SSブログ

コジュケイの鳴き声を採譜 [楽理]

 私の若い時分の頃などは動植物や自然には全く無頓着でありました。科学的な側面で捉えないと興味を抱かないかの様な所もあったもので振り返れば、己の知識や力量など大した事ないクセして、体系化された文明社会の大いなる力を我が物顔の様にして科学の後ろ盾を得たかの様に虚勢を張っていた子供であった事でしょう。今にも飽和しそうなヘッポコな脳しか持たぬクセして、齧歯類が頬袋にエサを蓄えるかの様に興味深い科学的な情報を掻い摘んでいたものです。

 そんな私も齢を重ね健康増進の為にウォーキングや屋外ジョギングを積極的に行なう様になってからは、不思議と季節の草花や野鳥などを愛でる様になった物です。とはいえ普段のジョギングで私が遭遇する自然環境は「自然界」と呼ぶには烏滸がましい環境であり、車はビュンビュン行き交っておりますし、道中にある谷戸の様な起伏のある場所で自然を満喫する程度の物でしかありませんが。


 木々の葉は、その一枚々々に太陽光が降り注いで光合成を促進できる様にして枝葉を付けます。これはどういう事を意味するのかというと、綺麗に杓子定規で測ったかの様に均等な距離で枝葉を付けてしまうと、必ずや重なり合って割を食う枝葉が生じてしまうという訳です。そうなると、風などの振動やら幾重にも重なる枝葉で隠れてしまわぬ様に枝葉を付けるには「素数」が基になっている状況が一番好ましいとも言えるでしょう。樹木たちはそうして枝葉を付けているのであり、自然界が知ってか識らずか身に付けた「智慧」は、人類がそれを俯瞰して研究題材とする時に初めて理解される様になっているという訳です。


 こうした「数」に伴う音楽界での応用というのはバルトークなど非常に顕著でありますし、楽譜印刷のレイアウトでもフィボナッチ数列での間隔が用いられていたりする物であります。第二次大戦以降となると更にリズム面での応用の研究が進み、シュトックハウゼンによるツァイトマーセやグルッペンによるテンポの半音階化=即ちクロマティック・テンポという物も現われる様になった物です。


 処で音楽を時間軸で俯瞰する時、幾つかの見方に分類する必要があります。とりわけ「拍子」「テンポ」「リズム」「拍節」という風にして分類する必要がある訳ですが、発音する時ばかりがリズムを形成している訳ではありません。時には楽譜に書かれる統一された休止符に「強調される」かの様に記される休符もある訳です。ゲネラルパウゼなども典型的な例でありましょう。

 発音の上からは無関係な拍の在り方というのも非常に重要な物です。大概のリズムは発音を規準にしている訳ですが、聴衆には悟られない無音の状況があるにせよ先行音からの「余薫」が聴取者各自の呼吸や脈搏にリズムが乗り変わって楽音の息吹として宿っている事もあり、こうした聴衆の多くが概ね同じ所を標榜するであろう呼吸感および鼓動を蹂躙せぬ様にして演奏を再開する様にしてフェルマータは表現されるべきでもあり、発音が明示的でもないのにそれが支配的になっている様なシーンというのも亦お判りいただけるかと思います。


 私は普段ジョギングを敢行するので春先となるとウグイスの鳴き声を耳にするものです。とはいえ八方を自然に囲まれた様な場所とは程遠い街中での彼等のさえずりはひっきりなしに鳴いているのではなく、どうも車の往来時には鳴かない様であります。車の音にかき消されてしまう様な時に彼等とて態々鳴かないという事を私自身いつしか知る事が出来る様になったものです。また、数キロメートル離れた場所でのカラスの群れの鳴き声というのは鳴き声のリズムよりもピッチ(音高)の方に差異を感じ取る事が出来る物で、カラスですらも地域差がある物なのだなあと感心してしまったりします。とはいえカラス達が何を意味して鳴いているのかまでは一切理解できないのでありますが孰れにしても鳥類の場合は音高も然る事乍ら、人間が捉えにくい様な所でのリズムを重視している様な気がしてなりません。

 というのも車の騒音として記憶に強烈な物は、時偶遭遇する消魂しい排気音や音楽などを鳴らす街宣車や緊急車両、或いは大型車であります。他の一般車両の類はタイヤの通過音(ロードノイズ)位の物でありまして、この程度の一般車両の通過時程度ならばウグイスが鳴き止むという事はあまり無い様です。

