SSブログ

ベース・フレージングの逸脱に伴う唄心 [ベース]

 扨て、今回はウォーキング・ベースでの逸脱フレージングに依る物ばかりではない「逸脱」を視野に入れ乍らも、そこに「唄心」を伴う様なフレージングを心掛ける事を前提に例を挙げて語っていこうかと思います。 基本的な理解として、逸脱感の無い仕来りでのウォーキング・ベースの在り方というのは四分音符で与えられる「順次進行」に依る對旋律、というのが大前提にあるのですが、順次進行というのはいわゆる音階の並びの「ドレミファソラシド」「ドシラソファミレド」という二度音程の連続という事を大前提としてしまって現在のジャズ・シーンで愚直なまでに音階をなぞる様ではいけません(笑)。

 然し乍ら現在のジャズ・シーンに於いてスケール・ライクな「順次進行」は馴染まないからといって、須く「二度音程は回避すべし」という理解に及んではいけません。愚直なほどのスケール・ライクな順次進行は避けるべきであるものの、順次進行が二度音程の累積であるからといって二度音程から逃げてしまってはいけないという事を言いたいのであります。

 二度音程から逃げるべきではない事の大きな理由に、仮に二度音程を避けて次に広い音程の三度に脈絡を求めようモノなら、多くの和聲体系は三度堆積で構築されているので、和音構成の音を重複するだけの旋律となってしまい、これでは分散和音(=アルペジオ)に等しくなりかねません(笑)。

 仮に三度音程を選択せざるを得ない様な状況であっても、其れ(=原音程)を広い音程へと轉回させて六度音程とすれば、音程には広い隙間が生じてフレージングの選択肢が深まる譯でして、和音構成音に捕捉されても六度として捉える事で、分散和音フレーズとは異なる順次進行にも近しい揺さぶりと選択肢を与えてくれるという譯です。

 
 では、先述の「二度音程から逃げるべきではない」という事を主眼に置いた場合、原音程である二度音程を七度音程へ轉回せよという事なのか!?其の答はイエスです。此処に主眼を置く理由は次の通りです。


 原音程という狭い音程を轉回するという行為を三度音程で活用するメリットは先述の様に、三度堆積という構造が殆ど多くの和聲体系である様に、その和音構成音に捕捉されてしまう音空間に對して「轉回」という風に揺さぶりを与える事で「広い隙間」(=音程)が生じて、旋律的な選択肢が増えるという事を意味します。選択肢の多さに凭れ掛かってしまい全ての音を羅列してしまえば結局は「順次進行」をしてしまったに過ぎません。但し、三度音程として「直ぐに」遭遇してしまう三度先の音程の音よりも六度音程で生ずる音の選択肢は多く、背景の和音に寄り添い乍ら「横の旋律という動機」を与える事には貢献します。


 この「貢献」を二度音程で置き換えると、そもそも二度音程が順次進行なので、和音体系から逃げて来た音とは少々異なります(※少々異なる、という表現に留めている理由は後述)。つまり、原音程という狭い音程の時点で順次進行を意味するのですから、先の三度音程の例の様に置換する事は無理があります。しかし、二度音程が三度堆積の和音の構造から生ずる例は幾らでもあります。いわゆる四聲体で括られる所の七の和音、つまり7th音を持つ和音では、七度という音程を轉回すると二度音程が生じます。こうした例からもう少し深く二度音程という物を掘り下げていきましょう。


 「ドレミファソラシド」「ドシラソファミレド」という順次進行、では上行形の「ドレミファソラシド」を例に取りますが、これは確かに唄心ある順次進行でありますが次の様にフレージングするのは非常に稀です。


「ド→レ(短七度下)→ミ(長九度上)→ファ(長七度下)→ソ(長九度上) →ラ(短七度下)→シ(長九度上)→ド(長七度下)」


 「ドレミファソラシド」という音形をこねくり回した様にも受け止められるかもしれませんが、こうすると、ド・ミ・ソ・シというグループとレ・ファ・ラ・ドという2つの音域が上下に「分離」する様に成立します。何でも無い順次進行を「轉回」するだけで、恰も分数コードに則ってフレージングした様な分離感を伴う様になります。


