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セメントに刻み込んだ・・・ [スティーリー・ダン]

そういやリリース日のコト全然語ってなかったっけ!

と思って、急いでブログを書き進める左近治。

もはや定番化している坂本龍一関連曲でありますが、「Plastic Bamboo」のまたまた続き(笑)。でも、この部分のフレーズが欲しいと思われる方もいらっしゃると思うのでリリースすることに。

もうひとつはモーダルな印象のEFXシリーズ。どことなく寂しげな「着信アリ」を思わせるようなフレーズですね(笑)。変ロ短調と思いきや調性がフラつく、と。

コンディミ弾いていたら手グセでできてしまうのではないかとご指摘頂くかもしれませんが(笑)、幾何学的な音列のそれにも叙情性を醸し出させるにはフレージングにおいて工夫が必要なわけであります。

「Sonic Boom」作っていた時に、アープオデッセイとおぼしきシンセ・リードを坂本龍一が弾いている時の増田幹夫のローズのインタープレイありますよね。あのフレーズ打ち込んでいた時に並行して作ったという裏事情(笑)。

坂本龍一の特異な音というのはベッカーの「毒」と共通する所があるので、今年に入ってからそれをテーマに冠して色々リリースしてきたんで、ここまでしつこく提示すると楽理に無頓着な方でもお解りになっていただけたかと思うんですが、あらためて振り返ると、坂本龍一の毒ッ気がふんだんに聴くことができるのは、「Kiska」「La Rosa」辺りでしょうか。

「La Rosa」のアコピでもクロマチックなアプローチの装飾音かと思っても、実はメジャー7th上でフラット13th使っていたりとか、そういう部分は聞き逃してもらいたくない所。「Kiska」のBテーマに行く直前の32分音符の分散フレーズの部分がソレですが、後はクロマチックの上下でマックス・ミドルトン風なフレーズ使っておりますね。

BTW、「Sonic Boom」の方ですが、au特定端末だと音の劣化が激しいということはアナウンスしておりましたが、意外にもドコモ端末よりもダウンロードしていただけた方が多く、この手のフュージョン系ジャンルというのに予想外のニーズがあったことの驚きと同時にあらためて感謝している次第です。とりあえず続編もリリースされますので、お楽しみいただければ幸いです。

ここの所色々制作しているものの、ウォルター・ベッカーの「Circus Money」やらポーティスヘッドの新譜やら「聴き」に回る音源に出会うことのできた時期なので、制作よりも聴く方を優先させてしまっております(笑)。iPodでも散々聴いているものの、やはりたまにゃあイヤフォンやヘッドフォン外してガッツリとステレオで鳴らしたくなるんですな。

ポーティスヘッドが世に出た頃とベッカーの「11の心象」のリリース時期もだいたいダブる頃なので、このような出会いが実にGod brought me coincidence for a purpose!という気持ちにさせてくれるワケですな。

Godが出てきた所でベッカーさんの「God‘s Eye View」でも語りたくなっちゃうんですが、この曲に限らずアルバム全体的には、失意、猜疑心、不倫、酩酊、覚醒、自己陶酔または女性のchastityという側面がテーマとなっているようで、性欲に満たされ一方では異性の汚れた部分を実にシニカルに唄っていて、そのギャップが堪らなかったりする、と。

まあ、それにしても「God‘s Eye View」の歌詞の中の「ママとパパのグルーヴ♪」とか、「セメントに永遠に刻み込んだpussyprintのように」という表現には、ホントに吹き出してしまいました(笑)。よくもまあ、こんな表現を思いつくものだと。グルーヴっつてもどうせダンスのコトじゃないだろ(笑)。

まあ、プッシー・プリントというのは、中学生くらいの男子なら体育の時間に誰でも一度とは云わずmillion timesくらい話題にしたであろう、アレですね。ビートたけしの「コマネチ」じゃないですけど(笑)、女子の体育授業を見ては探して大騒ぎしていたりとか。まあ、つまるところ局部が食い込んじゃってるよ、と。オトコなら、さしづめジーンズのジッパー付近に男根の象られた色落ちしてナンボという世界観もありますが(笑)、出っ張ってきた腹でソレどころじゃないという方も多いのでは!?

