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今回もまたクロスオーバー [クロスオーバー]

久方ぶりのブログ更新となりますがKクリの方でクロスオーバー関連楽曲をリリースしているので、その辺も語っておこうかな、と。



 GWを境に遊びほうけていた左近治はすっかり日焼けし真っ黒けになってしまいました(笑)。まあ、釣りばかりに勤しむのではなく劇場版TRICKを観に行ったりして、中高年の私ですらも笑える野際陽子のキイハンターにのっけからココロ持って行かれたと思いきや、TV版のTRICKでは横森良造先生を久方ぶりに見ることが出来、これまた感動している左近治でございます(笑)。あそこに大橋巨泉が揃って立っているとさらに良いシーンになったと思うワケですが、あの頃の時代というのは1970年代前半でしょうか。シルバー仮面やら猿飛びエッちゃんなどを観ていた左近治の姿をついつい振り返ってしまいます(笑)。そういや上海万博のキャラクターはやたらと星の子チョビンに似ているというのも偶然でしょうか(笑)。


 そういやぁ、日本におけるクロスオーバー・ブームというのが77~79年頃、概ね78~79年辺りがピークだと思いますが、左近治自身は74~75年あたりのクロスオーバー関連楽曲を好むのでありまして、その辺の雰囲気を随所に感じるような楽曲というモノには魅了されていたモノであります。正直なトコロYMOですらクロスオーバーの延長で聴いていたようなトコロがありましたからね。


 いわゆるUCLAグッズから端を発して日本の70年代後半というのはスタジャン(=スタジアム・ジャンパー)のブームが到来します。アポロ・キャップなどもこの辺りですね。早大のラガーシャツなどなぜか持っていた頃を懐かしむワケですが、大学生というものが完全にブランド化してカジュアル化していった頃であります。当時の大学生のお姉さん(=従兄弟の女友達)という人達はStuffやらEW&F聴いていたモンでしたが、「アンタらに本当にStuffの良さ判るのか!?」と疑問を抱きながらも彼らに感化されていたのが当時の左近治。今ではすっかりオーバー50なのは間違いないのでありましょうが(笑)、右も左もクロスオーバーがブームだったあの頃が懐かしいモンですわ。


 まあ、そんなハナシは扨置き、Kクリの方でリリースしている目立った曲はというと!?

Corine / Cal Tjader
Voidarama / Brand X
Brues For Lee / 伊東たけし

という楽曲群。

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カル・ジェイダーの「Corine」は確かに70年代前半ではありますが、他は80年代の作品ではあります(笑)。しかしながらそれらの他の曲は妙にクロスオーバー感を引きずった感じがありまして郷愁を誘う所もあって今回一緒にリリースした、というのが真相であります。

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 ブランドXに関しては着信音では左近治は初めてリリースしたのでありますが、いずれはリリースしたかった作品でしたのでようやくリリースできてホッと胸を撫で下ろしているトコロです。まあ、この楽曲に用いられている和声で誰もが「ハッ」となる部分であろう「あのコード」を、メロディック・マイナー・モードの雰囲気へ誘うのか、それともドミナント7thありきの「オルタード感」として聴くかによって、和声感覚的には2つのタイプに分化されてしまうであろう、ある意味テスト的意味合いのある興味深い作品なのであります。特に後者タイプの和声感として聴いてしまうと、ごくごく一般的な和声感覚に埋没していきかねないトコロがあるので、そっちに足向かないように前者タイプとして「Voidarama」を聴いてほしいな、と思わんばかり(笑)。この辺の意図の深さというのはやはり楽理的側面においてアレコレ語って行ってからリリースしたいな、というキモチが今の今までリリースを遅らせるコトとなってしまったワケであります。


 その「Voidarama」の特徴的な和声がなにゆえ聴衆を二極化させるタイプの好例なのか、というとですね、コード表記すると「C7 (9、#11、13)」というコードが出て来ます。コード表記としてもコチラの方が適切なワケですが、いわゆるこのコードを母体とするドミナント7thありきとして聴いてしまうと、グッドソールの和声感は捉えきれていないのでありますな(笑)。「一体なんのこっちゃ!?」と思われるかもしれませんが、つまりはですね、どちらかというとこのコードは「Bb△7(+5) / C」というオーギュメンテッド・メジャー7thのセカンド・ベース的に聴いてほしい和声なのでありますな。






