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ギター・スコアに於けるレット・リング書法を渡辺香津美作品での試み [楽理]

 前回はレット・リング書法に関しても詳述した事もあり、巷にある楽曲を採譜した場合のレット・リングはどの様にして譜面(ふづら)として映るのか!? という状況を例示してみようかと思います。今回の例に選んだ楽曲は渡辺香津美のアルバム『The Spice of Life 2』収録の「Concrete Cow」のイントロであります。

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 本アルバムの発売が1988年。よもや32年の月日が流れた事にあらためて驚きの念を禁じ得ませんが、その驚きとは単なる私的な部分であるに過ぎず、齢を重ねたという嘆息交じりの思いの事であります。

 過去に私のブログ記事にて本アルバムの前作品となる『The Spice of Life』の中野サンブラザでのライヴのそれについて語った事がありましたが、メンバーはビル・ブルーフォードとジェフ・バーリンに加え『The Spice of Life 2』では80年代ジェスロ・タルのキーボード、ピーター・ヴェテッシが参加しているというのが異なる点となります。

 ジェフ・バーリンが曲の演奏途中でミニムーグでベースを弾くという事も見せていたのでありましたが、ベーシストがエレキ・ベースに拘泥する事なくシンセ・ベースを奏するというシーンを私はそれまで、キング・クリムゾンでのトニー・レヴィンに依るムーグ・ソースやザ・スクェア(現Tスクェア)での田中豊雪のミニムーグ位しか観た事がなかったので、圧倒的な技量でエレキ・ベース1本で耳目を集める事の出来るジェフ・バーリンがシンセ・ベースを披露するとは思いもよらなかった物でした。彼らのこうした特定の楽器演奏に於ける偏愛の無さが音楽的素養を深めているのだろうとあらためて思い知らされた物でもありました。

 渡辺香津美の「Concrete Cow」ですが、あくまでも私個人の感想で言わせていただくと氏の楽曲の中でも五指に数えられる程の名曲であろうと思います。

 氏の初期作品を知る人であれば本曲が「Inner Wind」系統の楽曲として投影するであろうと思われますが、MOBO Ⅲ以降の時代、開放弦や異弦同音を巧みに使ったアルペジオは非常に能く多用していた様に私は記憶しております。

 この異弦同音への並々ならぬ氏の追究の源泉は、氏が信奉して已まない故ラリー・コリエルの影響という事である様で、初期作品の頃から異弦同音のプレイを其処彼処で聴く事が出来たのは同時に、故アラン・ホールズワースの存在もあったのではなかろうかとも思います。

 小柄であり乍らも香津美氏のワイド・ストレッチの運指というのはかなり重要な要素であるのは言うまでもありません。

 思えば「Inner Wind」は『Olive's Step』に収録されていた物で、ベースが後藤次利にドラムがつのだ☆ひろという、ジャズ・フィールドでは到底思い付かない(つのだ☆ひろ氏と村上秀一氏は渡辺貞夫氏の同門)様なメンバーでありますが、その後KYLYN Liveではサビの結句部分での改訂が行われて以降、暫くは耳にする事が無かった初期作品の名曲のひとつなのですが、85年か86年だったか、NHK-FMでの公開ライヴにて峰厚介をゲストに招いての「Inner Wind」は後にも先にもこれこそが「Inner Wind」の完成形と思える程素晴らしい内容であった事を思い出されます。

 ソニーのMetal-ESにエアチェック録音を施して終生大事にしようと思っていた物でしたが、結婚時の引越しの動乱で紛失してしまい今では手元に無いものの、記憶には今尚10㎞走途中で徹頭徹尾全パートを脳裏に映ずる程焼き付いておりますので、いつかは記憶が消えぬ間に譜面に起こそうと思っている物です。

 渡辺香津美のプレイの真骨頂は何と言っても超絶技巧のインプロヴィゼーションでありますが、この凄さに比して楽曲はアンヘミトニック(無半音五音音階)を多用して楽曲を展開させるケースが多い為、ソロに入る迄があまりに卑近で童謡を聴いているかの様な錯覚にすら陥り、一部のジャズ・ファンはこうした楽曲テイストを忌避するので、楽曲センスが過小評価されるきらいがあるのも確かです。

