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MODO BASSを用いてマーカス・ミラーの「Run For Cover」を制作 [楽理]

 IK Multimedia のベース音源「MODO BASS」は物理モデルのベース音源でありますが、最大の特徴は、エレクトリック・ベースの色々な製造モデルのキャラクターを踏襲し乍ら音色キャラクターの差異として表現可能な「設計」がユーザー任意で行える所にあります。

 そうした特徴が「特長」でもある訳ですが、MODO BASSを用いてマーカス・ミラーの代表曲のひとつでもある「Run For Cover」を制作してみたらどういう風に再現されるのか!? と試しつつ、YouTubeにて譜例動画デモを挙げ乍ら楽曲解説をしていこうと企図した訳であります。

 画像は、マーカス・ミラーの1stソロ・アルバムでアリアのSBを抱える今となっては珍しい1枚。アルベム全編に亘ってSBサウンドを聴かせており、ジャマイカ・ボーイズの「Home」でも用いられるSBサーキットを搭載するSBを結構気に入っていた模様。その後他社エンドースメントの関係から表立って使わない様になってしまいましたが。

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 譜例動画の解説の前に、簡単に原曲の解説をする必要があるかと思いますのでそのあたりを先ずは語る事にしますが、「Run For Cover」のオリジナル・スタジオ版として録音されているのはデヴィッド・サンボーンのソロ・アルバム『Voyeur(邦題:「夢魔」)』に収録されており、RolandのディメンションD(SDD-320)とおぼしき加工がスラップ・ベース音に施されているので、最初に聴いた時は面食らった程であり、多くの「チョッパー・ベース」のリフとしてのお手本となっていた曲でありました。

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 レイ・バーダニはアルバム全体をかなりエフェクトで弄るミックスを得意としていた事もあり、ハーモニーやリズム面でも、こってりとした重畳しいハーモニーを聴かせるアンサンブルよりも、特定の楽器で奏される顕著なリフのシンプルなアンサンブルを好み、特にアーバン志向であったろうかと思います。レイ・バーダニに限らず80年代のアーバン・サウンドというのは概して白玉を避けたリフ志向のアンサンブルで、ベースも長い音価よりも横の旋律を活かし乍ら音価の短いシンセ・ベースのフレーズが好まれた時代でもありました。

 こうした音楽背景が殃いしてか、エレクトリック・ベースでのフレージングも、音価の短いシンセ・ベースを模倣する様にフィンガー&スラップ・サウンドが影響を受けていたと思います。そういう意味でもマーカスのフレージングは、根音をグイグイと長い音価で聴かせるというプレイよりも、根音(コード・サウンドのルート音もしくは下部付加音)を短い音価で聴かせた直後に逃げる様にして横の旋律を形成させるというスタイルを好んでおり、時代もそれを要求していた所があったものです。

 サンボーンの別アルバム『Backstreet』収録の同名曲の作りも、生々しい音が好きな人からは忌避される類のアルバムでもあり賛否が分かれる作品でもありますが、サンボーンがマーカスと活動を共にする様になってからのアルバムのキャラクターとしては、矢張りアーバンな薫りがする音世界を構築していた物でありました。

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 マーカス・ミラーのスラップ・ベース・サウンドが持て囃される様になったのは、何と言ってもグローヴァー・ワシントンJrのアルバム『Winelight』のヒットが契機になったと記憶しております。

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 アルバム同名曲「Winelight」でのスラップ、および真骨頂とも言えるポルタメントを活かしたプレイは、なるほどそれ以前にトム・ブラウンのアルバム『Magic』収録の「I Know」でも顕著なポルタメントを聴かせており、「Let It Flow」ではE弦全音下げスコルダトゥーラでスラップを聴かせておりました。一般的に馴染みが深いのは、本アルバムに収録されるビル・ウィザースが歌う「Just The Two Of Us」でありましょうが、歌モノが苦手なリスナーは、本曲の様な調性の見渡しが利いてしまう類の曲調は食傷気味であった事も記憶に残る物です。

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 マーカスのスコルダトゥーラで顕著なのは、マイルスのアルバム『We Want Miles』収録の「Jean-Pierre」にてE弦を完全五度も下げた「ローA」サウンドのスラップを聴かせる事により、私のみならず多くのベース弾きはマーカスのベースのセッティングを類推していたのであり、81年以降からは特にマーカス・ミラーの名声は其処彼処で高まって評判になっていた物です。

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 加えて、現今社会の様にネットを探れば何某かの情報に探れる様な時代ではないので、多くの臆断や根拠の薄弱な噂(それはそれで薄っぺらさが直ぐに判別できるのでありますが)が、より一層「ホンモノ」のマーカス・ミラーのベース・プレイの憧憬や謎めいた独特の音のセッティングなどへの関心が増幅していく事に貢献していた事でありましょう。

 マイルス・デイヴィスの『The Man With the Horn』『We Want Miles』などに参加し、プルのサウンドが重々しくなくシャキーンと伸びた特徴的な音に、オーディオ・ブームの流れを引き継いでいた音楽界は、そのままジャズ/クロスオーバー界隈のリスナーを惹き付けたと言っても過言ではないでしょう。

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 そうして器楽的心得のある者はリー・リトナーのアルバム『in Rio』収録の「Rio Funk」での、まだまだマーカス・サウンドには程遠い重々しい野暮ったいスラップの音にゲンナリしそうになるも、スラップ・ソロで聴かせる半拍3連フレーズの素晴らしさに屈伏させられた物です。

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 更にはトム・スコットのアルバム『Apple Juice』での「Instant Relief」では、マーカスのスラップ・ソロの次にスティーヴ・ガッドの見事なドラム・ソロを聴かせ、ベースやドラム小僧を惹き付けたアルバムで、私はドラマーの友人がガッドを追いかけて手にしたアルバムに「凄いチョッパー・ベースのソロがある」という事でアルバムをゲットした物でした。

 尚、「Instant Relief」に於けるマーカスのソロで、スラップに入る所のフレーズはレス・ポール&メアリー・フォードの「How High the Moon」のオマージュだと思われます。こうした状況を鑑みれば、おそらくやマーカスの急峻なグリッサンド&スライドおよびポルタメントはレス・ポールのそれにヒントが隠されている様にも思えます。

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 渡辺貞夫のアルバム『オレンジ・エクスプレス』収録の「Good For All Night」で聴かせるローDチューニング(E弦全音下げ)に依るセッティングで8次倍音重音ハーモニクスや32分音符連発のインタープレイは固より、アルバム収録楽曲の中で最ものびのびと演奏しているのが伝わって来る好演のひとつではないかと思われます。

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 扨て、マーカス・サウンドとも評された高域まで伸びるギラついたスラップ・サウンドはどの様な秘密が隠されているのか!? というと、音色面で最大要因となっているのは使用するジャズ・ベースのリア・ピックアップのマウントされる位置が70年代レイアウトになっているという事が大前提であり、次点に挙げられるのが70年代特有の幅広のフレットです。厚ぼったいネックというのも拍車をかけており、これらの要因に加えて重要なのがライン音とマイク音のミックスであります。

 上述に挙げた要素が揃って適切なEQのセッティングさえすればマーカス・サウンドはほぼ実現可能と言って良いでしょう。それらの要素が揃っていても音が似せられないのはEQ設定に難があると言って差し支えありません。意外な点としては、TCTのプリアンプというのは音作りに於てそれほど大きなウェイトを占めている訳でもなく、同様の理由でバダスⅡブリッジというのも、弦の減衰が緩やかになる事でサステインが豊かになるという貢献はありますが、音作りのキャラクター的な面としてそれほど重視する要素とまでは言えないと断言できるでしょう。

 かつてはサドウスキーの工房に勤めていた名手ジェイ・ブラックが手掛けたサドウスキー・チューンと呼ばれたTCTの特殊配線や導電塗料塗布および指板のサテン・フィニッシュ化を施してディマジオ社のJB用ピックアップにサドウスキーのエンボス加工されたサドウスキー・ロゴの入ったピックアップ・カバーが付いて、フェンダー・ジャズ・ベースのサドウスキー・チューニングは行われたのであります。

 扨てラインとマイク信号のミックスですが、マイク信号音の方は適度にローカットさせつつ、場合によってはライン音との位相を敢えて逆相のセッティングを必要とするシーンに遭遇する事もあるでしょう。ライン音とマイク音のミックス加減が曲中で判る曲があり、それがデイヴ・グルーシンのソロ・アルバム『Night-Lines』収録でフィービー・スノウが歌う「Thankful ’N’ Thoughtful」での曲中でのリアルタイムな音色変化でお判りいただける事でありましょう。

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 80年代に入ってからマーカス・サウンドというのは完全に確立された感のあるスラップ・サウンドのキャラクターでありましたが、ジャズ・ベース=JB。特にポストCBS期となるモデルが人気が高まる様になったのは間違いなくマーカス・ミラーが一役買っていた事に疑いの余地はありません。

 とはいえまだまだ80年代初頭のスラップというのは「チョッパー」と呼ばれていたのでありまして、日本国内では後藤次利が牽引役となってAB’sやスペクトラムで名を馳せる様になった渡辺直樹のプレイがベース小僧の耳を惹き付けていた時代。彼らはB.C.リッチのイーグル・ベースを使っていた時期でしたが、スラップで当時最も優勢だったのはスティングレイであり、稀にスティングレイの2ピックアップ版のセイバーを用いた人が多かった時代でもあり、こうした背景にはルイス・ジョンソンという人の活躍があったからであります。

 90年代に入り音楽界隈がアナクロニカルな音作りがトレンドとなるや否や、それまで憧憬の的でもあったマーカス・サウンドは突如廃れ、ランディー・ホープ・テイラーの様な指弾きが持て囃される様になり、ジャズベースの場合リアPUを優勢にした音は確かに指弾きでは際立つ物の、音色キャラクターは細くなってしまい、そうしてスティングレイの人気が復活し、プレベも脚光を浴びる様に変化して行ったというのが実情でありました。

 21世紀に差し掛かる時にはマーカス・ミラーもヴィクター・ウッテンの様にプレイ・スタイルの宗旨替えが起こり、手数を強調するスタイルへと変化しましたが、静謐なる音空間に加えられる様な高次なハーモニーが要求される音楽社会に於てマーカスが平時で奏する「横の動き」=《特定の調性感の卑近な見渡し》という世界観は忌避されがちになってしまった感は否めません。

 なにせ、その「横の動き」は調性感がドッシリと腰を据えている事で横の線としての乙張りが生まれるので、モーダルで調性感が希薄、かつコード・チェンジの多い楽曲ではマーカスのベース・リフ形成は、スラップのそれと比して非常に弱々しかったのも確かです。

 ですので、ドナルド・フェイゲンの「Maxine」を引き合いに出すとなると、それがマーカスである必要があったのか!? と思わせる程に借りて来た猫の様なプレイに収まっている感は否めません。

 殊にマーカスの場合、コード・チェンジやモード・チェンジの激しい曲となると途端にリフ形成を難しくさせてしまう所から、自身の曲作りに於てスラップのテクニックを駆使した曲となると極端な程に卑近な世界観を見せてしまう所が弱点でもありましょう。

 ベース奏法の違いでこれほどまでに特徴が変わるベーシストも珍しいのではないかと思いますが、基本的にマーカスは、自身のスラップ・サウンドに酔って繰り広げられる音質キャラクターとスラップ特有のフレージングに依るリフ形成で輝くプレイヤーであり、指弾きでは途端に個性を失ってしまうのは、フレージングに依る音の選び方(つまりアプローチ)は、それほど個性的ではないとも言えます。

 クロマティックの海を泳ぐかの様なフレージングはトム・バーニーや故ヴィクター・ベイリーの方が遥かに優っていると思います。

 嘗ては、自身の1stソロ・アルバム『Suddenly』収録の「Could It Be You」ではAメロディック・マイナー・モードでのⅣ度和音である「D7(9、♯11)omit5」を聴かせたりして、同モードでのハーモニー形成を施す感性を有していたのですが実に勿体無いと個人的には思います。

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 余談ではありますが、アルバム『Suddenly』の殆どはアリアプロⅡのBBサーキット搭載のSBが使われており、JBとは明らかに異なるスラップ・サウンドのそれは、後年のジャマイカ・ボーイズの1stアルバム収録の「Home」でも耳にする事が出来る、今となっては貴重な音源であろうかと思います。『Suddenly』のインナースリーヴで確認できるベースを抱いた指板の楕円形のポジション・マークのそれがSBだという事を知る人は今となってはあまり多くないのが残念でなりません。

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 モード・チェンジがある程度激しい中でスラップ・サウンドのリフ形成が成功していた曲を挙げるとすれば、スパイロ・ジャイラのアルバム『City Kids』収録の「Islands in the Sky」をあげる事が出来ますが、こうした類の曲はマーカスでは少ない物です。

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 マーカス・ミラーのスラップ・サウンドの音色キャラクター面の特徴を語って来ましたが、当時の私が抱いていた感想が、《指弾きになるとスラップほどの個性が失せる》という物で、フレディ・ワシントンやウィル・リーの様な引き摺るほどの重々しいグルーヴを聴かせる訳でも無ければ、休符を際立たせる事で音価が短いフレージングが多くなり、ハーモニーを下支えする根音の存在が希薄になってしまうので、結果的にハーモニーから逃げる「遊離的な単旋律」として低音域に存在するというフレージングを形成する所に私としては何某かの違和を抱いていたのでもあります。

 ただ、マーカス・ミラーの様なベースの聴かせ方というのもアリなのかな!? という風に受け止め乍ら、彼の真骨頂となるスラップの特徴というのは音色キャラクター面だけではなく、彼なりの個性を巧みに鏤めている点に於ては私の様な聴き手を屈伏させる程素晴らしいプレイを聴かせていたと感じます。そのスラップのプレイ面の最たる特徴は次の通りです。

●付点八分音符の活用
●弱勢のプル(強拍弱勢でもなく弱拍弱勢などが顕著)
●弱勢から連続するハンマリング・オンとプリング・オフ
●同一弦でのサムピングとプル
●プル後に使う左手ミュートのプラッキング
●開放弦と異弦同音の活用

これらの演奏面での特徴がマーカス・ミラーが「マーカス・サウンド」と評される個性的なプレイとして認識される要因であったのが80年代での事であったのは疑いの余地はありません。

 今ではそれらのプレイにサムピングのアップストロークなども要因の一つとして数える事は出来ますが、サムピングのアップストロークの音色変化をフレーズ形成の為に用いる様な乙張りとして用いているのは無く、そこに必要な高速フレーズの為にサムピングのアップストロークを用いるだけに過ぎず、音色形成の乙張りの為ならブリッジ・ミュートを用いて右手親指でフレージングさせる事を多用していると思われます。唯、それをマーカス・サウンドとは形容する程の特徴ではないのでブリッジ・ミュートの奏法に関しては個性とまでは言えないであろうかと思うのでご理解いただければ幸いです。

 扨て翻って先のマーカスのスラップ奏法の特徴を挙げた例をあらためて確認してみると、こうした乙張りの利いたプレイというのは単にサンプリングして来たベース音源での打ち込み再現はかなり難しいと思われます。そういう意味でも要所要所でプレイ面での乙張りを存分に利かせていたマーカス・ミラーのスラップを、IK Multimedia MODO BASSを用いて再現させてみたらどういう風になるのか!? という事をあらためて試すには絶好の機会であろうと思い、今回「Run For Cover」の譜例動画デモ制作を企図したという訳です。

 なにしろMODO BASSが破格のセールを敢行しているという(2020年3月初頭現在)状況で巷間を賑わせているので、この機会に是非ともMODO BASSの実力を披露しようと奮い立ったという訳であります。

 そこで茲からは「Run For Cover」の譜例動画を用いてプレイ面の解説やMODO BASSに於ける各種状況の説明をして行く事になる訳ですが、今回あらためて譜例動画を制作してMODO BASS1.5に欠けている機能を痛感する事にもなったので、先ずはその辺りを挙げる事にしましょう。

●ピックアップ別の音量のプラグイン・オートメーションとしてアクセスできない(※オートメーション・アクセスは出来ないが、画面上でリアルタイムにカーソルを当てて手動で動かす事は可能)

●アンプ/ライン毎の信号経路別となるパラレル出力でのオートメーション・アクセスができない

●フレット形状および材質の設計ができない

●指板の材質・形状の設計ができない

●ナットの形状および材質の設計ができない

●ヘッド側のテンション・ガードおよび裏通しなどの設計ができない

●ペグの重量・材質・形状の設計ができない

●タッピング音を選択できない
※E弦開放弦からの同弦9フレットへの「ハンマリング」など.タッピングという奏法での音質キャラクターは多様であり、ピックアップは弦振動の片側のみだけを拾うので通常は気にしませんが、タッピング「のみ」で押弦した際、押弦してピックアップが拾わないナット側にある弦長となる部分超過比の範囲でも実際には弦は振動します.

 この部分超過比の物理的距離が長いほどピックアップで拾う側の弦振動をスポイルする要素となります.チャップマン・スティックの場合、不用意なナット側で振動する部分超過比での共振を避ける様にしてタップする指のみならず共振を抑え込んで弦を軽く触れてミュートする事も能くあります.

 但し運指具合によってはミュートがままならない時があり、部分超過比となる共振が本来の弦振動のキャラクターを変質させてピックアップが拾う事も頻発する物で、タッピングとしての物理モデリングのパラメータは非常に興味深い側面があります。これらのパラメータを実現した場合、チャップマン・スティックをMODO BASSが備える事も視野に入れる事が可能となります.


