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四度(よど)の響き─Softly / Weldon Irvine [楽理]

 どういう訳か、日本国内では「アーヴィン」やら「アーヴィーン」やらと発音されてしまう「ウェルドン・アーヴァイン」。カリフォルニアにも Irvine という土地がありまして、フツーに「アーヴァイン」と呼ばれるのでありますが、まあ日本国内には能くある担当者の謬見が禍してネーミングされてしまう事など音楽業界では珍しくない物で今更やいのやいの言いたくは無いのでありますが、私のブログに於ては Weldon Irvine を「ウェルドン・アーヴァイン」と呼びますのであらためてご理解いただければ幸いでございます。

 今回はYouTubeでウェルドン・アーヴァインのソロ・アルバム『Spirit Man』収録の「Softly (Pt.1)」の譜例動画をアップした事もあり楽曲解説も併せて語っておこうと企図した物でありまして、2016年にはYouTubeの方でコード進行のみを載せた動画をアップしていた事もあったものです。

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 とはいえ以前の動画で用いたデモは、私のブログへの嫌がらせや剽竊防止の為にわざとトラップを随所に仕掛けていたのもあったので一部は正しくはありませんでした。今回は、私の手元にある譜例動画用のデータをあらためて編集している事もあり、その機会にきちんとした譜例動画を公開する事としたのであります。


 ウェルドン・アーヴァインの呼称に関してもう少し語りますが、'Irvine' をついつい「アーヴィン」などと読んでしまいそうになるのは恐らくはまあ、ジャズ界でもブッカー・アーヴィンとか居りますし、ジャズ界の歴史に名を刻んだ名アーティストの存在が影響していたりするのでありましょう。本来のスペルで原語読みなどどうでも良く、日本の担当者の鶴の一声としての謬見で決まってしまうという悪夢。無論、本来あるべきそのスペルは 'Booker Ervin' なのでありますし、微分音の世界で有名なアーヴ・ウィルソンも嘗てはアーヴィン・ウィルソンとも呼ばれた物ですが、スペルはやはり 'Ervin' なので決して 'Irvine' ではない事も注意をされたい処です。

 余談ではありますが、先頃、Terumi Narushimaさんに依る 'Microtonality and the Tuning Systems of Erv Wilson' はなかなか読み応えのある微分音関連の書籍であった事は記憶に新しい所です。

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 扨て、私がウェルドン・アーヴァインというアーティストを知るキッカケとなったのはスタッフやマーカス・ミラーがキッカケでありまして、マーカス・ミラーの旧友であったキーボーディスト、バーナード・ライトに関する件については以前にも「Music Is The Key」を語った時に述べた通りです。


 最近では、ウェルドン・アーヴァインの幻のソロ・アルバム「The-Sisters」がサブスクリプション・サービスとアナログLP盤としてリリースされたので、マーカス・ミラーを追いかける人には堪らない作品リリースとなった事でありましょう。CDリリースも俟たれる所でありますが、月額980円の個人利用でMusic(Apple Music)を利用すれば耳にする事が出来るので、あらためてご興味をお持ちの方は是非ともこの機会に耳にして欲しいと思わんばかり。

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 少々脱線してしまいますが、先日私の知人との遣り取りに於て AppleMusicについて酷い誤解を抱いていた者がおりまして、彼曰く。

《iCloudサービスは無料の5GBだけで済ましているから AppleMusicで容量を消費したくないから加入していない》という酷い誤解をしていたので私は咄嗟に AppleMusicの音楽用のデータサイズとiCloudのデータ容量は全く別だから無関係だぞ!? と教えてやり、彼は早速 AppleMusicに加入した位です。

