SSブログ

スティーリー・ダン「Your Gold Teeth Ⅱ」を検証 [スティーリー・ダン]

 YouTubeの方では2019年11月には既に譜例動画をアップしていた私でしたが、解説記事に取り掛かるのが非常に遅れてしまい漸く今頃の記事アップという事になりました。昨年11月から数えても、ブログ記事の件数は少ないものの幾つかアップしていたというのにこの有様というのは情けない限りなのですが、記事をアップするのは単に私の書きたい事をアップしている訳ではなく、順序があっての事なのです。そういう訳で今回あらためて「Your Gold Teeth Ⅱ」を語る事に。


 スティーリー・ダン(以下SD)のオリジナル・スタジオ・アルバム第4作目(※正規活動前の物は除く)となる『Katy Lied(邦題:うそつきケイティ)』は、レコーディング時のdbxのトラブルにより、本来の品質が損なわれたという話が広く伝えられる事もあり、オーディオ的要素を重視するファンからは見過ごされやすいアルバムであります。

 唯、私はSDのアルバムの中で『うそつきケイティ』は最も好きなアルバムであると断言できます。ジェフ・バクスターなどのオリジナル・メンバーが去り、実質2人だけの態勢が始まった本アルバムの楽曲は、高度なハーモニーとAOR然としたロックなリフも忘れないアレンジの配合が絶妙であり、楽曲としても「Black Friday」のサビの分数コードは今だに学ぶ事の多い非凡な物です。

 何より私が愛して已まない楽曲である「Your Gold Teeth Ⅱ」のイントロのコード進行は、SDファンならばこのコード進行が嫌いな理由など無いだろうと言えるほどの物でもあり、他にも佳曲揃いで素晴らしい楽曲ラインナップだと思います。

KatyLied.jpg


 SDファンというのはどちらかと言えば、器楽的素養のある人々が一定以上の音楽的素養を具備して耽溺に浸るというタイプが多いと思います。そういう立ち位置から見れば、SDで好きな曲と言えば!? と問われて真っ先に「Peg」「Hey Nineteen」というSDの中でも卑近な楽曲を挙げる人とは残念乍ら私はSD談義を交わそうとは微塵も思わないのですが、SDが好きな人であるならば、よもや「Your Gold Teeth Ⅱ」を卑近な楽曲とは呼ばないであろうと私は思うのであります。

 例えば、「Babylon Sisters」「Glamour Profession」「Black Cow」「Gaslighting Abbie」「Almost Gothic」「Negative Girl」という毒気の強い類の楽曲を好む人の多くは、そのハーモニーの複雑さに心酔していると思います。「Your Gold Teeth Ⅱ」もこれらのタイプに類する1曲と言えるでしょう。

 処が『うそつきケイティ』は日本国内のみならず世界中でもオーディオ・ブーム真っ只中にあった時期の作品であり、そんな時にアルバム・レコーディング時のトラブルというフレコミが付いて回れば、皮相的な聴き方しかしない連中は概して外方を向いてしまう訳ですね。私からすれば、本作品が仮にモノラル・レコーディングでリリースされたとしても星5つを献上した事でありましょう。オーディオ・リファレンス的な位置付けにならないとしても、楽曲クオリティが十二分にそんなネガティヴ要素を排除しているのです。それが『うそつきケイティ』なのであります。

 それほどまでにオーディオ・リファレンスたる要素をSDに求める人達にひとたび「Your Gold Teeth Ⅱ」を聴かせてみて、イントロはA=447Hzでリステッソ・テンポ後はA=446Hzになるという事を指摘するのは、おそらく真砂の数ほどのSDファンの中でも相当少数だと思うのですね。

 もしもこうした楽曲毎に異なるピッチの差異への指摘があれば却って大衆の興味を惹き、曲毎に異なるピッチを生じていた事でそれを後に判別できなくなり、dbxのデコードが上手く解決できなかった事も一因としてあるのではないかと私は疑っているのです。テープ・スピードを最大限速めて録音すれば音質向上は見込めるのですから。

 無論、こうしたコンサート・ピッチの差異を明確に認識してはいない聴き手も、楽器を片手に爪弾けばチューニングが異なる状況に気付く筈であります。そうした点を知ってか識らずか、暗々裡に違和感を抱いている人も中には居られるでしょうし、そうした違和が製作舞台裏のトラブルが後押しとなってアルバム評価を下げてしまう要因になっているのかもしれません。

 なぜ楽曲毎にピッチが異なるのか!? という理由についは未だに判然としませんが、オーディオ解析の技術に乏しい70年代前半のアルバムと雖もギターとチューナーを片手にすれば当時でもピッチを後から探る事は可能だったとは思います。バリ・ピッチを弄っていた事で完全な再現が出来なくなっていた可能性があるという事を私は推察しているのです。しかもそのバリ・ピッチのコントロールがクリック付きの段階コントロールではなく無段階の連続可変だったらお手上げでありましょう。

