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11PMのテーマ考察 [制作裏舞台]

 男女2人ずつ(=計4人)のスキャット・ヴォーカルによるジャズ。曲の冒頭はベースとオクターヴユニゾンから始まる男女混声の旋律なのにやたらとハーモニー感を漂わせます。それはヴォーカルのメロディトーンの動きもさることながらアコベ(Acoustic Bass)のベースラインが大いに貢献しているからであります。

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 中盤の「サバダバサバダバー」からはフルアコも入って来るので真の重畳的なハーモニーはここから濃密度を増すんですが、フルアコが入ってこなくてもハーモニー感を満たしているのがやはりイイですな。フルアコが入ってこない所までは4和音時代の着メロでも表現できるワケですからね。

 この曲の洒落た所はやはり最後の部分でしょうなあ。アコベがダブルストップでD音とA音のハーモニクス音を出す、と。それでいて開放弦以外での最低音すなわち4弦のF音と一緒に和声を演出しております。全体的な和声構造はF7(+9、+11、13)ですけどね(実際には後半以降ドン・ミナシ風のギターも入る)。

 エレキベースならジャコ・パストリアスがやりそうなニクい演出(笑)。ヴォーカルは+11音を唄う、と。実にニクいですな。

 モノラル再生となるとほとんどのケースで左チャンネルのみが優先されます。左右のチャンネルを混ぜたモノラルにすると場合によっては位相が打ち消しあう処理をステレオ・ミックスに使用しているステレオ・エフェクトもあるので、安易に左右の音を混ぜたモノラル音を作ると場合によってはとんでもないことになりかねないんですね。

 11PMのテーマ曲はCDでもリリースされているワケですが、フルアコのトラックは左に振られております。これはやはりテレビでのモノラル放送を見越した上で左に振っているんでしょうね。それらの巧みな演出がさりげなく隠されているこの曲にはあらためて色々なことを感じさせてくれるワケです。

 着うたも再生端末によってはステレオ再生に対応していないものも多いため、着うたファイルを作る時は変換元がステレオかモノラルかでもこうしたチャンネル・プライオリティーがあってコンバートの際に勝手に選んで変換してしまうためモノラルトラックを作るというのは実は意外に神経を使うんです(笑)。

 ある意味、元ソースがステレオの音をモノラル端末用にコンバートする時の音作りというか、チューンみたいなモノが一番神経使う所なんですね。私の場合、安易に左トラックのみ使用とか(笑)、左右チャンネル混ぜただけのモノラルトラックなど一切使っておりませんのでご安心ください(笑)。

2020年11月6日追記

 扨て、2020年の秋にはサントリーのジンソーダ「翠(SUI)」のCM曲にも使われている事もあるので、あらためてYouTubeに譜例動画をアップした上で楽曲解説をしていこうかと思います。
 


 譜例動画に見られる冒頭の4小節部分の一部は、私が付与したコードもあるのでその辺りはご容赦願いたいと思いますが、原曲のコードのそれは、コード進行が意表をつくかのような和声的装飾を形成するというよりもウォーキング・ベースの跳躍のそれが本来ならコード一発的なハーモニーで済まされそうな所に大きな揺さぶりをかけている事からもお判りになる様に、主役はベースの動きなのです。



 無論、真の主役は男女4人の混声スキャットなのでありますが、オクターヴ・ユニゾンで始まるそれは過程にブルー五度(※属音が半音低く変じられる)を生ずる箇所を除けば殆どがFのブルース感が顕著に判る、調性感としては見渡しの利く予見の容易い類の線運びではあります。

 アウトロでは男声が追行句で歌ったりダブルクロマティック下向フレージングでハモっている箇所もありますが、殆どはオクターヴ・ユニゾンであります。

 この予見の容易さに揺さぶりをかけているのがウォーキング・ベースのフレージングという訳ですが、このベースの旋律を基にした私の解釈としては、アラ・ブレーヴェでの二分音符=134ca. というテンポという事です。四分音符換算だとBPM=268近傍という事になるので、速いテンポの状況として解釈しているという訳です。そう解釈せざるを得ないのがベースのウォーキング・ベースのそれだという事です。

