SSブログ

ペレアスの和声 (3) [アルバム紹介]

前回の続きとなりますが、ドビュッシーのペレアスの和声について語っているかと思いきやピンク・フロイドやらジェフ・ベックのダイヤモンド・ダストは出てくるわ、黛敏郎やら坂本龍一やらエリザベス・シェパードまで出て来て、そこで今度はカンタベリー一派のナショナル・ヘルスの話題にまで飛んでしまうという左近治の話題の進め方ですが、まあコレも一本の糸でキチンと繋がっているモンなんでひとつご容赦願いたいと思わんばかりであります(笑)。


カンタベリー一派にあって一番脚光を浴びやすい人物というのはデイヴ・スチュワートがその代表格だったすると思うんですが、正直な所デイヴ・スチュワートは勿論評価されるべき人物であるものの、他の人達が過小評価されている所があるのが少々残念な所なんですな。例えばフィル・ミラーのメロディック・マイナーに陶酔しきっている所など全く理解されていなかったり、アラン・ゴウエンもどちらかというと過小評価されているように思いますし、スティーヴ・ミラーだって毒の忍ばせ方と遠方の遥か彼方見つめちゃってるような和声感覚ってなかなか話題に上らなかったりする所が哀しい所なんですが(笑)、一般的にはそういう独特の世界観を伝えやすい格好の人物がデイヴ・スチュワートだったりリチャード・シンクレアだったりするのでありましょう。

まあこういう楽理的な話題とは違った背景はまた別の所で認識していただきたい所ではあるんですが(笑)、アラン・ゴウエンという人の特異な和声感覚を認識していただきたいワケですね。

ds_al_coda.jpg


ゴウエンの死を偲ぶ、いわゆる当時の仲間達はナショナル・ヘルスを再度集めて「D.S. アル・コーダ」というアルバムを残します。これはゴウエンの作品を後のナショナル・ヘルスの人間達がアレンジして演奏しているモノで、ゴウエン自身のプレイではありません。

先のアルバムに収録されている「Black Hat」という曲を今回取り上げるワケですが、ロック寄りな耳しか持ち合わせなかったりするとこの曲はとても面食らうタイプの曲だと思うんですな。それこそラテン・フュージョンっぽい香りすら漂うような音世界です(笑)。この曲の出だしはFm9からパラレルにEm9に行きますね。こういう半音違いというのもペレアスの和声から派生したモノとして拡張的に考えていただきたいワケですね。もちろんココで用いられているそれぞれのマイナー・コードを想起し得るペレアスの和声側のメジャー・トライアドに対する平行短調としてトニック・マイナーとして見立てるのか or サブドミナントとして見立てるのか!?という所でも大きく変わりますが、「Bb△7(+5)/C」に行く所がありますね。

Fm9 -> Em9 ×3times -> Bb△7(+5)/C

こんな感じで。すると、セカンド・ベースとなっておりますが上声部のBb△7(+5)というコードは「見覚えのある」コードですね。それもごくごく最近に(笑)。

この「Bb△7(+5)/C」という上声部が、下方に存在し得るGmM9が包含するカタチだと思うと、多様な世界を演出できますねー。つまり、Eペレアスまで跳躍するコトができるんですが、仮に「Fm9 -> Em9」という半音違いのコード進行を、ペレアスの和声の型としての平行短調のサブドミナントとして見立てた場合、元の平行長調は「C△とB△のペア」という風に解釈するコトが可能です。

つまり、Eペレアス -> Cペレアスという風に転調をしているように思っていただくと、より世界観が増すワケですね。こういう風に転調していく様はジャズ方面でもあったりしますが用法はまるっきり違いますし敢えて言いませんが(笑)、ペレアスの和声自体がドミナント15th系の一部として解釈すれば確かにジャズ的な解釈でのアプローチも可能ではありますが、その場合ツーファイヴを避けなければならないので注意が必要なんですな。