 以前にオーギュメンテッド・メジャー7thのセカンド・ベースの代表格みたいな感じでアジムスの「A Presa」をリリースしたコトもありましたが、その辺の違いとやらをあらためて認識していただくと幸いですな、コレが。もっと言えば、「C7 (9、#11、13)」というコードはGマイナー・メジャー9thというコードも包含しているので、ご自分がドミナント7thありきのヴォイシングを好むのか、オーギュメンテッド・メジャー7thのセカンド・ベースとしての使い方を好むのか、或いは内包しているマイナー・メジャー9th側を好んで使うのか!?という風に捉えてみるとご自身の和声感覚というモノを掴みやすいのではないかと思います。いずれにしても「全てを見通す」ように聴こえるように自身を強化するのが理想的ではあろうとは思いますが。



 このようにドミナント7thありき側の表記ではなく上声部のオーギュメンテッド・メジャー7thとしてのイメージを強く意識することで、グッドソールの演出したい響きというモノというものをより強く認識することができるでしょうし、コード表記がいずれであろうともメロディック・マイナー・モードを強く意識させる和声だということを捉えてほしい重要な部分なんですな。ドミナント7thありきの場合だと、偶発的&結果的にメロディック・マイナーの音列を使うだけとなってしまい、重要な「そっちの世界」を知ることが希薄になりがちですが、ドミナント7thコードという補強を一旦取り払って聴いていただくとメロディック・マイナー・モードとしての世界が色濃く見えてくる、というワケです。無論、ドミナント7thとしての姿を希薄にした世界観を見出すと、フィル・ミラーやらホールズワースの世界観をより深く理解することも可能となってくるでありましょう。

 但し、私の今回のアレンジはどちらかというと「ティーン向けPROG」な音にしちゃっているので、少々安っぽいかもしれませんが(笑)、例えば、アラン・ホワイトにはこうして叩いて欲しい、みたいな6連の4つフレーズとかドラムのオカズに仕込んでいたりして決して安っぽくはしたくはないという気概で作ってます(笑)。原曲の構成も若干変えておりますが、リフありきの変拍子によって、変拍子臭さを演出せずにグイグイ自然に引っ張ってくれるようなフレージングをシンセに置き換えているワケですな。

 原曲は、いかにもギタリストが作ったという感が強い11th音(4度音)を強調する音で、それのパラレル・モーションからスパッ!とメロディック・マイナー・モードを暗喩として使うようなセンス。これを強固に聴き逃さないように聴いてもらいたいワケなんですな。


 読み方としては「コリーン」が適当だと思いますが、小倉優子のこりん星でもありませんし故コーリン・チャップマン氏でもありません(笑)。今や懐かしいセリカXXのコーリン・チャップマンのCMは1981年のコトですが、今回のコリーンはそれよりも遥か昔のコトであります。鉛筆メーカーでも似た名前があったような気がします(笑)。まあチョット前に小倉優子のお店(焼肉店)に行ってみたのでありますが、あの店の看板の演出はスゴイですな。横浜で言うなら「浜劇」の前に来ちゃったかのような錯覚に陥ると言いますか(笑)、あの辺りの演出は非常にオトコ心を熟知しておられると感服いたします。福富町やら親不孝通りに入り込んだかのような演出に左近治、脳幹ブッ直撃喰らいました。


 1981年と言いますと、やはり先ほどのブランドXの「Voidarama」が80年作ということで、時代はにわかにクロスオーバー感は世界のアチコチで影が薄い存在となってくるのでありますが、汗臭いイナタい重い響きをどうにかシンプルにしようとする努力が垣間見えると言いますか(笑)、この辺のリフのシンプルさというのも時代を感じつつも、クロスオーバー感残る響きに郷愁を感じてしまうワケでありますな。

 因みに「Corine」という今回取り上げた作品のアレンジはカル・ジェイダーの作品「Amazonas」からのモノを参考にしているワケですが、私の知る限りでは「Corine」の初出はカル・ジェイダーのソロ・アルバムをジョージ・デュークがプロデュースし、変名で参加したのが最初だと思います。その後ジョージ・デューク自身の「Follow the Rainbow」やフローラ・プリムの「Everyday, Everynight」でも聴くことはできますが、やはりカル・ジェイダーでのアレンジの方を私は非常に好むのであります。74~75年頃辺りのクロスオーバーとやらが私は大層好きなモノが多く、ついついこの辺の頃のコトは熱く語ってしまうワケですな。横森良造と大橋巨泉をペアで配置したいという想いもこういうトコロに共通点があるワケです。テレビコンテンツと絡めれば今やNHKとテレ朝コンテンツは目が離せないモノでして(笑)、『女帝 薫子』の「やめてけれ!」なんてセリフもついつい左卜全(=ひだりぼくぜん)を投影してしまう左近治でありまして、こんなツボを押されると妙に気分が良くなるモンなんですわ。まあ、最近の私より若い者と来たら左卜全はもとよりアイ・ジョージの名前すら知らず話題に付いて来れない者が増えてしまい嘆かわしいモノなんですが、自分の加齢を嘆かなくてはならない部分は権謀の彼方で、自分の道を邁進している左近治でありますわ(アイ・ジョージに関しては直接的には無関係ですが、こういう人達すらも知らない連中がいるのか、という最近感じた事を述べております)。