 11PMの過去の放送では、故三保敬太郎を取り上げて主旋律のそれが16分音符主体で書かれている様子が映し出されるという放送回もあるのですが、それが三保敬太郎本人の譜面かどうかは不明です。仮に作者本人がアラ・ブレーヴェ解釈ではなかったとしても私の解釈としては本曲はアラ・ブレーヴェという訳です。

 加えて、アラ・ブレーヴェで採らないと1小節内のコード・チェンジ表記が非常に煩雑化を招きかねず、ヴォイシングの再現よりもコード表記の峻別からの演奏解釈が重要なジャズでは、1小節内での表記を煩わしくさせるよりも、2小節で「ゆったり」と書かれる方が拍節感とコード表記を同時に読みやすい筈です。故に、私の解釈はアラ・ブレーヴェという訳です。

 という訳で譜例解説に移りますが、1小節目冒頭は「F7(13)」として解釈します。原曲はハーモニー無しですが、この箇所で重要な響きは [es] と [d] という短七度と長十三度で形成される「長七度音程」を内声に置いた上で、両外声をルートで挟むというヴォイシングの方が彩りが増すだろうという私の解釈に依り、斯様なコードとしております。

 また、記譜上ではヘ長調を基としているブルースであるのなら、メロディーが歌う [as] はコード上からすれば [gis] で採るのが正確な状況ではありますが、Fメジャーという基本の調の上にFマイナーという複調の解釈でも良いだろうと思い [as] で示しております。

 唯、他の箇所で「♯9th」の表記が譲れない箇所では「♯9th」で示している箇所もありますが、それは追って説明して行きます。

 1小節目4拍目弱勢では「F7alt」と表記している理由は、ローズの低音部に置かれる [as] が同義音程としてF7上の「♯9th」として解釈され、2小節目2拍目弱勢までのハーモニー状況は変わらずにローズのオブリガートがブルー五度を採る事でこれが同義音程としてF7上のオルタード・テンション「♯11th」の同義音程として解釈されつつ [ges] が「♭9th」相当するという流れになっている所にあります。

 尚、2小節目2拍目弱勢で生ずるコード「A7/F」は、[f] をルートとする「F△9(+5)」という風に見立てた方がコード表記の体系的には平易な解釈として映りそうではありますが私の解釈はそうした解釈はしません。ベースとしての [f] は強行しているに過ぎず、上声部が複調的に別の調域のコードへ進んだという風にしております。

 つまり、上声部では「F7」というドミナント7thコードが二全音上行という解釈で「A7」へ進み、この状況に先行からの原調の薫りとして [f] が強行されているという状況を想定しているという訳です。

 但し、新たな調域としての「A7」というコードへ着地するのではなく、「F7」というコードの一発の状況に揺さぶりをかける装飾としてのみ彩りを纏わせているだけに過ぎず、直後には再度「F7」何某に戻るという状況にしているという訳です。

 2小節目4拍目で移勢(=シンコペーション)で入る「F7(♯9、♯11、13)」ですが、このコードは本曲の終止和音でも現れる物です。然し乍らメロディーは終止和音と異なり根音重複という形で歌われているので印象が異なるという訳です。

 後述しますが、ドミナント7thコードでのテンション・ノートで「♮13th」と三全音を生じる「♯9th」が併存する時というのは、ドミナント7thコードが元来内含する「♮3rdと♭7th」との三全音とは別に新たに三全音を生ずるので、複調的な作用があります。複調という表現は仰々しいかもしれませんが、復調を前提としたポリコードとしても解釈可能な響きを示唆する物として念頭に置いていただきたい所です。複調感について詳しくは後ほど語ります。

 3小節目3拍目弱勢のコードは「E♭/F」に変わりますが、本位十一度(=♮11th)音を包含するドミナント11thの類型と解釈すれば、それまでのオルタード・テンションとして明示されていた「♯11th」との差異感を演出する為の響きを強調した物であります。

