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5連符についての続編 [クロスオーバー]

 本当は5連符について語る予定は無かったのでありますが、2012年7月29日テレビ朝日放送予定の「題名のない音楽会」において、仙波清彦&則竹裕之に依るパーカッション特集だというのでツイッターの方で呟いた事を再編集して本記事にしております。なおこのブログ記事リリース時点では先の題名のない音楽会の放送前なのでご了承ください。


 そもそもツイッターで何を呟いていたのか!?というコトなんですが、私は仙波清彦氏の卓越したリズム感覚というモノに対してリスペクトしているからブログ記事にしている事に他ならないワケでして、そういう人がテレビの地上波で見られるという機会はかなり少ないと思いますのでついつい力が入ったワケであります。先の面々だと現T-SQUAREの前身のザ・スクェアの新旧メンバーでもあるワケですが、日本の嘗てのフュージョン界を代表するバンドに身を置いていた人がどういうドラミングを見せるのか!?というコトは非常に興味深いモノです。


 そもそも仙波氏のコトついて呟いていた話題というのが「2拍5連」のコトなのです。先日語った5連符の記事では、2拍5連を触れるにあたっては渡辺香津美の「Liquid Fingers」のギター・ソロ部しか引き合いに出しませんでしたが、そもそも5連符の視点は1拍での方がメインだったため、2拍5連を叩く時の平準化した拍頭部分が通り過ぎるコト(4拍子の1拍目から2拍5連を開始したとすると、次の拍頭である2拍目は2拍5連とは重なり合わない脈絡のないポイントで拍頭が通過する)をイメージして欲しかった根拠というのは、1拍5連でも平準化された8分音符の裏拍が通過していく様にも同様に投影できてリズム感を強化できるだろうという狙いからだったのであります。


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 でまあ、今回あらためて2拍5連を振り返ると、ツイッター上で呟いていた様に、ザ・スクェアのアルバム「Stars and the Moon」収録の「Mist of Time」という曲のイントロにおいて2拍5連のマリンバが入って来るのでありますが、この2拍5連のプレイをしている人そのものが仙波清彦というワケです。もちろんその後も曲が進んで、曲中ではシモンズ(!)のフィルなども担当していたりするんですが、時代を感じさせますね(笑)。


 私がこのアルバムに一定以上の思い入れがあるのは、私自身がザ・スクェアの生の演奏を見たのは1984年の北里大学の学園祭だったコトもあり、そこから数ヶ月ほどで冬期にリリースされたアルバムが「Stars and the Moon」だったので、生演奏を見た興奮が残る時のアルバムだったので余計に思い入れが強くなったワケです。私がザ・スクェアを最初に耳にしたのは、ソニーのウォークマンIIを入手した時に付属品として付いて来たデモンストレーション・テープ。中村紘子とザ・スクェアのモノ。ザ・スクェアの方はこのテープ専用曲の「Jungle Strut」という曲。なにせ曲終盤のリリコン・サウンドの圧倒的な臨場感は、外出先でもこれほどまでのステレオ感を聴く事が出来るものかとあらためて痛感させてくれた思いでありまして、今日のiPodやiPhoneにまで及ぶ「歩き乍ら音楽鑑賞」というスタイルの到来に当時は未来を感じたモノでした。当時、その1年半程前は長兄が初代ウォークマンを手に入れ、それを尻目に私はさんざん忸怩たる思いをさせられて来たモノもあったせいか、感動もひとしおだったワケで、そんな私の心に深く刻まれたザ・スクェアには少なからず某かの縁を感じ取ったモノであります(笑)。


 北里大学での学園祭では、後にも先にもこれ以上無いと言う位至近距離で観る事ができたため、リリコンの機材やらを凝視し乍ら生演奏を楽しんだモノでした。田中豊雪のベースは大好きでしたので感動もひとしおだったワケですな。


