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ベースの原点 [ベース]

私のベース弾き始めというのは1980年頭というコトになるのでありますが、まぁ、巷じゃゲーセンは空前の大ブーム真っ盛り、ルービック・キューブ大流行、ジョン・レノンは暗殺されるわという時代。誰もがウォークマン(初代)を欲しがっていた時でした(笑)。この時代、私がベース関連の情報を欲すると必ず目にするのがジャコ・パストリアスかスタンリー・クラークのお二方。

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親類が持ってきてくれたレコードがウェザー・リポートの「Heavy Weather」。無論、「Birdland」を耳にするワケですが、そのメロディがベースによるものだと聞かされるまで全くベースだとは思わなかった左近治。

ベースについては全くのトーシロに等しいあの頃でも、その人工ハーモニクスとやらの凄さにノックアウトされていたモノでして、同時に、ベースという楽器の可能性というものを如実に実感したものでありまして、

「嗚呼、オレはこんな可能性のある楽器を選択して弾きこなすコトが出来るのだろうか!?」などと自問自答したモノであります(笑)。あまりの可能性の広大さと、その可能性を作り出してしまう人の演奏の前に、ただただ平伏すしかありませんでした(笑)。


クロスオーバー・ブームを耳にしてAOR系とやらにもある程度耳にしていた左近治。それでも当時の私にはウェザー・リポートというのは少々小難しく、その音楽の良さとやらを理解しきれないだろうと及び腰だったのでありますが、バードランドはあまりにキャッチーなメロディですし、「A Remark You Made」はとてもグッと聴かせてくれる曲でありましたし、何より私の耳には当時から「Havona」がスンナリ入ってきたモノでして、当初の腰が引けた姿勢が覆されるほど傾倒していったものでした。


でまあ、その後ご多聞に漏れずジャコの1stアルバムを手にするようになっていくワケですが、もはやベース聴きたさだけで買うのではなく、楽曲の方に目を向けなければなるまい、と心してLPを購入した左近治。そこで「トレイシーの肖像」にあらためてノックアウトされるワケですな。


リアルタイムにジャコを聴いていたワケではないので、私がそのアルバムを手にする頃には色んな雑誌でフレコミを目にして入手していたワケですが、高い評価通り、やはり左近治もまたココロ持っていかれたモンでしたよ(笑)。


当時の雑誌ってぇのはカーニングの幅は広いし、字間も広い。そりゃそうだ。写植の時代ですモンね(笑)。

今の雑誌の方が字数も多いでしょうが、当時の雑誌というのは写真を巧く使いながら、本当に伝えたい情報が的確に載っていたような気がします。今なんて雑誌に頼ることなく、確度がある程度あればネットで気軽に情報など拾える時代。そんな今と比較しても、当時の雑誌というのは字数こそ少なくとも、的確に情報が載っていたように思えます。


美辞麗句やら形容詞の類で文字を埋めるコトすら勿体無いと言いますか、本当に伝えたい情報で字数稼ぐとでも言いましょうか。でも、そんな修飾的な言葉の「価値」というものをシニカルにデコライズさせたのがその後の田中康夫の「なんとなくクリスタル」だったのであろうし、そういう言葉の付加価値とやらが妙にクローズアップされていって、キャッチコピーとやらのフレーズに数多く出会うコトとなり、糸井重里やらが台頭してくるという時代になって80年代は腰を据えて行くようになったワケですわ。そうして、その付加価値はどんどん膨れ上がりバブル化するワケですね(笑)。


まあ、本題に入るとしますが、なにゆえベースの原点かというと、2010年最初のKクリのリリース曲というのが「トレイシーの肖像」だからなのでありますが(笑)、来る10年代の最初の曲ということもあって、自分自身の気分を新たにリリース曲に選んだのが「トレイシーの肖像」だったというワケだったんですな。

今回は2バージョン作っていて、ローズで弾いているモノと、いかにも着信音向けとばかりのきらびやかなシンセ・パッドの音を使ったバージョンをそれぞれ用意しているのでありまして、原曲がハーモニクスを織り交ぜている曲ということもあって、ローズは結構マッチしたモノとなりました。


