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原田知世「ハンカチとサングラス」譜例動画制作を終えて [楽理]

 今回は、1985年にリリースされた原田知世のアルバム『パヴァーヌ』収録の「ハンカチとサングラス」の譜例動画を解説する事に。

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 85年という年は私が人生で初めてCDプレーヤーを入手したのでありましたが、CDは認知され始めはしていたものの多くの音楽媒体はレコードかミュージック・テープが主流であり、歌詞レコード業もごく普通に賑わっていた時代でありました。

 当時私が購入したCDプレーヤーはパイオニアのPD-5010というもので、国内で初めて定価6万円を切ったCDプレーヤー(¥59,800)という事で庶民にも手の届きやすい価格になったので購入したという訳です。

 世がCD主流となって行くのは1988年辺りからではなかったかと記憶しており、実勢価格としては5万円を切って買う事が出来た初の据え置きCDプレーヤーだったのでもあります。

 アルバムもレコード使用者を主眼に置いているのでCDでは収録時間が多く期待されるもののレコードに合わせた尺の採り方となっている事も多く、ジャケットおよびライナーノーツが貧相にならざるを得ないという当時のコストに見合った作り方もありCDというのは結構遠ざけられていた所があります。それでも、CD用ボーナス・トラックというフレコミで収録されている物などで客を惹き付けていた様な所もあったのが当時の特徴となるひとつの側面でありました。

 そうして原田知世のアルバム『パヴァーヌ』もご他聞に漏れず、アルバムはレコード媒体を意識した ‘Water Side’(A面) ‘Light Side’(B面)という、夫々異なるプロデューサーを起用するというコンセプトで作られているアルバムとなり、CDというメディアで盤面の入れ替えを気にせずに鑑賞できる状況ではコンセプトが掴みにくいかもしれないでしょうが、先述の通りレコードの使用者を主眼に置いている為にこうしたコンセプト・アルバムが時代の変遷と共に当然の如く存在していたそれを説明せざるを得ない状況が訪れる様になろうとは隔世の感すらあります。

 シーケンサー同期など85年辺りではまだまだ。複数のMTRをSMPTE同期させる事の方が主流であった事でしょう。こうした状況で持て囃されるのはヒューマン・パワー。即ちバック・ミュージシャンに依る演奏ですね。

 A面ではプロデューサーが萩田光雄でB面が井上鑑。他は下記画像を参照。

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 著名な所ではベースに高水健司、岡沢章、富倉安生、渡辺直樹。ギターに松原正樹、鳥山雄司、吉川忠英など。他にも斉藤ノブ、浜口茂外也やドラムには山木秀夫の名が。こうした錚々たるメンツが集まって出て来る音は、原曲のそれが相当卑近な物ではない限り往々にして今でいうシティ・ポップな、少々高次な音になる物です。

 日本国内でのクロスオーバー・ブーム以降、参加ミュージシャンの名前を拾い上げて凡ゆるアルバムを発掘して行くという愉しみもありましたから、ソウル、R&B、ディスコ・ブームの後から続いたクロスオーバー、AORブームの流れを受けたリスナーは耳に五月蝿くならざるを得なかったのかもしれません。こうした状況は日本のみならず海外でも同様であった事でしょう。それだけ参加ミュージシャンが重要だった訳ですね。


 扨て、「ハンカチとサングラス」。本曲については過去のブログ記事でも触れた事もあるものの、私が本曲の最大の特徴としている点はフレットレス・ベースでのスラップ奏法という点である事に変化はありませんが、DAW環境の変化に伴いフレットレス・ベース音源でスラップを試みる事が可能になった現在に於て、あらためてサンプル動画を制作して楽曲解説を繰り広げる方が良いのではないか!? と思い立ったという訳であります。


 今回の譜例動画でのフレットレス・ベース音源はAmple SoundのJFを用いており、そこで2020年暮れのWaldorfのセールでPPG 3.xを入手した事もあって、この機会に「ハンカチとサングラス」を打ち込んでみようと企図した訳で、PPG入手が契機となっているのがへそ曲がりな私をあらためて裏付けている様な気がします。

 フレットレス・ベースについて少々個人的な意見をさせていただきますが、これまでの私の人生において一番最初にフレットレスでのスラップの実際を見聞きしたのはカシオペアでの桜井哲夫に依る「Hoshi-Zora」という曲でヤマハBBのフレットレスをライヴで弾いていたのを観た時まで遡る事ができます。

