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坂本龍一&ザ・カクトウギ・セッション「Sweet Illusion」イントロの2度ベース [楽理]

 久方振りに坂本龍一&ザ・カクトウギ・セッション関連の話題を取り上げる事となりますが、その理由は、つい先日YouTubeの方で「Sweet Illusion」のイントロ部となる譜例動画をアップしたからに他ありません。
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 格闘技セッションやKYLYNはYMO活動期と並行していた時期でもありますが、坂本自身からすればYMOという活動の場も単なるセッションのひとつに過ぎなかったのではなかろうかとあらためて窺い知れる事実であろうかと思います。しかも当時の国内はクロスオーバー・ブームの最盛期でもありましたし、シンセ群に囲まれ乍ら淡々とインプロヴァイズも含めた高次な演奏を繰り広げる様は、ソフト・マシーンやウェザー・リポートあるいは801などの影響もあったのではなかろうかと思いますし、初期YMOやKYLYNというのは特にソフト・マシーンからの影響を感じたりするものです。

 予想だにしない音が大きな筐体のシンセサイザーという電子楽器から発せられる。そうした機械が何台も並べられるという視覚的な側面だけでも何かしらの圧倒感を備えておりますし、いかんせん電子楽器から発せられる音というのは想像し難い物でありますし、加えて電子楽器への知識に乏しければ乏しい程聴衆の抱える意図せぬ想像し難い心理は形而上学的な状況に対する心理を増幅させる物でもあります。

 無論、こうした形而上学的な側面を逆手に取って「ハッタリ」をかます事も可能ではありまして、徒らに聴衆の心理を煽る事も可能である訳です。プリーベルクはこうした「ハッタリ」となる部分の指摘を自著『電気技術時代の音楽』で早々と語っていた物です。

 そうしたハッタリを敢えて好意的に採り入れ、音楽が卑近にならぬ様に坂本龍一は心掛けていたでありましょう。私からすれば、ロバート・メイソンのARP2500の方がよっぽどハッタリに近かったのではなかろうかと思います。それでもロバート・メイソンの1stソロ・アルバムでは「Stephen Gadd」名義でのスティーヴ・ガッドがクレジットされている訳で、そこそこのクロスオーバー黎明期の音を作ってはいるので決してハッタリめいた物ではないのですが、ソフト・マシーンほどには振り切れてはいないのも確かでありましょう。




 前置きが長くなりましたが、坂本龍一はシンセサイザーを多用はしても矢張り高次なハーモニーあっての楽曲というスタンスは変わりなく、この辺りが形而上学的なハッタリをかますだけのそれとは大きく異なる所でもあるので、氏の世界観を好んで已まない人々が多いのもあらためて頷けるという物です。

 扨て、坂本初期作品での分数コードの取り扱いというのは結構興味深いもので、自筆譜などから確認しうるコード表記を見てみると分数コード表記や下部付加音という所謂「onコード」表記などでも西洋音楽由来の知識からの拘りとも思える表記が見られる物で大変興味深い側面を見せてくれます。

 例えば「Dm7/G」という4度ベースの型があったとしましょう。これはある意味ではハ長調の調域での「Ⅴ11の第3音省略」とも見なしうる事が可能な訳です。仮にも「Dm9/G」であれば、初期の坂本からすれば「G13の第3音省略」という訳です。

 しかも、属十一&属十三の第3省略とは「暗々裡」に済ませているだけで、自筆譜には「omit何某」という風に明示はされていないので、原曲のハーモニーの実際と原譜を対照させた上で確認しないと、作曲者本人の意図がなかなか確認できない六ヶ敷い側面があります。

 裏を返せば、初期作品に於ける原譜での「G11」あるいは「G13」という表記は「Dm7/G または Dm7(on G)」「Dm9/G または Dm9(on G)」という可能性があるという訳でもあり、坂本龍一もその後、ポピュラーの慣例的な表記に寄り添っていってコード表記が色々な書籍での監修にて初期作品との違いを確認する事が出来るので非常に興味深い所があるのです。

 そういう訳ですので、初期作品のひとつに数えられる「Sweet Illusion」というのも、今回私が取り上げるイントロ部分は2度ベースのパラレル・モーションが形成されている訳ですが、当時の解釈からすれば属十一の和音と見立てても良いのではなかろうかと思います。無論、その属十一は第3音省略が前提となっている事への理解が肝腎であります。


