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六度進行をジョージ・ベンソンに学ぶ [楽理]

 今回はジョージ・ベンソンの或る1曲を例示し乍ら曲中の特徴的な和音進行から楽理的に考察する内容となります。Twitterの方でも次のブログの話題はジョージ・ベンソンと呟いておりましたけれども、私が分析するとなると兎角冗長と成すのは読み手の方も推測に容易いとは思うのですが、単に長ったらしいだけではなく楽理的に目を瞠る物を見出せる様な、そうした高潮点を用いて論じていこうかなと思います。


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 扨て、今回例示する曲というのは、83年に発売された『In Your Eyes』というアルバム。私は越年した84年春に手にしたのでしたが、実は手にする迄に私の中で躊躇させていたのが、本アルバムにジェイ・グレイドン等が連名で作共作した曲「Turn Your Love Around」という、その後のEASTEND+YURIが「DA・YO・NE」にてパクった(その後解決金を払っている模様)曲が収録されていなかったのが残念な所。


 
 当時、日本テレビ系列で放送していたタモリがホストを務める「今夜は最高」の冠スポンサーが後楽園球場の電光掲示板でお馴染みのパイオニアだった訳ですが、そのパイオニアが力を入れていたミニコンポのステレオのブランドが「Private」。フルセットならば当時でも40万円以上していたものです。

 当時のCDプレーヤーは私の知る限りではミニコンポ・サイズでのソニーの16万8千円の物しか記憶にないので(ソニーは自社ミニコンポのブランドLibertyのレイアウトに合わせるように筐体を設計していた)、privateシリーズにCDプレーヤーがあったのかどうかは記憶が定かではありませんが、CDプレーヤーなど無くともそれ位の値段はしていたのが当時のミニコンポ状況。

 然し乍ら実際には色んなメーカーの特化した機器を買い揃えた方が圧倒的に音質が優れていたので、概ね当時の中高生は30〜80万円位のオーディオを入学・卒業記念で買い与えられるのが平均的な状況ではなかったかと記憶しております。80年代初頭の中高生というのは上の世代のフィードバックに加え、親御さんからすれば不必要な「薫陶」を享けている物ですから目と鼻の利くガキ共が多いという印象で私自身羨ましかったものでした(笑)。時給500円にも満たないアルバイトでコツコツ貯めて稼いで買った私の人生初のCDプレーヤーは1985年の事。それを思えば私の羨みもお判りになっていただける事でしょうか。

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 とまあ話が大きく逸れましたが「Turn Your Love Around」という曲はシングル・カットされた曲でして、直近の2枚組LPで出ていたジョージ・ベンソンの『The GB Collection』というリリース後にシングル・カットが為されたが為に『In Your Eyes』でも収録されなかったという事があって、この「Turn Your Love Around」は収録するアルバムが無いままシングル・カットされた地位だけが残される事になり、非常に残念だった訳です。

 その後『The GB Collection』がCD化(※CD化の際は1枚に収録)される時に初めて「Turn Your Love Around」が収録される事になったという変遷を辿った状況と、不確かな記憶ではあるものの私はその様に記憶しております(※これは私の記憶違いという事がその後判り、アナログLP2枚組『GB Collection』にも収録されておりました)。次の様な『In Your Eyes』の裏ジャケを見ると、当時のパイオニアのPrivateのCMにもこんなシーンが登場していたと思うのですが、こうした関連性を持っていても何故かアルバムに収録される事の無かった行き場の無い情況だったと。
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 という訳でアルバム『In Your Eyes』に「Turn Your Love Around」は未収録。そこでリリース日に合わせて買うのに躊躇してエアチェックから、カヴァーとなる「Feel Like Makin' Love」などを聴いて、そのクオリティに納得して手に入れたというのが当時の私の状況だったのです。

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 その後1年位するとノエビア化粧品のCMにて「Feel Like Makin' Love」が使われるという訳になったのです。確かその前のノエビア化粧品のCM曲ってリマールだった様な気がするのですが、だいぶ古い事なので記憶が曖昧な部分もありますのでご容赦を。