 無論、業務用MTRとてワウ・フラッターは存在していた訳ですからdbxのエンファシスがワウ・フラッターを検出できない程の精度でしか動作しない様な状況もまた考えにくい物ではありますが、いずれにせよ曲毎に異なるコンサート・ピッチのそれがレコーディングの煩わしさと諸問題を抱えている事の一因となっているという事は想像に難くない所であります。

 念の為に『うそつきケイティ』の曲毎のコンサート・ピッチを下記に列挙しておきます。レコーディング用MTRのバリ・ピッチはコンサート・ピッチに都合よくヘルツ単位で調節できるという物ではありませんが、下記に示すピッチであればその近傍のピッチだとしても収まる所を採っております。「Your Gold Teeth Ⅱ」のみ前奏とリステッソ・テンポ後とで異なるピッチとなっている事は異なる録音だという事が明白でしょう。唯、ドラムとベースだけ最初に録った可能性もあります。

Black Friday (440Hz)
Bad Sneakers (446Hz)
Rose Darling (445Hz)
Daddy Don't Live In That New York City No More (443Hz)
Doctor Wu (444Hz)
Everyone's Gone to the Movie (444Hz)
Your Gold Teeth Ⅱ (447/446Hz)
Chain Lightning (442Hz)
Any World (That I'm Welcome To) (443Hz)
Throw Back the Little Ones (443Hz)

 レコーディング時のバリ・ピッチをこうして変化させてきているにも拘わらず、彼等はレコーディング時のそれらのレコーディング・チャートを恐らくや紛失してしまったのではなかろうか!? と私は思います。

 原因不明のdbxのデコードも上手く機能しなくなり、ゲイリー・カッツやロジャー・ニコルスがdbx本社に足を運んでまで改善を求めたが上手く行かず、結局、デニー・ダイアスとウォルター・ベッカーがマスタリングを施したのがリリースに足り得るとして発売されたという事が、先般刊行されたアンソニー・ロブステリ著『スティーリー・ダン大事典』にも記されております。

TheSteelyDanSongbook.jpg


 とはいえ『スティーリー・ダン大事典』にて、なぜ『うそつきケイティ』では複数の異なるバリ・ピッチが施されてレコーディングされていた理由などは明記されてはおりません。聴けば明らかにピッチの高いそれらですら、耳の鋭いオーディオ・マニアからこうした声を聞いた事など私はひとつも聞こえて来ないのは残念至極ではありますが(笑)、一体彼らが音楽の何を聴き、何を堪能しているのかがあらためて読み取れる側面なのかもしれません。ひとつだけ言えるのは、器楽的&音楽的素養を高めて物を言え、という所でありましょう。

 dbxの誤動作についても、プリエンファシス/エンファシス(録音時/再生時)での異なるテープ・スピードで再生される事でエンファシスがエラーとなってしまう様な動作になるのか!? という理由を漠然と浮かべた所でそれは判然としない所ではあります。

 何れにしても上述の様に各曲があれほどまでにピッチが異なるというのは普通は有り得ない状況なので、どのような理由からそうなったのかも判然としません。何らかの機材トラブルが招いた一因なのか、それともベッカー&フェイゲン時代のあからさまなテープ・スピードの差異に本人達の声質(フォルマント)すら変わってしまっている状況を敢えて嘲笑うかの様にバリ・ピッチを好き放題施したのか。將又、カジュアル・コピー防止の為の容易い採譜を許さぬ様に手を施したのか!?

 そうした無根拠な理由は幾つも思い付くものですが、どれほど推測しようともこれらの件に関してはSDのご両人および製作関係者から全く詳細が聞こえて来ないのですから部外者が判る筈もありません。況してやベッカーはもう他界しており、マスタリングに関わっているひとりが彼岸を渡っているという状況が真実を探るという事をさらに難しくしているのは言うまでもありません。

 後年TOTOのドラマーとして名を馳せるジェフ・ポーカロの父の形見であるジルジャンのシンバルがdbxのせいでリリースの際のブリージングで不十分な余韻となってしまった事に嘆息し恨み節を繰り広げていた事も、オーディオ・マニアさん達の胸に深く刻み込んだのでありましょう。

 今となってはベッカー同様に彼岸を渡った名ドラマーを茲まで嘆かせるとは、リファンレンスの対極に位置付けられるアルバムであろうと特に当時から人気が高かったジェフ・ポーカロの嘆息に対してファンが悪心を抱く事があってもなんら不思議ではありません。とはいえ私個人としてはジェフ・ポーカロのルーズなキックとハットのタイミングがあまり好きではないので特に肩入れしようとは思わないのも正直な所でもあります。結構揺れますよね、ジェフ・ポーカロは。