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でまあ2拍5連でソニーさんと言えば、他にもあっただろ!?と思わせる曲がもうひとつありまして、坂本龍一&ザ・カクトウギ・セッションのアルバム「サマー・ナーヴス」収録の「Sweet Illusion」のイントロのシンセ。あれも2拍5連だったでしょう。(※原曲は2拍3連ですが、私が以前市販着信メロディーにて2拍5連デフォルメで制作した事があり、それと混同してしまいました。訂正しておきます)「何故ソニー!?」と思われるかもしれませんが、ソニーを代表するフュージョン・バンドは「ザ・プレイヤーズ」が筆頭に挙げられるからでありまして、オーツ・タイヤのCMで使われていた「ギャラクシー」は名曲であり代表曲でもありますね。嘗てはソニー・グループのライヴで、はにわちゃん(仙波さん参加)やら、ザ・プレイヤーズやらのコラボレーションのライヴとかですね、そういう映像を見て来た私には仙波さんやらとなるとやはりソニーをイメージしてしまうワケなんですね。


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 ではソニーではなく、ザ・スクェアと言えば伊東たけしがサントリー・ホワイトのCMに起用されていた時でもあったワケでして、伊東たけしと言えばリリコンでもあるためそっちの方に話題を振っても良さそうではあるんですが、私が最初に耳にしたリリコン・サウンドというのはトム・スコットでもなくレニー・ピケットのモノでして、レニー・ホワイトのソロ・アルバム「Big City」収録の同名タイトル曲は、アメリカ横断ウルトラクイズの罰ゲームのジングルに使われた曲なので、おそらくこう言った方が一般的には判りやすい曲かと思うんですが、まあ、この曲のエレピとオルガンはブライアン・オーガー'sオヴリビオン・エクスプレスが参加していたり、ジェリー・グッドマンも参加していたりという、英国ジャズ・ロックの面々も参加しているので非常に興味深いアルバムのひとつでもあったりするんですなー。

 実はこのアルバムには「Pyramid」という小曲が収録されていて、おそらくは17歳位のマーカス・ミラーが参加していて「ンペンペ」スラップを刻んでいるのですが、その後リリースされるレニー・ホワイトのソロアルバム「The Adventure of Astarl Pirates」にも同様のテイクがあったりするので、おそらく使い回ししているのではないかなー、と思うワケですが、いずれにしてもマーカス・ミラーが相当若い頃の音源としても知られている一枚であったりもするんですね。ジャズ・ロック界隈で盛り上がりたい方なら間違いなくブライアン・オーガーやジェリー・グッドマンですけどね。
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 ブライアン・オーガーをプッシュする理由には、嘗てはプログレ界での音楽の聴き方の順序ではカンタベリー・シーンに行き着く前にブライアン・オーガーを知るという過程があったモノでして、ブライアン・オーガーそのものはプログレ界隈ではないものの、豊富なジャズ・ロック界隈の人脈が自然とそうさせたのではないかと思うことしきりでして、知っていて損はないアーティストの一人でもあり、英国と米国の橋渡し役でもあった重要人物のひとりでもあるのです(私はさらに橋渡し役として貢献した人物にジョン・マクラフリンを挙げますが)。今でこそプログレの中のカンタベリー・シーンというのは再々認識というものもあり最近ではNHK-FMでの三昧シリーズでも一役買っている様に、こうした特異ジャンルを一括りに特集する企画がウケていて、特にネタをひとつまみできる所からも重宝されているのでありましょうが、時にそうした「方法論」というものが成立してしまうと形骸化させてしまう危険性を孕んでいて、カンタベリー・シーンが形骸化するのではなく、プログレを覚えてカンタベリーを知る迄の道中にアレコレと知る過程がスポイルされかねない危険性を生じているのであります。

 一括りにする事で特異な分野を一挙に知ることのできるのは確かに多くの人にはメリットかもしれませんが、その括りにも当てはまらない漏れてしまった所にも実は良さがあったりするんで、そうした重要な課程がスポイルされてしまうのは勿体無いかな、と。そういう部分を危惧しているというワケです。