 余談ですが「Feel Like Makin' Love」はジョージ・ベンソンの手に依るカヴァーでして、元は言わずもがなですがロバータ・フラックですね。ロバータ・フラックは実は83年にも良い曲を残しているんですが、これがCD化されないのですね。ダーティー・ハリー4の「Sudden Impact」のサントラはCTIでもお馴染みラロ・シフリンが手掛けているのですが、そのアルバムに収録されている曲「This Side of Forever」が是亦結構な佳作なのです。このアルバムは海外でCD化はされているものの、ロバータ・フラックの唄うそれは割愛されていて収録されていないというのが残念な点であります。







 話題が逸れたのでジョージ・ベンソンに話題に移りますが、「ブラック・コンテンポラリー」というジャンル名で総称されていた頃の、AOR、R&B、クロスオーバー、フュージョンというジャンルが混淆とする世界観に於て、ジョージ・ベンソンは唄う事で本来のジャズ・ギタリストの色は失って迷走感すらあった物です。ただ、楽曲を能く聴くとそこは矢張りジャズ・ギタリスト。充てるコードに非凡な点が随所に見られる訳ですね。

 そして私はアルバム『In Your Eyes』に収録の「Use Me」の中に「六度進行」の好例を見付ける事になるのですが、簡単に言えば下方五度進行をしない弱進行のひとつに括る事ができますが、そうした六度進行の絶妙な側面を例示するに好例となるであろうと思い今回語る事にした訳です。

 Twitterでも呟いていた事ではありますが、六度進行というものを実感してもらう為に次の様な例を出す事にしましょう。例えばハ長調でのツーファイヴ(Ⅱm7 -> V7)というコード進行をトニック(T)に解決させずに「Dm7 -> G7」というコード進行を1セットとして捉える事にしましょう。このセットを「甲」としましょう。

 次に他のセットを新たに用意します。今度はホ長調域でのツーファイヴ。つまりは「F#m7 -> B7」です。このセットを「乙」とします。

 最後にもう一つ他のセットを新たに用意します。これは変イ長調域でのツーファイヴ、この場合のセットは「B♭m7 -> E♭7」という事になり、このセットを「丙」とします。


 扨て、これらのセットを「甲乙丙」と竝べると、それらのコード進行は「Dm7 -> G7 -> F#m7 -> B7 -> B♭m7 -> E♭7」と進む事になります。各ドミナント7thコードの後続和音は脈絡が稀薄になるものの、長調組織に於けるトライトーン代理(=裏コード)に依る調域のモーダル・インターチェンジという要素も含意となってはいる訳です。

 これらの調域は長六度/長三度という等音程で隔たれており、謂わば大局的なクアジ・エクィディスタントが見えて来る訳です。こうした六度進行で得られたセットを「甲丙乙」という風にして進んでも問題はありません。加えて、長六度/短三度等音程の調域を考える事も全く問題はないのです。その場合コード進行は「Dm7 -> G7 -> Bm7 -> E7 -> G♯m7 -> D♯7 -> Fm7 -> B♭7」若しくは「Dm7 -> G7 -> Fm7 -> B♭7 -> G♯m7 -> D♯7 -> Bm7 -> E7」と進行させても良いのであります。

