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もういっぺんアウトサイドの世界を語ってみる [MONDO]

最近、スティーリー・ダン関連の話題が少ないのでは?と思われている方もいらっしゃるとは思うんですが、昨年の今頃はウォルター・ベッカーのアルバム「サーカス・マネー」に端を発してそれこそ半年ほどは集中的に語りましたからね(笑)。

アレからもう1年経過しているワケでありますが、スティーリー・ダン関連の和声的な世界というのは、アウトサイドではなく、軸のブレ加減と他の世界のチラ見、みたいなトコロが良いのでありまして(笑)、そこからアウトサイド感覚を探るのはやはり各人が研究しなくてはならないのでありますが、ある意味においては「強固な」調性の軸を見せてくれているハーモニーの中でアウトサイドの単旋律があった方が判りやすいかとは思います。

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なんやかんやでベッカー御大のEP版として新たに配信された「Downtown Canon (Radio Mix)」と「Bob Is Not Your Uncle Anymore (Demo)」の2曲。

興味深いのは「Bob~」のデモ・バージョンでして、ギターは普通に8分のシングル・ディレイなのでありますが、ベースがスウィングしているので、こりゃまた土着なレゲエ・ビートなワケであります(笑)。音そのものはアコースティックではありませんけどね。

正直、このデモ・バージョンのダブMixでも施せば結構イケるんじゃないか!?と思わせてくれるワケでありますが、「11の心象」では宅録クサさが一部の(大半の)SDファンからは受け入れられにくかった反省があるのか、このようにデモで留めているんでしょう(笑)。

しかしながら「サーカス・マネー」においてベッカー御大の見方が変わった人はおそらく相当数いるのではないかな、と思います。私の周囲でも「11の心象」も「サーカス・マネー」風の音だったらかなりイイのに!という声と、「サーカス・マネー」のアルバムの出来は非常に好評を博しております。ファンとはげんきんなものですな(笑)。

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ま、昨年はウォルター・ベッカーのソロ・アルバム「サーカス・マネー」の話題が集中していたワケではありますが、魅力的なアーティストの新譜はもとより未だCD化されていないモノが初CDとなったりするとこれまたウレシイものでありまして、「サーカス・マネー」リリースの陰にてひっそり私が昨年悦に浸っていたのがスタンリー・カウエルの「New World」の発売だったのでありました。

そんなコト一言も語っていないのは、枚数限定なので秘め事のようにひっそりと息を殺してゲットしていたというワケでございました。


扨て、本題に入りますが、今回「強固な調性な軸」と表現しているのはですね、ハーモニー的に見ればバックは何の変哲もないような曲調においてひとりアウトサイドを楽しむ、みたいなモンですな。

例えば、童謡にあるような世界でひとりだけアウトサイドのフレーズをこれでもか!とばかりに弾いていれば、その術とやらはとても判りやすいかと思うんですな(笑)。

私自身、ブルーノートを添えた程度のフレージングではとてもじゃありませんがアウトサイドの音使っているとはおこがましいとばかりにソコばかりは謙虚であるつもりですが(笑)、今でもそうですが、ボキャブラリーが未熟なことを嘆きながら研究していた時期がありまして、自分なりにようやくアウトな感覚をとりあえず人前で披露できるようになったのはてめえの干支3回目過ぎた辺りでした(笑)。20代も半ばってぇこってすな。


自分自身では高校生くらいから扱ってはいたものの、まだまだ毒の強度など弱いモンでありまして(笑)、スティック手に入れる直前くらいに毒の強度が強まっていって、その後数年経過してウォルター・ベッカーの「11の心象」との出会いによって、自分の邁進する道へのイメージが完全に照準が合ったような感じでしたでしょうか。

ドラム聴きたさに買ったアルバムで思いがけない出会いをするアルバムとかもあったモンでして、88年にリリースされたボブ・ジェームスのアルバム「象牙海岸」がソレだったんですな。なにせアルバムの殆どはオマー・ハキムが参加しているので。

アルバム全体としては「ド」が付くほどのメロディアスなフュージョン・サウンドがチラチラと顔を出してはいるものの(笑)、一般的には形容し難い、ある意味こういう世界は「スピリチュアル(笑)」と表現されたりもするもんですが、そういう世界の顔の出し方が実に勉強になるんですよ、コレが。ま、カンタンに言えば、あまりに判りやすい世界をバックにアウトサイドの海を泳いでくれている様を見せ付けてくれるので、アウトサイドをなかなか受容できずにいる人達にとって非常に良い材料となるのではないかと思って取り上げているのであります。

スタンリー・カウエルもスピリチュアル・ジャズなんて形容されたりしますが(笑)、枠に収まらないタイプをこういう風にネーミングしてしまうのはどうもなぁ、というのが左近治の率直な感想であるものの、ある意味ではこういう形容し難い和声的な世界観というのは誰しもが備えているはずなんですが、その中でも異彩を放つタイプの人が形容されるとも言えるでしょう。スタンリー・カウエルとボブ・ジェームスを比較したらあまりにカウエルに失礼だと思うんで、誤解のなきようご理解くださいね。

その手の「スピリチュアル」な音というのは、左近治は概ねラテン音楽のハーモニーが持つ「歌い回し」から産み出される独特のハーモニーの「色&艶」という風に表現しております(笑)。

スタンリー・カウエルがラテン音楽と誤解してほしくはないので、この辺りの表現は返って混乱を招きかねないので「スピリチュアル」と表現しておいた方がイイのかな!?とも思ってしまうワケでありますが(笑)、ラテン音楽の多くは、それが例えインストゥルメンタルな曲であっても、独特の歌い回しから生じる掛留音が生み出す、通常の世界とは異質のハーモニーがあったりするんですな。それが時にはモーダルであり、特殊なモードの世界を形成したりもするワケです。

例えば、私がドミナント7thをドミナントとして用いない使い方は、ある意味ではボサノヴァでもよくある省略形から生じる少し特殊なコードやら、そういう世界観にも近しいモノがあります。

とはいえそういう和声的な世界というのはラテン音楽に限らず、カンタベリー系、もちろんジャズ界隈にも存在します。

いくらイイ服買っても、カタログからそのまま出てきたような着こなしした日にゃあ指さされて笑われかねないワケですが(笑)、ウケ狙うんならそこで自分の名前や何年何組と書けば嘲笑が喜びに変わるかもしれません。

しかしながら誰もが笑いを欲するのものでもないでしょうし、本人は真剣そのものだったりするワケでありまして(笑)、着くずしの感性を磨くのもこれまた重要なモノだと思うんですな。

アウトサイドを操る、というのはこんな着くずしの世界のようなモノでして、基本も知らぬまま崩してしまえばそれもまた恥かきかねないワケですよ(笑)。

まあ、米国のスタジオ・ミュージシャンの大半はヒスパニックの血が流れていたりする人が多いのでラテンの要素はDNAレベルに刻み込まれるほど触れ合っている人達が多いと思うのでありますが、和声的な世界においても実は興味深いモノは沢山ありましてですね、それが独特の世界観を生むのではないかと信じてやみません。

曲調がラテン調でなくとも、そういう世界観を導入することで幅が広がるというようなモンでしょうか。

ラテンに限らず、世俗的な風合いと民族的な彩りを和声的に導入すれば、かなり幅が広がるってぇモンですわ。