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グレッグ・フィリンゲインズ [YMO関連]

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扨て、今回は少々小難しい楽理的側面の話題は置いといて、グレッグ・フィリンゲインズというプレーヤーについて語ろうと思うんですが、何の脈絡も無しに語るのではなくて、ソコには一応左近治なりの理由があって語るワケでございます(笑)。


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それというのも、つい先日リリースされたばかりのマイケル・ジャクソンの秘蔵音源集の新譜「Michael」に収録されている、坂本龍一作曲の「Behind The Mask」の話題を語りたいのもあってグレッグ・フィリンゲインズを引っ張って来たワケでございます(笑)。まあ、左近治のブログをお読みになられている方々の多くは、この辺のアーティスト界隈はお詳しいかとは思うんですが、少々この手の話題にお付き合い願えればな、と(笑)。


YMO時代の「ビハインド・ザ・マスク」ってぇのは初期のクレジットでは作詞クリス・モスデルで作曲は高橋ユキヒロ&坂本龍一という連名だったと思います。それが後になって作曲は坂本龍一のみという風に変化するのでありますが、いわゆるsus4ヴォイシングを用いたあのイントロのリフというのは「Solid State Survivor」にも通じるユキヒロ流のセンスを感じ取ることのできるリフなワケですが、この曲の調的な姿って意外に奥深いモノがあるんですよね。


トニック・メジャーながらも途端にサブ・メディアントに行く。基のトニック・メジャーは実はトニック・マイナーとしてのモーダル・インターチェンジとしての仮の姿だったのだろうか!?とか、そういう奥深さを感じ取ることができるワケですね。トニック・メジャーが本来はマイナーとしての姿ではありませんが、マイナー感としての仮の姿を強く忍ばせた感じといえば判りやすいでしょうか。まあ、曲の早い段階でトニック・メジャーからサブメディアントに進行するというのが特徴的な所かなと思います。このようなモーダル・インターチェンジというのは、洟垂れ左近治の若かりし日の当時ではホール&オーツの「マンイーター」のサビの「Oh Here She Comes」の直前のトニック・メジャーに依る偽終止のコトで、ケツも髪も青かった左近治はそうして覚えさせられていったのだと思われます(笑)。まあそこから数年しない内にジノ・ヴァネリの「Brother To Brother」でモーダル・インターチェンジの最たる部分を意識させられるワケですけどね(笑)。

※ダリル・ホール&ジョン・オーツの「マンイーター」の発表はYMOの「Behind The Mask」のリリースよりも相当後のことですが、私自身の音楽ボキャブラリーが少しずつ習熟していく過程で両曲を同列に意識し始めた当時を振り返っているのでこのような話題にしております。

トニック・メジャーからサブメディアント方角で彩りを添える当時の人はナイル・ロジャースなんか結構ポピュラーだったかもしれません。スティーリー・ダンの「King of the World」のようにサブメディアントからVIIb△→トニック・メジャーに行くようなモノともチト違うというコトを言いたいワケですよ(笑)。


まあ、いずれにしてもクラプトンやらで相当カヴァーで唄われてきたであろう「Behind The Mask」という曲。日本人が作曲してここまでポピュラー界隈においてカヴァーされている曲って結構珍しいのではないかと思います。YMOやら坂本龍一という人を嫌悪する人もおりますが、そういう所で目くじらを立てようとも率直な所、ここまで受け入れられる日本人作曲の作品というのは、ゲームやアニメ出自でなければホントに稀な例だと思うんですわ。それだけでも結構凄いコトだと思うんですな。


ホントはマイケル・ジャクソンのアレンジした唄と作詞で版権半分持ち合わせてよとマイケルの依頼を坂本龍一がふざけんな!と断った所からスリラーに収録されることなくお蔵入りとなったのは有名なハナシ(笑)。そんな逸話を幸宏のオールナイト・ニッポンだったか坂本龍一のサウンドストリートだったかは知りませんが確か聴いた記憶がありました(笑)。その後、グレッグ・フィリンゲインズがそのアレンジを気に入り、自身のソロでリリースした「Behind The Mask」というのを最初に知ったのはクロスオーバー・イレブンで流れた時のコトでした。


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グレッグ・フィリンゲインズという人は、まあクラプトンのバックでKORGのSG-1弾いてる人、と言えばすぐにお判りになると思うんですが、もっと有名どころだとドナルド・フェイゲンのソロ・アルバム「ナイトフライ」収録の「愛しのマキシン」の、あの印象的なピアノ。特にイントロなんか、誰もが弾きたくなる&クリスマスに聴きたくなるようなジャズ系ピアノ・フレーズの定番中の定番。アレがグレッグ・フィリンゲインズのプレイなんですなー。


ピアノをソロで弾くなら別段凄いコトではないかもしれませんが、グレッグ・フィリンゲインズのプレイの美しさは内声の半音ぶつけと、上下に拡散するヴォイシングの埋め方によるリフ作りが美しいんですな。