 これらの進行の特徴は、各進行間に於けるドミナント7thコードが下方五度進行をしていない脈絡の稀薄さにあります。こうした脈絡の稀薄な箇所でも巧いこと「着地」ができる様にフレージングを試みると、長三度等音程の側では次のデモの様にして遊ぶ事もできます。
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 1小節目は4拍目で四半拍半(=付点16分)フレーズが出て来る位で音高面では特に注意をする部分はありませんが、2小節目では1〜2拍で作られているG△の分散に加えてG△本来が内在している三全音 [f - h] を「砕きの動機」として導出する為に、G△の分散の下向直後にf音を充てます。この三全音組織に対して「仮想的に」私は次の後続調域である [a - dis] を見据えているのですが、その [a - dis] と鏡像になる様に [cis - g] の三全音を想起して2〜3拍目のフレージングとして揺さぶりを掛けているのです。「A♭音」が出て来るのはG7上の♭9thを示した事に依る便宜的な物で、仮想的に想起した先の三全音の異名同音である事は謂うまでもありません。そして4拍目は後続調域(=ホ長調)とのコモン・トーン(=共通音)を用い乍らのアンティシペーションを使っているので、G7コード上であるのにF#音が出て来るというのはこうした理由からです。その直後にG♯音が出て来る理由も、先行のA♭音との異度由来の音である事を示しているが故の事なのです。

 3小節目は特に変わったアプローチは採っておりません。4小節目ではリディアン・ドミナント7th(=リディアン・♭7th)系統のモードを想起するに相応しい響きにしている為、E音由来の音は変化音として「E♯」と表記されます。亦、2拍目ではアタマ抜きの5連符が挿入されているため、こうしたリズム感覚や先の付点16分の体得の為に見逃して欲しくない箇所であります。E#音を導入しつつ、F♯♯音が用いられるのも、一時的にG♯ナポリタン・メジャー・スケールの第3音のモードに変る為でもあります。無論G♯ナポリタン・メジャーのモードを示唆つつも異名同音にて後続調域(=変イ長調)との異名同音に依るコモン・トーンにして連結させているのです。

 5小節目では重変ホ(=E♭♭)の表記が気になるかもしれませんが、B♭マイナー上のブルー四度(つまり減四度=変ロから相対的には重変ホ)という扱いでこの様に表記しました。それがある事で後続のE♭音に向けてクロマティックで下向できるという強引な物でもあります。その後は特に難しい事はせずに、7小節目にてコードではDm9にて短七度を包含する筈なのにC#音を用いるのはこれまでの私のブログをお読みいただければお判りになる事でしょう。特にA・レイ・フラーのパルチド・アルトが参考になると思いますし、その後の4拍目のG♭音は「減四度」というのも、スティーリー・ダンの「Black Friday」について詳悉に語った事を思い出していただければお判りになる事でしょう。残りはオルタード・テンションで片付けておりますので卑近です。ですからベースもキーボードも抜いているのです。この後のデモは用意しておりませんが、短三度等音程の調域を想起はしており、後続は「Fm7 -> B♭7……」という進行を睨んでおります。


 そういう訳で「Use Me」の前フリとして語った訳ですが、「Use Me」の大局的な楽節の流れは少々特殊で巧い事ハーモニーを追わないと器楽的な着地点を見付にくい曲でもあります。何故かと謂いますと、この曲はイントロを除くとパターンAに対してブリッジⅠ・Ⅱという夫々4小節ずつのブリッジの後にパターンBが来て、パターンBの後に今回レコメンドする高潮点の箇所のブリッジⅢが挿入され、その後にパターンC(サビ=コーラス)が来てブリッジに戻るという風に、ブリッジとして挿入されるコード・ワークが後続のパターンの行方を物語る重要な流れになっているので形式的に複雑になっているのです。各楽節をYouTubeの動画にて確認すると次の様に充てる事ができます。




0:00〜 イントロ
0:20〜 A
0:38〜 ブリッジⅠ
0:48〜 ブリッジⅡ
0:57〜 B
1:16〜 ブリッジⅢ
1:25〜 C
1:39〜 Intro2

 扨て、前述の様に、この曲での「高潮点」はブリッジⅢに現れまして、コード進行も曲中で最も拘りを見せる所です。茲には非常に顕著なドミナント7thコードが後続に対して下方五度進行をせずに弱進行をする例が見られます。その解決感の無さは平時ならばどこか「生煮え」感を伴う事もあるでしょうが、本曲の場合、メロディの節と和音全体が齎す不透明で複雑(アッパー・ストラクチャー部を際立たせる正視しない感覚)な和音が、「行こか戻ろか」という様な躊躇を見せる様な逡巡感覚がとても曲想に合っているのです。その妙味とやらを次のコード譜で解説する事にします。