●サムピングのアップ・ストローク音の再現不可

●アル・アイレの再現不可

●マルカートのアル・アイレでのプラッキング音の再現不可

●ピッコロ・ベースが用意されていない

●8弦ベースなどの副弦を用いるベースが用意されていない

●ショート・スケールのベースが用意されていない

 上述の8弦ベースなどは、副弦のセッティングとして副弦が高音弦側にあるのか、それとも低音弦側にあるのかという設計も可能にすると面白くなると思います。今後見込まれるアップデートに於てこれらの再現が可能になればMODO BASSは鬼に金棒となる事でありましょう。MIDI2.0の規格化がアナウンスされた事により2020年以降の音楽用ハード/ソフトのMIDI実装は大きく転換する事となるでしょうし、MIDI2.0の本格的な実装まで大掛かりなアップデートは見込めないかもしれませんが、大いなる飛躍となる可能性はまだまだ残されております。

 とはいえ現状のヴァージョン1.5でもユーザーが嘆息する必要は無い程に、多くのパラメータを駆使すればかなり高度な演奏を再現する事も可能なので、ベース奏法のヴァリエーション豊かな「Run For Cover」を用いて再現してみるという事に至った訳です。

 私が今回制作した譜例動画デモは、ほぼデヴィッド・サンボーンのアルバム『Straight To the Heart』収録の「Run For Cover」のリフやソロを踏襲しております。







 とはいえデモの内容のそれは従前の色々な演奏バージョンを取り込んで十把一絡げにしているのが正直なところなのでありますが、デモの出だしはオリジナル・スタジオ版(=『Voyeur』)でのイントロを踏襲した上で中立音程(チョーキング・アップに依る微分音)を明示した上で、ソロの殆どは『Straight To the Heart』のそれを踏襲しました。

 アルバム『Straight To the Heart』はレーザー・ディスクで映像化(LD版のタイトルは『Love & Happiness』で、CDとはテイクが異なる)されていた事もあり、この音源が少し大きめのハコでのスタジオ・ライヴであるという事が判るのでありますが、ライヴという所を実感させない程の手の込んだアルバムのミックスはあらためて畏れ入るばかりのクオリティーであると思えます。




 スタジオ録音と寸分違わぬ程の音を聴かせるそれはフランク・ザッパのそれに匹敵する位ではなかろうかとも思えますが、『Straight To the Heart』版の演奏は過去にリットーミュージックのベースマガジンにて詳細な譜例として刊行された記憶があります。とはいえ一部の譜例は精度を欠いており、決してその譜例を踏襲した訳ではないという所もあらためて明確に述べておきたいと思います。

 スタジオ録音版をも踏襲した上で曲を始める狙いというのは、初出の音源のそれが先にも述べた様にローランドのSDD-320(ディメンションD)と思しきエフェクトが掛けられているからであり、その音を再現したかったので、色んな「Run For Cover」の演奏パターンを結果的に取り込んだ内容にしたという訳です。

 SDD-320の最大の特徴は、左右のチャンネルで異なるアンプリチュードのLFOスピードが施され、その上でピッチが上下に1〜2スキスマほど原音とずらされて鳴らされる事で独特のステレオ感が演出されるのですが、3種類のモードのそれらはスキスマが上下の幅が異なっていたり、色々工夫が為されており、時には「スイッチ全押し」という荒技を繰り広げるエンジニアも居た物です。

 今ではUniversal AudioのUADのプラグインとしても実装されておりますが、私はPlug & MixのDimension 3Dを用いて今回のデモを制作しております。ここのプラグインは安価でありながら非常に優れているので他にも色々使っていたりするのですが、Macユーザーはインストール時に少々厄介なバグを回避する必要があって、インストール後のプリセットの格納されているフォルダのアクセス権を修正しないとプラグインが起動しないという問題があるので、これさえ直せばきちんと使用できる秀でたプラグインであるので私自身はとても重宝しております。

 という訳で、茲から譜例動画の1小節毎の解説をして行こうと思いますが、譜例動画の最初と最後の場面を除いては4小節を1セットとしてカウントしやすい様に整えております。唯、ソロ部分となると長目の小節数となるので、ソロ部分などの解説は「ソロの○小節目」という風に文中で明示していくのでご了承ください。

フィルイン(冒頭不完全小節部)

 それでは譜例動画のインデックス「Fill-in」と記されている二分音符の歴時となる不完全小節での弱起で記した部分ですが、アルト・サックスの表記は移調譜としてではなく実音表記にしておりますのでご容赦願いたいと思います。移調譜であれば調号は嬰記号4つの調号で書かれる事になる訳で、’no transposition’ とパート名に付与しているのはそうした理由からであります。

 ローズのパートでは当該コード表記が「B7(♭9、♯11)」であるにも拘らず注釈として「F7 over B△」とし充てている事については、この小節だけ和音を五線上で「F7/B△」あるいは「F7/B7」という風に読める様に敢えて三全音複調型のポリコードとして見える様に記譜しているのです。

 つまり、基底となるドミナント7thコード「B7」のトライトーン・サブスティテューション(三全音代理)となる裏コード側の「F7」もポリコードとして用いた物として解釈可能な状況であるのですが、五線上で恰も「F7」としての姿を見せるのは茲だけであり、他の小節では「B7(♭9、♯11)」のオルタード・テンションとして記譜されます。

 シンプルなコード表記体系として表す事の出来る物は「B7(♭9、♯11)」であり、ポリコード表記は却って戸惑う事になるかもしれません。ポリコード表記の方はインプロヴィゼーションに於ては非常に可能性のある物なので、コード表記が「B7(♭9、♯11)」であっても、コードとしては同義音程和音に過ぎない「F7 over B△」という解釈を「両義的」に念頭に置いていた方が曲中では巧みに活かせる事もあるので、その辺りは追って後述する事にしましょう。

 注釈で用いられる英文の ’indecates’ は ‘indicates’ であるべきで、単にこれは私のスペルミスですのでご容赦ください(笑)。

 扨て、不完全小節のクラビネットのパートのみ「全休符」が示されてしまっておりますが、これは私が表示を無効化するのを忘れてしまった事に依る物であり、他のシンセ・ブラスやアルト・サックス等と同様に、不完全小節での「無関与」となるパートは空白化させるという表記の慣例を実施するべきだったとは思います。

 とはいえ「全休符」というのは、その歴時が何拍子であるかを問わず音符が無い状況を全休符で示すのが表記法の前提です。つまり、全休符は4/4拍子の4拍の休符なのではなく、如何なる拍子での休符の状態であるという事なので、6/8拍子でも3/4拍子でも全休符として示すのが正しい記譜法です。

 この全休符の大前提を全音符に持ち来してしまうという過ちを犯してしまう人が少なからず存在するのですが、全休符のそうしたルールを全音符には適用できません。ですので3/4拍子での全音符は書けないというのが表記の大前提であるのです。

 加えて、不完全拍子で始まった曲の終止は、曲冒頭の不完全小節での歴時を終止する小節で充填して本曲の「完全小節」となる拍子構造に充填させて一致させるというのも非常に重みのある慣例であります。

 つまり、弱起としての不完全小節が八分音符1つ分の歴時で示されていた場合、その曲が4/4拍子であるならば、終止部の小節は八分音符7つ分の歴時としての不完全小節で終止線を書いて閉じるのが正統な表記であり、この際終止部の不完全小節に7/8拍子という拍子記号を充てる必要もないのです。

 不完全小節に於て演奏が無関与となるパートの休符そのものも省略させて無表記にするならば、ベース・パートの先頭の八分休符の存在は何なのか!? と疑問に思われるかもしれません。これは、ローズが二分音符を不完全小節内で弾くという演奏に関与された上でベースはその演奏に従属して八分休符を採って演奏を始める訳ですから、先頭の八分休符を省略する訳にはいかないのです。

 尚、ベースの八分休符直後の半拍3連での [as] 音には「チョーキング・アップ」として示しておりますが、[as] より1スキスマ(※=2セント未満)ほど高ければ充分なので、微分音変化記号も充てずにこの様に示しました。

 その後の破線スラーで囲っている所の説明としますが、本曲の譜例動画ではが多く現れるので先ずはその辺りの注意事項として語っておく事にします。

 私が今回用いている破線スラーの意味は、《拍節感および音高を曖昧に採る》という意味で用いております。破線スラーを全く逆の意味で使う作曲者も居たり、楽器や演奏形態でも解釈が多岐に渡る例があるのも事実なのですが、多くの場合はこうしたスタンスだと思っていただいて差し支えないでしょう。音高よりも拍節感を曖昧に採るというスタンスがより多い状況として理解された方が良いかと思います。
 
 破線スラーの話題ついでに余談乍ら語っておきますが、例えばスラーの腹部分の膨らみがなくFinaleでは旧来から用意されていたブロークン・ラインというのは、声楽パートの使用例のひとつとして、口を少し窄めた状態から口を広げて開けていくという解釈を採る(byノーノ)場合もあります。リサッティの名著『New Music Vocabulary』にこの件は載せられているので参考まで。

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 即ち、音符としてきっちり音価を明示してはいるのですが、それはあくまでも「標榜すべき指標」に過ぎず、明確な拍節感を出す必要は無いというのが「曖昧」という意味なのです。

 茲での破線スラーに括られる4音の連桁は、3&4音目である付点16分音符+32分音符は譜例の様に誇張させるまでもなく16部音符×4音が「いびつ」で拍節感が曖昧なリズムを崩した状態であっても構わないのです。ただし、3音目から4音目にかけて3音目をとにかく誇張して可能な限り長く採った上で、ギリギリまでチョーキング・アップをするという狙いでこうした拍節構造として示しているのです。

 これらの破線スラーで括った音の過程で生ずる2音目の微分音も、標榜すべきは [b] (=B♭音)よりも33セント低い音ではありますが、明確に16分音符の2つ目のパルスの所でそれが現れる必要もなく、きっかり33セント低い微分音を出す必要もないのです。

 また、1音目から2音目にかけての過程でも、ピッチの連続的な変化=微分音に収まる僅かな変化をさせても良いのであり、それは2音目と3音目の過程でも同様であり、無論、4音目までの微分音の連続的な変化は許容される物として示しており、過程での拍節構造と音高はあくまでも標榜すべき位置であるも、必ずそこに「着地」する必要はない曖昧な解釈で奏して構わない状況であるのです。そうした標榜すべき状況を踏まえつつ、拍節も音高も「連続的に近傍を採る」というのが連続する破線スラーの意味する物であり、破線スラーの多くはこういう解釈で用いられる物であります。

 とはいえ、いくら曖昧さを許容する破線スラーの過程にある微分音であろうとも、33セント下げようが半音(100セント)下げようがどっちでも構わないと判断してしまうのは早計です。これは私の感覚ではありますが、0.5スキスマ違えば充分に微分音の差異として判別すべき状況であり、それよりも「遥かに大きい」微分音はしっかりと認識する必要があろうかと思います。

 本曲では空間系エフェクトとして用いているDimension-3Dでの特性として、2スキスマ以内のデチューンは楽譜上では差異として用いていない事に加え、そのデチューンの状況よりも遥かに大きくなる単位、少なくとも3スキスマを超える単位微分音は音高の差異として表記すべきであろうと思い記譜しております。

 その上で弾き手として明確な指標として微分音を認識しながら、少なくとも今回の譜例にある注釈として充てている微分音変化量を示す数字の±1乃至2スキスマ辺りを目指して採っていただければ、破線スラー内で生じている音に関しては必ずしも数字通りの単位微分音を採らずにその近傍を採っていただければ許容範囲ですのでご理解ください。破線スラーではない箇所の微分音の数値はそれで採る必要があります。

 一応念の為、本記事で四分音律となる24EDO(二十四等分平均律)の独語での音名表記のそれはゲオルギー・リムスキー゠コルサコフの表記例に倣う読み方で示すのでご理解下さい。

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 尚、余談ではありますが、Ekmelosフォントを頒布しておられるこちらのサイトでは、多くの微分音律での音名表記なども併せて掲載されているので、この機会に目を通されるのも良いかと思います。数年前の一時期、SNSで四分音の音名表記が「確定された」と謬見が広まってしまった事がありましたが、そうした一義的な物ではないのだという事があらためてお判りになるかと思いますのでご参考まで。


イントロ1小節目

 イントロ1小節目のクラビネットのパートに注記は充てていないものの、シンセのショート・ディケイで箏を模したアルペジオであればよく、上向&下向のアルペジオの為の簡易的な表記法はあるのですが敢えて音価で示した上で、4拍子での2拍目の拍頭を明示しない様に拍頭を跨ぐ状況を強調するかの様にして、敢えて八分休符を於て1拍目〜2拍目を連桁で繋いでいるという意図はかなり重要な示唆なのでご容赦願いたいと思います。

 ベース・パートに目を向ければ3拍目のE弦0フレットにマルカートスタッカートを振っているのは、従前のE弦開放弦よりも強調してほしいという事の現れであり、同時に音価を短くという事を示している物であり、直後のチョーキングは、チョーキング・アップで [g] よりも12.5セント(=1単位十六分音)高く採ってほしいという気持ちの現れです。

 背景のコードが「Em9」であるならば、マイナー・コードの第3音=短三度 [g] を高める必要があるのか!? と疑問を抱く方もおられるかもしれません。確かにマイナー・コードの第3音を高めれば、その音はより一層長三度という「メジャー」の音へ近付く事を意味しますが、マイナー・コード上にて「長三度近傍」に現れる音脈は、それをメジャーとして聴くよりも「減四度」として耳にする必要のある音脈なのです。

 基底となるハーモニーが「メジャー」が基となっている所(例えば長調の主和音など)で短三度音を「併存」させ乍ら附与する状況である時には、基の長三度音が音楽体系に対して都合よく減四度という有り体へと呼び名を変えられてしまう様にしてスルリと変容するのではないのですが、マイナーを基底とする時のハーモニーに於て「みなし長三度」が附与される状況は減四度として聴く方が凡ゆる状況に於て好ましい捉え方だと思います。

 次の譜例ではホ短調(Key=Em)に於て主和音として「Em9」が生じている状況で減四度がどういう風に映るのか!? という事を示したものです。長三度として表す事が出来ないので、短調上中音となる短調のⅢ度と下属音Ⅳとの間に介在する様に減四度を示した物となります。

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 扨て、「高く採ろう」とする新たなる音脈への欲求の起こりというのは、その高まりが原調の音組織から踏み外す事のない様にして準えるばかりでなく、「新たなる調に於ける音組織の導音」であるという状況もあります。

 更に附言すれば、その高まりの起こりとして生じた「導音」は新たな調の音組織のⅦ度として転義するばかりではなく、実際には「まだ見ぬ」全く新たなる音組織へのテトラコルドに対して「近しい音程」で接続するという状況であると言えるのです。この「近しい音程」は十二等分平均律という12EDOの世界では半音=100セントを意味しますが、24EDOの場合は四分音=50セントを考える事ができます。

 ある音の現在地がテトラコルド甲に属する1音だと仮定した時、テトラコルド乙という音列に對して100セント離れて近付くか、50セント離れて近付くかという風に任意に選択する事も可能であります。

 こうしたテトラコルド同士の「近付き」として互いに離れた音程の事を理論体系ではディスジャンクトと呼びますが、今回こうした微分音社会を説明する私の例に於ては100セントのディスジャンクトで説明をするのでご容赦下さい。それは従前の12EDO社会と折り合う為の物であり、ハーバの理論体系では50セントのディスジャンクトでテトラコルドを接続し合う24EDOの理論体系がありますのでそれとは混同せぬようご容赦のほどを。

 今一度先の例に戻ってホ短調の主音から上方に生ずる減四度を確認する事にしましょう。つまり、ホ短調(Key=Em)の音組織で生ずる短調上中音(音階の第3音)が高められようとする欲求で生ずる音を「減四度」と判断するには [as](A♭音)およびその微分音的近傍(※ [g] 微小音程的に近しい)である必要があり、少なくとも [g] より微分音的に高く [as] とほぼ同等或いは微分音的にやや [as] よりも低い所を目指そうとする欲求の表れと見る必要があるという意味なのです。

 原調を基準に音度を見立てているに過ぎないので、新調を基準にすれば [as] がその音組織のⅦ度であるからには主音を [a] とする事は出来なくなってしまいます。少なくとも同度由来ではなく [bes] (=B♭♭)となるか、そもそも [as] を異名同音として [gis] とする必要があって、導音 [gis] を持つ音組織=イ長調 or イ短調として見做すのが妥当なのでありますが、原調のホ短調からは、決してその音階外のそれを長三度とは見做す事ができないので「減四度」としているのはお判り下さい。

 E音から上方に450セント高い所にある筈の音を幹音 [a] を基とする変化音をゲオルギー・リムスキー゠コルサコフ流に表す場合は [at] と呼ばれる音を指しているのであり、同様にして幹音 [g] を基に採れば [gist] と呼ばれ、それらは互いに異名同音である所も念頭に置いていただきたい所です。それらの音は結果的に次の例の様に譜面上で表される事になります。

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 原調であるホ短調を基準に新調を見渡す事は互いにジレンマを生じてしまうので、12EDOでの減四度を増三度由来の音として原調から見る事は出来ないのですが、新調の12EDOでの基準からすれば [as] から100セント上方にある音は [a] ですが、先行するそれが導音として機能する為には同度由来の音名として表す事が不可能であるので、その [a] は [bes](=B♭♭)であるべきです。然し乍ら、新調の側が導音を [gis] として想起していれば [gis] から100セント上方にある異度由来の音は [a] となる訳です。

 原調となるホ短調の仕来りだけでは減四度を異名同音の [gis] という増三度として見做す事はできないのですが、新調の仕来りの方で見渡せば [gis] として見る事が出来るという状況は結果的に「原調」からは次の様になっているに過ぎない事になります。

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 減四度が新調のテトラコルドへ100セントの音程としてディスジャンクトする導音であるならば、その導音から100セント上行すれば新調の音組織へ進行する訳です。その新たなる着地点を新調の主音に見立てる事が可能となります。つまり、[gist] というGセスクイシャープは100セント上方にある主音であるAセミシャープ= [at] へ行く事を可能とする物でもあるので、次の譜例の様にAセミシャープ・メジャー・スケールの音組織を視野に入れる事が可能となる訳です。

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 加えて、導音 [gist] は新調の導音であってもそれが必ずしも長調のⅦ度としての導音である必要はなく短調としてのⅦ度つまり「ⅶ」という風に表した短調の導音化された「♮Ⅶ」をも想起する事が可能である為、次の様なAセミシャープ・ハーモニック・マイナー・スケールを想起する事も可能となるのです。

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 十二等分平均律(12EDO)で考えれば、あらゆる音程は何某かの異名同音としての同義音程を見る事ができますが、十二等分平均律以外での微分音を齎している音組織での「減四度」というのは実質的には長三度より高い音であり完全四度より低い所にある音なのです。それが「重減五度」へ進行するという状況が新調の音組織であるならば、その新調の主音は原調の主音を基準にすれば原調の完全四度と増四度との間(※原調の主音を基準にしたその上方550セント)に音脈が現れる筈です。

