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減五度と増四度の違い (2) [ネタバレ]

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はい。またまた前回の続きです!


学校で全校集会がありました。みんな1列になって輪にならなければいけません。フォークダンスをやるのかもしれませんが、先生の指示は次の通りでした。


「自分の7人前の人と7人後ろの人とグループを作りなさい。同じクラスの人じゃないとダメです。」


C君・・・G君とF君
D君・・・A君とG君
E君・・・A君とH君


まあ、こうしてグループを作って行って真ん中の人がグループのリーダーになれるんですが、H君とF君は「違うクラス」から別の子を無理矢理連れてこないと矛盾しちゃうんです。

でも、この「矛盾」しているのは実は多くの所でまかり通っている、ごくフツーの光景でありまして、F君とH君は割食っているのを我慢しているようなモンです(笑)。大人の事情ってヤツですかね(笑)。


この「大人の事情」ってぇのがチャーチ・モードの世界観と思っていただければ差し支えありません。7つの階名で構成されるその音はD君から基準に輪を作るとキレイに対称的になるんですが、大体はC君基準です(笑)。


バルトークという人は対極位置と二次対極にも「等しい」役割を与えるために、完全八度以外の最も共鳴度の高い協和音程である「完全五度」を、それぞれの音が同じように持ち得るように、と考えたワケです。つまり、曲としての情緒を備えつつも音の使い方が飛躍的に拡大する世界(十二音技法とは違います)で、半音階の導入となっており、ジャズの多くがマクロ的に見れば半音階を導入しておりますが、ジャズの世界よりもミクロ的で、且つ情緒を得ながら転調感とやらも希薄なままに半音階を導入する情緒を得ようとして構築した世界が「中心軸システム」なワケですな。


でもジャズの醍醐味ってぇのはトニックに解決する方ではなくて、いかににして「ツー・ファイヴ」として細分化して別の調性をあてがうか!?っていうのが入り口ですから、「V7→I」を厳密での減五度と増四度を厳密に扱わないのも或る意味当然なのかもしれませんね、ジャズの語法では。


ジョージ・ラッセルだと「7人後ろの人」みたいに、常に同じベクトルで重畳させていく所が「んんっ!?」となる部分(笑)。それでも、好意的&拡大解釈することでジョージ・ラッセルの世界観を用いてもボキャブラリーを増やすコトはできますが、それを知らずともできますよ、というコトを私はこれまで語っているんですね。
※調性という属性が先に在って「単音」が存在しなくてはならない、というルールで音は存在するワケではありません。倍音列という滲み出てくる音に対してまるで吸着視覚効果のように近しく寄り添おうとすることもあるかもしれませんが、調性が先に存在しなければ音が上方に常に完全五度を重畳するというのはあまりにも限定的なコトなのであります。


まあ、もう一度簡潔にまとめますと、「通常の音楽観」におけるドミナント・モーションにおいてトニックに解決する際は、本来増四度と減五度の動きは厳密に区別すべきで(平均律であろうとも)、それは概ね7音で構成される音階によって構築された「傾き」というものが調性を生むため、トニックの解決時でなくとも「調性」がはじめにありきで、わざわざ判っている所にもう一度「解決感」を生ませるコトが広く使われているモノだ、というコトです。

ところがジャズではトライトーンの減五度と増四度など厳密に区別しておりません。ただ、正直な所八割方のジャズというモノは、あるひとつのコード上という限定的な局面で見れば12音を見越しているのではなく、7音で構成される音階の調性を拝借しているにすぎないのでありますが、ジャズの場合はトニックへの解決というよりも目まぐるしい転調や、元からある大局的なコード進行を如何にして「ツーファイヴ」として細分化するか!?という所にジャズの発端があるので、彼らの多くのトライトーンの考え方というのは区別していないモノである、という風に理解してもらえればより判りやすいのではないかと思います。


