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オルタレーションから堪える長属九の和音 [楽理]

 扨て今回のテーマは長属九の和音を取上げる事になるのですが、つまりは属七(=ドミナント7th)コードに長九度が附与されている和音をトコトン重視するという観点から今回の様なブログ記事のタイトルとした訳です。つまり、9度音のオルタレーションが邪魔な訳ですね。


 属七の和音が基底和音となっているのですから、後続和音はさぞかし卑近な世界観を醸し出しかねない

「能くある下方五度進行のアレでしょ!?」 などと皮相的理解に陥って欲しくないのです。


 抑も、9度音をオルタレーションさせずに長九度を維持させつつ、その上音に堆積される音(11・13度音)をオルタレーションさせる事で、明確な下方五度進行を行わせるのではなく、モーダルな雰囲気を演出する用例を確認しようという試みが今回のブログ記事の主眼なのであります。即ち、その属和音は下方五度進行あるいは短二度下へのトリトヌス共有の異名同音的進行をしない類の用例を示す事になる訳です。


 とはいえ今回は先行和音の属和音から短三度下の属和音へ平行進行する類の物なので、属七部分だけが単純に短三度下に平行進行するならば、単純にG7がE7という風に長属七が平行短調側の短属七と平行進行している様に映るかもしれませんが、先行和音長属九が短三度下に平行進行した場合は、平行短調側の属和音を長属九に変化させた同位和音の音脈(即ちモーダル・インターチェンジが視野に入る)となる訳ですから、微妙に異なる訳です。


 しかも今回は、長属九を注視しつつ13度音の妙味も見る事になるので注目する事になります。無論その附与される13度音も本位13度である為オルタレーションされぬ物である為、これらを平行進行させる事で旋法的な色彩が演出されるという事をお判りいただきたい訳です。


image-29b08.jpg 今回例示する曲は、スパイロ・ジャイラのアルバム『City Kids』収録の「A Ballad」のイントロ部分です。YouTubeなら多分アップロードされているだろ、と思いきや、こういう肝心な時に限って重要な曲というものが無いというのもYouTubeだったりするのですが(笑)、イントロ部分はそう骨が折れる様なアンサンブルではない為、今回は私がデモを作ってしまいました。まあ、原曲を知らない方にもおそらく曲の雰囲気の8割方以上は原曲の雰囲気もこんなモンであると言えると思うので安心して欲しいのですが、隅から隅までフレージングまでコピーしている訳ではないのでその辺りはご容赦を。



 扨て本題に戻り、原曲「A Ballad」はジェイ・ベッケンスタイン作曲に依る物。このアルバムの参加ベーシストはマーカス・ミラー、ウィル・リー、エディ・ゴメスという錚々たるメンバーなのですが、マーカス自身も結構良いプレイをしているにも拘らず、このアルバムのメンバー・クレジットは帯にもアルバム裏ジャケにも明示されなかった事もあって、クレジットを気にして購入する特に「マーカス狙い」の人からは避けて通られた様な所がある為、意外にも高い評価を得ていなかったりする嫌いがあります。

 マーカス・ミラーが参加しているからといって総じて良いアルバムに仕上がる訳ではないのですが、80年代前半のマーカスというのは、その名前があるだけでアルバムの売上には大きく貢献していた所もあります。そした貢献度を背景にした一般的なアルバム評価の正当性とやらに私は疑問符を付けたいスタンスを採るひとりでありまして、本アルバムはマーカス・ミラーの名がデカデカと明示されておらずともマーカス不参加の楽曲のクオリティの高さを思う存分満喫できるアルバムであります。


 とはいえ、音質的に食いつき易いマーカス・ミラーの音に耳が真っ先に行く様な人は、楽曲アンサンブルや和声的な側面をきちんと捉えていない傾向にある為、そういう聴き方ばかりを是としたくない私は、やはり和声的に耳を鍛える事を主眼に置きたいので、マーカスには少々辛辣な言葉を並べてしまいがちですが決して他意はありません。で、この曲のベースは!? というとエディ・ゴメスです(笑)。マーカスのスラップをアテにしている人からすれば対極にあるベースかもしれませんが、そんなんでガックリ肩を落とす様な人に言い度い。和声的な耳、もう少し鍛えましょう(笑)。


 この曲に出て来るコードで気を付けたいのは、「D7(9、#11、13)」というコードが出現する前の総ての和音は「omit 5」すなわち5度省略のヴォイシングだという事です。

 冒頭の和音はF7(9、13)と表記しておりますが、これはC音が省略されているという意味です。其の後のD7(9、13)もA音が省略されている訳です。


 通常、ドミナント7thコード上でオルタード・テンションというオルタレーションを生じている時、杓子定規的に必ずしも5th音を省略する必要はありません。寧ろジャズの世界であればオルタレーションを生じた事で基底音とぶつかる音程として「半音」または「長七度・短九度」が生まれ、概ねそれらは半音か長七度に転回させてヴォイシングする事でしょう。そうした重々しい旨味をたっぷり含んだ和音の響きになりやすいので、ジャズの場合はオルタレーションを生じている場合ならばそうした「ぶつかり合い」を寧ろ好意的に使う音楽観の方が必要とされる事でしょう。