 こうした「近親」的な調的関連性は、24EDO(二十四等分平均律)を念頭に置いた場合、ネガティヴワード即ち十二等分平均律での下属調方向の近親関係を生ずるそれと同様の最も近しい調的関係性で導く事のできる音脈を呼び込む状況でもあり、次の24EDO組織に於ける「不完全五度圏」と呼ぶべき五度圏の円環図に見られる近親関係はアロイス・ハーバの「Neue Harmonielehre」を知れば自ずと理解に及ぶ体系でありますが、[e] の反時計回りの直近に [ait] が現れている事を確認できるでしょう。

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 マーカス・ミラーがアロイス・ハーバの微分音体系の理論を知っているかどうかは定かではありません。仮にマーカスがハーバのそれを知らないとしてもそれは瑣末な事であり、少なくともホ短調で生ずる「減四度」という、ここでは「ブルー四度」と呼んでおきましょうか。そうしたマイナー3rdよりも高い「四度」として見做すべき音脈を「近しい関係」として積極的に使うブルージィーな音世界の発展の現実を見れば、なぜそうした音を使おうとするのか!? という欲求の根源を我々はこうして理論的に確認しているだけの事であり、こうした微分音を使う事に何の誹りを受ける必要のない、それ相応の裏付けがあっての欲求の起こりなのだという事を感じ取る事が重要なのであり、誰もがハーバの体系を知る必要があると言いたい訳ではないのです。

 その根拠として複調の起こり、導音欲求の起こりという事を踏まえれば、微分音社会の近親関係が自ずと判るという事に過ぎないのです。そういう背景を踏まえて、単にブルージィーな音が「Run For Cover」で頻発しているという風には記載せずに微分音を明示的にしているのが私の譜例という訳であります。


イントロ2小節目

 本題に戻り2小節目のベース・パートに目を遣ると、マーカスの特徴的な32分音符を用いたフレーズが登場します。私は「イナカッペ!」とか言っていたりしましたが、その言葉とは裏腹に、70年代後半からリー・リトナーのアルバム『in Rio』での「Rio Funk」でも聴かせている代表的フレーズのひとつです。

 プレイによっては32分音符ではなく半拍3連として遅く奏される事もありますが、殆どのプレイでは32分音符で採っております。プレイの手順としては斜体の「l」とした音が左手ミュートでのプラッキング音で出す物であります。

 この際左手ミュートのプラッキングでありますが、多くのベース・プレイヤーは3フレットから4フレット辺りに左手人差し指を軽く弦に触れてミュートさせつつ、中指&薬指&小指をクラスター化させて弦をプラッキングします。

 軽く触れている人差し指が低次の自然ハーモニクス・ポイント(特に5フレット近傍)だと、ミュートしていても共鳴していってしまいミュート仕切れない為、意図せぬ真の「レット・リング」状態を招いてしまうので大抵のプレイヤーは知らず識らずの内にと言って良い程、4フレット上のハーモニクスすら共鳴音が出ない様に3フレットと4フレットの間の辺りを触れるのです。

 無論、3フレットの辺りでも8次倍音のハーモニクス・ポイント(※埋込当該箇所でのグリス・アップ直後のG・D弦の3フレット近傍をセーハしての8次倍音の自然ハーモニクス)があり、渡辺貞夫のアルバム『オレンジ・エクスプレス』収録の「Good For All Night」では8次倍音のダブル・ストップをE弦をD音に落としたスコルダトゥーラでのスラップで水を得た魚の様にプレイを繰り広げているマーカスでありますが、3フレット辺りとなると共鳴もしにくい為、ある程度のミュートで共鳴しにくくなるものです。




 左手の人差し指が3フレット近傍を触れているとなると、左手ミュートのプラッキングは当然4フレットや5フレットの近傍をプラッキングするという事になるので、MODO BASSのデフォルトはMIDI CC番号=#4に割り当てられており、これの変化量としての0〜127での値が基となるベースのフレット数で割譲される状態であるので、ざっくりとCC=4の値を決めても良いかと思います。

 本曲デモで用いている左手プラッキングは4〜5フレット近傍を叩いているという音なので、×印で示される符頭は実質5フレット辺りとして考慮していただければ良いかと思います。あくまでも譜例上では5フレット辺りを示した曖昧な状況を指しているという意味です。

 2小節目2拍目ではサムピングのダブル(=16分音符2つの連打)として始まりますが、不思議な物で、マーカスは32分音符のそれをサムピングのダブルで表現するのは珍しく、本デモではそういうプレイを扱っていません。最も簡単に32分音符を表現しやすかろうと思うのですが、その辺りはマーカスの拘りがあるのでしょう。

 唯、マーカスの左手プラッキングの具合が極めて繊細な表現であるので、マーカスのプレイのそれをサムピングのダブルで表現している人達もかなり多く、手順としてもマーカスのそれは、ダブルを伴わないシングル・ストロークを重ね合わせた物で、なかなか難しい物です。例えるなら、

サムピング→左手プラッキング→プル

というマーカスの本来の動作を

サムピング→サムピング→プル

という風に弾いた方が32分音符や1拍6連符を奏する手順としては断然楽であり、加えてプルの直後に左手プラッキングを挟んだ後にサムピングのダブルを奏する、という手順も楽に実現できるのですが、こうした手順をマーカスは採らずに全く別の手順で奏しているのですからあらためて畏れ入るばかりです。

 2小節目3拍目の低位の [g] が同小節4拍目拍頭にかけてのチョーキング・アップは [g] より33セント高く採る必要があるという事で「+33」と注記を充てております。尚、破線スラーで示しているのは、その33セント高く採るというのはあくまでも標榜するピッチであり、実質的には28セント高い辺りになってしまったという状況でも大目に見るという曖昧な状況でも好いという意味で破線スラーを与えています。

 とはいえ、幾ら曖昧な微小音程を許容するとは雖も22セントのコンマ辺りで採る様では拙いので、大体上下に±2〜3スキスマ以内に収めた範囲を「曖昧」と解釈していただければと思います。因みに、チューニングを±2〜3スキスマの範囲に収めても良いなどとは一言も申していないので、曲中の微分音の取り扱いの許容範囲を勝手にチューニングに援用されてしまっては元も子もない酷い選択なので誤解なきようご理解のほどを。

 尚、同箇所で生ずるコード「A7(on B)」という2度ベースの型でありますが、Key=Em基準で見れば「Ⅳ7(on Ⅴ)」という状況であり、下属和音が副次ドミナント化しているという表記であるも、アッパー部の「A7」というのは下方五度進行および半音下方へ進行しようとしない類の物であり、「A7」の後続和音として主和音へ戻るのは音楽的な世界観の生煮え的状況であると言えます。

 ただ、この「A7」コード上で♮13th相当となる [fis] を其処彼処で経過的に忍ばせて来るのも特徴ではあるので、少々音価の長い部分を拔萃すると局所的な和声感としては「A6/B」または「F♯m7(on B)」の様に振る舞う響きが生じているのは事実です。

 ですので、コード表記的にアッパー部が副次ドミナントを明示している事で、こうしたコード上でオルタード・テンションをまぶした演奏を繰り広げてしまいそうですが、実際には下方五度進行および半音下方進行を採らずして、局所的にはドミナント7thコードとしての存在の希薄な同義音程和音が実質的に忍ばされている事を勘案すれば、このコード上でオルタード・テンションを積極的に用いるのは却って世界観を異質にしてしまう危険性を孕んでいるので、目先のドミナント7thコード表記を安易に解釈せぬよう注意が必要な局面であると言えるでしょう。

イントロ3小節目

 主和音Em9上での3拍目に4単位六分音=133セント高く採る嬰種微分音変化記号が現れます。これは勿論、このセント数が示す様に音を採る必要があるので曖昧には採らない様、注意をされたい所です。

イントロ4小節目

 茲でのベース・パートはイントロの2小節目と同様なので説明は省きますが、3〜4拍目に於けるコードがイントロ2小節目とは異なるB7(♭9、♯11)となり、このコードは冒頭の不完全小節のコードと同様の物であります。

 扨て、先述した様に先の「B7(♭9、♯11)」というコードは、ポリコードである「F7/B△」としても見做す事が出来ますし、[a] 音をコモン・トーン(=共通音)とした上で上声部&下声部偕にドミナント7thコードを三全音複調として「F7/B7」という風に見做す事は充分可能であります。

 単に「B7(♭9、♯11)」というコード表記からアヴェイラブル・モード・スケールを想起した時、その際ヘプタトニック・スケールは単一のモード・スケールしか導かないのは自明の理でありますが、「F7/B7」というポリコードを見立てた時に想起しうるアヴェイラブルモードは2種類の調域からのアヴェイラブル・モード・スケールを導いて来る訳であり、使用可能なアヴェイラブル・モード・スケールとしての可能性は一気に拡大するというのがポリコードの解釈を採る事の特長でもあります。

 単一のモード・スケールとして想起しうる「B7(♭9、♯11)」でのアヴェイラブル・モード・スケールのそれは13th音を明示しない限りモードの確定には至りませんが、少なくとも13th音は「♭13th or ♮13th」という選択肢があるので2種類のアヴェイラブル・モード・スケールの選択肢がある事になります。

 それら2音の何れかを和音外音として用いる事に依って初めてモードの確定が為される訳ですが、音楽の形成の為にモードが常に確定的である必要は無いのも亦事実であり、音楽的な実際として旋法的に未確定となる状況は少なくありません。

 唯、あくまでも茲での仮定的な例として「B7(♭9、♯11)」上にて♭13th音を選んだという状況で説明を進める事にしましょう。なぜなら [h] 音から見たオルタード・テンションの♭13th音はダイアトニック・ノート [g] =短調上中音であるからであり、[g] が [gis] へとムシカ・フィクタを採らぬ限りは原調の余薫を残す状況であるので、全音階(ダイアトニック)から大幅に姿を変えていない事で整合性が強化されるのが先ずひとつの大きな理由となる訳です。

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 アルバム『Straight To the Heart』の前奏での指弾きに依るソロに於て、マーカスは「B7(♭9、♯11)」のコード上であからさまに [h] から見た減八度の [b] から [b→c→d→e] という風にフレージングしている所があり、「B7何某」から見た時の減八度 [b](=B♭)と「F7/B7」として見立てた時の「F7」での減八度である [fes] の異名同音であるE♮を忍ばせているという事になり、E♮はB7からから見れば本位十一度であるという所も注意深く分析する必要があるかと思います。次の動画の埋め込み当該箇所(0:57〜)の部分が減八度を明確にしている所です。




 抑もドミナント・コード上で生ずるオルタード・テンションとして♯11thが用いられる理由は、もしも第11度音がオルタレーションせずに♮11thと成したままであると、それを単音程の転回位置に還元した際に基底となる和音の第3音との間には短二度という半音音程を形成してしまい、第3音の高位に不協和音程の骨頂とも言える短二度音程を形成する事で基底の和音を阻害する音=アヴォイド・ノートと解釈するからこそオルタード・テンションの十一度音は半音高くオルタレーションされる措置を採っているに過ぎないのですが、この方策が常に用いられる事でコード表記の側として一般化していると言って過言ではありません。

 音楽の世界に於て十二音技法が生まれ、その他の無調の世界や半音階的全音階社会で広く認識される「不協和の骨頂」というのは概して半オクターヴに相当する音程の事を指します。つまり協和から最も遠い最果ての音程とも呼ばれ、音楽の歴史ではそれを「悪魔の音程」とも位置付けていたが故の「骨頂」なのですが、ヘルムホルツ以降音響心理学の発展が著しくなると、不協和の骨頂の実際は半オクターヴよりも短二度の方が不協和である事が証明されます。然し乍ら音楽の世界では半オクターヴが不協和の骨頂とするスタンスを採り続けつつ、半音でのトーン・クラスターの概念などが生じ、既知の体系を壊さぬ様にして不協和の骨頂という世界観を取り込んでいるのが実際です。

 そうした音楽的状況によっては「不協和の骨頂」は半オクターヴを意味している事もあるのですが、本記事に於てアヴォイド・ノートを「忌避すべき音」というスタンスなど毛頭採ってはおりません。協和状態を阻む他の音、位のニュアンスで三全音および短二度をアヴォイド・ノート程度に思っていただければ結構です。尚、短二度および増一度の部分超過比=長七度および減八度はアヴォイドではありませんのでご注意を。

 本来ドミナント・コードというのは機能和声的には「不協和→協和」という音楽上の乙張りを生む為に現れる「不協和」の役割を持っているのであり、不協和の為の和音が「基底の響きを疏外する」という状況は充分に「不協和」なのであります。

 処がコード表記体系の側から見れば、ドミナント7thコード上で減八度相当あるいは長七度相当となる同等の音が併存するのは罷りならなん! とする者が単にコード表記体系から照らし合わせて使用する煩わしさを感じているだけに過ぎず、和音構成音からもアヴェイラブル・モード・スケールからも類推できない「アウトサイド」な音というのは、前提とする側面から対照させれば立派に不協和を成立させているので是認可能な音脈であるのです。

 実際にドミナント7thコード上で減八度相当の音脈を心の側が要求するのは能くある事で、ベース奏者は理論的な側面など詳しく判らずともクリシェとなる音脈を強烈に意識するという経験があろうかと思います。

 処が、そうした音脈を脳裏に映じているにも拘らず、アヴェイラブル・モード・スケールの体系はおろか和音構成音の側からも当てはめる事のできない音という風に位置付けられる状況である為に、目先の単純な理論体系を盲従してしまうがあまりその程度の体系に己の欲求が丸め込まれてしまい、果ては卑近な選択をしてしまうという尻込みをしてしまうというのは初級・中級者レベルに多発する状況は能く見受けられるものでもあります。

 マーカスの減八度のアプローチは、ジャズの世界から見てもそれほど新しいものではなくバリー・ハリスのそれを酌んだ物であるのは疑いのない所でありましょう。換言すれば、ジャズの世界では珍しくはないアプローチのひとつであるのです。

 私のブログ記事では過去に、バリー・ハリスの理論プロコフィエフの用いた音階を引き合いにして減八度の音脈について語っているので、当該ブログ記事をあらためて読んでいただければ之幸いなのでありますが減八度という音程は、単音程に転回させた狭い方の陰影分割として見れば実質的には根音(ルート)から見れば半音下に相当するので、非常に初歩的な理論体系の側からすればそれは忌避すべき不協和かの様な音脈ではあるのですが、全音階的にではなく半音階的に俯瞰した社会観から見れば見事な不協和であるので、解釈として是認しうるものともなるのです。

 無論、「Run For Cover」という楽曲は半音階を強固に標榜する音楽観で形成された物ではなくホ短調という性格を強く押し出しているに過ぎないものの、楽曲の過程にて所々で半音階的社会観を取り込もうとして和声の粉飾を施すのは明らかなのでありますから、半音階的社会観を取り込んでいるのであれば局所的に生ずる状況でも「不協和」が齎す世界観の変容をやり過ごしてしまう様では分析が甘いと言わざるを得ません。

 ホ短調に粉飾を重ねようと企図している欲求が半音階的社会観を向いているので、そこを注目しなくてはいけないのです。

 扨て、「B7(♭9、♯11)」上で減八度相当の「B♭音」の使用が是認されるという例を今回は、《原調の半音下に位置する調域の音組織を借用》という風に解釈する事にしてみましょう。言うなればそれは、E♭/D♯を基本音とする長・短の調性=計4種類を導く事が可能ともなりますが、今回はその中から「Key=D♯m(嬰ニ短調)」を導くという事を前提にして考えてみる事にしましょう。

 ジャズ・アプローチに少しでも触れた人であるならば、半音異なるアプローチでスーパーインポーズさせてアウトサイドな音がはまるという経験をした事があろうかと思います。唯、それを楽理的に説明できる人は少なかろうと思いますし、何故そうした音脈を「使える」のか!? と繙く方も亦少なかろうかと思います。今回は、原調の半音下の調域を見るという事でそれらの疑問が払拭されるという事も語り乍ら楽曲分析を繰り広げる物なのです。

 では理論的側面から垣間見える「半音下の調域への欲求」とやらを繙いてみる事にしますが、前提となる《欲求》の源泉とは次に挙げる通りです。

●短調のⅤ度上の和音上で生ずる増十一度の根源
●原調の♮Ⅶ度の調域への関連性

 我々人類、殊に西洋音楽の体系というものは今でこそ対位法や和声法体系が整備されておりますが、そうした体系が整備される遐か以前から我々が用いて来たのは「導音」だとディーター・デ・ラ・モッテは述べております。モッテが述べずともそうである事は周知の事実である事に疑いはないでしょう。

 その「導音」とは、たとえば長音階の第7音として主音に半音音程で隣音として「出来合い」で備わっている状況ばかりでなく、「可動的」に導音化する事を意味している物であり、可動的な選択を採らなければ原調を固守する事になるという訳で、こうした可動的変化をムシカ・フィクタと呼んだ訳であります。

 ドリアン・スケールの第7音がムシカ・フィクタを採って♮Ⅶと化しました。その状況を先行音と対照させればメロディック・マイナーと同様に映るかもしれませんが、こういう状態ではメロディック・マイナー・モードとは正当な場所では呼びません。単にドリア調で導音が発生しただけに過ぎません。

 グリーンスリーヴスでも、基礎の部分はドリアであり、可動的にムシカ・フィクタを採って導音が発生するだけの事で、導音が発生した所だけを拔萃してメロディック・マイナーだという風に解釈してしまうのは浅はかな分析なのです。

 ジャズ的解釈にすり寄ればそれは確かに「一時的」にメロディック・マイナー・モードに移旋するに等しい状況ではあるのですが、だからといってその部分が局所的に現れるからと言って楽曲全体がドリア調からメロディック・マイナーに変容するという訳ではないのです。

 その「一時的」に介在した移旋は正確には「中間転調」と呼ばれる体系なのですが、ロマン派の時代でも遠隔的な転調が多発する様になり、楽曲の粉飾は複雑化を増していった物でした。過程でどれほど複雑な転調=中間転調が介在しようとも、止まり木を目指す世界観=目的調という物が調性の根幹および楽曲を明示する為の調性という風に理解される物なのです。

 ですので、グリーンスリーヴスの中間に介在する「恰もメロディック・マイナー」として局所的に現れる部分は中間転調という局所的な「転調」(※実質的にはそれは移旋に留まる)が介在して、目的調として原調のドリア調へ戻るというのが、より正しい解釈となる訳です。

