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フュージョンへの哭泣 [クロスオーバー]

先の左近治は相当おかんむりだったせいか、いつになくフュージョン三昧へ辛辣な言葉を浴びせたモノでありますが、そもそも「フュージョン」ってぇ言葉は、あの手のメロディ独り歩きやらイージー・リスニング系やらシンセをふんだんに活かしただけのモノではなく、もっと多様で総じてフュージョンと言っていたはずでありますが、限定しちゃったんですねー。


無論、私個人とて当ブログをお読みになっていただければお判りになるように「フュージョン」という言葉の使用頻度は限りなく低く、いわゆるその手のジャンルを形容する際私が通常用いているのは「クロスオーバー」の方であります。

いわゆるメロディ独り歩きしてハーモニーも要らぬようなイージー・リスニング系に毛の生えただけのようなタイプをフュージョンと呼んでいいのかどうか、という所もあって私自身「フュージョン」に対して屈折した考えは抱いてほしくないが故に敢えて使用を避けていたような所がある、という認識は私個人によるもので「フュージョン」というジャンルをそこまで限定していなかったんですが、NHKさん自身も「フュージョン」という言葉を完全にコッチでカテゴライズしちゃったんでしょうな(笑)。まあでも、今となってはフュージョンという言葉はこういう共通認識の世の中なんでしょうか!?ホントは違うとは思うんですけどね。


いわゆるBGMやらイージー・リスニング系に収まるだけのようなモノに零落れてしまう責任もフュージョン側にあった感は否めません。但し、フュージョンという言葉はエレクトリック的な要素もふんだんに取り入れた、それこそクロスオーバー時代よりも多様で広いカテゴライズだと私は認識していたんですが、エセなフュージョンが増えて来ると逆に「フュージョン」という言葉に拒絶感を示す人達も内外に存在したのでありましょう(笑)。

しかしながら音楽雑誌やら色んな雑誌のCD寸評などを見てみると、フュージョンという言葉はそこまで屈折した表現ではなく、まだまだ総じて語る方の呼び方で使われているような気がします。


先日のフュージョン三昧で思うことは、ゲストに渡辺香津美を準備させていたのだから本当なら「ど」の付くようなフュージョンばかりではなく、もっと多様に繰り広げたかったという思いが最初にあったのではないかと私は推察するワケであります。

ところがリクエストの多くは、いかにもな「ど」が付くほどのフュージョンが多くを占めてしまったんではないだろうか!?と私は思っているんですね。で、公共放送野スタンスとしてはやはりNHKさん、多数の声を無視するワケにはいかなくなってしまったのだろうか、その辺の多数の声に杓子定規に受け止めてしまってスタンス変更、という風になってしまったのが真相ではないか、寧ろそうであると信じたい左近治がココに居るワケですな。


まあ、音楽評論家やっていればあの手のジャンル半日費やすなんて正直拷問に等しいとは思うんですわ(笑)。もっとマニアックな部分掘り下げてナンボみたいなのが音楽評論家としての在り方のひとつだと思っておりますんで、足運んでみたら突然路線変更しなくてはならなくなり、結果的にダラダラ感が続いたのではないかと思うんですな。

まあ、フュージョン三昧という企画によって「不要な」ああいうフュージョンを押し込めたワケができたワケですから、今後もし「クロスオーバー三昧」なるモノを企画していただけるのであれば、ハーモニーに心酔しうるマニアックなフュージョン路線とやらを形成することも可能となるワケですし、今後へのかすかな期待とさせていただきましょうかね、と(笑)。


まあ、NHKさんのスタンスというのは全て私の憶測ですが、例えば往年の代表的なラジオ音楽番組で「クロスオーバー・イレブン」なんてぇのはリクエストなどは受け付けずに「クロスオーバー・イレブン」任せだったワケですね。

仮にどんなに「ど」が付くほどのフュージョン曲がリクエストされているにしても、ある程度多少道逸れて語ってもリスナーは概ね付いて来てくれるモンなんですよ。よっぽど距離離れない限りはね(笑)。少し外してみたら3回に1回くらいは立ち位置戻らせる、みたいなね。それでも充分なんですよ。


しかしながら実際には、多数の声の裏にはそれよりも多いサイレント・マジョリティの数が圧倒的に多いのですから、要は、声を上げることのないマジョリティを無視しないがためにも時には道を逸らしてみろ、というコトなんですな。少々逸れても本道の連中も少しばかりなら付いて来れるモンなんですから。選挙ではないワケですからね。そこまで厳密にリクエストを重視せずとも、自分たちがグイグイ引っ張るような部分を垣間見せないと、初歩的な連中からすらも馬鹿にされてしまいかねないモンなんですわ。アレだと(プログレ三昧の選曲ラインナップ群)初級者が次にステップに進むための道しるべが無いに等しい世界なんですな。