 クロスオーバー・ブームという下地があった日本国内(※最盛期は1978〜79年。76〜80年辺りがクロスオーバー/フュージョンブームの時代であり、この潮流の発端はムーヴメント前のR&B、ディスコ、ブラック・コンテンポラリー・ブームと、それ以前のシネマ音楽のインストゥルメンタル音楽が一役買っていた事に起因)に於ては、当時の最隆盛期とも呼べるオーディオ・ブームと相俟って質の高いリスニング環境と質の高い音楽という耽溺に浸る事が持て囃された物で、持ち家を手に入れにくい状況であっても、せめて自分の部屋や自分の車の車内を耽溺の世界に変容させる為にあらゆる分野で音楽は都合の良い材料であったので、流行音楽となれば付加価値を更に高めてくれたとも言える訳です。

 耳の肥えたリスナーを満足させるであろう、そうしてAORというジャンルにカテゴライズされたSD。まあ、楽理も知らぬ好事家の耳を惹きつけた事だけは間違いありません。MORという王道路線を邁進する事となったTOTOの中心メンバーのひとり=ジェフ・ポーカロのそうした嘆息が、一層世論の後押し(あくまでもうわべだけのファン)して、結果的にジェフ・ポーカロの声に靡いて『うそつきケイティ』というアルバムの評価は正当な評価を待たずして決して良くは無い部類の方へ片付けられてしまっていたのは間違いないでしょう。

 なにせ後年、フェイゲンのソロ・アルバム『ナイトフライ』がオーディオ・リファレンスとして位置付けられる事を思えば、『うそつきケイティ』という製作段階でミソの付くアルバムを同列に並べる事すら烏滸がましい物であったのかもしれません。そうした悲哀なる対照も手伝って「うそつきケイティ』の評判は概して悪い物なのです。しつこい様ですが、私はSDの中で最も好きなアルバムです。

 
 一般的に触れやすい『うそつきケイティ』のアルバム評は決して高くないものですが、それは「謬見」と捉えるべきもので、何(レコーディング・トラブルとジェフ・ポーカロの嘆息)が誇張され、何(楽理的に難しい曲が揃っている=一般的に馴染みにくい)が拍車を掛けているのか!? という点をしっかりと認識していないと、『うそつきケイティ』を正当に評価はできません。

 ジェフ・バクスターを初めとする初期のバンド体制ではなくなって最初の船出となるアルバム。おそらくフェイゲンは相当なまでにマイケル・オマーティアンをリスペクトしたであろう、従前の歌い方を変えて来ておりだいぶオマーティアン風にしながら、その後のフェイゲン独特の声が確立されたかの様にも思えます。

 例えば「Throw Back the little Ones」の中間部のブリッジやアウトロ(※CDタイム2:47〜)を聴くだけでも、オマーティアンの名曲「White Horse」を聴くかの様なカンタベリー系プログレっぽいコードワークが聴けます。私はかねてより、この部分をオマーティアン風だなあと思っていたのですが、ロブステリの著書を読むと矢張り、オマーティアンが絡んでいた事が『スティーリー・ダン大事典』202頁に述べられており、あらためて首肯する事頻りです。







 尚、余談ではありますが「White Horse」の4:06〜からのメトリック・モジュレーションは、従前の拍子での1拍6連のパルス4つ分が後続の16分音符×4のパルスと同等の歴時でセスクイアルテラと成す高度なギミックで、ジェントル・ジャイアントの「So Sincere」と非常に似るメトリック・モジュレーションでもあります。



(※「So Sincere」のあたかも1拍に聴かせているそれは、1拍6連符の4つ分のパルスであり、ドラムのキックが16分音符を明示している)

 近年のプログレでジョン・ヤング率いるLifesignsの同名アルバム・タイトル『Lifesigns』収録の「Carousel」の埋め込み当該箇所も、それらしい雰囲気を投影しうる物だと思いますので参考まで。





 扨て、茲から本題に入り「Your Gold Teeth Ⅱ」(以下「YGT2」)の譜例動画解説をしてまいります。譜例動画としている部分は、本曲の前奏部分であり、歌に入る直前でのリステッソ・テンポのメトリック・モジュレーションとなる「イントロⅡ」と呼ぶに相応しい部分までを抜粋しました。




 この前奏部分は、SDのバンド時代でのブートレグ音源でも聴かれる事の多いもので、多くのファンはこの前奏目当てに食い付いているものでありますが、曲名は充てられておらていなかった様で、「Instrumental」などと能く記載されていたります。

 晴れてスタジオ・オリジナル・アレンジとして陽の目を見る事となったこの前奏部分がよもや「YGT2」になろうとは……。リステッソ・テンポで奇を衒う意味もあったのでしょうが、おそらくジェフ・ポーカロがバーナード・パーディー系統のハーフ・タイム・シャッフルやハチロクを得意としていた事に起因するのかもしれません。

