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リキの電話番号とチェレプニン9音音階 [スティーリー・ダン]

今回はスティーリー・ダンの名曲「リキの電話番号」を題材にしちゃいますね、と。




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まあ、左近治のブログにおいて今やすっかりSD(=スティーリー・ダン)関連の話題は珍しくないワケではございますが、それは扨て置くとしても、

「なにゆえチェレプニンが出てくんねんな?」

と思われる方も多いコトでありましょう。楽理面においても興味深いと思われるコトを語っていきたいという左近治の些細なキモチの表れなのでありますが、まあその深部は追々語っていくとしましてですね、「リキの電話番号」ってぇのも少々邦題としてはツッコミたくなるタイトルではあるんですが、おそらくこの邦題に疑問を抱いた方も多いのではないかと思います。そんなワケで私の学生時代を振り返りながら「リキの電話番号」について語ってみるとします。


小生が中学生3年生の頃でしたでしょうか。夏休み前の期末テストでは受験対策として英語の授業において三単現の「s」と複数形の「s」という問題の引っ掛けに惑わされないための色んな取り組みが行われていたワケなんですよ。通常、義務教育課程においては三単現なんてぇのは中学1年生で習うワケですが、それも今や小学校から習うように変化しつつあるんですな。

んで、当時左近治は英語の先生に質問したんです。名ばかりの風紀委員長(=風紀検査をいち早く察知してアンダーグラウンドで友人に連絡を取り合うための刺客)だった私は、多少なりとも憂慮されるその立場を巧みに利用して学校にはよ~くレコードを持っていったモノでした。校内放送の係を脅しつつ(笑)。

まあ、そんな中持って行ったレコードの中に「プレッツェル・ロジック」がありましてですね、原題は「Rikki Don’t Lose That Number」なワケですな。


唄の意味もよく把握しておらぬ左近治は英語の先生に、

「センセー、Rikki don’t lose that numberじゃなくてRikki doesn’t lose that numberが正しいんじゃないの?」

と質問する左近治。


唄通りの意味であるならば

「リキよ、その番号無くすんじゃねぇぞ」

という意味なんですが(ゆえにRikki, Don’t Lose that Numberとなる)、そこまで読み取れぬ左近治。センセイですら「確かにお前の言う通りだ」という始末(笑)。


まあ、その後何年か経過してネイティヴ米国人と接する機会がある時に感じましたが、米国人とも結構いい加減な英語を使っているものでありまして、He don’t とかShe don’tとか平気で使っている米国人にも出会ったことがありました(笑)。指摘すると「気にするな」と言われる始末。まあ、実際にはこんなモンです。


ま、こんな前説は扨て置き、SDのアルバムというのは当時の私は「プレッツェル・ロジック」と「うそつきケイティ」しか所有していない頃でありまして、いわゆる他の人気アルバムというのはカセットに録音してもらったヤツしか持っていなかった左近治。特に当時の私の耳では「Pretzel Logic」と「Any Major Dude Will Tell You」を好んでいたモノであります。

肝心の「リキの電話番号」の楽理的な魅力に気付くのは18、9歳の頃にまで時間を要したトコロがあったワケなんですが、つまるところ、この「魅力」という部分というのが今回語る部分なのであります。


でまあ、早速肝心な「魅力」とやらを語ってみることとしますが、サビに行く直前の最終小節の所が重要なんですな。つまるところコードで表現するならキーEメジャーの「B7」ですか。

但し、この「B7」という部分は非常に「旋法的」でありましてですね、ピアノは「B7(#9、13)」の分散フレーズを8分音符で弾いているようなモノなんですが、ケツにE音が出てくるのはアンティシペーション(=先取り)とも読むことも可能なんですが、これを先取りと片付けてしまうのは些か勿体無いモノでもありまして、ドミナント7th上でのナチュラル11th(実際にはコードの機能としてはドミナント的機能は希薄になります)を用いるワザ、つまり前にもウェイン・ショーター大先生のコトでも語った部分ではありますが、この部分の旋法的な技、というのが大変大きな魅力なワケであります。


BTW、左近治は過去に、ドミナント7th上におけるオルタード・テンションなどを述べている時、

「#9thと13の組み合わせは、ドミナント7thではあるものの分数コード的な響きがある」

述べたコトがありました。継続してブログを読まれている方なら覚えていらっしゃる方もいると思います。


但し、「リキの電話番号」の今回取り上げる「B7」の部分において明示的な音を羅列すれば「B7(#9、13)」を必ずしも「確定」したワケではありませんが、前後の流れを考えればそのような解釈が妥当かな、という私の見立てではあります。


