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メロディック・マイナー・モードのⅣ度上の和音活用 [楽理]

 2015年のゴールデンウィーク明け辺りから北米市場に於て絶好調のSUBARU(スバル:富士重工:古河グループ)「CROSSOVER 7」のTVCM曲に、カーディガンズの「Carnival」のカヴァー曲が用いられているのを能く耳にします。カヴァー作品については検索すれば当該サイトなど詳らかにされているので私の方では敢えてカヴァー作については語りませんが、数ヵ月前にもトーレ・ヨハンソン絡みで語っていた事もあり、実に良いタイミングである事を踏まえて、私の当該記事などを今一度ご確認いただければ幸いです。


 嘗ては原曲の方もかなりヒットしていた為、あらためて耳にすると「またカーディガンズが使われてるのか!?」という錯覚にすら陥りかねないのですが、私の様に齢を重ねてしまうと2〜3年位前だと思っていた事が実際には6〜7年位経過していたというシーンには能く遭遇する物でして、20年位前など「ほんの少し前」程度にしか感じないのでノスタルジーという感覚がさほど涌かないのですが、当時をティーン世代として育った方ならノスタルジー感は強く感じられるものかもしれません。そうした感覚は概して「愛着」という感覚も引き連れてくる物です。


 扨て、私もトーレ・ヨハンソンを語るに際して当該記事ではカーディガンズの「Carnival」の顕著な和音やら詳述していた訳ですが、例えばコード進行という物をネットでググっても大半の物が誤り。これほどヒットした曲のコード進行など正しく人口に膾炙されていてもおかしくはないのに殆どが精度を欠いているのは如何ともし難い状況ですね。

 例えば「C7(9、#11)」というコード。和音構成音とすれば「ド・ミ・ソ・シ♭・レ・ファ#」でありますが、少々楽理的に語れば、「長属九」に増11度音が更に附与された六和音の体と為す和音なのでありまして、これは旋律的短音階つまりメロディック・マイナー・モード上のⅣ度上で生ずる六和音の時のダイアトニック・コードであるというのは以前から述べている通りです。

 メロディック・マイナー・モード時の5和音の時の事ならば、リムスキー=コルサコフが自著『和声法要義』の第二巻96頁にて触れているのでとても参考になる事でしょう。基本的に二次ドミナント進行に於ては長属九の充て方がキモになるという事が西洋音楽界隈に於ても声高に謂われる事なのですが、長属九に対して更に増十一度音が附与されているという所が重要なのであります。こうした音脈から更に13度音へ世界観を拡大すればそれこそスクリャービンの神秘和音という方面も視野に入って来る音脈です。


 神秘和音の音脈は扨置いて、長属九+増11度という体は属七の和音が根幹となっている訳です。この六和音の中には基底和音の長三和音に増三和音が混合されている状況であるのです。

 近代和声では増三和音は、短調の導音欲求を局所的にではなく「常に」生じさせている事を発端に、導音欲求に伴う和音変化が逐次充てられたダイアトニック・コード組織にて作られます。ですから、「短調のⅢ度」と呼ばれるそれは「増和音」なのでありまして、こうした増和音が短調のⅢ度を思わせる近しい音脈となると長属九+増11度というのは、短調方面の仕草を纏った長和音を基底に持つ「お天気雨」 「嬉し涙」 「花曇り」 「苦笑い」のような具有感を彷彿とさせるのであります。若い人で和声感覚の熟達が高まっている人ならば「胸キュン」という様な、心地良いのに胸が痛いという状況を映ずる事もあるでしょう。


 ドミナント7thコードに本位9度音と増11度音が附与されるという響きは、そうした魅力があるという事を伝えた上で今回はそんな和音の特長がより判り易いであろう稀代の名曲を紹介する事にしましょうか。今田勝のアルバム『Rivage』収録の「Driving The Cabriolet」です。

Rivage_MasaruImada-3f0d4.jpg





 本曲のAテーマの冒頭4小節がキモですが、なんとも美しい進行です。Aメロ8小節のコードを次の様に表してみますが、これらの進行中に現れるドミナント7thコードにて5th音(基底部の完全五度音を意味する)を省略しても問題ないのは2小節目の「D♭7(9、#11)」のみで、他は5th音をオミットしてはならないので注意をされた方が宜しいかと思います。