 彼が勝手に憂いていたのは、配信リストにもない手持ちのCDや音源を AppleMusicにアップロードしてしまったらiCloudのデータを食ってしまうという誤解であったという事なのであり、実際にはそんな誤解を吹き飛ばすサービスであるという、ココが全然違うという事ですね。たとえ手持ちの音楽ファイルを10万曲アップロードしてもiCloudの方の容量とは無関係にクラウドとして持ち続ける事が出来るというのがApple Musicなのであります。無論、そのiCloudとは別の容量としての恩恵を受けるには月額980円払う必要があるという事なのですが、これを知った途端彼は「なんだ、そうだったんだ!」と即座に加入していたので、意外な所で及び腰になってしまっていたのが居るのだなあと感じたものでありました。


 そんな訳で話題を本題に戻しますが、今回譜例動画にした「Softly (Pt.1)」もApple Musicにラインナップされておりますので、サービス加入さえすれば手に届きやすい作品ですので是非とも耳にしてもらいたい1曲であるのですが、この曲の素晴らしいのは四度和音の響きが特徴的であり、それがヒンデミットのクラリネット・ソナタ第3楽章を投影させてくれるかの様な、実際にオマージュなのではなかろうか!? と思う位に耳に心地良い小曲なのであります。



 四度和音の響きとは雖も、四度音程を多数忍ばせて居るのではなく実際には五度音程の連鎖を組み合わせており、既知のコード体系で四度和音の類としても聴かれるそれに聴かせる様にしているのであるので、四度音程が多発する訳ではありません。そういう意味では「五度和音」と呼ぶべきなのかもしれませんが、例えば、マイナー11thコードを四度音程堆積で用いずとも四度和音として括って耳にする事はあろうかと思います。ハービー・ハンコックの「処女航海」とて冒頭の「Am7(on D)」を [e - a - d - g - c] という風に四度の連鎖が三度と二度に収斂する様にして解釈する事と同様の物です。



 そういう意味では坂本龍一の「千のナイフ」のイントロが四度音程の重畳に依る真のクォータル・ハーモニー(=四度和音)という事が言えると思います。



 近年ではリック・ビアト氏が自著『THE BEATO BOOK 2.0』に於て、クォータル・ハーモニーのそれをコード・サフィックス化しておられるので、こうしたコード表記の進化をあらためて見て取れるのは非常に好ましい時代になったと感服する事頻りであります。「Q」というサフィックスを充てて表される訳です。


コード・ヴォイシングそのものには物理的に四度音程で構成されていないにも拘らず、それをクォータル・ハーモニーとして認識可能としてしまう要因は、主旋律の線運びに他ありません。フレージングとして四度の跳躍を明示的にしているからであり、そのフレージングに伴うコード進行も四度/五度を伴うパラレル・モーションであるからなのです。

 基本的に、コードが通常のコード表記の体系として分類可能な物であるならば、それがディミニッシュ or オーギュメント・コードの変化和音ではない普遍和音(=長・短和音)であるので、和音構成音として物理的にオミットされていない状況であるならば、コードの側は自ずと根音以外に3rd音や5th音をフレーズに用いる様に手招きしている状況に等しい訳です。

 例えばトニック・メジャー・コード上に於てメロディーが上中音「ミ」の音から開始されたとしましょう。和音の側は「ド」と「ソ」をも手招きしている事になります。その上で、器楽的な音には必ず「上方に」倍音が存在している状況なので、上方倍音列の手招きに沿って上方に「ソ」と運んだ時、伴奏のコードも上方に「ソ」がある様に重複させてしまうと、コードの手招き通りに線が動いているだけの動きになってしまっているのです。それを後続のコードが持つ上方にある5th音を同じ様に上方にフレージングを更に5度を随伴させてしまうと、これが能く言われる連続五度です。

 つまり、伴奏の側がヴォイシングを転回して根音と5th音とで少なくとも「四度」にしておき、その上で「五度の手招き」として上方へフレージングを展開させれば、主旋律のフレージングと伴奏のヴォイシングは互いに反進行・斜進行を形成する事に貢献するので、アンサンブルとしてのハーモニー全体は上下に膨らみ、より豊かになるという物です。

