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『ハインリヒ・シェンカーの音楽思想』を読んで [書評]

 調性音楽の音楽的文脈や骨格を分析にするに当り「シェンカー分析」や「シェンカリアン」という言葉を、音楽を志す者は一度は耳にした事があるとは思います。機能和声にて厳格に取扱われるのは長調の世界観であり、短調というのは多義的な側面を多く含みますが、それを解釈する側には多義的な解釈のままを許容せずに一義的な解を求める様にして解釈しようとする者もおります。とはいえ、音楽を分析・解釈するに当っては個人の裁量でどうにでも許されるという物でもなく、音楽の分野はこうした個人的な裁量という良心を万人に向ける様な事はしない程に実際には手厳しい物であり、誰にでも自由発想を許容する様な物ではありません。西洋音楽に客足を向けようとする時というのは概して優しさを伴い敷居を低くして温かく迎えるものですが、ひとたびその世界に身を投じると、界隈の厳然たる流儀や個人の主観・臆断を許容せずに形式や様式の在り方を厳しく取扱う事に歎息してしまう人も少なくはないでありましょう。


 先蹤を拝戴するという事がどれほどまでに厳然たる物かを知るというのは良い機会に恵まれていると言えるでしょう。音楽を深く探究するという事は、音楽の「文法的」な側面を分析しようとする物です。物理的な高低差など実際には周波数値の増減でしかないのに、音楽が心の中に宿るとそれが坂の勾配であるかの様に、労苦や享楽を伴い、時には何も悲しむ要素など無い筈なのに涙してみたり、音が心に宿ると音楽は多くの「悪戯」という仕掛けで人の心を弄びます。否、その弄びの源は作曲者の意図であった筈でありましょうが、そうした心理面の仕掛けという物は作曲者の側が「聴き手は這麼感じるであろう」という事を予期して作っていたりする物なので、聴き手がおめおめその術中に嵌るのを聴き手の多くは許容しているのが西洋音楽の世界観のひとつでもありましょうし、西洋音楽のみならずとも聴き手が好む音楽ジャンルを楽しむ時というのは概して作り手と聴き手の心理は合致し易いフェーズに位置している事でありましょう。


 調性音楽というのは大別すれば、和声機能としてはトニック(T)、ドミナント(D)、サブドミナント(S)なのでありますが、この3種類を聴けばどれもが同じ楽曲になってしまうという訳ではない事は素人にも判る事でしょう。同じ音律、調性、音階を用いても全く異なる曲が作られる様に、楽曲の特徴は何処に在るのか!? 加えて、作者が意図する楽曲の高潮点や喜怒哀楽への傾倒具合を分析するに当ってシェンカー分析というのは、楽曲の特徴的な最小限の骨格部分や表情の源泉を探ろうとしている体系のひとつだと理解してもらえればシェンカー分析という物をざっくりと理解できる事でしょう。

 例えば、ベートーヴェンの『エリーゼのために』の最初のひと節を挙げてみると、この節の最大の特徴は属音の半音下に下接する刺繍音の後に登場する下属音とのメリハリが、属音という機能を最大限に高潮させて主和音に行き着く、という情感のメリハリがたった2小節の間に表現されているのが判ります。これらの2小節の間で最も特徴的な属音と主音だけを遺した時、これらだけを耳にして「エリーゼのために」だと峻別する事は甚だ難しくなる事でありましょうが、シェンカー分析というのは、音階の音組織とそれらを装飾する音という物に対してそれほど厳然たる区別はしない物の、音楽の特徴的な骨格を探るという事で一役買う手法の一つなのであります。

 ハインリヒ・シェンカーとて過去の大家を分析するにあたって、他の分析とは異なる事で論駁を繰り返したという経緯など、そうした詳らかな部分が書かれているのが、今回こうして書評を述べる事になった西野絃子著『ハインリヒ・シェンカーの音楽思想』(九州大学出版会)という訳であります。シェンカーを取り巻く音楽史や他の人物との相関関係などの比較考察や音脈の「音素」とも言える文法的な分析やらはチョムスキーすら引き合いに出される程であり、本書では広範な視点からシェンカー周辺に伴う音考察を敷衍しているので非常に判り易く、且つこうした硬派な視点で語られる本に遭遇する事は個人的にはとても喜ばしい物です。

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 単にシェンカー分析を学ぶ事に終始するのであるならば、アレン・キャドウォーラダー/デイヴィッド・ガニェ著 角倉一朗訳『調性音楽のシェンカー分析』(音楽之友社)に目を通せば良いでありましょうが、シェンカー分析というのはひとつの方策に過ぎない物であるという事も同時に知って欲しい部分です。音楽の線的構造には律動というリズム面も伴う物で音高だけでは秘匿されてしまう部分も存在しますし、音高に加えた律動、更にそれらに装飾的なアーティキュレーションを伴わせるか否か!? で音楽的な雌雄関係すら決まる状況も西洋音楽には存在します。決して男性終止や女性終止ばかりではなく、男性律動・女性律動というのもあったりする物です。シェンカーの場合、装飾音という特徴的な和音外音には曖昧模糊としている部分があるので分析するにあたって実際には厳格な取扱いをしない部分もあったりする物ですが、音楽の骨子を捉えるという意味でシェンカー分析という方策側だけでしか分析しない様な着眼点と成していないのが『ハインリヒ・シェンカーの音楽思想』の評価すべき点であると言えるでしょう。音楽的情緒という「クセ」をこれほどまでに客観視して語られているのは、まるで医師が患者を診察するかの様な俯瞰した様な捉え方で分析されており、その詳密な内容に満足しうる物であります。

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 尚、脚注に関しては当該箇所の頁毎に配されるタイプなので、注釈ひとつひとつに重し付けをさせ乍ら読み続けて行ける類なので私個人としてはとても好ましい物です。また、西野氏は博論も多く参考になる為、藝大図書館などに足を運んでみたりするのも良いかもしれません。国立国会図書館の関西館にしか無い博論でも東京に取り寄せて閲覧する事は可能なので、ノートPC片手に写本できるスペースもあるので論文の方にも目を通されてみる事をお薦めします。