 前述の「Hoshi-Zora」はカシオペアのアルバム『HALLE』に収録されているものの、私がそのライヴを観た時点では当該収録アルバムを入手しておらずライヴで耳にするのが初めてだったという訳ですが、当時の私の浅薄な経験下ではフレットレスでスラップをやるのがご法度だとすら思っていた位なので、スラップの現実を観た時はその独特の音色キャラクターも相俟って非常に強烈な記憶として残ったものです。

 それまでは私自身「マトモ」なフレットレス・ベースは所有していなかったのですが、質屋で2000円で買ったフェルナンデス製(実際にはフジゲン製と推察)のスルーネックのベースのフレットを抜き、当時のツレと一緒に硬いエボニー指板に紙ヤスリを当て乍ら指板を削る事だけに拘泥していたオバカなカップルが日本に居たモンでしたが(笑)、そんな穢れたフレットレスでスラップを試していた事はあったのです。

 所が、ラウンドワウンド弦でフレットレスをスラップで奏すると、指板には直ぐに弦の跡として打痕が付いてしまい、その独特な音を堪能する以前に楽器を保護するという思いが強く働き、それ以上スラップを試そうとはしなかったという経験があってのカシオペアでのライヴでの邂逅、という訳だったのであります。

 という訳で、フレットレス・ベースでのスラップ奏法がどういうサウンド・キャラクターになるのかという事は概ねお判りいただけたかと思いますが、「ハンカチとサングラス」の本曲解説に併せてベース・パートのみならず多くを語っていこうかと思います。


 では茲から楽曲解説とさせていただきますが、作詞:麻生圭子、作曲:REIMYというクレジットを確認する事ができます。REIMYは「麗美」とも名乗る事があったかと思いますが、楽曲本筋部分以外でのイントロやアウトロ部分は恐らく、アレンジャーの井上鑑の手に依るコード・アレンジであろうと私は推察しております。




 イントロはト長調(Key=G)から始まり、それがモーダル・インターチェンジする様にしてAテーマまでの過程では著しく移旋を経乍らAテーマのホ短調(Key=Em)へと進む訳です。

 本曲でのAテーマでのホ短調はそれがトニック・マイナーである事を痛切に実感させるにも拘らず直後の後続和音ではフリジアン・スーパートニックとしてEフリジアンのⅡ度つまり「♭Ⅱ」へと移旋するのですが、この過程に於て強いモード・チェンジ感或いは転調感を抱かせない程にスムーズな印象となっているのが素晴らしい出来であろうと思います。

 その後に現れるサビとなるCテーマでは、いつの間にやらハ長調(Key=C)へと転調するのですが、これらの過程で転調感は非常に希薄であり実に見事な筋立てであろうと思います。コード・アレンジがどうあれ、曲の線運びと ‘Tonal plot’ が見事だという事です。

 茲で譜例をあらためて確認してもらいますが、本曲のイントロ冒頭8小節の拍子記号は「3+4/4」拍子で書かれており、この混合拍子の意図は「強小節が4/4、弱小節が3/4拍子」という風にして順次進むという事を意図しております。

 ただ、この混合拍子の表記解釈は現代では既に「旧い」解釈となっている様で、現代での「4+3/4」拍子という表記では、1小節内に4拍分と3拍分の拍節構造を分けて書く解釈が主流となっている様で、私も10年位前にツイッターで酒井健治さんとの遣り取りにて「いつの時代の話をしておられるんですか(笑)」と返された時がありまして(笑)、それほど乖離してしまっているのかと衝撃を受けた事もありました。医療現場の世界に喩えれば、ドイツ語でカルテを手書きで書くという時代にも似る様な状況である事でしょう(笑)。

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 とはいえ頭の固い私の解釈として、そうした旧い概念に固執した書き方として今回の譜例動画イントロ冒頭8小節の混合拍子を敢えて表記させていただきますので、その辺りはご注意下さい。

 譜例動画1小節目。フレットレス・ベースのダブル・ストップのプレイに伴う3度ベースという解釈となり、2小節目が移勢(シンコペーション)となり、コード表記は「G(on B)」となります。

 尚、イントロ冒頭6小節で奏される下行クリシェの音を譜例動画では ‘Synth Strings’ パートで補完しておりますが、[d -> des -> c -> c] という8小節の流れは本曲イントロでは非常に重要なウェイトを占めているのでありますが、初稿時からリテイク数回を重ねるまで本パートを明記していなかった事に気付き慌てて修正した始末で(苦笑)、ご迷惑をお掛けしました。

 クリシェという半音の動きが何故重要なのか!? と言いますと、通常の全音階(ダイアトニック)の世界での半音音程というのは2つしかなく、それぞれは最も近い音程で完全四度離れており、遠い方の音程は完全四度の陰影分割=完全五度として隔てている状況ですので、半音音程同士が隣接し合っている訳ではありません。