 私が渡辺香津美の名作を挙げるとするならば、「Inner Wind」「Akasaka Moon」「Sayonara」「No Halibut Boogie」「Good Vibration」「Alicia」「Voyage」「十六夜」「Synapse」「Concrete Cow」を挙げたい所(※「Akasaka Moon」ではアリア・プロⅡの特注ギター&フレットレスベースのダブルネックを使用)






















 特に「Synapse」はソロ展開部が無ければ本テーマ部だけで歌モノにもできそうな程、インプロヴァイズさせる必要の無い位に筋が素晴らしい異色の作とも言えますが、ジャズ・ファンの多くからは忌避されそうな「歌心」を持っておりますし、ビバップをやらせても本当は物凄いジャズ・フレーズを聴かせてくれるのでありますが、ジャズの域を超えたプログレッシヴな立ち位置とギター・シンセやエフェクトをも多用する所が一部の保守的なジャズ・ファンから忌避されていたのではありましょう。

 とはいえ氏のギター・サウンドはエフェクティヴとは雖も、歪み系の音には必ずドライ音が混ざっており、ピッキングの音が失われない様に工夫が施されております。逆に、真に歪んだギター・サウンドが好きな人からは、そのドライ音たるピッキングの音が残る事でガラスを擦り付けた様なギシギシ感が耳に付くとして忌避される事もあり、ジャズからもロック系統からも保守的な人々からは忌避される傾向が強いのが勿体無い所。

 無論、そんな保守的な人々もプレイ面での憧憬の念を抱く事は忘れてはおらず、インプロヴィゼーションで屈伏させてしまうのが渡辺香津美の凄さではなかろうかとあらためて思う事頻りです。

 嘗ては日立のブランドLo-DのCMにも起用された位。当時の日本が如何にしてクロスオーバー・ブームが席巻していた事が判りますが、今でこそ「シティポップ」と持て囃される様に、そうした地盤は70年代後半のクロスオーバー・ブームがあったからこそと私は信じて已みません。







 こうしたクロスオーバー・ブームの時代では、渡辺香津美、坂本龍一、日野皓正等はかなり新しい和声的な取り組みも見せる様になっていたと思います。故に、少々異質さを朧げ乍らも保守的な人々に察知されていたのではなかろうかとも思うのです。

 クロスオーバー・ブームが去って世はバブル時代に突入。そんな時にCMからは渡辺香津美の「Melancho」が聴こえて来るというのが、アルバム『The Spice of Life』発売の87年の事。

 YMOのツアー・サポート・メンバーの後の80年代、渡辺香津美は確かに名声を擅(ほしいまま)にしておりましたが、自身の立ち居振る舞いとしては迷走していた感は否めなかったと思います。

 無論、渡辺香津美が何をやろうと聴き手は隷従していたと思いますが、ジャズ・ロック感が色濃くカンタベリー系の風合いも備えたKazumi Band、アダマス(オベーション)一辺倒だった時代(敢えて言えばドガタナ時代)から「Mobo」となった変遷期にはサントリーのCMで坂本龍一の「Dear Liz」で二人の名演を聴かせる事になるも、このテイクがリリースされる事は叶わず、Moboはその後Mobo Ⅲというスリーピースという構成で、恐らくキャリア中最も成功していたのではなかろうかと思うのですが、Mobo Ⅲもそう長く続かずSpice of Life期となっていた訳です。




 それにしても「Dear Liz」でのBテーマ(このBテーマはヴァースで、Aテーマこそがコーラス=通俗的に云われる「サビ」だと解釈しております)の後半で八分音符3つのパルスを刻む所で坂本龍一がアッチェレランドを施したくて堪らない物の、渡辺香津美が平滑なテンポを要求している様な抑制に、聴いているこちらが歯軋りをしたくなりますね(笑)。

 前振りが長くなってしまいましたが、今回あらためてギターにレット・リング書法を施すとどうなるのか!? という状況を譜例で示す為に、ノーテーション・ソフトのFinaleにてEngraverフォントを用いて制作したという訳です。レット・リングに拘ったのは前回のブログ記事との連携を図ったからでありますが、なにしろ前記事が長いので(55000字超)、新記事で披露する方が好ましいだろうと考えたからであります。

 尚、譜例動画は当初TAB譜を明示してはおりませんでしたが、Finale上での異弦同音の設定など楽に行えるのだから折角の機会にTAB譜も載せておこうと思いあらためてアップしたという訳です。無論、TAB譜は押弦ポジションこそが重要な情報でありますが、今回の私の充てたフレット番号が正確かどうかまでは疑わしいと言わざるを得ない程自信はありません。

