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エッティンゲンに見るDクレフ [楽理]

 唐突ですが、今回はエッティンゲンが用いた「Dクレフ」について語る事に。D-clef すなわちニ音記号とでも訳せば良いでしょうか。Arthur Joachim v. Oettingenに依る1905年の論文 'Das duale System der Harmonie in Annalen der Naturphilosophie' 4 - 126頁にて用いられるのでありますが、このDクレフが意図するのは、通常の五線譜がその第3線を中心に採る事で、上下に示される音高が視覚的に対称構造を容易に得られるのが利点とする物であります。嘗てTwitterにて呟いた事もあるのであらためてご参照いただければ幸いです。

Das duale System der Harmonie(和声二元論 関連論文) / Arthur Joachim von Oettingen






 楽譜という物は本来、1つの音と1つの線分を用意する事に依り少なくとも3種の音高を表わす事が出来るという所から発展している物です。楽譜の構造を繙いてみれば、次の例の様にして玉が線分に上接する形、線上に玉が置かれる形、玉が線分に下接するという3種類の視覚体系で3種類の音高を示そうとする企図する物であった訳です。

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 楽譜とは元来音高のみが優先され、歴時は示されなかったのであります。我々が五線譜を覚えるにあたって前提とする「全音階」という物は、「ドレミファソラシド」という音階が実際には全音と半音の音程関係が不均等であるにも拘らず、五つの線を用いて書かれる時には、「線上」にあるか、もしくは「間」にあるか!? という不文律に服従して覚えさせられる物でありまして、単なる対称構造を採るのであれば「レミファソラシドレ」という列びの方が、全音階の中でも上下の音程構造は対称形となるのでありますが、音楽的な対称構造という物は不思議なほどに回避される様な所があります。

 それというのも、音高を排列するに当りそこに生ずる「対称構造」という物は概して全音階的ではなく不協和な世界観に寄り添う様になりかねない為、こうした対称形は「均齊」構造を呼び起こす事にもなりかねず、そこから生ずる世界観は自ずと十二音技法という、半音階を均一に排列させた世界観に結びついてしまう事にもなる為、初学者には迷妄を来す事になりかねないのでこうした「均齊」の世界観は避けられやすいのであります。

 同時に、音楽的初学者が楽典を学ぶに際し、全音階が「不均等でいびつな音階」だという事も知らされる事は無いでしょう。「不均等」「いびつ」という言葉は少々ネガティヴなイメージを伴いかねないからでありましょうが、よもや「ドレミファソラシド」がいびつな構造だと知らされる事は先ず無いかと思います。こうした側面を知る人は高次な音楽教育を義務教育のそれとは別に習得している方が殆どでありましょうし、義務教育課程の知識だけしか身に付けずに自力で器楽的素養を高めようと企図した人にしてみれば、自身の器楽的素養がある程度行き着いている状況で楽典を見渡すと、あまりに素朴で厳格な取扱いに歎息してしまう事すらあるかもしれませんが、対称的な構造という物は不協和な状況を生む物です。

 音程比2:3など、ギタリストからすればパワー5度であります(笑)。これほど協和する完全五度音程とて、半音階の音程構造で見れば7半音なのでありますから1オクターヴを不均等に割譲している状況である訳でして、1オクターヴを均等に半分にするのであればそれは「√2」という三全音なのですから不思議な物です。


 加えて、ピアノを学んでいると鍵盤の物理的構造に対称形がある事を感じ取る様になります。その対称構造の中心は「ニ音=d」に在る事は勿論「嬰ト音/変イ音=gis/as」にも在るという事を知る事になります。タケモトピアノのCMにて財津一郎さんが立っている場所がまさに「嬰ト音/変イ音」の延長上で、ト音とイ音を跨いでいる訳でありますね。「みんなまぁ〜るく」というのは、等しく均一なる事を意味しているのでしょうから、鍵盤の物理的構造の中心にポジションを採るというのは熟慮された物である事に気付く訳でありまして、それは人間関係の「不協和」を生む為の均齊構造とは異なるという事もあらためて知っておいて貰いたい所であります。