 BTW、ある程度のコード理論を知る方であるならば、ディミニッシュ・コードにおけるテンション・ノートの在り方というのはお判りだと思うのでありますが、過去にも私のブログで口を酸っぱくして語ったコトでもあるディミニッシュ・トライアドと減七を区別する表記すなわち「dim」と「dim7」、これを何故にそこまで厳格に区別しているのか、という別の側面をあらためて語ってみようかと思う訳ですが、「Corine」という曲は、そのディミニッシュ表記の厳格な区別をせざるを得ないシーンというものをまざまざと感じさせてくれる好例だからでもあるので今回あらためて語るワケなので、その辺りの意図を汲み取っていただければ幸いでございます(笑)。

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 伊東たけしの「Brues For Lee」は、先の作品と比べれば1984年作品(83年録音)でありまして比較的後年となるモノですが、DXサウンドに席巻されぬ「最後の」クロスオーバー感の音を残すモノだと思っております。とはいえ音はフュージョン・サウンドなワケですが、コレにはちょっとワケがありまして、たまたまリリコンの音を欲していたところ伊東たけしのオーバーハイム・サウンドではなくArturiaのCS-80Vを使って音を作っていた所に丁度イイ具合にインスパイアされたため一緒にリリースしたというのが真相であります。

 当時、サントリーのウイスキー「ホワイト」のCMでザ・スクェアの「Travelers」が流れ、同時に伊東たけしがリリコンを吹いているものがありましたが、そのCMシリーズの2作目に用いられていた曲が「Brues For Lee」であったと記憶しております。まあ、原題はブルース・リーとBluesをかけているのでしょうが、伊東たけしの1stソロ・アルバムとなる「ディア・ハーツ」というのはポール・ジャクソンJrのプレイが秀逸なのでありますな。



 世はDXサウンド・ブームを経てそれに追随するかのようにマルチ・エフェクト・ブームの到来となります。先駆けとなるのはREV-7やSPX-90などですが。そうしてラック・エフェクト・ブームがやってくるのでありますが、この辺りの時代のギタリストのラック・エフェクトというのはパラレル・ルーティングが陰のブームでありまして、歪み音とクリーンな音もパラレルになっているのも特徴的で、歪んだ音にもクリーンな音を混ぜつつ音のコシを得るというような甘めの音というのがスタジオ系ギタリストの定番だったのではないかと記憶しております。そんなパラレル・ルーティングに一役買っていたのがRANEのSM-26というのもありましたっけ。

 70年代前半辺りの真のクロスオーバーからすれば相当年代は違ってくるものの、アナログ・シンセという音源をコントロールするリリコンというのはモノフォニックなワケでして、シンセにおいてやたらとポリ数を稼がないアレンジとなる所にイイ意味でクロスオーバー感が演出されるってぇワケですな。リリコンとてアナログ・シンセなワケですから当時を振り返ればプロフェット5、JUPTER-8、OB-8やらMatrix-12などポリ数稼げるシンセはかなりリリースされていたモンでしたが、それらのポリ数稼ぐシンセとリリコンが混ざってしまうとリリコンの存在意義が希薄になりかねない。そういう微妙なポジションがクロスオーバー感を誘うものとなっているのは偶然の産物と、微妙な時代に生まれたアルバムだからこそ出来上がったのではないかと思うワケですな。


 あまりにシンセのポリ数を稼ぐようなサウンドだとクロスオーバー感というよりは「フュージョン」っぽくなってしまうワケでして、この辺りのシンプルなシンセの立ち位置というのがクロスオーバーというものを決定しているのではないかと左近治は信じてやみません。図体だけデカくて音色の著しい変化も即座に行えないほどのパッチングを強いられる初期のシンセ。ロバート・メイソンがARP-2500を引っさげても出てくる音は多重録音による功績で、ようやくシンセ的作品に仕上げるという試みよりかはやはり演奏部分に徹したいミュージシャンは、シンプルでありながらも即興的な息づかいのあるアンサンブルを好んだことで、「シンセ」という立ち位置が徐々に明確化していくような頃が真のクロスオーバーではないかと思うワケでありますな。