 また、「五度の手招き」というのは機能和声的な世界でも、それ以前の対位法社会に於ても「一旦の極点」として目指すべき方向であるので、和音が「手招き」しているという状況は、和音構成音としての助力と上方倍音列としての助力が加味されているからでもある訳です。根音とこうした五度への牽引力が伴って調性感は得られる物なのであります。とはいえ、フレーズが根音の呪縛を解かれ他の音へ線を運ぼうにも、直ぐにドミナントを目指し、直ぐ様トニックを向かおうとする様な、なかなか巣立ちをしないツバメのヒナの様な線運びとコード付けを選択してしまう人の多くの場合、音楽的素養がまだ不足していると言えるでしょう。

 然し乍ら、ひとつの調性という状況を見ずに、調性的には曖昧で茫洋とする状況でクロマティシズムを標榜する世界観であるならば、連続五度やパラレル・モーションなども誹りを受ける事はありません。寧ろ、調性感を仄めかしながら調性がそこに現れない(確定しない)という、音楽的には好い意味での蹂躙が生ずる訳ですから、機能和声社会を目指さない世界観であれば大手を振って歩ける状況でもある訳です。そういう意味からも「Softly」という曲はモーダルな浮遊感を伴わせた世界観であるという事が言えるのであります。


 それでは譜例動画の解説としますが、冒頭の5/8小節は後続の4/8拍子にアウフタクトとしての1/8が加わった状況とほぼ同等なのではありますが、弱起で採った冒頭不完全小節は、終止でも歴時を補う不完全小節にするのが正統な仕来りなので、それを回避しました。また、拍子の分母を「4」で採らずに「8」で採る理由は、ヒンデミットのクラリネット・ソナタ第3楽章が矢張り4/8拍子を用いて、八分音符×1を1拍として見せる拍節構造のそれを踏襲したからであります。



 なお、冒頭で示される 'Over tonal fifth' というのは完全十二度音程の事を示す物で、その完全音程が標榜する物は「1:3」の音程比という事であります。とはいえ整数比で示せばそれは純正音程比になりますが、実際には平均律での完全十二度音程に過ぎず、純正完全十二度音程ではありません。純正音程比を厳格に用いる場所であるならば、'Over tonal fifth' を「トリターヴ(tritave)」と呼んでも良いでしょうが、ここでは微分音を取り扱いませんし、Bohlen-Pierceスケール(BPスケール)を使う訳でもないので、単純に完全十二度のそれをオーバー・トーナル・フィフス(5th)と読んでいるのであります。

 オーバー・トーナル5thという複音程を単音程に還元すれば完全五度であります。即ち、冒頭で起こる「五度の暗示」が、次第に四度の線運びへと収斂して行くという世界観の対比を見事に示す構造とも見做す事が出来るので、非常に示唆に富んだ音程であるのです。


 古典の和声学の世界では古典の数学に力を借りて、隣接し合う単純な整数比の構造となる音程に強い協和感が宿るという解釈で協和性の根拠とされていきますが、奇しくもオイラーは2:3の音程比よりも1:3の音程比の方が協和度が高い事を発見するのでありますから皮肉な物です。つまり、科学の発展と共に音楽もそれに準える様に惑星の数を音階に援用して行くも軈ては星の数が倍音列に置き換わり、倍音列の整数比が必ずしも隣接し合う音程比ばかりが協和度が高いのではない事を証明するという訳です。最早この時代にはタルティーニが差音を発見しており、本来ならば上方倍音列に完全音程としては現れない下属音が、差音を根拠に求められても良かったのでありますが、機能和声社会を形成する「大きな協和」は最早強大な力とばかりに認識せざるを得ず、下属音を導引する様な他の要因は今尚枠組みに入れられない程に等閑にされているのが現状であります。

 大完全音列(シュステーマ・テレイオン)が2つのオクターヴの位相(相貌)を利用したが故に下方五度にある下属音が転回位置へと還元される時に取り込まれた歴史を鑑みれば、上方倍音列だけの1つの位相だけで協和社会を強弁するのは最早古いのでありますが、音楽の世界観とやらは250〜300年程度のスパンではそんなに大きく様変わりする訳でもないので、結構保守的な側面はあろうかと思います。


