのが現実ではないでしょうか。

無知を継続することで、好みのタイプがやってきた時だけスイッチ入れる、と。そうするとワクワク感に出会うことが出来るから、というそういう心理だけでしかないんですよ、実際は。

やたらと偏狭的に感情移入してしまっているだけというのが現実。宇宙の果てについて苦悩していた方がまだマシ(笑)。概ね音楽の習熟度が浅く「音」を掴めていない人というのは、好きなタイプの音に出会ってもバックボーンに興味が向いて理論武装していくしかないという道しか歩けないんですな。

「音を知っている」タイプの評論家がバックボーンというエッセンスをちりばめる手法とは違います。その手の評論家は愚かな層へ向けて「Fools never learn」から「Fools learn sometimes」にさせようとする配慮でもあるでしょうし、愚かな層へ判りやすい題材を投入しているという手法ですな。

音の真相理解するのに音とは無関係の人物の生い立ちなど知る必要は無いと思うんですな。どれだけ唯一無二の存在としてあがめられようが、誰もが理解不能な言語や音階使っているワケでもない(笑)。

たかだか十二音にあてはまる音を一体幾万のアーティストがそれを操っているのでありましょうか(笑)。かといって唯一無二の存在であるはずの音楽が十二のグループにあてはめられるワケでもない。


まあ、80年代末から90年代にかけてというのは、ベースの音が非常にクリアになりましたし(21世紀に入るとさらに顕著)、ベースそのものの鳴りが向上したのも、この手のジャンルにおいても和声的な「アッパーの世界」への覚醒に貢献していると思うんですな。ベースと他のアンサンブルの「心地よい」分離感。それはアッパー部の主要な音と協和性に乏しい音程関係だったり。

多弦ベースや高級ベースという流れの中で、ベースはエフェクトをガシガシに使うタイプの楽器ではない。だからこそ色々な材質との試行錯誤のフィードバックや、求められるE音よりも低い音の豊かなサステインに対して多弦ベース設計のアプローチや34インチ超の長尺などから得られたフィードバックが、4弦の標準的なエレクトリック・ベースにも昇華されてきた、またレコーディング面での音質向上というのも相まって得られたからこそ、その手の拡大した和声への覚醒が起こりえたのではないかと思っております。

もちろん和声的な意味で、作者本人がその音に目覚めていなければならないワケですが、そういう意味においても大衆にも判りやすく提示することになった拡大された音世界を構築することができたバンドというのは時代の寵児だったとも言えるかもしれませんな。


80年代末やら90年代だろうが、そのような音に目覚めるバンドがどれだけ出現しようが、ロバート・フリップやらジーン・シモンズ達はせせら笑っていたかもしれません(笑)。とっくにそんな音に目覚めていたワケですからね。

ロバート・フリップの増四度の世界など最たるモノ。ジーン・シモンズが作曲する作品には分数コードが多かったり。


Cのコンディミをモードとして扱わせる。体系的にしか理解していない人だと8音羅列か、御丁寧に一音一音ダイアトニック・コードでマイナーを母体とするのかメジャーを母体とするのか、そんなジレンマに陥るだけ。

C△、Eb△、F#△、A△という4つのメジャー・トライアド与えるだけでCのコンディミは十分満たせるだろ、と。こういうコトこそが複雑に思える和声の「解体」という、顕著な例のひとつです。

カート・コバーンの短3度平行移動グリス多用がコンディミを提示しているのではなくとも、多調感を演出していることには違いなく、それらの単純なメジャー・トライアドに7thベース与えて、C△/Bb→ Eb△/Db→F#△/E→A△/Gと進行させりゃあ、キーこそ違うけれどもジェフ・ベックの「Scatterbrain」の6/8拍子のところのブリッジそのまんまやん!

クリムゾンの「Red」だって、メジャー・トライアドの平行移動によるもの。だからといってコンディミを体系的に弾いているワケではない。チック・コリア・エレクトリック・バンドの「King Cockroach」のイントロだって「Red」とコンセプトは同列に値するモノ。

こういう曲を例に挙げたとしてもジャンルに偏狭的になっていれば、ロックの形骸的な歪んだ音しか好まない輩に「King Cockroach」を例に挙げても無謀な気がするんですが(笑)、私が分け隔てなくモンドになってしまうのは仕方ないことだと思っていただければな、と。

ただ、ロック界においても高次倍音への欲求の高まりがプラスに作用して7度への覚醒が起きたのは間違いないと思います。高次倍音がもたらすという意味においては色々各自学んでいってほしいと思うので詳しくは言及しません。

冒頭に挙げたNirvana、Dizzy Mizz Lizzyやらを短七系とするならば、KORNは長七系。長七系ならロバート・フリップやジミー・ペイジという先人もおりますな。必ずしもこのふたりが長七というワケでもありませんが、どっちの「七」も網羅しちゃってますかね(笑)。

とりあえずは、それらを「マスト」として与えた上での増5度(=短6度)の使い分けが、現在の左近治がハマっている世界であります。もちろん七度や増四度を包含した上での意味です(笑)。