 野鳥ばかりに目を向けずに自動車の方に目を向ければタイヤのロード・ノイズというのも実は能く考えられております。もしも一定のトレッド(溝)・パターンを刻んでしまった場合、そのパターンが1回転する事で特定のピッチが鳴り続けてしまう事になります。これをかき消す為に逆相となるパターンを刻んだり、或いはどうにかこうにか不定のパターンをちりばめてみたりとか。こういう着想ならば「素数」を視野に入れる事でロード・ノイズの低減に一役買う事になりましょうし、一般車がアスファルトの上を通過する時の音が単に「サーッ」とした程度のノイズで聴こえるというのは「消音」に一役買っているからでもあります。


 翻って、「平均律」などと言うと大抵は音高・音律というピッチの側面で考えられる事が多い物ですが、先述の様にリズムの平均律(=クロマティック・テンポ)というのも尺度化されている物であります。シュトックハウゼンのiOS版アプリなども出ているのでご存知の方も多いのではないかと思います。四分音符=60から120までの等分平均律に相当するテンポの等分平均律化するというアイデアという物があります。そのアイデアの基となったのはヘンリー・カウエルが既に先取りしていた物でもあります。先行アイデアがヘンリー・カウエルにあるとは雖も、シュトックハウゼンの企図していた論文タイトルは『時間の騒音』というのが実に示唆めいております。

ChromaticTempo.jpg


 先述のタイヤのロード・ノイズとて、或る意味ではデジタル音声信号処理に伴うディザリングのそれと似る側面があると思います。ディザはノイズとして明示的に聴こえてはいけない周期性の無いノイズの添加と言える訳ですから均一に均された後のノイズ処理という意味ではディザリングと似ているのではなかろうかと感ずるのですが、鳥類から見える人間社会の御都合という交通状況というのも、如何にして鳴いたりすれば効率よく車を避ける事が出来るのか!? という術を知っているのかもしれません。数十秒毎に動作する信号機やそれに伴う交通状況と車間距離の採り方など、人間が整列し得る大局的な群がりを鳥類の方がきちんと把握して鳥瞰しているのかもしれません。何しろ電磁波を認識できるという事は周知の事実なので、車から発される電磁波の類など容易い事でありましょう。

 それを思うと、先の坂本龍一の楽曲「iconic storage」に用いられているモーター系の音を模した微分音を探る事とて難儀する様な私ですから、鳥たちは私の能力など嗤笑している事でありましょう。






 私がテンポの平均律を実感するのは電車の加速時のモーター音を聴く時です。任意の音から全音上がったと感じた時など、クロマティック・テンポのそれは鉄道の速度増減によるモーター音にも転嫁させて考える事ができます。例えば時速60kmの速度を基準にして、そこからモーター音が全音上がれば自ずとクロマティック・テンポのそれに見られる2単位分の速度増加と等しい数値となる訳であります。

 先般、神奈川新町駅の踏切にて大型トラックとの衝突事故で巷間を賑わせた事は記憶に新しい所ですが、京急車輌が時速120kmで運行していた事も併せて報道されていた事で、クロマティック・テンポのそれをあらためて追懐した物です。


 どこまでも一定の律動。しかも強弱(アクセント)も平滑で予見をも埋没させる程のリズムというのは感覚が麻痺してしまいかねない物です。

 日常の運動とて同じ様なルーチンをこなそうとも、そこに天気・気温・季節・曜日・摂食メニューなどの少し異なる要素を組合わせるだけで乙張りが生じて気分的にも弾みが付くという物です。その感覚的な揺さぶりを音楽のリズム面で見れば、スウィング感でもありましょうし、人間的な味わいのあるグルーヴであるでしょう。加えて、不規則なリズムというのは音楽面では「アクサク」と称される物でありまして、特に東欧やトルコなどのアクサクのリズムの多様さには驚かされる事頻りです(フランク・ザッパは相当にアクサクのリズムを参考にしていた事でしょう)。

 抑も、先述のツァイトマーセやグルッペンでのクロマティック・テンポというのは、楽譜の上で連符が仰々しく書かれるよりも、平易な譜面(ふづら)のままでテンポの側を細かく等分化する事で表わせるであろうという所に主眼が置かれている物なのです。16分音符主体の楽曲から1拍6連だらけの譜面となった場合、テンポを1.5倍にして16分音符のままで表わすという事と同様でもあるという訳です。

