SSブログ

Music Is The Key / Weldon Irvineを語る [アルバム紹介]

 今回のテーマは「Music Is The Key」というウェルドン・アーヴァイン(旧来からアーヴィンと呼ばれておりますが私のブログではアーヴァインと統一します。最近ではきちんとアーヴァインと語る所も出て来ております)のアルバム「Sinbad」に収録されている名曲を語る事でして、アルバム「Sinbad」は76年作でスタッフの面々であるリチャード・ティー、エリック・ゲイル、スティーヴ・ガッドやらが参加しているのもあって、まあ器楽的な心得のある連中なら食い付いておかしくないアルバムのひとつであるワケでして、その中でも「Music Is The Key」というのは浮遊感漂う曲調とハーモニーに心酔することのできる名曲なのであります。
01Weldon_Irvine_Sinbad.jpg



 なにゆえ今そういう話題を取り上げるのかと言いますと、つい先頃ストラタ・イースト在籍時のアルバムのリリースがあったりと、ウェルドン・アーヴァィン関連は今現在かなりホットな話題でもあるのでコレを機会に語ろうというワケです。
02WeldonIrvine_in_harmony.jpg


 このブログ記事の投稿時(2012年11月上旬)ではウェルドン・アーヴァインの「In Harmony」と「Weldon & The Kats」の2作がリリースされた直後なので、その2作については今更私が此処で語る必要はないかもしれませんが、特に今回の話題に挙げる点は「Weldon & The Kats」に収録されている「Music Is The Key」にありますのでご容赦願いたいと思います。
03Weldon_and_the_Kats.jpg


 アルバム「Sinbad」の「Music Is The Key」を知る人ならば、このアレンジは全くの「別物」に感じる事でありましょう。メロディはそのままに(移調はされています)背景のコードは完全に異なる和音にリハーモナイズされているアレンジなのです。

 クレジットを確認すれば、このアレンジは「あの」マーカス・ミラーに依るものだと。しかもドラムはプージー・ベルという、90年代前後位でないと私はプージー・ベルのドラム音に遭遇しなかった事もあって、よもや古い時代にマーカス関連が関与していたとは驚きです。

 加えて、私は先のマーカスに依るアレンジを「何処かで」耳にしているのです(持っている)。そうです。それがバーナード・ライトのソロ・アルバム「NARD」に収録されている「Music Is The Key」のアレンジなのです。但し音源は全く今回とは別物です。
04BernardWright_nard.jpg


 実は私、今回のリリースに依って初めて知ったのでありますが、当時のバーナード・ライトのソロ・アルバム収録の「Music Is The Key」もよくよくクレジットを見るとマーカス・ミラーがアレンジと明記されているんですね。そんな事はつゆ知らず、私は原曲とはほど遠い和声感に驚き、過去にもバーナード・ライトのアレンジだと勝手に思い込んで「音採れてんのか!?」と酷評していた矢先にコレ(笑)。いやー、バーナードさん本当にすいませんでした。悪いのはマーカスですね(笑)。マーカスの先の新作で褒めたばかりだというのに(笑)。




 とはいえ、そんな名曲を知る機会を得る事となる80年代当時の私の経験は、実はウェルドン・アーヴァインの「Sinbad」からではなく、バーナード・ライトのソロ・アルバム「Nard」収録にカヴァーされている「Music Is The Key」が最初でしたが、リアルタイムに手に入れた物ではなくデヴィッド・サンボーンのストレイト・トゥ・ザ・ハートのLD(=レーザーディスク)が発売された頃になりまして、それから2、3年して漸くオリジナルの「Music Is The Key」を聴く事となって、初めて聴き比べが出来る事になったという事を思い返します。その直後にジャマイカ・ボーイズの1stアルバムが輸入盤で見掛けるようになり、久方ぶりにバーナード・ライトの名前を知る事になったという記憶が懐かしくもあります。

 当初、私がバーナード・ライトの「Music Is The Key」を聴いた時は、マーカスのアレンジだとも他者の曲だとも何とも思っておらず、ごくフツーの曲にどうにかエレピのソロが巧い事アウトしたフレーズ絡めているだけで大した印象は抱いていなかったのです。で、チャカ・カーンの「チュニジアの夜~A Melody Still Ringers On」でバーナード・ライトのクレジットを確認し、その後ジャマイカ・ボーイズの1stまで目立った印象は抱いていなかったのであります。

