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ジョン・パティトゥッチ「Baja Bajo」に見る近代和声 [楽理]

 パティトゥッチの1stソロ・アルバムはベーシストという枠組みを超えた極めて高次なハーモニーを聴かせてくれるアルバムであり、そうした難しいコード・ワークの中でもインプロヴァイズを披露する所にパティトゥッチの凄さをあらためて思い知らされるのでありますが、今回取り上げる「Baja Bajo」のコード・ワークも是非語っておかなくてはならない側面があろうかと思うので、あらためてその和声観の凄さを語って行こうと思います。

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 近代和声と称するからには相当に重畳しい和音であろうという事は皮相的乍らも感じ取っていただきたい部分でありますが、近現代の音楽が辿って来た和声の特徴の最たる物は、調性など一元的な方ばかりを向いていないというのが大きな特徴でありましょう。

 和声的側面で「一元的」な社会観を墨守するという事は、カデンツというトニック、ドミナント、サブドミナントという機能に「遵守」してこその音楽社会観であるので、属和音以外の副和音で三全音が包含されていよう物なら、人中に掌底喰らう事など甘受せねばならない程の愚行と烙印をつけられ罵詈雑言が飛び交うのは已むを得ない所でありましょう。

 処が近代和声というのは、そうした枠組みを飛び越えてありとあらゆる方から音脈を拝借して来ての和声的状況を構築するので、副和音でも三全音を生じたりする様な和音など何ら珍しくもありません。

 メジャーとマイナーが混在していたり、短七度と長七度が混在していたり、完全五度と増四度が混在していたり、減七の和音に短九度が付与されたり枚挙に遑がありません。

 こうした和声的状況を生む最大の理由は他調の音脈が視野に入っているが故の添加なのであり、結果的には複調の断片を見るという所に収斂する訳です。

 そうした複調的な状況をひとつの和音から眺めれば、和音体系としてはひとつの型に収まるものですから、そうした体系から眺めてしまうとついつい複調という側面を忘れてしまいそうになるものです。複調を明示せずとも、和音という側面だけで「他の音脈」を利用しようとする世界観があるという事を念頭に置いた上で「近代和声」という物を知っていただくと、柔軟に理解に及ぶかと思います。

 アーサー・イーグルフィールド・ハル著『近代和声の説明と応用』やヒンデミット著『作曲の手引』には、今猶和音体系として新しく眼に映るであろうという和音が紹介されおります。そうした分類にあらためて驚いて欲しいのでありまして、ジャズ方面でもそれを活かそうと試みる人が存在しているという所にも同時に注目してもらいたいのであります。


 それでは譜例動画解説と参りますが、楽曲冒頭の2小節はヴィニー・カリウタに依る付点十六分音符および付点十六部休符を巧みに用いたフィルインが絶妙であり、相当に難しいフィルインで後世に残るドラム・フレーズのひとつであろうかと思います。




 そうして3小節目は3つのコードに依るポリコードで「G7/Cm/C△」という仰々しい表記のコードです。このコードは「主和音上の属七和音」という解釈を念頭に置く必要があります。

 主和音上での属七という状況での和音の特徴としては、主音から見た七度音相当の音が導音となるので長七度=メジャー7thという事になります。同様にして属七の五度音は主和音から見て長九度に相当し、属七の七度音は主音から見て本位十一度という事になります。属七の根音は主和音の五度音とのコモン・トーンであるので特に説明は必要無いかと思いますが念の為に触れておきました。

 この状況のままであるならば、マイナー・メジャー7thコードに長九度と本位十一度音が添加されたという風に見なしうる事が可能なのですが、本曲のそれが厄介なのは、主和音から見た増九度相当(=♯9th)の異名同音である♭3rdも併存するという状況であるため混迷を極める訳です。

 つまり、C音をルートとするコードとして想定すると和音構成音は [c・es・g・h・d・es・e・f] という状況となる訳で、[d] 〜 [f] 間に半音音程が凝集している状況でもある訳です。

 原調はハ短調(=Cm)である事から、同主調の主和音と属和音が原調の主和音で鳴らされるという複調の状況なのです。

 同主調同士の和音を渾淆とさせ乍ら属調または属和音の音脈を使う様な多調性の和音を巧みに使う作曲家で顕著なのはシャルル・ケクランを挙げる事ができるでしょう。マーラーの時代から複雑な和音というのは既に存在しておりましたが、いずれにしても原調のみを視野に入れた全音階の最大の音はヘプタトニックであるので7音が最大となる訳ですが、往々にして複調を視野に入れた時の和音というのは7音を優に超える事など珍しくありません。