※これらが音程ではなく単なる「音」同士であるならば、長音階を規準とした全音階での半音は三全音が司っている状況なので下属音・導音はそれぞれが三全音隔てる状況であるに過ぎないものの、「音程」となった場合は全音階では半音音程の最も近い音程は<導音〜主音><上中音〜下属音>が完全四度で隔たれ、それらの遠い方の音程は<上中音〜下属音><導音〜主音>という完全五度で隔たれているという事になります。

 つまり、半音音程が連続して生ずるという事はノン・ダイアトニックという世界観を生じている証なのであり、単なるノン・ダイアトニックではなく「クロマティシズム」という世界観を強化している状況を示すフレーズの痕跡だという事こそが曲の醍醐味へと繋がっているのです。ですので、ノン・ダイアトニックが著しい楽曲というのは往々にして「半音階的」な横の線形を多く含んでいるという訳です。

 こうしたクロマティシズムが、原調=ト長調からの変容を容易に促す材料にもなっており、そうした「予期せぬ半音の現れ」が楽曲の調的構造に揺さぶりをかけているという事にも繋がっているので素人耳にも唐突感が少なくなる様に配慮された線運びとなっているのです。

 移勢された3度ベース [h] が3小節目にはノン・ダイアトニックな [b] へと半音下がって変じる事の前振りとして3度ベースが置かれているという風にも考える事が出来るでしょう。

 そうして3小節目には「Gm7(♭5)」へと進行するのですが、このハーフ・ディミニッシュは「或る特定の長調のⅦ度」という風に捉えてはなりません。「或る特定の短調のⅡ度」と捉えるべきであります。つまるところ、それは必然的にヘ短調(Key=Fm)という調域で生ずる「Gm7(♭5)」という解釈が必要になるという訳です。

 5小節目ではコードが「F」へ進行します。トライアドである為、コードからアヴェイラブル・モードの類推となると和音構成音の少なさから峻別を難しくしてしまいますが、ベースの装飾音が手助けとなるので注意して確認してみましょう。装飾音およびベースのフレージングに伴う和音外音は [es・b] であるので、茲は「Fミクソリディアン」=変ロ長調(Key=B♭)の調域と解釈するのが賢明でありましょう。

 トライアドという事でそれが属七としてのドミナントを希釈化させ、部分転調も介在している事でドミナント感はおろか主和音や下属和音としても耳にしてしまいそうですが、ベースの配慮された和音外音がアヴェイラブル・モードを示唆しているという状況は実に心憎い演出であろうと思います。

 また、先行の調域がヘ短調であった事を思えば、調域が Fm→B♭ という風に綺麗に下属調の同主調という近親的な調域の運びとなっている点も見逃せない所です。

 イントロの混合拍子部最後の7〜8小節は、従前の平易なコードから一転して「Fm9」と進行します。コード表記上からは先行和音「F」のメジャーからマイナーへと変じているだけの様に見えるかもしれませんが、この「Fm9」はドリアン・マイナーつまり変ホ長調(Key=E♭)のⅡ度上のコードとして解釈する方が自然であろうかと思います。結果的には調域が更に下属調を進めているという事にもなるという訳です。

 単純拍子化する9小節目でのコード「C△7」のアヴェイラブル・モード解釈は、ハ長調(Key=C)の主和音と捉えて良かろうと思います。これは、先行和音の調域が変ホ長調であった事から、その平行短調(Key=Cm)からの同主調へと転じているという脈絡を見出す事が出来るものです。


 9小節目での「C△7」を〈後に現れるであろうホ短調での♭Ⅵ度上の和音の示唆〉と見做してしまおうとする方も居られるかと思います。然しそうであった場合「C△7」の後続和音は直後にドミナントつまり「B7何某」が現れる筈です。

 つまり、一旦現れる「C△7」は直近で現れる(であろう)ホ短調の♭Ⅵ度の暗示なのではなく、更にその先で現れる「サビ」での主和音の暗示するという楽曲全体を包摂している重要な示唆として解釈する方がより良い解釈であろうかと思います。

 勿論、直近のホ短調に進む為の「二義的」な状況にも対応可能な様にして10小節目では「F♯7(11)」という本位十一度=♮11th音を纏ったコードが生ずるのであり、これがホ短調への大きな足がかりとして作用しつつ、本位十一度として響く [h] をハ長調の導音として聴かせる事をリセットさせる事に貢献する重要な音だと認識する必要があります。