 スタジオ・オリジナル版「YGT2」の採譜が厄介なのは何と言ってもビブラフォンのプレイに尽きます。ザッパを採譜する様な難しさに思える程です。しかもピッチはA=447Hzとなっておりますが、無論これはレコーディングでもピアノやビブラフォンを447Hzに調律されたものを用いるというのは到底考えにくい事で、ピアノの調律はまだしもビブラフォンを447Hzにするというのはなかなか考えにくい所です。

 勿論ビブラフォンも違ったコンサート・ピッチや微分音対応として調整したりする事は可能なのですが、そうした状況に応えられるプレイヤーや楽器を揃えるのは結構難しいのではなかろうかと思います。ですので、バリ・ピッチで447Hzで再生されていると考えるべきですが、レコーディング時が440Hzだったのかどうかまでは判りません。唯「Black Friday」ではオマーティアンのフェイザーの効いたホーナー・ピアネット(左ch)とデヴィッド・ペイチのウーリッツァー(右ch)が左右に振られて440Hzだという事を勘案すると、他の曲のレコーディングも440Hzで採られたのではなかろうか!? という風に推察するに及ぶところです。

 小節順を追い乍ら語って行く事としますが、まずは冒頭1小節目のC♯m7から2小節目後続のDm9というコード進行に於てベッカーは敢えて対斜(三全音進行)を介して来ます。つまり [gis → d] という風に、C♯m7の5th音を態々選択した事により、後続Dm9のルートとの間に機能和声的な視点から見れば大変よろしくない作法が見て取れる訳ですが、私はこれをよろしくないとは微塵も感じておらず寧ろ非凡なアプローチだと信じて已みません。

 その理由として、三全音を生じさせたという事を調的な意味に還元すれば、ドミナントが現れて相応しい状況という事を意味するのと同様になります。そこで「C♯m7とDm9」という2つのコードを、ある特定のモード・スケールから生ずるコード群から俯瞰した1組として見立てた場合、先行和音「C♯m7」というコードは恰もDルーマニアン・マイナーの第7音を半音高くムシカ・フィクタを取りつつ、Dm9では先行和音の特性音である [gis] を活かし乍らDルーマニアン・マイナー・スケールとして弾けば、特異なモーダル状況を示唆した上で必要な対斜であるとも言える訳です。

 そういう意味から、ベッカーは各コード毎にC♯ドリアンとDドリアンを充てるアプローチというよりは、寧ろふたつのコード進行を俯瞰して「あるひとつのモード」の世界観を示唆する事で態と対斜を明示していると考える事ができます。加えて、機能和声社会で禁忌となるそれをあからさまに明示している事でモーダルな状況を、フレーズの下支えとなるドミナント・コードという響きは回避して三全音という進行を「是」とするそれが却ってモーダルな状況を喚起するとも云える訳です。単に [gis] 音を選択したという風に看過すべきではない、遉のベッカーのアプローチと言えるでしょう。

 もしもC♯m7の後続和音がカデンツ、つまり機能和声社会での終止への流れとなる和声進行を喚起する類の響きとなるコードであれば、対斜を含む必要はなくなりますし、敢えてノン・ダイアトニックな音を辷り込ませてまで対斜を形成させるのは望ましくはないアプローチとなりますが、ノン・ダイアトニックゆえに目立つ訳ですね。ノン・ダイアトニックとも言えますし、局所的に生ずる非常に短い歴時での転調とも言えるでしょう。

 更に附言すると、「C♯m7とDm9」という2つで1組となるこれらが「ドミナント」的な存在を匂わせているとも考える事が対斜に依って明白になるのです。

 2小節目の3・4拍目から3小節目までは「E♭△9」です。この和音に対してのドミナントと仮定するならば、F♭もしくはB♭音を根音とするドミナント7thコードをイメージすれば、E♭△9への進行というのは一層弾みが付く筈です。

 そこで、F♭を「E」と読み替えてみましょう。先述のDルーマニアン・マイナーというモードの第2音として [e] が存在するのですが、Dルーマニアン・マイナー・モードのⅡ度のダイアトニック・コードは「E7」であり九の和音の場合は「E7(♭9)」を生ずるのです。

 その上で、Dルーマニアン・マイナーの第7音が導音化した [cis] も材料音として加えた場合、「E7」からは「♮13th」も使える状況を招いて先の2つのコード間をひとつのモードで串刺しして俯瞰する事ができる訳です。こうした重要な示唆をベッカーは対斜を辷り込ませているのが非凡なアプローチと言える訳です。無論、冒頭の当該箇所では誰もがインプロヴァイズを執ってはおりませんけれどもね(笑)。更なる高次なジャズ・アプローチという状況をベッカーが匂わせている事が判ります。

