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カクトウギ・セッション [クロスオーバー]

70年代後半のクロスオーバー・ブームというのが当時の日本では席巻しておりまして、その手のジャンルに馴染みが無い人や当時の事をご存知無い方にしてみれば些か信じ難い現象であるかもしれませんが(笑)、本当に当時ではクロスオーバー/フュージョン・ブームというのはあったのです。とはいえ大衆受けしていたモノはメロディ要素の強い「イージーリスニング型」というか、どっかの店内の歌モノインスト・アレンジBGMみたいな(笑)ようなのが受け入れられていたのも事実ではあるんですが、その後の日本国内において後にも先にもこの手の潮流は起こらなかったと確信している左近治であります(笑)。

まあ、強いて言うならその後のThe Square(後のT-Square)の「Truth」なんていうのは大衆受けした好例でありましょうが、ムーヴメントまでには至っていないと思います。

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当時のクロスオーバー・ブームにおいて坂本龍一もカクトウギ・セッションやKYLYNなど、YMO黎明期において活動していたワケですな。

で、カクトウギ・セッションというのはアルバムでは1枚のみリリースされておりまして、当時のLP2500円時代でも2000円の廉売モノみたいに売られていたという扱いだったのでありますが、アルバムの性格的には企画モノという扱いだったので価格的に抑えられて発売されていたのでありましょう。

YMOブームなど、先のクロスオーバー・ブームと比較したらそれこそ大きなムーヴメントだったワケですが、YMOが世間に認知されたとはいえ個人名義のYMOらしからぬアルバムはYMOのそれと比較すると実売はそれほど大きなものではなかったかもしれません。

坂本龍一&カクトウギ・セッションのアルバム「サマー・ナーヴス」に収録の「Sweet Illusion」という曲は、左近治自身テーマ部は結構昔にリリースしたことがあるものの、今回リリースするのはですね、正体バレバレの「謎の」覆面ギタリスト(笑)のギター・ソロ部を3つに分けてリリースしたモノなのであります。


この頃の渡辺香津美のギターと言えば、トレードマークのアレンビック、レスポール25thアニバーサリー、アリアのフレットレス・ベース&ギターのダブルネックというのが印象的な時代でありまして、日立の「Lo-D」のCMでユニコーン弾いていた時はフルアコだったように思います。アルバム「TO CHI KA」ではレスポールJrが映っておりますけどね。


扨て本題に入りますが、「Sweet Illusion」本編において渡辺香津美のプレイが冴え渡る部分というのは、大村憲司のギター・ソロ後の山下達郎コーラス導入のブリッジ部のアコギのアルペジオだったりもするんですが、この時期の渡辺香津美がOvationのアダマスを弾いていたかどうかは判りませんが、私の周囲の友人は、その後のギター・ソロもさることながら、このブリッジ部のアコギのプレイに心酔している者もおりまして、いずれにしてもプレイ面では結構「学べる」プレイだったりするワケです。

先日もチラッと「Sweet Illusion」についてのコード進行など述べていたりするので、関連ブログ記事を今一度ご確認いただければと思うんですが、渡辺香津美のギター・ソロにおいて私が見過ごせない点はですね38小節目の下降フレーズの部分ですね。

9小節単位のコード進行なので、先のブログでは9小節単位のカウントを間違えていて、今回2度も間違えていることが発覚したワケでございますが(笑)、重要な点は38小節目部分が正しい部分でありますので、今一度ご確認ください。

この下降フレーズは先のブログでも語ったように、音列を抜粋すれば短三度音程を含む特殊な7音音階として見立てるコトが可能なワケでありまして、それは先にも語った通り。

或る意味ではCディミニッシュト・スケールの省略形とも言えますし、ジョージ・ラッセルの場合だとオグジュアリー・ディミニッシュト・スケールの第4音省略形とも言えるワケですね(笑)。