 属和音に於て第3音を省略するという事は、トライトーンを避けている事に他なりません。属和音は少なくとも属三和音というトライアドの場合もありますから、トライアドの場合だとトライトーンを避けるのではなく調的な意味から照らし合わせれば音階(全音階)の第7音である導音の包含を避けているという事になります。

 即ち、導音が主音へ進行するという事を希釈化させている訳で、機能和声的な働きとは異なる世界観を目指す事が優先されて然るべき物となる訳です。

 まあ、こうして態々機能和声社会のダイアトニック(全音階)なコード進行とは丸っきり趣きを異にする「Sweet Illusion」のイントロに於ける2度ベースのパラレル・モーションを聴いても尚、耳が機能和声社会を堅持する様な状態であるとすればその聴き手はまだまだ音楽的素養は醸成されていないと自覚すべきでありましょう。とはいえ「異質」な世界観である事くらいは認識しているであろうと思うので、あらためて機能和声社会とは異なる世界観である事は「触り」として認識しておいて欲しい所です。


 そういう訳で楽曲解説とさせていただきますが、冒頭小節での「D△7(on E)」に対して、ウワモノとなるシンセ・パッドは、アッパー部のコードのルート [=d] から数えて「♯11th」相当の音を含めてフレージングさせている事がお判りになります。他方、下部付加音である [=e] から見ればその [gis] は 長三度相当の音となるのです。




 つまりは、E13という属十三の第5音省略型のハーモニーを形成しているとも考えられる訳ですので、[e] を根音とする属和音であれば [d] を根音とするコードを曲解せずに捉えればDリディアンを想起する状況でもあるという訳です。アッパー部ではDリディアン系の音を形成し乍らロウワー部では暗々裡にEメジャー感を「不完全に」(=5th音相当をオミット)演出しているポリコード感を形成しているとも言える2度ベースの型でもあると見なしうる事が可能なのであります。

 このイントロで顕著なのは、シンセ・パッドが1拍3連のリズムを刻むも、実際には1拍3連のパルスの2音ずつの拍節構造を形成しており、2で聴く事よりも4で聴く方が拍節感を捉えやすくなる為、4拍3連構造として耳に届く訳ですが、背景のドラムのライド音、ベースおよびローズの仄かな四分音符や八分音符の明示が無いと、そのシンセ・パッドの拍節構造が判りにくいギミックとなっているのが顕著な部分であります。

 本来の4拍子をシンセ・パッドは「3」でノっているという訳ですから、こうした4:3構造はヘミオラ(セスクイアルテラ=2:3)の先にあるセスクイテルツィアと呼ばれる手法であり、基となる拍節構造と異なる拍節構造が混在する事により複雑な感じが増幅される訳です。異なる拍節構造が交錯している状況を「ポリメトリック」と能く呼ばれたりする物ですが、マーチングなどでもシャッフルを基とするのに突然「2連符」あるいは「4連符」に等しいメトリック構造を耳にしたりするそれは、こうしたポリメトリックという手法によって複雑さを増す様に聴こえさせる技法でもって形成された物なのであります。

 そのセスクイテルツィア構造に対して、もっと大きく俯瞰して曲を更に揺さぶりをかけたもうひとつのポリメトリック構造がフェイザーのLFOという事になります。このフェイザーのメトリック感というのは拍子に同期する様な現今のDAWプラグインに能くある類の物とは異なり、単に手動のLFOでありますが、基本的には2小節で1周期となる様な所を標榜していると思われます。

 シンセ・パッドのメトリック構造に対して四分音符&八分音符の構造を読み取るのは先述の通りですが、茲にコード・チェンジを介在させているのが心憎い所です。つまり、メトリック構造を読み取る為にリズム面に注力しようとしている所にハーモニー・チェンジも起こる訳です。それもノン・ダイアトニック的に。パラレル・モーションとなるコード進行は全音&二全音進行を組み合わせたパラレル・モーションであるという訳です。

 同一コードの移高がパラレル・モーションを生むのですから、最初のコードを原調とするならば「E△7(on F♯)」「C△7(on D)」という、基のコードからそれぞれ全音上下に別の調域の2度ベースのコードが出現しているとも俯瞰する事が可能とも言えるのです。そうした状況が1〜7小節目まで耳にするという事になります。