 こういう、たった1音で音楽の凄さを表現できるベッカーにはあらためて畏れ入るばかりであり、他界してしまった事が悔やまれます。

 あらためて「C♯m7とDm9」の1組の夫々の和音構成音が引き連れて来る音は [cis d e f gis a h c] であり、Dルーマニアン・マイナーを誰かが奏しつつ、更に他のプレイヤーが各コード毎にドリアンを充てれば、完全に複調状態となる訳です。

 するとC♯m7コード上に於て多くの半音階を見る事になる訳ですから、そうした流れに呼応して2小節目3拍目以降でのビブラフォンが上行クロマティックで呼応するのは実に理にかなっているアプローチであり、決まっていると思います。従前のノン・ダイアトニックなコード進行が誘うクロマティシズムへの回答な訳です。

 ドミナント7thコードが現れないのに、特定の和音間に生ずる対斜を利用して仮想ドミナントと見立ててアプローチを繰り広げるという事は、渡辺香津美&坂本龍一の『KYLYN』収録の「I'll Be There」のブリッジ部分でも同様のアプローチとして見立てる事ができ、過去にも説明したので興味のある方はブログ内検索やYouTube動画をあらためて確認いただければと思います。







 4小節目1・2拍目のDm9は別段変わった事はありません。但しリピート後となる15小節目での同箇所では同義音程和音への表記変更となるので注意して欲しい部分で後述します。同小節3・4拍目でのG6/Aでは特に変わった事はありません。

 5小節目でのE♭m9というのも、先行和音Dm9を介してあらためてモーダル・インターチェンジを施しているという訳です。

 6〜7小節目で注意をしていただきたいのは、6小節目4拍目に於て先行和音「Gm7/C」より半音高い「G♯m7/C♯」を介しますが、この「G♯m7/C♯」は単に経過和音として解釈してよろしいかと思います。

 この経過和音が無いと「Gm7/C」という同一のコードがだだっ広い2小節を占める事となり、リフ系統となるような気の利いたフレージングを挿入しないと辛い所でしょう。そうした惰性感の演出を避ける為の揺さぶりとして経過和音を登場させているのは明白でありましょう。

 8小節目拍頭からのFm7に於てビブラフォンはFドリアンで対処しているのがお判りになるかと思います。部分転調の様に調性感が都度現れる様な所では、マイナー・コードをドリアンで対処している訳です。

 8小節目2拍目でのE♭△7でもFドリアンからE♭アイオニアンを充てて対応させて問題の無い所でしょう。

 処が後続和音となる8小節目4拍目での「Dm7」は従前の流れでは対処しきれない移旋を必要とする場面です。ですのでビブラフォンの最高音は [a] に変じている事でFドリアンはDドリアンへと大局的な意味でセスクイトーン(一全音半)進行となっている訳です。

 このセスクイトーンは、冒頭に現れた「対斜」の新たなる回答を見出せるものです。三全音という音程を更に「砕いた」音脈であり、三全音という音程が2等分されれば300セントという音程を生じます。この音程を短三度と見るか増二度と見るかは扨措き、セスクイトーンという状況が三全音のちょうど半分という事自体になんら変わりはありません。

 ノン・ダイアトニックな状況をもひとつのモードとして俯瞰してみた時、少なくとも一つの調性社会での材料音となる7音(ヘプタトニック)から材料音は8音以上になる事を示唆しています。

 そうした状況をひとつのモードとして俯瞰可能な様に串刺しを可能とする見立てで、材料音となるモード(=音階数を8つ以上に準備)のそれをドミナントとして見る事のできる状況を喩えるならば、複調という状況をひとつのドミナント7thコードで見ようとしている事とほぼ同一となる世界観を生じたりします。

 たとえそれが複調でなかったとしても、結果的には全音階という卑近な7つの音を備えたヘプタトニック社会が音の数が超えるにしたがって12音の半音階社会に接近している事だけは疑いのない事実であります。

 更に例を挙げれば、ひとつのドミナント7thコードに対してさらに上方セスクイトーン調域のドミナント7thコードが併存する状況があったとします。ポリコード表記をすれば「E♭7/C7」と書く事も可能です。これを「C7」という世界からひっくるめて俯瞰した場合、「C7(♭9、♯9)」という本来ならば同度由来の変化音が併存する訳はないのに、こうした状況を招く事があります。ベルクの「ヴォツェック」でもこうした和音が生じます。

 セスクイトーンを視野に入れた時、原調が維持されていてインプロヴァイズを執ろうとする者だけがセスクイトーンの脈を視野に入れている状況ならば、そのアプローチを施した時初めて複調状態を生ずるものです。勿論コモン・トーン(共通音)ばかりではなんの変化も感じられないので、新たなる材料音を用いない限りは複調として聴こえてくれる事はないでしょう。

 原調のドミナント7thコードの下方のセスクイトーンに複調側のドミナント7thコードが現れる事はないのか!? と思われる方が居られるでしょうが、ポリコードと成すどちらか一方をトライトーン・サブスティテューション(三全音代理)をさせれば、下方セスクイトーンに現れたり主従関係が逆となって上方セスクイトーンが現れたりする事でしょう。