 しかし先の場合はオルタレーションを伴っておらず、転回すればこそ半音が生ずるのは属七としての基底和音である短七度音と長13度音でしかなく、この響きを際立たせる為には本位5度は特に必要はなくなります。5度がオルタレーションしているのならば省略しなくても構わない訳ですが、茲で省略するのはいわば定石通りの省略とも言えるでしょう。


 先述の通りコード進行はF7(9、13)→D7(9、13)→F7(9、13)→と繰返し、4つ目で「D7(9、#11、13)」が出て来る際、私はそれを「C△7aug / D△ = Dリディアン・ドミナント7th」という風に併記しております。これにて、こうしたアッパー・ストラクチャーの体にてどういうモード想起が為されているか!? という事がお判りいただけるかと思います。デモを聴けば判る様に、メロディック・マイナー・モードを強く示唆している音選びだという事はお判りいただけるかと思います。

 それまでの一連のコード進行に於ては5度音オミットは兎も角、11度音の無い13度和音であった訳ですが、長九度を坐す体であっても、メロディック・マイナー・モードのⅣ度を強く示唆する増11度音を易々と使わない所に、旋法的な移ろいを感じさせてくれる訳ですね。無論増11度音の呈示があってもそこには別の移ろいが待っているという響きが演出されているのですが。


 そうして暫くすると2度ベースであるonコード表記に依る「A♭△7aug(#11) (on B♭)」という表記のコードが表れます。つまりこの和音の5度音は「常に」増五度である事を示し、その和音に対して「add #11th」という状況を示しているのです。母体となる和音がここではドミナント7thコードでは無く、「増和音」である事を見遁してはいけないのです。

 能く、「aug」表記を「♭13th」と混同している方を見掛けますが、それらの音を単音で鳴らせば同じ音ですが出自は全く異なる音でして、オーギュメンテッドである増五度は決して♭13thではありません。


 亦、このonコードの側の音=B♭音に「根音」らしさを見出してしまい、B♭音を根音にしたドミナント7thコード某《なにがし》を求めてしまう様な誤った理解に陥るジャズメンも実は少なくないのも事実です。しかし仮にそうしてB♭音をドミナント7thに求めてしまったとしても、アンサンブルには全く表れてこないF音を茲では、それまで脈々と続けて来た5度音省略と同様にしてB♭7(9、#11、13)と見る方が正しいのではなかろうか!? という声もあるかもしれません。


 この曲では殆どのシーンで5度音省略が生じているから、「A♭△7aug(#11) (on B♭)」を「B♭7(9、#11、13)」に置換可能という状況にしているだけの事で、それまでの表記からすれば「B♭7(9、#11、13)」は確かに読みやすいかもしれません。しかしそれでも「A♭△7aug(#11) (on B♭)」の表記は、これ以上でもこれ以下でも無い和音の構成音をきっちりと伝えている物であり、限定進行音の誹りを受けない属和音の第5音にジャズが易々と乗っかってしまい、それでいて♯11thとonコード表記の両方のカッコ(括弧)が併存しない併記を好むが故に、B♭音を根音とするドミナント7th側の表記に倣って了うのは問題があると言わざるを得ません。


 卑近な5度音を常にオミットしているという重要な注釈を抜きにして今回のコード表記は語れない訳です。ですからコード表記などに安易に乗っかって了って譜読みを軽視してしまう事の方が本来は避けられるべきであるでしょうが、体系化が進んだジャズ/ポピュラー界隈では、それこそコード譜とモード呈示とハーモニック・リズムさえ大雑把に書いてしまえばそれで事が足りるシーンも無くはありません。とはいえ、たったそれだけの理由で5度音省略を念頭に置けという注釈を、同様のコード表記が全く別の曲で出現したからと言って、その現場では5度音を特段省略しなくても構わないシーンであったとしたらそれは別のシーンで通用しない、若しくは求められていない事でもあったりする訳です。

 寧ろ、オルタード・テンションが用いられてない時でもジャズ・シーンでこれほど思慮深く5度音が省略されているシーンの方がレア・ケースだったりする訳です。5度音を省略しない事で得られる♭13thや#11thとの半音・長七度への転回でヴォイシングするというのは多くのジャズメンが嗜好する響きであるが故の欲求だというのは先述の通り。オルタード・テンションが在る・無いの理由で、安易に、たった一つのシーンが己にとって印象的な用例だったからと言って愚直な迄に他のシーンでも応用するというのは馬鹿げた事であります。