もしかしたら関係者ですらも辟易するほど初級者向けのリクエストが大多数寄せられてしまったのかもしれません(笑)。まあ、コレを教訓にいずれは「クロスオーバー三昧」やってくれりゃイイんです(笑)。アジムス流さないとこを見ても、いずれは「クロスオーバー三昧」があるのだろうと予感させてくれるってぇモンじゃないですか(笑)。「Fly Over The Horizon」と「Outubro」をバックにゲストで津嘉山正種呼んだらツイッター爆発しますぜ(笑)。


いくら「フュージョン」と呼ばれる曲をあの手の方へ収めたいという意図があったにしてもですね、私の聴いていない時間帯のフュージョン三昧では「Freeway Jam」と「Hercules」が掛かっていたりするんで、じゃあこれらを題材にして、どういう風に進行していけば良いのか語ってみましょうか。


ジェフ・ベックを取り上げておいて「フリーウェイ・ジャム」を選ぶ人はそうそう居ません(笑)。フュージョンでシャッフルのビートこそ異端ですからね。無論、マンハッタン・トランスファーのような「Nothin' You Can Do About It」のようなジェイ・グレイドン+TOTOに代表されるような半テンであるハーフタイム・シャッフルならまだイイんですよ(笑)。で、選曲に苦悩の舞台裏を放送でブチまけるんですよ。

例えば「Scatterbrain」掛けたいんだけど本当はその前の「Air Blower」から掛けたいんだけどそうすると2曲メドレーになってしまうとか。じゃあ「Air Blower」ハブくんでただ省いただけじゃアレなんでコレについて少々語るとすれば、私の場合はこの曲のマックス・ミドルトンのローズソロでEm一発(ほぼE7シャープ9thという解釈です)でFぶつけてきて、その後のBbペンタトニック・フレーズの部分で初めて裏コード(裏モード)というのを覚えました、みたいなハナシに引っ張ってみるワケですよ。そうすると「ど」が付くほどの初心者には「裏コード」の知識なんて本来必要ないんだけど、彼らにも箔付けてやれるワケですよ。「なんか凄そう」みたいな朧げなモンでイイんです、最初は(笑)。で、「Air Blower」を省くんだけど「Scatterbrain」は掛けますね、と。こーすると大概のファンは満足するワケですよ。

まあ、あの流れだ「哀しみの恋人達」にしないだけでも相当軌道修正したのかもしれませんけどね。確かにフリーウェイ・ジャムの曲終盤のマックス・ミドルトンのソロは結構エグイですよ。しかし、あそこでフリーウェイ・ジャムにしちゃうのも相当おかしなアンテナ立っちゃってるヒトだなーと思いますな。私なら「Diamond Dust」一択ですけどね(笑)。


で、パラシュートの「Hercules」。昔、それこそ80年代に突入する辺りから、ギタリストに向けてのオムニバス・アルバムって結構流行ったモンでして、いわゆるフュージョン系のモノというのはもてはやされたモンなんですよ。それを機会に色んな方面で「これってフュージョン系でイイの?」みたいなギタリストまで入っちゃうオムニバスなんてあったモンなんですよ(笑)。いわゆる「Guitar KIDS」なんてアルバムもそのひとつでして、なぜかTENSAW入ってたりするワケですよ(笑)。まあ、私も若い時分にTENSAWのコピー・バンドやらされてたんで(先輩バンドの強制ヘルプで練習スタジオ料金はもちろん私分払う必要がある)、その手のアルバムもよ〜〜く覚えております(笑)。



で、この手のアルバムにはパラシュートって非常に多くオムニバスされていたワケですよ。松原正樹や今剛がトップクラスのスタジオ・ミュージシャンであっても「このヒト達ぁフュージョンとは違うよね!?」みたいな認識は当時のフュージョン初級者でも判ってるくらいの共通認識だったワケですな(笑)。んで、パラシュートの「Hercules」なんていうのは彼らの代表曲でもあったためか、正直な所一歩下がった所で卑下されていたような部分があったんですよ。スペクトラムやAB'sですらも卑下されていた部分ありましたからね。

で、その後私も年を重ねていくと、おニャン子に没頭する世代ではありませんでしたが、今で言うならAKB48のカラーに似ているああいうノリ。私も何度か見たことありますが、故逸見アナが番組途中で呼ばれる時にかかるBGMが「Hercules」だったんで、この手の話題をちりばめるといわゆる「オタク層」にも郷愁の念を感じ取らせるコトができるワケですよ。しかし、彼らには残念ですが彼らを食い付かせるのはこの辺でイイというか(笑)、5〜6曲に1回くらいこの手の層や初級者層に食い付かせるように鏤めながら選曲すれば良かったのに、「フュージョン三昧」は最初から最後まで首尾一貫だったワケですな(笑)。残念でたまりません。