まあ、左近治なら「トレイシーの肖像」という曲は、それこそこれまでいつリリースしていてもおかしくはなかったほど身近に在った曲の筈だったのでありますが、着メロ・着うたと、全くリリースしていなかったのは自分でも不思議なほどであります(笑)。とはいえ、ベース弾き始めの頃に散々聴きまくって自分の本能レベルにまで根付いたような曲というのは存在を忘れてしまうほど気付かないモノなのかもしれません(笑)。


基本的には、「トレイシーの肖像」という曲というのは「メジャー7th心」みたいなモノを有している人であれば、その楽曲の魅力というのはベース・オンリーの曲であろうと、作品レベルの高みを味わえる名曲のひとつだと思うワケですが、単にメジャー7th心を身に付けていても、ノン・ダイアトニック・コードが出現することなく弾き切れてしまうような曲に用いられるメジャー7thとは月とスッポンの違いがあるワケですな(笑)。


普段ならルートを中心に弾いているはずのベーシストというのが、和声感覚というモノに対してどれほど感覚を磨いていけるものなのか。そういう意味において長七というのは非常に遠い音程ですよね。ベースのルートからすれば(笑)。


長七という音程もルートがあってこそ成立するモノでありまして、人声なんていうのはよっぽど鍛え上げられた人ではない限りモノフォニックしか発声できないのでありますから(笑)、いくらフランシス・レイの男と女のメロディ口ずさんでも、メジャー7thの持つ雰囲気というのは、た~だ歌っただけじゃ伝わらない(笑)。男と女のメロディを知らない人に伴奏無しでメロディ歌っても、なかなかその良さは伝わらないだろうな、と(笑)。まあ、そういう意味で語っているんですが、ベース弾きが目覚める長七の音、という感覚面の重要性というもの目の当たりにしたのが左近治だったワケですよ。


無論、左近治は物心付いた時からフランシス・レイの男と女のメロディは口ずさめておりましたし、それから何年もしない内にCharさんの「Shinin’ You Shinin’ Day」と「Smoky」によって、メジャー7th心とマイナー9th心は身に付いたモノですし、こういう時代を経てイオナのCMで「男と女」系のコード進行に触れ、1981年の高橋幸宏のソロ・アルバム「ニウロマンティック」収録の「Drip Dry Eyes」を耳にすることとなる、というワケでありまして、ある意味充分すぎるくらいメジャー7th心は身に付いた頃に、「トレイシーの肖像」という楽曲の魅力に気付くコトになったワケでありますな。


まあ、そんな自覚の無いままに色んな曲でメジャー7th心を覚醒させてくれていたという事実に後から気付くことになるワケですが、転回すればこそ半音音程の響きをいかにしてキレイに響かせるか!?というトコロが私の感性のツボとなっているようであります(笑)。


「トレイシーの肖像」という曲は、ジャコの最たる奏法である人工ハーモニクスはもとより、開放弦で得られるナチュラル・ハーモニクスの方をメインに使っているワケですが、誰もがチューニング覚える時に知るであろう、12、7、5、4フレットには収まらない、もっとロウワー・ポジションにて高次のナチュラル・ハーモニクスを得る、という所がポイントなのでありますな。

まあ、コレについてはWikipediaのを辿って行けば、フレットとフレットの間に生じる微妙なハーモニクス・ポイントを確認できると思いますが、当時の私なんぞ「こんな所にもハーモニクス・ポイントあるんだ!」と驚いていたワケで、いかにトーシロ丸出しだったか判ります(笑)。まあ、ジェフ・ベックの「Blue Wind」の6弦のハーモニクス使っているギター・ソロがまさしく高次のナチュラル・ハーモニクスを使ったプレイではあるんですけどね。


とゆーコトで2010年スッキリ年を迎えたいというキモチの表れもあって、左近治の純朴な姿を述べてみたワケでありますが、実際のトコロ制作時点では2009年の暮れでありますし(笑)、ローズ・アレンジに持って行ったアイデアというのも、「まねきねこダック」でローズ使っている今、「トレイシーの肖像」でローズ用いても咎めは受けねーだろという安易な発想から端を発しているコトもついでに赤裸々にカミングアウトしちゃいますね、と(笑)。