 扨て「F♯7(11)」というコードは一見すると、ホ短調のⅡ度上のコードが副次ドミナント化した物として捉えてしまいそうになりますが、茲は少々穿った見方をする必要があります。

 一旦の行き先はホ短調であるものの、その実態はホ短調を嘯く「Eドリアン」です。Eドリアンの調域はニ長調(Key=D)であります。

 ニ長調の平行短調の主音が [h] である様に、長調のⅥ度という音は平行短調のみならず「副次終止音=confinalis」として作用する二次的な帰着感を伴う性格を有しています。
 
 つまり、「F♯7(11)」に聳えている♮11th音= [h] は、ホ短調の属音なのではなくニ長調のⅥ度というコンフィナリスとして薫らせ乍ら「F♯7」が元来包含している和音の第3音 [ais] が [h] に行きたがっている事を先行的に明示して響きを蹂躙しているのです。つまり、この「蹂躙」がホ短調でのⅡ度という示唆を仄めかそうとする事を棄却させ、他の響きを誘引させているのです。

 そうした調判定の曖昧さを解決しようと [h] というコンフィナリスに重力が向く様に響かせ、11小節目ではホ短調の属和音を「7th sus4」という形を採って希釈化させ一旦は「B7sus4」という形を採った上で、副次終止音はスルリと属音に化ける事なく、sus4が一旦の落ち着きとなる様に息をつかせた上で、次の12小節目で「B7」という真の属七に化けるという、熟慮されたコード進行になっているのであろうと私は解釈しております。


 13小節目。茲からAテーマとなりまして、ホ短調ではありますが実質的にはEドリアンと解釈した方が宜しいでしょう。

 フレットレス・ベースは茲からサムピング主体のスラップ奏法へと転じ、音色としては同時にモノラル・コーラスを掛けているのも特徴であります。このコーラスに依るデチューンと粒の揃ったサムピングの音が、私は当初、サンプリングに依るスラップ・ベース音(打ち込み)との折衷なのではないか!? とも思った程でした。フレットレスでのサムピングは相当に弾きムラが生じやすいので、この演奏は簡単そうに見えて実は相当に難しいレベルである事はあらためて注記しておきたい所です。

 直後の14小節目では「F△7」と進むので、これはEフリジアンのフリジアン・スーパートニックとして移旋してしまうので、実に目紛しい変化が起きているにも拘らず、曲想の方ではそうしたダイナミックな変化など微塵も起こしていないかの様に静謐な状況を維持しているのですから見事な出来であるとあらためて感服する事頻りです。

 今剛とおぼしきミュート・ギターのプレイも茲から開始となる様にしてデモを作っております。

 14小節目がフリジアン・スーパートニックとして変化しているという事は、直前のEドリアンからEフリジアンへと移旋した上での「F△7」だという意味ですので、Eフリジアンでの♭Ⅱ度=「F△7」という訳です。

 こうした、ホ短調或いはEドリアンから直後にEフリジアンとして移旋する曲は意外な所でも存在する物で、例えばスティーヴ・ヴァイのアルバム『Passion & Warfare』収録の「For the Love of God」が好例でありましょう。




 14小節目のコード「F△7」をフリジアン・スーパートニック(Eフリジアンの♭Ⅱ度)として聴かせるという事は、調域は自ずとハ長調として移旋している事となります。

 15小節目での1〜2拍目での「Dm9」。唄のパートでは同小節2拍目弱勢ではハ長調上中音である [e] が僅かに微分音的に低く歌われます。譜例上の数字で示している様に25セントほど低く採ればオリジナルのそれとほぼ同様のピッチ変化をあらためて堪能する事が出来るでしょう。

 この微分音的変化のそれを論って〈原田知世は音痴だ〉と言うのは早計です。何故なら、私が本曲で露わにしたい事のひとつが、彼女の「中音の採り方の癖」という点でもあるからなのです。後述ではもっと素晴らしい中音の変化が見られ、併せて解説して行くのでお楽しみに。

 尚、茲で述べる「中音」の意味は、「上中音および下中音」の意味で用いております。主音─属音間の完全五度の中間に位置する全音階的な三度音=上中音に加え、下属音─主音間の完全五度の中間となる全音階的な三度の音=下中音の双方を「中音」と総称しているという意味であり、こうした注記からもお判りになる様に彼女の歌の癖として上中音・下中音双方に微分音的変化が現れる例が本曲には凝縮されているので明示的に取り上げているのです。

 単に音痴であるならば中音のみにそうした音高変化が起こる筈も無いので、その辺りは誤解なき様ご理解いただきたい所です。

 15小節目3〜4拍目。コードはDm7(on G)へ変化します。ハ長調の調域に於ては主和音=Cへの帰着感を暈滃させたいという意図により、こうしてドミナント感を希釈化させているのであろうと思います。