 本曲の場合、そのポリコードの構成音の数は偶々7音で収まるものの、C音を根音とする属和音を想定する訳には行かず、複調を視野に入れざるを得ないというコードなのです。

 また、このポリコードのヴォイシングは譜例動画初稿時のそれが誤っていた事に気付き、今回あらためて修正してアップロードをし直したという訳です。

 ピアノ・パートのヴォイシングは低い方から [g・c・e・h・d・es・f] という風になっているというのが特徴です。

 扨て、同小節3・4拍目でのピアノは〈思いもよらない〉和音外音 [his・cis・fis] を生じているのがお判りかと思います。私は当該箇所を「嬰ニ短調」の音階の第6音が変じてドリア化したそれがスーパーインポーズとして現れている物と解釈しています。

 つまり、ハ長調・ハ短調を纏めている夫々の属七というバイトーナル(複調)・コードに加えて更にセスクイトーン(1全音半)上方の調域となる嬰ニ短調が二声に依る線的なスーパーインポーズという多調の状況として解釈しているので、先の仰々しい [his・cis・fis] が表されているという訳です。異名同音ならば [c] に対しての経過和音としての [cis・fis] を生じているだけの様にしか見えませんが、[cis] を生ずる調的な揺さぶりが、単にハ短調やハ長調の調性感に揺さぶりをかけただけの音脈には到底思えず、こうした判断に至ったのであります。

 なぜなら、短和音および短音階を基とする状況に於てセスクイトーン上方に同種(短旋法)の調域をスーパーインポーズさせた場合、基となる原調から宛てがわれた音脈として顕著に現れるのは「♯4th」であるからであります。

 ポピュラー音楽に於て、短和音(マイナー・コード)を基にした「♯11th」のテンション・ノートが付与されているコードを見るのは極めて稀な事でありましょう。然し乍ら先述のハルの著書『近代和声の説明と応用』には、そうした和音が例示されており、非常に凝った和音を使うアーティストはマイナー・コード同士のポリコードの1種としてセスクイトーン上方にあるマイナー・コードを宛てがって用いたりする事があります。こちらの方でも珍しい用法ではありますが。

 例として、基となるマイナー・コードに「Cm」があると仮定した時、そこに「E♭m」もしくは「D♯m」をスーパーインポーズさせた時に、C音を基準に見れば「♭5th or ♯4th」を生ずるのはお判りいただけるかと思います。

 つまり、セスクイトーン上方の調域にはブルー五度相当の音を随伴させ乍ら、この新たなる短音階の各音をムシカ・フィクタさせる事で非常に多様なフレージングを可能とする音脈を得る事になるという訳です。

 斯様な解釈を採った為、「B♯、C♯、F♯」を生じているので面喰らわない様あらためてご容赦願いたいと思います。

 そうは言ってもジャズ・ヴォイシング。頻々に調性を変じて来るのは日常茶飯事の事。複調アプローチが顔を出したと思いきや直ぐ様副次ドミナント(セカンダリー・ドミナント)が4小節目1拍目で生じての「A7(♭13)」。和音構成音的には「A7aug」にも近しい訳ですが、5th音との併存でのジャズ・ヴォイシングである為オーギュメンテッド・コードと混用する訳にはいかないのです。

 ドミナント・コードのテンションおよびオルタード・テンションの取扱いに際し能くある誤謬を正しておきたい事があるのでその辺りも述べておく事にしましょう。

 ドミナント・コードにおけるテンション・ノートの取扱いとやらは、その名称そのままが西洋音楽フィールドで用いられている訳ではないものの西洋音楽の「正統な」仕来りのひとつである〈テンション・ノートを用いる時の5th音省略〉という状況をポピュラー音楽フィールドでも理論的に真に受けすぎてしまい頭でっかちで応用の利かない人は概してオルタード・テンション使用時に愚直なまでに5th音を省略してしまう陥穽に嵌る人が少なくありません。

 然し乍らジャズ・フィルードではそうした省略は誤謬に過ぎないのが実際でありまして、ジャズ・ヴォイシングの骨頂を少しでも堪能している方ならば〈♭13th音と♮5th音とで生ずる短二度音程および長七度音程〉という物を好んで多用するのが実際です。

 そもそも「正統な体系」に於て基底和音が持つ5th音を和声的に省略せよと教える理由は、その旋律形成の為に、とある楽器パートは少なからず和音の根音から五度音への上行または下行を目指して形成している筈(※必ずしも順次進行ではない)であり、それに態々重複させる事を回避しつつ和声的状況を形成する為の方策であるという理由がまずひとつ。