ただ、それがC DiminishedであろうがC Auxiliary Diminishedであろうが、この下降フレーズを用いているのはDb7(#9、b13)なワケでして、C音を導入するのは通常では勇気の要る音使いであります。まあ、左近治の場合はメジャー7thコード上では増六度、ドミナント7th上ではルートのフラットとして長七度を用いることで、長七と短七を一緒に用いるようなアプローチをすることがありますが、先にも左近治が語っているように、通常、ドミナント7th上で「長七」の音が用いられている時というのはルートのフラットとしての変化系として用いることが、「背景のドミナント7thを壊さないための」機能であるがゆえに「有り得ない」と語っているのでありますが、これを確認する限り「有り得ている」ワケですね(笑)。

先のドミナント7th上での「有り得ない」という用法は、あくまでも背景のドミナント7thを保つための「情緒ある」アプローチでありまして、これは「アウトサイド」としてのアプローチであるため、これを用いることで背景のドミナント7thが壊れるワケでもなんでもなく、アウトサイドとしてのアプローチなのかルートをフラットさせた変化系としての用い方なのかどうかを見抜く必要が出て来るワケでして、これは、ドミナント7thの拡大解釈のアウトサイドなアプローチであるのです。この両者の見極めは非常に重要なので誤解のなきようご理解くださいね。

そもそもアウトサイドという音は「有り得ない」音の具現化でありまして、言ってるコトが矛盾しているように思われるかもしれませんが(笑)、情緒たる扱いとしてのドミナント上でのルートが半音下がった変化の情緒によるもので出現した長七度と、アウトサイドの概念によって出現した長七度の音のどちらであるのか!?という事を見抜かなければなりません。コレ、非常に大事なこってす♪

ま、ソコで「Sweet Illusion」の先の渡辺香津美のアプローチの件ですが、Db7上においてC Diminished(第4音omit)の下降フレーズを弾いて、その後ダブル・クロマチックでG音にアンティシペーションという風になっているワケでありますが、リディアン・クロマチック・コンセプト流に考えるなら、このコード上においてはDbのスケール・ディグリーは「II」となるワケで、「I」はBのリディアンとしてリディアンの派生タイプのスケール当てはめてくれ、ということになりますが、渡辺香津美の場合はB音ではなくC音、つまりDbの半音下からアプローチとなっているのでリディアン・クロマチック・コンセプトのそれとは違う、ということは明白です。

但し、Db7の7th音であるB音を基準としたミラー・モードである、という風に見ればC DiminishedではなくBのコンディミを当てはめているという見方が可能です。

この根拠というのは!?


Db7の7th音「B音」

B音のトーナリティーはBリディアン

Bリディアンのミラー・モードは?

Bロクリアン

Bロクリアンの拡大解釈でBコンディミ


という解釈になります。


トコトン、アウトな音を導入しようともそれをただスケール・ライクに羅列しているのではなく、アウトサイドの情緒を「溶け込ます」という非常に高度な情緒を用いているワケでありますな。

聴き慣れない音や、あまり弾く機会の無いフレーズで、しかも比較的速いパッセージ故に、ごくごくありふれたギター・フレーズのそれとは別世界のような印象を抱いてしまって取りこぼして聴いていたり、或いはそれを受容できぬ習熟度の浅さを自認することなど健忘の彼方で、このような高度なフレーズを何も知らずに批判するような輩というのは特にギター弾きの世界には多いように思えまして、実に嘆かわしい現実があります(笑)。

てめえが弾くどころか聴き取ることもできねークセして批判繰り広げるたぁ見上げたモンだぜ!と言いたいトコロですが(笑)、その手の連中は放っておけば自然に淘汰されていくのが関の山(笑)。飲み仲間からもハブにされ、見ず知らずの人間にクダ巻いていたり、その辺のネットでクダ巻くようになるのがオチってぇこってす(笑)。