 4小節目は冒頭と同様のコード「F7(13)」となり、茲までの4小節は基となるトニックに若干の揺さぶりをかけつつもメロディーの提示も判りやすい示し方となっており、ベースのウォーキング・ラインもクロマティシズムを強調する物ではなくブルージィーに主音からのテトラコルドを示しているに過ぎない平易な物となっております。ツカミとしてはこれで十分という感じでしょうか。

 5小節目。サブドミナント感の演出の為にコードは「B♭7」および「B♭7(♯9、♭13)」という風にしておりますが、ドミナントへの弾みを付けるオルタード・テンションとしてではなく、あくまでもメジャー・コード上にマイナーの響きが併存する様な装飾としてつけております。

 ベースが [es] を奏するのは後続和音がドミナントへ進まぬ状況を示唆する物でもあり、これにより2拍目での [d] から順次上行の牽引力が増し、6小節目1拍目拍頭 [g] への推進力を増しているという訳です。勿論、その箇所のコードは……!?

 6小節目のコードは「D♭△7」ですが、ベースは推進力を増した順次上行に依りコードとは三全音忒いの [g] へ進む事で、それまでの(1〜4小節目)での予見の容易いフレージングとは裏腹にクロマティシズムの本性を現して来たと言える素晴らしいフレージングとなっております。

 また、この当該部のコードはフラット・サブメディアント(=メジャー・キーに於ける♭Ⅵ度)の和音でありますが、♭Ⅵ度上で生ずるメジャー7thコードの長七度音である「属音」= [c] 音がダイアトニックの仕来りを超えて直前のウォーキング・ベースに依って拍車をかける様にして半音下行として変じます。

 その変じた際、一瞬ではありますが経過和音として「C♭△7」を生じますが、ベースは拍頭で選択した [g] の音から生ずる調域を維持したまま [g] 音が強調される因果関係の音程を維持し乍ら「C♭△7」上で [d] を弾いているという事になります。アプローチとしては複調的である訳ですが、三全音忒いの調域を選択した事で「三全音」という音程を更に縮尺させて「一全音半=セスクイトーン」に収斂して次点で新たに「協和」を標榜するという状況であるが故に、「C♭:D」はセスクイトーンという風となって整合性を保っているという訳です。

 三全音忒いの調域を同種と捉えたり、短三度・増二度などを好意的にセスクイトーンの解釈を進めて近縁に結びつけるそれは中心軸システムを視野に入れているが故のフレージングでもありましょう。

 7小節目のコードは「E♭△7(on F)」という二度ベース。この二度ベースの [f] 音は結果的に直前の経過和音「C♭△7」と三全音忒いであり、ベースのフレージングは直前から [d - f] という風にセスクイトーン上行を用いているという訳です。

 7小節目後続のコードは「A♭6」でありますが、8小節目への後続和音「D♭7」へは下行五度進行を明確に採る状況である為、6thコードの限定上行進行が作用しない状況となります。それでも整合性を採る為に下行五度進行が採られた時の後続和音に「♮11thもしくは♯11th」が付与される事もあるもののこの場合は例外的な状況であり、6th音という明示の実際は7th音の無い13thに等しい状況であるという事が逆に明らかになるという訳です。

 8小節目の「D♭7」は原調のFから見れば「♭Ⅵ度」上のドミナント7thコードではありますが、副次ドミナント・コードに於て主音または属音が変じられてしまう場合(※「♭Ⅱ7」
乃至「♭Ⅵ7」)、そうした状況は局所的乍らも転調あるいは他調の借用として解釈を変える必要があります。

 とはいえ、そうして属音が叛かれようとも後続はスルリと「F7」に戻すという所も二全音調域の転調を局所的に行ったと解釈していただければ良いかと思います。

 直後、その「F7」はオルタード・テンションで更なる装飾を施され「F7(♯9、13)」となる訳です。これがそのまま移勢となって9小節目へと繋がります。

 9小節目は「F7(♯9、13)」のまま。

 10小節目のコードは「F9(13)」となり、♯9th音の装飾はなくなるも、7th音と13th音の2音の転回で生ずる短二度が顕著となる物です。前出の「A♭6」コードは実質的に7th音の無い13th音を標榜する型であった訳ですが、この箇所では明示的に13thとなっているのを見落としてはなりません。