 そうしてジャマイカ・ボーイズの1stを聴いた頃にはウェルドン・アーヴァインの「Sinbad」を漸く耳にして「Music Is The Key」を知る事になるのですが、ココで初めて「Music Is The Key」がウェルドンの曲だという事が判明し、聴き比べてみると、いやー、こんな素晴らしいコード進行の曲をよくもまあこんなにしてしまうモンだと怒りに震えてしまった覚えがあります(笑)。


 で、今回、それがマーカスのアレンジだという事を初めて知る、と。この左近治、30年近く経過して漸く真相を掴む事が出来るのでありました(笑)。まあ、確かにオリジナルの「Music Is The Key」も終盤のエリック・ゲイルのモード想起はチョット疑問符が付くようなプレイでして、ひとつのモードで串刺しできないもどかしさとモードチェンジに不十分な対応であるのは否めないのでありますが、それを覆すほど原曲のコード進行とウェルドンのメロディの音選びはバイトーナル方面の音をも唄って成立させている為とても新鮮で浮遊感のある響きを演出しているのであります。
05Music_is_the_key_Auth.jpg


応しても寸止めとなってしまうため解決の無いループで「II - V - I」という当て嵌めができないので、ツーファイヴ展開で得られるジャズ的語法のフレージングがこなせなくなってしまうワケで、ソロを取ると手詰まり感が出てしまうのです。こういう場合、ジャズ的語法ではなくバイトーナル的語法による、オルタード・テンションも包含しつつもオルタード・テンションでは説明不可能な音はウェルドンのメロディのフレーズを利用した発展をすればイイのですが、いずれにしてもジャズ的な語法だと確かに難しいモノではあるでしょうが、そういう不完全さを覆すほどの素晴らしいハーモニーを堪能してこその「Music Is The Key」本来の姿であるのだと私は感じているのです。


 マーカスのアレンジは、原曲のモード・チェンジのし辛さを極力回避した「やりやすい方向」のアレンジになっているのは明白で、確かに今回のウェルドンのアルバムの方のマーカスはなんとフルアコと思しきギターまでソロを弾いているのだから恐れ入る限りなんですが、音選びがベースで指弾きでインプロヴァイズしている時のプレイよりもよっぽどイイんですな(笑)。こういうフレージングのスムーズさを鑑みると、マーカスは原曲のモード・チェンジのし辛さを理解しており、それを排除するがための大胆なリハーモナイズという手段に打って出たのだな、と痛感するのであります。というか、おそらくマーカス自身も原曲通りのコード進行ではモード・チェンジの対応の難しさを判っていたのでありましょう。
06Music_is_the_key_MM.jpg


 とはいえ希代の名曲であろう、素晴らしいコード進行の曲をここまでリハーモナイズしてしまうと曲は最早別物でありまして(笑)、丼物食べたさに店に入ったらレトルト食品出されてしまったかのような印象すら否めないといいますか、原曲を知っている方でマーカス・アレンジを気に入る方は相当稀有なタイプだと私は思います、ハイ。

 例えば、マーカスのアレンジの方だと、2小節目ケツの方の1拍毎の「Am7(11) -> D7(♭13)」はGmを想起可能なコード進行でして(譜例には明記していません)、Gマイナーを想起しつつ、そのGマイナーをGドリアンで代用するならば結局それは「Fの調域」であるため、譜例では「Tonal in F」としか明記していないのであります。つまり「Gドリアンを中心に串刺しできる」という解釈で進めるワケですが、アドリブのしやすさ如何で大事なコード弄られたら私は堪ったモンではありません。然し乍ら、モード対応を考えると「よく考えられているな」と思わせる「別物」として成立可能な曲である事も亦確かではあるのです。


 とまあ、マーカス・ミラーに依るアレンジの「Music Is The Key」にはこういう背景があるのですが、マーカスのアレンジだって目くじらを立てる程悪いモノではなく、寧ろバーナード・ライトのアルバム収録のよりもよっぽど良いですし、別物のアレンジとはいえど唯それだけの理由でウェルドン・アーヴァインの今回CD化されたアルバムの価値が薄れるというモノでは無いという事はあらためて申しておきたいと思います。マーカス・ミラーのファンが買っても良いアルバムですし、ウェルドン・アーヴァイン目当てなら間違い無く入手すべきアルバムに疑いの余地はありません。私はどちらかというとバッサリ語ってしまうクチなので、それでネガティヴな印象を受けてしまう方もいるかもしれませんが、私のそうした手法はというのは、感情的な言葉に食い付いてしまって本質を見誤る人をフィルタリングする為の術でもあるので、そのまんま受け止められてしまうと私としては本意ではなかったりします(笑)。