 8小節目4拍目ではこれはC7augと絶対に混同してはならない物です。何故なら増和音は5th音のオルタレーションであるので、♭13thというオルタレーションは13度音由来の物であり全く違うのです。それらが区別の無い様に取り扱われてしまわれがちなのは、基底部の完全五度の5th音をオミットする事により、♭13thが恰もaugの様に見えてしまうからであります。

 茲での♭13th音は、それまでのプロセスに於て突発的な経過的転調を繰返して来て、基の短調を醸す主和音(Fm9)に戻る為の重要な、しかもその局所的には卑近な響きを醸し易いであろうとも、その卑近さがそれまでの突発的で唐突的な経過的転調の余薫を払拭させる為にとても必要な音が♭13thとP5th音が作り出す音程であるので、これには細心の注意を払わなくてはなりません。

 
 この様な曲の類ではなく、単なるダイアトニックな進行にオルタレーション程度の変位をまぶしてジャズ的アプローチを嗜む程度の響きに普段から堪能している様な人であれば、トニック・マイナー直前のドミナント7thコード上で♭13thや#9 - ♭9というalt表記で片付けられそうな響きと同等に思えて、それこそオミットしてしまいかねませんが、和音進行など幾らジャズ的アプローチがベタに思えてしまいかねない程方法論が整備されたとはいえ、一義的に捉える必要など無いのです。

 オルタレーションする事で既知の何等かの和音進行に似てしまう可能性はあるとはいえ、既知の体系を利用していれば舊來の楽曲の和音と同じ和音を使う事だって有り得てしまうでしょう。進行すらも同じならパクリですが、C△という和音を使っただけで某かの曲に使われるC△とを較べられて罵られる事でありましょうか!? 音楽出来なくなっちまいますよ!(笑)


 そういう側面を踏まえて希代の名曲を堪能してもらえれば良いのですが、冒頭4小節の一連の進行が美しいのはさる事ながら、A♭△9(on C)→B7(#11)→Em9という進行も何と美しい事か。

DrivingTheCabriolet.jpg


 私がこの曲に出会ったのはFM東京(現TOKYO FM)を聴いていた時のとある日曜日だったかと思います。1986年であったのは間違いないでしょう。FMラジオを聴き乍らおそらく当時の新譜をスポット的に流したそれに私は偶々遭遇したのでありましょうが、今田勝の「Driving The Cabriolet」という情報を担当DJの曲が終った後に紹介してくれなかったかったら今田勝だけに「未だ」に判らないままだったかもしれません…。こういう邂逅に遭遇する事があるので、ラジオ番組で担当DJの方が曲の前後に紹介をしてくれるという情報は実はとても重要な事なのでもあります。


 「Driving The Cabriolet」という曲はジャズ/フュージョン系を隈無くチェックする人ならば知っている人はまあまあおりますが、それでも広く知れ渡っているとまでは言い難く実際にはかなり少ないのが実情であるといえるでしょう。然し乍ら、普段ならフュージョン系統の音楽を聴く事もせず難しい系統の音楽は忌避する類の人でも、私がこの手の音楽を耳にしている事を知っている者の幾人かの様に己の嗜好する音楽以外にも耳がある程度馴れている程度の人間であれば、この曲を聴かせてみて気に入らなかったという人は今迄私の周囲にはおりません。

 中には「俺、こういう曲に沢山出会いたいんだよな〜」とまで言う者がおり、単なるドレミファソラシドからでは決して得られない音の行方という物を、こういう曲を通して実感したい人も居るのだなあと痛感する事頻りでした。つまり、半音階的な曲であろうとも、音楽的素養がそれほど高くなくとも名曲が持つ音脈は虜にするのだという事を痛感させてくれる典型的な例の一つを示す楽曲であるのです。

 
 まあ、そういう訳でこうした名曲に使われている長属九+増11度の響きの巧みな使用例を今一度堪能してもらえればと思います。