 ひとつの和音でも多様な解釈がある事、それらを総じて俯瞰していなくてはならない立場である筈なのに、俯瞰した見方で状況を捉える事ができない物だから、一方では相容れず他方で相容れるという日和見論を展開する様であってはいけません。勿論ジャズの、多様なキー解釈に依って「日和見」とは至極当然かもしれませんが、その柔軟性の為に坐してはいけない音の存在というものはある事を判ってほしいのです。


 扨てそうして次のコードは、単にG/Aという表記でもよかろうに、と思しき「G△ (on A)」という二度ベースが表れます。非常に多くの誤解を伴わせた解説を繰り広げる水野正敏の著書では殊に分数コードとonコード表記の違いに依るそれを明示しておりますが、私の解釈では逆になる事が多い物で相容れる状況は限られて来ます。

 水野正敏の著書『水野式音楽理論解体新書』155~156頁では示唆に富んだonコードの解説が書かれております。この部分は、ジャズ/ポピュラー界隈において多くの誤謬を広く敷衍させている氏からすればとても首肯し得る表現ではあるのですが、まずはそれを紹介しましょう。

 「ベース・ラインがもう一つの旋律として独立して作るというカウンター・ライン(対旋律)のような物」

 これは非常に良い表現であります。つまりG△ (on A)とある場合、上声部は概ねGリディアンを想起するのだから、それに付随するA音とやらは、大概のケースならばGリディアンの第2音=A音がベースにあると考え勝ちなのですが、水野正敏のいわんとする事は、決して上声部のモードに捉われる事のない想起を意味した表現であるので、A音を愚直にルートを刻むだけではなくフレージングさせた場合、何もAミクソリディアンからのモードを充てなくても良いという可能性を示唆した表現であります。


 もしも下声部が a - cis - b(=B♭)とフレージングした場合、G△ (on A)でのA音側は少なくともAミクソリディアンに相当するモード想起には拠らない物であるという事が読み取れるという物で、この解説は彼には珍しく良い表現であると言えます。


 然し乍ら、これは下声部に分数コードとして表記する際に、下声部のコードもサフィックスを指定してあげたり、また、モード想起が幾多の想起が可能な状況としている際(上も下も自由)な際というのは、モード・スケールがリディアン・クロマティック・コンセプトの様にリディアン属して括られる幾多のスケールを多く見込むのではなく、きちんとした「アウトサイド」な音脈を想起しておくには、単純に多くの可能性を持ったテトラコルドを想起して、それらの幾多のテトラコルドの組合せを用意しておきつつ、ベースというのはそれらのテトラコルドにも括られない自由な音脈をフレージングする、という事が多くなって来るので、「対旋律」というカウンター・ラインという表現には深く首肯し得るも、決して一つのモードに括られるものでもない(※特にアウトサイドしたウォーキング・ベースがそう)可能性が多岐に渡り、それでいて上声部が制限される場合では決してonコード表記ばかりがその自由度を持っているのではないので、私は、水野正敏の先の表現においても、通常の分数コードとonコードの取扱に於ては尊重すべき点ではあるものの、上声部と下声部で異なるモード想起が頻繁に生ずる私のブログで展開する様な世界観の場合、下声部の世界でもモード想起が一義的になる事はないので、私のブログを隈無く読めば、下声部でも分数コードでサフィックスを呈示する事の方が判り易くなるという状況も多いので、その辺りを混同することなく理解してほしい部分でもあります。


 分数コードで下声部をコード・サフィックスで呈示した場合、それがdimやaugという変化和音形でない限り、完全五度を示唆する音を含む音を示している事になります。G△/A△ならば、A△は間違いなくA音だけではなくC#・E音を示唆しているのであります。

 では、下声部のA音側の音が a - dis - b(※B♭)とフレージングしている場合、爰に「A△」という表記に拘泥する必要は稀薄になります。こういう時、A某というモード・スケールを私は併記するのです。勿論こういう時は非チャーチ・モードでありモード・スケールのそれも一般的には見慣れない類のものであったりするでしょう。


 ですから先の「G△ (on A)」というのは、本当はこのA音側の世界は「もっと遊んでいい」筈の事を示しているのですが、A△に依拠するだけの音選びだけでない世界観を想起するのであれば、私はモード・スケールをもっと重視させる様にして譜例に併記している、という事を意味している上での表記なのですが、今回はこうして「G△/A」としてはいない訳です。デモそのものはA音しか弾いてませんけどね。

 私の場合は、下声部にコード・サフィックスと下声部に別のモード・スケール解釈の併記を行う事で、「onコード」の表記だけで済ませている場合は、それそのものが単音である可能性の方が多くなってしまう訳です。それを混同しない様にと配慮している表現なのです。私が深く配慮している時の表記は必ず併記しておりますので。


 まあ、そうしてデモはD△9で一旦終止する訳ですが、「全信連♪」としたのは単なるギャグです。私の記憶が正しければ全信連のCMソングのジングルはE durでのロ音と嬰ト音に依る物で全音高く移調しなくてはならないと思いますが、まあ移調させて脳裡に映じてギャグを堪能していただければ、と思います。