とはいえ「フュージョン三昧」をココまで責めても仕方がないモンでして、関係者など私と年端の違わぬ人達が企画・編集したりしているのでしょうから、「フュージョン」という言葉がいつしか「イージー・リスニング」化してしまっている方向を向かざるを得ない状況を嘆かなくてはならなくてはならず、ゲストの評論家とてホントはアノ辺ばかりは語りたくなかったかもしれません(笑)。評論家という立場であるなら相当マニアックな所引っ張って来てもおかしくありませんからね。


で、「フュージョン三昧」でも触れておりましたが、78年頃の日本ってぇのはホントにフュージョン・ブームだったんです。当時の学生は主役が大学生の時代で、その後金八先生や初期ウォークマンが登場するワケですから相当昔ってぇこってす。ピンクレディが「モンスター」歌ってた頃が1978年ですわ(笑)。


まあ、私の親類の幾人かは大学卒業したてや大学生やらでウチの親父を慕ってよ〜くてめえの車転がして連日遊びに来てたワケですわ。当時のマセたガキである私を相手に(笑)。家に居ても私がうるせーモンだから彼らに預けてもらった方が親としても気がラクだったのかもしれません(笑)。まあ、その彼らこそが器楽的な方面でも音楽の所蔵品など未だに私が越えることのできない領分を持っている人達なんですが、この人達の影響があったからこそ今の左近治があると言っても過言ではありません。彼らの女友達にも散々玩ばれたモンですわ(笑)。

大学生くらいの時にティーンなガキ連れ歩くのはチョット・・・と思うかもしれませんが、ガキの頃の私は結構ふてぶてしいのもあったのか何故か大人っぽく見られていたモンでして、身の丈が華奢なくらいでフツーに友達に紛れるコトができたんですわ。だからゲーセンで注意されたりすることはまずありませんでした。

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ま、それほどフュージョンというのが流行った1978年。先述のピンクレディーにもある通り、何の因果か知りませんが今年2010年の1月には大野雄二の「Love Saves The Earth」(愛は地球を救う)が初CD化されたんですね。ジャケ見てもお判りになる通り、ピンクレディーが写っているワケですな。まあ、それくらいピンクレディーは売れておりましたし、クロスオーバー系の音楽も流行っていた、と。特に日テレさんは、おそらくですが局内にクロスオーバー狂いの担当者がいらっしゃったのでありましょう。他局と比較しても随所に色んなクロスオーバー感をプンプン演出しておりましたから。

そういうのもあって1978年から始まった「愛は地球を救う」のテーマソングがクロスオーバー色が出ている大野雄二の「Love Saves The Earth」というのも別に偶然でもなく、同様にアメリカ横断ウルトラクイズが同年に始まってメイナード・ファーガソンの「スタートレックのテーマ」や罰ゲームのレニー・ホワイトの「Big City」やら、ああいう選曲になるのももはや必然なワケですわ。

その下地というのはおそらく井上尭之の「太陽にほえろ」から端を発したモノではないかと思うんですけどね。それ以前にも11PMの三保さんの「11PMのテーマ」とか、ああいうウェイン・ショーターの「Super Nova」を彷彿とさせるようなジャズ心を備えた担当者がいらっしゃったのでしょうし、もっと振り返ればゲバゲバの宮川泰など、いわゆる作曲家の人達がジャズやフュージョン(クロスオーバー系)にBGMやジングルの手法としての可能性を見いだしたワケでしょうな。そういう流れで「歌」の無い音楽はTV本編とぶつかり合うコトなく「融合」していったのでありましょう。

他局で見てもTBSでは1978年にザ・ベストテンが開始され、このテーマ曲にしてもどことなくクロスオーバー感が出てますよね。その後色んな刑事ドラマなどでもクロスオーバー感のある曲は重用されていくワケですな(笑)。そういうワケで、当時のフュージョン・ブームってぇのは今考えると到底想像もつきませんが、かなり熱く流行したモノだったんですね。その当時幼かった方とか生まれていない方にはピンと来ないでしょうし、今現在「フュージョン」と言われる音楽みたいなのを想像されちゃうと余計にピンと来ないかもしれませんよね(笑)。