 ベースを弾く者に必要なのはウォーキング・ベースに必要な逸脱の前に、こうした順次進行という原音程を広い音程で轉回する事で得られるという、樂音を俯瞰する様な見渡しでのフレージングなのであります。大概の人は分数コードやオン・コード上で、その音だけに註視させられてしまい「立ち止まる」人が殆どです。4ビート・ジャズに於いても分数コードなど珍しくもないのに分数コードが出現した際に立ち止まったり足踏みしてしまう様では決して「ウォーキング・ベース」とは言えない譯ですね(笑)。加えて、こうした方法論を説明する側も総じて感覚的な説明やら用例で満たしてしまっている事が多いのもあって理解が進まなかったりするのでありますね。


 分数コード上にてフレージングを組み立てる事で重要な事は、分数コードの類は上と下の世界が2度/7度で隔たれているモノなんです。よく「Dm7 (on G)」という上と下が2度/7度の音程で表されていないモノも見掛けますが、その起源は「F6 (on G)」という2度/7度が起源です。この体系に収まらず、複調・多調を視野に入れざるを得ない他の音程関係で得られる和音をハイブリッド和音と呼び、同一のモードで語る事が可能な体系での上と下に和音を生じている(大抵下声部は単音である為)例を私はポリ・コードと区別しているのは過去にも語った通りです。ただ、こうした区別をする事なく両者を漠然と呼んでいるケースも多いので、その辺りは言葉狩りする様に捉える事なく、各自の裁量で判断してもらいたいと思う譯です。


 扨て、分数コードという「難関」と、順次進行を七度に轉回してしまう事の難しさ、という事に足を踏み入れるワケですが、特に七度を「唄う」(=物理的に聲を出して唄うという意味ではなく、唄心あるフレージングという意)という事の難しさというのは無意識レベルにも感じ取っている人が多いのではないかと思います。七度を意識する事と同時に、七度音のすぐ先(=二度上)にある根音を視野に入れぬ見渡し、という物の重要性を伝えようとするのが今回の最大の狙いである譯です。

参照ブログ記事

 二度音程を七度に轉回したという事を何も身じろぎする必要はありません(笑)。七度に轉回させた事に依ってそれを好意的に解釈できる方法があるからです。


 七度音程を形成したという事は、以前にもシュステーマ・テレイオン(=大完全音列)という言葉でも語った様に、四音列の「テトラコルド」が二組できた様に俯瞰が可能という風に捉える事ができるのです。勿論、二組のテトラコルドという体系の殆どのケースはそれでオクターヴを形成するのですが、一組のテトラコルドは必ずしも完全四度ではなく、複調由来で複数のオクターヴを視野に入れた時のテトラコルドの構築では増四度のテトラコルド(半音6つ分)を形成する事もあります。とりあえず重要な事は、単純な二度音程という原音程を広く七度音程へ轉回する事で、テトラコルドを形成した見方でフレージングするとイイ事ありますよ!っていう事を述べるワケですね。こういう所を語る上で、私は過去に聞き慣れぬ様な語句「シュステーマ・テレイオン」とか言葉にして語っているのであります。あんまりネットで語られる事の少ない語句だからと言ってソレ基準に私を蔑視されても困りますので、少なくともきちんと理解が及ぶ様に素養を育んでいただきたいとは思います。


 扨て、今回サンプルで用意した曲は嘗て私が披露した自作曲の一部で恐縮ではあるものの、私が組み立てているフレージングの意図と一緒に語った方が多くの傍証を取り上げるよりもスムーズなので、次に挙げる曲を例に語って行こうかと思うので、今回のサンプル曲「Seventeen Bs Phrase」の譜例を併せて確認してもらう事に。


 今回のテーマに最も則した部分が4小節目の部分なので、譜例中には註釈を併記させております。4小節目のFm9とB♭6(on C)の部分が要注目ではあるものの、その直前の3小節目に出現するGmM9も重要な役割を与えるので、その理由も後述する事に。
01Seventeen_BsPhrase.jpg

 
 あらためて4小節目でのベースのフレージングに注目してもらいたいのですが、黄色の円形で括った様に、4つの円形で括られたそれらは7度音程で跳躍する音形グループという風に括ったモノであります。つまり、付点8分音符のF音から短七で跳躍する「次の七度」の跳躍は短七度上のE♭音へ跳び、同様に円形グループは七度音程で跳躍しているのがお判りになるかと思います。