 11小節目のアウトロ冒頭は「Am7(♭5)」ですが、直後に減五度進行と成しているのでクロマティシズムのそれが大胆にコードに現れているという訳です。

 加えて「Am7(♭5)」の調域は、単純な近親関係から類推するに下属調=「B♭」の調域での「♮Ⅶ度」でもありますが、原調はヘ長調でありながらも実際にはメジャー・ブルースを採る事で音階のⅦ度は下主音化して♭Ⅶ度となしているので、「F9」が根音省略となれば「Am7(♭5)」となるのは自明です。

 全音階的に三度上のコードをカウンター・パラレルと呼びますが、カウンター・パラレル・コードへ進行するというのは、ダルマ落としの様な物でもあり非常に静的な物ですが、直後に三全音(この場合は減五度)進行で「E♭m7(11)」を加える事で単なる静的な状況に揺さぶりをかけている事があらためて判ります。

 減五度進行であるので原調の余薫は極力希薄になり、更には減五度進行として着地したそのコードを更にモーダル・インターチェンジをさせているので縁遠い筈の「E♭m7(11)」が呼び込まれるという事になっているという訳です。尚、原曲オリジナルではドン・ミナシ風のギターがこのハーモニーを形成しております。

 12小節目の「F7/A♭」というコード表記を一瞥する限りでは《♭3rdベースなんだ、変わったコードだな》と思われるかもしれませんが、ベースは直後の2拍目で [c] を奏しております。これに依り実質的には「F△/A♭△」というポリコードが形成されている事になり、響きとしてはドミナント7thシャープ9thの7thオミットとも言える訳です。

 但し、ベースのフレージングの自由度の高さのそれが「F何某」の動きとは異なるので分数コードの型として表記しているのです。

 12小節目後続のコード「Fm△7(♯5)」はなかなか見かけない類のコード表記かもしれませんが、ウォルター・ベッカーのソロ・アルバム『Circus Money』収録の「Darkling Down」のイントロにも用いられております。





 嘗てYouTubeの方でもイントロの譜例動画でブルース・ヘプタトニックのダイアトニック・コードとしてマイナー・メジャー7th(♯5)を例示した事がありましたが、今回の場合は移高する事となるので「Fm△7(♯5)」は自動的に、B♭ブルース・ヘプタトニック・スケールのⅤ度上の和音という事を意味します。

BbBluesHeptatonic.jpg


 つまり、B♭ブルース・ヘプタトニックは、原調をFメジャー・ブルースと見た場合、[cis] [dis] が明示的に用いられる事で、原調の装飾に弾みがかかるという事にもなり、[e] は更に下主音から主音へのダブル・クロマティックを補強する脈絡にも繋がるという訳です。とはいえ、本曲では♭Ⅶ度のままの方が都合が良いのでありますが、可能性を拡大している状況にはなっているという事です。

 13小節目最初のコード「Cm7」は原調から捉えればⅤ度がマイナー化している様に思われるかもしれませんが、実質的には調域がB♭何某に変じていると解釈可能なので、「Cm7」は「Ⅱm7」として捉えて差し支えないでしょう。

 そうして13小節目の後続のコードは見慣れぬ「Gdim△7」は、先行和音が「Ⅱm7」として解釈可能であったものの、これをドミナント・コードというのは無理が生じます。「Ⅱm7」という副七の和音をクロマティシズムを持ち来して半音階的に粉飾(装飾)する為の揺さぶりだと思っていただければ良いでしょう。「Cm7 -> Gdim△7」という風に明示的に下行五度進行を形成しているも、「Gdim△7」のメジャー7thが結果的に先行和音との三全音関係を形成している事から、「Cm7」というコードを半音階的社会から揺さぶりをかけた物として捉えるべきでありましょう。無論、このハーモニーを原曲はギターが形成しているという訳です。

 14小節目最初のコードは「Cm△9」。基底となる「Cm」を基としてハーモニーに揺さぶりをかけている事のそれがあらためてお判りになる事でしょう。後続の「Cm7(♭5)」も同様に先行和音に対して七度音と五度音に揺さぶりがかかっているという訳です。