 更に言えば、四声部書法(バス、テノール、アルト、ソプラノ)という仕来りでも五和音および六和音の状況を毀損する事が無い様な線的形成と和声形成に於ては、如何なる状況であっても4音で示さなくてはならないというシーンでは必ず割愛される音があるというジレンマに陥りかねない状況があります。

 こうした状況下での5th音というのは、根音が随伴させる上方倍音がサポートするので省略可能でもありドミナント・コードでの和音構成音から生ずる各音程での結合差音が5th音を累積する事にも端を発しており、科学の発展が未成熟な頃からこうした智慧で施して来た手法を遵守するが故の仕来りなので、5th音を省略しても構わないという事なのです。

 無論、5th音の省略が結合差音という科学的側面でも証明されるのはヘルムホルツ以降ヒンデミットの証明を俟つ様にはなるものの、西洋音楽での半音階的全音階社会でのその様式は科学的な正しさがあらためて証明されたという事が後年判るという意味なので、タルティーニ以前から体系が結合差音を知っていたという事ではありません。

 こうした背景を熟知していればまだしも、四声部書法で書く必要のないヴォイシングでジャズ・ヴォイシングを施した方が遥かに重畳しい豊かな響きを得るにも拘らず、愚直なまでに皮相的理解におよぶだけの根拠の薄弱な側面から体系のそれに遵守しようとするそれは実に愚かな選択に過ぎないなのであり、こうした側面で「augも♭13thも一緒」かの様な莫迦を生んでしまうのは今も昔も変わらぬ姿ではあります。

 ですので、こうした誤謬に惑わされる事なくジャズ・ヴォイシングの「実際」を知っていただきたい所です。

 それでは本題の4小節目に戻りますが、先述のコード「A7(♭13)」が増和音としての型ではない事をお判りいただけたかと思いますが、本コードの直前までは複調を駆使しつつも原調の姿であるハ短調としての姿は常に色濃く存在している様な立ち居振る舞いであるのが本曲の特徴でもあるので、換言すれば常にハ短調の強い薫りが方位磁石の様に示すからこそ、過程で色々な揺さぶりをかけられる状況でもあるとも言えるでしょう。

 そうして「A7(♭13)」が♮Ⅵ度でしょうずる副次ドミナントである事を思えば、それがドミナント・モーションを採る事も予想できますが、全音下行としてⅤ度の「Gaug7(♯9、13)」へと進むというのも興味深い点です。なぜなら、A7何某が下方五度進行を採るとした場合、「D何某」へ進行した後にⅤ度のドミナントへと進行する筈です。

 つまり、経過的に生ずる筈の下方五度先を飛び越して全音下行というパラレル・モーションにて進行を成立させているので、ハ短調という強い残り香の状況下で、凡ゆる音度で生ずるドミナント7thコードが調的なそれを揺さぶる単なる材料としてドミナント7thコードの和声的キャラクターを使っているだけという事をも意味します。ブルース的な使い方でもありましょう。

 一般的な機能和声社会でのカデンツに於けるコード進行の流れとは、機能毎での各和音の根音(ルート)は後続和音の上音(概して第5音が多く、次点で根音以外の上音に生ずる和音構成音)に取り込まれる物です。

 後続和音にて先行和音の根音の取り込みよりも平行進行が優先される時、全音階的な世界観とは異なる状況では転調感或いはモーダルな状況を生ずる物です。

 ドミナント7thコードを使っての「モーダル」とは最早自家撞着であるので、この場合、多彩なる遠隔的な転調感を随伴させていると形容した方が良いでしょう。

 全音階的であってもそれがモーダルな状況というのは、ハ長調で喩えれば「Dm7→C」という、ドミナントを経由しない2コード循環進行など。コードは全音階に倣っているものの、進行のそれがモーダルになるという事です。それはドミナントを経由しないからであります。

 ドミナント・コードであろうとそれがⅤ度に現れない状況を多数駆使するという事は、局所的な転調を呼び込んでいるとも言える訳です。

 そうして同小節4拍目弱勢にはフォルツァンドが現れ、直後に5小節目からの移勢(シンコペーション)となる見慣れぬコード「Cm7 omit3」が現れます。

〈コードの第3音はメジャーかマイナーかを決定づける重要な音なのだから、そこで第3音を省略してコード・サフィックスはマイナーを維持するってぇのはアタマおかしいんじゃねーか!?〉