 仮に、これらの音形を七度跳躍ではなく、原音程である二度音程に平準化させると、次のex.2の様な譜例になる譯ですね。要は、こうした音列に對して7度音程跳躍という「揺さぶり」を与えてフレージングをより豊かに表現しようとする狙いがある譯です。
02Seventeen_BsPhrase.jpg


 ex.2の要に音形を平準化させてみると意外にも、私が七度跳躍として「割譲」(=円形で括った音形)した部分では四度/五度グループで括る事のできる音並びの情緒が奇しくも如実に浮き彫りになるのがお判りでしょうか!?とはいえこの平準化音形はサンプルにはしていないので、ex.2の音形は各自で弾いてもらって確認してもらうしかないのですが、敢えてこの平準化した音形を試してもらいたい理由に、七度跳躍という動機は、その跳躍がかなり広目の跳越であるため人に依ってはフレージングの跳越が大き過ぎて情緒よりもフレーズ全体としての個性を強く印象に残してしまうので、平準化した方の音形を自発的に弾いてもらった方が「馴染みやすい」狭い音程であるので、敢えてこの様にしているのです。その「馴染みやすい」音形から、あらためて浮き彫りになる情緒が判るという事を意味しているのであります。


 そうして「馴染みやすく」聴こえるであろう、1つ目の円形と2つ目の円形は先述の通りF音とE♭音の跳越であり、2つ目の円形を見てみるとE♭音からB♭音迄に生ずる5度音程内でクロマティックな連結でフレージングしているのではありますが、唯のクロマティック・フレーズではないので、註釈を与えているのであります。また、此処でのB♭音までのフレージングに於いてクロマティックに連結させた直前のA音というのは、背景のFm9ではアヴォイドな音であり、その和音内の三度音は短三度のA♭音であるので、非和聲音でもあり長三度に等しいA音であるため、これが「F9」という長属九であればA音の出現は許容されるモノであるのでしょうが、短和音を基本とする背景に於いて直後の拍頭へのB♭音への半音の連結とはいえ、短和音から見渡した時の恰も長三度の音は避けた方がイイのでは!?という疑問を抱くと思いますが、私はそれでも忌憚無く使っているのは何故なのか!?即ち、譜例での註釈として与えている「赤丸1番」の音について先ずは詳しく語る事にしましょう。


 私が「赤丸1番」のA音を弾く理由には、前の小節での「GmM9」という和音の出現を根拠にしておりまして、私の見立てではGmM9という和音は其の和音の第五音を基準とする鏡像音程の和音でありまして、この和音を複調の訪れのスイッチとして使うのであります。

 複調としての響きを積極的に生じさせるのではなく、複調側の音と、基に生じている調所属の音の近似性を利用し乍ら、基に生じている世界からはアウトサイド亦はアヴォイドな音を態と引っ張って来る、というアプローチでありまして、何故そうした音を積極的に使うのか!?という根拠は、背景が短和音であるからという理由です(笑)。


 扨て、「GmM9」という和音の出現を発端にして、次の和音であるFm9に於いてどういう「複調」を見出すのか!?という回答として、私はFm9という和音に對してDドリアンが相応しいDマイナーの世界を頭の中で描いているのです。但し、Fm9上でD音を出現させないのはFドリアンを示唆させる事を回避するだけではなく、Fマイナー上でアウトサイドな音を使う為の配慮であるので、態々想起しているDマイナーの根音を使わず想起に留めているのです。

 因みにDマイナーを想起するのは、基から生ずるFm9の第五音=C音に對して二度でぶつける調域を用いているのでありますが、過去にも述べた様に、私は短和音の類を二度和音(=四度和音)の断片として見るので、二度の揺さぶりを与えるのであります。私が想起している世界ではDマイナーとFマイナーが併存していて、DマイナーからFm9の構成音(=F、A♭、C、E♭、G)を見ると次の様に見えている事と等しいのです。



F音=短三度
A♭音=増四度(G#音の異名同音)
C音=短七度
E♭=短十六度
G音=完全十八度


 という事になりまして、Dマイナー・トライアドに對してFマイナー・トライアドが併存し、更にその上にもうひとつ別の調性由来として態々短16度、完全18度という音を配置しています。これはCマイナー・トライアドの断片なのかもしれませんし、E♭メジャー・トライアドの断片かもしれませんし、嬰ト短調で生ずる短調のIII度(=Baug)という見立てが可能で、一番最後の見立てが私らしい見方ではあるものの、今回のフレージングでは嬰ト短調での短調のIII度の見立ては不要な見渡しなので、今回は単純にFm9という和音をFマイナーという単純な短和音として見立てつつ、其処に複調由来のDマイナー・トライアドを「仮想的」にインポーズしているのであります。