今回私がわざわざナショナル・ヘルスを引っ張りだして来ているのは、通常マイナー・コードによるパラレル・モーションってぇのは半音の移動って意外に少ないんですね。全音上下のカタチとかが多いと思います(※補足しておきますが、通常パラレル・モーションで半音移動がある際にはその動機として全音幅をワンクッション挟むコトが非常に多いのだよ、ということを意味しているだけで、半音移動のパラレル・モーションが極端に少ないというワケでもないので皮相的に捉われないようご理解いただければな、と)。キング・クリムゾンの「太陽と戦慄パート2」など思い起こしていただけると全音の動きの方が比較的自然と耳に馴染むモノではないかと思います。半音の動きよりかは。また先日はハットフィールド&ザ・ノースの再発関連もありましたしね、カンタベリー系絡めて少しでもハナシに花を咲かせたいという思いから引っ張り込んで来ているのであります。客が居なければ隣の駅からも客ムリヤリ引っ張ってくるポン引きのようなモンだと思っていただけると助かります(笑)。


とりあえず私はこうして色んな音楽を通してディープな和声的な世界観を語ってみたワケですが、いかがでしたでしょうか。例えばメロディック・マイナーの情感ひとつを取ってみても、それ自体の世界観というのはあまり一般的ではなかったりするのも事実です。その手のシーンに遭遇するとすれば、例えばメロディック・マイナー・モードを呼び込むダイアトニック・コード群で言えば「マイナー・メジャー」を母体とするモノよりもナチュラル9thの付加されたハーフ・ディミニッシュかオーギュメンテッド・メジャー7th系のコードが現れないとなかなかその特徴的な情感を感じ取るコトができないのではないかなーと思うのであります。

この手の響きというのは正直な所聴き手を選ぶような所があって、その聴き手が良いor悪いではなくてですね(笑)、要は好き嫌いをハッキリさせると言いますか万人受けしないタイプの、どちらかというと大概は回避されるコトの多い少々難しい扱いをされる所があるワケでして、そういう意味での「聴き手を選ぶ」という形容でありまして、まあホントならこの手の深みのある情緒に慣れていただくと更なる多様な世界が待ち構えているよ、というコトも含めてペレアスの和声やら語ったりしているワケなんですね。

ところがペレアスの和声というのも、垂直レベルに単一の和声として完全に捉えてしまうと陥りやすいワナがありまして、減三和音を包含しているため、ディミニッシュ系のフレージング側に耳や調的な重心をもたれかかるかのように身を委ねてしまうと、そっちの響きと誤解しかねない所があって、本来の深みのある音を捉えきれない罠もあるんでご注意いただきたいと思うんですな。

例えば最近ですと、花王さんのTVCMで「フレア」の宣伝ありますよね!?ミャンミャン言ってるレゾナンス&フィルターの効いた「アシッドな」(※レゾナンス&フィルターをギンギンに効かせたミャンミャン系の音を英語圏の人達はCheesyとかAcidという表現をするのですが今回のアシッドという表現はそれらに倣ったモノでして、決して音楽ジャンルや一部で使われる特定のファイル形式の「アシッダイズ」という意味でもありませんのでご注意を)音とユニゾンでグロッケンシュピールで入るCMです。Es -> Fis -> C -> Aという減七の分散フレーズのヤツですね。

このCM、その後いわゆる「同主調」でトニック・メジャーへモーダル・インターチェンジ(本来はAマイナーの世界観でありましょう)を使っているので、トニック・メジャーとしてのA△に方向は向いているですが、VIb△ -> VIIb△という風にして彩りを添えている曲の構造となっているワケですが、ココは大して注目すべき点ではありません(笑)。冒頭の減七の分散フレーズのそれに、それこそ遥か昔の東芝さんの「キングパワー」っぽいフレーズを感じ取ってしまうかもしれませんね。しかし私の記憶がどんだけ変質していようが、東芝さんのキングパワーは花王のフレアのような減七のフレーズではなくペレアスの和声だったよなー、と今でも信じてやみません(笑)。ソコの所だけは決して曲げませんので、そういう前提で左近治はこの手の世界観を語っているのだと再認識していただけると助かります(笑)。