 楽曲冒頭の2つのコードを1組として「E7」を見た時、基は「F♭」でした。これが短二度下行となって「E♭△7」に行くという事は、その帰着点をトニックとみなした場合、Ⅴ度となるドミナント7thコードは「B♭7」である筈です。つまり、E♭△7という3つ目のコードまで俯瞰しようとするのは可能であり、その場合Dルーマニアン・マイナーとA♭リディアンとの複調を軸として俯瞰可能という事でもあります。

 何れにしても [B♭─F♭] という三全音を「少なくとも」2分割してセスクイトーン調域を新たに見出す事も可能なのであり、そうなれば [D♭─G] もしくはそれらの異名同音を新たな主軸として見立ててアプローチ(スーパーインポーズ)させる事も可能なのであります。

 そうした曲折を経て本曲冒頭のコードがハ長調調域の「Dm9」を一旦の帰着点としたのも、[des・g] を三全音に持つ変イ長調(=A♭)との三全音調域&長・短の置換という風にした時、変イ長調の平行短調である=Fmが、ハ長調調域でのDドリアンをDマイナーと同義に扱う事で、FmとDmの間で生ずるセスクイトーン調域をも見越しているが故の事であり、セスクイトーン調域への音脈への正体が、半音階からの俯瞰した姿の断片と見る事が可能な証拠でもある訳です。

 三全音を九全音に還元して九全音を4等分すれば450セントの中立音程が生まれます。ヴィシネグラツキー流ならば「短四度」ですが、音脈としては真の減四度といっても差し支えないでしょう。

 十二平均律(12EDO)の世界での減四度は物理的な音程としては長三度と等しいサイズとなりますが、私のブログでも散々示して来ている様に、特に短調での減四度はそれが長三度に等しいサイズの音程であるにも拘わらず使われている例は「Black Friday」でもありますし、後年ではドナルド・フェイゲンのソロ・アルバム『Kamakiriad』収録の「Tomorrow's Girls」でのベッカーの非常に奇妙なギター・ソロのそれに減四度が充てられております。

 ベッカーをはじめフェイゲンとの2人で、当時からこうした音楽の深部を探っていたかと思うと空恐ろしい位であり、凡庸な人間がそうした現実に気付く事がどれほどまで晩いのかという事にあらためて気付かされるのは私自身とても忸怩たる思いであります。

 9小節目では先行する移勢されたDm7がそのまま掛留となり、オシレータ発振とも思しき微分音として「Bセスクイフラット」のシンセ音を耳にする事ができます。注記を充てている事がお判りの様に、「十五全音の1/4」の音程を意味しているので、十五全音=2オクターヴ+三全音=3000セントを4等分=750セントという事となります。

 つまり、Bセスクイフラットから750セント上方には十五全音に拡大した三全音の一方の音である [f] があるという意味でもあるのです。なぜなら、Dm7というコードをハ長調域由来の物と想起した上での三全音 [f・h] が存在するとしているからです。同時に、その三全音を複音程へと曲解する事で微分音導出を促進させているという物でもあります。

 然し乍らシンセのそうした微分音導出のそれとは裏腹に、ビブラフォンは「移旋」し、Dフリジアンと解釈した事で [es] を生じているのがお判りかと思います。そういう意味では、ビブラフォンがDフリジアンへと移旋した時点で複調感が生ずる事にもなる訳です。

 そうして10小節目ではCm7へ進んで11小節目では全音上行のパラレル・モーションを四全音上行となる増五度上まで進める所が非凡です。

 12小節目の帰着点はC♯m7となる訳ですから、調性感としては落ち着こうとすると半音階的な脈で従前の調性の余薫を許さない程に半音階を駆使しているのが判ります。また、この帰着点となるC♯m7上でもシンセは拍頭で微分音を奏しており、これは [f] より32セント低い事を示しており、[h] より32セント低い音の完全五度上にある音という意味で注記を充てているのです。
 
 つまり、C♯m7というコードが響いているものの [cis] 基準から見た自然七度が [h] より32セント低い所にある訳です。その完全五度上に生ずる音が、拍頭にあるシンセの微分音という事を意味しています。こうした見立ては、三全音を4等分して得た150セントという近傍を自然七度に充てているのであろうと解釈しうるものであります。

 減四度という音程がありますが、これは十二平均律(=12EDO)に収めるならば音程サイズとしては完全四度から半音低くなる長三度と等しいサイズとなってしまいますが、中立音程が視野に入る音律であるならば長三度よりは広く完全四度よりは狭い事を示すものでもあります。四分音律での24EDOにて減四度を見るならば、完全四度よりは50セント低く長三度よりは50セント高い四度音程を意味する事となる訳です。