 今回のCD化に於いて私が誤解していた事は、マーカスに依るアレンジのそれをバーナード・ライトに依るモノだとハナから決め付けてバッサリ断罪してしまっていた事は反省することしきりです。それを思えば、マーカスのアレンジにてあれだけアウトなフレーズを忍ばせるバーナード・ライトは逆に良いシゴトをしていたと思います。私自身、バーナード・ライトはジャマイカ・ボーイズの2度目の来日での当時の渋谷公会堂(1回目の今は無き新宿厚生年金会館では来日せず)で観て以来姿を観た事はないのですが、それも今では懐かしい思い出です。会場では櫻井哲夫さんの姿もあったりで懐かしいモノでしたが、私はレニー・ホワイト目当てだったという(笑)。








2021年1月24日追記

Music Is The Key / ウェルドン・アーヴァインの譜例動画制作と解説



 本記事の初稿は2012年12月なので今回の追記はそれから8年強ほど経過する事になるのですが、ウェルドン・アーヴァイン関連で目新しいコンテンツとなるとLPと配信形式で『The Sisters』というアルバムがリリースされる様になった位のもので、『Spirit Man』『Sinbad』『Cosmic Vortex』のアルバムがあらためて国内再発となった訳でもないという状況です。首を長くして待っている方も少ない乍ら存在しているだろうと推察します。

 特に『The Sisters』には、マーカス・ミラーが大活躍しているので、スラップ好きの人には堪らないマーカス・サウンドを堪能する事が出来る事でありましょう。

The Sisters.jpg


 もっとも、嘗ては「アーヴィン」や「アーヴィーン」表記が優勢であったウェルドン・アーヴァインなのでありますが、米国カリフォルニア州にはアーヴァインという街があり、国内表記でも ‘Irvine’ という読みが「アーヴァイン」というカナ表記が充てられているにも拘らずそうした所に配慮せずに勝手な臆断でネーミングされてしまうのは日本の音楽業界の悪しき慣習なので是正されて欲しい部分であります。

 扨て今回追記する事となったのは、私の重い腰を上げて漸く「Music Is The Key」の譜例動画制作を終えてYouTubeにアップして楽曲解説をする必要となったのが大きな理由であります。




 2015年頃に補足した私のTwitterでは、拍節構造を重視せずにカデンツァの振舞いをタイだらけで表した解釈で譜面にしていた事もありましたので、少し上部にスクロールしていただければ当時のTwitter画像でご確認できると思いますが、今回の解釈は拍節構造に重きを置きつつフェルマータを多用した上で譜面上での拍節構造が平易になる様に解釈をあらためた表記となっているので、おそらく今回の譜例動画の方が断然読みやすいのではないかと思います。

 カデンツァとは、譜面上では拍子構造が拍子記号として充てられていても「cadenza」という注記によって拍子は無拍子化するので、小節線を無くした上で拍子構造は不明瞭であるも、符尾や連桁は拍節構造を意識しているという表記となります。

 ポピュラー音楽では多くの場合、楽曲中にソロ演奏だけになる状況でカデンツァで書かれる譜面に遭遇する事があろうかと思います。

 今回の譜例動画で注意して欲しい点は、冒頭の不完全小節は四分音符でのアウフタクトの弱起として表されておりますが、本来は不完全小節を小節数にカウントしないのが正当な表記であるにも拘らず、今回は冒頭不完全小節を1小節目としてカウントしてしまっているのはご容赦いただきたいと思います。

 この様な状況になってしまった理由は、私がFinaleを用いて設定する時に弱起の設定を充てずに1/4拍子を4/4拍子と見せた小節設定を施してしまっていたからであります。

 制作当初はローズの左手低音部でのGのパワー・コード部にはショート・フェルマータを充てずに単に3/8拍子を充てていた事にも起因している設定ミスであります。

 その後、3/8拍子という状況が冒頭に現れるよりも、曲中で多用されるフェルマータとの兼ね合いで、フェルマータよりは短い延音動作としてショート・フェルマータを充てた不完全小節(アウフタクト)という表記での、平易な拍節構造と人間的な「曖昧な」要素を具備した表記の方がシンプルであろうという判断の下で解釈変更となったのでありますが、解釈変更時に小節数カウントの設定を忘れてしまった事がこうしたミスを招いてしまったのであります。