 曷はともあれ、仮にも和声(コード)の側が自身の響きの為に「調性」から授かった音組織を変えてまで響きの方を取ったとしたら、その和声の響きは授かった音組織を顧みずに他所の家へ出て行ったかの様な振る舞いでもある訳です。だからと言って響きが濁ったまま元の音組織の家へ居続けろとまでは言いませんけれどもね。

 原調での「家のぬくもり」である、少なくとも《主音と属音》を拘泥しない状況というのは、自宅で飯を食わずに腹が減ったら他人の家で飯を食わせてもらおうという振る舞いに似る訳ですね。他人の家ばかりで飯を食らっている状況は、音楽的には転調を頻繁に繰り返している状況と言えるでしょう。

 更に、原調の音組織を固守しているのであるならまだしも、原調で充分に通用するフレーズを引用し乍ら、それに纏わせるハーモニーを他調から拝借する粉飾が必要な為に他人の家ばかりで飯を食らうという状況の最たる物がロマン派以降頻発する事になる半音階的全音階社会の音楽観である訳です。

 減八度というのは、自宅での躾を忘れるかの様にして他調で通用する方便として聞こえる時と、自宅や他人の家のいずれでも通用しない状況として「アウトサイド」な音があると思っていただければ良いでしょう。

 ジャズの場合、如何にして身銭を切らずに他人の金で酒を飲むか!? という風に喩えれば更に判りやすいと思いますが、つまりは「身銭=原調」であり、「他人の金=他調」という事を指している訳です。

 何かと話題になっている「分数aug」というハーモニー・テクニックのひとつとて、ベタな程に原調の全音階的(ダイアトニック)なフレーズに対して、原調では生じないハーモニーを纏わせる事で音楽的な色彩の度を深めるという事が最たる目的である訳で、他調の借用という和音や音列の使用の実際がある様に、他人の金で酒を飲むというのはオイシイ訳ですね(笑)。

 扨て、「B7何某」というコードに於て9度音が♭9thとなる短属九は短調でのⅤ度上で全音階的に現れる訳ですが、9th音はとりあえず扨措いて11度音が♯11thとしてダイアトニックで生ずるドミナント7thコードを想定するには、少なくともリディアン・ドミナント7th(リディアン♭7th)・スケールを前提として想起しないと現れぬ事となり、結果的にそのドミナント7thコードはあるモード・スケール上のⅤ度上のコードとしてではなく、この場合はⅣ度上に現れる「ドミナント7th」コードであるという事を明白にする物であるので、ドミナント7thコードの調的な勾配を利用する解釈とは全く意を異にする物であると言える訳です。

 しかも、そのドミナント7thコードは下方五度進行すらしようとしない閉塞的な状況として聳えるコードです。コードの響きがドミナント7thコード類のそれでしかなく、下方五度進行を期待できない、機能和声の振る舞いとは異なるプラガル(変格)な状況を甘受せざるを得ないコード体系を用いるという意味になります。

 そもそも♯11thを単音程へ転回すれば三全音であり、属音上の三全音は主音の半音上を見る事となるので、Ⅴ度上にそれが現れるというのは機能和声的な振る舞いからは矛盾している状況な訳です。

 以前にFacebookにて私の論評を論って、どれほどコンポジットな旋法を駆使しようとも協和に基づく世界観は音楽的なアプリオリがあると論じていた方が居りましたが、その協和感が持つ絶対なる強大な「力」は、ある一定の音楽的素養の範囲では確かに絶大なる強い力を発揮してアプリオリたる存在を示す物です。

 そうはいっても、長音階や長三和音の協和的社会観には絶大な強い力があるにせよ、それをも可変的に変化させるムシカ・フィクタという動作を太古の昔から有していたのも確かであり、短調の世界とて和声体系が整備される事で属音への下行導音として機能させる事で初めて「自然短音階」は恰も「自然」的な振る舞いとして基準と為す地位を得たに過ぎません。

 太古の昔から短調はドリア調が優勢に使われていたのでありまして、そのドリア調とて主音への上行導音というムシカ・フィクタを採られていた訳ですから科学的に示される協和観から対照させた時のアプリオリとやらが音楽の歴史のそれを正確に表しているとは言い難いのもまた事実なのです。

 音楽の歴史を遡る上で今時ピタゴラスを信奉して取り上げるのは餘程の変わり者か不勉強な者として白眼視されかねませんが、西洋音楽の歴史がギリシャ時代のそれを脈々と利用し乍ら体系が真なる意味で整備されたのはボエティウスの時代になってからです。ボエティウスはプトレマイオスの論文を援用しており、プトレマイオスはアリストクセノスのハルモニア原論のそれをも是認していた立場を採っていたのであり、ピタゴラスのそれはプトレマイオスの時代からも懐疑的に扱われていたというのが真相なのであります。

 ピタゴラスとてピタゴラス一人が独力で数学的な威厳を示したのではなく、ピタゴラス学派にいるその他の多くの人々の研究で培われている物に過ぎません。また、あまりに突拍子もない事を繰り広げてしまえばギリシャという大国で生きていく事ができずに国を追われたという時代でもある訳です。

 そうした状況を大半の人々は識らずにピタゴラスを引き合いに出すのはもはや莫迦げているとも言え、いまや微分音をごく自然に取り扱うジェイコブ・コリアーという類稀なる天才が従前のバークリー・メソッドなど全く埒外とする西洋音楽の理論を援用して繰り広げている様子をまざまざと見せつけられている事実をあらためて認識すれば、従前のジャズ理論が如何に手垢の付きまくった古い体系であるに過ぎず、いつしかジャズ理論が置いてきぼりを食らっていたという事に薄々気付かれた方は少なくないかと思います。

 加えて、リディアン・ドミナント7thスケールはメロディック・マイナー・モードのⅣ度をフィナリス(=リック・ビアト氏ふうに言えば ‘modal tonic’)に採る事で生ずるモード・スケールであるので、そこでダイアトニックに生ずるコードを「Ⅳ7(♯11)」として取り扱いつつ、更に9度音をダイアトニックに付与すれば長九度相当の音が生じますが、その♮9thを可動的に♭9thに変じた時、局所的にはモード体系が変わる事になります。

 なぜならその♭9th音は原調(基のメロディック・マイナー・モード)から見て第5音のⅤを「♭Ⅴ」にしてしまう訳ですから、機能和声的な「アプリオリ」な見立てで解釈しようと強弁した所で、主音および属音を叛く状況に於て原調を固守した見立てというのは実に莫迦げており、こうした状況が生じた瞬間、局所的な転調が生じているという解釈を採るべきなのであります。原調の主音や属音を叛く状況で原調を固守する必要はないからです。

 無論、楽曲の大枠として目的調とする方へ向かう楽曲の信念めいた行き先が原調と同一の帰着点とするならば、結果的に固守する事にはなりますが、それとて実際には介在する転調を許容している振る舞いに等しいに過ぎません。

 これは、グリーンスリーヴスの例を述べた時の、単なるムシカ・フィクタでドリアンがメロディック・マイナーに変わってしまった様に判断するというそれとは逆の、ムシカ・フィクタに依ってモード・チェンジを許容するという例になるので混同せぬ様ご理解のほどを。

 メロディック・マイナー・モードでのⅣ度上で生ずるドミナント7thコードのテンション・ノートが変ずるという観点はまだまだ甘いのです。言うなれば、そうして耳にしてしまうのはまだまだ卑近な状況であり、高次なハーモニーおよび高次なモード・チェンジというのは他調の遠因を見る事であり、「他調の併存」という状況すら音脈として用いる事が可能な状況を示す為に今回の説明であるので、冗長な説明になりますが何卒ご容赦ください。

 次の譜例ではフィナリスを [dis] に採っているF♯メロディック・マイナー・モードです。但し、コード表記の「B7(9、♯11)」は、同モード上のⅣ度上で生ずるダイアトニック・コードであるので、フィナリスとしてはF♯メロディック・マイナー・モードの♮Ⅵ度を見ているという事になります。

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 ジャズを志す様になり音楽的素養が増すと「裏コード」というトライトーン・サブスティテューション(=三全音代理)を覚えます。それは、ドミナント7thコードに内含される三全音の2音が「異名同音」的にそれぞれ共通する他調由来の三全音を利用する事で得られる物で、遠因となる状況を三全音が近付けている訳でもあり、異名同音として「恣意的」に同一視する事で得られる音楽的な方便とも言える物です。

 それが何故「方便」なのかというと、裏コードに転義させる前の基となるドミナント7thコードが内含する三全音は、それぞれが全音階的に直近の隣音へ「上行導音/下行導音」が互いに反進行する事で振る舞いも美しい所作と成して後続のコードへの「解決」を見る物であります。

 然し乍らトライトーン・サブスティテューションというのは、三全音は実質的に異名同音で同じであるも、上行導音/下行導音がそれぞれ働く役割が全く逆になります。この部分がスポイルされてしまっている人は非常に多いので注意をされたい所です。

 ですので、「G7→C」という状況でのG7の上行導音は [h→c] と進み、下行導音は [f→e] と成しているのですが、トライトーン・サブスティテューションとして裏コードに転義させた「D♭7」が和音構成音の3度音として内含する [f] は少なくとも、他調の上行導音たる♮Ⅶ度に在る筈の音なのですから、本来なら上行導音として働く筈の [f] を無理矢理 [f→e] とさせているという訳です。

 同様に「D♭7」の七度音 [ces] は本来なら下行導音として作用する筈ですが、これを上行導音として働かせる様に無理強いさせて [ces→c] という状況を音楽的な方便として用いているに過ぎないのです。

 斯様な音楽の「重力」を逆行させている方便というのは、実質的には調的な五度圏の関連性から対照させると、属調側(ポジティヴワードと呼ぶ)の方ではなく下属調側(ネガティヴワード)の世界を見る事と同様の状況を見ているのです。C調から見たF♯/G♭調はどちらも十二平均律では等距離である関連性でありますが、「G♭」調と見るべき世界観はネガティヴワード方面を辿って来ている事となるので、決して「F♯」調のポジティヴワードを辿ってきているのではないのです。

 ネガティヴワードの世界観がメロディック・マイナー・モードを誘引して来るのです。例えばハ長調でツーファイヴワンを繰り返している所で、トニックとサブドミナント和音では決して使わない音でもドミナント上ではオルタード・テンションを「使える」のは、主音から見た三全音の音を除いた少なくともハ長調域から見た「D♭・E♭・A♭・B♭」というのがネガティヴワードの方面から持ち来された音脈であるからなのです。

 故に「使える」のであり、随伴するメロディック・マイナー・モードという世界が見えて来るという訳なのです。

 メロディック・マイナー・モードのⅣ度上の和音は、それがドミナント7thコードであるにも関わらず、内含する三全音は直近の隣音として上行導音や下行導音としても働かない閉塞的で特別な状況にあるドミナント7thコードが存在します。

 もしも凡ゆるドミナント7thコードをメロディック・マイナー・モードのⅣ度上のコードとして転義させて解釈するとしたら、ハ長調での「G7」はDメロディック・マイナー・モードのⅣ度上の和音という状況に等しい訳です。見方を変えればDドリアンの七度音が上行導音化したとも考える事が出来ます。単なる関連性で対照させ合うならばDドリアンとDメロディック・マイナーの関係というのは明らかに、Ⅶ度のムシカ・フィクタを採るか否かの違いに過ぎない「近しい」関係なのは疑いの無い所なのですから。

 同様にして「D♭7」はA♭メロディック・マイナー・モード/G♯メロディック・マイナー・モードという風になり、変種記号7つの変ハ長調の平行短調である「A♭マイナー」の第7音が導音化しているのがA♭メロディック・マイナー・モードの音組織を形成した物と考える事が出来、その世界観は実質的に嬰種記号5つのロ長調の平行短調である「G♯マイナー」としてエンハーモニックの転義を施した取り扱いやすくした事で「B何某」という音脈が見えて来るという事なのです。

 ネガティヴワードに辿って行くならば「B」という音は「C♭」が出て来るまで、それを異名同音として転義させる迄出て来ない音脈ではあるのですが、実質的には介在するメロディック・マイナー・モードのそれが一役買っているという訳です。

 更に言えば、ハ長調の平行短調であるAマイナーでの属七和音=E7をBメロディック・マイナー・モードのⅣ度として読み換える事からも生ずる音脈であり、実質的にはネガティヴワードの領域もポジティヴワードの領域を魚眼レンズの様な広角レンズで音楽を俯瞰している様な状況という形で音脈は備わっており、音楽を用いる個々人の嗜好/志向が逐次、選択すべき音の方向性を知らず識らずの内に選択して用いている人が多いというのが実態でありましょう。

 勿論、同様にして先のイ短調の属七和音「E7」がトライトーン・サブスティテューションして「B♭7 乃至 A♯7」となるのも好ましい見立てであり、三全音代理が招いた上行/下行導音の転義が三全音調域の空間を随伴させている(≒半音階的音楽社会の随伴)関連性という物が衛星の様に付き纏っているのが音脈の関連性と言えるでしょう。

 また、そうした随伴が三全音調域ばかりではなく半音下にも現れる事があるでしょう。そうした音脈の関連性を今こうして説明しているのです。

 メロディック・マイナー・モードを視野に入れるばかりでなく、そこから音楽的素養を更に深めるのが、メロディック・マイナー・モードを変応させた事で生ずる世界観なのであります。つまりそれは先にも取り上げておき乍らなかなか本題には進んでおりませんが、重ねて挙げると次の通り

●短調のⅤ度上の和音上で生ずる増十一度の根源
●原調の♮Ⅶ度の調域への関連性

という状況の事なのです。

 扨て、「Run For Cover」はKey=Em(ホ短調)として解釈すべきで、実質的にはEドリアンであるもののホ短調として主軸を置いた上で解釈するとします。その上で「♮Ⅶ度調域」というのは嬰ニ短調の調域の事を私は指しているのです。つまり、Key=Emに対してKey=D♯mが随伴している社会がある、と。

 とはいえ、嬰ニ短調のダイアトニック・コードとして♭Ⅵ度上に生ずるコード(四和音)は「B△7」であり、それが副次ドミナント化しない限り「B7」とは成らない関係性ではあります。しかも♭Ⅵ度上の和音が副次ドミナント化すると、和音構成音の七度音が♭7thである為、基の音組織である属音=Ⅴを「♭Ⅴ」化させてしまう事になります。

 原調の主音と属音が叛かれる時、その時点で調性は別の調由来の音として解釈する必要があるでしょう。前後の流れとしてそれが「♮Ⅴ」に戻って来るという風にして、五度音が上方/下方変位を採って基の属音に戻るという状況は機能和声の和声法でも便宜的には教わりますが、局所的にみればどう言い繕っても原調は単なる残り香としての存在でしかなく、原調としての振る舞いは現実的に存在しない事になります。どんなに直ぐに戻って来るにしても、です。

 そういう状況を踏まえれば易々と「♭Ⅴ」という状況を是認する訳にはいきません。私のブログではこれまでもそういうスタンスを採って解説をしております。とはいえ、これは「仮想的」に見立てる方の調性観を拡大させているに過ぎず、仮想的にイメージするホ短調の♮Ⅶ度調という「幻影」に対して強固なまでに調性を固守する状況を見立てる必要もなかろうと思います。

 そうして仮想的に見立てた調性を更に「変応」させる状況を踏まえれば、仮想的に見立てた♮Ⅶ度調として生ずる「D♯m」は「元の姿」がD♯エオリアンであるものの「原調のホ短調」からは仮想的な世界として見立てるだけの思弁的な物にすぎないので、仮想の世界観のそれがD♯ドリアンやその他の近しいモードへ変応という変化させる可能性は幾らでも生ずる訳ですから、仮想的な世界の方まで基の世界として想起するモードを固守する必要はないという事なので、仮想的な世界観の方はいくらでも変応が利く自由な音空間と解釈してほしいのであります。

 仮にも、原調のホ短調の属音 [h] が [b] (=B♭)として変じられてしまう状況をいつまでも原調に墨守して「♭Ⅴ」として見ようとするのは莫迦げている見方です。先の場合は、仮想的な方の調性なので、幾らでも変じて誹りを受ける見立てではないのですが原調の主音および属音が叛かれる状況となると黙認はできません。

 仮想的に想起する自由な音空間で第一の候補として想起した世界はあくまでも想定する可能性のひとつに過ぎず、想像の側は幾らでも変わるという自由な空間であるという事に矛盾を感じてしまわぬ様にご理解いただきたいと思います。

 加えてB7上では9度音が [cis] 「C♯音」である以上、「B7(♭9、♯11)」が唐突に嬰ニ短調との関連性を引っ張って来るという訳ではありません。あくまでも「変応」の要素があって生ずる関連性であります。つまり、嬰ニ短調での♭7th音が更に低められて減七度へと変応すれば「B7(♭9、♯11)」というダイアトニック・コードは生じます。

 詭弁の様に思われるかもしれませんが、それは「B7(♭9、♯11)」というコードが引っ張って来る世界観であるからに過ぎません。

 コードが引っ張って来る世界観で調性は移ろう物です。仮にもそれを詭弁と決めつけるのであれば、嘸しホ短調はEドリアンにすら嘯かれる事などないでありましょうし、況してや「B7(♭9、♯11)」という音階外の音を引き連れてまで和声を形成しない事でしょう(笑)。

 つまり、和声の側が世界観を変えたり、場合によっては和声もない単旋律のフレーズの強行で調性の世界を変えるというのは有り得る事なのです。唯単に、原調の半音下に随伴させる音脈の存在があるという風に見てしまうのが突拍子もない事に過ぎず、多くの場合、この音脈をさりげなく巧みに使う事は難しい物です。とはいえ因果関係を考える事は重要であり、実際にこうした音脈は知らず識らずの内に役立っている事なので、その辺りをまずは説明していく事にしましょう。

 嬰ニ短調(=D♯マイナー)の音脈を提(ひっさ)げて来る状況ですが、結論から言えばこれは、「B7(♭9、♯11)」というコードが想起しうるモードの可能性から誘引される世界観であります。つまり、「B7(♭9、♯11)」というコードの「♯11th」は既に原調を背いた音階外の音であるに過ぎず、こうした音階外の音が足がかりとなり、そこから類推しうるモード・スケールは必ずしも一義的ではなく多義性を生じている為、和音構成音は変わらずとも、モード・スケールが複数存在する可能性があります。