 Dマイナーを想起しているとはいえ、和聲的に垂直に配置させている譯ではないので、その根拠から得られる音は自ずと「横」の旋律として表れます。元々が仮想的な想起であるが故に垂直レベルに別の調性由来の音が生ずる事が無いのは自明ですね。


 次に2つ目と3つ目の円形はB♭音から「長七度下」に、なんとC♭音へ跳越します。C♭音はB音じゃダメなのか!?という疑問を抱く人がいるかと思いますが、ココは決してB音ではなくC♭音でなくてはならないのです。その理由に、このC♭音というのは直後のC音に對する半音の楔としての「膝カックン」ではあるものの、仮にもB音という音が、C音から見た時の第7音として存在してしまうとモード想起が厄介な事になりますし、C音が半音下に変化しただけのそうした由来のC♭であるという事を意味します。C♭音は恰もC音から見た長七度音=B音の異名同音ではありますが、このC♭音は、仮にC音を根音とする時の短七度音を包含している和音上でも、長七度としてではなく根音が半音の変化を与えられた音として使う時の音、という風に理解が及ぶ必要があります。そんな事が許されるのか!?という疑問を抱く事など無粋な事です。


 ベーシストならば誰もがほぼ無意識にやっているかと思いますが、トニック・マイナーの根音に對して、そこから短七の音を弾いている時に主音に向かってクロマティックに連結するフレージングをする事があるかと思います。キーがAmだとしたらG -> G# -> Aという風に連結させる、という意味です。こうしたシーンで登場したG#というのは決して複調由来の音ではありません。Aナチュラル・マイナー・スケールの各音の半音下を「装飾音」として使う様なフレージングが必要とされる時の、半音下の装飾音の根拠は決して半音下の調域を根拠にした複調由来の音ではない事と同様のアプローチです。


 とはいえ、C音の半音下からC♭という変化音を与えて、その後のF音迄のフレージングを見た場合の3つ目の音形は、C♭音からF音間という増四度を形成するのですが、この増四度という「テトラコルド」の与え方というのは、前述と矛盾するようですが複調の撥生を予期する動機に成り得るのです。C♭音の使用は複調由来の音ではないものの、その後の音は、C音とE♭を恰も増二度とする調の断片という姿を見せる瞬間でもあるのです。

 以前にも、「予期せぬ所の導音」と表現されるそれは、調性外由来の音が生ずる事の表現に用いられるモノでして、喩えるならば、折り紙を折る時に、まだ折り目が付いていない所に折り目を付ける事が、調性外由来の音を与える事に等しくもあり、私がよく言う「膝カックン!」という表現も亦同様であります。

 C音とE♭音を恰も増二度と解釈するのに最も考えが及びやすい近しいシーンは、その増二度が短調の第六音と第七音に所属する由来の音であるという見立てです。すると、最も簡単に考えが及ぶのがEハーモニック・マイナー(=ホ短調)であり、基から生ずるFマイナーに加え、仮想的に想起するDマイナーという複調はFマイナーの第五音に對して二度を「ぶつける」見立て、更に基に生ずるFマイナーの短二度下の調域としてEマイナーを見渡す、という、総じて「二度のぶつかり合い」を想起したモノであるのです。


 註釈として与えている「赤丸3番」のE♭音というのは、既にコード・チェンジが行われており、背景のB♭6(on C)からするとE♭音という「確定」は不要の音なのですが、ここをE音でもE♭音でもイイという曖昧な想起にしてしまうと、E音を是としてしまった時のモード想起が背景にドミナント7th系の和音が相応しい時の解釈になってしまうので、属七という世界観を強く出したくないので、E♭音を経過的に使っているのであります。但し仰々しく使ってしまうと和聲的には分数コード感が消失し「Cm7 (9、11)」としての響きが強く出てしまうので、本来ならE♭音だろうとE音だろうと、B♭6 (on C)では使わない方が和聲の響きをしっかり出す事ができるのです。


 扨て、此処で譜例中の「青い音符」の意味なのですが、これらは先程から述べているようにDドリアンを想起している事で生ずる音で、Fマイナーに對してDマイナー(キー)を想起しているという意味の音です。D音は決して使っていなくとも、です。