よ~く耳にする言葉で「ピラミッド・コード」というヴォイシングがありますが、このヴォイシングというのは下から上に向かって行くごとに各音程が狭まって行くというヴォイシングなワケですが、グレッグ・フィリンゲインズのヴォイシングは砂時計のようなシェイプになっていると思っていただければよろしいかと思います。まあ、美しさを伴おうとすると概ねこの手のヴォイシングになるかと思いますが、ジャズ界隈では7度以降(9、11、13度方向)の音が求められて行く中で、ルートから縁遠い所に唄モノとしての情感持って行くのって、耳が肥えていないと一般的には落ち着かないモノでして、多くはメロディはルートはもちろん3rd、5th音辺りに乗せられているコトが多く、情感としてもこの手のルートに近い所が唄いやすくはあるんですね。


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グレッグ・フィリンゲインズという人は7度以降のその手のアッパー・ストラクチャーの音を内声に持ち込んで作る2度の作り方が非常に巧みな人で、「唄心のある2度」を作る人なんですな。時には半音ぶつけではなくて全音でもありますが、さりげない半音ぶつけの妙味が実に巧いひとりであります。或る意味、リチャード・ティーのアルペジオよりも私は好きですね。ジョージ・ベンソン&アール・クルーのアルバム「コラボレーション」収録の「Mimosa」という曲のイントロなどはグレッグ・フィリンゲインズの特長が垣間みれるプレーでもあるんですが、数年前に私もこの曲をKクリでリリースしたことがありましたっけ(笑)。まあ、ビル・エヴァンスが好きな方ならまず好きになるヴォイシングですわ(笑)。


ジャズの様式美とやらがポピュラー音楽に昇華されるには、少なくとも日本国内においてはディスコ・ブームからブラック・コンテンポラリー・ブームやらAORやらMORブームという時を経て浸透してきているワケでして、60年代後半なら冷蔵庫やタンスほどの大きさのあるオーディオ装置から8トラのカセットが車に積まれ、その後にやってくるコンパクト・カセット・テープの時代(笑)。盛り場のジューク・ボックスやら歌番組やラジオ放送の充実と共に謳歌してきて、いつしか音楽も共有型から「独り占め」志向が強くなり始めた時にウォークマンが登場してくるワケですな。

こういう風に時代が「こなれて」くると、音楽は個人レベルでの「編集」の時代。ダブル・カセットのダビングは当たり前(笑)。貸しレコード屋の登場、と。こういう風に時代は移り変わって来たワケですが、こんな事も微塵も知らぬPCでCDコピーやiPod世代にしてみたらチンプンカンプンかもしれません(笑)。ただ、それらのコトをひとつでも没頭するには相応のパワーを必要とするものでもありますし、相応の動機が必要だったワケですな。好きな異性がいなければソイツのためにカセットテープなど編集もしたくねーし(笑)、ドライブに連れて行きたいパートナーが居て、そいつを満足させたいが故にシルビアやソアラに憧れていたあの時代(笑)が到来となるワケですな。それが1981年です(笑)。もう今やほとんど30年前のコトなんですな。


そうして30年以上も前のYMOの曲「Behind The Mask」が今でもあらためて外タレにカヴァーされるというのは感慨深い事実でありますし、マイケル・ジャクソンの今回のカヴァーには相当なギミックを施してリメイクはしてあるでしょうが、パワー・コードを巧く使いヒップなビートにしながらも、実に「Behind The Mask」という良い側面の別アレンジというのを見事に聴かせてくれているのではないかと思うワケですな。パワー・コードもダッキングした感じでゲートがピタッと決まるような(オートメーションかもしれませんけどね)のが良い効果を出しております。少なくともグレッグ・フィリンゲインズの当時のアレンジよりも数段よろしいのではないかと思わんばかりです(笑)。


半年ほど前でしたでしょうか。坂本龍一の名曲の1つである「riot in Lagos」の曲構造を述べている時、Aメロは2つの調性によるペンタトニックが混成されたもの(3度離れた)状態になっているというコトを述べたワケでありますが、「Behind The Mask」にこうした多旋法的な手法を確認することはできないものの、曲をより深く彩りを添えてアレンジしている(調的な意味で)のは明白でありまして、日本人のこうした作品を欧米のアーティストがカヴァーするというのは、特に四半世紀ほど昔のコトであるならば今以上に感慨深いコトだった事実ではないかと思います。

※坂本龍一が監修する楽譜「04」において「riot in Lagos」のAメロのメロディは完全四度でハモって表記されておりますが、2オシレータをそのようにチューンさせてはいても、ポルタメントに依る「音程の引きずり」が功を奏して、多調な旋律として体を成しています。

まあ私自身あらためてココ30年ほど振り返ってみても、音楽的な意味においてYMOって今ではポッキーのCMで出ているお爺さんにしか見えないかもしれませんが(笑)、やっぱりスゴイですよ。