 中立音程での音程となるとヴィシネグラツキーの様に、減四度とは呼ばずに「短四度」などと呼ばれる例もあったりするのですが、兎にも角にも12EDO社会に於て減四度の活用例として実際に存在するのは概してマイナー・キー若しくはマイナー・ブルースであります。いずれのスタイルでもそれが12EDOであるならば、減四度は長三度と同等の音に収束してしまう物ですが、12EDOであってもイントネーション的に音楽的な「訛り」で色付けをして中立音程を奏するプレイヤーも存在したりはします。唯、状況がそうであっても、長三度を更に50セント高める様に用いる例は少ないかと思います。やはり四度を低く採る解釈として受け止める状況となる方が「自然」な姿であります。

 私のブログでもSDの「Black Friday」での減四度使用例を取り上げて来ましたが、今回はそれよりも好例となる曲をひとつ選んで来たので、この機会に減四度使用例を取り上げる事にしますが、それがドナルド・フェイゲンのソロアルバム『カマキリアド』収録の「Tomorrow's Girls」でのウォルター・ベッカーに依るギター・ソロを取り上げてみましょう。










 YouTubeにアップした譜例動画の当該部分も併せて確認してもらう事にしますが、私の見立てではありますが、おそらくベッカーは変則チューニング(スコルダトゥーラ)を施した上でギター・ソロをプレイしていると思われます。1&2弦をセスクイトーン(1全音半)下げという風に解釈します。1&2弦だけを3フレット分(3半音)下げるという事を明示しているという訳です。

 そうする事によって、開放弦と押弦を併用した運指を用いる事でヴォイシングが奇天烈になる訳ですが、そうして現れる奇異な音が重変ホ音(=E♭♭)であり、これがマイナー・キー上にて生ずる減四度の確固たる例という訳です。

 ギター・ソロの1小節目でのギター・パートでは両外声にレット・リングを振っております。つまり [g・eses]=G♮・E♭♭にレット・リングが充てられている意味は、後続音に架かって欲しい音なので、後続にはレット・リングとする両外声のみ僅かに掛留させて欲しい音なのです。他の箇所ではレット・リングはもう現れませんので、このレット・リングだけは注意して下さい。

 無論、ベッカーの非凡な所は減四度のみならず♮13thをも用いる事で刺激の強い音を使っているという訳です。

 正直なところ、私がフェイゲンのアルバム『カマキリアド』のCD発売日に本曲のベッカーを聴くまでは私にベッカーへの憧憬の念というのはほぼありませんでした。フェイゲンばかり信奉していた愚か者のひとりだった訳です(笑)。そうした愚か者を嘲弄するかの様に音楽の深部をまざまざと見せつけられる事で、ベッカーの凄さをあらためて知る事となり、その後のベッカーのソロアルバム『11の心象』で確信に変わったという訳なのです。こうした凄さを見せ付けられては研究・分析せざるを得ないではありませんか。

 そうして私はあっさりと宗旨替え(嗤)をし、SDの久々のスタジオ・オリジナル・アルバム『Two Against Nature』発売に伴い「Negative Girl」を聴いた途端、嗟乎、之はまさにベッカーの世界観と確信し、この頃には既に深い憧憬の念を抱く様に変容していたという訳です。

 彼岸を渡ったベッカーですが、SD初来日での公演にてベッカーの「Book of Liars」の演奏が終わった直後のまばらな拍手(あの大観衆にあって「沈黙(しじま)」と化した本当に寡く繊弱な拍手)こそが殆ど多くのSDファンはベッカーに期待などしていない心情の表れだったと思います。

 私はあの時点でベッカーへの見る目は変わっていたので《うわあ可哀想……》と思い乍ら周囲の圧に負けた弱々しい拍手をした物でしたが、アルバム『サーカス・マネー』がリリースされて以降こうした風潮はガラリと変わったのではなかろうかと思います。

 扨て、先の譜例動画に話を戻しますが、ギター・ソロの8小節目2拍目に5連符の逆付点として[2:3] のパルスで書かれる付点の方の [ges] は、パッと聴きでは属音 [f] に変じて聴いてしまうかもしれませんが、これは演奏も譜面と同様に [ges] であるのでご注意ください。


 SD楽曲の例に見受けられる減四度は、いずれも12EDOという半音階に「吸着」して均された例であります。これらの例とは別に、従前の12EDOに対してより揺さぶりをかける意味で中立音程を併存させるアプローチを採ってもなんら問題はありません。そうした状況で得た真の減四度が和音の根音あるいは音階の基本音または倍音列の基音から上方に数えて450セントの近傍に位置する中立音程として響かせる事に誹りを受ける事はないのです。よっぽど酷く響かせていない限り音脈としては間違っていないのです。それが複音程からの分割となる音脈だと思えば尚更です。