 想起がDドリアンであるならば先のC♭音の出現はDドリアンとしてのB音に成るのではないか!?という疑問が生ずるでしょうが、D音を与えない事がC♭音をB音にしない事の最大の貢献なのです。ですから、Dドリアン(Dマイナー・キー)を想起しつつD音を使わないと強調しているのはその為なのです。濱瀬元彦は経過音であろうともドリアンを想起しつつも特性音を使う事なくドリアンをイメージさせるフレージングをしたりしていますが、そうした例は「ブルーノートと調性」でも遭遇する事が可能ですが、今回の私のアプローチと混同しない様に。この際だから愚痴をこぼしますが、私の語る理論面の源泉が濱瀬元彦や菊池成孔に似る物であると近視眼的に判断される人が少なからず居るようでして加えてその両氏に對してヒステリックな程のアレルギーを起こしている様な人から私自身迷惑被る事があるのですが(笑)、私は彼等のシンパでもありませんので、その辺りの分別はできるくらいの知識は得て欲しいと思う事しきりです。

 先の両者の特徴は、音楽の本質面を率直に語らず、本質に付随する側の方を鯱張って語る向きがあるかと思います。本質を端的に語るのではなくエラく仰々しい所があって、本質に遠い所の喩えにやたらと重きを置いたりする事があるのは彼等の特徴であるかもしれません。或る意味では、アウトサイドな音を語る時の同じフェーズを私の方が別の言葉を駆使して彼等よりも判りやすく語ろうとする様に心掛ける事もこんな私ですらあります(笑)。


 私は、本質すらも「これでもか!」と残酷な程に傍証を繰り広げ語ります。きちんとした理解が及べば私が彼等のシンパであるという勝手な憶測はしないでありましょうし、彼等の論評がどうあれ魔女狩りの様にして悪辣に繰り広げるのはいただけない事だと思います。


 濱瀬氏の文章という物も、本来なら二重導音の在り方から平均律の導入という風にして、それらの体系を足掛かりにジャン=フィリップ=ラモー、ヘルムホルツ、フーゴー・リーマン、ヒンデミット、コステール、パーシケッティを引き合いに出し乍ら語ればまだ、読み手の知的好奇心を温存し乍ら彼等が理解に及ばず魔女狩りしてしまう様な、出鱈目な理論だのと断罪する事などはなかったのでありましょうが、そうした傍証が不十分で、それに付随する所での個の主張がやたらと誇張するかの様に映ってしまいかねない印象は私とて感ずる事ではありますが、然し乍ら、テキストは全く同じなのに理解に及ばない生徒がどこにでも生産される様に、理解に及ばぬ者がネット掲示板やら知恵袋やらアマゾンの評価などを駆使してネガティヴ・キャンペーンを繰り広げられてしまう様では彼等も災難だろうなと同情する事しきりです。

 読み手を選んで選んで選び抜いてしまう様な本のそれには、おそらく編集者を伴わず自費出版に近い体系で出版されているのかもしれません。プリンター・フォントではなくビットマップ・フォントがそのまま印刷されていたりするのも目にします。濱瀬元彦氏は、同時期に他にもJICC出版の「Peformer Perfect Reference」という素晴らしい本を書いているのでありますが、Macというツールが音楽をも通り越して楽譜浄書やDTPにも手軽に行える様になったという好奇心の延長から端を発した動機に依る活動だったのだと思われ、音楽家が文章を書くなど通常ならば難儀する様な事も、その手軽さ故に動機の萌芽を弛まぬ努力へ変化させる便利なMacというツールが齎した行動だと私は当時から好意的に受け止めているのであります。


 何がどうあれ、読み手の素養がゼロであってはならず、学校さえ通っていれば卒業はできても何の理解にも及ばぬ様な連中など珍しくもない世の中で、本さえ買えばあらゆる樂理を網羅できると妄信的になってしまうのは如何なものかな、と思う事しきりです。そういう事も踏まえて、私はこのブログを牛歩の様にして書いている譯ですが、理解に及ばぬ者は何年掛かっても判らないモノなんですよ(笑)。その上で順序立てて書いているので、脱線してしまいましたがあらためてきちんと理解してほしいと思う事しきりですし、他の場所でのクレームやら不満をコチラに持って来て欲しくもありませんな(笑)。