左近治は26インチのジーンズが履けなくなったのが27歳の時。今は28インチですけどね。ちょっと前に椎間板ヘルニア患った時看護士さんに驚かれちゃいました(笑)。見かけは細いんですが、血液中は高脂血症になりやすい体質なんで細心の注意を払っております。とはいえカロリー計算ほどではなくカロリーの単位数程度のケアですが。まあそんな話はさておいて・・・

いわゆる「ソレ」をセメントに刻み込む、という表現ですからね。それをさらりと表現して、見よう見まねで愛の戯れを実行しているような、目先の性欲に我慢の出来ない煩悩とでも言いましょうか。そんなシーンをベッカーの曲を聴きながら思い浮かべてしまうワケですな。国内盤が出たらどんな訳し方してくるかが楽しみでもあります(笑)。

ところが、前作「11の心象」はおそらく芳しくなかったんでしょうね。これほどベッカーからの回答がちりばめられているのに、敷居が高すぎたのかもしれません。

ただでさえ日本のCD業界は疲弊してしまっているのに、今作のような素晴らしい作品を前に手をあぐねてリリースの声すら聞こえないようではホントに日本のCD業界終わってます(笑)。オイシイ時期をみすみすLet it goしてしまっているようなものに等しいのではないかと思わんばかり。

いずれは再来日果たした時にでも発売されたりするんでしょうけどね。

まあただでさえマクロ的な視点で見れば、目先の金だけに躍起になっている団体に金渡しておいて、最終的には再販制度を撤廃する流れにするんだから、あと5年くらいでCDも価格破壊が始まる(ダビング10の肉を切らせて骨を絶つというのは、そのための布石)わけですから、いくら利益を生まなければならないとはいえ、チャート物でしかフットワーク軽くできないようではとっとと再販制度撤廃してもよかろうにと思うわけですな。書籍の世界もウカウカしてられませんぞ、と。

メシ食いたいけどトイレも行きたい。ならトイレでメシ食おうとする人は稀有だと思うんですが、趣の違うネタを購読者はカブるだろうからと、余計なネタで紙面を埋めるどこかの音楽雑誌とかですね(笑)。これについてはまた別の機会に苦言を呈するとして(笑)、重要なことは、より良い情報を残しておくにはセメントに刻み込むほどの強い記憶、またはセメントよりも経年変化の少ないものを用いて情報を残す、というこういう姿勢が重要なんですな。

買って半年もすればワゴンで中古セールに売られてしまうようなコンテンツなど誰も刻み込んではいなかった。隆盛期を思い出して勝手にノスタルジーに浸らせようと、一昔前のJ-POPをベスト盤やコンピとして売るという愚かな手法(笑)。ワゴン漁ればその新たなコンピアルバムよりも安く手に入るのではないかと思うのですが、こういうところの思いつきとフットワークしか出てこない産業というのがあらためて終焉の予感を思うわけですね。

音楽マニアにソッポ向かれたら終いですぞ、と。

ただ、四半世紀以上も前から活躍しているアーティストにオンブに抱っこというのは日本だけではなく世界的に言えることで、音楽というのは流行を追っただけの「サウンド面」だけではいつしかソッポを向かれかねず、演奏力や器楽的な心得部分が評価されてナンボということを意味することでもありましょう。

スティーリー・ダンが評価されているのは今に始まったことではないです。ただ、ウォルター・ベッカー個人で言えば大方のファンの間では蔑ろにされてしまっている感は否めません(笑)。ただ、今作の登場で再認識させられるファンは増大すると思われます。歴史に名を遺す名作になるであろうアルバムをみすみす見逃してリリースしないようでは困ったモノだな、と(笑)。一度、大きな変革を味わわないと判らないんでしょうね。

そういや左近治は過去に、米国人の友人に「My Waterloo」って何を意味してんの?と訊ねたことがありまして、その回答は、ワーテルロー(=ウォータールー)の戦いというのはナポレオンが初めて負け戦となったことは知ってる?と云われ、左近治ぁ勿論そんな知識無し(笑)。んで、家庭の中での「ワーテルローの戦いに負けた」というコトだよ、と。

なるほどなあ、と。家庭内における自分の立ち位置。威厳とまでは言わなくとも気になるものではありますな。そこで別の曲では「Everything You Did」のような歌詞が登場するので、スティーリー・ダンのお二方というのは、テーマにする舞台はやはり芯が通ったモノがあるんですな。

「Door Number Two」においても、日本の、パチスロ中毒の主婦の姿をついつい投影してしまって、スリーセブン狙って「3匹の豚」とは、笑いどころなんでしょうな(笑)。「そんなお前が3つ揃った」みたいな(笑)。

楽理面だけでなく、歌詞も実に面白いベッカーの新作。これについてはいずれ詳しく語ります。