 そもそもFinaleの場合、強起で制作し始めた楽曲を弱起に制作し直すのは可能なのですが、其際付点音符がタイ付きの音符に変わって表記されてしまうという事になってしまい、その修正の煩わしさに心を奪われ小節数設定変更をすっかり忘れてしまったという訳です。小節数設定変更自体は非常に楽な作業であるにも拘らず。

 まあ、Finaleを所有していない方からすれば何を嘆いているのか珍糞漢糞だと思いますが、譜例上の不完全小節は小節数のカウントとしていただきたいというのが今回注意して欲しい点でありますのであらためてご容赦願いたいと思います。

 という訳で、本来なら不完全小節である冒頭小節の1小節目。これは先述の通りGのパワー・コードです。コード表記をしようものなら「G5」と充てていた事でしょう。

 ローズの左手低音パートは1・5・8度でのそれや、低音部でのトライアド基本形を忌憚なく奏するというローズゆえの低域の溷濁は、アコースティック・ピアノの低域の溷濁感とは異なり、結構綺麗な(ブーミー)な飽和感のある溷濁を得られるので、こうしたヴォイシングを多用する人は多いです。マックス・ミドルトンも顕著です。

 今回の譜例動画の特徴としてもうひとつ挙げると、コード表記を割愛しているという事に違和を覚える方も居られるかと思いますが、四分音符毎にコード表記を並べる事で楽譜のスペーシングも相俟ってコード・サフィックスが詰まりすぎて平易な拍節感を阻碍しかねないという判断からコード表記はブログで補完するという事にしたのです。こうした前提を踏まえた上で次の小節の解説へと進みます。

 2小節目のコードは以下の様に、

F△7(on G)-> B♭/F -> A♭/B♭ -> F△7(on G)

という4つのコード進行となります。全体的にはほぼ一貫して、左手はクォータル・ハーモニー(四度和音)に対して右手が3度ヴォイシングという状況であるという訳です。

 3小節目のコードは、

E♭/F -> B♭△7(on C)-> C♭△7(on D♭)-> D♭△7(on E♭)

という風に、七度ベース後は二度ベースを繰り返すという状況になっているという訳です。

 4小節目2拍目からアコースティック・ピアノが入り、冒頭の [es] はマルカートで入ります。同小節3拍目以降は次の小節までディミヌエンド(漸弱松葉記号)を採り乍ら、同小節4拍目からリタルダンドを採るので、テンポをゆったりと奏するという解釈となります。

 5小節目1拍目はアッチェレランド(accel.)を出す為のポーコ・リタルダンドと表している表記になるのですが、あまり良い表記の仕方ではないかと思います(笑)。前打音が後続にもつれる様に意識し乍ら逆付点である後発の [f] をメゾフォルテではあるもののメリハリを出して奏して欲しい部分です。

 5小節目3拍目でのローズは楽曲冒頭同様にショート・フェルマータのパワー・コードですが、楽曲冒頭よりも弱く弾いて欲しい所です。

 6小節目は「a tempo」なのでテンポが元に戻ります。6〜7小節間でのコード進行は先述の2〜3小節間と同様です。

 然し乍ら6小節目2拍目の右手中指で奏される [d] の掛留。直後の後続和音までの掛留は〈一体、どういう運指なんだ!?〉と混迷を極めた物で、2拍目での高音部の3音は低い方から「親指・中指・薬指(!)」という、途轍もなく蘞い運指で中指を掛留させなければ無理であろうかとも思います。

 掛留させた [d] と左手の [f] は六度音程しか離れていないので、左手で [d] を交差して打鍵する事自体は楽ではありますが、そうすると3拍目の左手低音部を弾く際、少なくとも左手が10度音程を弾く事が可能な奏者で無ければ3拍目での [b] とその10度上で掛留させた [d] を弾くのは難しい事でしょう。

 然し乍ら、左手サポートではなく指番号「1・3・4」で弾いて中指を掛留させれば、「1・3・4」の弾き始めこそ厄介ですが、後続の [as] =1、[c] =2、[d] =3、[es] =4 という解釈の方がスムーズな移行となる筈です。少なくとも私の解釈ではこの運指しか想定できませんでした。左手10度は無いであろうという判断です。