当時の78年辺りの場合というのは、前回のブログでも語っていたような「16年の輪廻」というサイクルをさらに古く当てはめて遡ってみると1962年というコトになりますね。流石の私もこの年に産声を上げておりませんが(嘘)、ジャズ界の黄金期から今度はアフロ・ラテンのビートやシャッフルではないビートを取り入れたジャズ、すなわちジャズ界隈での(プログレ界の方ではないですよ)『ジャズ・ロック』の隆盛があったりするんですが、一般的な方ではマンボやらハワイアン、または今からするとオールド・シネマ系でパーシー・フェイスやフランシス・レイやら、その後のポール・モーリアなど、映画音楽に端を発したシネマ音楽ブームにより根付いたインストゥルメンタル音楽という「輪廻」がフュージョンに投影されていたのであろうとも私は思っております。


YMOが人気を博す背景にも、それには海外で評価されただけではなくフュージョン・ブームという土台が有ったからだと私は感じております。私自身正直な所YMOを聴き始めたのはクロスオーバーの延長で聴いておりましたので(笑)。

この手のインスト物に対して人々が寛容だったのは、時代のサイクルとともに映画音楽からの派生と、少数派ではあったもののアラン・パーソンズの功績もあったかもしれませんね。アラン・パーソンズというのは蛇足だとは思うんですが、ビートルズ・ファンなら誰もが知る関係者(エンジニア)なワケですね。しかもピンク・フロイドとも関わりがあったワケでして。で、アラン・パーソンズ側から入ったりしている人達というのは概ね1978年辺りだと無意識にかなりのプログレどころを知っちゃっているようなヒトが多くてですね(笑)、それまでの過程で初期ヴァージン・レーベルやヴァーティゴ・レーベルやら網羅しちゃっている人が居たワケですよ。そうすると、そういう人達が今どうなっているかというと「プログレ親父」になっているワケですな(笑)。まあ発端がアラン・パーソンズだとは言いませんけどね。大体共通する背景とやらはこういうモノではないかな、と。


長くは続きもしなかったフュージョン・ブームという時代にヴァージンはスタンスを変えるワケですよ。そこで契約を更新してもらえぬことになった人達の中に後のレコメンデッド・レーベルを形成するヘンリー・カウ/スラップ・ハッピー(後のアート・ベアーズ)の中心に居たフレッド・フリスとクリス・カトラーという名前は覚えておいて損するコトはないでしょう(笑)。

で、そうこうしてくるとベース音というのはロング・サステインではなく音が細かくショート・ディケイなフレージングが好まれるようになってくるんですな。オケもシンプルに、リフは鮮明に、シンセはサウンドの方を重視してという風に。これはグラムからパンクを経てニューウェイブ化した当時の音楽的な特徴でもありまして、それらがさらに派生してニュー・ロマンティックが生まれる、と(笑)。左近治はココで頭髪が青くなり耳に安全ピン通ってるよーな人に成長していたワケでございます。このような時代の流れというモノに対して敏感になっていたのが音楽とファッションだったワケですな。それらが相互にシンクロしているという所がいかに双方の影響力が大きかったかというコトを表していると思います。


日本におけるフュージョンというのは80年代に入ると、大学生の層に対するアピールが色濃くなってくるワケでありますな。80年代初頭のこの頃って大学生の仕送り額の平均知ってますか?私の記憶では6万円台くらいではないかと思います。8万円もらっていればなかなかのモンでした。その頃の大学生の欲しいモノと言ったら、ウォークマン、シンセサイザー、オーディオ機器が占めていたワケですね。10人に3〜4人の男子はオープンリール・デッキ所有しているような感じ。マツダの珍車として有名なロードペーサーに乗っていた人もおりましたっけ(笑)。道路を走るロードペーサーを見たのは私は結構無類の車好きですが、後にも先にもこの人のしかありません(笑)。Top Gearで取り上げるのも困難な希少車ではないでしょうか(笑)。トヨタ2000GTが走っているのを見かける方がずっと多いくらいです。

一般的なファッションの潮流の中心が大学生であり、消費&購買層も大学生(親頼み)が中心という動きでなんとなく「フュージョン」という位置付けが限定されていき、音楽にはテクニック面も求められながらもどちらかというと「優等生肌」という認識に変化していった頃からフュージョンはどんどんおかしくなってしまったというのが私の印象でしたでしょうか(笑)。それでも学力偏差値低い人からの支持は受けなかったというとそんなコトはなく(笑)、当時はあらゆる音楽ジャンルで器楽的な技術を追究するという側面が求められていたので、ロックな兄ちゃんが仕方なくフュージョン系に手ェ出したり、フュージョン系のお兄さんがタッピングやら覚えたくてHR/HM系聴いていたりするコトなんてフツーにあったモンです。

ある意味ではこういう時代が一番良かった時代なのかもしれませんが、そういう時代を過ぎるといつしかフュージョンは完全に違う方面に行ってしまったワケですな。