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ペンタトニック・ユニットとな!? [楽理]

 出自のきちんとした五音音階(=ペンタトニック)というのは以前にも述べた様に、5つの音列は完全五度音程を4回累乗させた所から生ずる5つの音列に依って生ずるという事に端を発するという事を述べました。完全五度累乗ではないペンタトニックは人為的なモノに過ぎないという分類になるのです。


 ペンタトニックという物は音階的な情緒は備えてはいても調性までは確定しない体でもあります。しかし、五音音階から体を成している旋律なのに、五音を満たす事無く旋律を作っている形式があり、五音ではなく四音で体を成している例があり、そうした四音で完結している体というのは完全五度累乗をさせた時のVI度の音が省略されており、それがペンタトニック・ユニットと呼ばれるモノだと。

 C音から完全五度累乗をさせた時、C - G - D - A - Eというペンタトニック・スケールを生み、Cから数えた時のVI度、つまりA音を省略して恰もペンタトニックを完結させると、それはペンタトニック・ユニットと呼ばれる不完全なペンタトニックの体なのだという事ですね。

 ※此処で取り上げているペンタトニックとは、完全五度音程を4回累積させる事で得られる無半音五音音階である別名アンヘミトニックの事を指しており、半音階を有する様にして恣意的に5音を抜粋したヘミトニックやオクターヴが5音律としての音梯数に分けられたペンタフォニックとも異なる体系を前提としております。

 ペンタトニックが五音音階である以上、各音を中心音とする旋法(モード)としては5種類存在する事になり、アンヘミトニックの体系として全音階的な並びとなる [do・re・mi・sol・la] の音の中から次の様に呼ばれる事になります。

第1種……Doモード種
第2種……Reモード種
第3種……Miモード種
第4種……Solモード種
第5種……Laモード種


 各「モード」には線的に目指すべき「極点」であるドミナントがあり、中心音から上行で順に五度を目指す時、その五度音程には「4音」が充填される事になり、これを「ペンタトニック・ユニット」と呼ぶのが正当なのであります。即ち、ドを中心音とした時の [ド・レ・ミ・ソ・ラ] のペンタトニック・ユニットは [ラ] を省いた4音で構成されるユニットの事を指すのでありますが、この五度音程はペンタコルドという五度音列であるも5音列として存在するのでは決してありません。

 抑もテトラコルドとは、4音列を示す為に用意される語句なのではなく四度音程列の為に呼ばれる語句なのであります。同様にして、琉球音階のテトラコルドが4音列ではなく( ※琉球音階 [ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド] の [ド──ファ] と [ソ──ド] 其々のテトラコルドは[ファ] と [ソ] をディスジャンクトして構成されており、各テトラコルドに於て3音ずつの構成である)3音を拔萃するテトラコルドという事なのであり、これについては広く誤解が生じている事なので注意をされたい所です。

 畢竟するに、「ペンタトニック・ユニット」=中心音〜五度のペンタコルドに収まる音群である以上、ペンタトニックのモード種に依ってはⅥおよびⅦ度が拔萃された4音としてペンタトニック・ユニットを見る事になるのです。加えて、ペンタトニック・ユニットを見るに際して多くの場合はDoモード種で語られる事が多いのでありますが、Laモード種(※この場合、中心音から見てⅦ度相当が省かれる事になる)を語るという事になります。

 こうした側面を勘案するとMiモード種は五度相当に音が生じずどうなるのか!? という疑問を抱かれる方もおられるかと思います。Miモード種のアンヘミトニックの場合は例外的に、四度音程としてのテトラコルドとトライコルドがそれぞれ存在するという状況でペンタトニックが形成されると考えられるものです。つまりは、[ミ・ソ・ラ] [ド・レ・ミ] の2つの音列がディスジャンクトされて構成されているという状況となり、各音列は五度音程という極点を生まないので「ペンタトニック・ユニット」としてのペンタトニックを抜粋して五度相当の音を補完する断片としては使えない例外となります。

 アンヘミトニックのMiモード種が全音階的に補完された状況の旋法=フリギア旋法を歴史的に繙いてみると、フリギアのドミナントはTiではなくDoという六度相当に措かれ且つ実際には五度相当の音があろうともそれをドミナントとして使われなかった理由は、[dis] へのムシカ・フィクタを認められない事でした。つまりはロ音を根音とする属和音が内含する和音の第3音が [d→dis] へのムシカ・フィクタを認められないという事は、フィナリスとする中心音への解決を許さないという事です。