 15小節目の最初のコードは「Fm6(♭5)」は決して「Fdim7」ではありません。コードでは [ces] を明示しつつも男声部のそれを [h] で表しているのは前後の流れに依る物に過ぎないのでご容赦のほどを。

 そうして後続は移勢した「A♭△9(13)」ですが、ベースは男声と随伴する様に平行で半音下行を強行するので [des] を採るのならばコード表記は「A♭△9(13)/D♭」でも良さそうですし、D♭音をルートとする「D♭△9(13)」でも良さそうですが、A♭音をルートとするメジャ7thコードとしておくと、可能性として「♯11th」音の [d] が先行和音の余薫として活かせられやすい音脈となり、D♭△7上では余薫としてすら成立しかねずに [eses] としてメジャー7thコード上で「♭9th」として聴く様な強弁を用いない限りは可能性が閉塞します。そういう意味で私は「A♭△9(13)」の方に主体性があり、ベースは二次的にクロマティックを強行した産物だと解釈しているのです。そういう可能性すら狭めて表すならば「D♭△9(13)」でもアリですが、可能性をみすみす狭める解釈となるので私は回避したという訳です。一応、私も無いアタマをひねって考えてはおりますので、ね(噱)。

 16小節目は移勢後のそれに続いて「B♭m9」が響きます。原調「F」から対照させれば、モーダル・インターチェンジが作用して同主調側である「Fm」らしき薫りが漂って来る様に変化しているという訳です。

 17小節目最初のコードは7度ベースの「Dm7/C」。原調の属音だった [c] がそれまではブルー音度化する事が多かった事を鑑みれば、茲でようやく背を僂める事なく顔を出して来る様に変じて来るという示唆にもなっています。

 そうして17小節目後続は三全音進行しての「G♯m7(11)」へと進むのですから畏れ入るばかり。

 本曲にて三全音進行が多く忍ばされている事であらためてお判りいただけたかと思いますが、機能和声的なカデンツを標榜しないクロマティシズムを強化した世界観に於て三全音進行が発生する箇所というのは概ね、先行和音の揺さぶり(=半音階的な強化)として使われているのだという事があらためてお判りいただける事でしょう。

 機能和声的な尺度から見れば三全音進行など突拍子も無い脈絡な訳ですが、メロディーが複雑な半音階的旋律を動員はしておらず、平易な線運びの所で和音が装飾に装飾を重ねている事の美しさをあらためて吟味していただきたいと思わんばかりです。

 移勢後の18小節目では「G♭△7」はフリジアン・スーパートニックとしての「♭Ⅱ△7」の姿です。後続の「Fm」はフリジアンの「Fm」であるのですが、「Fm」を鳴らした瞬間にFマイナーへと転義(移旋)します。

 つまり、Fフリジアンという解釈を採る必要は無くFドリアンやFエオリアンでも良いのです。但し直前のそれ「G♭△7」がフリジアン・スーパートニックである事に変わりはありません。これは絶対です。

 この際、男声「G♭△7」上で [as] からダブル・クロマティックで下行するのですが、ベースはそれとオクターヴ・ユニゾンするようで、ダブル・クロマティック をやめ、フリジアン・スーパートニックとしての「♭Ⅱ」を弾かずに音を抜いているのですからこの選択は凄い選択です。

 この線形は「G♭△7(on A♭)」と表記してもよさそうですが、ダブル・クロマティックに剥離して行く状況を鑑みれば、上声部のコードの根音に収斂して行くかの様に靡いて行きそうな状況を寸止めしている訳ですから、ベースの側からすれば [ges] へ何としてでも吸着したくない意志が強固に現れている訳ですね。どうせ剥離して行くそれに2度ベースの表記を堅持する必要はないと解釈したので単なる「G♭△7」の表記にしたという訳です。

 そうして素っ裸のマイナー・トライアド「Fm」を見せたかと思いきや、再度装飾が19小節目で「Fm7(11)」と為され、リタルダンドしつつ終止和音として「F7(♯9、♯11、13)」で結句するという訳です。