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ダリル・トゥークスとマーカス・ミラー [ベース]

 扨て、デイヴ・ヴァレンティンの初期GRP作品を語る上で避けることのできないアルバムをひとつ紹介しておくこととしますが、表題にある通り、ベースの視点から見た上での取り上げ方なのでデイヴ・ヴァレンティン本人を追究する方角ではないのはご容赦ください。マーカス・ミラー関連で取り上げていることなので(笑)。


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 そのデイヴ・ヴァレンティンのソロ・アルバムで「In Love's Time」というアルバムがあるんですが、まあ、マーカス・ミラー好きな人だったら持っていない人は少ないであろうという位置付けでして、このアルバムがある程度認知されているのは次のような理由が最たるものであります。

 80年代初期のマーカス・ミラーのベース・ソロが礼賛される代表的なアルバムの幾つかに、トム・スコットの『Apple Juice』収録の「やデヴィッド・サンボーンの『Straight To the Heart』収録の「Run For Cover」だったりしたモノなんですが、4弦のハイポジ使ったグリス(ポルタメント)技というものを鏤めつつ開放弦とハンマリング・オンを織り交ぜる系の技ありますよね。それが、スタジオ録音物として聴くことのできる曲として、本アルバムに「I Don't Wanna Fall in Love (I Just Wanna Dance)」という曲がありまして、嘗ては某教則本などでも取り上げられたりしていたモノでもあったりしたので結構マイナーな作品であるはずなのに知られた存在となっていたワケです。







 特に、本アルバム収録の「Street Beat」「In Love's Time」「I Don't Wanna Fall in Love (I Just Wanna Dance)」についてはマーカスのスラップを聴く上では音も洗練されてくる時でコシも備えたタイプの音であり、加えて「I Don't Wanna Fall in Love (I Just Wanna Dance)」では過去にもブログで少し語ったことがあるかと思いますが、リアPUのみでのスラップが登場するので、フロントPUとのバランス具合やPUのマウントの高さ(=弦に対してのポールピースとの距離)を察知できるので、弦振動の振幅が大きいフロントPUのマウントをどれだけ沈めているのか、という判断材料にもなるのでお手本となります。







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 通常、ピックアップの高さ調整は各ピックアップをそれぞれ鳴らした時の絶対的音量になるべく同程度に聴こえるように調整されるのですが、実は80年代初期のマーカスの音というのは両ピックアップの音でもややフロントPUが強く出るのが特徴なんですね。それでいてリアPUを僅かに絞ってさらにフロントPUを強めたような音はデヴィッド・サンボーンのライヴ・アルバム収録の「Lisa」「One Hundred Ways」など顕著でありましょうが、いずれにしてもバランスを探ることのできるアルバムという所がオススメなのであります。

※余談ではありますが私の友人のひとりの言として、「One Hundred Ways」の音はJBではなく初期のF-bassの20フレット版としてリリースされていたBN-Studioなのではないか!? と疑う声もあります。その要因はD弦のプルの音に加えて若干JBよりもサステインが豊富な感じだという所です。私もその可能性は高いと思ったので2019年10月15日に追記する事に。




とはいえマーカスのプレイという視点ばかりで判断してしまうと落とし穴もありまして、マーカス・ミラーが参加しているからこそ買ってくれる!かのような商法が特にGRP作品は強かったのもありまして、「I Don't Wanna Fall in Love (I Just Wanna Dance)」なんかマーカスに迎合しちゃっていわゆるEmキーにてEドリアンのマーカスのスラップを思う存分楽しめるかのような、このEマイナーの部分は非常にカッコイイんですが、なにせ唄モノですので唄入った時は突然平行長調へ移行してしまうのが野暮ったいほどばかりにカッコ悪いんですわ、これが(笑)。目を覆い隠したくなるほど赤面級の平行長調への以降は、その後のマーカスもどう弾いていいのかリフ作りにすら逡巡しているような様が表れているのですが(笑)、平行短調へ戻ると途端に息を吹き返す懐の狭いマーカスの狭小な世界観って、ある意味唯我独尊だからこそカッコ良かったんだな、と再認識させられるワケですな。別に悪口を言っているワケではないんですよ(笑)。

 ヴァレンティン本人の作曲でもないのに、ここまでマーカス様を当て込まざるを得ずに曲弾かなきゃならないと思うとアルバム・アーティスト本人からすれば忸怩たる思いはあったんじゃないかと推察する所であります。マーカスもマーカスで、自分自身のスラップのボキャブラリーの試す場所かのように弾いちゃってるモンだから、イイ所と悪い所の触れ幅があまりの大きさに目を覆いたくなってしまうワケですな。

 というのも、楽曲のコンポージング的レベルで語ることのない演奏家のスピード系の音を頼りに聴かれてしまっている作品は概ね飽きられるようになるというのを呟いたコトがありますが、聴き手が器楽的な技術を習得して、有難がっていた曲を弾きこなせるようになったり、またはそれを超越した技術を身に付けるになってしまうと、他の側面で魅力のない曲は耳にされないようになってしまうモノなんですね。

 高度なプレイ以外にもコンポージング面で高次なクオリティを保っていれば、手数やプレイの技術を習得しても飽きられることのない要素でいつまでも聴かれるようになるんですが、あまりに容易い手法で作られてしまう音楽は飽きが来てしまう悲運を備えているワケですね。だからこそ「I Don't Wanna Fall in Love (I Just Wanna Dance)」は酷いなぁと嘆いてしまうワケですね。


 しかし、アルバムタイトル同名曲である「In Love's Time」という曲はかなりの名曲でありまして、特に最初のBパターンにてダリル・トゥークスの唄のバックで吹かれるバス・フルート(?)の旋律は実に見事な音選びでして、なんてことない白玉の旋律に聴こえるかもしれませんが、こういう音選びはデイヴ本人の作曲ではなくとも曲の理解度の深さを感じ取ることができますし、何よりハービー・マンの弟子だということをこういう所からも窺い知るコトができるセンスの良さをあらためて痛感させられるワケですね。




 余談ですが「In Love's Time」の曲終盤は移調します(転調とは言いません)。ある楽節がそのまんまトランスポーズされだけの音は転調とは言わずに厳密には「移調」と言います。間違って覚えている人は結構多いのでその辺今一度ご確認いただけるとよろしいかな、と思います。いとしのレイラみたいなのが転調のイイ例ですわ。J-POPとかで終盤キーが半音上がったとか、それまでの楽節トランスポーズしただけのは転調ではありません。移調ですからね。これを機会に覚えていただけるとよろしいかな、と。

 私はこの手のジャンルに限らず多くのジャンルを掻い摘んでは深くは知らない浅薄な知識であるためダリル・トゥークス本人についてあまり知らないのでありますが、私の感じる所では声はフィニス・ヘンダーソン系のような印象を抱いております。今で言うフリー・ソウル系として聴くコトのできるベッタベタなメロウな感じだけど良い曲!みたいな(笑)。