では、ココをですね「B7(#9、13)」と見立てた場合、ドミナント7th上でナチュラル11th音(=E音)を導入しているワケです。


前述にも述べたように、このE音がアンティシペーションという解釈をするのは勿体なく、サビのド頭のコードは確かにトニックに解決こそするもののメロディ・ノートは9th音に動くワケでして、属和音としての「在り方」を暈かし、さらにサビのアタマで9thというアッパーの世界を唄うコトにより、調的な移ろいと酩酊感を誘うような世界があるワケです。


では、なにゆえドミナント7th上のナチュラル11th音を見逃してはならないのか!?という根拠なんですが、ココが「旋法的な」マジックであると断言しちゃいます(笑)。


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つまるところ、コード側から見ればあたかも「B7(#9、13)」の分散フレーズのようですが、ココは

「G#ジプシー・マイナー・スケールの第3音のモード・スケール」

と解釈することができます(譜例に示しておきますね)。


ジプシー・マイナー・スケールとは、一般的に知られているハンガリアン・マイナー・スケールの第7音をフラットさせた音階であります。


調的にEメジャーのチャーチ・モードを維持している世界であるならばG#はフリジアンを構成するワケです。若しくは、EのブルースということでEミクソリディアン・モードを想定する(こちらの解釈が適切)ならば、G#から開始されるモード・スケールは「G#ロクリアン」が「通常の世界」なワケですな。


ロクリアンであるはずの情感をジプシー・マイナーに変容させているので、この移ろい感はタダモノではありません(笑)。それをあっさりとやってのける、と(笑)。アンティシペーションと片付けてしまうのは勿体無いという所以はこういう理由があるからなのであります(笑)。また、実に旋法的なマジックですけどね。


ナチュラル11th音をドミナント7thで用いる、ということは、本来のドミナントの機能はなくなります。解決先の音を「先取り」しているような和声でもありますが、アンティシペーション(=先取り)ではなく、ここはポリ・コードという解釈がスティーリー・ダンたる世界の流儀に従えばこういう解釈の方がベターでありましょう。


過去の左近治のブログ記事でも取り上げたコトのあるウェイン・ショーター大先生のドミナント7th上でナチュラル11thを導入するアプローチについてでありますが、こういう世界観を好む、というコトがあらためてお判りいただけることでありましょう。


無論、私自身はそれほど会得しきれていないのかドミナント7th上での「#9、13」という組み合わせのテンションは、ナチュラル11thを導入することで、さらに「分数コードおよびポリ・コード」としての機能の色を強めるワケでありまして、ナチュラル11thを用いない「#9、13」の組み合わせは、私自身はそういう世界をうっすらと見せてくれる世界の響きのように聴いているのだと思います(笑)。


でまあ、SDのお二方でこーゆー世界観好きな人といやぁ、フェイゲン御大ではなくベッカー御大というコトが自ずと理解できますよね(笑)。

但し、こーゆー理解はベッカー御大の1stアルバム「11の心象」が発売されるまでは出来なかったのですよ。私自身SDの魅力というのは九割九分九厘九毛九糸九骨九微フェイゲン御大の手によるモノだ!と妄信していた時期がありましたので(笑)。


故に、「11の心象」が発売された時の衝撃度というのは、そりゃあもうスゴイものでして(笑)、脳幹に五寸釘ブチ込まれたような気分だったワケです(笑)。


そーゆー理解があったのもありまして、「リキの電話番号」の魅力というのは18、9歳から何年も時を経て、あらためてベッカー御大の深みに気付いたワケだったんですな。


ちなみに、オリジナル・アルバムのジャケットでプレッツェル焼いてるオジサン、当初はアルバムに使いたいという申し出をした所断ったそうです。それでも採用したのは、結局このプレッツェル焼いてるオジサン、無許可で店出してたコトが判明して(笑)「だったらこっちも無許可で使おうぜ」となった裏話は大層笑わせていただきました(笑)。

ジェローム・アニトンの「Mr.スティーリー・ダン whatever・・・」というハチャメチャなMCも笑いどころ満載でありますが(ミスター・スティーリー・ダンナントカというMC)、こういうSDの茶目っ気というのはホントに奥深いモノであります。


BTW、チェレプニンを絡めたハナシはどうしたの?とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、長くなってきたのでソレについては次回、というコトで。