上述の様に思われてしまいかねないでしょう(笑)。然し乍ら前回のブログ記事でも語った様に、コード表記というものは背景に伴奏として奏される響きとして総合的な判断で形成される為の「方便」である為、和声的な状況を作り出す伴奏の側が一切合切コードの第3音を奏する状況でなくとも、和声的なパートとは異なるソロ楽器やボーカルなど旋律を形成するパートがコードの第3音を奏するのは構わない訳です。

 伴奏となるバッキングではパワーコードのみであるにも拘らずソロのギターまたはボーカルがコードの第3音を奏している事でコード表記が決定づけられるというロックの状況を照らし合わせてみれば判りやすいと思いますが、コード表記とはあくまでも如何なる楽器編成・形態・ハーモニックリズムであろうとも和声的な状況を総合的に補完する役割でしかないという事を勘案する必要があるだけに過ぎず、そうした状況ですらもマイナー・コードである表記を維持するのは旋律形成の為に必要な表記であると同時に「omit 3」という表記は和声形成には必要のない音という事を示した物であるという意味になるので注意が必要な表記である事はあらためてご容赦願いたい所です。

 5小節目3拍目は「G△7(♯11)」。通常ならばリディアン・メジャー7thなので長音階のⅣ度上で生ずるコードです。短調を基とするならば♭Ⅵ度であるフラット・メディアント上のコードなので、原調とするハ短調を基準にすると調域が半音ずり下がる(=ハ短調の♭Ⅵ度上のコードはA♭△7であるが故にGリディアン・メジャー7thは調域が半音忒いとなる)という状況でもある訳です。

 とはいえ調域が大胆に半音下がっている様には聴こえず、寧ろ長七度音= [fis] の存在がその後のブルー五度相当(=ハ短調の短音階上の♭5th相当となる音)の登場を暗示する様に用いられており、その直後に「G△7(♯11)/A」という2度ベースに変化する事で、実質的には短調の「♭Ⅲ/Ⅳ」の型としてあらためて変じるので、この2度ベースの調域はホ短調(=Em)がEメロディック・マイナーへと変じたモードへと移旋(=モード・チェンジ)していると捉える事が可能なのです。

 更に言えば、複調アプローチでの和音ではセスクイトーン上方の調域へ変じ、本箇所では属音のセスクイトーン下方の調域として揺さぶりをかけているという訳です。

 6小節目では先行の2度ベースが下方五度進行を採る事でハ短調のⅡ度の和音が副次ドミナント化して「D7(♯9)」というオルタード・テンションを纏うのですが、突如として「Dm△9/G」という風にDメロディック・マイナー・モードに於ける「Ⅰ/Ⅳ」の型へと変じるのですから畏れ入るばかりです。そして後続の「Cm add9」として7小節目からの移勢として一旦の解決を見るのですから、なかなか凄いコード進行であります。

 こうした思わぬ方向への移旋を幾度となく介在させているにも拘らず、その移ろう世界観に耳が追従するのは、原調の残り香が強く薫る世界観として聴かせるからでもあります。その強固な原調の存在があってこそ調的な揺さぶりが効くのであります。

 7小節目3拍目弱勢で生ずるコード「A7(♯9、♭13)」は、4小節目で生じていた「A7(♭13)」が更に粉飾されて「♯9th」が添加された状況であります。

 加えて後続8小節目1拍目弱勢で生ずる「A♭7(♯9、♭13)」は、その直後の同小節3拍目で生ずる「Gaug7(♯9、13)」との間に介在する経過和音の様に介在するのですが、単に和音間を半音でパラレル・モーションとなる物ではありません。

 先の4小節目での「A7(♭13)→Gaug7(♯9、13)」では下方五度進行を介さずに全音の平行としてドミナント7thコードがスケール・ワイズ・ステップ状態となっておりましたが、8小節目で生ずる「A♭7(♯9、♭13)」は後続の「Gaug7(♯9、13)」のトライトーン・サブスティテューションとして働いているのです。つまり、「D7何某」のコードの三全音代理として介在しているという訳です。

 A7(♯9、♭13)とA♭7(♯9、♭13)のそれぞれの和音構成音は同一であるものの、譜例を見れば一目瞭然でありますがヴォイシングが単に半音でパラレル・モーションを起こしている物ではなく、実は多様な経過和音としても見る事の出来る気の利いた介在なのです。