 という事で本題に戻りますが、先の譜例4小節目の一連のフレーズに於ける円形で括った各音形を今一度見てみると、2つ目の円形はE♭音からB♭音迄の五度の見渡しではあるものの、1つ目の円形F音のオクターヴをE♭音が「砕いた」モノであるので、2つ目の音形はF音からB♭音の四度に對して更に二度音程を付け足したモノとして見渡す事が少々クセのある見立てであるのですが、四度音程を巧みに使ってフレージングしている、という事はその後の3つ目・4つ目の円形で括った音形を見てもお判りになるかと思います。つまり、テトラコルドというのは名前の通り本来は4度音程での「四音列」ではあるのですが、この四音列を、まだ切り分けていない「羊羹」の状態だと思っていただければハナシが判りやすいかと思いますが(笑)、二度音程とやらを「七度」へ轉回させて、七度に對して切り分けていない「羊羹」を当て嵌めているという事なのであります。それをテトラコルドとして解体、さらにはテトラコルドとして生じる四音列の一部を半音で連結して更に音を得る脈絡も在るかと思いますが、この様にして「轉回」を唄心ある様に使う譯です。


 そうして、先ほどのex.2の様に、一連のフレーズを単純な上行音形として見てみると、意外にも円形として七度の跳越で括った「羊羹」の姿よりも羊羹ひとつひとつが持っている性格が把握しやすい、という風に語っていた譯です。判りやすい音形というのはイコール唄心という事ではありません。判りやすいが故に惰性感を伴うモノなのです。そうした惰性感をフレーズ上に表れない様に轉回させて揺さぶりを与えている譯なのです。


 そうして4つの円形で括った音形を今一度見ると、二つの和音の連結を巧く活用しつつも、Fm9の所では通常ならば第5音に重心を据えるのでC音を出現させると腰が据えるのでありましょうが、敢えてC音は使わないのはDドリアンを想起しつつ、Fm9というコードから「七度の俯瞰」を行う為に五度音は邪魔になるのですね。根音と七度で生ずる、それらの音程付近の二度でぶつける事を重視している事の方が重要な見渡しでもあり、Fm9に對してG音方面からの見渡しも重要な役割だったりするのです。


 B♭6(on C)というコードを、ポピュラー界隈でよく見掛ける表記に置き換えて「Gm7(on C)」という風にすると、4つ目の円形での「四度の羊羹」で与えられたフレージングは更に判りやすいアプローチとして理解が及ぶと思います。Gm7の断片の様にフレージングが見えて来るかと思いますし、ベース側の世界として必要な音はGm7のルートではなくオン・コード側のC音の側ですから、3拍目C♭音直後のC音は、「上声部B♭6のルートを弾いた直後」からきちんと下声部のC音へ戻るための揺さぶりとして半音下の変化を与えており、更に上声部の音を交えて遊びつつ、最後の最後でベース側の音で歸結させて首尾よくC音というベースの体を保っているという譯です。


 厳密に言えばB♭6(on C)に於けるこのフレージングでC音がベース音であるという役割は正直希薄ではあります。但し、ベースとしての在り方が強固という事ではなく、旋法的にB♭音側の上声部とC音側の下声部をきちんと合成させて、どちらかの世界に偏らない「分離した」フレージングを組み立てているのはお判りいただけるかと思います。この「分離」させたフレージングというのは分数コードで最も必要な「唄心」であり、この分離感を伴うのに必要なボキャブラリーが、先述の「ドレミファソラシド」という順次進行を上声部と下声部に分離させるという、順次進行で生ずる二度音程を七度へ轉回させる事での分離の手法に起因する所に存在するという事を述べていた譯であります。

 C音というベース側の世界の音を強調したいのであれば、C音を拍頭に置きたくなるキモチは重々理解できるのでありますが、腰をドッシリと据えた音ならまだしも非常に動きが激しいフレージングで成立させるならば必ずしもベース音が拍頭にある必要はありません。これはウォーキング・ベースでも同様の事が言えます。拍頭にベース音や和音構成外の音を使わざるを得ない状況があったとしても、旋律的にきちんと体を保てばイイのです。特に短和音として見立てる事のできる体系(短和音及び6thコード含)やsus4の類の和音である場合は、特にこの「旋律的に体を保つ」という事で、必ずしも拍頭にベース音や和音構成音を配置する事に躍起にならなくてもイイという事の重要性はあらためて強調しておこうかと思います。

 以前のウォーキング・ベースを取り上げた記事と、その続編の記事中で紹介した「睥睨ジャズ」という曲中に於ける短和音上(マイナー・メジャー・コード)で五度音への強い牽引力を持たせたフレージングというのは、今回のB♭6音を6thコードで在り乍らもココではGm7に置き換えてフレージングしているという表れが見えるのであります。亦、更にはG -> C -> F -> B♭という、これは四度進行ではなく、四度圏の分布を使っているという事があらためて判ると思います。四度進行させるのではなく、短和音上に於いて四度の分布を使い分けるという事です。


