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『ハーモニー探究の歴史』と《「調」と「調性」》 [書評]

 2019年初頭、音楽之友社から『ハーモニー探究の歴史』が刊行された事は記憶に新しい所ですが、ソメイヨシノ開花の報せを聞いてからの書評とさせていただく事に。

 『ハインリヒ・シェンカーの音楽思想』でもおなじみの西田紘子をはじめとする安川智子の編著となっており、他の著者として大愛崇晴、関本菜穂子、日比美和子という名を見付ける事ができます。多くは『ラモー氏の原理に基づく音楽理論と実践の基礎』(春秋社刊)で見かける名前であるので、あらためて注目してしまう事でありましょう。

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 とはいえ、ジャズ/ポピュラー音楽界隈の人々は西洋音楽界隈の知識に乏しい事が珍しくありませんので、こうした良著が刊行されたと雖も、自身の狭隘な知識が禍して遠ざけてしまいかねません。そうした不得手とする部分をどうにか克服できる、或いは少々の事なら付いて行く事が出来るという方には是非とも読んでいただきたい音楽書であるという事はまず申しておきたい所です。

 和声がどういう風にして発展して来て、その後の我々が取扱う様になったのか!? ハーモニーという一点の曇りも無い視点から俯瞰した上で詳密に歴史を辿る過程での多くの大家達を取り上げ乍ら多くの原典を載せ、とても熟慮された脚注の多さには目を奪われる事頻りです。まるで、私のブログの添削すらされている様な気分にすらさせられる程、私のブログなど小恥ずかしいと思わされる事頻りです。

 ジャズ/ポピュラー音楽界隈の人々が、次の様に私が提起する事柄に興味をお持ちになったら、是非とも本書を手に取るべきでありましょう。

①属和音準拠となる和音の重畳
②ドミナント機能の希釈化
③ドミナントに行くためのプレドミナント
④偽終止進行のためのサブドミナント
⑤セクショナル・ハーモニーを採る各パルスに備わる音は和音ではないのか!?

 これらの提起の総ては、本書が総て払拭させて呉れます。①に於てはドミナント・コードの発達と共に軈ては変位和音を伴ったりジャズではオルタード・テンションが伴う事を最早不文律の様に取扱っている訳ですが、ドミナント和音が一旦の不協和音としての地位は、後続の協和音へと進行する為の乙張りがよりコントラストを強めてひいては属十三の和音まで拡張されていったという物です。そうした和音の重畳の背景と共に、ジャズ界隈ではスクリャービンに倣いヨーゼフ・シリンガーがシリンガー・システムとしてまとめ、その後スロニムスキーがバークリー体系へと援用していった様にロシア系統の影響は多大にある物です。

 然し乍ら和声法の紆余曲折というのは、ラモー以降、ラモーと袂別する事になるダランベール、リーマンなどそれらの社会がどのようにして音楽に影響していたのか!? という事が悉く詳密に書かれているのが本書である為、これらの背景を理解した上で説明される各国・各人各様の和声体系をあらためて深く理解する事が出来るでしょう。結局はフランスの和声というのも曲折を経てリーマンのそれと同じ所に収斂する様にもなる訳ですが、調性感の為のドミナント機能の必要性という側面と、ドミナント機能が希釈化される側というのは矢張りそれぞれ異なる訳です。そうした②で示した提起もこういう所で理解する事が出来ましょう。


 加えて③に於ては本書105〜106頁が瑩らかにして呉れているのですが、ジャズ/ポピュラー音楽界隈に在る人が所謂「島岡(藝大)和声」を読んで、凖固有和音でのサブドミナントの機能がジャズ/ポピュラー界隈とは違ったりする事に疑問を覚える方が居られる事でしょう。長調にて「♭Ⅵ」が現われた時などは顕著です。そうした疑問はこのコーヒー・ブレイクが実に明瞭に指摘しており疑問は完全に払拭される事でありましょう。このコーヒー・ブレイクというのは日本音響学会の論文をお読みになられた方なら、そうした骨休み程度に知的好奇心をくすぐりつつ興味の熱を冷まさない手法に倣ったアイデアと思われますが、とても馴染みやすい手法ではないかと思います。

 私自身過去に、戸田邦雄の洗足学園での論文である洗足論叢の「Ⅴ→Ⅳ進行のノート」を援用し乍ら藝大和声には無い様式のそれを嘆息して取り上げた事がありましたが、「なぜそういうスタンスが存在するのか!?」という事も踏まえた上での音楽界の「両義的」な世界観の必要性を、このコーヒー・ブレイクで深く理解する事が出来るでしょう。特に、藝大和声の理解だけで充分としてしまっている頭デッカチの人は必読となるでありましょう(笑)。