 16小節目1〜2拍目。コードは「C△9」へと進みますが、同小節3拍目ではホ長調調域での「Ⅱ on Ⅴ」の型を採った「F♯m7(on B)」へ進み、これが更に同小節4拍目で「B7」という風に進む事でホ長調とホ短調での両義的な属七へと進むという風にして元の姿のホ短調へ戻るという仕掛けになっているのが洒落ております。

 もしも、同小節3拍目の時点でホ短調の世界観のみを匂わせているのであるならば、少なくともⅡ度上のコードは「F♯m7(♭5)」となる事でしょう。それを避けるのならば次善の策として「A△/B」でも用足りるでありましょうがそれをも選択せずに、ホ長調調域として「Ⅱ on Ⅴ」の型である「F♯m7(on B)」を選択するのですから畏れ入るアレンジです。

 これがAORやクロスオーバーの類であるならばこれほど驚きはしませんが、何せアイドルの歌うポップスという土壌でのアレンジですからね。如何にしてアイドルの作品ですら平易には聴こえさせないという周到なアレンジとなっている所に価値があろうかと思います。

 次に17小節目。コード表記としては奇特な「D♯m/Em7」という型のポリコード表記となっているので、これほどまでに仰々しいコードが使われているのか!? と懐疑的になられる方も居られるのではなかろうかと推察します。

 私自身当初は、先行和音「B7」が包含するホ短調の導音 [dis] の残響或いはシンセのADSRのリリース音が掛留して齎しているのではないかと思っておりましたが、あらためて色々と分析してみると [dis] 以外にも音が存在している事が判明し、「D♯m/Em7」という表記をする事に至ったという訳です。

 このポリコードの状況をエルネ・レンドヴァイのドゥアモルの和声風に分析してみると、基底となる「Em7」に対して「D♯m」というコード構成音が半音忒いに隣接して絡み合う状態として強固な、そして綺麗な「溷濁」を形成するのです。それが次の円環図となります。

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 こうしたポリコードが経過的に現れている状況は瞠目に値するのであり、近代和声の骨頂がアイドルのポップスに忍ばされているという所が実に驚かされる所でもあります。ただ、現実的にはこうした重畳しい和音のそれをポリコードとは認識せずに、音響的に生じたSEの様にして耳にしている方も多かろうとは思います。

 斯様に説明するだけでは半信半疑な方も居られるとは思うので、ハーモニー当該部分をVoceVista Videoを用いてアナライズしてみました。先ずは [fis] を生じているという証明。

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 以下同様に、次の画像は [dis] を生じているという証明。

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 次の画像は [d] を生じているという証明。

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 次の画像は [h] を生じているという証明。

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 次の画像は [ais] を生じているという証明。

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 次の画像は [g] を生じているという証明。

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 これらにベース音の [e] が添加されているという状況を俯瞰すれば、自ずと「D♯m/Em7」というポリコードを生ずる事になります。また、場合によっては「D♯m△7/Em」という風に、基底に置く和音側をトライアドとする解釈を採る方も居られるでしょうが、いずれにしてもポリコードが生じている状況はお判りいただけたかと思います。

 念の為にIRCAMのAudioSculptを用いて同一箇所をアナライズさせてみた所、右chの方が優勢的に部分音を多く捉えていたので右チャンネルのみの部分音でも同様にポリコードの分布と成っているのが判ると思います。

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 18、19小節目に於ては14、15小節目と同様のコード進行。20小節目では「C△9」と進み、同小節2拍目ではギターがピックを持ち乍らの中指&小指によるプラッキングしているという所がミソ。ハードに弦を叩き付けるのではなくソフトにするのが意外と難しいかもしれません。

 21小節目。茲からBテーマとなります。コードは「F△7」ですのでホ短調の呪縛からは解放されている状況なのですが、転調という大きな変化として現れるのはBテーマ冒頭よりもCテーマ(サビ)冒頭からであろうと私は解釈しているので調号は従前のそれと変化はさせておりません。ノン・ダイアトニックでありフリジアン・スーパートニックという状況ではあるものの。

 尚、同小節3拍目でのギターは6弦1フレットをシングル・ノートをアンミュートで奏するという点は注意を払っていただきたい点です。

 22小節目1、2拍目でのコード「B7(♯9、11)」は本位十一度を有する珍しい型であります。実質的には、上に「Asus4」下に「B△」というポリコードという状況の方が判りやすいかもしれませんが、いずれにしても [h] 音上に聳える本位十一度という、add4および本位十一度を幾度も辷り込ませる井上鑑のアレンジ力にはあらためて驚かされるばかりです。