 それらの可能性をひとつひとつ選択したとすれば、わずかに音階を変応している状況に等しくなるという訳です。なんとなれば「B7(♭9、♯11)」は次のモード・スケールから生ずる様に解釈する事も可能です。

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 このモード・スケールは、Bルーマニアン・メジャー・モードの6番目の音のモードです。つまり、「B7(♭9、♯11)」でこのモードを想起した場合「E♯」は実質的にホ短調からはナポリタンとしての「♭Ⅱ」に聴こえ、「D♯」はB7上の3rd音である訳です。

 更には、嬰ニ短調の主和音である「D♯m」の和音構成音である5th音を半音低く採って♭5thを生じさせた時、局所的には「D♯m(♭5)」となり、それがBルーマニアン・メジャー・モードの6番目のモードとなって「移ろう」状況として見る事が出来るのであります。

 こうした所謂「ブルージィー」な変化は、繙いてこの様に説明してしまうと仰々しい手順に読めてしまいそうですが、実質的には非常に簡単にやっている事でありましょうし、そうした「変応」の欲求が音楽の世界観を拡大させている事実でもあるのです。

 扨て、「B7(♭9、♯11)」というコードは譜例動画冒頭の不完全小節でも示していた様に、「F7/B△」および「F7/B7」という同義音程和音としてのポリコードとして恣意的に解釈する事も可能です。

 これらのポリコードのアッパー部である「F7」の7th音 [es] は、実質的にはロウワー部「B7」の3rd音 [dis] と異名同音的に重複しているに過ぎないので、表記の上から「F△/B△」に丸め込んでもポリコードの物理的な構成音としては同じであるので、表記のシンプルさだけを勘案すれば「F△/B△」で十分な気もします。

 とはいえ、ドミナント7thコードである事を明示するという事は、それがⅤ度上の和音或いはメロディック・マイナー・モードでのⅣ度上の和音として恣意的に見る事を楽にしてくれる訳です。今回のこうした説明の流れからすれば、ドミナント7thコードとして明示される部分はメロディック・マイナー・モードのⅣ度として解釈する方が適切でありますが、そうしたアプローチを採る方が多義的でもあり可能性を拡大させるという事をあらためて強調しておきたい所です。

 メジャー・トライアド同士でのポリコード「F△/B△」というのをあらためて観察すれば、それ同士が三全音で隔てている以上、三全音忒いの音脈の拔萃を「随伴」させている状況であるという事があらためてお判りになるかと思います。

 つまり、「B7(♭9、♯11)」というコードから、馴染みの薄いモード・スケール=Bルーマニアン・メジャーを引っ張ってきたり、或いは「F△/B△」というポリコードのそれぞれからメロディック・マイナー・モードのⅣ度上の和音としてアプローチを採る事で何れにしても可能性を拡大させているのは間違いのない所なのであります。

 唯、「F△/B△」というポリコードの両方のメジャー・トライアドにドミナント7thコードを充てられる状況をして愚直なまでに両方にそれぞれメロディック・マイナー・モードのⅣ度と解釈してしまうのは早計です。

 なぜなら、ハ長調でのG7の三全音代理を思い出して欲しいのですが、「D♭7」はプラガル(ネガティヴワード)にメロディック・マイナー・モードのⅣを充てても誹りを受けぬ状況であり、少なくとも「D♭7」コード上に9・11度音の正位位置を見れば [des・f・as・ces・es・g] を見る事になるのですが、基の「G7」の正位位置は [g・h・d・f・a・c] という風に、11度音は基底の和音とのアヴォイド・ノートにならぬ様にして「コード側の方便」として成立させる物が正位位置なのではなく、本位十一度=♮11th音として成立させて、アッパー部とロウワー部との乙張りを付けた方がより「材料音」が増え活用できるのでありますから、こうした「対比」を伴わせるのも重要であります。

 ですので、少なくとも「F△/B△」というポリコードで両方ともドミナント7thコードを充てる事が可能な状況の時、どちらかがミクソリディアンでの正位位置として見立てた時、もう一つはリディアン・ドミナント7thを充てて対置させる方が適切だと言えるでありましょう。

 そうした対置で「F△/B△」のアッパー部でFミクソリディアンを見立てたとした場合、本位四度として [b] (=B♭音)を生ずるのでありまして、みなし「B7(♭9、♯11)」というコードで [b] を採るアプローチが見られるのはそうした理由であるからという推測が成り立つ訳です。

 加えて、B7上での減八度音として [b] を見る事が出来る訳でして、こうした半音階的にクリシェのラインが欲求として生ずるのは先の様な遠因が生ずるからなのでもあります。「B7(♭9、♯11)」というコードをポリコードで解釈する事で、ふたつのドミナント7thコードのモードを同種のモード・スケールを充てずに対置させるという事です。これらのアプローチが重なる事で、より一層磨きがかかって高次なアプローチになるという訳です。

 トニック・マイナー・コードの5th音が半音低く「ブルージィー」に採られる事によって誘引される事となる♮Ⅶ度調域という物をホ短調主和音(トニック・マイナー)基準で見立てれば、基の調域のトニック・マイナーを四和音で見た時が「Em7」で、♮Ⅶ度調域のトニック・マイナーが「D♯m7」となります。

 この際、♮Ⅶ度調で生ずる基底と為すマイナー・トライアドの「D♯m」の5th音が纒って来る [ais] は、基の調域の主音 [e] から見た時は増四度の位置に見える事になります。

 原調の余薫をそのままに [ais] という音階外の1音のみを欲しがっている時、Em7に対して [ais](=A♯音)が付与される状況となります。不思議な物で、これらの5つの音 [e・g・ais・h・d] は [ais] が異名同音として転義すると「Em」と「Gm」という短三度忒いのポリコードを生むのでありまして、原調「Em」が優勢となる世界だった訳なので、アッパー部に「Gm」を生ずるという風にして表記すれば「Gm/Em」を生んだ状況となり、奇しくもその「Em」から見れば三全音を包含している副和音である訳です。

 また、 [e・g・ais・h・d] の [ais] が異名同音で [b] と解釈された時に、フレージングとして「Em」のアルペジオから [h] が [b] へと変じる様にして「Gm」のアルペジオを交互に奏した時、「Em」をEドリアンの様に嘯き乍ら「Gm」の時にはEルーマニアン・マイナーへ変じた様にも聴かせる事が可能な訳です。

 ですので、前回のルーマニアン・マイナーおよびウクライニアン・ドリアンおよびハーモニック・マイナー完全四度下というのは、茲に結び付くという事でもあるのです。これは非常に重要な事なので、前回のブログ記事と併せてお読み下さい。

 前回のスティーヴ・ガッドやウォルト・ファウラーに関する記事でも触れた様に、A・E・ハルが『近代和声の説明と応用』にて増十一度音を包含する短和音を挙げているのはこうした複調的な側面をも暗に例示している物なのであり、短三度忒いの複調を見るという事は、或る何某かの音程が「砕かれた」という解釈で見るべき物なのであります。

 そもそもは原調の主音 [e] から三全音関係にある [ais] という音脈は、オクターヴという協和音程が半分に分割された事を意味しているのでありまして、不協和という構造は任意の音程を等音程もしくは等差数列で砕かれた音程排列を見せる物です。

 そうして [ais] という「半オクターヴ」という状況は結果的に「短三度」忒いのマイナー・コードのポリコードを生んだのでありまして、ニコラス・スロニムスキー流に言えば、短三度=セスクイトーン(=1全音半=1.5全音)という音程が三全音を砕いた状況が現れているという訳です。

 機能和声的な見渡しを考慮に入れなければ、十二音平均律(=12EDO)社会の範疇では、半音階を駆使する状況を体現するという事を見せつけられる事を意味するのであります。

 扨て、ある音程が等しく「砕かれる」という状況は他にも多々あり、九全音を微分音として割譲されるというプロセスは前回もやりました。

 マーカスが「Run For Cover」で用いる微分音は、単に原調のイントネーションの差異として用いている物で、決して微分音や他の音律を向いた物ではない事だけは確か(※何故その微分音を使えるのか!? という根拠は備えていると思います)なのですが、こうした微分音を一切使わない人からすれば《何故その音を微分音として使えるのか!?》という疑問を抱かれるのではなかろうかと推察します。

 ブルー7・5・3度として微分音的に下げられる状況があるのはギターやベースを弾く人ならそういう状況があるのは薄々理解されているでありましょう。しかし、それ以外の音度で微分音を取り扱うなとなると途端に難しさを感じて尻込みしてしまいそうになる事でしょう。

 それらは全て、何某かの任意の音程が微分音的に「砕かれ」て生ずる音脈だと思って差し支えありません。

 例えばマイケル・ブレッカーが短六度と長六度の間の微分音を使っている例というのも、過去の私のブログで取り扱いましたが、それは完全十二度=1オクターヴ+完全五度=トリターヴが半分に等分割(1900÷2=850セント)で得られる音脈であるからです。

 砕かれる前の「任意の音程」というのは概して完全音程または不完全協和音程が従前の十二等分平均律(12EDO)とは異なる単位音程として砕かれるが多いです。頻発する不協和音程を砕くという事でも問題ないのですが、協和度の高い音程が砕かれるという事が協和感を揺さぶるという事に貢献するのでありましょう。

 こうして「砕く」時に、愚直に単音程ばかりを見るのは却って可能性を狭めてしまいますので、複音程を視野に入れて等しい音程で砕いてみるのは好ましい手段であると言えます。800セントという単音程を5で割る(単位音程=160セント)のも好いですし、900セントを4等分(単位音程=225セント)しようが、それを巧く聴かせる様にすれば良いのです。

 こうした方策ばかりを知っただけで、耳が追い付かずに再現すら覚束ない状況ならば使用するのは止めるべきでしょう。それは認識できていない状況であるに過ぎないので、音痴と同じ状況しか生みません。耳もしくは脳が認識が可能となった状況であるならば、こうした世界観や少なくとも私の述べているこの文章をより深くお解りいただける事でありましょう。

 実は、減七和音が持つ短三度等音程構造や増三和音の長三度等音程構造というのも、完全八度=オクターヴが等しく砕かれた事に依る不協和な世界観なのであります。更に言えば全音音階=ホールトーン・スケール。これもそうなのです。

 更に付け加えれば、メロディック・マイナーという音階。これは2つの半音と5つの全音を持つ音階の中では全音音程が連続する数が多い音階であるので、「等音程」という世界観の側との親和性が高い音階なのです。

 ですから、メロディック・マイナー・モードで形成される「和音」は、耳が醸成されて来ると共にその美しさに惚れる物ですが、横の線型「フレーズ」となると、全音音程の連続が音階の情緒がなかなか変わらずに線的な難しさを感ずるのは、線形の変化の少ない所に変化をもたらしてくれる和声が無い乏しさを感じてしまう故に、単旋律でのフレーズ形成がより難しいのはこうした側面があるからです。

 メロディック・マイナーを線的に用いる場合、スケールライクに順次進行や三度度音程ほどの跳躍ばかりを選択していると音階の情緒は乏しいですが、五度音程超の「リープ」を狭い音程の中に巧みにちりばめると(六度・七度・九度など)途端に彩りが増すのも魅力のひとつです。

 過去に私が、メロディック・マイナーのそれは五度を抜け! と述べたのも、こうした卑近なフレーズに陥らない様にする為なのです。何故なら、伴奏となる背景にあるコードは、どんなに5th音を省略しようとも倍音が随伴させますし、その5th音の「標榜」というのは、どこからでも見える標識の様なものでもあり、調的なフレーズはまず5th音を目指す様にして書かれる物です。

 たった二声ではコード・ヴォイシングという点では和声的に完全和音としては満たしていない物の、二声同士の音程が少なくとも三度/六度音程として「縦の関係」を形成しつつ、五度を目指す様にして「横の関係」を形成すれば、これは立派な対位法のやり方でもある訳です。

 機能和声社会を目指していないのであるから卑近な音使いにならぬ様にフレージングと和声形成を施す事で、高次な音世界が待ち受けているという事でもあるのです。

 マーカスが本曲で微分音の世界観を形成させようとまではしていないものの、過程で生ずるチョーキングの取り扱いなどから発展させて、微分音社会へ世界観を誘う方策は幾つか考えられます。そのひとつに先の、任意の音程の等音程への割譲が挙げられます。

 そうした微分音社会のアレンジを施そうと企図した場合、微分音としての世界観が必ずしも四分音律(=24EDO)に帰着する訳でもありませんので、注意が必要です。

 少なくとも短調を基とする社会観に於て関連性の高い微分音社会というのは十七等分平均律(=17EDO)を挙げる事も出来るので、この辺りは「Run For Cover」の譜例部分の解説をやりきってから後述しようと思うので少々お待ち下さい。

 尚、微分音に話題が移ってしまっているので、すっかり半音階的な変応を忘れてしまっているかもしれませんが、原調ホ短調の♮Ⅶ度調=嬰ニ短調として生ずるD♯ナチュラル・マイナー・スケールの第5音=A♯が半音低く変じられて [dis・eis・fis・gis・a・h・cis] を生じた時、これもまた「変応」であるのですが、ナチュラル・マイナー・スケールの第5音が半音低く変じられた時というのは、そのモードの全音階的に3度上の音《即ちこの音組織では [fis] 》を主音とするメロディック・マイナー・スケールを生む事になるので、こうした「転義」をする事もひとつの方策として知っておくと役に立つかもしれません。

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 そういう訳で、複調的な要素や微分音にまで跨る可能性を縷々述べた所で本題の譜例動画解説に戻る事にしましょう。

イントロ5小節目

 まだ5小節目という所にあらためてお詫びしますが(笑)、シンセ・クラビネットのパートでの拍節構造が若干変化しただけの違いであり、他に特に述べる事はないでしょう。

イントロ6小節目

 ベース・パートで微分音のチョーキングを生ずる「33セント」高いという所ですが、4小節目と同じです。

イントロ7小節目

 シンセ・クラビのパートの拍節構造が若干変わる程度で、ベースの微分音箇所も特筆すべき箏はありません。1・3・5・7小節目での各小節での1拍目の拍節構造ですが、デモの実際と譜例のそれが若干異なる様に聴こえると思います。

 特に、7小節目1拍目での [cis] は八分音符でなく十六分音符でも良さそうな音価に感じるでありましょうし、5小節目ではその様に記譜しているのでだから、それを踏襲すれば良かろうにと思われるかもしれません。

 デモを作る打ち込みの上では、メゾスタッカート気味に弾かせているので、敢えて7小節目1拍目ではこうした解釈とさせていただいたという訳です。

イントロ8小節目

 ベース・パートの2拍目で生ずる上行グリッサンドでは、タブ譜が示すようにE弦7〜11フレットをグリッサンドする様に示しています。つまり、E弦開放のオクターヴ上となる [e] を目指しているのではなく、11フレットというのを敢えて導音ではなく「減八度」として解釈して示しております。

 11フレットに行き着くまでの僅かな過程では、弦をベンディングし乍らグリッサンドをしてほしいという事を明記しております。

 それは、主音に対する上行導音を蹂躙した上で他の音へ移るという突拍子もないそれを、不協和な状態で留めたいのでオクターヴを目指さず11フレットにとどめているのです。「Straight To the Heart」版のマーカスのそれも、12フレットぎりぎりの寸止めでグリッサンドしている様に私は解釈したので、こうした演奏にしております。

 その後のG弦での弱勢でのスライドは言わずもがなのフレーズですね。サムピングで弾いて、プリング・オフではなくスライドで。

 この一連のスライドはおそらく、Chicのアルバム『C’est CHIC』収録の「Happy Man」でのバーナード・エドワーズのベース・リフにインスパイアされているのではないかと私は睨んでいるのですけれどもね。それにしても埋込当該部から暫くして登場するスコッチ・スナップの連続が途轍もなく素晴らしい事頻り。




Aパターン1小節目

 まずはコードの方から重要な事を語ります。本曲はEドリアン(実質Eマイナー)であるも、Aパターン冒頭のコードは決してトニック・マイナーではなく「D△/E△」のポリコードです。表記としては「E7(9、♯11)」でも良いかと思いますが、声部の横の流れを見ると、アッパー部での「D」の部分の後続へ進む)状況やロウワー部のE音由来のそれらの動きを見ると、EとDの分離した感じは表記の上でも明示すべきと解釈してこの様にしました。

 2つ目のコード「D6(on E)」は同義音程的に「Bm7(on E)」とも表せるのでありますが、上述の通り先行和音のアッパー部のD△が同度進行としてコモン・トーンで残る所を重視しました。内声に6th音相当が来る事になり [h] を生じているも、[h] の限定上行進行として後続へ [c] や [cis] に進行しないのに「D6」という形を採ったのは、先行和音のアッパー部のD△からBm7という風にするよりもDの香りが残るからであります。

 というのも6th音としてアッパー部の内声に置いた [h] は、先行和音のロウワー部での「E△」が有していた音ですし、ロウワー部のコードがすぐに希釈しアッパー部に響きの主軸を渡していると考えつつ、アッパー部はDの響きを残している事で付与される [h] である為「D6」としました。

 その後「Em7(11)」という風に、本来のホ短調の姿が茲で漸く面を見せる事になるのですが、11th音が希釈させているのが心憎いです。そうして移勢された「Dm11」へと進行するという訳です。

 シンセ・ブラスのパートでは、あざとい程の複前打音を表しておりますが、これはFinale用のサードパーティー製JWプラグインを用いた物です。

 初稿時ではローズの左手パートである低音部譜表での「8vb」表記が、Illustrator編集時でのレイヤーの設定でまずい事をしてしまったのか消し去ってしまったまま、それに気付かずに投稿してしまっておりました。同一箇所の部分も1オクターヴ低く採る「8vb」表記は正しく付与されているのでご確認下さい。初稿時のそれだと左手と右手の声部交差および同一鍵盤の重複があったでしょうから驚かれた方もおられるかと思いますが、あらためてご理解のほどを。