手っ取り早い方法論で形骸化した音楽にしか耳慣らされていない輩のフレージングやら手グセなど、それはもうボキャブラリーとは到底呼べないほどのモンです(笑)。

「Key=Amで白鍵だけとにかく数多く速く弾く!」


こんなのが当時のヘヴィメタ(笑)。まあコイツらが一旦その手のジャンルをダメにしたとも言えますが(笑)、よせばイイのにmakitaの電動ドリルとか持ち出しちゃって、さらなるスピード合戦と来たモンだ(笑)。そのままこめかみ串刺しにしてしまえば良質なパフォーマンスが拝めそうなモノの(笑)。ピアノよりも打鍵のチカラなど軽く済むオルガン与えた日にゃあ、その辺のエセなプログレ屋さんと変わらぬ音を出してくれるに違いありません。

こんなお決まりだったらその辺の園児でも出来るワケですね。

「白い鍵盤だけとにかく弾いてね♪」とでも言えばガッツンガッツン弾いてくれますよ(笑)。黒鍵に電流でも流れるようにしておけば異端な子でも黒鍵を弾くことはためらい、白鍵を忠実にガッツンガッツン弾いてくれることでありましょう(笑)。しかしソコに・・・


「先生、ボク目が見えません!」


という児童がいたとしましょうか。


「出っ張った鍵盤を弾かないようにしてね♪」と教えても、出っ張った所触った日にゃあ電流直撃食らうワケでありましてリスクが大きいワケですな(笑)。しかし、物理的なサイズと出る音を判別して弾けばいずれ黒鍵に触れるコトなく弾けるでありましょう。重要なのはココでして、物理的なサイズを推し量る術は、健常者が器楽的な技量を磨くコトと等しいシーンでして、耳で判別しているという事はきちんと耳で聴いて対処しているという音楽の聴き方&楽器の弾き方としてとても重要な基本を健常者よりも注力しているとも言えるワケですね。

目がひとたび見えれば、色が判るだけで目に頼る。結果的に音などどうでもよい無秩序な世界が生まれる、と。仮に目が見えない子が同じ「無秩序」なフレーズを弾こうとも、その背景には健常者よりも厳格に律する感性を備えたフレーズ、というコトなんですな。


つまるところ、手が動きやすい方向のフレージングやら、視覚的に運指も判りやすいようなモノ以外のモノに遭遇した時、大概の人は面食らうからこそ衝撃的な印象を抱くことができるワケですな。

音楽の一般的なシーンであれば、楽器や見てくれ関係なくして、音程跳躍差が激しいモノや符割が細かいモノなど大抵の人は「面食らって」くれるモンですよ(笑)。

しかもそれが聴き手にしてみれば自分に置き換えるコトのできないフェーズのモノであり、「異端」に思える時すらあるワケですな。

キッチリ弾いていて技量のソレがモノを言わせてるというだけなのに、それこそ異端な電動ドリルの方に心躍らせるのはアホかと言いたいワケですな(笑)。聴くべき所間違えてるんですな(笑)。電動ドリル用いるコトなくその手の速さ弾いている人など沢山いるというのに(笑)。


先生がいくら白鍵弾け、と言っても電流流れようがブッ飛ばされようが執拗なまでに黒鍵に固執する「異端な」生徒というのは私は好きですね(笑)。きちんとバックグラウンドを把握しつつ、それでも黒鍵を弾きたいという情感を身につけて、苦労しながらも黒鍵に拘る、という生徒を(笑)。

幼少の時からマルチリンガル目指して教育施すのは悪いコトではないんですが、国語も立派に習得したであろうそんなコ達の大半のボキャブラリーなど、ケータイでそれこそどこの文字をかいつまんで来たのかも判らぬような伝達手段を用いているのが現実(笑)。敬語すらまともに使えない(笑)。異端ってぇのはこーゆーフェーズでは習熟しないんですよ。異端の世界においてもきちんと律されたモノがあってこそ、なんですなあ(笑)。