 下方五度進行若しくは副次ドミナント・コードの三全音代理を忍ばせて来ているという事は、調的な状況を明示化しようとしている狙いがある為で、やがて帰着するであろうハ短調の主和音への道筋を強固にすべく方策として「A♭7(♯9、♭13)」を辷り込ませているのは明白であります。

 尚、「Gaug7(♯9、13)」でのピアノの高音部の3連符は符割が非常に仰々しいですが、1拍3連符の2・3つ目のパルスがルバートな感じという風に感じ取っていただければ判りやすいかと思います。

 そうして9〜11小節目は先の4〜7小節目とコードは同様の物となります。但し、「A♭7(♯9、♭13)」が介在した事で「Cm add9」への解決は非常に強固な感じで調的な情感が深まっているのはお判りかと思います。

 12小節目から登場するAテーマへ架かる2小節のブリッジの最初のコードは「A7(13)」。これについては特に触れる必要はないと思いますが、和声的な筋立てとしては「♮Ⅵ→Ⅱ→Ⅴ」を企図しているが故の♮Ⅵ度(※短調を基とする場合はシャープ・サブメディアントと呼ぶ。この調域の呼称についてはシェーンベルクのそれを援用)上のコードが登場するという訳です。

 同小節3拍目弱勢で現れる「C♯△/D7」は実に不可思議なポリコードであり近代和声を象徴するコードが顕著に現れて来ます。分母側となる低位のコードの「D7」から七度音が無ければ、半音忒い(または長七度忒い)でメジャー・トライアドが生ずるペレアス和音と同等ではありますが、低位に備わる和音がドミナント7thコードの場合、私の解釈としてはこれをペレアス和音とは呼びたくありません。

 本コード「C♯△/D7」は表記の上から見ればポリコードであるものの、このコードは実質的には減十五度のテンション・ノートを具備したドミナント7thコードのマルチ・オクターヴ解釈に伴う音脈と解釈する方が自然でありましょう。

 ニコラス・スロニムスキーが取り上げた ‘minor 23rd’ コードというのは、その後エドモン・コステールが半音階の総和音として取り上げ、それを国内で初めて紹介したのが芥川也寸志。その時の訳語が「属二十三の和音」です。その後コステールの著書『和声の変貌』が刊行される時に「属二十三の和音」という呼称がそのまま援用されたという日本国内での例があります。

 この「属二十三の和音」は、恣意的に3度音程を維持しながら和音形成を試みて半音階の総合として構築した場合、3種類のドミナント7thコードを内含する事になります。[g] 音をルートにすれば「G7」「F7」「G♭7」と順に積み上げられる状況で、3種類のドミナント7thコードのポリコードともみなしうる事が可能となる訳です。

 いずれにしても、3度音程を重視して和音形成を重ねれば、調的な材料である属和音が3種類も具備する状況というのは興味深い物で、「G7」の次点に優勢に現れるドミナント7thコードは「F7」という全音忒い(短七度忒い)という状況が「全音階」的であり、更に次点の「G♭7」という半音忒い(長七度忒い)の登場は「半音階」的である事を暗々裡に示唆している訳で、半音階的状況を生むそうした状況は当然の如く「半音階の総合」を担っているという訳であります。

 ドミナント7thコード上のテンション・ノートの扱いに無頓着或いは耳の習熟能力が高まっていない人からすれば、ドミナント7thコードは下方五度に存在する主和音への帰着を一元的なほどに強固な引力を感じながら楽曲を耳にするかと思いますが、ドミナント7thコード上で凡ゆるオルタード・テンションに馴染んだ方からすれば、ドミナント7thコードこそが不協和音の骨頂なのであるからしてドミナント7thコード上の凡ゆる不協和な状況での減十五度=減八度その異名同音である長七度相当の音を添加させてもドミナントという不協和な状況を毀損しない事に気付く訳です。毀損すると言えば、ドミナント7thコードという聴き慣れた属七和音のそれを毀損しているだけの事に過ぎず、聴き慣れぬ属七に添加された和音が不協和であればそれまたドミナントとして機能する訳です。

 減十五度の添加の最右翼となる顕著なジャズメンはハービー・ハンコックでありますし、バリー・ハリスの理論にも減十五度を音脈としたり、プロコフィエフが既に用いていた事を勘案すれば、スロニムスキーの援用もあらためて先蹤拝戴という事から体系に配慮した物である事があらためて判る例となる訳です。

 見慣れぬコードはついつい懐疑的になってしまう物ですが、属和音での減十五度の取扱いが明示的になるだけでも、本曲でのブリッジでの例は貴重な例のひとつであるとも言えるでしょう。