 加えて、フリギアがムシカ・フィクタを頻発するのは [g→gis] という風になる物であります。旋法上では五度相当の音があってもそれをドミナントとされなかったのは、フリギアが [f→e] の下行導音としての働きとしてしか認められなかった事で、フリギアの特徴としては五度音の極点として一旦の線的形成を目指す機能和声側の中でも異端で、寧ろ偽終止進行的(=プラガル)的な世界観を備えているとも言える物で非常に特殊であります。

 フリギアが太古の世界では「ドリス」という旋法名で呼ばれ、これがアラブ・中東地域では異なる発展を遂げ、軈ては西洋音楽界隈でもフリギアは別の体系を生みロマ音階(=ジプシー音階)を生み、この独自の発展からフリギアとは異なる上行導音の具備によりダブル・ハーモニック的要素の音階として多用される事になる訳ですが、その独特の強い薫りを持つ旋法を断片的に用いようとすると、元の強い香りは失われペンタトニック・ユニットとしてもその体を保ちにくい事にもなり、アンヘミトニックのMi旋法としても使われないのは斯様な状況を踏まえる事になるからでありましょう。無論、ペンタトニック・ユニットして取り扱われる事が多いのは往々にしてDoモード種であり、次点でLaモード種であるという事はあらためて申しておきますのでご容赦ください。

 後述する本文での1985年当時のギターマガジンではこれらを詳らかに述べている訳ではないので、その辺りもご注意を。




 私がこれを一番最初に知ったのは1985年のギターマガジン誌上に於いてでした。高橋信博の連載セミナーでの事です。チェレプニン音階やらペンタトニックの事などの知識を獲得していた時期と前後するので、聞き慣れないペンタトニック・ユニットという言葉の興味もあって私のスポンジ脳は食いついてくれたモンです(笑)。


 四音構成の不完全なペンタトニックとはいえ、四度音程を跳越していて四度音程に依るテトラコルドに収まっていない所がミソで、これだからこそ不完全であり乍らペンタトニック・ユニットとして体を成す譯でしょう。


 たかだかペンタトニックと侮る事なかれ、實はペンタトニック・スケールに於いてもきちんとした理解がないと始まりませんし、それと同様にテトラコルドへの理解も同時に理解しておかないといけないという事でもあるのでしょう。知識をある程度獲得していく事で、目の前の曇っていた景色の大半は晴れ上がる事でついついやり過ごしてしまうモノですが、車のフロントガラスの様にワイパーは完全には拭き取ってくれないモノでして、そうした視界の残滓を丁寧に扱ってこそ、のちのち知識の取りこぼしを生まなくなると私は思うのです。たかが基礎的な知識と侮ると、知識を語る空間は枯渇し、言葉に形容する物事すらも何れは罄竭(けいけつ)を目の当たりにしかねません。


 先のペンタトニックが完全五度音程の累乗という事を確認できた様に、實は長音階も完全五度累積に依って得られます(下属音から完全五度累乗)。つまり、言い換えるならばペンタトニックはそうした調的社会のヘプタトニックの断片の姿であるという事ですね。


 今回何故こうしてペンタトニックとやらを引き合いに出しているのかというと、實はつい最近ツイッター上でヒンデミットのダブルベース・ソナタ(コントラバス・ソナタ)の事を呟いていらっしゃった方がおりまして、私はスコアを見た事が無いので音しか判別していなかったのですが、その方の呟きから数日経過している事もあって共感ツイートを焦ってまでもヒンデミット狂いの私がこうして題材にしたいほど心を動かされた事が、スコアではコントラバスのパートがニ長調に「移調」されて表記されているという呟きだったのですね。移調を示唆する調号の与え方という表記という譯です。


 私の友人には移調楽器の記譜を移調の有無関係なくその場で初見で對應可能な者がおりますが、私は脳内トランスポーズが苦手です(笑)。とまあハナシは逸れてしまいましたが、先のダブルベース・ソナタは實は私も好きな做品のひとつで、特に第三楽章のアダージョは、クラシックに所縁の無い人でもジャズの素養のある人なら間違い無く好きになるであろうという、随所に瞠目に値する買う価値のある響きが用意されたモノなのです。

