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8ビットProg [プログレ]

 プログレを聴くに当たって特に意識しなくても良いのですが、いつぞやの題名のない音楽会において山田五郎氏が登場して仰っていた事。クラシックやプログレ・ファンに何処か共通してしまうのは「特権階級意識」だと。言い得て妙ですね。まさしくそうだと思いました。崇高な音楽だと崇拝してしまうワケですね。


 過度な迄に愛情を注いでしまう音楽というのは誰にでもあるでしょうが、シンセサイザーという多様な音色を用いる事なく、あらゆるシーンを形容する音と情感を作り出すためには、ある一定のリズムの語法などで括られる様な音楽を奏でているだけでは表現しきれない世界だと思うワケですな。ビート感ばかりを強調してそれこそキック4つ打ちなんてやってしまえばダンスフロアシーンの為の音楽になってしまうでしょうし、多様な音世界の構築が狭まってしまうというジレンマに陥る、と。

 そういう意味でクラシックもプログレも、曲の情感の演出に豊かだからこそ、状況を反映したかのような曲作りに於いて多様な語法や技法が用意されるワケでありましょう。NHK-FMのプログレ三昧でも、ゲームやアニメ業界からの受容というのが語られておりましたが、つまりはサブカル方面の人達でも多様なシーン演出が必要なために色んな曲調が持て囃されるワケですな。そういう所においてアカデミックなクラシカルな表現ばかりではなくプログレ的要素やらも巧みにアレンジに取り込もうとする動きというのは昔に比べれば体系化されている所でもあるでしょうし今では「プログレ」というジャンルに接する事自体、昔ほど取っ付きにくいモノではなくなっているのかもしれません。


 特権意識みたいなのを取り払って誰にでもプログレを親しみやすく聴かせてしまおう!という魂胆から、左近治は8bit Progなる企画を繰り広げるようになるのでありまして(笑)、とりあえずはYesの「Mood For A Day」とハットフィールド&ザ・ノースの「Mumps」の8bit版を披露することに(笑)。自分で言うのもアレなんですが、「Mood For A Day」の曲調の豊かな変化はまさに8bitアレンジにはうってつけの曲のひとつでありまして、今回は結構遊んでしまったワケであります。

 「Mood For A Day」の曲中のシーン変化というのは、ある意味8bit要素を含んだ音にはとても感情移入させやすいとでもいいますか(笑)、いわゆるゲーム音楽の手法にもよく見受けられる、多彩なシーン・チェンジにおける曲想の変化に富むそれを万人が判りやすい様に設計されている(曲の構造が)事が重要視されるワケでありまして、ゲーム音楽ばかりを礼賛するものではなく、こうした手法は古くは歌劇、映画やらの手法であり、そうした情景の変化に合わせて音楽が変容する様を形容する物にゲームも含まれるように変化してきたという理解が正しい理解だと思います。


 健常者というのは時に自分自身の感覚に無頓着になったりするものですが、例えば盲目の人が視覚的なイメージは抱く事ができないワケでそうなると聴覚やら別の感覚を駆使してイメージを形成せざるを得なくなります。音楽を利用するという事は聴覚からの刺激でありますので、例えばゲームひとつ取っても、そのシーンにそぐう音楽というのは、受け止める人の経験則によって初めて効果が高まるものなので、万人向けのゲームであれば誰もがイメージしやすい物で設計していかなくてはならないという側面があるという事を述べているのでありまして、音楽というのも実は「判りやすさ」は「聴きやすさ」ではないという事なのです。

 緊張や恐怖を必要とするシーンならそれこそポピュラー・ミュージック界隈のコード表記にも収まらない類の不協和音が鳴らされようとも、そうした緊張が判りやすく鳴らされる事が時には重要な事でもあるワケです。それらを紐解いてみた時に、初めて下支えとなる高次な理論的側面に遭遇すれば良いのだから、結果的には聞き慣れない和音の構造体であったとしても本来は誰もが同じ様に感じる事の出来る感覚を備えているのだという事を理解していただきたいワケです。だからといって音楽の和声的な構造体が無秩序でどの音も使って良いという事ではありませんのでご注意を。


 とまあ、ハナシを戻しますが「Mood For A Day」の曲想の豊かな変化において顕著なのは、転調よりももっと小回りの利くかのような「旋法の嘯き」。コレはいわゆる「モードの変化」です。つまり、楽曲の一部が、それまで予想し得る調性とは異なる調性の断片的使用によって、曲想が嘯き、赤色だと思っていた所に別の色のライトが当てられた事で色が変化するかのようにモードを変化させ、亦戻る。こういう手法が譜例におけるインデックスCの部分ではとても顕著に表れている事を確認できるでしょう。
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 こうした「嘯き」というのは、幼少の頃から誰もが「トルコ行進曲」やら「クシコス・ポスト」やらでも存分に味わっている例だと思います。私が子供の頃は、こういう嘯きとは別に、ルパン三世のエンディング・テーマでチャーリー・コーセーが「足元に絡み付く~♪」と唄うあのテーマ曲に、そうした嘯きの「妙味」を感じ取ったモノです。山下毅雄の作品ですね。パネルクイズアタック25のテーマ曲の方です(笑)。