 斯様な例を勘案すれば「C♯△/D7」というコードは実質「D7(♯9、♭13、♭15)」とも解釈が可能になるという訳です。コードが進行する筋立てとしては減十五度である [des] が、後続の13小節目から移勢された「G7(♯9、♭13)」での♭13th音 [es] へと進む状況ともなっている訳です。

 こうした「重石漬け」により13小節目での「G7(♯9、♭13)」のドミナントは一層弾みが付いてコントラストを増す様に存在するという訳です。

 そうして14小節目からの移勢となるAテーマ冒頭のコードは「Cm11」。主和音でのマイナー11thコードの響きは実に猛々しく響くものでありまして、マイナー・トライアドが単に正面だけを向いた弱々しく物悲し気な感じだとするならば、マイナー11thコードは、7・9・11th音を武装して脇目も振らずに横の方にも存在する人々までを睥睨する様な「圧」を感ずる様な、そうした雰囲気を私は常々感じております。

 14小節目3拍目のコードは「Fm9/B♭」という短音階での「Ⅳ/♭Ⅶ」となる4度ベースの型であります。アッパー側のコード「Fm9」が示す行き先を調的に鑑みれば、内含する [as] は下行導音として後続には [g] を目指す訳ですが、4度ベースという暈滃がどうもそうした調的ではない方向へ進もうとする示唆がある様に感じ取れる訳です。

 そうして15小節目から移勢されるコード「G♭△9(on A♭)」が示す様に [g] は叛かれ、本来調的に進もうとする行き場を好い意味で蹂躙しているのであります。原調の属音が完全に叛かれている事からもお判りになる様に、これは完全に局所的に生じた部分転調である訳です。処が原調から見ればそれは同時にブルー五度と等しい音脈の訪れでもあるのです。

 メジャー7th或いはメジャー9thコードの2度ベースの型は往々にして、長音階の「Ⅰ/Ⅱ」または「Ⅳ/Ⅴ」の型を示唆します。この何れを確定するまでもなく、原調の残り香から俯瞰すれば「♭Ⅴ or ♯Ⅳ」を向いた状況であるので、原調の属音に対して半音階的な揺さぶりがかけられている状況とも見る事が可能なのです。

 そうして15小節目3拍目では「G7(♭5)」という硬減七(※長和音の完全五度音が半音低められつつ短七度音が付加される和音)の和音へと進むのですから畏れ入るばかりです。

 硬減和音の最たる特徴は「♭5th」音であります。然し乍らこれを「♯11th」音と同一視する事は出来ません。コード体系として♭5th音を明示しているからには、アヴェイラブル・モードとして想起しうる和音外音としてのモードの第4音は「♮11th」音の存在を暗に示している事になるからです。

 つまり原調から見ればナポリタンの音度=♭Ⅱを備えつつ、♭Ⅱを固守するモードを想起する必要があるという事になるのです。つまるところ、C音を基本音とする長音階の第2音が半音低く変じられるモード=「Gミクソリディアン♭5th」を想起する必要があるという事になるのです。このモードを想定する限り、モードの第4音は [c] である必要があるので、♭5thをよもや♯11thと同一視する事など有り得ない愚考となるので注意が必要な状況でもあるのです。

 16小節目から移勢されたコードはなんと「G♭△7」。つまり先行和音だった硬減七「G7(♭5)」は [g] をルートとするドミナント7thの変化形がコードの「真の姿」ではなく、そのトライトーン・サブスティテューション「D♭7(♭5)」が本体であった事を窺わせる事に。

 つまり、原調のあまりに強い余薫がついつい [c] への解決ばかりを注視してしまいそうになるも、実はそれに随伴する様に三全音調域も決して忘却の彼方へと葬り去る事をさせじと「D♭→fG♭」という下方五度進行の実際を見せている状況となるのです。

 これにより楽曲は意図せぬ方向へ半音階的部分転調の方便を得る事となり、更に弾みが付いて行く事を示唆するという訳です。

 そうして16小節目3拍目では「E△9(♯11)」へと進み、原調からすれば埒外とも言える遠隔的な方へ進みます。このコードがリディアン・コードである事を勘案すると想起しうる調域はロ長調(Key=B)であり、そのモードのⅣ度上のコードであるという事が判りますが、原調=ハ短調の脈絡から照らし合わせてみた時こうした調域への進行は唐突な感じを受けるのではなかろうか!? と疑問を抱く方も居られるかもしれません。