 同小節3、4拍目では「B♭7(♯9、♯11)」と進行します。4小節後には「ほぼ」同一のテーマが繰り返されるにも拘らず、コードは全く異なるので後ほど縷述する時にはあらためて驚いていただきたいのですが、これほど周到に響きを形成したそれを繰り返す事なく別の響きに置き換えてしまうのに、曲想がその大胆な変化とは裏腹に静謐なる状況を保つのは素晴らしい世界観であると言えます。

 22小節目からのギターは再度ミュートでのプレイを続ける事になります。

 23小節目1、2拍目は「Am9」へと進行。そのまま「ほぼ」和音構成音を共有する様に全音階的な三度上方(=カウンター・パラレル)へ同小節3、4拍目は「C△9」へと進みます。

 24小節目では「D9」へ進行して和音構成音として内含する [fis] がト長調の余薫を誘うのですが、ドミナント・モーションを採らずに後続へは25小節目の「F△7」へと進むので、行き場の無いドミナント7thコードはメロディック・マイナー・モードでのⅣ度として見做す事も可能でしょう。

 但し、この見立てはジャズ的な語法でもあるので、インプロヴァイズを必要としない状況では曲想が一気に「Aメロディック・マイナー感」を強めてしまう事になるので、[fis] がト長調としての余薫というよりもAメロディック・マイナーのⅥ度として優勢に響かせてしまうのは、この局面では避けた方が良いかと思います。

 何故なら、Aメロディック・マイナーという [a] を主音とする旋律的短音階のそれが、自然短音階という姿を同時に予見した時に生ずる平行長調=ハ長調という姿を見せるのはまだ早いという認識だからです。

 26小節目1、2拍目でのコードは22小節目での「B7(♯9、11)」という型ではなく単純に「B7sus4」という型へと落ち着きます。そのsus4の最たる [e] 音がそのまま後続の同小節3、4拍目で掛留させたまま「E9」へと下方五度進行をさせるのは非常に能く出来ており、4小節前のそれとの対比にあらためて驚かされるのであります。しかも短属九(♭9th音を有する属九)ではなく長属九というのがお洒落であります。

 27小節目。先行和音の長属九から「Am7」に進行したとなると、このAマイナーは実質Aドリアン化する様な響きを具備する事になります。つまるところ調域としてはト長調ですから、ハ長調には「まだ」転調していないという事を仄めかしているという事になるのです。

 27小節目3、4拍目ではベースがそのまま七度ベースというフレージングを採るのでコードは「Am7/G」と表記しています。

 28小節目1〜3拍目では「F△7(13)」へと進み、同小節4拍目ではハ長調調域が顔を出し「Ⅱ on Ⅴ」の型での暈滃となる「Dm7(on G)」へと進みます。

 つまり、転調感を「ほぼ」確定する状況は28小節目4拍目での「Dm7(on G)」なのでありますが、ドミナント・コードを暈滃している型ですので、厳密に言えば完全なる転調ではないのですが、従前のモーダルな状況よりも比較的転調感が優勢となるという状況を指して「転調」と述べているのです。

 29小節目。コードは「C△9→C△7」という風に進行こそはしてはいるものの単に9th音が無くなる瑣末な状況であるに過ぎず、コード進行としては明示的に表記しているのでご注意下さい。

 30小節目のコード進行も同様に、「Am11→Am7」という状況は先行和音の9・11th音が無くなる状況でもあるのですが、先行小節のそれもハーモニック・リズムという状況を形成しているが故のコード表記なのでご容赦下さい。

 31小節目は「F△7(13)」へと進行します。本曲では「F△7」上の♮13th音の有無は調判定的に非常に重要なウェイトを占めているコードである事があらためて能く判ります。

 32小節目ではコード進行として仰々しく「Dm7(on G)→G11→Dm7(on G)」という風に進行させておりますが、「Ⅱ on Ⅴ」の型も理論的に紐解けば属十一和音の断片に過ぎない事が能く判ります。

 それならば「G11」というひとつのコードだけで済ませても良いのですが、各拍がハーモニック・リズムを形成しており、各拍で構成音の随伴に変化を与えているのでコード表記としては別々に置き換えた方が無難であろうという苦渋の判断でこの様に表記した次第です。

 尚、同小節4拍目の歌のパートは、先にも述べた様に「中音」の微分音が明示的に現れているという原田知世の個性をあらためて確認する事の出来る箇所でもある為、詳らかにその微分音の凄さを解説していこうかと思います。

