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GRP初期のデイヴ・ヴァレンティン [ベース]

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 私はこれまでマーカス・ミラー視点でのデイヴ・ヴァレンティンのソロ・アルバムを取り上げて来ておりますが、他にも過去にCD化されている「The Hawk」やらもあるんですが、このアルバムの場合はマーカス自身がまだまだ野暮ったい音の時期の頃でありましてマーカス・サウンドを堪能するにはオススメしにくいアルバムでもあったりするんです。


 全体的にカヴァー作品が多く、B面トップの曲は女性ヴォーカルで非常にメランコリックな曲なので、そのメランコリックな要素というのが、所謂マイナー・キーにおける短六の「どマイナー」という音が入って来るので、マーカスのプレイもドリアンを易々と使えないのでマーカスらしくなく小さく留まってしまっている感が否めないのが本作なんですな(笑)。

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 しかも「短六」の出て来る曲はこればかりではなく、スティーリー・ダンの名曲「Do It Again」も出て来ます。しかもこのカヴァーはデオダートのアルバム「Deodato 2」収録の「Do It Again」のアレンジに倣った様な作りであるため、「んんっ!?」とついつい満腹感を催してしまいかねない作りなんですが、マーカスのプレイもまだまだ小さくまとまっちまっている時期なのか、スラップにおいても野暮ったい音はさることながら、やたらとプルが多く、ここまでプルの多いマーカスのプレーは1、2を争うほどのワースト級プレイでして(笑)、その後のデイヴ・ヴァレンティンのGRP初期のCD化がされていない理由は他にもあるのかもしれませんが、このアルバムだけが残されているのは少々残念な所です。
 
 まあ、全体的に有名アーティスト作品のカヴァーが多く版権がクリアされてリリースしやすかった状況が考えられるというのもひとつのリリース要因だったのかもしれません。ただ、デイヴ・ヴァレンティンというアーティストを振り返った場合、他のアルバムから数々の代表曲が存在すると思われるのでそれらが未だに日の目を見ないのは残念な所ですね。

 それとは別に、ヴァレンティン自身のプレイも冴え渡って来てマーカスのプレイも冴え渡っている作品といえば「Pied Piper」でして、アルバム同名タイトル曲はマーカス・ミラー・ファンなら知らない人は居ないでしょう。それくらいマスト・アイテムのひとつだと思われます。
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 「Pied Piper」のジャケットは色温度も低めで、「DAVE VALENTIN」と左から右に色が淡くなっている印刷は特色(=特色インク)ではないようですが、結構微妙な色を使っておりますので、仮にこれを再現するとなると色校はキッチリとやっていただきたいアルバムであります。この色温度はどことなく60年代を感じさせるのですが、朝比奈マリア風の女性の来ているシャツがアーバン系な模様でして、なるほど80年代を感じさせるのでありますがなんとなくミック・カーンの1stソロ「Titles」のようなデザインを彷彿させるかのような雰囲気ですね。でも、パッと見だと60年代っぽい感じで、特にデイヴ・ヴァレンティンのアルバム・ジャケットって安直なタイプのが多いだけに、この写真はハッとさせられます。

 余談ですが、私がよく形容する「アーバン系」というのはサウンド面の特徴で言えば、ベース音がショート・ディケイの音で細かい音価でのメロディックなライン、というのが私の感じる「アーバン」スタイルでありまして、バックのキックは4つ打ちでもイイから、ベースが「アーバン化」すると10年代の現在でもまだまだカッコ良くなる余地が残されているかと思います。最近になって俄にスラップ・ベースの音をよく聴くようになるのも新たなアーバン化の前兆なのかもしれません。

 マーカスがアーバン化する時代の前に色々チャレンジしていたと思われるのは、シンセ・ベースとの融合でありましょう。シンベというのは相当古くから役割はミニムーグが受け持っていたりしたモノで、ギョインギョインとした音にはアープ系とか色んな棲み分けがあったモノです(笑)。80年代以降のマーカスはムーグサウンドというよりもRolandのSH系っぽい音との融合が多く見受けられたりしていた様に思えまして、特に自身のソロ・アルバムの1stや2ndにはそういう志向性がよく現れていたのだと痛感します。そうしたマーカスの趣向はジャマイカ・ボーイズ位までは引き継がれるとは思いますが、マイルス・デイヴィスのアルバム「TUTU」ではCMIサウンドが顕著だったりするので、マーカスも結構新しモノ好きだったのだなぁと痛感させられます。レイ・バーダニと絡んでいたというのも理由のひとつだったでありましょう。