 7小節目4拍目から再度リタルダンドが施されテンポが落ちる事に。

 8小節目拍頭ではローズのアルペジオのコードは「D△7(on E)」の二度ベースの型。これは先行和音から半音高く移高してのヴォイシングでありまして、2〜3小節間で生じていた一連のコード進行では「D△7(on E)」に帰結せずに好い意味で蹂躙していたという訳です。

 同小節2拍目でのローズ低音部は、更に1オクターヴ下の [e] を添加。そうして同小節3拍目では「a tempo」でテンポは元に戻り、ピアノが上行フレーズを採って入って来ます。

 9小節目でもピアノのフレーズは続き、2拍目の1拍3連中抜きではあるものの、音価の短い前打音 [c] である装飾音符のそれには十分注意を払って弾いていただきたい所。

 同小節3拍目での拍頭を叛いた1拍6連も注意が必要であろうかと思います。譜面上では視覚的に仰々しい表記であるかもしれませんが、このテンポならば却ってこうした細かな構造の方がニュアンスが伝わりやすいのではなかろうかと思います。

 10小節目の最初のコードは「D△7(on E)」という2度ベース。ローズ高音部の [d] 音と同パート低音部の [e・a] の前打音および掛留は注意が必要です。つまり、これらの前打音が先にあって高音部の [fis・cis] が後発となる様に弾く様に示しているのです。

 同小節3拍目弱勢でのコードは「C△7(on D)」の2度ベースの型です。ここで「f(フォルテ)」を充てなくとも従前からのそれは同様の強さなので充てなくとも良かったのですが(過程に松葉記号があれば別でしょうが)、こうして充てたのは単なるミスですのでご容赦下さい(笑)。

 11小節目最初のコードは「G♭△7(on A♭」の2度ベースの型として続きますが、先行和音のそれとは三全音進行となっているというのが特徴です。また、フェルマータが充てられておりますので、長めの感じで時を止めていただければと思います。

 同小節4拍目のコードは「B♭/C」。矢張り2度ベースの型でアルペジオでも以て奏されます。そのまま11小節目へと掛留します。

 11小節目1拍目弱勢でのコードは「A♭△7(on B♭)」で、高音部のみのアルペジオです。同小節3拍目では実に仰々しい「F♭△7(on G♭)」でフェルマータが充てられております。コード表記としては、読みやすさの上では異名同音である「E△7(on F♯)」に軍配が上がるでしょうが、先行和音「A♭△7(on B♭)」からの長二度下行の移高なのでありますから決して減三度の「E△7(on F♯)」に進むという事にはなりません。ですので先行和音からの長二度下行は「F♭△7(on G♭)」であるのです。

 読みやすさの上だけでコード表記の解釈を勝手に変えてしまうのはジャズ/ポピュラー音楽界の悪しき慣習のひとつでもあるので注意をされ度し。

 13小節目1拍目でのアルペジオで奏されるコードは「A♭/B♭」です。同小節内でのコードの拍節構造は「3:2:2」構造なのですが、4拍目に現れる最後の「2」もタイで後続へ掛留し、実質的には八分音符のパルス×3つ分の歴時を持っております。

 同小節2拍目弱勢でのコードは「G♭/A♭」。更に続いて同小節4拍目のコードが「D△7(on E)」の減四度進行というのが洒落ております。先行和音からの長三度跳躍ではありません。

 14小節目1拍目弱勢でのコードは「E△7(on F♯)」です。弾いている鍵盤は先ほど出て来たばかりの「F♭△7(on G♭)」と物理的には同じ鍵盤を弾いてはいても、これほどまでに解釈が異なるという事はあらためてお判りいただきたいと思います。

 同小節3拍目のコードは「F△7(on G)」で、同小節4拍目弱勢では先行和音より短三度高く移高し「A♭△7(on B♭)」と進みます。また、本コード上でリタルダンドするという事を示しております。フェルマータは、移勢後の15小節目1拍目拍頭から採るという意味で付しておりますのでご注意いただきたいと思います。

 15小節目2拍目では「a tempo」となり、テンポは元に戻ります。本箇所でのコードは「G△7(on A)」となります。

 ローズの低音部は15小節目3拍目弱勢で1オクターヴ下の [a] が補足されます。

 15小節目のピアノのパートでは1拍目から表される休符は付点二分休符でも良かったとは思うのですが、他のパートの拍節構造および「a tempo」の位置を明確化する為に敢えて付点を付すのは避けました。