 ある意味では、半音階的な揺さぶりという状況に弾みがかかっている状況なので、遠い脈絡となる遠隔的な調域の方が和声的装飾に一層弾みがかかるとも言えます。

 加えて、ここでロ長調という調域が生ずる事実こそがイントロ冒頭部で生じた複調のそれの整合性を得ている根拠にもなっているのです。


 17小節目移勢で生ずる「E♭m9」も、原調から見たセスクイトーン上方調域の利用です。原調から見た時の「♭5th」音の介在を利用して、強固な余薫に対してのブルー五度の様に機能させているという訳です。

 そうして半音階的な揺さぶりを与えて17小節目3拍目では「D7(♯9、♭13)」となり、原調ドミナントへの弾みを更に付けようとしますが後続の18小節目からの移勢となるコードは「Dm7(on G)」として調的な薫りを今度は希釈化させた暈滃を図るのですから、この乙張り感は非常に多彩であり見事です。

 19小節目の移勢で生ずるコード「B♭△7(♯5)」は移旋しており、本箇所ではト短調(=Gm)の調域で生ずるト短調のⅢ度上のコードと解釈する必要があります。

 19小節目3拍目の移勢となるコードは「Em7(on A)」です。先行和音の「B♭△7(♯5)」は短調のⅢ度であった事であらためて強調しておきたい事は、西洋音楽体系から脈々と伝えられる「短調のⅢ度」という呼称の意味は〈副和音でも導音の包含を忘るるべからず〉という意味なので、〈属和音以外となる副和音のひとつⅢ度の和音上で生ずる和音が導音を生ずる〉となると、自然短音階での♭Ⅶ度(=下主音)として固守する状況が認められず下主音は半音高くムシカ・フィクタを固守する事を強いられる状況を意味するので、短調のⅢ度上の第5音は音階のⅦ度である為、それが半音高められる=〈短調のⅢ度上の和音は増和音化する〉という事の意味なのです。

 すると、自然短音階の下主音が認められない状況となると自ずとハーモニック・マイナーかメロディック・マイナーのいずれかのモードを想起する状況となり、これらの内どれを確定するかまでは至りません。コードの側ではそこまで確定するには至らないのですが、インプロヴァイズもしくは線的な要素としてフレージングする時に♭6thか♮6thかの何れかを奏者が選択する自由度がある訳です。

 そうした先行和音の前提を踏まえた上での「Em7(on A)」というコードが示唆しているモードはEドリアンなのです。このEドリアンは、ホ短調(=Em)を想起しつつ、そのホ短調の第6音が半音高く変じられるジャズ的語法の「短調の嘯き」で生ずるドリアンの姿です。

 つまり、先行のト短調(=Gm)の調域がセスクイトーン下方(1全音半)の調域「E何某」に移旋し、実質的にはホ短調(=Em)であるものの、短調をドリアンで嘯くジャズ語法のそれとして齎され、調域としてはEドリアンを確定するものはニ長調(Key=D)であるのです。

 属調の同主調という音脈を辿っている様ではありますが、実際にはセスクイトーン調域での移旋という事を念頭に置く必要があろうかと思います。

 20小節目1拍目の「F♯△/G△」は、これはパット見ではペレアス和音ですが、旋律形成はGメジャーを示唆するモードとは別にF♯メジャーを示唆するモードの併存となる状況ではないのでペレアス和音と言い切るのは無理があろうかと思います。とはいえ、ポリコードの姿のそれは稀な状況である為〈複調を誘引するポリコード〉である事は確かです。

 因みに、マルセル・ビッチュの『調性和声概要』には長七度と増九度を付加する長和音が紹介されており、これは「○△7(♯9)」として表す事が可能なのです。

 そのコードは短調の下中音上(♭Ⅵ度)の和音で生ずるのは明白な状況であるので、そこから全音階的に3度音程を累積すれば、長七・増九・増十一度の音が添加される状況でもあるのですが、ペレアス和音とはこうした単純な物ではなく、ポリコードとして1つのヘプタトニックというモードに収斂する姿なのではなく、上下それぞれのコードは別のモードを想起して旋律を形成するのが本当の複調の和音であり、それがペレアス和音の断片となるのが実際です。

 ですので、長和音同士のポリコードとして長七度および短二度忒いと成している単純な和声的状況だけを捕まえてそれをペレアス和音というのは本来は早計であるのです。とはいえ私のブログではこうした皮相的な状況でもペレアス和音とは称しているので、あらためて複調の振る舞いとそうではない状況を踏まえていただけると幸いです。