 このような「調性の嘯き」というものが曲調をより一層彩るワケでありまして、さらには長調と短調という明暗も繰り広げられているので、曲想は多様に彩りを増して違った側面を見せてくれるようになるワケです。原曲そのものがこういうカラーなので、原色系とも呼べるような8ビット系サウンドをメインにしていても、曲調の多様さは失われず寧ろレトロ・ゲームにもありそうな情景変化による曲の変化のような感じにすら仕上がるワケですね。8ビット・サウンドのキャラクターに相応しい曲想の変化に富んだ曲というのは実はプログレ系音楽こそ別の側面の真価を発揮してしまうという魅力も兼ね揃えているワケであります。

 普通なら小難しく忌避してしまいそうなジャンルかもしれませんが、こうしたエッセンスを加味する事で寄り添う事が出来るモノでもあるんで、毛嫌いせずにコレを機にプログレとやらに触れ合っていただくのも良いのではなかろうかと思って作ったワケです。


 言い換えるなら「デフォルメ」。玩具で言えばチョロQ、アニメ・漫画界隈の技法で言うなら2頭身キャラみたいなのが音楽における8ビット・サウンドの取り扱いに近いのではないかと思えるワケでもありますが、折角こういう方向でプログレを取り上げるならばいっその事作ってしまえ!とばかりに私が悪ふざけはまだまだ続くコトとなり、今回はハットフィールド&ザ・ノースの名曲「Mumps」の8ビット版も作るコトに(笑)。
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 以前にも私は「Mumps」を制作した事があったものの、今回の「Mumps」は原曲の4つの組曲として構築されている内のquietバージョンとloudバージョン両方とも作るコトに。quietバージョンというのは原曲の冒頭、loudバージョンは原曲の終盤という区別があるものの、実はいずれ解説したかった両者のリズムの取り方の違いを明確化したかったので、敢えてこういうチャンスに語ってしまいたいのもあって2バージョンを作るコトにしたワケです。

 過去に私がアレンジしてリリースした物は、quietバージョンを踏襲し乍らビートはloudバージョンだったワケでありますが、今回用意する譜例を見比べていただければ違いが一目瞭然だと思いますのであらためて記すワケでありますが、Mumpsのquietとloudバージョンの拍子構造を見ていただくと、黄緑色のアンダーラインで記した部分の小節の拍子構造がそれぞれ異なる物になっている事がお判りになるかと思います。
Mumps_quiet.jpg


 これは私のアレンジやらは無関係に原曲もこうして符割を使い分けておりまして、通常ならば原曲の終盤であるloudバージョンの方が掴みやすいでしょうが、quietバージョンの黄緑色の部分の拍子構造はloudバージョンと違い7/16拍子をベースにしております。「本当に使い分けてるの!?」と懐疑的な方は原曲のquietバージョンの2本目の黄緑色に相当する小節部分を聴いていただければお判りになるかと思いますが、もしもココで7/16拍子ではなく「4つ」で乗っていると、思いの外速く訪れるシンコペーションの様な「前のめり」なエレピを実感すると思います。これは7/16拍子で乗るとその前のめりのようなつんのめり感がお判りになるかと思いますが、この前のめり感はloudバージョンで再現されないのはそもそも拍子構造が変化して4つで乗った上で16分音符と1拍3連の組み合わせにしているからでありまして、loudバージョンの方の符割が掴みやすいからといってコレと同様の拍子構造がquietバージョンでもあると思い込んでしまうとワナにはまってしまうので注意が必要です。
Mumps_Loud.jpg



 とまあ、こうして「Mumps」の楽曲構造を折角紐解いているので、和声的な方面でも注目すべき点を幾つか列挙してレコメンドしてみようかと思います。先の譜例のquietとloudバージョン双方に於いて、和声的に同様の構造が出現する部分に3種類の印を付けているので(loudバージョンは2種類のみ)、それらの説明をして行く事に。


 まず1箇所目の赤印で小節構造は4/4拍子の部分です。実際は3~4拍目に現れる部分なんですが、ココで鳴らされる和音は「トリスタン和音」です。トリスタン和音を現在の音楽シーンで形容すると、ハーフ・ディミニッシュ・コード(減三和音+短七度を加えた四声体)の根音を最低音として用いず且つ各音程を開離音程にするという理解で充分かと思います。「Mumps」での使用されるトリスタン和音は現在の音楽シーンに倣えば、ハーフ・ディミニッシュの減五度の音を最低音に使うという物です。

 トリスタン和音というモノは先にも例に挙げている様に「減三和音+短七度」で表される音程構造に収斂させずに、和音の隷属支配を稀釈化させている所が最大の特長でありまして、このような使い方は後世において「等音程+something」という使い方になるワケです。「等音程」というのは和音を構成する各音程が等しいという構造ですから、減三和音、増三和音、完全四度四度累積和音(=二度和音)などと応用を深めていきますので、和音構造の隷属支配(根音となる音からの解放)から伴う事で生ずる、別の脈絡を埋めさせるための隙間という物を作り出すコトにも寄与します。