 その辺りの詳しい事については小節毎に以下に語っておこうと思うので参考にしてもらえれば幸いですが、あくまでも原曲に準えて弾く事が可能な程度の認識で確認していただければと思います。

 扨て、YouTubeにアップしている譜例動画を確認していただく事にしましょう。今回は原曲冒頭のイントロ部分を抜萃となり、小節番号を付しておりますので併せてご確認いただき乍ら解説いたします。







 YouTubeの方でも注釈を付けており、本文でもあらためて注意喚起を補足する予定ですが、本譜例動画のギター・パートで生ずる休符は、あくまでもピッキング動作の休止を意味するだけの物で、先行音を切るという役割ではないのでご注意下さい。ですので冒頭で 'let ring' を指示しているのはそうした意味合いもあるのです。

 つまり、休符は右手の指の動作を休めるという意味であり、先行音を左手の運指が止める必要は無いという意味なので、この前提で読んでいただければと思います。


1小節目
 注釈の 'let ring' は譜例中は徹頭徹尾音を延ばす必要が生じますが、遉に離弦のタイミングまでを明示するとなると細かなタイと複数声部で以て記譜するしか手はありません。今回はレット・リング書法がどれくらい視覚的に簡略化されて明示化させる事ができるか!? という点に主眼を置いているのであらためてその辺りの「精度」はご容赦いただきたいと思います。

 コードは「D6」という解釈で、決して同義音程和音となる「Bm7」としては想起しておりません。それは矢張り、ギターと雖も低域で奏される [d] が優勢に響き、且つそれが3度ベースの様には聴こえない事での解釈に依る物で、後続和音も [fis - f] というクリシェが明示的になり「Dm6」は同様にして「Bm7(♭5)」という解釈はしておりません。

 レット・リングは謂わば「掛留」を明示的にしている事なので、掛留させる音が沢山あればアルペジオの状況となる訳ですが、アルペジオと称する全てのシーンをレット・リングと置き換えて呼ぶ事が可能という訳では決してありません。

 奏者が意図せずに先行音が後続音と一緒に鳴ってしまっている様な状況というのは経験した事があると思いますが、こういう状況は厳密に表すと先行音がレット・リングという掛留状態を形成しているという訳です。

 掛留は和音外音(非和声音)の事もあるでしょうし、それが和音構成音と為していたとしても後続音と重なって音が鳴る状況というのは和声を発展させて来た要素のひとつでもあります。残響も奏者の側では統御の難しい掛留でありますし、先行音が残るという事で和音は高度な響きとなっていった事に貢献しております。

 斯様なレット・リングの状況を踏まえれば、フレット番号で明記してある押弦すべきポジションと原曲とを対照させれば、それぞれの弦で鳴らされているレット・リングの延ばし具合は其々全く異なる物でありますが、異弦同音ではない限り同度が生じれば先行音は自ずと途切れますし、押弦する物理的な位置と指の長さなどを勘案すれば、どの音をどの程度延ばすべきか!? という事はお判りになるかと思いますので、あとはご自身の耳で原曲と対照させて弾かれてほしいと思います。

2小節目
 先行和音D6の和音構成音 [fis] からのクリシェが顕著となる「Dm6」という6thコードの第3音のオルタレーションが顕著である為、先行和音からの6th音 [h] は限定上行進行音であるも、基底和音部分の半音変位オルタレーションが優勢であるので上行限定進行を採ってはいない例となります。

 1〜2小節の範囲に於て [h] が単に掛留をしていて上行進行を未だ採っていない状況とすれば、掛留が継続しない限りは更なる後続和音で上行進行を採れば整合性を取る事となります。

 尚、3拍目拍頭には16分休符が置かれますが、この箇所に限らず本譜例動画のギター・パートでの休符はあくまでもピッキングを休める為の指示でしかなく、先行音を切るという役割での休符の意味ではありません。ですので、休符があっても先行音の掛留としてレット・リングをキープする必要があるという前提での演奏ですのでご注意ください。

 加えて、開放弦の使用はこの小節から出て来る様になり開放弦の近傍となる音は運指のそれと比して近しい音高となる物ですが、1拍目で現れる2つ目のD弦開放を奏する際に若干のポジション・チェンジを孕む事となるので、演奏する際のポジション・チェンジと押弦の変更は少々厄介であろうと思います。

