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『ハービー・ハンコック自伝 新しいジャズの可能性を追う旅』を読んで [書評]

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 原著では”Herbie Hancock with Lisa Dickie”とクレジットされている現在も存命中の現今ジャズ界の数少ない生ける証人のハービー・ハンコックの自伝なのだから、これには刊行前から一際注目していた物でした。DU BOOKS出版から川嶋文丸訳になるという事はネット情報で刊行前から掴んでいたものの、私の当初の予想としては、楽理的側面には触れられる事は殆ど無いだろうという見立てを立てて居りました。というのも、自伝が専門的な楽理的側面を語って了うと、吐露する部分が専門的分野の言葉に依って武装され、一般的に解釈し得る側面をオブラートに包んで了いかねないという部分が往々にあったりする物なので、そうした部分は極力避けて来るであろうという私の予測は図らずも当っては居りました。


 とはいえ、1行50文字・1頁辺り19行(=950文字@頁)というA5サイズの圧倒的な文書量の400頁。通常ならば行間も広く採ったエセな音楽書も少なくない中、この情報量の多さは普段音楽に没頭して活字から遠ざかる人は尻込みして了う様な文章量である。処が、本書は川嶋訳を抜きにしても原著のそれが平易であるのか、ハービーの一人語り口調がスンナリと頭に入って来て発話速度でスラスラと読む事が出来るのです。


 今年2015年は新垣隆著の『音楽という〈真実〉』といい、こうしたスラスラと読む事の出来る音楽書の当たり年だなあと深く首肯し乍ら読み進めていると、ハービーの「語り」のそれは、一般的に能くある様な何かを語りつつ何かを思い出して話題が逸脱しかねない老人の思い付きの様な、それでいて言いたい事を堰を切った様に語るそれとは全く趣を異にする物で、ハービー自身の幼少期から現今までを24章に分けて語っているのだが、夫々各章が散文化している様な印象は全く見当たらず、人間が生きている事を証明する1つの糸として人生の記憶の中に宿っているそれが徹頭徹尾、縒れも捻りも無い真っ直ぐな淋漓たる「線」がこれ以上ない程の太くて重い「告白」となっており、自身の記憶を他人に理解して貰う為の配慮も行き届いており、24章にも分れて居り乍ら各章に跨がっている感は全く無く、一気に読み通せる物で(概ね5〜6時間は費やすだろうが、読み始めたらそのスムースさに読書を中断しても猶読み度くなる欲求が起り中断などさせないだろう)、音楽に造詣の深い連中をも凌駕させるその「告白」に、私は涙した物でした。

 それを書くまでの過程での、誇張も衒いも無いジャズの生き証人が有していた記憶を共有できた様な気持ちにもなり、それだけでも感謝の気持ちが溢れ出て来る様な、読んでいて昂奮が収まらない程の話題が鏤められている中で、その告白に辿り着くまでの見事な、ハービー自身に依る脳内での「編纂」は本当に見事な物で感服する事頻りでした。


 ブルーノート・レーベルを語るに当って必要な事は、能く「○○番台」と言われる物があるが、1500番台から100枚のアルバム・タイトル(※実際には欠番もあり100枚ではない)がプレスされ、その次の100枚は4000番台になる。そして4100、4200、4300番台となるのでありますが、1961年という年はジャズがスウィングのビートばかりでなく、他の平滑したビートを導入する時期でもあり、この時期辺りから4000番台はあり、70年代に入る頃には4300番台位になっているという事前知識があれば、ジャズは疎かブルーノート・レーベルにそれほど明るくない人であっても、時代背景やブルーノートのレーベル番号の相関関係は皮相的乍らも、その理解とやらは決して足枷になる事は無いでしょう。

 日本の音楽雑誌では、「ジャズ・ロック」というのは2種類の使われ方があり、一つは1961年辺りに起った先述のスウィングとは異なる平滑化したビートとの折衷、特にリー・モーガンの「サイドワインダー」などは典型的な例でありますが、そうした他の平滑化したビートとの折衷を「ジャズ・ロック」と称する事もあれば、ビッチェズ・ブリュー以降のその後のRTFやらも擡頭して来る時のプログレッシヴ・ロック人脈との折衷した音楽に於て呼ばれる「ジャズ・ロック」という、もうひとつの名称が与えられており、本書(川嶋訳)で語られる「ジャズ・ロック」とは後者の方であるので注意をされたし。


 本書p122〜123では、ギル・エヴァンスとジョー・ザヴィヌルが触れている、和音からも逸脱した「カウンター・ライン」即ち、これは対位法的アプローチで以て横の線を重視して作って行くというそれを、ザヴィヌルの言を借りてとても平易な文章であり乍らその重要性を説いている所に、読みやすさの前に決して見落としてならない含蓄ある文章であり、これは本書の数少ない「楽理的深部」のひとつでもありましょう。