 なお、ベースは特筆すべき点はないかと思いますが、A弦プルが現れるというのは少々注意が必要な点であります。

Aパターン2小節目

 3拍目から奏されるシンセ・ブラスおよびローズでの下声部は私がアレンジを施した物であり、お気に召されない方は上声部だけでも宜しいかと思います(笑)。唯、拍頭の [e] の直後、下声部に現れる [gis] は、余薫となる和声感である先行和音「Dm11」から見ると立派なアヴォイド・ノートでノン・ダイアトニックの音ではあるのですが、単に経過音とさせているばかりではなく、その後の半拍3連からの一連の下行フレーズに対して不協和の弾みを付けての音なので、どうしても欲しい音なのです。

 先行和音上では♮11th音が際立っていた訳ですから、そこに♯11th相当の音が混ざって来るという状況ではありますが、「綺麗な溷濁」が後続の旋律や和音に弾みをつける推進力とする為の和音外音ですので、上声部は休符の所にわざわざそうした音を忍ばせているのは私なりの強い思いの現れなのです。

 4拍目からの半拍3連ですが、ベースはチョーキング・アップはする必要はなく、D弦8フレットからのプリング・オフで大丈夫です。

Aパターン3小節目

 コード表記は「Em69」としておりますが、ローズのリフがEドリアンの特性音周辺のフレーズと為しているので、「Em」よりも「Em69」が際立っている事を明示した表記なので、コード表記を愚直に弾くよりもリフとして再現する事の方が重視されるという点は注意をされたし。ローズの左手でブルー五度の前打音で装飾される [b] は重要な装飾音です。

Aパターン4小節目

 先行小節から引き摺る重要なリフが引き続き演奏され、先行小節と同様にローズはブルー五度の装飾音をあからさまに明示して弾いて欲しい部分であります。

Aパターン5〜7小節目

 先の1〜3小節目と同様なので説明は割愛します。

Aパターン8小節目

 アルト・サックスが三重付点二分休符の後にケツ一杯のギリギリに書かれておりますが、ほぼ後打音と解釈しても良さそうですが、後打音という装飾音としてダイナミクスを弱く奏してしまうのは早計で、実はアタッキーに奏するべき音です。装飾記号を充ててはいない物の。充てるほどではないのだけれども、後打音たる装飾音符でもないという意味です。

 今回の譜例動画で用いているアルト・サックスの音源は、Logic Pro XのStudio Hornでありまして、アーティキュレーションのスイッチングを施しております。これを活かさないと、こうした人間味のあるフレージングになりませんので、こうした音源を追加してくれるAppleさんにはあらためて感謝をしております。

 扨て、そうしたアルト・サックスの後打音が生ずる8小節目4拍目のコードは「B7(♭9、♭13)」であり、従前に頻発していた「B7(♭9、♯11)」とは異なり、ナチュラル・マイナーでの全音階的な属十三(※十一度音を省く「不完全和音」=3度音程が一部に充填されない和音としての属十三)が登場するので、Eドリアンの香りが充溢していた所でダイアトニック感がこうして伝わる所をあらためて認識してほしいと思います。

Bパターン1小節目

 C△9のコード上でのアルト・サックスのパートにて2拍目では [es] (=E♭音)が前後の線として [e→es→e] という風に動いておりますが、この [es] を異名同音としての [dis] として解釈する必要は無いのか!? と疑問を抱かれる方も居られるかもしれません。

 なぜなら、ごく稀に見るメジャー7thコード上での♯9thとしてマルセル・ビッチュが『調性和声概要』にて紹介する様な例がありますし過去にも私のブログで取り扱って来た事の整合性を採る意味でもメジャー7thコード上での♯9thとして表記した方がスンナリと判断可能という意見があるかもしれません。

 然し乍らこのサンボーンのアプローチの実際は、和音構成音 [e] から [es] へと剥離して来て再び元の和音構成音 [e] に戻るという振る舞いであり、その和音外音 [es] は弱拍強勢に存在する和音外音=倚音と解釈する必要があります。もしも [es] が弱勢にあるならば下接刺繍音であるのですが。

 C△9コードでの和音外音としての地位でしかない音が倚音であろうと刺繍音であろうと、それを和音構成音として取り込む必要は無い状況であるが故に和音外音としての地位を保つ事の方が重要な解釈なのです。

 ワーグナーのトリスタン和音の解釈となると、和声的な支配状況がどの音まで及ぶのか!? という解釈は実に多様であり、和音外音とするか和音構成音とするかという解釈が実に多岐に亙っており答えは多義的で興味深い側面がありますが、少なくとも茲での「C△9」での [es] は和音構成音として取り込む必要はない訳です。そういう振る舞いをさせない為に「C△9」の♮9th音が既に備わっており、同度由来の更なる併存をさせる増九度の附与をさせない和音の体とも言えるかもしれません。

 ただ、和音の側が♮9th音を纏っている事で、[e] から剥離して来た下行する音が [d] に吸着されずに [es] を選ぶアプローチが非凡である事は言うまでもありません。C△9上での旋律のコントラストおよび後続への推進力として [es] という和音外音を用いているのは素晴らしいと思います。こうした不協和な音脈は旋律の推進力の源泉でもある事をあらためて知る事となるので畏れ入るばかりであります。

 先の和音外音の様な極めて音価の短い音を和音構成音にする必要など本来は無く、和音表記の側の実例を和音外音に援用してしまうのは単なる自説を補強させようとして自分勝手に曲解して引き合いに出す断章取義でしかありませんので注意が必要です。

 加えて、同小節のシンセ・クラビネットのパートで書かれていたのは、注釈通りショート・ディケイのシンセ・パッド音に変更しております。デモの実際としてはプロフェットVSとCMI(どちらもArturia)をミックスさせております。

 ベースで気を付けるべきは1〜2拍目にかけて高い [c] の同度進行の3音がありますが、2音目がサムピングという所は注意すべき点です。マーカスはこうした同度進行に対してサムピングとプルを使い分ける事を能くやるので、そうした個性的な側面が現れている状況と言えます。

 また、押弦する範囲を見てみると3〜7フレットまで明記してはおりますが、左手のフォームをストレッチで対応する必要は無く、4拍目拍頭の3フレット直後に2フレット分ほど上向にポジション・チェンジをすれば良いので、拍頭のA弦3フレットの [c] がスタッカートを付しているのも、後続のポジション・チェンジの為に長い音価を要求していない指示に依る物です。

Bパターン2小節目

 先行小節からダイアトニックに三度下行進行(メディアント進行)してAm9に進みます。コモン・トーンが4音ある柔和な三度進行となっているという訳ですが、サンボーンは [h] を僅かにイントネーションを付けて1単位十六分音(=12.5セント)程高く採る訳ですが、破線スラーで示している事は、そこまでの過程も音高も拍節感も多少曖昧に採っても良いという意味を込めております。

Bパターン3小節目

 変終止としてEm11への一旦の帰着を見ます。このコードはローズの左手10度がポイントですが、[d] は右手と重複しているので、どうしても届かない人は低い [e・d] の七度を弾いた直後に10度上の [g] を弾く様に、アルペジオ気味に弾くか、逆付点で弾くかというプレイにせざるを得ないと思います。

Bパターン4小節目

 先行小節のEm11から11th音が省かれてEm9と成しているだけで和声的には殆ど変化はありませんが、ローズが11th音を内声に持って来ておきながらEm9としているのは、この [a] 音は弾かなくとも良いという自由なる意味として捉えていただければと思います。
 加えて、同小節では3〜4拍目に於てアルト・サックス以外はメゾスタッカートで弾かれる事を強調する為にベースとローズの低音部ではメゾスタッカート記号が振られているのです。

 特筆すべきは同小節での4拍目で生ずるサンボーンの [cist](=C音より150セント高い)Cセスクイシャープを素晴らしいほどに忍ばせているという点です。正直、今回採譜するまで私は茲をこれまでずっと [cis](=C♯音)だと思っておりました。私が茲を聴くのも30年ぶり位なんですけどね。

 実はCセスクイシャープは、その後のマーカスのソロでも現れるのですが、微分音として認識可能なのはそちらの方が聴き取り易いと思います。唯、多くのベーシストはベース・ソロのフレーズをテクニック面の推量に注力されているのか、微分音という重大な要素を瑣末事として捉えてしまっている人も少なくはなく(笑)、結構聴き逃してしまっている方は多いと思います。

 瞠目すべきは、サンボーンもマーカスもCセスクイシャープを明示しているソロを採っているという事は、彼らの間で微分音的にイントネーションを付けるべき音というのは約束事があったのかもしれません。

 音組織から見ればCセスクイシャープはEドリアンの特性音である [cis](=♮Ⅵ度)よりも50セント高い訳ですから、主音から950セント/250セント隔てた音を互いに用いるのは決して偶然ではないでしょう。

 こうした音脈は、950セントという音程の方をターゲットにして分析するよりも、完全四度音程(=500セント)を2分割して得られる250セントを転回した陰影分割として用いていると解釈する方が適切でありましょう。

 Em11というコードは11th音という本位十一度を具備している訳ですから、それを本位四度という風に単音程に換言した上で見事に半分に(微分音的に)砕いている状況であると見る事ができるのです。

 ですので、相当周到に忍ばされている音であると同時に、殆どの人はこれを微分音とも思っていない位に自然なイントネーションであるという事をあらためて思い知らされる事になるでしょう。模倣すべき素晴らしい音の選択であります。

※ブログ初稿時からBパターン4小節目の文中にて、現在は「Cセスクイシャープ」と変更している部分を「Cセミシャープ」としてしまっておりましたのでお詫び致します。セミシャープとは述べてはいてもCから150セント高い音である事は明記していたので、お判りになられていた方も居られた事でしょう。混乱を招いてしまい、あらためて申し訳ございませんでした。



Bパターン5小節目

 Bパターン1小節目と同様のC△9の3拍目のサンボーンのアプローチに注目です。先ほどはC△9上の3rdを減じる様にして [es] という倚音を使っていた所で、今度は長三度音の [e] を微分音的にイントネーションとして膨らませにかかっているのですから是亦畏れ多いアプローチです。

 破線スラーで括った3音を譜例で追わずに耳だけで聴いてしまうならば、多くの人は破線スラーで括った部分の微細な音程変化に拘泥する事なく、単に付点八分音符として遣り過ごしてしまう事でしょう。然し乍ら、3音で括った2音目が最も膨らませて誇張させている事で、実に僅かな変化ではありますが、それが意図した微分音のイントネーションである事を察知しやすい要素でもあるのです。

 これらの破線スラーの過程にある3音の意図としては、拍節感も音高感もある程度は曖昧で大丈夫な訳です。セント数にきっちりと当て嵌める必要はなく、あくまでも標榜すべき音高であり、数スキスマ以内なら許容範囲です。

 先の1小節目と同様に、4拍目拍頭の3フレット直後に2フレット分ほど上向にポジション・チェンジをすれば良いのですが、4拍目の5〜7フレットのハンマリング・オン直前の2音は、拍頭がゴースト・ノートでその後の [c] 音が実音である為、ポジション・チェンジは先の状況よりも急峻かつ丁寧に音が出る様に心掛けなくてはなりません。

 ポジション・チェンジを急いてしまってA弦3フレットの「実音」までもが疎かにならない様に気を付ける必要があります。

Bパターン6小節目

 ベースパートの同度進行でサムピングとプルを使い分けている点を述べておくも、他には特筆すべき点は本小節にはありません。

Bパターン7小節目

 コードの「A△/B」はEマイナー(※Bパターン以外はEドリアンでしたが)の「Ⅳ△/Ⅴ」でありますが、ドミナント7thコードで結構オルタード・テンションをまぶしていたので、却って新鮮に聴こえる分数コードです。

 アルト・サックスの1拍目弱勢で生ずる装飾音の微分音には注意をされたい所です。破線スラーではない実践ですので、セント数通りを狙って奏してもらう必要があります。4拍目で現れる2単位六分音のそれも、数字通りに採っていただければ良いという訳です。当然乍ら、本小節でのサンボーンのイントネーションの付け方も見事であります。

 加えて、本小節から次の8小節にかけては16分音符の同度進行でシンセ・ベースが付与されるので16分のトレモロ記号を充てて、エレクトリック・ベースは1オクターヴ高い移調楽器ですので、シンセ・パートの音部記号が1オクターヴ低いヘ音記号が用いられているのはそういう事です。ベースと比較すると1オクターヴ低く採られている様に見えますが、これが実音であるが故の表記なのです。

Bパターン8小節目

 この小節で語らなくてならないのは何と言ってもベース・パートに於けるマーカスの十八番フレーズでもあるポルタメントの連続でありましょう。

 このポルタメントはトム・ブラウンのアルバム『Magic』収録の「I Know」や有名な所ではグローヴァー・ワシントンJrのアルバム『Winelight』収録の同名曲を挙げる事が出来ますが、それらの模倣フレーズをMODO BASSで試したという物です。結構力瘤を蓄えて制作しました。

 MODO BASSはグリッサンドの過程で弦を引っ張るというパラメータが無いので、過程の微分音はあくまでもエレクトリック・ベースを物理的に弾いた時に弦をベンディングさせながらグリッサンドをするというプレイに基づき、その一連のプロセスで生ずる微分音を示しているのであり、決してフレットレスでこれを遣れ、という事ではありません。

 破線スラーが示す通り、拍節感と音高感は曖昧で良いのです。2拍目の最初の3音の破線スラーの部分も、微分音にそこまで拘泥しなければこれら3音は付点八分の様に聴かれるでありましょう。

 2拍目のタブ譜の方を見てもらえれば判りますが、音程感や拍節感を曖昧に採っては良いものの、フレットで上行具合を見れば全音単位で音高感がある様にグリッサンドを採るという事がお判りになるでしょう。
 
 グリッサンドを繰り広げれば、全音の過程に半音が含まれますが、全音の跳躍の方を拍節感がある程度出る様にして弾く事で、過程の半音が埋没するという感じをイメージしていただければと思います。このニュアンスは実際にエレクトリック・ベースを弾く人にしか判らないかもしれません。弦にフレットの山が引っ掛かる様な力をより注力すれば、跨いでいる半音はソフトにグリッサンドをしているという風に言えばより伝わるでしょうか。

 尚、3拍目のスライドは物理的なスライド量が1フレット分の距離で良いという物ではなく、G弦19フレットから下行スライドは、D弦18フレットとの異名同音もしくはその近傍まで急峻にスライドさせつつ、D弦18フレット迄急峻に上行スライドをするという連続した急峻なスライドが生ずるというイメージです。但し、急峻な上行スライドはピッチが上がった様には聴こえない様にするというのがポイントです。

 この、3拍目での当該部分で見られる急峻な上行スライドを敢えて聴こえなくさせるのは、「ワインライト」のプレイに似ると言えるでしょう。




 他方、トム・ブラウンの「I Know」の場合は、当該上行スライドは明示的に採られ、ワイドにポルタメントが利いているのがお判りになるかと思います。




 ポルタメントの4拍目は、前打音から一気に1本の指でG・D・A弦を弾くというのではありません。長前打音(※スラッシュ付きの短前打音よりも若干歴時を長めに採る)は人差し指、その後のD弦も人差し指ですが、A弦が中指であり、D弦とA弦はアルペジオにならない様に同時に弾くというのが注意すべきポイントとなります。

Cパターン1〜4小節目

 譜例のインデックスに「C」を振っており、Cパターンと呼びますが実質的にはマーカスのソロ部分を示している箇所となり、このソロは「Straight To the Heart」版を模倣している為24小節長となります。

 加えて、コードに関しては一連の繰り返しなので説明は割愛します。また、ベース・ソロがメインであり、他は殆ど変化に乏しい事もあり4小節毎の解説を続けていくのでご注意を。

 とりあえず最初に忠告しておきたいのは箏風の音に戻るシンセ・クラビのパートです。わざわざ2拍目の拍頭を跳越して連桁が示されています。これは、半拍3連同士を明示して2拍目拍頭を明示する時よりも「いびつ」に拍節感を採っても良いという意味で連桁が拍頭を跨いでいるのです。

 加えて、6連符として示した最初の4音のパルスが、いびつにとは言いつつもこれらの4音のパルスが拍頭を叛く様にして滑らかになるという事は、普通の6連よりも若干「走る」感じがあって5つ目のパルスに着地するかの様なプレイになるかと思います。

 滑らかさがあれば「走る」必要はなく「いびつ」であって構わない訳です。視覚的な滑らかさが拍頭をなんとなく叛いていれば良いという解釈でこうした連行で示しているのです。

 ベースのCパターン1〜3小節目でのG弦プルは、ビブラートこそ明記しておりませんが、ビブラートを適宜採っていただければと思います。デモの方もその様に制作しております。

 4小節目でG弦開放のプルを忍ばせるのも心憎いプレイであると思います。乙張りが利いており聴いていて心地良いです。

Cパターン5〜8小節目

 6小節目の3拍目からシンセ・ブラスだったパートはシンセ・パッドとしてハ音記号で書かれますのでご注意下さい。ここからのシンセ・パッド音はフォルマント・フィルターを噛ませているので、クワイアーの様に聴こえる事でありましょう。

 ベースの5〜8小節での各小節の4拍目で生ずる左手ミュートをそれぞれ確認してもらえば一目瞭然ですが、5小節目の4拍目のみ「×」印の符頭で表しているので、茲だけは他と比較してピッチ感を不明瞭にして弾かれるべきの音として示しております。

 E弦5フレットを明示した上で左手ミュートというのは、ミュート気味であってもピッチ感を出す様にして、5フレットよりも物理的にナット側に近い方の指でミュートをしておいて、5フレットのピッチ感を「やや」明瞭化すれば良いという程度の物です。

 8小節目D弦5フレットは、頻発させるG弦開放とは異なります。

Cパターン9〜12小節目

 お待たせの32分フレーズ「イナカッペ!」が出て来ます。これに関しては私個人が勝手にネーミングしている物なのでお気になさらないで下さい(笑)。9小節目は特に説明する事はありません。

 10小節目での3拍目以降の微分音を表記しているのは、前打音(しかし装飾音符は16分音符なのでやや短く採る)は1単位十六分音相当の「12.5セント高」から [a] より7セント低い音を奏する訳ですが、フレット番号を見れば11フレットを示しているので、[gis] を93セント高くするという解釈でチョーキング・アップをする必要があるという訳です。

 直後の [gist] (=Gセスクイシャープ)は [g] より150セント高くチョーキング・アップさせる必要のある音で、10フレット押弦から150セント高く採るのではなく、11フレット押弦から50セント高くチョーキング・アップすれば良いだけの事です。