 全音階に包含される「レミファソラシドレ」が対称構造になっているという事はドリアン・スケールが対称形であるという訳ですが、短調の世界というのは和声が発展する以前はドリアが優勢であった事が知られており、調号に関しても、ハ短調である筈なのに譜面がト短調の調号という風に変種調号ならば変種記号が1つ少ない属調のそれで書かれる事があるのは何も移調譜なのではなく、こうした時代背景に基づく物であります。短調の第6音がドリアのそれのシャープ・サブメディアントではなく主音から短六度上にあるフラット・サブメディアントになったのは、属和音に進行する際に、属音への線として下行導音を得る様にする為に作られた物でありまして、元来はドリアが長い間優勢であった訳です。そういう意味で考えるならば、対称形の方を好んで用いていたという事が驚きであります。何しろ対称構造は実際には「不協和」な状況を生むのでありますから、音律とて純朴な時代にてこうした方面が熟成されていた事を思えば、今一度我々は「協和」ばかりを標榜して已まぬ感覚を有している訳ではないという事もあらためて理解におよぶ訳であります。


 扨て「Dクレフ」の話題に今一度戻りますが、この特殊な音部記号が広く知られる様にならなかったのは、エッティンゲンの論文だけに用いられたという背景もあるでしょうし、何より「音部記号」の部分の視覚的な表象に頼りさえしないのであるならば、五線譜の第3線をニ音と採るのであるならばヘ音記号の第3線がニ音である事を鑑みればそれでも充分な訳であります。この様な背景から広まらなかったと推察に及ぶのでありますが、いずれにしても五線譜を図形的に見た時、第3線がニ音であるならば、楽譜上に変化記号無しの幹音で記された和音の「音程構造」は上下を反転しても対称形となる訳であります。

 次の譜例1でのDクレフおよびヘ音記号に書かれた和声の音程関係は、音程が上下に「反転」した構造となっているのが判ります。あくまでも「音程構造」が対称形となっているという意味です。

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 同様に譜例2というのは、音程構造の対称関係と音高の整合性を採る為に、横軸と縦軸も反転する対称構造と成している物です。

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 次の例3の様に、横軸が反転する状況が旋律的に逆行している場合は「鏡影カノン」として松本民之助は自著『作曲技法』にて紹介しております。

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 同様に、次の例4に見られる様に横軸も縦軸も対称形を採るのは「蟹行カノン」として紹介されている物です。

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 先のエッティンゲンのDクレフで示した鏡像は旋律形としては明示しておらず和声的な状況でしか明示していないので、それを「カノン」と称するのは少々飛躍する所があるのですが、エッティンゲンのそれが示す対称形は、和音の「音程構造」を照らし合わせる物となるので、原調から大きく遠隔調をも行き来する様な曲想に於て、そうした遠隔的な和声状況が原調に対してどのような音楽的な磁場で生ずるのか!? という事を音程構造で分析する事が容易になる訳です。いわば、和声二元論における「Tonnetz」という状況を音程構造として例示し易くしているのであります。つまり、Dクレフ五線譜の第3線から上下に備わる音は常に「音程差」を示す物に成り得るのであります。


 次の例5のDクレフでは最初の小節に「A♭△7」の第1転回形を示しております。この転回形が示す音程構造を第3線からの距離として上下に対称的に表わしたのが後続小節で示された物となります。お判りの様に、この和音は「A△7」の第3転回形であり、先行和音の対称関係となる訳であります。

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 どのような調域を想定しようとも「A♭△7」と「A△7」が併存するモードを想起するという状況は非常に難しい事でありましょう。然し乍ら柔軟に発想を変えて次の様に解釈する事にしましょう。

《ハ長調を原調とする音社会の中で「A♭△7」というノン・ダイアトニック・コードが生じた状況にて、更に高次なクロマティシズムを演出する為にベースが次の様な音列を用いてウォーキング・ベースのフレーズをスケール・ワイズ・ステップで下行形を採る。》

 その様な状況が次の例6であります。Dクレフ上の上行ラインは「A♭△7」で使われるアヴェイラブル・モード・スケールなのでありまして、それに「対称的に」呼応する鏡像形の下行形は結果的に、「A△7」でのアヴェイラブル・モード・スケールを生む状況なのでありまして、これは対位法的アプローチとも言えるシーンなのであります。下行形で生じた鏡像フレーズはひとつの調性に準則しようとはしてはいないものの、ひとつの主旋律に対して「音程」を準則させている訳です。「A♭△7」から生ずるモードを主体に見立てれば少なくとも「C♯音とF♯音」の発生は異端である事でしょう。更には、「A♭△7」に対して生じたアヴェイラブル・モード・スケール=A♭リディアンに対して「C♯音とF♯音」を併存させる様にしてダブル・クロマティック・フレーズを形成させる自由というのもベースは選択肢にあるという事も忘れてはならない事です。