 四度音程の重畳は軈て半音階を生む訳ですから、「普遍和音」という完全五度を有しつ三度音として長三度か短三度を持つ和音とは異なる形態で積み上げられるコードに調性とは異なる「無調」の世界を標榜し、その新たなる四度の響きから半音階社会を強化しようとする世界観は機能和声社会とは異なる次元での世界観として在って然るべきであると思います。

 そういう意味で、ウェルドン・アーヴァインは冒頭でオーバー・トーナル5thを提示した直後から線的には四度を明示的にしつつ、和音の側では3度構成和音が四度和音として聴かせる様にしてハーモニーを形成しているという訳です。


 特に顕著なのがローズ・パートに於ける両手の九度音程にヴォイシングです。冒頭の5/8拍子での後半3拍の左手の8・9度音としての [c・d] は、2音とも親指で打鍵していると思われます。以降、ローズ・パートをメインに語って生き、ARPオデッセイのシンセ・リードは必要な部分のみ附言します。尚、5/8拍子での後半3拍子にはショート・フェルマータを充てております。


 2小節目。茲からAテーマとしておりますが、実質Bパターンは無いまま終止を迎えると言っても過言ではないでしょう。その為パターンとしてインデックス表記を以降充てていないのですが、拍子が変わる小節とは別に、段落的な意味で複縦線を充ててはおります。それをBパターンとして解釈しても良いとは思います。

 2小節目以降、ARPオデッセイのフレーズは見事に完全四度音程での上下動を形成し、和音もそれに随伴して完全五度/完全四度進行を上下にパラレル・モーションとなっておりますが、ヴォイシングの全ての声部が平進行している訳ではなく、音程を保ったままの移高ではないのです。コード表記からすれば単純なパラレル・モーションに見えるかもしれませんが、5小節目の「Cm11」では、それまでの移高が保たれずに変化が起きているのが判るかと思います(左手も長九度から短十度へと、より広いストレッチでヴォイシング)。


 6小節目での前打音 [f] は [g] に対して作用する様に弾いて欲しいという意味で表しております。等しい音程差で下方の [es] への前打音としても機能するのですが、[g] に行く様に心掛けて欲しい部分です。

 7小節目の「B♭m11」では特筆すべき事はありません。

 8小節目「E♭m11 omit5」で留意すべきは、左手が10度音程を必要とする事です。加えて、左手親指は [ges] を弾いており、右手の 親指が奏する [f] よりも高いので、一瞬だけ両手の親指が声部交差するのです。右手の親指は前打音で必要な音であり、この [f] の打鍵直後に左手親指が [ges] へ短二度進行として機能する様にして弾いて欲しいという気持ちの表れがこうした楽譜として表現されております。


 10〜11小節目での「Dm11 omit5 -> G♯m11 omit5」の増四度進行は目を瞠るべき進行です。バップに馴れた方ならば、これら2つのコード進行を「E7」系のコードと捉えてEオルタード・スケールやらを充てて1つのモード・スケールをスーパー・インポーズさせて強行する事もあるでしょう。何より、これら2つのコードそれぞれが5th音を持たない三全音進行となっている所もドミナント7thコードを充てる事を許容する状況に拍車をかけている事でありましょう。無論、そんなオルタード・テンションを誘発させる事なく逐一コードに対して適宜マイナー&ドリアンを想起しても良いのですが、「omit5」の状況での三全音進行ならば、これらの進行間をドミナント系統で貫いて串刺しにする方がインプロヴァイズ時は非常に簡単である事でしょう。