 
 次のピアノロールでのメロディとコードを見ていただければ「ブリッジⅢ」はお判りいただけるかと思います。先頭の2つのコード「Fm7 (on B♭) -> E♭△9」は、先行パターンであるBの最終小節の3・4拍を表わしております。なぜなら1拍ずつコードが変るからであります。それはYouTubeの方からお判りになることでしょう。
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 この曲の最たる特徴は、和音の基底部ではなくアッパー・ストラクチャー方面を際立たせているのであります。概ねマイナー11thコードというのは、悲しげな響き乍らもその悲壮感を受け止めて邁進するかの様な猛々しさがある物です。チャカ・カーンの「I'm Every Woman」やダリル・ホール&ジョン・オーツ「I Can't Go For That (No Can Do)」山下達郎「メリー・ゴーラウンド」とかは最たるマイナー11thの代表的な唄モノ曲でありましょう。その「猛々しさ」というのはお判りになっていただけるかと思います。

 基底部が短和音であり乍ら上声部では長和音を包含するが故の両義性を具備する響きになるのは謂うまでもありません。ですから「Use Me」の私の取り上げた「高潮点」と称するブリッジCでは「Dm11」上にて「c - e - g 」という分散から入る事で「猛々しさ」を備えている訳です。

 扨て、後続和音は「G7(9、♯11)」ですが、実はDm11をDドリアンとして想起しつつも、G7以降はDドリアンから移旋させたDメロディック・マイナーで弾き切るという「串刺し」の想起が可能なのであります。それは何故か!? という事を縷述する事にしましょう。

 更に後続のEm7(11)は、9th音はオミットされています。ここで本位九度=長九度を想起しても特に構わないのではありますが、長九度を充ててしまうと [fis - g]という欲求が強く起り、且つEm7上での茲での長九度は、和音の基底部がドミナント7thコードでないにも拘らず、長九度を充てて了うとDm11が齎していた余薫のオルタレーションっぽさを強く感じて終うのですね。その原因は、基底の和音は「Dm - G」と下方五度進行したにも拘らず「T(トニック)」である筈のCには行かずにG7から6度進行してEm7(11)に進行しているのが明白でしょう。このEm7(11)という和音は、そうした先行の和音の性格から自身の立ち居振る舞いを本来は示したい訳です。その示したいというのは!? 「本位九度が相応しいのか!? or フリジアンを示唆する短和音なのか!?」という事です。然し乍らG7 -> Em7(11)という弱進行が、先行の「f音」をオルタレーションさせて勾配を付けて進行感に弾みを付け様とする卑近とも謂える欲求をついつい脳裡に映じかねないのであります。

 勿論、人夫々好みはありますから茲でのEm7(11)上で九度音を想起する際、長九度音を想起してもそれは自由です。併し本曲の前後関係を見渡した場合、ここで九度音をオミットしながらも、経過的に挟み込む音としてf音は実にマッチするのであります。併し和声的な響きは欲しない(作った所で [h - f]の三全音を包含させてしまう事で機能和声感を強めてしまい、この和音の響きが疏外される)乍らも、線的なアプローチは遣ってもイイんだよ、という敢えてジョージ・ベンソンが空隙を与えている様に思える訳です。それ位Em7(11)上での短九度音であるf音はマッチするのです。その理由は!?