 扨て、同小節4拍目拍頭を全音階的に普通に歌い上げるならば [a] で良い筈ですが、実質的には [a] より50セント低いAセミフラットの音を歌っているのがオリジナルです。

 現代ならばピッチ修正を施されてしまいそうなモノですが、吐息の成分が巧く混ざる原田知世の声のそれが、ついつい変じてしまった微分音が当該箇所だけではなく、その四度下の上中音にも変化が起こるという彼女の音高感が凄いのです。

 率直に言えば、彼女の音高感はトルコやアリストクセノスのそれが発展して来た土壌での、テトラコルドでの音程形成に繋がる音程形成に酷似するからなのであります。

 アリストクセノスのハルモニア原論で知られる微分音を介在するテトラコルド形成というのはテトラコルドを形成する上での「各音程」の音感こそが重要なのであり、協和感の強い例えば完全五度や長・短の三度音程(不完全共和音程)という協和感を頼りにしない、別の音程の採り方を体得する事が必要な状況となってテトラコルド形成の方が重視される為、元から開始した音がオクターヴ上・下では絶対完全八度とはならずにオクターヴを超越したりする事がままあります。「強い協和」音程を意識しないが故に生ずる現象であるとも言えます。

 扨て、原田知世という彼女の音楽感の当該箇所では、[c] というハ長調の主音に強い帰着感を有しているが故の、その主音に随伴する「中音」という状況が、彼女の独特な強い相対音感を確認する事が出来ます。

 彼女が当該箇所で歌ったAセミフラットを主音から測ると、主音の上方に850セントという所に位置する微分音となります。また同時に、主音の上方850セントという音程のオクターヴからの陰影分割(茲では単なる転回とは呼びません)は、1オクターヴ上にある主音の下方350セントとも見る事が出来ます。

 Aセミフラットは、全音階的には [a] という「下中音」として奏鳴される筈の音が微分音的に変じられたという事になり、下中音の四度下(完全四度下)には「上中音」が存在する事になります。

 とはいえ、完全四度音程というのは「共鳴」を利用した感覚では拾って来れない音ですので、完全五度上に1オクターヴ高くなる音を想定し、且つその1オクターヴ下を類推するという2段階の「強い協和」感を利用する事で「四度下」の類推が合致する状況を生む物です。

 ですが、彼女は四度下にある筈の上中音 [e] は、Aセミフラットとして歌い上げてしまった事に起因してしまうのか、その変じた事が牽引力となり、本来歌われる筈の [e] は半音階的に [dis] を生じてしまっているのです。

 これは単に、微分音的なイントネーションが生じた事で勢いが付き過ぎて [dis] となってしまったのではなく、AセミフラットとD♯の間は「550セント」を生じているのですが、もしも彼女が下中音 [a] として歌っていれば [dis] との音程差は三全音を生んだのでしょうか!? 私はそう思いません。

 彼女が [a] を歌っていれば、その直後は [e] を歌っていた筈です。それもごく自然に。然し乍らAセミフラットとして変じた事を彼女自身が認識しており、それが「半音階的」な修正を協和の概念に作用させた。

 つまり1オクターヴという強い協和感はAセミフラットを生じた事で彼女自身の感覚として半音階的に修正を均し、そそこでオクターヴという強い協和感が一旦1100セントへと狭められるという概念が生じた、と。元来、強い協和感を必要としない彼女の音程感覚は、1100セントという状況が生じてもそこから任意の音程を歌う事は容易い事であろうと推察します。

 そこで、1100セントという「グローバル」な音程の概念が瞬間的に生じ、その等分割(2等分)が550セントという単位音程を生じて [dis] を歌わせる事になる、と。この等分割という「感覚」は、通常の「強大な協和感」に依拠する人々の音程感覚に置き換えれば「完全五度とその陰影分割で生ずる完全四度」という音程分割に酷似する物です。

 彼女の場合は、任意の音程を取って来る事の出来る音程感覚を持っていると思われ、1100セントという「手軽」な音程分割は、協和感に基づくそれとは異なり「等音程分割」が強く働く事になり、微分音を歌いやすい素質を備えていると推察されるのです。

 そこで結果的には微分音的な550セントという音程差として [dis] を歌う事となってしまう。然し乍ら、これが半音階的な帰着点だとしても全音階的には音階外である為に自身の感覚からも腑に落ちない。そこで更に相対音感が働いて微分音的に上方に修正され、上主音よりも150セント高い音を表す装飾音が現れるのですが、この音は異名同音的に見れば上中音より50セント低い音と見る事が出来ます。