3小節目
 コードはA△7(on C♯)という3度ベース。即ち [cis] という和音構成音が存在する為、先行和音から継続していた掛留音 [h] の限定上行進行は茲で整合性が取れる事となります。尚、2拍目に先行して現れる [a] はレット・リングである必要はありません。しようとしても次の音の同度進行で切れてしまうからです。

※同度進行での先行音の音価は後続音ギリギリまで伸ばされるというのが通例であると誤解してはなりません。同一弦&同一ポジションでの同度進行であっても先行音をピッキング直後にミュートして音価をより短くする技は、器楽的素養が高まる程使い分けるテクニックのひとつでもあるので、「レット・リングである必要はない」と明記したのは、メゾスタッカート気味に切っても構わないという事を同時に意味しております。

4小節目
 長属九となる「F9」と表されるドミナント9thコード。冒頭からのクリシェ・ライン [fis → f → e → es] という風に、F9の7th音として勾配が続いているという事になります。4拍目外声の [a] はレット・リングではありません。

 この外声は次の小節拍頭までの [a - g - fis] というアルペジオとは別の横の線を形成している順次進行のフレーズで彩りを添えております。それは下方五度進行を採らぬモーダルで唐突なコード進行の連結をスムーズに聴かせる配慮があっての事であろうと思います。

 尚、3拍目以降ベースが現れ [f] を生じますが、後続和音の3度ベースの [h] へ進むので、臆面もない三全音対斜なのでありますが、機能和声的な世界観ではないのでこうした解釈がジャズ的とも言える部分でありましょう。

5小節目
 コードはG△7(on B)という3度ベースでありますが、前述の様に先行和音のドミナント9thは結果的に下行五度進行および三全音代理を施しての半音下行を採らない二度上行となり、基底部分の長和音が平行進行となっている訳です。

 先行和音と後続和音との間で生じていた基底和音は互いにメジャー・トライアドという長三和音という事は、内在する長三度音程=二全音が長二度上行する事により1全音が増える事になるので結果的に「三全音」を生むのでそれが「対斜」となる訳ですね。

 対斜が生じているという事は、生じている範囲が不協和なままで協和への解決を見ない状況であります。最初に提示された不協和が協和にへと進行するのかと思いきや、不協和が別のコードで明示される訳です。

 唯ジャズの場合は、ツーファイブワン進行を繰り返し乍らも新たなる「Ⅰ」を「Ⅱ7」として転義させて下行五度進行を延々繰り返す様な状況に見られる例がある様に、ジャズより遥か昔のロマン派の時代でもこうした転調で「いつ協和へ帰着させるのか!?」という音楽的な方便は転調というエクスキューズがあった訳であります。

 そうした転調をスムーズにしていたのが減七の和音でもあり、その後の全音音階へと変遷を遂げる様になったのである訳で、等音程は等分平均律の恩恵を受けて強化された音脈の源泉であるという事もあらためてお判りになるかと思います。

 先にも述べた通り、ラリー・コリエルの影響を大きく受ける異弦同音の使用はワイド・ストレッチばかりではなく開放弦を用いる事でも行われ、開放弦との異弦同音は勿論、開放弦の「隣音」即ち上下に隣接する「異度」由来としての音を装飾的に用いて来るのが顕著になりますので注意が必要です。

6小節目
 またしても長属九「E9」が生じますが、7小節目への下行五度進行をする為の補強材料としても機能しているが故の「E9」であります。

7小節目
 コードはA△7(13)として表しているも、茲はほぼ「add4」でもあります。ワイド・ストレッチを要求されるであろう [d] の掛留音が明示的に奏されておりますが、32分音符でプラルトリラー風に奏されるのが特徴ですが、[d] は一瞬生ずるのではなく確実に掛留している物です。

 あくまでも「プラルトリラー風」とするのは、プラルトリラーであろうがモルデントであろうが、装飾させた音は元の位置へ帰って来る様に装飾されるのがそれらの奏法ですが、[d] 音は [cis] に戻って来ずに「逸行」という逸音の状態で掛留されるので、厳密にはプラルトリラーではないのです。プラルトリラー風に奏される音使いであるも実際には逸音であるのでこうした表現なのです。