 7小節目のローズの高音部譜表の方では二声部に分けて書いておりますが、アッパー部となる3拍目には1拍3連の [2:1] 構造での先行の [2] の休符は、従前の掛留された全音符の音を止める必要は全くありません。

 しかし、先行する全音符の [d] 音と重複する音がアッパー部の3拍目として現れるのはどういう事か!? というと、長音ペダルを踏んだまま従前の音を鳴らし乍ら同度の音、即ち先行音が鳴ったまま同度の音を続けて鳴らすと、長音ペダルをリリースしない限りは独特の「飽和感」を生じる物です。

 私がもっと親切に採譜すれば、此処でペダル記号を充てても良かったのだろうとは思いますが、長音ペダル記号を充てるよりも2つの声部に分けて書いた方が精度が増すだろうと思い、この様にして書いた訳です。つまり3拍目で弾かれる [d] 音は、長音ペダルを踏んだままであるが故に(それを先行する全音符が意味している)、[d] 音は再度掛留されている事になる訳です。

 そういう意味では実質、3・4拍目での3&6連符での1拍6連のパルス部分はアルペジオ状態として各半音階の音は掛留されて実質的には半音階のクラスターを生んでいるという訳でもあるのです。譜面を深読みしないと、長音ペダルの掛留感が示されていない様に受け止められてしまいますが、実際には長音ペダルが必要な状況であるので注意が必要な部分です。


 8〜9小節目でのコード「E7(♭9、♯11)」というのは、構成音こそドミナント7thコードにオルタード・テンションが付与された状態として表記上は収まりますが、実際には上下に三全音調域同士のメジャー・トライアドが併存するポリコード状態でもあります。表記の上ではアッパー部のメジャー・トライアドが [ais=A♯] を含む [d・f・ais] となっておりますが、[ais] を異名同音の [b] に置換すると [d・f・b] となり、「B♭△」というメジャー・トライアドと見なしうる事が可能であり、ロウワー部でのメジャー・トライアド「E△」とのポリコードと成している事が分かります。

 三全音とは正確には3つの全音である為、音程的には五度ではなく四度由来の物となります。即ち非常に厳格に取り扱えば三全音は増四度であり減五度ではないという訳です。

 この様に三全音を厳格に取り扱うならば、「E△」に対して「B♭△」というのは三全音調域であるというのは正確さを欠き、正確には「B♭△」は「E△」「減五度調域」のメジャー・トライアドであり、それを《エンハーモニック(異名同音)変換したもの》とまで述べるのが正しいのであります。

 通常は十二等分平均律(12EDO)を取り扱う事がもはや不文律となっている事もあり、異名同音すらも不文律に押し込められてしまう事で、減五度すら「三全音」とまで呼ばれてはおりますが、これはヒンデミットも指摘している様に、三全音は「増四度」なのであり「減五度」ではないのです。但し、減五度もエンハーモニック転義させる事で減五度もトライトーンと呼ばれるという訳ですね。

 そういう事を念頭に置いてもらい乍ら「E7(♭9、♯11)」というコードが実質的に三全音複調型のポリコードであるという事実を再確認する事にしますが、三全音調域でのポリコードがこうして現れるという事は、「半音階」の世界を示唆している訳です。つまり全音階的な社会観ではなく半音階的要素を駆使するという提示でもあるでしょう。

 Aメロが分かりやすい程に調的な線運びとなるのは、半音階社会とのバランスでもあり乙張りでもあろう事は間違いないでしょう。実質本曲のウェイトを占めているのはBメロ後のブリッジでありますし、そこでのインプロヴァイズこそが真骨頂でありましょう。

 尚、9小節目までのシンセ・パッドに括ってある6ステージ・フェイザーの破線括弧が閉じていないのは、実はこのシンセ・パッドの一連の構造は、10小節目1拍目の1拍3連のパルス2つ分まで奏されている為括弧を閉じていないのです。とはいえ譜例動画では10小節目以降は聴く事ができないので原曲の方を耳にして確認してもらうしかありませんが、シンセ・パッドは10小節目1拍目まで継続しておりますのでご注意下さい。

 という訳で、「Sweet Illusion」イントロ部の譜例動画解説は茲までとさせていただきます。また別の機会に「Sweet Illusion」を語る事ができればと思います。