 
 つまりは「偽終止進行のためのドミナント」という④も、戸田邦雄の洗足論叢が示している物であり、これはサブドミナントがドミナントに進む為の物ではない様式での取扱いのサブドミナントとなる訳です。つまり、コーヒー・ブレイクで示している「プラガル」の世界であり、偽終止的進行の為の世界観でもある訳です。こうした点もそれぞれの音楽社会概念としての差異を載せている所に非常に好感が持てる物です。なにしろ、和声を一義的な側面のみから学ばなかった者は、理解の範疇に無い物を往々にして棄却して断罪する傾向にあります。況してやその一義的な側面が教育体系から強化されてしまっていると硬直化してしまいかねず非常に厄介な物となりかねません。そうした硬直化してしまいそうな所を逆撫でする事なくやんわりと理解に及ぶ様にしてコーヒー・ブレイクとしているのは好ましい点であると言えます。

 上述した私の提起にある最後の⑤は、本書のシェーンベルクの部分で解決して呉れる事でしょう。茲1年位の私のブログ記事をお読みになられている方なら、ドナルド・フェイゲンの「マキシン」を中心としたセクショナル・ハーモニーの話題に触れる事が出来るでありましょうし、ブログ内検索をかけていただければ勿論、それ以前のセクショナル・ハーモニーの件についても引っ張って来れる事でありましょう。

 セクショナル・ハーモニーというのは常に旋律の各音に対して和音が充塡されている状況ですので、各音の動きは「コード」と見做す事も本来ならば可能である訳です。

 然し乍ら、調的な志向は備えている訳ですので、セクショナル・ハーモニーが旋律の極点(=この場合「支配音」としてのドミナントと主音)を目指しているのであれば、それは調性的に判断する事が可能な状況となるので、支配音と主音という目指すべき音が明確な状況であるならば自ずと「和音」としてのコード構成音として振舞う音と、弱勢にある和音外音(=非和声音)に分類する事が可能でもある訳です。

 つまり、セクショナル・ハーモニーが示す重要な側面は、シンプルな最小単位として表わす事のできる和音構成音と、それ以外の非和声音が指し示すアヴェイラブル・ノート・スケールの呈示に外ならないのであります。

 
 加えて、次の様な例を挙げてみようかと思います。例えば、ふと浮かんだメロディーが某しかの曲に似ている訳でもなく、そのメロディーこそは名曲になる資格を持った極上の旋律だったとしましょう。曲を作ろうと企図した経験の無い者でも一生の内に何度かはこういう経験をする事があろうかと思います。無論、音楽に生きる者であればこういう状況は幾度となく経験している事でありましょう。

 そうして育むべきメロディーという物は殆どの場合、既知の体系を共有して出来上がっている物です。他者が聴いて判る物でなければならないので、既知の音律や音楽体系(=多くの場合は調性やカデンツなど)を利用している物となっており、その「共有パーツ」を利用しても尚、他には無いオリジナリティが具備している状況こそが独自性のメロディーとして作曲者は主張したくなる物でしょう。

 シェンカー分析とはそうしたオリジナリティのあるフレーズをどこまで削ぎ落とす事が可能なのか!? とかオリジナリティの根源を見付ける事に役立つ手法であります。つまり、オリジナリティの骨格を見付け出す事が出来る手法である訳です。ある旋律を限界まで削ぎ落とせば和音構成音の某しかの1音になってしまうかもしれませんし、和音構成音になってしまったらその音にオリジナリティを見出す事は無理でありましょう。即ち、オリジナリティの線引きを明確化する訳でもあり、換言するならオリジナリティというのは和音外音が推進力となっておりオリジナリティでもあるとも言える訳です。

 すると、シェーンベルクの言う経過音が齎している和声的状況とシェンカー分析による調性を志向する時の非和声音という異なる二つの見方はとても重要であるという事があらためて判ると思います。

 即ち、セクショナル・ハーモニーが暗々裡に示している状況=非和声音と和音構成音の充塡は調性の為の指針であり、ジャズ・ハーモニーの場合は巧緻に局所的な部分転調が組み込まれている事で調性が維持され乍ら転調をめまぐるしく転じている状況もあれば、セクショナル・ハーモニーを持ってしても拡張され得る音脈はある訳です。これらの状況に見られる様な差異を本書は見事に答えてくれるのが素晴らしいのであります。