 ペレアス和音の話題ついでに付言しますが、本曲でのドミナント7thコード上のオルタード・テンションが〈やけに多いな!?〉と思われた方は勘が鋭い方です。ドミナント・シャープ9thのコードは通俗的には「ジミヘン・コード」とも呼ばれたりする事もありますが、概して「シャープ・ナインス」という俗称だけでもそれがドミナント・シャープ・ナインス・コードの事を指しているというのは説明をする必要もない程に周知されている物です。

 処が「ドミナント・シャープ・ナインス・コード」の根音(ルート)を省略した型は「ディミニッシュト・メジャー7th」コードであるという事までは広く知られていないのも是亦事実なのであります。

 ディミニッシュト・メジャー7thコードというのは、それがドミナント・シャープ・ナインス・コードの断片だとした時の和音の根音が [c] だと仮定した場合「C7(♯9)」の根音省略が「E dim△7」という表記になり、そのディミニッシュト・メジャー7thの同義音程和音となるのが「E△/F」= [e・gis・h / f] という姿でもあるのです。

 つまり、ペレアス和音の型としての「E△/F△」のポリコードの断片が「E△/F」という状況にもなるという訳でして、曲中に頻々に現れる「♯9th」というオルタード・テンションを纏っているそれは、複調的な世界観を誘引しているものとも解釈出来る物でもあるのです。本曲では特に注目してもらいたい部分です。

 20小節目3拍目のコード「D♭△/E△」は長三和音が増二度(異名同音での短三度)忒いと成しているコードですが、R・シュトラウスで知られるエレクトラ・コードと呼ばれるポリコードの同様のものです。譜例動画でのコード表記では分母と分子が入れ替わって「E△/D♭△」と表記されてしまっておりますが楽譜を見れば一目瞭然だと思いますので、この誤表記についてはご容赦下さい。

 エレクトラ・コードを援用した例として一般的に知られるのはエディ・ジョブソンに依るUKのアルバム『Danger Money』収録の同名曲「Danger Money」の楽曲冒頭のコードがそれです。




 当該コード部分の譜面の下側に「♭13」という意味不明の数字がありますが、これは譜例動画作成中に削除しきれなかった物が残ってしまった私のミスで、譜例とは無関係の数字ですのでご容赦いただきたいと思います。

 21小節目からの移勢となるコードは分数の分数コード。数学的にはコンプレックス・フラクションと言いますが、海外特にアメリカでは便宜的な方策としてこうした表記をする所が稀にあります。私の人生で最初に遭遇したのはスティーリー・ダンの楽曲『緑のイヤリング』でのエリオット・ランドールのギター・ソロ直前のコードでしたが。

 扨て、この「F♯△/B/E」というコードは、アッパー部を除いた部分はそれぞれ単音であるという所が注意すべき点であります。アッパー部以外にコード・サフィックスが充てられていない事も「単音」である事を意味しています。

 22小節目4拍目弱勢での「Cm7(11)」はアウフタクトであり、そうしてテーマの小節線を跨ぐという状況です。

 23小節目3拍目からの移勢となる「A7(♯9、♭13)」は、主和音からの♮6th(シャープ・サブメディアント)へと進みますが、24小節目2拍目の移勢で生ずる「A♭」はフラット・サブメディアントとして「♮6 -> ♭6」という風に弾みを付けている物であります。

 その「弾み」とは、♮6thからクロマティックに下行した♭6thというのは、ドミナントへの下行導音としての欲求が高まります。つまるところ「♮6 -> ♭6 -> ♮5」というダブル・クロマティックの動きとして弾みが付けられている状況となっているという訳です。

 同様のコード進行が繰り返され、31小節目からの移勢として生ずる「C7add4」へ解決するという訳です。

 このコードは「C7(11)」と表しても良いのですが、ドミナント7thコードで本位十一度の表記を見るのは少ない事を勘案すれば、それが「add4」という事の注意喚起として置き換えた方が良いであろうという判断の下での表記であります。

 トニックへの解決時にadd4を添加するというのはなかなか勇気のいる所だと思います。同時に、「C7(11)」という状況が「B♭△/C△」の断片である事を鑑みれば、このadd4は複調的状況を少し中和させた上でのadd4添加に留めているのであろうと私は解釈しております。

 こうして、本曲の多彩な複調および近代和声の使用例をあらためて確認する事ができるかと思います。こうした響きをモノにしているベーシスト、ジョン・パティトゥッチ。遉の音楽観であります。

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