 こうした表記のジレンマが生じてしまう理由は、微分音に付随する数字が幹音(=変化記号を不要とする音の事でピアノならば白鍵)からの音程としてのセント数を徹頭徹尾示しているので、押弦する音度由来のそれと、数字で示される幹音基準からの音程とは少々異なる部分が生ずるので注意をされたい所であります。

 12小節目3拍目ではG弦ハイ・ポジションでのチョーキング・アップを伴わせたフレーズが現れます。私の若い時分、このフレーズを「いーけないんだ!」という、小学校の教室内で指摘される言葉をついつい映じてしまうのでありますが、破線スラーで囲った音や過程の半拍3連の拍節感および音高感はある程度曖昧に採っても可能という事でこうした表記にしております。

Cパターン13〜16小節目

 私個人としては13小節目でのG弦開放プルを伴わせたフレーズは本ソロで最も好きな箇所でありまして、フレーズの跳躍具合と良い音質変化(プル、サムピング、ハンマリング・オン)のそれらが実に多様に散りばめられて乙張りが付いているのが素晴らしいと思います。プルの近傍の音がそれほど広く音程跳躍していないという所も併せて魅力となっている部分であります。

 ただ、譜例では13小節目3拍目でのD弦プルを5フレットとしておりますが、「Straight To the Heart」の実際のそれはG弦開放であると思います。何故そうしなかったかというと、私はこうして弾いて覚えてしまっているからに過ぎないので、その点はご容赦下さい。

 4拍目のケツで現れるG弦プルに「let ring」と付しているのは、これはMODO BASSのパラメータの事ではありません。音が響いてミュートされ切らずに鳴り止まない状況をこうして記譜する例があるのです。

 レット・リングという記譜法を施す場合、多くの場合はアルペジオでの表記を簡略化する時に使われたりします。ポピュラー音楽系統の楽譜で能く見掛けるアルペジオの譜例というのは次の様に表されていたりする物です。

Let-Ring1.jpg


 上述のアルペジオの譜例は、アルペジオという状況を正確に表してしまうと視覚的に仰々しくなってしまう事で、それを簡略化させようとして広く共通認識として知られる記譜法であるに過ぎず、先の譜例を実際に正確に表せば次の様になる訳です。

Let-Ring2.jpg


 拍節感が明示的で無くとも良いのであるならば、次の様にバラけて弾いても良い訳です。

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 ピアノで先の様なアルペジオを弾くならば次の様にペダル記号で表す事も可能となります。ピアノに長音ペダルが付いて普及するという時代はベートーヴェンの誕生年(1770年)辺りを基準にすると良いのですが、この辺りの時代では長音ペダルの有無が生ずる頃でもあります。

Let-Ring4.jpg


 レット・リングの書法は、斯様な状況をシンプルに見せる為に配慮されて作られた物ですが、実際には一番最初の例に押し並べて表されてしまう事の方が多いかと思います。次の譜例はレット・リング表記を簡単にする為に符頭を Engraver に設定を変えた物です。

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 また、次の様にレット・リングの書法が異なる流儀もあります。若干傾けて視覚的に峻別しやすく配慮された物です。

Let-Ring6.jpg


 次の譜例は [g] のみレット・リングが振られていない状況を示す物となります。

Let-Ring7.jpg


 上述の様に、特定の音のみ音を伸ばさない様にする時を反映させるシーンでレット・リングは視覚的に効果的なメリットを生みます。

 前述の2つ目の例の様に、ありとあらゆる長音の状態をタイで示した時、音符が犇めき合って突如として特定の音符にタイが架かっていない音符は却って峻別を困難にしてしまう事があります。勿論、正確性を重視した上で敢えてそうした書法を用いて書かれた楽譜も多くありますが、レット・リングで書かれる楽譜が少ないので、メリットとして受けるよりも知らない事が却って足枷になってしまうのでは逆効果になりかねません。

 特定の音符だけ音を伸ばさなかったり、或いは、音を伸ばすという行為自体が拍節感を意識せずに曖昧な状況が許されるのであれば、破線スラーを用いたレット・リングで書かれる例もある訳で、そうした例を近年ではスティーヴ・ヴァイの著書『ヴァイデオロジー(VAIDEOLOGY)』で見掛けた人も少なくはないのではなかろうかと思います。

 そういう訳で、今回の「Run For Cover」のベース・パートで逐次振られた ‘let ring’ という注釈は、MODO BASSのパラメータの事ではなく、演奏上の実際としてのレット・リングを明示しているのでありまして、採譜者の意図としては《直近の後続音へ僅かに架かる》程度のニュアンスであると受け止めていただければ幸いです。

 後続音へ先行音が差し掛かればそれはポリフォニックな状況ですから、MODO BASS編集の側から勘案すれば、キー・スイッチなどでポリフォニックな状況を逐次設定する必要が生ずるという状況でもある訳です。そういう観点からしてもレット・リングを明示するのは制作しやすい状況に配慮した記譜であろうと私は信じて已みません。

 扨て14小節目。「イナカッペ」の「カッペ」部分となる所が、何ともまあ、音価の短い半拍5連で示しておりますが、コレ、本当に半拍5連なのです。若干鈍った16分音符の様に捉えても良いのですが、見事な程に5連符であります。

 鈍った感じをこれほど正確に出せるのは、マーカスが普段からカット・タイム(=アラ・ブレーヴェ)で奏される音楽のテンポ感の習熟が強力に備わっているが故の事です。四分音符相当ならば300以上のテンポ感を易々と繰り広げられるからこそ表現できる技であります。

レット・リングに関する注意点を詳述したので、以降16小節目までは特に触れる事は無いでしょう。

Cパターン17〜20小節目

 17小節目3拍目拍頭のG弦16フレット [h] 音は、直後に急峻な下行スライドを僅かに忍ばせても良いです。譜例では明示しておりませんが、逆に仰々しく下行スライドを明示させ過ぎてしまうと、茲まで高い音の「辛い」感じの照れ隠しの様な音になるので、譜面の上でもスライドを明示させたくはなかったのです。

 その「辛い感じ」というのは、ベースの高音弦は低音弦ほどは出ませんが、弦自身が物理的に振動しようとする運動の実際は、弦の中心が動こうとするそれと弦の太さが殃いして本来運動しようとしている動きが弦の物理的な太さから生ずるフレットと接している運動と本来運動しようとする弦の中心とでは異なる距離とで生じてしまう運動ロスが、高次倍音を失わせて倍音成分となる部分音を含む状況がガラリと変容してしまう事による音質変化です。

 この様な運動ロスというのは不思議な物でドラム演奏のバチさばきでも見られます。例えばダブル・ストロークが上手く習得できない状況というのがそれです。

 ダブル・ストロークで絶対的に必要な技は、1打目の跳ね返りの際、叩き始めの時の位置にそれこそ寸分狂う事なく戻って来る様に習得しなければならない物です。しかしそれが叶わなければ、2打目を動かそうとする際には支点がずれた事になるので2打目が巧く出せなくなるという訳です。

 つまり、打点から跳ね返ってきた時の手の位置が叩き始めの時の位置からブレているから運動ロスが生じてしまい、2打目の運動方向が1打目と違う軌道となって運動ロスになる為に音としてもダメな音になってしまうのです。

 スティックの動きとは実は回転運動の一部が「弧」の状態となっているのですからね。叩いている人は直線的に捉えているかもしれませんが、実質的なストロークは曲線です。その「弧」がズレているとダブル・ストロークは習得できません。こうした運動ロスに依るネガティヴな要素が弦振動にもあるという訳です。

 ですから、太い弦やハイ・ポジションになればなるほど弦の運動のロスは増大するので、口を閉じて喉の奥でウーッという「圧」の様な、韓国語の特殊な「無音アクセント」とも称される言語学的にも珍しい無音のそれは濃音とも呼ばれていますが、そうした濃音の様な圧を感ずるのは弦楽器の特徴的な側面の一つではなかろうかと思います。

 そうした濃音の様な圧を忌避してスライドで逃げた様な感じを演出し過ぎてしまうと、高い音まで選択したフレージング選択としての良さが活かされないのです。そうしたバランスもマーカスは非常に能く判っている様で(ベーシストなら能く判ります)、その匙加減が素晴らしいと思います。

 スティックのダブル・ストロークに於て、1打目の跳ね返りが叩き始めの始点と寸分違わぬ位置へ戻って来る様にストロークを刻むのは基本中の基本です。然し乍らドラム奏法の例外として、叩き始めと全く異なる軌道を描いて戻って来るにも拘らずダブル、トリプルなど数多くのストロークを刻む事の出来る奏法もあります。

 両手で構えたスティックを、左右それぞれ体の外側へ「水切りの石」の様なバウンドをさせる様に心がけて行うというのがそれです。1打目の始点から大きく外れ乍らストロークを刻む方法ですが、異なるタムの間を1回の振り切りであり乍らもロータムが1打目で、2打目をそのままダブル・ストロークでフロアタムなどという動作も要はこれと同様の物なのです。こうした例外もあるのでご理解ください。




 18小節目4拍目でのチョーキング・アップからの32分音符は、正確にこの音価を目指して弾いて欲しい部分です。過程のスラーを破線スラーではなく実線となっているのはそういう意味でもあります。

 19小節目2拍目でのレット・リングは譜例中顕著な「長音」という掛留状態をあからさまに示さざるを得ないのですが、直近の後続音(E弦開放)に先行音が掛かっているという認識に違いは無いのですが、従前のそれらよりも掛かり具合が長いという認識であって欲しいと思います。

 20小節目の6連符でのハンマリング・オンは84年当時にはビックリさせられた物です。これらの採譜は今回改めて厳しく分析しましたが、矢張り譜例通りですので安心した次第です。

Cパターン21〜24小節目

 ベース・ソロもそろそろ佳境を迎えますが、21小節目1拍目でのD弦プルにはCセスクイシャープを振っております。これは [c] よりも150セント高い音なのですが、E弦開放からタッピングで同弦9フレットへのハンマリングとなった事でのオクターヴの運指に伴って、D弦の押弦に力が入り過ぎたのではないかと推察するも、それを [cist] で止めているのは狙って出している音であろうと思います。

 つまりそれは、先にも述べたサンボーンが奏していた [cist] であろうと思うのであり、これらの人たちの間でEドリアンでの [cist] の使用という共通認識があるのだろうと思います。即ち、演奏ミスで起きた物ではないイントネーションの付け方なのだろうと思います。

 この当該部の微分音がどう表されるか当該部を原曲から切り出したオーディオ・ファイルをIRCAMのAudioSculptで拾わせてみました。すると、フローティング・ウィンドウで表示される「Midi Cents」が示す様に、MIDIノート番号=49番が100セント単位として便宜的に示されるウインドウの数値でありますが、C♯より49セント高いという事があらためて判ります。

MIDIcents_RFC-pull.jpg


 念の為に述べておきますが、私は採譜の為に況してや本曲の分析の為に徹頭徹尾AudioSculptを使用したのではなく、この部分でしかAudioSculptは用いておりません。唯、このソフトは非常に優秀であるものの、MidiCentsは100セント単位として丸め込んで表示される物に過ぎないので、正確さを必要とする場合には同ウィンドウのFrequency(Hz)を参照して計算された方が良いかと思います。

 それ以上に正確さを求める場合には、高精度のチューナーと細かくチューニング可能な楽器とで音を出し合い乍ら耳で測って下さい。私は常にこの方法で音を採っているので多くのピッチ分析ツールを盲信してはいません。鐘の音の分析だの、環境音の分析、トーキング・ピアノなどが目的ならば遉にAudioSculptの手を借りる事はありますが。




 以前にYouTubeにて、サザエさんのオープニング・テーマ曲がステレオ化されつつ楽器のパノラマ配置なども編集された上で、懸案のコーダ部の微分音転調も修正されたデモを聴いた事があり、それを探してもどうも見つからないので提示できないのが残念ですが、あれはおそらく、AudioSculptやSPEAR等を用いて部分音を抽出し、ハーモニーを再構成させた上でMelodyneなどに落とし込んでピッチ修正を施したのではないかと思います。

 そうした作業は途轍もない作業工数を経る事となるでしょうが、編集した方の欲求の果てというのは音楽の面白さや楽曲分析や探求に熱心な方だと思いますので、こうした人がYouTubeのすぐ目に止まる所に存在する訳ですから、私の採譜とて疎かにして挑んではいけないと思い糧としております。私も今後ピッチ解析に関して色々ブログで語る機会があればとは思ってはおりますので、今回チラッと取り上げたのは参考まで。

 22小節目では1拍目でのプルはG弦に移り [cis] で弾かれます。これらの前後の差異が微分音としての違いを認識しやすくしているのでありましょうが、Eドリアンに於けるフィナリス [e] から上方950セントにあるそれを微分音の分水嶺の様にしているというのはあらためて畏れ入るばかりです。微分音社会というものをそこまでアピールしていないにも拘らず。

 23小節目3拍目からのE弦12フレットからのポルタメントは説明をする必要があるでしょう。このポルタメントは24小節も16分音符で総じて充填され乍ら強行されますが、24小節目に差し掛かった途端、D弦のオクターヴ上のポジションとなるフレットを「押弦のみ」という状態でポルタメント側のE弦の音を右手のサムピングはピックアップ・フェンス側を叩きつける様な感じでベースのボディの振動を誘発させてD弦は押弦してはいるものの共鳴(共振)だけさせているという事を示しています。

 共鳴すれば弾いた時と同じピッチが生ずるのですが、D弦から生まれ出て来るその音は、弾かれる状況がフィンガー・ピッキングでもプルでもサムピングでもないADSRで表現されるエンベロープは全く違いますし、倍音(部分音)組成も全く異なる音がE弦のオクターヴ上の音として随伴して加味されるという状況なので、押弦はしていても音のキャラクターも全く異なる音が生ずるのであります。

Cパターン後不完全小節

 アルバム『Straight To the Heart』ではマーカスのソロの後にサンボーンのソロとなり、その1小節目を譜例動画は不完全小節で以て閉じるという訳です。

 シンセ・ブラスで記していたパートにはエレクトリック・ギターに変えて不完全小節乍らもオリジナルに照らし合わせて記譜しております。そういえば、このギターは故ハイラム・ブロックでありましたね。

 『Straight To the Heart』1曲目の「Hideaway」はハイラム・ブロックのソロの後にもマーカスのソロを耳にする事が出来るので、当時の「チョッパー小僧」は大層有り難がった物であったと記憶しております。そういえばハイラムは「Hideaway」のギター・ソロにてイーグルスの「Life in the Fast Lane」の終盤のギターのオブリガートを引用して弾く所があったモノですね。

※ハイラムの音楽的素養の深さをあらためて思い知るのは、引用したフレーズの一節を奏した直後に、音形を維持しつつフレーズの移高を伴った変形、即ちフィギュレーションを施してフレージングを更に彩りを加える所にあります。こうしたフィギュレーションのテクニックは作曲法として西洋音楽界隈では必須の物でありますが、こうしたインプロヴィゼーションで見せ付けられる所にあらためて畏怖の念を抱かざるを得ません。







 何より、マーカスが同度音程でもサムピングとプルを使い分ける事でスラップ奏法の可能性を向上させた事は言うまでもなく、惜しげも無く披露していた事でその後のスラップ・ベースはかなり変容していった物です。

 スラップのプレイ面でこうした世界観を拡張していたプレイヤーとしてマーカスを筆頭に挙げる事が出来、スラップ・ベースを飛躍させたプレイヤーとしてはレス・クレイプールも大きく関わった事でありましょう。

 その後も、スペンサー・キャンベル、カイ・エックハート゠カーペ、ヴィクター・ウッテン、ジュリアン・クランプトン、トーマス・ジェンキンソン(スクエアプッシャー)等がベース奏法の可能性を飛躍させていたとも言えますが、奏法そのものはマーカスに源流があったと信じて已みません。もしかするとニール・ジェイソンかもしれませんけれども。

 マーク・キングはE弦のオクターヴ上つまりハイポジションである12フレットの近傍をも能く使い、その辺りの近傍の左手ミュートやプラッキングを多用していたと思います。プラッキングのピッチ感を明瞭にする時には概して開放弦のオクターヴ上が出る様にした上で概ね10フレット近傍の辺りを左手で軽く押さえていたと思います。

 こうした開放弦のオクターヴ上を巧みに使うというプレイは、おそらくはギタリストのプレイからインスパイアされて用いたのではなかろうかと思いますが、そこでレコメンドしたいのがマイケル・シェンカーの「Captain Nemo」の一連のギター・リフであります。




 スラップ・ベースのソロが特に持て囃される様になったのは、その音程跳躍の大きさとサムピングとプルとの間の音のキャラクターの差異にあります。マーカスの場合は、サムピングとプルとの間の音程が卑近な1オクターヴではなく七度や、或いはもっと狭い音程でサムピングとプルとの音色変化をさせる様に変化して行きました。

 E弦やA弦開放を用い乍ら、G弦とD弦でのハイポジションのフレーズによって広い音程を採るというのはマーカスのプレイのそれよりも遥かに以前から用いられていた手法であり、国内ベーシストでは後藤次利に依るサディスティック・ミカ・バンドの75年ロンドンでのライヴにて演奏された「何かが海をやってくる」に於けるスラップが長らくお手本になっていたであろうと信じて已みません。





 扨て、「Run For Cover」譜例動画デモの小節毎の解説については茲までとさせていただきますが、サンボーンやマーカスが用いていた微分音に伴う音楽に於ける可能性を少し詳しく語ろうかと思います。

 彼らが曲中でフィナリス(=モーダル・トニックとも)から950セント上方に位置する音を共通して弾いていた事を記憶されているかと思いますが、この音を使いたがるそもそもの「根拠」にピンと来ない方は多いと思います。

 結論から言えば950セントという音脈への欲求となる第一の手掛かりは、その音程がオクターヴの部分超過比(陰影分割)の狭い方「250セント」が基となっているからであります。

 この250セントという音程が「何某かの」等音程構造の一部だと思っていただければ良いのです。パッと思い付くのは完全四度音程を二等分にする等音程のステップ・サイズと思っていただければ良いでしょう。