 なぜなら「半音階」とて、純正完全五度=「Ⅴ」とした時の「12Ⅴ」を単音程に還元して丸め込んだ解釈に過ぎず、実際には複音程の分割に基づくが故に、何某かの音程を複音程化させて分割する事になんら問題はないのです。


 扨て、本題の「Your Gold Teeth Ⅱ」に戻る事としますが、13小節目では従前のDm9だったコードがDm11へと変化している所が最初の注意点となります。また、ベースは1オクターヴ下に更にムーグに依る音を付加しているという所も同様に注意していただきたい所です。

 そうして13小節目3・4拍目でE♭△9へと進行し、そのまま14小節目へと掛留となります。

 15小節目に於ては従前の「Am7/D」を「C6/D」へと表記を変えた点が気になる所ではあろうと思います。6thコードはこれまでも私のブログで述べて来ている様に、6th音が上行限定進行を採る時に必要な解釈の為の表記である事は今回も同様です。

 但しジャズに多く見られるその6thノートの扱いとは、例えば最高音に採られる筈の6th音が内声にオクターヴ重複していたり、或いは内声だけに6th音の存在があるという事は珍しくありません。

 ジャズ/ポピュラー音楽に於ては6th音が外声にあろうと内声にあろうと6th音がその後続音へと順次進行するという所が確認できれば6thコード表記とするという物であれば好いのであり、ビブラフォンが [a - h] へと動く事がそれを満たしている事となります。

 シンセ・リードが [c - a] という風になっている所も、弱勢に [a] が現れるとしてもこれはビブラフォン側のAm7としてよりもC6の方が良いであろうとしたのは、後続和音へのパラレル・モーションを示唆している事でもあるからです。

 そうして16小節目E♭m9へと進行し、17〜18小節目では新たなるコードとしてB♭△7(on C)という2度ベースが現れます。

 19小節目ではFm7→E♭△7→Dm7へと進行し、Dm7は保留で20小節目でも掛留となります。この時拍頭を叛いてビブラフォンが下の [f] を奏しますが、私の耳ではそう聴こえていた為この様に採譜しております。

 21〜22小節目ではF9/Cという5度ベースで、23小節目ではリステッソ・テンポとなるので拍子記号は9/8拍子で、八分音符×3のパルスを1拍を八分音符の [2:1] で奏する事で「シャッフル感」を生じたままジャズ・ワルツのスウィングを堪能できるという訳です。但し多くの方はこれをワルツとは採らずに2拍子系に採ろうとするのは、2小節ひと組を一かたまりと捉えようとするからです。本当は「速い3拍子」であるので、2小節を一かたまりと捉えようとするからです。これはジャズ・ワルツであり、ビル・エヴァンスの得意として居たもので、ワルツの各拍子はさらに [2:1] のシャッフルを採っているのが特徴です。

 この [2:1] という恰も3連符を「4」という平準化で4連符あるいは「2」という2連符に平準化させるのもビル・エヴァンスの得意とするメトリック・モジュレーションを忍ばせた物です。茲にヘミオラが加わると、チック・コリアも得意とするメトリック・モジュレーションの例になろうかと思います。何れもジャズが発端ではなく西洋音楽が発端である事は言うまでもありませんが、このジャズ・ワルツ部ではトニック・コードに付加和音=Aadd9で暈かす事で、あからさまな主和音の響きを避けて中和させているのがお判りになります。

 無論、直後に下主和音(♭Ⅶ)へと変じる事で、それがメジャー・ブルースを誘引している事もあらためてお気付きになろうかと思います。ここでのジャズ・ワルツのスウィングによるライド・シンバルが上手く余韻が出ておらずにシンバルのチップだけがコツコツと目立ってしまう事にジェフ・ポーカロは嘆息しているのであろうという事もお判りになろうかと思います。

 いずれにせよリステッソ・テンポ後の重要な事は、9/8拍子の2小節を大きな一かたまりとして捉えるという事です。とはいえ楽曲構造は2拍子系統ではなく3拍子であるというのが重要なのです。何故そうなのか!? それは、人間のリズムに対する心理的特性でもあり楽典では初期から習う重要な事なのですが、3拍子というのはそのテンポを速めた時、3つの塊をひとつと捉える様になり、3つの塊を2組と捉えて2拍子化してしまうという特性が関わっているからなのです。

 本曲のテンポは「速め」の3拍子である為、2小節という括りをひとつとして聴こうとしてしまう中庸のテンポにある微妙な所であり、この微妙な所のそれが「ジャズ・ワルツ」の骨頂でもあるが故に、口角泡を飛ばすかの様に強調して語っているのは、それほど重要な事であるからなのです。

 斯様にして「Your Gold Teeth Ⅱ」の前奏部分の重要な事がお判りいただけたかと思いますが、こうした楽理的側面を深く語ってくれるSD関連の書籍が無いのも残念な点ではあります。こうした側面をもっと広く伝えたいが故に私は譜例動画にしたという訳です。