 仮に先行の和音Dm11が長七度音を持つタイプの短和音だったとした場合(マイナー・メジャー7th系統)、 A7上のテンションはオルタレーションしてしまってはいるものの、「Dメロディック・マイナー・モード」で見渡す事ができるんですね。

 とはいえ先行の和音は「猛々しい」程のDm11な訳ですから、後続のG7(9、♯11)はハ調域を示唆する音組織に隷属するのではなく、この時点でDメロディック・マイナー・モードに切り替わった上でのDメロディック・マイナー・モードのダイアトニック・コードとしてのⅣ度として変容している方が正当なのであります。

 するとメロディック・マイナー・モードを遵守するならばⅣ度上のドミナント7thコードは和音こそ属七系であり乍らも、「閉塞」したドミナント7thコードの振る舞いとしてメロディック・マイナー・モードの音組織は機能する為、メロディック・マイナー・モードに手馴れた人であれば、この時点でメロディック・マイナー・モードを想起したくなる前後の和音関係を見抜くのであります。

 そうして考えるとEm7(11)でもDメロディック・マイナー・モードのⅡ度として振る舞い乍ら、線的に九度音を使いたい時は決してfisではなくfの方が望ましい訳ですね。

 メロディック・マイナー・モードを取扱う際、そのモード上のⅤ度を使うと、結果的にそのドミナント7thコードは閉塞的ではなく動的な性格となるので「能くある」ドミナント7thコードの性格を強める事ができます。その上で、ここでオルタード・テンションを充てて多くのアプローチを施そうと企図する場合、A7(♭9、13) -> A7(♯9、♭13)の流れでは、メロディック・マイナー・モードを墨守する事はこの時点では必要はなく、オルタード・テンションを存分に味わう通常のドミナント7thコードでの遊び方を演出すれば良いのです。後続は結果的にDm9に進むのですけれどもね。

 畢竟するに、Dm9に結果的に解決するならばこれらのコード進行は単に迂回しているだけではないか!? という事が読み取れますが、こうした言葉で示した「迂回」の感じが、コードの響きとしてもとても逡巡する感じとして演出されている様に聴こえないでしょうか!? この世界観のマッチが絶妙なのです。また絶対的な音高としてもメロディの線はこれらの中に高潮点を持っており、如何にジョージ・ベンソンがこの一連のコード進行に対して重みを置いているかが判ると思います。しかも、この線(=メロディ)に対してのこれらのコード・プログレッションは実に非凡です。

 私が慫慂し度くなる点は、やはりメロディック・マイナー・モードの Ⅳ→Ⅱ と呼べる進行の絶妙たる處に尽きます。また六度進行というのは西洋音楽界では後期ロマン派では多用されて居り、松本民之助著『作曲技法』では詳らかに語られて居ります。何度も言うようですが、松本民之助の著書は『作曲法』という平易な楽典の書もあり、それは『作曲技法』の前に必要な基礎的な知識の為という位置付けであるので混同せぬようご理解の程を。『作曲技法』は騙されたと思って読んでみて下さい。特に一定以上の知識のあるジャズ/ポピュラー音楽界隈の方々に。
 

 六度進行というのは弱進行である訳ですから、機能和声の体系つまりはカデンツを経由させるという起承転結を明確にさせる和音進行感の側面は稀薄になるので趣きとしては唐突感を伴ったりするものです。然し乍らメロディック・マイナー・モードにさりげなくモード・チェンジさせてその移ろいを曲想と共に進行感もマッチさせるようにして、茫洋な感じを纏わせつつも脈絡を稀薄にさせないのは、線的(メロディの線)な牽引力に加え、G7(9、♯11) -> Em7(11) の部分でのコモン・トーンを用いて、和音構成音としては然程変わらず(※G7上の7thと♯11thが異なる)代理コード的であり乍らも進行感という勾配を付けるのは、更に先行のDm11の余薫を巧く使っているに外なりません。

 一般的な音楽素養からすれば本来なら動的な進行感を欲しがっているので、Dm11からの余薫としてf音はfis音に変化したがっている筈なのです。それを堅持して弱進行を保つとメロディック・マイナー・モードの線が確立される、という訳です。

 こうしたさり気なさと美しさを是非共堪能しつつ、閉塞したドミナント7thコードの取扱とやらをあらためて吟味して欲しいと思う事頻りです。