 概して人間のリズムの採り方というのは、複雑なポリリズムなどもありましょうが恐らくは自然界を生きる鳥類からすればまだまだ平易なリズムを採っているのであろうと私は信じて已まない処です。鳥類に敬意を払う意味でも私はYouTubeの方で小綬鶏(以下コジュケイ)コジュケイの鳴き声を採譜したのでありますが、テンポが徐々に遅くなりつつも奇数拍子(アクサク)を堅持したまま、偶数では割り切れない様な拍節構造を伴って鳴いている様に私は感じ、それを楽譜にしたという訳です。


 5040という数字がありますが、この数は約数を60個持つ高度合成数と呼ばれる物でインドのシュリニヴァーサ・ラマヌジャンの功績に依って現代に知られる様になっておりますが、ラマヌジャンの論文発表からまだ100年を経過したばかりでもあります。この数字の最たる特徴として1から10までの自然数の約数を全て持つので、行政や選挙の区割りには非常に適している数とも言われます。加えて、「5040」は「7!=1×2×3×4×5×6×7=5040」という「7」との親和性の高い7番目の階乗数でもあり、「7×8×9×10=5040」とも表される物であります。
 
 1〜10の自然数を全て包含しているという事が非常に示唆に富んでいるという物であり、こうした低次の自然数を包含しているという事に依り、1〜10までの素数とも因果関係を持たせ乍ら、音楽的な「入れ子」である音のシラブルを充てて作曲に採り入れるという事も十分に可能である事でしょう。因みに「5040ミリ」という寸法はやや大きめの自動車の全長などにも採用されたりする物でして、この数字はやはり低次の振動数を考慮に入れての事であり、重心の持たせ方のレイアウトや振動吸収も含めて視野に入れた物となっているのだと思われます。

 加えて、「7」という数字にも親和性が高いという点にも注目すべき点でありまして、それが素数である事も亦重要であろうと思います。

 ここ最近の私のブログ記事にて「近年の5連符&7連符」という風に題した時には語りませんでしたが、実は「142857」という数字も音楽的に見ても興味深い数字なのです。

 例えば「1」を7で割ってみればお判りになりますが、[0.142857142857…] という風になります。この「142857」は非常に面白い性質を持っており、他の素数の循環にも現われるのです。「142857」を3桁ずつに分けて次の様に実行すると「142+857=999」を導き、2桁ずつに分けて「14+28+57=99」という風にもなります。しかも、次の様に「142857」に「2」以上の自然数を掛けると、各桁が巡回して現われる様になります。

142857×2=285714
142857×3=428571
142857×4=571428
142857×5=714285
142857×6=857142
142857×7=999999

 また、「999999」は「999×1001=999999」でもあります。そこから「1001」を抜萃して次の様に、

(1001)-{(14+28+57)×3}×3=110となり、110÷7=15.7142857142…という風に、小数点の中に「142857」を含むという、実にマジカルな呪縛が憑いて回るという物なのでもあります。

 現代ならば斯様な桁数の多い数値はデジタル音声信号のサンプル長に充てても興味深い事でありましょうし、素数の因果関係という処を音楽に取り込むという発想も、複数のメトロノームで素数を用いたポリ・テンポの発想など多くの先例がある物なので、鳥達も、自身の声が埋没しない様な「因果関係」を駆使して鳴いているのではなかろうかと思う事頻りです。セミとて素数ゼミの存在が知られている様に。

 余談ではありますが、同一のテンポに設定した多数のメトロノームをずらして作動させても、結局は全てのメトロノームが同じ様に合わさって動作するというマジカルな状況は、蛍の光がそれぞれ同期して発光する現象と同様の物として知られています。これは「平均場近似」と呼ばれる物なのですが、メトロノームのテンポ設定がそれぞれ異なる素数であれば平均場近似は起こりません。