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 音部記号の視覚的な表象に拘泥する事が無ければ、先述した様にDクレフで生ずる第3線をヘ音記号のそれと同様に読み替えても何ら問題はありません。この手の事を詳しく学びたい方は、Suzannah Clark, Alexander Rehding 共著 'Music Theory and Natural Order' from the Renaissance to the Early Twentieth Century をお薦めします。

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 余談ですが、FinaleでDクレフを設定するのは簡単で、物の1分も掛からない物です。設定としては次の様に設定すれば良いのですが、フォントは Times レギュラー18ポイントで設定するのが良いかと思います。

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 楽譜の五線譜という物は、全音階を当て嵌める事で総ての音が等しく嬰変の変化記号が頻出する訳ではないので、出現頻度すら等しく考えるならば楽譜の「線と間」の数を再考するという事も先人達は色々と手段を講じておりました。シェーンベルクよりも前に12音排列(トローペ)を発見していたヨーゼフ・マティアス・ハウアーは八線譜を用いていた事も知られておりますし、同時期のブゾーニは自身の三分音(全音の三分音、2全音六分音=36EDO)を六線譜で表わそうとした物です。

 次の六線譜に依る例7は、白抜き符頭と黒丸符頭の夫々で2種類の全音音階(=ホールトーン・スケール)を表わしております。つまり、「線」と「間」は夫々が等しく半音である事を意味しております。つまり、この六線譜上では嬰変の変化記号を用いる事なく半音階を示す事が可能となる訳です。

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 同様に、六線譜上にて各全音音階上の音に対して嬰変の変化記号を附与した場合《変種は三分音低く|嬰種は三分音高く採る》という事を示す物なので、それらの変化記号は通常の半音上げ下げとしてではない嬰変記号という風に読む必要があるのですが、三分音系列の表記はともかく半音階を六線譜で示す事で視覚的には非常に楽に峻別が可能である事は自明です。

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 なお、符頭が夫々異なるのは2種類の全音音階の存在を明示した物であり、間にある音を白抜きの符頭/線にある音を黒丸の符頭という風に固守する記譜法ではない事も誤解なきようご理解のほどを。


 楽譜上に於て、特定の音だけに変化記号が必要とされる状況を忌避して考えられた事で、五線譜は必ずしも総じて六線譜や八線譜に姿を変える訳ではありませんが、楽譜の太古の時代をも鑑みて先蹤を拝戴して現代にフィードバックしたエクィトーンやクラヴァール・スクリボを利用した物もあります。軈ては訪れるであろう四分音を利用した音律体系に於て五線譜のままで良いのか!? という議論が起こる事も珍しくはなくなった現今社会に於て、視覚的な妨げにならない様な楽音の等しい取扱いとは何なのか!? という側面をあらためて振り返る事は良い事かもしれません。なにしろ、そこには不協和な社会を吟味する事に繋がるので、協和と不協和のコントラストは更に強まる世界観を演出する事になるからであります。


 ブゾーニや微分音の方面に目を向けると、ヴィシネグラツキーは次の様な十三線譜を用いて "Ultrachromatique" を表現しております。十三線譜の内の中央第7線を三全音である fis という風に示し、両端の第1・13線上で1オクターヴを示す物です。「Fis’」という風にアポストロフィーが示しているのは、第1線が一点ハ音であるという事も同時に示している訳です。近年ではこれに類する様な記譜法として一部界隈にてムトウ記譜法という物もあるようですが、線と間を巧みに利用すれば其処に大きな差はありません。

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 今回、対称構造を話題にした事で多くのシーンで役立てられる重要な事は、上行スケールに対して鏡像の音程構造となる反行形を用いるアプローチの部分であると言えるでしょう。ハ長調を原調した過程で生じた「A♭△7」というノン・ダイアトニック・コードは調性(原調)に準則しているでしょうか? 答はノーです。では「A♭△7」という和音はどういう社会に準則しているのでしょう? 答はその部分では多義的です。和音構成音しか示されないのであれば、その和音構成音を包含するモードを幾種類か想起する必要があるので一義的な答は得られる事はなく多義的となります。加えて、和音構成音とは別に、ヘプタトニック(7音)を充たす事なく和音外音が2音ほど附与されたとしても、ヘプタトニックとしてのモード・スケールを一義的な解として結びつける事は出来ないので多義的な解釈とならざるを得ません。

 こういう状況で「準則」というのはやや荷が重い言葉でありましょう。「A♭△7」という原調には無かった和音の出現は単に一時転調とも見做す事が出来る訳です。然し乍らその「一時転調」を好意的に解釈するならば、それを「別の調性と結合する相性」とも解釈する事が可能でありましょう。その「相性」というのは原調との音組織に間に介在するノン・ダイアトニックの音組織への音程という名の「距離」なのでありまして、これこそが音楽的な磁場なのであります。