 仮に10〜11小節間を「E7」某しでアプローチを採るとするならば、通常ならば「Dm11 omit5」ではDドリアンを想起して [h] を誘発する事になります。とはいえマイナー・コード上の6th音をアヴォイドとして及び腰になる人からすれば [h] を避けかねないかもしれません。然し乍らそのアヴォイド・ノートは機能和声社会に於て最も顕著に現れる調性感なのでありまして、マイナー・コードが三全音進行するという事は局所的な部分転調でありノン・ダイアトニックでもありプラガルな世界感である訳ですから、こうした状況で [h] を忌避せずとも後続の「G♯m11 omit5」が吸着してくれる訳でもありますから、そういう意味でも「E7」某しと見るのはうってつけの状況であるとも言えるのです。

 同様に「E7」某しをトライトーン・サブスティテューションとして置換して「B♭7」某しと想起する事も可能ではあります。この場合、「Dm11 omit5」上で♭6th音相当の音が明示的に現れる可能性が高まるので、短六度の重々しい情感が却って「Dマイナー感」を強めてしまいかねないだろうなあ、と思います。そういう意味で「E7」某しとしてアプローチを採った方がベターであろうと思う訳です。

 
 12〜13小節目では先行する「Gm11」はomit5ではなくなりまして二全音進行として「E♭m11 omit5」となる訳です。マイナー・コードが二全音で移高するのは結構美しい世界観を誘発してくれる物です。通常、マイナー・コードの代理和音は機能和声的には三度上方に主格となる和音機能があります。例えばイ短調(Key=Am)でのAmの主格となる和音機能は三度上方の「C」がトニックとしての地位があり、短和音は副次的にトニックを「代理」しているのであります。つまり、ディーター・デ・ラ・モッテ風に言えば短和音の和音機能はカウンター・パラレル(=三度上方)にある訳ですが、四全音上方進行(=二全音下方)進行する訳ですので、短和音のパラレル・コードの長・短を入れ替える根音を同じに採る同主調の和音をヴァリアント・コードと呼びます。これは実際にはモッテが命名したのではなくフーゴー・リーマンが命名した物です。

 即ち、イ短調でのトニック「Am」の

パラレル・コード=F
カウンター・パラレル・コード=C
パラレル・コードのヴァリアント・コード=Fm
カウンター・パラレル・コードのヴァリアント・コード=Cm

という事を指すのであり(ディーター・デ・ラ・モッテ著『大作曲家の和声』シンフォニア刊 p.180参照)、二全音/四全音調域での自ずとヴァリアント・コードを見る事になるのであるという事を意味するのです。遠隔的な調域ではあるものの、こうしたヴァリアント・コードの世界観をジャズ界隈ではモーダル・インターチェンジに括っているので、実質的には親近感のある音楽的な脈絡でありましょう。

 
 もう一度10〜11小節目でのコード進行「Dm11 omit5 -> G♯m11 omit5」を「E7」某しと想起する事を考えてみましょう。「E7」を機能和声的に香らせるのであるならば「A」某し或いは「D♯」某しに進むべきでありましょう。然し乍ら後続となる12小節目では「Gm11」なので、ドミナント・コードを想起しつつも下方五度進行に解決するというコードとなる音脈でもないので、後続の「Gm11」を新たなる調域の「Ⅱ度」と捉えると、その調域での「Ⅴ度」=C7が見えてくるので、結果的には調域としてE7→C7という風な「♭Ⅵ度→Ⅰ度」でのドミナント7thコードというブルース・マイナー進行のひとつを見る様な状況に近しくなるかもしれません。いずれにせよ、行き場のない(※解決感の得られない)ドミナント・コードの後続だという事を留意し乍らアプローチを採るべきであろうと思います。

 
 そうは言うものの、和声的には遠隔的な調性へと弾みが付いている状況であるので、13小節目での「E♭m11 omit5」という5th音のない曖昧さが、また絶妙な世界観を醸し出してくれるという訳です。天候で表現するとすれば、機能和声的な状況が快晴で1日中晴れた日の後に星空の綺麗な夜が訪れるという状況だとすれば、この「Softly」の状況は気分は悪くない心地良い曇り空の日に遭遇する思い出に残る滅多にない状況、と言わんばかりの感じだと私は思います。スキッと晴れている日ではないけれども好い曇り空の日。洒落たキャンドル・ライトではないけれども、蛍光灯の下での幸せな団欒みたいな。


