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坂本龍一『B-2 UNIT』収録の「differencia」のメトリック・モジュレーションと微分音 [楽理]

 2019年9月25日に再リマスタリングが施されてSACDハイブリッドとしてリリースされたのは記憶に新しい所です。SACDでなくとも既存のCDプレイヤーでCDDAクオリティーの再生は担保されているので、新たなリマスタリングであらためて聴く事ができるのは至高の嗜みとも言えるでありましょう。
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 扨て、アルバム1曲目を飾る「differencia」ですが、坂本龍一関連図書はこれまで数多くリリースされて来ており中でも山下邦彦に依る関連書籍となると詳密に過去の作品の例示と共に解説が見受けられる物の、殊に『B-2 UNIT』を語るとなると途端に「thatness and thereness」と「riot in Lagos」に比重が置かれる為に詳述される事のない曲のひとつであると言えるでしょう。

 アルバム全体の世界観が統御されているので、楽曲ひとつひとつを語るのが無粋なのかもしれません。このアルバムの持つ唯一無二の世界観というのはそれほどまでに多くの人が是認しうる物なのだろうと思います。坂本龍一の「歌心」という物を単に、アンヘミトニックの旋律に奇を衒った気の利いた和声付けを行うという程度でしか捉えていないリスナーが本アルバムを聴けば先ず面食らう事でありましょう。

 これほどまでに硬質な音空間を仕上げ、ダーティー・エレクトロの手本とも言える先鋭化された音のそれは、シンセサイザーを毛嫌いする者にも一定以上の理解を示している世界観と言えるでしょう。

 
 こうした音世界で始まる「differencia」のイントロは、ディレイのフィードバックを重ねすぎてループが飽和を起こしかねない様な際限のないエコーの様に聴かれるかもしれませんが、各拍として認識されるそれに対してきっちりと7つのディレイ音が統御されており、特に1つ目と7つ目として認識される各拍のパルスのディレイ音が「6:1」の拍節構造を作っており、各ディレイ音も単純なタップ・ディレイなどではなく、おそらく合計7つにルーティングさせたエフェクト配列(原音用×1、ディレイ用×6)はエフェクト音を並列接続した上でのディレイタイムを操った物だと思われます。

 私は当初、この7つのパルスを1拍子ではなく1小節と捉え且つ「7/32拍子」だと認識して来ておりましたが、今回のリマスタリングを機にあらためて分析した事でその考えをあらためる事にしました。本曲のイントロ部は7/32拍子ではなく、16分7連符を用いて楽曲を構成しているのだという風に解釈を変えるに到ったという事です(テーマ部が7/32拍子×4=7/8拍子)。

 イントロの「際限のないエコー」感のある部分は、冒頭の音が極めて小さいので7連符構造が7回として聴こえてしまうかもしれませんが、実は8回あります。つまり16分7連符が8回続いたディレイ音として4/4拍子が2小節という風にイントロが構成されているという訳であります。

 その16分7連符が4/4拍子にて2小節を複ねると、テーマ部の拍子は「7/8拍子」へと変化する事になり、7つのパルスとしてひと固まりの音形を構築している所謂拍節構造=メトリック・ストラクチャーの歴時が転換しているという状況を確認する事になります。こうした歴時の転換は拍子・拍節の転調とも称されるので一般的に「メトリック・モジュレーション」とも呼ばれる訳です。


 坂本龍一と言えば和声的な世界観にも相当に力瘤を蓄えて拵える音楽家の一人として認識されるでありましょうが、本曲は単旋律で勝負を仕掛けて来ます。正統な西洋音楽体系に準えるならば「モノディ」に括る事すら可能でありましょう。単声部という和声を削ぎ落とした世界観であり、その拍節構造も1拍7連に乗っかったフレージングである為に「窳(いびつ)」な音形として聴かれる訳です。

 こうした歪(いびつ)な構造も、一聽すれば「正統な」音楽へのカウンター・カルチャー的に捉えられ、パンクス/ニューウェーブ現象に寄り添ったロック的なアイデアと思われるかもしれませんが、それは少なからず当たってはおりますが決して正統な音楽方面へのカウンター・カルチャーではなく、寧ろ「先蹤拝戴」と解釈すべきでありましょう。即ち、坂本龍一は先人の築いた正統な音楽へのリスペクトを込めての作品である、と。


 バロック音楽というと、テクノ系の音楽しか耳を貸さない人からすれば唾棄したくなる程の存在かもしれません。正統な西洋音楽に触れる機会が極めて少ないが故に、そうした方面への無知・無理解が蔑視を助長する事も解ります。とはいえ「バロック」とはその文化的な世界観を総称する言葉であるも、実は「いびつ」という意味があっての「バロック」なのであります。

 バロック音楽は譜面に書いてある通りに平易な解釈で弾くのではなく、演奏者の呼吸感や脈膊などそうした側面を採り入れながら「いびつ」に弾かれる事が持て囃されたのであり、譜面に付される装飾記号もそれにより発展したのであります。音符自体は平易に書かれているのに、装飾記号が示す記号こそが実は楽曲の真相を如実に表している物であり、これを見逃して音符ばかり追ってしまうと平滑な演奏にしかならないという訳です。