 デイヴ・ヴァレンティンのGRP初期作品からジャマイカ・ボーイズの頃など、ザッと振り返るだけでも10年ほどのスパンがあるワケで、マーカス・サウンドというのはそうしたスパンを何不自由なく生き延びて来た感があるので、その間を席巻していた事は素直に凄いコトではないかと思います。スラップ・ベース・サウンドとして完全に確立され、それこそ神格化されていた向きもありましたから。また、ベーシストが「エフェクト」という方向へ神経を尖らせるのもマーカス・ミラーとその後のマルチ・エフェクター・ブームに代表される様に、時代のトレンドに乗っかった特徴的なひとつだったかもしれません。

 「The Hawk」よりもセールス的には見込める曲が他のアルバムでは沢山あるのにリリースされない理由は他にもあるのかもしれませんが、あらためて声高に申しておきたいのは、フュージョン界隈では参加アーティストの方を注目するだけでも息を吹き返すような名アルバムは沢山存在するのだという事を重視していただきたいのであります。右も左も判らないようなリスナーがデイヴ・ヴァレンティンのアルバムを手に取るという事はまず考えにくいのですから(笑)。

 デイヴ・ヴァレンティンのプレイの妙味というのはマーカスに代表されるような所謂スラップ方面やアーバン化していくその他のアンサンブルに対して細かい符割の音価でのパッセージによってフルート特有の流麗な音と対比させて非常に細かいトレモロやスタッカートと聴かせる事でもありまして、そういうメリハリがよく伝わって来るのでありますが、ヴァレンティン本人が対応してきちゃうモンだから周りが調子こいて好き勝手やり過ぎな感も否めない所があって初期の作品は本当に可哀想になるくらい周囲の意見が重用されてしまっているような所があります(笑)。でもそれがフュージョン界の良さでもあったために、光を放つ作品が存在することに現在の闇は気付いていただきたいと思わんばかりですな。

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 そうしてマーカスは黄金期の80年代を過して来ていたのでありますが、マーカスとて色んなサウンドは当初は模索していたようで、レイ・バーダニ絡みでは色んな実験的なコトも見受けられ、特にデヴィッド・サンボーンのアルバム「Voyeur」(=邦題:夢魔)に収録の「Wake Me When It's Over」ではマイクロ・シンセサイザーと思しきシンセのオシレータをグイグイ鳴らして、後年のジョージ・ベンソンのソロ・アルバム「In Your Eyes」収録の有名なカヴァー曲「Feel Like Makin' Love」(ノエビア化粧品のCMにて使用)でのウィル・リーが用いたマイクロ・シンセサイザーの音のようにハイを絞るのではなく、かなり大胆にフィルターを開けているのが特徴で、こういった所に「若さ」が伺えたりもしていたのが当時のマーカス・ミラーであったのだと思います。ただ、いずれにしても多くの方法論を備えるにあたって、マーカス・ミラーは自身のセンスはもとより人脈に恵まれていたこともあり、フュージョン・シーンにおいては珍しいほど最前線の方法論を熟知することとなる場所に身を置いていたのではないかと思うのであります。

 そんな方法論に固執しすぎてしまった感は否めませんが奇しくも音楽シーンはその後アナクロニカリズムへと変貌を遂げ60~70年代を踏襲してその後現在に至り80sを繰り返すようになっているのが皮肉なものですが、あれだけデジデジな音がいつしかヴィンテージ系の音を模倣できるようになった音楽シーンは、ほぼ全編デジタルに置き換わっているにも関わらず、ここまで進化した(退化!?)したものだと感慨深いものがあります。音作りの方法論の方面のことですけどね。


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 サンボーンの話題ついでに先日呟いたダニー・クーチ(コーチマー)作曲、アティテューズの名曲「Promise Me The Moon」のカヴァー、ご存知で無い方は是非ハイラム・ブロックの歌声でお聴きになることをオススメします。
 コード感を捉えながらさりげなく「あっちの」ハイパーな和声を忍ばせているのは森園勝敏のアレンジだったりするんで、そちらの方も堪能していただけると有難いかなーと思います。私が一番最初にこの曲を知ったのは森園さんからですので、思い入れは強いです。年代もダブっているんでついついノスタルジーに浸ってしまいます。

 それでは次回は亦楽理ネタとなりますので(笑)。