 そうして14〜17小節目では、スケール・ワイズ・ステップでの二度平行進行を演出してくる訳です。マイナー11thコードをスケール・ワイズ・ステップで [d - e - f - g] と進行させている訳です。主旋律は[g - a - b - c] という風になっていてルートと主旋律の関係は四度な訳ですね。とはいえコードの側は3度音程を維持している以上、各コードで内在している長三度音程が長二度平行進行してしまえば、前後のコードでの長三度音程間は「三全音」を生ずるので実際には対斜を生じます。14小節目での [c]音が後続15小節目での [fis] という風に対斜を生ずるという事。

 機能和声社会では避けるべき対斜ではありますが、これはひとつの調性の終止をエンジョイするという類の物ではありません。これらのコード進行で対斜を生じたり、コード進行として無理強いして三全音進行を採ろうが、過程では三全音対斜を生じてもそれが単なる「暗示」と「蹂躙」なので、対斜を生じても良いのです。

 寧ろ、三全音対斜をコード進行間で生じても、軸となる動きがスケール・ワイズ・ステップという何がしかの音階の断片を感じ取る動きなので、三全音の中にある順次進行が活きる訳です。特に15小節目での「Em11 omit5」と後続16小節目での「Fm11 omit5」ではコード自体は短二度進行なので三全音対斜は生じないのに、わざわざ [as] が加わるのですから、先行小節「Em11 omit5」での [d] と見事に [as] との三全音対斜を作っている所が逆に凄い状況である訳ですね。

 そうして17小節目での「Gm11 omit5」での [d] でも先行小節に [as] があるので矢張り対斜を生じている訳ですが、主旋律が順次進行でスケール・ワイズ・ステップという所とのメリハリが功を奏しているという訳でもあります。そうしてフェルマータでグッとタメてタメて……18小節目以降の終止和音「Am11 omit5」となる訳です。

 尚、18小節以降の終止線までのシンセ・リードですが、特に21〜22小節目で示される付点16分音符のそれとは裏腹に、デモの方は若干平滑なフレーズを弾いているのではなかろうか!? と疑問を抱かれる方が居られる事でしょう。この意図は、フレージングとして「窳(いびつ)」な演奏を心掛けてほしいのです。あまりに滑稽な程にいびつな演奏をしなくても良いのですが、平滑さを避けて演奏して欲しいという事の表れでこの様にしています。原曲のそれも実際には平滑な16分音符ではありませんからね。まるでセロニアス・モンクがいびつなフレージングをする為に重い指輪をするというのと同様に、若干いびつな演奏であります。終止線にフェルマータを附したのは、曲の余韻を表現してほしいという気持ちの表れでもあります。


 原曲の「Softly (Pt.1)」は、ローズとARPオデッセイはそれぞれ左右に各楽器のステレオ・パノラマ感が振られておりますが、今回の譜例動画ではそれを避けて各パートのステレオ感が出る様にしてデチューン系のギミックを施しております。このデチューン系のギミックについてはいずれ他の機会で語る事があるかと思いますので、その際縷述するのでお楽しみに。

 因みに、今回デモに用いたのはArturia Stage-73VのSuitcaseのハーモニック・プロファイルをNoisy Brightに設定した上での音です。ローズのこの手のスティッキーな音をStage-73Vで再現するにはNoisy Brightに設定するのが最適です。加えてシンセリードに用いているのはNI Reaktorのユーザー・アンサンブルです。このARPオデッセイは昔からある物で、パラメータは次の通りとなっています。今のバージョンだとツマミ類がこういう風には再現されませんかね!?(笑)。デチューン系ギミックを語る時もNI Reaktor5を基にする事になるのでその辺りはご容赦を。

Odyssey.jpg