 尚、高次な音楽ほど逸音は非常に重大な役割を持つ音となるので特にジャズの場合の逸音と刺繍音はインプロヴァイズに於ては非常に重要な音使いとなりますが、非常に重要な音は和音構成音からもアヴェイラブル・モード・スケールの側からも外れた「アウトサイド」な音として十把一絡げに分類されてしまって分析されない事がジャズ・フィールドの悪しき慣習となっている事には嘆息してしまいます。雑誌などでジャズを分析する際は西洋音楽界隈の和音外音(非和声音)をもっと熟知した上で、そうした方向からジャズを眺めるともっと凄い局面が見えて来るのに残念な事頻りです。

 一般的な認識から対照させれば [d] はアヴォイドであります。然し茲では明示的に [cis] も [d] も掛留となって実質的には「A△7(11、13)」です。とはいえ、この演奏はプラルトリラーの様な装飾音風にも聴こえる事で強勢を採らずに装飾的なフレーズに聴こえる事を踏まえてコード表記の上では和声的状況を明示していないのです。

 add4に値する [d] が掛留となって明示的に聴かされようともそれはレット・リングという状況が生んだ産物であり、add4を真なる意味で明示する意図があれば強勢で、つまり拍頭で同時に弾かれる事でしょう。

 レット・リングを利かせない状況であれば [d] はプラルトリラー風に奏されたのではなかろうかという推測できるので(※真なるプラルトリラーは [cis - d - cis] という風に当初の [cis] 戻って来ます)、コード構成音には含めなかったのです。

 とはいえ、add4の音が決まっている箇所には間違いなく、私は本曲のイントロ部でこの箇所は最高に好きな箇所であります。誤解してほしくない事は、私は単にこのコードのこの箇所だけが好きなのではなく、このコードの前後関係があっての茲の当該部分を好むという事を意味しているので、どんな曲であろうと「A△7(11、13)」というコードが好きだという訳ではありません。

 尚、通常の符頭が1・3拍目には多発して来るので、その辺りの判別をしっかりと確認していただく必要があろうかと思います。1拍目の [fis] は内声で長七度音 [gis] を聴かせる為の動機付けで掛留させる必要がないという事であります。

 斯様にほんのりと忍ばされる和音外音(非和声音) [fis] は、この場合下接刺繍音の位置付けとなります。[gis] を内声で聴かせてから上声部で重複させる時に四度堆積で聴かせるというのも実に味わい深い点であります。

 因みに、先の下接刺繍音は構成音との間の音程は全音音程による刺繍音です。これが半音音程で下接刺繍音となれば、楽聖ベートーヴェンの「エリーゼのために(WoO59)」であり、これをオマージュとしたサザンオールスターズの「Miss Brand-New Day」(作:桑田佳祐)の下接刺繍音も半音音程でありました。

 和音外音というのは和音構成音ではない訳でして、旋律は和声に靡き乍らも和音構成音だけでフレーズを形成してしまっては唯の分散和音でしかありません。こうした線に弾みをつけて牽引力を増す効果が和音外音に求められる物であり、リニアモーターカーの反発力の様な物とイメージしていただければ和音外音の弾みが如何にして重要であるかという事がお判りになるかと思います。

 和音外音がアヴェイラブル・モード・スケールの範疇にある事もあれば、和音構成音でもなくアヴェイラブル・モード・スケール外の事もあります。後者の方がフレーズ形成の為の牽引力はより強くなりますし、和音外音が連なって生ずる事も勿論あります。

 ジャズの世界に於てダブル・クロマティック・アプローチが持て囃されるのも、二重の牽引力を欲するからであります。

 この二重の牽引力と称した本質的な姿は、アヴェイラブル・モード・スケールの側から重しを付けられた上で階段一つ飛ばしで歩かされる様な状況に近いとも言えますが、こういう状況を物ともせずに和音構成音やアヴェイラブル・モード・スケールからの音に巧く配合された時には、素晴らしい半音階的なフレーズとなるからこそ魅力となる訳です。

 余談ですが、2015年の私のブログ記事に於て『いとしのエリーゼのために』という風にしてサザンオールスターズの曲名とベートーヴェン作品のそれを引っ掛けたのは、いずれこうした話題(←ミス・ブランニューデイ)を語る事になるまでの隠喩として仄めかしていたのでありましたが、それが今となってしまったという訳です。