 ダブルベース・ソナタは1949年做品なのでヒンデミット做品としてはかなり後期のモノで、終戦後というのも大きなポイントです(米国へ亡命)。この第三楽章の終止部分は、その後のロックを感じさせるほどでして、特にオルガンを用いたロック系のアンサンブルには間違いなくこうした音はヒントに成り得た音ではなかろうかと思うのです。まあ1949年の做品ですから米国内に於いてもロックを感じさせる楽音の訪れは既にあってもおかしくはありませんが、優しい和音の彩りが随所に鏤められているのが何とも心憎いです。クラリネット・ソナタ第一楽章の終止部にも似た感じがあるので、こうした音はその後のジャズにもある音で、こうした音が1930年代には出来上がっていた事にあらためて驚くばかりで、先人達の音から学ぶ物は多い物です。


 加えて、ダブルベース・ソナタの中盤以降にはとても興味深い和音が登場するのですが、それが次の様な和音です。
SonataDoubleBass3adagio_Hindemith.jpg


 こちらはツイッターにて先の方から態々ご指摘いただきましてあらためてこの場を借りてお礼を申し上げたいのですが、私が当初採譜していた音にはa音が漏れており、私としては何ともお恥ずかしい限りで、あまりの恥ずかしさもあって言い訳のひとつやふたつでも言わないと気が済まない位自分に悔やんでいるのですが(笑)、いくらツイートを急いていようとも音に取りこぼしを生ずるようでは私もまだまだ(まだまだでは崩壊が始まった!?)です。ともあれ、私が譜面を入手する前にご回答いただきましてありがとうございました。

※次の譜例は当初私が取りこぼしていたモノ
incorrect.jpg

 
 9聲で構成された和音ですので、コステールやパーシケッティ流に倣えば九聲の和音となれば17thの和音とも言えますが、構成音を繙くと17度の和音に分類はできない様なので別の側面で分析が必要となる様です。


 これらの構成音を全て長三和音として繙くと、異名同音で表すとC△、E♭△、F#△、A△、B△とも見立てる事は可能です。但し、どうもルートはE♭ではなくD#の様ですから、嬰ヘ長調の平行短調である嬰ニ短調の調域に加えて、他の調性が併存している複調・多調を見立てた和音とする理解の方が腑に落ちそうです。というワケで、今一度先の和音の構造を見ると次の様な構成が見て取れます。
Circleof5dBsSonata3Adagio.jpg


 12音を全て使えば半音階の総和音となりますが、九聲なので和音構成外の音は3つあります。その使われていない音が「D、F、G#」であり、奇しくも減三和音に相当する音が使われていない空間だという事が判ります。


 「使われていない」虚像の空間は自ずとD#の異名同音であるE♭メジャー、つまり変ホ長調のVII度で生ずる減三和音を見立てる事ができます。つまり使われていない音空間は変ホ長調の調域で、それを避けるかのように別の調域で和音が併存している状況とも言えます。トータル・セリーで使われていない音をひとつずつ満たす為に飽和させる様に使って行ったとしても、まだ使われていない空間が「偶々」減三和音の残滓として暗示しているとなると、音にならないから良いもの、こうした音の無いコントラストに調性を示唆しているのはある意味ヒンデミットからのセリーへの反駁の証とも言えるのかもしれません。調的に墨痕淋漓と和音を落としてみせる!かのような。

 私が今回見せた最初の五度圏で提示した和音の分布のそれと、次の変ホ長調でのVII度で出現する減三和音の分布は半音階的な円で示しておりますが、どちらに於いても「図形的に」は全く同じく減三和音の白抜きと呼べる分布を確認できるかと思います(態と意図的にやってます)。
EsDurChromatic.jpg


 それでは本題に戻して、先の九聲の和音で實際に音として物理的に使われている側をきちんと語る事にしましょう。コレを語る際には最初の「五度圏」の圖で表した分布がよ〜く理解できるのです。その理由のひとつに、まず着目していただきたいのが次の通りです。


 時計回りに6時〜10時に相当する5つの音の分布を見てやって下さい。これは五度圏で連続した分布となっている為、これら5音の連続した分布はペンタトニックを示しています。つまり、この五度累乗を維持し乍ら五度圏の順行・逆行いずれの方向に五度累乗を拡大させれば調性を確定させる世界を向く事になるのですが、先の5音の分布の両端に国境を隔てるようにして、「使われていない音」で隔絶されている様に分布されているのがお判りでしょう。本当は、これらの音の分布はH音(=英名B音)を中心とした対称形になっているのではありますが、H音に対称の軸を求めておらず、H音から長三度上のD#音にこの和音は最低音としてアンカーを打っているのがお判りかと思います。


