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しりとりとアウトサイド [MONDO]

「しりとり」とは、言葉の最後に「ん」が付かない言葉を選んで繋げて行くゲームであります。子供の頃誰もがやったと思われる遊びをテーマに、左近治はとうとう恍惚の領域に達したのか!?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、とりあえずは近々リリースを控えておりますものの、この手の話題に少々お付き合い願えればな、と。


しりとりやってると概ね悪フザケに端を発して「ンジャメナ」を言い出す人が出てきます(笑)。


ンジャメナという言葉を発するという時点で、その前に「ん」で終わる言葉を言ってしまった人がいるワケで、


「負けたヤツがいるのに、みすみすンジャメナという言葉使ってまで助け舟出す必要なかろうに」


と思われる方もいらっしゃるでありましょう。確かにしりとりの大前提のルールとして「ん」が最後に付かないというのは存在します。


まあしかし、しりとりで勝ち負け真剣に競ってもこれまた致し方ない部分もありまして(笑)、ソコまで本気にしりとり挑むよりは、エンドレスで楽しむ方がよっぽど面白味があるとも思います(笑)。


ンジャメナという存在があるが故に、「ん」で終わる言葉を臆するコトなく使うコトができるのか!?


大体は、ンジャメナの存在を知らずに間違えてしまった後に「ここでリセットするとつまんねーから繋げちまおうぜ!」という意図が働いて「ンジャメナ」を次に出す人が居て、実際に「ンジャメナ」が何なのかを知らなかった人の多くは、そうして「ンジャメナ」の存在を後に知ることになるのでありますな(笑)。


ま、音楽に置き換えるなら、しりとりの大前提のルールは或る意味「ノン・ダイアトニックの音使わないようにしてね♪」というルールに等しいとも言えるでしょう。

それでも、そんなルールに則っていながらもどうしてもアウトな音を欲してアンサンブルに溶け込まそうとする人がいるとするならば、それは「ん」で終わる言葉を使おうとするようなモノかもしれません(笑)。


そこで「ンジャメナ」という存在があるために、怖いモノなし!といわんばかりに「ん」だらけの言葉が飛び出せば、これはもはやアウトな音がいきなり増えて来たというシーンとも言えるでありましょう。


出来合の曲を忠実に演奏するシーンならいざ知らず、やはりアウトな音というのは使い方によっては非常にカッコ良く決まるモノです。ただ、その術を理詰めで覚えようとするがあまりに使いこなせない人の方が圧倒的に多いワケであります。ブルーノート程度で「アウト」を決めたつもりの人もいるでしょうけれど(笑)。


アウトサイドな音を用いる、というのはしりとりにおいて「ンジャメナ」の存在のように思ってもらえればよろしいのでありますが、その根拠を得たとしてもフレージングとしての際立たせ方を知らない人が多い、というワケであります。


言葉だと、根拠があればソコまで自由に使えるというのに、音となるとなぜか不自由にしてしまう人がいるワケですが、いくら楽理的側面で頭でっかちであっても、使いこなす術を知らない人の方が多いと思われます。


その原因というのはおそらく、自身の得意とする楽器の器楽的な技術が未熟であるがために、フレージングを開拓できない、という所から問題が発生してしまっているコトが多いのではないかと思います。もっと例えるとしたら、楽器を弾く技術が未熟なために、自分の動かしやすい動作(運指など)を前提にフレージングを構築してしまうために、自身の感性の及ばないフレージングはその手の人達の基本的な動作とは異なる音程の跳躍だったりするワケでありますな。コレが足枷になってしまっていて、結局は自身の器楽的な技術に耳がデフォルメされているコトと等しいんですな(笑)。


どんな楽器でもこの手の人はおりますが、悲しいかなエレキ楽器の類はこの手の人達が大多数なのであります。


例えば、しりとりを行うにあたって極めて語彙に乏しい方は勝手に「造語」を生み出してしまうかもしれません(笑)。しかしながら、そうすると最早なんでもアリになってしまうため、結局は「通じる」言葉を用いない限りはムリってぇモンです。


音楽にしたって半音階(=12音)から任意の音を抜粋すりゃイイんだろ!?みたいに考えてもらっては困るワケですな。五十音から抜粋して言葉が生まれないのと同じです。

しかも、多くの人というのは2つの半音と5つの全音の組み合わせから生まれる音列を、トーナリティーを変えつつ選択しているだけのようなモンです(笑)。まあ、2つの半音と5つの全音の組み合わせによって生まれる音列の例外的なスケールは、ホールトーン・スケールの一部を半音で分割したスケールくらいのモノでありましょう。コレについてはホールトーン関連で過去にも左近治は語ったコトありましたので、今一度ご理解いただければな、と。


音並びとしては幾何学的な音列になるチェレプニンにしたって、その情緒をどうやって感じ取るか!?コレ、重要です。


まあ、いずれにしても通常の世界とは違ったモノ手にするなら、そっちの流儀を知らないとダメですよ、ってこってすな。これらのような特徴的な音列から生み出されるダイアトニック・コードがどのようになるのか!?という所から和声的な世界に導入し、他のスケールから生じるダイアトニック・コードとの近似性を見抜いて、それを導入するコトが大事なワケなんですが、こういう「流儀」すら知ろうとせずに、ただの「スケール博士」になっても仕方ないんですよ(笑)。


音楽の世界においては「ンジャメナ」の使い方も判らぬようなら無意味に等しいってこってす。


演奏の忠実性を求められるシーンやら、アウトサイドな音が不必要と思われる、または厳格にその手の音を使用するコトを制限されるようなシーンにおいてもムリヤリ導入しろ、とは言いません(笑)。音楽やる者皆必要な音でもないでしょうが、その事が免罪符となっている背景は、実は前述のような厳格なまでのダイアトニック・ノートの制限という下で音を奏でているのではなく、未習熟・未発達から来るところの「エクスキューズ」になってしまっていることが殆どなんですけどね(笑)。


大の大人も読めないような感じを知っているお子様とかおりますが、いざ会話をしてみれば文学的ではなくとても子供っぽさを持つ普通の子が多いワケですな。まだまだボキャブラリーとしてまでは身に付けていないのであります。

子供ならまだ許せても、大の大人が子供ようなボキャブラリーでしか音奏でられないのはいただけない。少なくとも、所蔵CDで一番多いジャンルがJ-POPや海外ヒットチャート物、というのは改善すべきだろうとは思います(笑)。こちとら着信音作るのにその手のジャンルを散々利用させていただいてはいるものの、音楽的なボキャブラリーを養うのはまた別のハナシってぇ意味ですので、その辺うまいこと解釈していただけるとありがたいですな。