 無論、熟読しない限りはその「示唆」を感じ取る事は難しくなってしまうでしょうし、西洋音楽界隈の言葉に多少なりとも慣れる或いは受け入れる努力が無くては理解に至る事は難しいかもしれません。とはいえ和声的な状況に於ける多くの例外と矛盾を感じ取っている人こそ本書に触れて欲しいと思います。謬見や臆説に到る事なく正しい答を得られる事間違いなしです。


 先の私が挙げた提起以外にも多くの状況を理解する事が出来るでしょう。それが特にジャズ/ポピュラー音楽に於て謬見に陥り易い事が書かれているだけに、道を外してしまいそうな音楽的素養を補完してくれる音楽書として、本書と『コード理論大全』『THE BEATO BOOK 2.0』があれば間違いないでしょう。因みに『ビアト・ブック2.0』にしたってきちんとプレドミナントの側面から教えている訳ですから、ドミナントへ行く為に置かれるそれという物を声高に語っている事はあらためて明確にしておきたい所です。


 扨て、本書の様に悉く詳密に語られる書籍に畏怖の念が宿るのは、その確かなる体系の真実を実感させて呉れるからでありましょう。これがほんの少しでも判りにくくなるだけで読み手は屈伏しなくなる物ですから困った物でもあります。この様な書籍にあらためて信奉しつつ私自身の解釈をあらためねばなるまいな、と感じた事は少なくありません。

 特に、152頁の脚注で述べられる「調 key」と「tonality 調性」の違いについてです。本書は後者を上位概念としている点にはあらためて注目させられるべき一文であります。


 私のブログではこれまで、調(key)を調性よりも上位に位置づけておりました。私の解釈が甘く不充分であったとも言えるでありましょうが、確かに長調と短調は教会旋法の各旋法の性格に括られる物に過ぎず、それらの2種類を重用している状況に過ぎません。それ以上に「調」を決定付けるのはムシカフィクタの役割で調の性格が強まると私は認識していた為、ムシカフィクタを採らない旋法の性格よりもムシカフィクタを採る側の恣意的な作用にて生ずる可動的変化で「長調」「短調」が作られた事で key を上位だと思い込んでいたのであります。

 ミクソリディアを例に採れば、ミクソリディア調という性格が然程重用されずに来たのは、導音欲求が生じて主音への導音として可動的変化が生じれば自ずと移高されたイオニアを生ずるので、結果的に長旋法=イオニアの移高と変わらぬ様にして長音階に収斂してしまった歴史を辿った訳ですが、こうした長旋法や短旋法に「肩入れ」する事を上位概念と私は信じて来たので、その辺りはご注意下さい。

 ですので、今回のブログ記事を機に、過去の私のブログ記事にて key が上位に位置づけられているのを見かけたらご注意下さい。私自身見付け次第文章を変えるつもりでありますが、一気に変更するのは難しいのでその辺りはご容赦下さい(笑)。



 扨て、国内刊行物の事典・辞典関連で「調」と「調性」はどのように取扱われているのか!? という事をこの機会に取り上げてみる事にしました。英名 [key] に言及しているのは以外にも少ないのでありますが、「調性 tonality」が「調 key」よりも上位概念だという事が判るのは、『ニューグローヴ音楽大事典 11巻』に掲載される【調性】である事があらためてお判りになろうかと思います。

 下記に列挙したのは飽くまでも私の断章とした物であり、実際には各様詳細に説明されているのでご容赦ください。その中でも拔萃する程でもない表現を省いているのでありまして、実際には多くの言葉で語られています。



『音楽大事典(平凡社)3巻』 p.1499
【調】 tonality [英] Tonart [独] ton [仏] tono [伊]
本来は中国における音楽用語。
(岸辺成雄)
一般には長調あるいは短調が特定の音を主音とした場合に用いられるが、広義には教会旋法においても主音が決定された場合に調ちいう語が用いられることがある。しかし教会旋法そのものは主音に関係なくオクターヴ内における音の配置状態を指すのであるから、ドリア調、エオリア調などの呼び方はふさわしくなく、主音が決定される場合にのみ、「ニを主音とするドリア調」「イを主音とするエオリア調」などの呼び方が許されよう。
(角倉一朗)

『音楽大事典(平凡社)3巻』 p.1505
【調性】 tonality [英] tonalité [仏] Tonalität [独] tonalità [伊]
旋律や和声などの諸音が、主音や終止音などの中心音によって統一的なまとまりを形づくるような音組織。すなわち音階中の諸音が主音・主和音の支配の下に統一された音程関係を形づくる体系。


『ニューグローヴ世界音楽大事典 11巻』p.5
【調】 key [英] ton [仏] Tonart [独]
ある楽曲あるいは楽句の、それが主音(英語では key note あるいは tonic)と呼ばれるある特定の音に引き付けられる傾向があると感じさせるような特性。
(東川清一)