8小節目
 コードはD△7であるも拍頭は [gis] から奏されます。コードからアヴェイラブル・モード・スケールを想起すればDリディアン系統のモードでの「♯11th」であるG♯音に過ぎませんが、立派な和音外音であります。これは倚音に分類される事になり、レット・リングでない所も注意点となります。

 また、D△7は直ぐに姿を変えて、後続の「C△/D△」へと進行しますが、拍頭で態々示した [gis] は増八度下方では後続和音「C△/D△」での和音構成音のアンティシペーション=先行音としての和音外音で用いるのですから畏れ入るアプローチです。そこから完全四度上行しての [c] で初めてコードは「C△/D△」となるのですから、その直前の [g] の提示というのは「D△7」での支配下とする状況なのですから凄いのです。

 何故なら、♯11thを提示しつつ増八度下では♮11thを聴かせる訳です。基本的に、完全八度超の音程である複音程というのは、半音階的要素を散りばめる上でも非常に役立つ跳躍の広い音程なのであります。半音階を標榜する世界観というよりも、複調が引き連れてくる半音階的な音脈と言っても差し支えない事でしょう。

 つまりD△7上で♯11thと♮11thを併せて提示する状況が複調を匂わせるという訳です。成る程、後続和音「C△/D△」にしても基底和音の「D△」は先行の「D△7」とは変わっていない訳でして、変応する必要があるのは「D△」より上の部分となる訳であります。

 そこで [gis] は [g] への変応を必要とされ、同時に [cis] が [c] に変応するという事も必要な状況という事があらためて判ります。「C△/D△」というポリコードの体も場合に依っては本位十一度を内含する「D11」とも見る事が可能ではあるも、先行和音が既に「D△7」でも複調のアプローチを採っているのでポリコード表記の方が相応しいであろうという判断からコード表記はポリコードの方を選択したという訳です。

 加えて、「C△/D△」へと進行する時に開放弦を使用してコード・フォームのワンクッションを置いてから左手押弦にゆとりを与えていると解釈したのは、3拍目の2&5フレットの押弦の為の準備としての「ひと息」を欲する事の「ゆとり」なのでありますが、レット・リングとの兼ね合いで私がこうして推測しただけの事ですので、実際の演奏までは断言できませんのでご容赦下さい。

 3拍目の開放弦としてのレット・リングは、ドローン的意味合いとして充分に音価を確保しても次の4フレットの押弦で直ぐに消えてしまう代物ですが、A弦5フレットではなかろうとして解釈しました。

9小節目
 コードは「F69/A」という6th add 9thのコードで3度ベースの型は珍しいものです。3層のポリコードの同義音程和音と解釈するならば「Dm7/G/A」でもあるからです。これに関しては後者の3層構造の方が先行和音からのポリコードの変ずる状況を的確に表すとは思いますが、今回私は前者の表記を選択しました。

 拍頭のレット・リングが判りづらいと思いますが、レット・リングが架かっていないのは [g] のみです。その直後の [f] も通常の符頭で、2拍目拍頭の [d] 3拍目拍頭の [g] 4拍目最後の [f] が通常のレット・リング無しの符頭という事になります。

 ベースに目を向けると、[d] から長前打音のグリッサンドで [a] を奏します。短前打音ではないのでえげつなく&あざとい位にグリッサンドを強調して良い箇所であります。

 4拍目弱勢では短前打音 [gis] から [a] を装飾する時は、スラッシュが振られているので長前打音よりも短い装飾音符でスライドを施していただければと思います。

 尚、茲で頻出する開放弦の存在はあらためて《なにゆえに開放弦と異弦同音周辺の隣音が重要視されるのか!?》 という事がお判りになろうかと思います。

10小節目
 短属九の「E7(♭9)」は、低声部でギターがルートと短二度(転回位置での♭9th)を強調する事で「E7/F」の様な感じすら演出しようとしているのが判ります。加えて、ワイド・ストレッチを要するフォームを想定しており注意が必要です。

 香津美氏は長属九と短属九の使い分けは相当な拘りがあるかと思いますし、通常長属九はメロディック・マイナー・モードを使いたくなりますし短属九は調性感が強く現れやすく、通常の使用の範疇として下方五度進行で使うとドミナント・モーションは非常に強く調性を喚起する物です。

 レット・リングの架かっていない音符は1拍目に集中しておりますのでご注意を。薬指と中指の押弦キープでレット・リングを演出し、他の指を巧く使ってフレージングして下さい。