 次のp125では、西洋音楽界に見られる名前、アルバン・ベルク、ジョン・ケージ、パウル・ヒンデミットの名前が出て来るという所には深く首肯するが、これら名前はハービーは意外な所から感化された物だったというのが私の吃驚した点の一つであります。それが誰からの「啓示」なのかは本書を手にして読んでいただきたい。

 確かに「処女航海」の四度和音の響きを聴けば、それがヒンデミットにインスパイアされていそうな感じはヒシヒシと伝わって来るモノであり、マイルスとて自伝にてヒンデミットの名を挙げる位なのだから、あらためて、ジャズ界隈だけしか近視眼的にしか捉えない人達に、あらためてヒンデミットを深く理解して欲しいと思う事頻り。

 
 映画サントラの仕事を振り返る点でも『反逆のエージェント』『狼よさらば』の件は特に注目を惹く物で、その中でも『狼よさらば』にてストラヴィンスキーの「ハルサイ」(=「春の祭典」)のオマージュがあるとは驚きでありました。タップ・ダンスのストップ・タイムに付いて語る所も、数少ない楽理的側面の知恵をさも小難しく説く事なく説明している点は後に続く人達へに慮った素晴しい咀嚼であり、こうした点にも其処彼処に難しさがあってはならないとする様な配慮があるのは好ましいと思います。

 チック・コリアを語る際に、バルトークのミクロコスモスをレパートリーにしたり、こういう西洋音楽へのリスペクトは決して忘れないという所も本当ならもっと詳らかにしても良いのでしょうが、ジャズ・ファンの中には西洋音楽に眼も呉れない連中も居るのは重々承知の上で、ハービー自身もそれを判っていてさり気なく挿入しているのでしょう。


 コード(=和音)を語る際、ハービーは2箇所で「ナインスやイレヴンス」=(9th、11th)の重要性をそれとなく語る。特に「バター・ノート」における3度と7度とは絶妙な表現をしてこれに対するハービーの回答が2度であるとする所に、日本国内で言えば箕作秋吉や早坂文雄のそれ等がパッと思い浮かぶ訳でありますね。それ等の旋法的和声の妙味は、松平頼則著『近代和声学』にも触れられている事で、ご存知の方も少なくはないでしょう。そうした重要性と共にリサ・ハニガンを語る時のハービーの言葉は非常に重みのある賞賛を以て語っており、こういう所の表現は決して見遁してはならない所だとあらためて痛感するのであります。
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 フローラ・プリムの名前がさりげなく出て来る所でも、フローラ・プリムやアイアート・モレイラならばどちらかと言えばハービー・ハンコックではなくチック・コリアを想起してしまいかねないでしょうが、嘗てミルトン・ナシメントの『コーリッジ』収録の「Outubro」(=October)を鑑みれば、先述の旋法的な和声の妙味などあらためて判るでしょうし、ナシメントも懇意にしていたフローラ・プリム。そしてフローラ・プリムのバックを務めていたアジムスがその後、この「Outubro」をカヴァーしてNHK-FM「クロスオーバー・イレブン」のエンディング曲に使われていた所まで想起する事が出来れば、ハービーの謂わんとする相関関係がもっと判り易くなったのではないかと思いますが、本書では触り程度しか触れられていなかったので、少々私がこうして補足をした次第であります。


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「Speak Like A Child」にしても、嘗て坂本龍一が自身の作品「千のナイフ」のCメロ(=結尾が8音音階のヴァース)が「Speak Like A Child」にインスパイアされていた物だと言うのだから驚きですが、確かにホーンが入る所の順次音階固有音上行に対してカウンターとなる半音階的下行の反進行を被せていたり、対位法的なアプローチが見られる物です。一方「Speak Like A Child」のアルバム・ジャケットを見れば、それこそ写真の描写としては卑近である様にも見えてしまうかもしれませんが、この真意は裏ジャケにある訳ですね。


 つまり、幼い時からの育んだ愛の成就の隠喩でもある訳ですが、今回のハービー・ハンコックの自伝というのは知人の凄絶な死を直面する事に依って培った死生観と、キリスト教に馴染む事ができなかった事で創価学会に入信するという事をも赤裸々に語っている事の「告白」のそれと、徹頭徹尾1本の筋で組立てられている話法のそれに、若き日と現今を結び付ける強固で淋漓たる誇張無き確証の吐露というそれが、先の「Speak Like A Child」の表裏のジャケットに詰まった描写に思いを馳せる事ができてしまう物です。
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 という訳で今回のレコメンドとなった訳ですが、なかなかの良著であります。是非本書を手に取ってみて欲しいと思わんばかりです。


 最後に、私は初版本を手に本記事を書いておりますが、以下に3箇所誤字・誤用を挙げておこうと思います。


p.253
×「登場する五年前にことだ」→○「登場する五年前のことだ」

p.267
×「ジャズの純粋主義者だ自認する」→○「ジャズの純粋主義者と自認する」

誤用
p.263
「弱冠十九歳」→※弱冠は二十歳に対して使うものである為、誤用。