では、


ドミナント7th→トニック


という進行時ではない他の進行においても「調性」ありきというのはどういうコトかと言いますと、例えば今回のハ長調の例で言えば、G7が出現しない時点でも調性というのは概ね誰もが朧げながら感じている世界なワケです。わざわざドミナント7th→トニックとやるコトで、さらにメリハリを付ける、というコトです。すなわち、トニックへの解決直前のドミナント7thというコード上において「Cに行く」というのは大方誰もが判っているんだけど、ソコで(G7上においてという意味)Cの音を奏でずに寸止め、と(笑)。解決しようがしまいが朧気ながら調性とやらを認識する。これを多くの人は好むワケです。もっと判りやすく言えば、鉄棒でグルリと回る時に重力をなんとなく感じる感覚みたいなモンですわ。


音楽における「通常の世界観」というのは、チャーチ・モードに収まる体系です。「ダイアトニック」というのは、ある調性において変化記号の要らない世界観で済むことを殆どケースで指し示している言葉でありますが、非チャーチ・モードという世界においての「ダイアトニック」という言葉もあります。但し混乱を招かないように左近治はそういう異端な世界での「ダイアトニック」という体系もきちんと注釈を付けておりますので、ココで混同されるコトはないかな、と思っております。


ではココでもう一度振り返ってみましょうか。バルトークのトライトーンを転回して、トップノートを「導音」に見立てるというやり方を。


ハ長調『的』なフレーズがあったとしましょう。中心軸システムにおいてはトニックがC durであろうとGes durであろうと等価です。但しトライトーンが生じた、いわゆる「よくある音楽観」を構築しやすい場面において、導音の扱いを「シ」ではなく「ファ」に移す、というコトを「暗示」しているのが、他の多くの音楽観と決定的に違う所です。考えても見てください。仮に「転調」したとして、転調が確定するのはトニックに解決した時です。トニックの解決前から「大方予想しうる」コトができようとも、転調はそこでは起こっていないのです。しかし中心軸システムにおいて対極側を等価に扱うやり方の場合、転調を確定する前から「先取り」という、アンティシペーションという言葉よりも、もっと大きな牽引力で「先取り」しているコトに最大限に注目しなくてはならないのであります。


例えばCをトニックとしながらも、Cミクソリディアン・モードを強く意識して「Bb/C」というコードで一発モノ楽しんだりするシーンありますよね!?

こういうシーンにおいて「F音」は禁忌ではありません。実際にはC7というコードを便宜的に用いてもナチュラル11th音が許容されるシーンです。


つまり、「先取り」という音に対して、ただのアンティシペーションなのか、そうではないもっと大きな牽引力の「先取り」なのか、というコトを見抜く(聞き分ける)コトが聴き手には必要な能力となるワケですが、残念ながらそれを聴き分けられる人は途端に少なくなるのが現実です(笑)。例えば、ウェイン・ショーターがドミナント7th上でナチュラル11th音を惜しげも無く使うのは、こういう「大きな牽引力の方の先取り」であるというコトを意味しているんですな。

12音という半音階を等価に用いる世界観であるにせよ、実は雑多に生じるドミナント7th上で盲目的に「ナチュラル11th音使っても問題ねーだろ」的に用いている無学な音とは決定的に違うワケですな。

但し、耳が習熟されていないのに楽理面を先に覚えてアタマでっかちになってしまうモンだから、狭い世界における語法で耳もアタマも均されてしまう悲しい人達が多いのも現実なんです。なかんずく楽理面でも高次なレベルを目指す人であるならば、今回のような「違い」を理解できなければ、いつまでたっても飛躍的な音を扱うコトなどできないと思うワケです。


幸い、私の後輩というのは理解力が柔軟だったせいか、当時はこの手の疑問を私にぶつけて来て、モノの10分ほどした所では飛躍的に音楽観を高めていくコトができたとつくづく私は実感したモノです。冒頭からつまずいていたら異端な世界への理解というのは進まないモノです。しかしながら「異端」だと感じているその世界観というのは、耳が習熟しきれていない人達が使う言葉であって、決して「異端」なモノではない自然なモノなんですよ、ホントは(笑)。


では、次回は「大きな牽引力による先取り」について語るとしましょう(つづく)。