 処がこの「E7(♭9)」の後続和音はG6という弱進行を採ります。機能和声的社会から見た短属九は、過程のドミナント・モーションで強い調性感という情緒を引き連れてくるものの、それが明示的になっていないという事は単に和声的な意味として内在する減七の響きとして用いているという振る舞いの方が必要としているのであろうと思われます。

 故に「E7/F」という感じを演出しているのも頷けます。概してこうした状況は短調での「Ⅴ7/♭Ⅵ」という状況を投影する物ですが、ドミナントを希釈化させている事により、曖昧な状況を演出しているとも言えます。

 この小節での開放弦は巻弦ではないプレーン弦(1・2弦)を際立たせる事になるので、エレクトリック・ギター弦の場合音質差が如実に現れる事にもなるのが注意点でもあろうかと思います。氏が開放弦ではなく4・5フレット周辺を押弦しているのであれば私の解釈は棄却されるべき物となりかねないのは致し方ありませんが、少なくともレット・リングを与えてはいない開放弦の音が私個人としては欲しかったのです。こうした細かな点は、適宜演奏される方の解釈にお任せしたいと思います。あくまで参考程度にしていただけたらと思います。

11小節目
 コードはG6です。同義音程和音で見れば「Em7」でもあるので、「E7(♭9)」の先行和音の構成音である第3音が下方変位しただけに等しくなる様に見えてしまいますが、4拍目の「G△7(13)」という存在を勘案すれば、先行和音としての6th音 [e] が限定上行進行として [e → fis] という状況が見えて来ますので、「Em7」という表記を充てるのは適切ではないという事です。

 まあ、茲まで断定せずとも「Em7」というコード表記よりも優位な表記の存在を無視できないが故の「G6」であるという理由がお判りになっていただければ自ずとこうなるという事であります。

 2〜4拍目で生ずる [d・e] のレット・リング無しの音には注意を払っていただきたい所です。

 ベースで括弧付きの本位記号を充てているのは先行音 [gis] からの注意喚起の為に付した物です。通常ならば本位記号を充てずとも [g] という事になるものの、敢えて充てる事にしました。

12小節目
 コードはD△7(on F♯)という3度ベース。開放弦は非常に多用される箇所として私は推測しましたので斯様な状況となっております。

13小節目
 またもや6thコードとしての「F6」。わざわざF6を充てずとも《先行和音「D△7(on F♯)」の第3音の半音下行オルタレーションと解釈すれば同義音程和音「Dm7」として解釈可能だろうに》と思われる方も居られるかもしれません。然し乍ら3拍目弱勢では6弦1フレットでの [f] が生じているのです。

 ベースの倍音の「陰」を聴いたとしても、ベースはこのタイミングで弾いておりませんので [f] を明示的にした事から、成る程茲は「F6」であり、6th音 [d] は限定上行進行で後続の「C6/E」へと明示しているのだという事を悉く強調された思いです。ですのでコード表記をこうして選択したという訳です。

14小節目
 6thコードの3度ベースという所が少々物珍しいかもしれませんが、後続和音の事を考えると同義音程和音としての「Am7/E」とは表記しづらいのでこの様に表記をしたのであります。開放弦のレット・リングは存分に採っていただきたい所です。

15小節目
 コードは「E7(♯9)」から直ぐに「E7(♭9)」へと九度音が変じます。シーンによってはこれらのコードの変化はalt表記として省略される事も多いと思います。

 ただ、alt表記で片付けてしまうと、E7(♯9)で内在する「♯11th」の使用や、「E7(♭9)」上でも線的に「♯11th」を用いており、alt表記でこれらの介在が表記の側からも見えづらくしてしまいかねないと判断したので、alt表記で処理するよりも敢えて逐次コードを与えた方が好ましいであろうと考え、こうして表記したのです。

16小節目
 Bm7(on E)というのはKey=D(ニ長調)での「Ⅵm7/Ⅱ」という解釈なのでこの様に表記をしております。尚、3〜4拍目は当初コードを与えておりませんでしたが、「A omit3」という風に解釈する事にしました。


 斯様にして譜例動画の解説を進めて来ましたが、いかんせん指板のポジションは私の推測の域を出ない物なので、あくまでも楽曲の雰囲気を演出する為に必要な和声感に伴うプレイ、程度に認識していただければ幸いです。

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