 また、平均場近似というのは日本のどこかで50/60Hzのサイクルで運ばれる送電にも見られる事なのであります。各変電所近傍での位相が大きくズレる事なく釣り合っているからこそ電力はスムーズに送電されているのでありますが、落雷や大きな事故でどこかで位相がズレると釣り合いが取れず送電が滞るのです。これが大規模停電の原因でもあります。2019年初秋の台風15号が関東を直撃し、千葉県下では大規模停電が生じて、当ブログ投稿時に於ても復旧がままならぬ状況なのですが、送電線の設備が整っても今度は位相を合わせるという困難な状況が待ち受けている訳で、「調う」という事が如何に重要かという事をあらためて痛感させてくれる物でもあります。

 
 そういう訳で、約数を多く含む高度合成数や素数の側面を挙げましたが、鳥類が自然界で絶滅する事なく文明社会の中でも適応しているという事を勘案すれば、鳥類は矢張り環境音にも埋没されない為の術を熟知している事でありましょう。また、それがどうしても無理な時は、場所を変えて生きて行くのであろうと思います。

 私がコジュケイの鳴き声を採譜した時に注意を払ったのは、基本的にアクサクの拍子構造であるという所です。加えて母数となる拍子は三十二分音符でありつつも、それが決して人間が感得し易いであろうテンポではなく、通常のテンポ感での三十二分音符を基としている点です。



 テンポはあくまでも四分音符を規準に「108」を充てております。7/32拍子から等差数列として9/32・11/32・13/32・15/32拍子を充てているという事も注意を払った所です。アクサク且つ等差数列で、32の半分未満で帰結するという事が、決して16/16=4/4拍子としては帰結しないという事で、コジュケイの鳴き声があらゆる反復する環境音のリズムに埋没しない様にする拍子構造に加えての拍節構造として表わした訳であります。

 また、鳴き声そのものも通常の十二等分平均律でのそれよりも中間にある微分音をふんだんに用いた方が良かろうと思い、四分音で採譜したという訳です。記譜フォントはMaestro+neuewiseに依る物です。十六分音符になると姿を現す「符幹」の短さもキジ科の鳥類にあるズングリとした姿を模しているという気持ちの表れです。

 17小節目でのハーフ・フェルマータという特殊な記号の他には特段語る事はないかと思いますが、符割として六十四分音符まで使用しなければならなかったのは、コジュケイの鳴き声が止むまでのリタルダンド部分では、中国のギロの様な楽器である「敔(ぎょ)」の様な細かな音価での鳴き声が顕著に現れるからであります。おそらくやコジュケイの方も、己の鳴き声を漸次リタルダンドさせて行く過程に於て他の環境音などに溶け込んだり紛れてしまったりする事のない工夫として細かな符割が顕著に露わにして鳴くのではないかと思うので、それを六十四分音符という符割で表したという訳です。


 先に例示した高度合成数や素数ですが、高度合成数が含める1〜10の自然数という約数の出会う所がリズム構造の強拍・強勢だとすると、素数は強拍に決して取り込まれ様とせずに振る舞える弱勢に現れる事になるという事をも意味します。

 現今社会ではシーケンサーなどで1拍あたりのクロックが960分割されていたりする事を勘案すれば、「999」や「99」がどういう意味を持つ「音価」になりうるか!? という事もあらためて興味深くなるのではないかと思います。


 音符が持つ「パルス」は、それそのものの「計量」にある訳で、嘗ての楽譜は音価は無関係に音高が優先されていた物です。但し、計量とはたった1つの単位で生じている訳ではなく、色々な計量のグルーピングにより「拍」を生じているのであります。無論、その拍も一定的な拍を刻むばかりでなく、強拍・強勢が単に概念的であり弱勢だけに音価が生ずる様な高度なリズム構造を生じさせる事も可能なのではありますが、リズムの分節構造が2および3に収斂して捉える事が可能であり、先にも例示した素数は結果的には2と3の組み合わせで表す事も可能なのであります。

 その上で「2」という分節構造に「強弱」というメリハリを与えるだけで2拍子は更に弾みがかかるというのがリズムの多様さでもある訳であり、その強弱の分節構造が「重→軽」と推移するのが通常の構造だとすると、「軽→重」がアウフタクトを喚起している構造であるとも言えるのであります。


 コジュケイの発声は強烈なアクセントから入るも、消魂しく鳴く前には拍節構造など一切気にしていない様な「地鳴き」があります。地鳴きの部分までは採譜をしておりませんが、クレジットには「小綬鶏郎(こおぶさとりろう)」という名にしておきましたのでご参考まで。

KJK.jpg