 という事でこうして解説を繰り広げて来た譯ですが、難しい話は扨て置いて、二度音程を七度へ跳越すると音程跳躍としては広目の音程であるにも関わらず、動機の与え方としては幅が拡大して別の唄心を備える様に聴こえるかと思います。こうした「幅」のある情緒を作る事がベースでは必要な動機のひとつでもあると私は考えます。

Forkitover.jpg
 フレーズのタイプとしては全く異なる物の、私が今回語った分数コード上での上声部と下声部との「分離」。これはザ・セクションのアルバム「Fork It Over」収録の「L.A. Chages」にてリーランド・スクラーがプレイする分数コード上でのフレージングは參考になるかと思います。亦、こうした順次進行的なリフを忍ばせる類はR&B系やらモータウン系に代表される様なベース・フレーズ等が參考になるかと思います。特に「弦飛び」と言われる類のフレーズは、四度チューニングの楽器で1フレット辺りに1本の指を充てて運指を行っている場合、「弦飛び」の音程は六度以上の跳躍となるので、六度以上の音程に遭遇する事が珍しくなかった当時のR&B系やらのフレーズには、親指を積極的に用いて弾いて奏でていたからでもありますね。


 とはいえ、二度音程を七度へ跳越しての唄心というのは、三度を六度へ轉回させるそれとは亦異なる情緒を生み出すので、或る意味では音形を分離するかのような段差の大きさがあり乍らも、基は順次進行だったという所に、情緒が在り乍ら音程が分離されているという仕組みが「キマる」事が往々にしてありますので、意識して使うのも良いのではないかと思う事しきりです。


 分数コードの類というのは、先述にも在る様に「二度/七度」という体系に収まる事の多いモノなので、分数コードの分子部分を1・3・5・7度、分母部分を2・4・6度という「分離」を動機として与えた時、フレージングに於いて、それらを明確に区別する様な工夫に於いて、ベースは2・4・6度側を使うにしてもこれらだけ使ってしまえば、単音の分数コードの仕来りでは下声部を仰々しく和聲化して迄分散フレーズを当て嵌めているだけに過ぎず、分母側の音に對して狭い音程で上声部で用いる1・3・5・7度を使っても、これでは唯単に順次進行を何処かで伴ってしまう事になります。それを避けるために、少なくとも六度以上の音程の跳躍や、二度音程を七度へ跳越する感性を磨いておいた方が良いと私は述べているワケです。こうして私が声高に語る理由の背景に、分数コードとなると途端に尻込みするベース弾きがやたらと多いからでもあります(笑)。


 という譯で、ベース・フレーズに於ける「唄心」という物を私なりに取り上げて語ったワケですが、今回出したサンプルの譜例の全貌を最後にチラッと語る事にして今回はシメようかと思います(笑)。

 先ず1小節目のフレージングは、これはアンソニー・ジャクソンをリスペクトしたかの様なフレージングですね(笑)。フォデラを使う前のPBの頃のアンソニー・ジャクソンをイメージしているのは事実ですが、私としてはライターズ(=The Writers)に於けるアンソニー・ジャクソンを想起していただけるとイイかなーと思っていたりします。
Writers_1st_1.jpg


 The Writersの1stアルバムというのは、ベースの低音を極力ロー・カットしている音でゴリゴリ来る音なので、Yesのクリス・スクワイアをも思わせる様な低音を削ぎ落とした様な音なので、ロックな人達にも參考になる音作りでありましょう。余談ですがライターズの2ndアルバム「All In Fun」収録の「A Shift in the Wind」という曲は同アルバム唯一のインストゥルメンタル曲なのですが、この曲がいわゆるカンタベリー系バンドのギルガメッシュやらBefore A Word Is Saidを思わせる様な曲想なので、ソチラ界隈の音が好きな方にもオススメしたい做品であります。
Writers_AllinFun_s.jpg


 亦、先の4小節目で散々やったフレージングなどはナイトフライトの1stアルバム収録の「I Wonder」辺りも參考になるかと思いますが、ナイトフライトの1stは残念乍ら曲毎のクレジットが不明なので、「I Wonder」ではベースを誰が弾いているのか判らない(※恐らくラモント・ジョンソン)のが實にもどかしいんですね、コレが(笑)。
Niteflyte_1stFront.jpg



Niteflyte_1stBack_Credit.jpg


 とまあ、先の譜例のベース・フレーズに於いては大体こんな所を語ればイイのではないかなと感じているのですが、分数コードに於けるフレージングのアプローチで必要な分離感という物を私が最もよく學べた曲というのは意外にもトニー・レヴィンなんです。