 實は、私が過去に属和音上で、属和音の第三音に等音程をインポーズするというのもヒンデミットの和音のココからヒントを得ています。全く同じ手法ではなく、等音程の脈絡の根拠をコレに見出しているのです。コレを機会にタネを明かすのもイイかなと思って取り上げています。


 私の意図がどうかは扨て置き、黄緑で示した残る4つの音は異名同音で処理すればCm7亦はE♭6と構成音が等しい音を生んでいますが、この時点でこの黄緑の和音が先のCm7亦はE♭6と見立てるのは早計です。但しそれらの黄緑のグループをとりあえず先のペンタトニックを有無音列は紺色のグループ、という風に大別して興味深い側面を語ってみる事にしましょう。


 ペンタトニックで表す事のできる紺色のグループ、このペンタトニックが齎している情緒をもう少し中和させるためにペンタトニック・ユニットという視点で音を省いてみます。するとA音から端を発したVI度の音に相当するのは「F#音」なので、これを省くとAのペンタトニック・ユニットを得ることになります。

 但し、實際にはこの和音の空間は「複調」として想起している為、ひとつのグループから音を省いた変わりに、別グループから補完し合わないと音の総数が合いません。そこで、黄緑のグループが別グループとなるので、F#音に最も近しい音が「G音」となるため、紺のグループと黄緑のグループ夫々が個性を主張し合わない様手を取り合って「併存」のキャラクターを強くするにはペンタトニックを形成しようとする音は別グループからの補完、という風になって手を取り合うような音になっているのです。

 
 もしヒンデミットがここで(この和音を背景に)、A、E、H、F#、C#という音を旋律的に用いてしまうとバイトーナル・コードの風味よりもAメジャー・ペンタトニックの色が強まり、それプラス他調の音、という風に和音の色彩よりも旋律的情緒が強くなってしまう世界観となるのです。

 加えて、減三和音として登場する使われていない空間は、黄緑グループで安易にペンタトニックを示唆しないために巧い事90度ずつ「ブロック」されているのが判ります。このブロックは結果的に、ペンタトニックがペンタトニックの形成を中和するペンタトニック・ユニットがやはりスケール・トニックとVI度の音が90度を形成する事から、容易にペンタトニックの情緒を作らせずにバイトーナル和音の色彩を出すことに成功している和音の形成の在り方という事があらためてお判りになるかと思います。


 つまり、こうした和音を背景にして紺色で示した様な音の方面を色濃く使うとなると調的要素が増して「唄心」ある様な音に変容する可能性を秘めていて、半音階や三全音やらを巧みにまぶし乍ら使えば亦別の半音階的な調性感の希薄な音使いを得ることもできるという側面を持っていると言えますが、複調的であるものの、それぞれの調性は曖昧なままこうして重畳しい和音にしているのはとても興味深いと思います。とはいえ長三和音として繙けばC△、E♭△、F#△、A△、B△でのF#△とB△で生ずる四度/五度の配置が調的情緒を生みやすいモノとも言えますが、こうした所に複調の先にある別の調性への嘯きというのもあらためて把握するのも面白さが増すのではないかと思います。調的な要素と調性の希薄な情緒を絵で見る様に捉える事で違った感覚を見出せると言いましょうか。


 調性を確定してしまえば、そちらの牽引力が強まるのは間違いないので、其処から生じるデュナーミクというのは必然的にメロディックなモノになったりするでしょう。半音が至る所で交錯する事で半音はおろか増二度に変化させる事も可能となりメランコリックな音を生んだりする事もあれば、調性を確定しないまま和声的な空間と一緒に波間を漂うかのような半音階の旋律を和音と一緒にハモるかのような情緒を得たりする世界も同時に手に入れる事ができる、というワケですね。


 しかし、音樂を難しく考えることなく、通常の体系ではなかなか生じない興味深い和音に對してきちんと耳を向けると、従来では知覚することのない美しい世界を体験する事ができると思うので、知らなかった人はこの機会に耳にしてもらえると私としても嬉しい限りであります。

 余談ですが、私はカレ・ランダルが弾くヒンデミット做品はとても好きでして、こうした難解な音への理解が非常に深い人だと私自身は常々感じております。多くの人が理解が無いとは言いませんが、ヒンデミット做品の造詣の深さとリスペクトを常々感じざるを得ません。今回はMDGのヒンデミット・ソナタVol.7を元に語ってみました。
HIndemithSonataVol7MDG.jpg