 根拠を求める先が完全四度になりました。これが何故等音程なのか!? と思われる方もおられるでしょう。

 我々はオクターヴをふたつの次点となる協和音程に分割しました。上属音と下属音のふたつにです。上属音は上方にある完全八度を分割して生じた完全五度。他方下属音は下方にある完全八度を分割して生じた完全五度下という訳です。

 それから長い曲折を経てオクターヴには半音階が充填される様になりましたが、これを我々はついつい100セントのステップ・サイズとして見てしまいそうでありますが、半音階社会というのを巧みに用いる様になると、機能和声的な調性感からも逃げ乍ら使いこなそうとしたがる物です。

 半音階というものを恣意的に見れば、完全五度を12回累乗した音程=84半音となります。これは42全音でもあります。いずれも7オクターヴ=8400セントという大きなサイズです。

 無論、純正完全五度を12回累乗しても完全にはオクターヴに回帰せずにコンマを生じてしまうという事はご存知の方も多いかと思います。唯、標榜する世界観としては7オクターヴが帰着する場所なのであり、それは完全五度が「12回」累乗された物。つまりは12種類の完全五度が組み合わさっているからこそ単音程に還元・転回させれば12音が生じている、とも見る事が可能なのであります。

 完全五度という響きは、上方に五度音(の単音程への転回位置となる倍音としての上音)が手招きしている状態なので、朧げに倍音が音響的な状況として和声感を随伴させますし、謂わば卑近な薫りの状態でもあるのです。そういう状況を避けて五度を四度に転回した上で四度和音が半音階を紡ぐ様にして堆積する様に響かせるというのは、ジャズを知る方なら合点の行く実態であろうと思います。




 ならば、オクターヴの連鎖を完全四度で紐解けば、それは完全五度としての卑近な響きの連鎖の等音程とは異なる、美しい半音階的要素を纒って来るのが完全四度の等音程でのオクターヴ帰結が半音階の果てとも見る事が可能なのであります。

 故に、その完全四度等音程の断片としての1単位ステップ・サイズ=500セントが更に等音程で「砕かれる」音脈=250セントが導かれる、と。これを従前の三度音(短三度に近しくなる)とぶつかり合うのを避けて転回して950セントの部分超過比として使いましょうや、という約束事がサンボーンとマーカスとの間にあったとすれば、これは相当な微分音の使い手の語法のひとつと言えるでしょう。

 彼等が徹底的に微分音社会を形成させようとしてはいないでありましょうが、イントネーションとして揺さぶりをかけて使っている程度としての共通認識としては少なくともある様に私は分析したという訳です。そうでなければ同じ音度に生ずる微分音が現れる偶然というのは極めて確率の低い状況であると考えられるので、微分音の共通認識があってのプレイであろうと推察する訳です。

 微分音を使うにあたり、従前の等分平均律=12EDOから更に細かい等分平均律を使用するならば、24EDOという四分音体系は意外にも使いやすいと思います。とはいえマーカスの使っていた微分音は六分音相当のチョーキングが多かったですし、結構揺さぶりをかけて四分音だけに拘ってはいない様でありました。

 Eドリアンは実質Eマイナーを卑近に聴こえさせない為のものでしか無いので、実質的にはEマイナーという風に捉えても良いかと思いますが、ジャズ/フュージョンやAOR音楽或いはプログレ界隈ではマイナー・キーで減四度の音が使われる物を私はかねがねブログで取り上げて来ましたし、そうした事実は実際に少なくはありません。

 メジャー・キーがマイナー3rdを引き連れる方が断然多いのですが、マイナー・キーで減四度が使われている物も多くはありませんが、結構存在する物です。減四度はフレット上や鍵盤上で弾けば実質的に長三度と同等の音ですから、《マイナーを基の響きとしている所でのメジャー感とは笑止》とばかりに一笑に付してしまいそうな方もおられるかもしれませんが、これは実際にあるのです。

 事実、スティーリー・ダンでの「Black Friday」の例も過去に明示した事がありましたし、重要なのは、マイナー・キーに於ても「減四度」の音脈はどこかでアナタを手招きしているのだよ、という音脈としての声が「か細く」声を挙げているのを見付けた時、微分音の音脈を使いこなせる様になるかと思います。次の「Black Friday」の当該部埋込箇所では、曲中最良な部分を拔萃して埋め込んでおります。




 加えて、マーカスの微分音のそれが四分音ばかりではないという事を補強している音脈というのは六分音もひとつの可能性として挙げる事ができますが、恐らくは知ってか識らずか十七等分平均律(17EDO)の音脈にも寄っているのであろうと推察します。

 17EDOというのは単位微分音≒70.588セントとなりまして、12EDOよりも細かい音程が上手いこと介在して、短音階や長音階の近傍となったり、完全音程に極めて近しい音が備わっているので、ドリアン、ミクソリディアン、フリジアンなどにも寄せる事が出来る物です。

 下図の17EDOは、青色を自然短音階(ナチュラル・マイナー・スケール)の近傍として見せている物です。

17EDO-stepsize.jpg


 上述の17EDOでの青色で示した音を完全にナチュラル・マイナー・スケールに寄せて、薄青緑色の音を微分音の為の音脈として用いるのもひとつの手段と言えるかもしれません。

 アーヴ・ウィルソン(アーヴィン・ウィルソンとも)は純正音程比を用いた「十七分律」(※等分平均律ではない)を用いて次の様にも示しておりました。

17EDO-ErvWilson.jpg


 純正音程比で形成されているので各音の隔たりは不等分で歪つなのではありますが、嬰種を用意しているのがC♯とF♯という所が興味深く、下属音の上下に嬰変が備わり、導音には嬰種がなく重変まで用意しているという点は実に興味深いと思います。

 17EDOで私が最も注目するのは減四度に相当する下属音としているそれより1単位下方の「423.529セント」であります。

 純正完全五度を純正完全十二度のトリターヴ(※音程比1:3)へと還元するのと同様に、完全四度を複音程の完全十一度(=1700セント)という風にして還元した時を想定してみる事にしましょう。

 トリターヴ(1:3)という複音程での音程比が単音程(2:3)の振動比よりも明澄度が高い事を発見したのはかの数学界の偉人レオンハルト・オイラーに依るものです。それまでの音楽界では、低次の自然数(整数)の比率が「隣接」し合って構成される音程比に協和の根源があると信じて来られていたからであり、不完全協和音程(3度/6度)が纒って来るという機能和声社会の「方便」も、こうした旧い体系に基づいて構築されている事に過ぎず、あくまで機能和声社会に於てはオイラーやヘルムホルツ等の研究は視野に入っていないのが現実です。

 1:3が2:3よりも協和度という明澄度が高いのは、その音程比の振動数を加算してみれば瞭然です。振動数とは任意の範囲で現れるピークの数ですから、1:3の振動比の方が2:3の振動比よりも「波紋」の少ない状態であるという訳です。

 ですので、ボーレン/ピアース音階(=BPスケールとも)はトリターヴを純正音程比で分割するという事が前提となっている、いわば旧い体系を巧みに利用しながら「新しい協和」の視点で音程を形成しているという訳です。

 1700セントを2等分に分割させれば850セントを生じます。これだけでも短六度より僅かに50セント高い音でして、立派にこれも等音程の分水嶺として使える音脈でもあり、マイケル・ブレッカーはマイク・マイニエリ作の楽曲「I’m Sorry」やドナルド・フェイゲンの「Maxine」で使用していた事を過去の私のブログ記事でも述べた事がありましたが、850セントのオクターヴの部分超過比は350セントでもあり、350セントは完全五度を2等分して生ずる等音程であるという所も大変興味深い音の脈である事をご理解いただけることでありましょう。

 しかも、850セントは更に5等分されて170セントのステップ・サイズを求める事も出来ますし、170セントを更に2等分する85セントというステップ・サイズを求める事も可能となります。

 85セントというサイズは基の850セントの丁度1/10の音程となる訳ですが、850セントという音程の始原的なサイズは「完全四度」から持ち来され、その複音程化である「完全十一度」が2等分に等分割された形なのであり、単音程である完全四度を複音程の完全十一度という風に姿を変化させた物であるという事は念頭に置いていただきたい部分です。

 即ち、「完全四度」を手掛かりにして等音程の為の分水嶺を見付けた後に17EDOの音脈とか、任意の音程の等音程分割などから多くの微分音を得られるという事をあらためて認識していただいた上で、17EDO上に備わる減四度相当の音脈がどういう物であるか!? という事を今一度認識していただければ充分なのです。

 17EDOで見る減四度相当の音は下属音より1ステップ・サイズ低い「423.529セント」にある音です。この近傍としては四分音(24EDO)では450セントと近しい関係にあり、450セントを複音程の側へ還元すれば、倍で450×2=900、更に倍で900×2=1800という事になり、1800セント=九全音(セスクイオクターヴ、sesquioctave)をも導き、九全音からの等音程分割という風にして世界を拡張する事が容易になるという訳です。

 こうした分割は太古の昔から行われて来たのであり、天体の数に上手い事合わせる様にして音階が形成された事を思えば、微分音的に細かな音程を1ステップ・サイズで律儀にチマチマ使う必要など無く、もっと大胆且つ鈍臭く聴こえない様に微分音を散りばめれば、実に虚ろな音世界を実現出来るのであります。

 凡ゆる微分音の音脈への欲求が17EDOや24EDOに収斂するとは言いません。マーカスが呈示していた微分音の中には1単位十六分音相当の物や六分音相当の物もあったと思いますが、それらの微分音の音脈は、多くの場合19EDOの音脈であると私は思っております。

 19EDOは単位微分音(ステップ・サイズ)≒63.158セントとなり、短調上中音の近傍として「315.79セント」が現れるのは、[g] 音よりも12.5セント高い1単位十六分音の近傍ですし、属音よりも33セント低い音を用いていた音脈も17EDOのそれや、EドリアンをAエオリアンとしてフィナリスを採った時に [a] から上方に自然七度近傍として現れる19EDOでの「947.37」セントというのが [g] よりも1単位六分音ほど低い近傍という音脈にもつながる訳です。

 音律を徹頭徹尾固守せずに微分音を使うという所がイントネーション的な揺さぶりとして用いる事が出来るのはカジュアル的に捉えられる長所の一つでありましょう。

 アカデミックに使おうとするのであるならば、ひとつの音律で凡ゆる音を使おうとして新たなる「カデンツ」の感じを演出しようとするでしょうし、あくまでもイントネーション的な装飾に限れば、却って徹頭徹尾ひとつの音律に拘泥する事なく微分音を抽出すれば良いかと思います。

 次のYouTubeにアップしていた譜例動画は、マイナー7thコード上に恣意的な等音程構造や等音程音脈に依る「埒外」な音を和声的に付与する状況を示している物で、2つの特徴的な譜例はいずれもEm7というコードのルートを基準にした時の「減四度」[as] を忍ばせております。




 つまり、マイナー・コード上の減四度がどういう音脈を提げて来ようとするのか!? という企みから生ずる和声という例なのです。

 2つの例はいずれも、九全音=1800セントを基準にして、それを等分割に「砕く」事で得られる音脈を利用しようとしている物です。

 九全音ももともとは三全音(トライトーン)を複音程に還元した体であり、半オクターヴというふうに捉えられますから、オクターヴが何オクターヴにも引き延ばされている状況《例えば42全音》を等音程で砕くという発想を活かす事が可能となる訳です。

 そうした42全音は完全五度を12回累乗して生じた7オクターヴであり、完全五度の陰影分割となる完全四度がオクターヴ回帰するには5オクターヴ=30全音で回帰できる状態となります。

 それらの等音程の重畳は音程の螺旋構造であり、完全五度螺旋と完全四度螺旋で生ずる「思弁的」に生ずるオクターヴ回帰は、そのオクターヴ数に5と7の違いはあれど何れもオクターヴの相貌として同一視できる物であります。

 そこで我々は5と7という数学的な2つの底を手に入れました。完全八度とて三全音という半オクターヴに割譲され迆く運命にあると思えば、奇しくも音程比5:7が狭めの三全音であるという所も実に不思議な所であります。

 等音程で砕かれ迆く協和音程が12EDOとは異なる体系の中立音程を得て、そうした微分音的中立音程もまた更に砕かれようとする物なのです。

 例えば1つ目の譜例は、Em7上で [ais](A♯)を半音階の分水嶺として想起し、その分水嶺から等音程が生ずる様に見立てる事に依り、完全四度等音程の拔萃として基の分水嶺を異名同音として [b](B♭)と見なした上で、[b・es・as・des](B♭・E♭・A♭・D♭)を導いて付与しているという訳です。

 1つ目の譜例はあくまでも12EDOでの半音階的な導出に過ぎぬものの、Em7からは本来ならば埒外であろう音脈の筈であろうとも、減四度を好意的に用いれば半音階社会的装飾として新たなる世界観が生ずるとも呼べる例となる訳です。この1つ目の譜例に関しては次の譜例が参考になる事でしょう。

9WT-1.jpg


 2つ目の譜例はEm7というコード上で減四度という音が導かれる状況から更に微分音的に発展して付与される和声的状況を具体化してみた物となります。

9WT-2.jpg


 例えば上声部拍頭にあるEセミフラットは、分水嶺とする [ais](=A♯)から100セント上方にディスジャンクト(つまり空隙を開けて基準を100セント上方にシフト)させた基準 [h] からく全音の1/4となるステップ・サイズ=450セントという1単位微分音を [h] から採った音脈で生ずる音であります。

 Fセミシャープは大元の分水嶺 [b] から九全音を1/4にしたステップ・サイズ=450セントが [b] より下方に生ずる音脈を導いた音となります。

 Cセミフラットは大元の [b] より100セント上方にディスジャンクトさせて生ずる新たな基準 [h] との三全音関係にある [f] から下方に九全音の1/4=450セントを採って生ずる音となります。

 これらが示した微分音のステップサイズは450セントである為、従前の音律12EDOと比して綜じて四分音律(24EDO)で表す事が可能なので、それらの音には幹音を基準にした50セント増減の数字を付与しているのです。

 加えて、それらの四分音律の音とは異なる [h] より20セント低い音も現れますが、これは九分音を5等分して得られるステップ・サイズ=360セントを基準に、大元の分水嶺 [b] より100セント上方にディスジャンクトさせた新たなる基準 [h] より完全五度を採って導かれる [fis] の下方に2ステップ・サイズとしての720セントとして生ずる音です。

 この2つ目の譜例で生じている微分音のハーモニー形成に於て、結果的には2つの分水嶺という基準を設けて音を導出している理由は、凡ゆる音が含まれている状況をホワイトノイズとして見た場合、器楽音には「空隙」が存在します。その空隙という関連性を、従前の12EDO体系の最小音程=100セントを空隙として使いつつ別の体系でも併存して生ずる微分音の音脈をも誘引するという状況を示しているのです。

 1つ目の譜例では微分音すら用いておらず、単にEm7のアヴェイラブル・モード・スケールを想起していただけでは到底導いては来れない半音階的誘因にもあらためて驚いていただきたい所ではあります。それが貢献しているのは完全四度等音程という断片であります。

 そういう意味では完全四度等音程もしくは完全四度堆積を用いたコードに依って新たなる音脈をどう見付けてくれば良いのか!? という回答が、協和音の新たなる等音程分割という事を念頭に置けば、アウトサイドなフレーズの導出にも役立つ事でありましょう。

 Melodyneをお持ちの方は、2つ目の譜例の部分を読み込ませて17EDOに寄らせて聴いてみたりするのも宜しいかと思います。17EDOが短旋法にも近しい事があらためてお判りいただけるかと思います。

 近年、17EDOと思しき楽曲をリリースしているのが、スティーヴ・リーマン&セレベヨン(Sélébéyone)の「Are You In Peace?」という曲のCDタイム0:53〜で奏されるコードが次の譜例動画の様に聴かれますので、とても興味深いと思います。







 譜例動画の方は9線譜を用いて各オクターヴを形成しての大譜表となりますが、ひとつの線・間が単位微分音となるので、ステップサイズは約70.588セントという事になります。今回の譜例では全てが線上に現れるので視覚的に変化の乏しい譜面(ふづら)になってしまっておりますが、脇に記した単位微分音と平時の12EDO基準での微小音程の増減を記しておりますので、高次な和声をあらためて堪能していただければと思います。

Are-You-In-Peace.jpg


 尚、先の「Are You In Peace?」の譜例動画デモはArturiaのCMI Vにて17EDOを設定して制作しております。CMI Vは任意の音程を等分割出来る優れたチューニングを施せるので、結構重宝しておりますが、実機にもこの機能があったのかどうかまでは定かではありません。なにしろ当時は高嶺の花でして、国内ではナニワ楽器が取扱っておりましたが、当時一世を風靡したトヨタのソアラ3台分以上の値段でしたからねえ(笑)。

 短旋法との親和性があるという事もあらためて実感できる事でありましょうし、マーカス・ミラーのスラップがよもや微分音の話題にまで発展するなどとは思いもよらぬ展開ではありますが、サンボーンも微分音を用いているという事は看過できぬ事実なので、今回あらためて微分音を語ったという訳です。ジャズ/ポピュラー音楽フィールドでもお役立て出来れば之幸いです。

 今回「Run For Cover」で用いたMODO BASSのピックアップの位置などは次の様に設計を施しております。フロントおよびリア・ピックアップの位置もデフォルトよりも動かしております。

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 フェンダー製ジャズ・ベースというのは60年代と70年代とではリア・ピックアップのマウント位置が大幅に異なるのはご存知の方も多いと思いますが、70年代の作りは精度が粗く、ピックアップのザグリは広すぎるわで、結構ざっくりイッちゃっているのが多い物で嘆息してしまいそうになります(笑)。

 ピックアップの位置の違いでスラップの音は如実に変わるので、MODO BASSがこうしたパラメータに目を付けて、使用者がベースを設計出来るのは大変興味深い所でもあり、良く出来ているな、というのが正直な感想です。

 ピックアップ・マウント位置は70年代のものは60年代よりも理論値では12.196ミリ後方、つまりブリッジ寄りにマウントされる事になります。

 仮に12.2ミリと丸め込んだとしても、アメリカのパートのおばちゃんがルーター片手にザグリを入れたそれに、コンマ1ミリに拘泥する必要など無い程にざっくりイッているベースのそれに精密さを求めるのは最早無粋な状況であるかもしれませんが、折角ピックアップ・レイアウトを設計できるのですから理論値どおりに設定されるのをオススメ致します。