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スティーリー・ダンへの信奉 [スティーリー・ダン]

扨て、左近治が楽理に関する話題を強化したのはウォルター・ベッカーの「サーカス・マネー」リリース辺りが境のコトでした。


よもや発売から3年が経過するアルバムですが、毒の強度が強いベッカー御大の楽曲にようやく耳を馴染ませている人も増えたのではないかと思います。いずれにしてもスティーリー・ダンのお二方は高次で耳に厳しいタイプの和声を好む人たちですので今更驚かれることはないかもしれませんが、ある意味では難しいタイプの音楽に足を踏み入れる時のSDというのは多くの人にとって利用される音楽だと思います。


和声の追求と、調性に束縛されない自由な感覚。これこそがスティーリー・ダンの真骨頂なのではないかと思うワケですが、20世紀末になってSDの再結成があったコトは我が目を疑うほど驚きを禁じ得ないモノでしたし、何より再結後の新たなフル・アルバム「Two Against Nature」に「Negative Girl」という楽曲の出会いに、私は大いに喜んだものでした。


SDの歴代のアルバムと比較すれば「Two Against Nature」は多くの人々に受け入れられているとは思いませんが、私自身としては正直「Aja」よりも好きなアルバムです。そんなアルバムが中古市場で300円を切って売られているコトを見かけたりすると少々悲しくなってしまうこともしばしばですけどね(笑)。なんでこれほどの良いアルバムがこんな金額で売られているのだろう!?と。

ましてやそれほどの金額しか付けられていないコトを思えば買取価格なんて微々たるモノだろうに(笑)。そこまでして手放したい客の顔が見てみたい、などとは申しませんが、耳に高次な響きが多いタイプの扱いって一般的にはそういうモノなんでしょうね(笑)。まあ半世紀ほど生きてきてようやくSDに目覚めました!なんて言っている人が墓に入る時に左近治が引き合いに出す所の楽曲を一度聴くことがあればコレ幸いかな、なんて思っておりますが(笑)、墓入ってからじゃあ遅いんで、なにぶんその辺の高次な楽曲、騙されたと思って耳にしていただきたいことしきりです。


まあ、そうはいっても私だって人生は折り返し点を間違いなく通過しているでしょうし、墓入る時まで出会うコトのできぬ作品なんて沢山あったりするんだろーなーとは実感するコトはありますね。死を実感するワケではありませんが、自分にもしものことがあったら、というコトを痛切に実感するな年齢になってきたってこってすわ。

私の少年時代など19世紀生まれの曽祖父母が健在で(曽祖父母の存在があったことで、切手コレクターの左近治はとても嬉しかったモノでした)、それが今や明治生まれの人に出会うことすら少なくなってしまったのが現実。まだそれから半世紀も年を隔てていないのに親類達はガラリと顔ぶれを変えてしまうのでありますな。

こう繰り返して次の世代が繰り返されることを子を持つ、孫を持つことで殊更実感するのでありましょうが、よもや私の目が黒い内にSDの「The Second Arrangement」の新テイクに遭遇することになるとは思いもよりませんでした。たまたまYouTubeで検索してみたらヒットしたのでありますが、今年SDは大々的なツアーを展開しておりまして、その際、マイナーな曲ばかり集めた日とかファン投票みたいな日とか色々用意していたので気掛かりではあったんですが、たまたま検索してみたら凄い映像を見付けたというワケですな。




SDに詳しくない方でもこの「セカンド・アレンジメント」についてはご存知とは思うので無粋とは思いますが一言追加しておくとですね、アルバム「Gaucho」のレコーディングに時は遡るワケですが、この曲はアルバム収録予定だったのであります。しかしエンジニアのケアレス・ミスによって、この曲を再生しようとしていくつかのトラックが録音状態で動いたモンですからそれはもう大変なことが起きてしまったワケです。一部が消失したワケですな。

再現不能とまで言われたこの音源は十数年ほど前にブート素材で一部が流出して息を吹き返すのでありますな。そうして、こうした事情もよく知るSDファンは予想以上の楽曲クオリティの高さに「セカンド・アレンジメント」のセルフ・カバー(新録音)を要求する声を高めていくようになるワケです。

20世紀末の「Two Against Nature」の発売前には「もしかしてセカンド・アレンジメント入ってたりして!?」なんてよ~く友人の間で面白半分で話題にしていたモンでした。

そういう楽曲がとうとうお目見えになったワケですから、コレは大ニュースなのであります。


原曲のキーはバースAがEm、バースBがAmなので、今回のアレンジは全音下に落としての「Dm、Gm」という風になっているワケですが、それでもフェイゲンは辛そうです(笑)。

「Alive in America」の頃でも「Josie」を3半音落としていたワケですから(Em→C#m)、全音じゃあキツイことに拍車をかけているでしょうが、ライヴだとステージ音がデカイんで、モニターを上げすぎるとハウリングの要因になるんで結果的に自分のモニターを下げると自分の声の行き場を失っていつも以上の声帯の制御で声のピッチが取りづらくなってしまいますし、逆に自分の声が大きすぎても制御しづらくなってしまうのがモニターの現実なワケでして、そういったコトを考慮してもこのキー変更は大変だっただろうなぁと思うことしきりです。

それでもこうして目の当たりにできることを何より嬉しく思いますし、欲を言えばスタジオ・テイクで、フェイゲンの声をギミックでピッチを3半音上げたって本人が同意してくれるなら元々失っていた原曲、ギミックにしたってイイではないか!?という気概で今回のライヴテイクはおろかセルフ・カバーやってもらえないモノでしょうか。


ねえ!?Mr.スティーリー・ダン whatever。。。(byジェローム・アニトン)