 そのバロックが、フランスではノート・イネガルとして多様な「いびつ」感を表す演奏方法として体系化され、ポピュラー音楽に照らし合わせて表現するならば、現今社会の3連符に伴うスウィング表記の様なリズム感は勿論、5連符を基にしたシャッフル感としても整備されていたのですから畏れ入るばかりです。

 トルコ方面に目を向ければ、アクサクと呼ばれる奇数拍子が多様に発展し流入したりした物であります。トルコ音楽が今猶奇数拍子の混合拍子と全音を9分割する53等分律から仕立て上げられているという複雑さをあらためて思い知らされる訳ですが、こうしたアクサクのリズムやトルコ音楽のそれをロックに昇華して来た人物の一人に挙げられるのがフランク・ザッパでありましょう。


 扨て、「differencia」の7つのパルス構造はそのまま本テーマにも続きながらワン・テーマで小節を重ねて行きます。直後、プロフェット5とおぼしきデチューンの利いたシンセ・ブラス音(※2019年リマスターSACDのライナーノーツに依れば、入荷して間もないプロフェット10を使用との事)は7/8拍子で構成されており、この拍子構造と拍節構造で小節を重ねて行くのであります。

 今回あらためて譜例動画の為にデモをYouTubeの方へアップしたのであらためて冒頭のパーカッシブなディレイ音から語る事にしましょう。

 4/4拍子を2小節という尺でタップ・ディレイとして1拍7連符を聴かせるギミックは、それを構成するパーカッシヴな音を組成する部分音は、微分音のトーン・クラスターとして構成されている様であり、今回私は譜例動画の通り4音を凝集させてパーカッシヴな音を再現してみました。

 パーカッシヴな音の部分音のそれらは下から [g] より50セント高いGセミシャープ、[a] より67セント高い(=2単位6分音)となる音、[h] より1単位十六分音低い音、[c] より1単位十六分音高い音を蘇生した物として、「ppppp」から「ff」へと漸次クレッシェンド(フェードイン)させているという訳です。これは原曲を準えた表記であり、デモの方は分かりやすい様に冒頭の音は大きめに開始しております。




 タップ・ディレイのギミックの直後、先述の通り7/8拍子へとメトリック・モジュレーションとなっており、拍子記号は7/8拍子になっております。この7/8拍子は、それを4等分に分割して「7/32拍子×4」あるいは「7/16拍子×2」として捉える方が、フレーズの拍節構造を捉えやすいかと思います。

 とはいえ、テーマ部のプロフェットと思しきシンセ・ブラスの拍節構造は複雑でして、[4:2:3:3:2] [4:2:3:3:2] という構造で捉えた方がより解り易いかと思います。この数字の最小単位=1は、32分音符のパルス1つ分を意味しているのですが、7/32拍子×2拍の構造を [4:2:3:3:2] と分けているのであります。これらが「2拍子」に聴こえ、更に繰り返される事で「いびつな」4拍子に聴こえているという訳です。

 テーマ部では3単位四分音のBセスクイフラット、1単位四分音のBセミフラットや [d] より1単位八分音低い音や1単位四分音のDセミフラットも出て来ますが、この辺りは常に一定ではなく時折変えて(微分音的に変応)いる様です。

 このテーマ部のフレーズ構造の過程では「五度音程」に揺さぶりをかけている事があらためて判ります。完全五度ばかりではなく、四分音社会で用いられる「短五度」「長五度」が明確に現れているという訳です。更には、四分音的揺さぶりだけではなく八分音の揺さぶりをもかけて演奏されているのです。

 テーマ部の2小節のリピートを70回繰り返す事で、次に語る事となる3/16拍子へと更に表紙が変更されていく事になります。

 そうしてイントロ冒頭から数えて72小節目で、1拍7連符のパルスと同時に、別の拍子体系として「1/4拍子」が再生され、そこから「3/16拍子」が再生されます。「3/16拍子」として2小節目を数える時、プロフェット5と思しきデチューンを利かせる一定の音形が最後に鳴り止む箇所となるのです。

 この3/16拍子構造は徐々にテンポを速められ(おそらくMTRのテンポのコントロールを手動で)、ノイズを混じえ乍らフェード・アウトして行くという訳です。




 因みに、坂本本人は本曲の「differencia」という楽曲のそれには「異化」という意味を持たせている事を過去に明言しており、曰く《構造が透けて見える仕掛け》と語っており、成る程。40年近い時を経て、漸く私のヘッポコ耳に新たなる解釈を透けて見えさせて呉れた、という訳です。通常知られる「異化」は 'dissimilation' という風にも呼ばれる事もありますが、楽曲構造部にて語られる事の少ない本曲に加え、語られる事の多い楽曲であっても多くの人に気付かれにくい『B-2 UNIT』の側面をこれまでも私なりに語って来たつもりでありますが、それにしても本アルバムは今でも凄まじいほどに「潭い」。