 つまり、上中音より50セント低い音は主音の上方「350セント」であり、微分音の歌い出しであるAセミフラットはオクターヴの陰影分割として見れば、主音の下方「350セント」という音なのであり、彼女は結果的に微分音を生ずる上で非常に重要な任意の音程分割と上下に等しく存在する等音程をサラリとやってのけている事が判るのであり、凄い状況を生じているのです。

 正直な所「ハンカチとサングラス」には、こうした微分音が単なる微分音イントネーションの差異としてだけでは片付けられない事実があるからこそ私は取り上げたのであり、これが無ければ今回譜例動画を作る事まではしなかった事でしょう。

 YMOのアルバム『BGM』収録の「1000 Knives」のシンセ・ソロにて坂本龍一が同様にAセミフラットの微分音を奏している事を思い出していただければ、この音の必然性の凄さがあらためて能く理解できる事でしょう。

 また、微分音の採り方についてもアリストクセノスに依拠するタイプの相対音程の採り方であるので、これを明示しなくてはならないだろうという事もあり口角泡を飛ばすかの様に縷述しているという訳です(笑)。

 こうした彼女の臨機応変な歌い方は、微分音的に詳しい考察が無くとも、その「音楽的」なイントネーションのそれに気付かない訳がありません。その個性に前に、この歌のテイクが選ばれているのであろうと私は推察するのです。凡庸なプロデューサーであればピッチ修正すら施しかねなかったかもしれません。何れにしても、時代のそうしたネガティヴな影響のあるエフェクトから護られた、時代が生んだ輝かしい産物としてあらためて堪能されるのも譱いのではないでしょうか。

 だからといって、ありとあらゆる微小音程的イントネーションを礼賛する訳ではありません。90年代やゼロ年代に於てもJ-POP界では悪しきピッチの女性歌手は多数居り、そうした連中の声まで賞賛しようなどとは微塵も感じておりません。

 感情に作用する微分音、それに匹敵する素晴らしい産物、或いは理論的にも整合性の取れた微分音というそれぞれの違いを認識できる様でなければ、半音階的にピッチ修正していた方が御誂え向きなのではなかろうかとも思います。その手の類の耳や感覚しか有していない人は私もハナから相手にはしませんし、話題に上らせる事もいたしませんので(笑)。いずれにせよ、こうした素晴らしい微分音の状況を「音痴」だとは決め付けるのは如何なモノかと思います。

 そうして本題に戻りますが、33〜36小節目もコード進行はほぼ同様となり、36小節目が仰々しい「G11」タイプではなく静かに「Ⅱ on Ⅴ」型の「Dm7(on G)」に収まっているという状況を示しております。

 譜例動画としては最終場面となる37、38小節目は「C△9」として一旦解決。無論、その後はあらためてト長調に転じた混合拍子でのフレットレス・ベースでのメロディーが奏されるのですが、コードがシンプルなので転調感も希薄でモーダルに再度進んで行く事になるという訳です。

 こうして譜例動画部分の解説を終える事としますが、参考までに述べておきますとこの譜例動画を制作するにあたってボーカル・パートで用いたのはLogic Pro X内蔵のフルート音源とZynaptiqのPITCHMAPであります。

 それというのも、オリジナルの原田知世の声は囁き感のある嗄声成分が非常に顕著に出る声であり、声域としても女性としては低い所を歌うので、実音を歌い上げるよりもファルセット気味にして歌う方が発声しやすかったであろう事は容易に推察におよびます。

 そうした状況が独特の声質となる状況を踏まえた上で、フルートを1オクターヴ低い音が優勢となる様にピッチ・エフェクトのバランスを採って、2次倍音が強めに出る様にピッチ配分を施してZynaptiqを通したという訳です。

 Bus送りとするトータル用のリバーブは、ArturiaのEMT140で長めの減衰量にしつつ、1ポール(-6dB/oct)のHPFのカットオフを1500Hzに採り、プリディレイが137ミリ秒となる様にしてディレイ音をEMTに送っております。

 無論、こうした長めのプリディレイで注意が必要な事は、リバーブのミックス量の配分を決める際に実音に対して明らかに階段状の遅延を生まない様な、実音のサステインが持続するかの様に「遅延」として知覚しない様に溶け込ます配分にしなくてはなりません。

 この配分が下手な人は結果的にプリディレイを短く採ろうととしてしまい、特にボーカル・トラックを用意する楽曲では短いプリディレイの残響は子音の溷濁を強めてしまうので、子音との溷濁を避けつつ階段状の遅延として聴こえさせない長めのプリディレイを採るという事がトータル・リバーブの必須の設定ですので、騙されたと思って試してみて下さい。

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