 NHK-FMの三昧シリーズでは、幸運な事に過去に2回に渡ってプログレ三昧があったものです。私の個人的な見解では初回の方が好きでしたが、全体を見渡せば、プログレの多くのファンというのは、実は有名どころのプログレに加え甘美な「シンフォ」系、さらには今日の「ヴィジュアル系」の祖ともいえる関西方面に端を発する独自のプログレ方面の世界がありまして、こうした所は本当は蔑視されていたりする向きもあったりするのですが、その侮蔑的に見られがちな方面を誤解なく伝えて再認識させた第2回目のプログレ三昧の方に、番組進行の在り方や育み方はかなり緻密に計算されたモノだったと感心するコトしきりでした。あの辺を巧く扱える人は意外に少なかったりしますので。とはいえそうした方面を蔑視してしまう様な本当に奇人中奇人をも納得させる番組としてバランスを取っていた事も良い思い出のひとつでありましょう(笑)。


 ほんの数年前と比較すると「プログレ」という言葉としてのキャッチコピーは非常によく目にする様になったかと思います。プログレという言葉が独り歩きして半ば神格化され乍ら、音がどんなのかも判らぬ何処の馬の骨かも判らぬポッと出のメタル系バンドがいきなり「プログレなんちゃら」だのと羽織って出て来たりとかですね、こーゆーのは止めていただきたいワケですが、音楽って年月で言えば大体干支が2周りくらいもすればそれを「寝かせて」再認識させるコトが可能なので、ある意味ではとってもコアな部分を熟知さえしていれば、そのコアな聴き方を20年後くらいに提示すると「箔が付く」立ち位置へと変化させる事ができるので、元が多様な形態を持っていたバンドなんてのはある意味「寝かせて」おけば後にプログレとして語れてしまう向きもあったりするんですな(笑)。

 ところが若い連中というのは、自分の歳を2周りも遡ってしまったら音楽をまともに語ることのできない幼少期に足を踏み入れてしまうせいか、自分の語れてしまう程度の年代くらいまでに遡る程度で、自分が身に付けたコアな知識を披露して展開したくなるのか、やたらと「プログレ化」を拙速なほどに急いてしまうような向きがあるのも今日の特徴であるかもしれません。「こんなのプログレと括る必要なかろうに・・・」と思わせるバンドも最近ではよ~く見掛けるようになりましたが、プログレ界隈というのは得てしてそんなモンだったりします(笑)。まあドリーム・シアターは未だに私はプログレの括りではないですけどね、個人的には(笑)。


 プログレというジャンルを誤解してほしくないコトは、先にも申した様にバックグラウンドを語れてしまうコアな面の凄さだけに騙されてはいけないというコト。箔を付けて言葉巧みにアレコレと仰々しく語る事など常套手段。プログレというジャンルに限らずそうした「箔付け」の手法など存在するものでして、そうした「箔付け」という手法で最も重きを置いているのは「言葉」そのものだったりするんです。

 ここで意味する所の「言葉」とは、それを語る言葉に重きを置いた思慮深い言葉ではなく、悪戯に美辞麗句や形容詞を並べただけのような方面を意味していて、ボキャブラリーが豊富なほど音楽というものを形容する時に不必要なほどに凄みを持たせる事などそういう手法が存在している現状を見れば誰もが可能な手法なのです。

 私がブログやらSNS上で音楽の理論的側面を語る理由のひとつは、そうした多くの「箔付け」は根拠の無い言葉だけの羅列が多かったりする事への反発と反駁の姿勢であるので、本当に凄みのある核心部分は「音」の方なのだというコトを知らしめるためにやってるワケですな。だからこそ音楽ジャンルというモノを穿った目で見てしまうのは良くないですし、音楽ジャンルというカテゴライズだけを信用するというのもどうかなー、という疑問があったりします。


 カラスやイルカが何を喋っているかも理解できぬ人間様が、楽音の中に身勝手な解釈を付けて善し悪しを語ろうなどとは言語道断。弾き手の思いをそのままに伝わって来る演奏など近親者でもそうそう有り得ないモノだったりしますから(笑)。漠然としてるが故に身勝手な解釈と愛情とやらで推し量ろうとする。これ、聴き手の拙い経験が講釈述べる時の常套手段ですな(笑)。愛だって心底理解してりゃ宗教すら崩壊するだろうて(笑)。判りもしないモノを引き合いにして同列に語るなど愚の骨頂ですわ。そういう愚かな声に惑わされることなく楽音を分析しましょうや、ってコトを言いたいワケです。で、次回はAOR方面の話題になりそうかな、と(笑)。