 準則しきれていない音社会にて別の磁場の解釈を呼び込んで新たなる音脈を構築する事に何の誹りを受ける必要もありません。そういう意味でウォーキング・ベースにて用いられるアウトサイド・フレーズというのは対位法的発想からインスパイアされた手法を伴っているとも言えるでありましょう。ウォーキング・ベースのアウトサイド・フレーズが総じてこういうアプローチに収束する物でもありませんが、少なくともアヴェイラブル・モード・スケールの範疇しか知らなかった者がこうしたアプローチに触れるだけでも新たなるアイデアとして活用可能でありましょうし、こうした音脈の採り方は凡ゆるクロマティシズムの採り方へ昇華できる物であります。


 アーサー・イーグルフィールド・ハルが著した『近代和声の説明と応用』に述べられる "Generator" とは実に多くの示唆がある物です。次の大譜表の譜例1〜4の上声部は [gis・h・d・f] の減七であり、1番の上声部のみそれを「短属九」として示す様にして仄かに [e] を附与しております。これら1〜4の減七和音に対して下声部はどのようにして附されているのかというと夫々 [e - g - b - cis] という風に、これまた短三度(セスクイトーン)上行で赤く示した音が出現しております。

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 扨て、赤色で示した音というのは各減七和音構成音からみれば和音外音であります。無論、1番を短属九として解釈するならば、下声部 [e] はオクターヴ重複である事が判りますが、他の2〜4番の減七の和音と対照させてみても夫々の減七に対応した下声部 [g - b - cis] はあらためて和音外音であるという事がお判りになります。


 減七の和音である1〜4番の和音構成音は変化は起きていない同一の4音 [gis・h・d・f] に対して、別の脈絡である4音 [e - g - b - cis] が新たに創出されているという事が読み取れれば良いのです。これらの和音構成音=4音と和音外音=4音を俯瞰してひとつの音組織として見立てのがコンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケールなのでありますが、減七に対して和音外音としてのセスクイトーン進行の創出という状況がコンディミという、こうしたジェネレーターと称される脈絡を現今のジャズ/ポピュラー界隈での狭い音楽観にて音楽を見渡している人はまず理解に及ばない事かもしれません。

 これらを基に、上声部の減七を異名同音で読み替えた時、「2b」では [e + as・h・d・f] として見る事ができる訳ですが、これをCハーモニック・メジャーの断片として見立てる事も可能なのであります。

 同様に「3b」ではA♭ハンガリアン・マイナーの断片として想起する事も可能でありますし、「4b」ではC♯ミクソリディアンの断片として見立てる事が出来るので、これらは必ずしも「E7(♭9)」というコードで得られるアヴェイラブル・モード・スケールよりも遥かに視野を拡大させた領域でモードを俯瞰している事が判るかと思います。こうした異名同音を利用した物は同義音程の位置として拡大解釈させた見渡しであります。他にもハルの著書では短和音を基に長七度、短九度、増十一度の和音や短七度・長九度・増十一度が付与される和音など非常に複雑な和音体系を知る事ができる物であり、こうした側面はもっと広く敷衍されるべき内容であると私は思います。こうしたハルのジェネレイターを巧みに利用した応用例は、渡辺香津美の有名な曲「Unicorn」でのマイク・マイニエリのソロが終わった後のブリッジに見る事が出来ますが、コンディミとやらを属和音でのオルタード系統の音脈としてしか使えない様な凡庸な者には無用の長物かもしれません。

 この様な特徴的な例で最も注目すべきは、上声部と下声部夫々で別の調域を示唆する所にあります。オン・コード表記というのは実際にはこの様に上声部とは別の調域である音組織をも見越した上で上声部には従属しない表記としても使用されるので体系なのでありますが、そうした複調を示唆する楽曲使用例が少なくなるにしたがっていつの間にか分数コード(≒スラッシュ・コード)と同様の使い方になってしまっているという現今社会に蔓延り、いつの間にか表記の簡便性や慣用表記として分数コードとオン・コードは混用される様に変化しているのが実際です。


 話を戻し、単なるセスクイトーン進行を強行させるだけでこうしたジェネレイターの音脈を随伴させる事が出来る物ですが、私がYouTubeで示したセスクイトーンにてそうした示唆を読み取れている人は恐らくそう多くはないと思わせる物ですが、いずれ「線の強行」として語る事もあるでしょうから、答を焦らずにクロマティシズムを吟味していただければなと思う事頻りです。