『ニューグローヴ世界音楽大事典 11巻』p.9〜10
【調性】 tonality [英] tonalité [仏] Tonalität [独] tonalità [伊]
この用語は元来、1821年にカスティル-ブラーズが作ったフランス語の造語で(「tonalité」)、ある調の基本となる音、すなわち主音、4度音および5度音を意味した。〈中略〉理論的な不明確さの裏返しとして、「tonality」とか「tonal」という言葉に与えられた意味の多様性がある。さらには理論の慣用と言語の特殊性からも、用語法がますます分かりにくくなった。つまり一方では、音関係 tonal relationships の領域が極めて複雑であるため、事実と原理のいかなる組み合わせでも考察の対象として選ぶことができ、しかもその特定の組み合わせを指す専門用語が存在しなかった。他方で、音 note とか調 key といった名詞に対応する形容詞が欠けているので、「tonal」という言葉は「調性 tonality」という意味よりも広い領域をカバーしなければならない。
CARL DAHLHAUS(角倉一朗、長野俊樹)



『ラルース世界音楽事典』p.1031
【調】 ton, tonalité [F] key [E] Tonart [D] tono [I]
<調性>の同義語。
(Janine Chagignion)

『ラルース世界音楽事典』p.1032
【調性】 tonalité [F] tonality [E] Tonalität [D] tonalità
(Michel Chion)



『新編 音楽中辞典(音楽之友社)』p.414
【調】 key [英] Tonart [独] ton [仏] tono [伊]
❶調性音楽で、ある曲の中心となる音高。中心音がハ音の場合をハ調、中心音がイ音の場合をイ調とよび、「ハ調長音階」「イ調短音階」などのように用いる。
❷上記①の概念を拡大し、その音を中心音とする楽曲の調性組織全体も調とよぶ。中心音がハ音で長音階を基礎としている場合は「ハ長調」、中心音がイ音で短音階を基礎としている場合は「イ短調」。一般にある曲の調の種類が問われる場合、この②の意味である事が多い。
(①②秋岡陽)

『新編 音楽中辞典(音楽之友社)』p.415
【調性】 tonality [英] Tonalität [独] tonalité [仏] tonalità [伊]
〈中略〉全音階的なシステムを基盤にしながらも、中心音の働きが弱いものを汎調性とよぶ。
(沼野雄司)


『新訂 標準音楽辞典』p.1125
【調】 key [英] Tonart [独] ton [仏] tono [伊]
(①辻井英世)

『新訂 標準音楽辞典』p.1128
【調性】 tonality [英] Tonalität [独] tonalité [仏] tonalità [伊]
フェティ F. J. Fetis がその著《和声論 Traité de l'harmonie》(1844)のなかで定義づけた概念〈中略〉しかし調性がもっとも強く確保されるのは前記の機能和音にもとづいたもので、ここでは和声と旋律とが一体となって調性を確保する。〈中略〉和声語法は半音階的な非和声音や浮遊的な調性の横溢によって極度に複雑になり、ふたたび主音と和声進行は機能的脈略を弱めていった。
(佐野光司)



『音の百科事典(丸善株式会社)』p.149
【音階】〈中略〉普通にいう"音階"はすべて、基本音階(ground scale)、均(key)、旋法(mode)、調(mode-key)の観点から比較検討する必要があるということである.


『究極の楽典/青島広志 著(全音楽譜出版社)』p.110
【調号の実際】 調は、その主音によって固有の高さを持っていますから、長調だからといって、すべての長調が同じような雰囲気や感じを持っているのではありません。



 青島広志が示唆しているのはモダリティという状況を踏まえて捉える必要性であり、これは物理的な音高が変われば移調に過ぎずとも音圧(loudness)、音色(timbre)などが変化する為、音楽を聴取する上で脳内に多くのスキーマを持つ人ほど差異感を知覚する事になり、単なる移調であろうとも実際には聴こえ方が異なるので楽曲の性格を移高しただけの変化として捉える事が難しくなるという事を同時に意味するのであります。

 ブゾーニの恣意的な7種のコンポジット(人工的)な音階が広く承認を得ない背景にあるのは、ブゾーニ本人が調性を長調・短調以外には認めなかった姿勢にあると言えます。

 斯様な諸点から調および調性の違いなどを理解した上で、そうした世界観で用いられる事になる「和声」をあらためて吟味してもらえば、より音楽を深く堪能できるのではないかと思います。騙されたと思って『ハーモニー探究の歴史』を手にして読んでみて欲しいと思います。特にジャズ/ポピュラー音楽界隈の人々は目から鱗が落ちる事でありましょう。