 そうして同小節4拍目からピアノがあらためて奏されるという事に。

 16小節目でもピアノは継続して奏されますが、同小節での低音部では付点二分音符を与えているので先のそれと整合性が採れていない様に思われるかもしれませんが、茲では明確な拍節構造を必要としないので敢えてこうした表記にしております。

 加えて、本小節で付点二分音符を明示する事に依り4拍目の存在を明確化すると同時に、4拍目で現れる [g] の佇立が顕著になる為、高音部のフレージングの惰性に埋没させない為の注意喚起にもなるであろうという解釈で付点二分音符を与えているのです。

 17小節目。従前の1オクターヴ上げから更に2オクターヴ上げとなるのであり、一般的なピアノでの物理的に最も高い音「C8」の音までフレーズは突き進みます。

 この最高音までに続く直前の2音を含めた音は [b -> h -> c] と進んでおりますが、譜例動画の初稿時では私は [h -> c -> cis] と記しておりました。一般的なピアノの最高音にはC8よりも高い「C♯8」が無いにも拘らず。その理由は、原曲のピアノのストレッチ・チューンが非常に恢きいからなのであります。

 原曲の最高音は標準的な「C8」よりも60セント近く高いです。40セント上は「C♯8」となるので最早「C♯寄り」な訳です。しかもこの「C8」用に複数備わるピアノ線が完全なユニゾンではなく比較的大きな開きが生じていて、その差が凡そ1/4コンマほど離れています。これは約5.49セント離れているので、標準ピッチとしてa=440Hzを基準に高い方の「C8」に合わせると平均律の「C8」より61.5セント高くなっているのです。

 低い方の「C8」と比較しても56.0セント高い状況にあるので、どう足掻いても原曲のピアノの最高音「C8」は最早「C♯8」寄りなんですね。

 斯様な状況に嘆息して、譜例動画初稿時の私は [h -> c -> cis] として表してしまったのですが、四分音ピアノを用いている訳でもないのに微分音表記を使うのは承服しかねる所でありますし、とはいえピアノの最高音が「C8」が一般的なそれである事を思えば、矢張り「C♯」を生じてしまう記譜には忸怩たる思いが沸々と湧き上がり後悔したので、2度目のリテイク時に [b -> h -> c] と直しつつ、譜例動画の注記に見られる様に ‘raised 17 - 43cents for stretch-tune’ と充てた訳です。

 ところが、60セントも高いストレッチ・チューンを再現するのは至難の業でありまして、今回譜例動画で用いているアコースティック・ピアノはArturiaのPiano V2に内蔵するストレッチ・チューンのパラメーターを施しているのですが、それを以てしても最大で60セント程開いてくれはせず、50セント近傍が限度なのです。

 しかも50セント近くまで上ずらせると「C8」より低い音域のそれもオリジナルよりも高くストレッチされ過ぎてしまうので、譜例動画のデモの実際としては、例示される範囲の音域〈はストレッチ・チューンに伴い17〜43セント上ずっています〉という注釈を充てたという事なのです。ですので、オリジナルのストレッチ・チューンは譜例動画よりも更に高く、最大で5セント強ずれたピアノ線の音が聴こえますので採譜がとても厄介であった事はご承知おきを。

 そうしてMODOBASSのリッケンバッカーのフロント・ピックアップ優勢の音とローズ低音域のオクターヴ・ユニゾンのベース・リフを聴かせるAパターンへと移行するという訳です。

 尚、譜例動画の方ではAテーマに移る17小節目2拍目弱勢以降でのフリジアン・スーパートニック(=♭Ⅱ度)を聴かせるブレイク時にテンポ・チェンジを示しておりませんが、きちんと表すならば17小節目2拍目弱勢でテンポが変わった事を示す表記を施さなくてはいけません。

 それまでののテンポが四分音符=83であった訳ですが、ブレイク以降のテーマ部のテンポは四分音符=107辺りを推移するので、その辺りもあらためて注意して確認していただければと思います。

 譜例動画のローズ音源はAIR Music TechnologyのVelvetを用いてWavesのGTRのアンプに突っ込んで音色を作っています。Velvetはサステイン・ペダルを駆使する時の自然な長音と減衰が得られるので、遅いテンポで抑揚のあるローズのフレージングが要求される時にはベストな音源だと思います。

 アープ・オデッセイはコルグのものを用いました。矩形波のLFOを薄くかけるのがオリジナルのそれを模倣するのに必要な要素なので参考にしていただければと思います。