TOCHIKA.jpg
 トニー・レヴィンというとチャップマン・スティック弾いたりするプログレ界隈でも有名な奇異なベーシストと捉えがちですが、實はスティーヴ・ガッドがスティーヴン・ガッドと呼ばれるアーリー70sの時代や其れ以前の学生時代はトニー・レヴィンはスティーヴ・ガッドとバンドで4ビート・ジャズを演っていた位なのでして、トニー・レヴィンは實はアコベを弾いていた事もあるという人物であるのです。キング・クリムゾンでもサイレント・ベースを使っていたりする映像があったりもしましたが、トニー・レヴィンがアコベ弾きだったという証拠を一番實感するのは、渡辺香津美のソロ・アルバム「TO CHI KA」収録の「Kokumo Island」でのポルタメント・ヴィブラートの振れ幅の凄さはロン・カーターをも凌ぐかの様な押弦の確かさと綺麗な振れ幅で瞠目に値するプレイのひとつでもあります。

BlueMontreux1_s.jpg
 そのトニー・レヴィンがチャップマン・スティックを使ってジャズ/フュージョン界隈で残している音というのが、所謂アリスタ・オール・スターズと称されるモントルー・ジャズ・フェスティバルに於けるライヴの録音でして、このアルバムは2枚に分けて「Blue Montreux」「Blue Montreux II」という風に現在では正しくリリースされていますが、CD化が最初にされた時は「Blue Montreux」と称しただけの先の2枚からセレクトしてカップリングした實質2in1のアルバムで、収録曲に割愛のある「Blue Montreux」がリリースされていたモンなんです。
BlueMontreux2_s.jpg



 これらのアルバムでのトニー・レヴィンがもてはやされる理由には、同名タイトル曲(これはスタジオ録音無し)「Blue Montreux」の演奏と、ブレッカー兄弟の「Rocks」での2曲でのチャップマン・スティックの演奏がすこぶる良いお手本となる物だったので、このアルバムは重宝したのですが、實質2in1の方では最もスティックの真骨頂を聴く事のできるマイク・マイニエリの曲「Magic Carpet」が収録されていないのが殘念な点であったのです。
BlueMontreux2in1.jpg


 ブルー・モントルー関連のアルバムのクレジットをお知りになりたい方は、嘗ての私の古いブログ記事の方での大きなアルバム画像を確認していただければ、メンバーのクレジットが判るので参考まで。


 二度フレーズやら分数コードを巧みに用いたフレージングは、先述のアルバム同名曲「Blue Montreux」のフレージングが参考になるかと思いますが、スティック弾きなら「Blue Montreux II」収録の「Magic Carpet」は是非耳にしておきたい曲だと思います。特にプログレが好きであってもチョット高次な音になると途端に受け付けなくなる類の骨の髄迄ロックが染み付いて取れない様なお兄ちゃん達というのは、こうした高次な音を欲求に向ける事が無いので多くは取りこぼしていたりするモノでもあります(笑)。しかし、これらのアルバムは非常に聴きやすい曲が多いので、ロックが染み付いた輩でもおそらくは充分に堪能できるアルバムのひとつだと思うので、騙されたと思って手に取ってみる事をオススメします。


Mainieri_LovePlayFront_s.jpg
 マイク・マイニエリの「Magic Carpet」というのはマイニエリの1stソロ・アルバム「Love Play」に収録されているのですが、スタジオ版の原曲でのシンセは、私は以前のブログ記事でシーケンシャル・サーキット製のマレット・トリガーに依るシンセ・サウンドと形容していたのですが、實はこれムーグの特注によるマレット・トリガーのコントローラーの様で、次の写真でもよ~く判るかと思います(笑)。原曲でのこのムーグの音は凄い太いポルタメントでソロが入って来ますので、ステレオ装置のスピーカー吹っ飛びそうなほど生々しいムーグの音圧を感じ取っていただきたいモノです。これほど「壓」を感じるムーグ・サウンドは、ジェフ・ベックのライヴ・ワイヤーで聴く事のできる「Scatterbrain」でのヤン・ハマーのムーグのソロとコレ位でありましょう(笑)。
Mainieri_Moog.jpg


 そんな譯で、長々と語った今回のブログ記事ですが、ベース・ラインを構築するにあたってのヒントはとても多く鏤める事ができたと思え我乍ら自画自賛しております(笑)。