 現在のポピュラーな音楽シーンにおいて残念なのは、減三和音や増三和音を包含している時の低音の置き方が過剰なまでに杓子定規な所。こういう点では200年以上前のクラシック音楽界の方が多様なワケですが、なぜそうなってしまっているかというと、現在の音楽シーンは和声の体系化に頼りすぎるきらいがあるからです。また、四度進行というコード進行を明確化させている意味でも、ハーフ・ディミニッシュを介在させたセカンダリー・ドミナントを予期させたツー・ファイヴ進行において根音の隷属支配を稀釈化させるのはメリハリが返って少なくなってしまうという解釈から遠ざかってしまっていると思います。それとは別に増音程+長七度の四声体におけるセカンド・ベース(九度音をベースに持って来て二度のベースにする)などは、等音程和音の多様な使い方として応用を深めているワケで、減三和音の深い情緒と増音程の卒倒感のある小火けた情感の対比がこうした現代の使用例にも表れてしまっているのが興味深いですね(ある意味では画一的で使い切れていないとも思いますが)。

 もっと言い換えるなら、ポピュラー界隈の体系化された音に耳慣らされた人が、こうして30年以上も前にあった音楽に「温故知新」として新たな発見を見出す事で、カンタベリー系の音楽やハットフィールド&ザ・ノースというバンドは、少しずつ評価を高めてファンには決して見捨てられない稀有な存在として礼賛されていき、今こうして3度目程の再認識をされる様になったワケでありまして、ある意味では、現在の音楽シーンからどれくらいの間体系化された音を味わわされてハットフィールド&ザ・ノースに行き着くか!?という視点で見るのも面白いかもしれません。

 いずれにしても音楽的に理解が進み、耳の能力が育まれてきた世代が早期の段階でこうした素晴らしいバンドに遭遇する事が一層音楽への理解を深めるための助力になるのは間違いないと思うワケでして、彼らの30年以上も前にやっていた音楽を再認識するという事は決して遅いのではありませんし、興味深い事だという事を認識し乍ら楽曲を理解していってほしいと思います。


 まあそんなワケでハナシは続きますが、因みに先のトリスタン和音の前には「B7(♭9)」という和音も表れてきますので、そこでは、低音+減七という解釈で進めていただけると、「等音程+something」の応用例を更に獲得していける解釈だと思いますのでその辺も併せてご理解していただきたいな、と。

 で、今度は2つ目の赤印に行きますが、ここの「増和音」の使い方はとても絶妙でして、オーギュメント系のコードの使い方が苦手な人はこういう所から唄心のある使い方を学んでほしいと思わんばかりです。増三和音を包含する和音も亦「等音程」の和音なワケですから、この等音程のメリハリは特に吟味していただきたい所なんですな。

 で、最後に3つ目の赤印はquietバージョンのみ記されておりますが、ここでの不思議な和音、みなさんきちんと把握されているでしょうか?これぞ多調の真骨頂とも呼べるようなスーパー・インポーズの技を確認できるのでありますが、それが次の例ですね。

 ココでの和声的な構造は下声部に「Fマイナー・トライアドの三度ベース」上声部に「E♭メジャー・トライアド」という六声体に、Cエニグマティック・スケールの第2音をオミットした音をスーパー・インポーズさせているワケですね。弾いてみれば一目瞭然ですが、背景の和音とは逸脱した音も鳴らされるワケですね。然し乍ら忌避したくなるほどの不協和を生んでいるとは思えず、寧ろ不可思議な空間演出を見事に成立させているアプローチなワケですね。私はこの部分に実は3種類の異なる調性を見出す(確定しているワケではないのであくまでも遠因となる材料として)ワケですが、ここで多調を見出す感覚を養ってほしいのであります。それを見抜ける方であれば別に構わないのでありますが、そうした構造を見抜けない人は、少なくともこの高次な和声的シーンをのんべんたらりんと聴いているだけではダメだと思います。「脈絡」を見付けてほしいんですな。
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 先にも等音程を語っている時に「隙間」という表現を使いましたが、ここでのスーパー・インポーズはその「隙間」に別の脈絡としての音を埋めていっている例なのです。ここでの注意深さが複調および多調への感覚を研ぎ済ませられる絶好のポイントでもありますので、是非とも耳を研ぎ澄ませていただきたいと思います。これに耳馴染ませるのが難しい方はMumpsにおいては断片的な理解に留まるでありましょうし、それでもどうにか獲得したいのであればジェントル・ジャイアントの「Talybont」や「On Reflection」で耳を馴染ませ「Design」と「Black Cat」を聴いて、ザッパの「Big Swifty」を聴いて戻って来てみてください(笑)。ストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴くのもオススメします(笑)。