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ドラムの音像上下感 [ドラム]

え~、6月にリリースする予定の曲でヤン・ハマー某の曲を制作していたワケですが、そちらについては追々語る予定でして、その曲を作っている過程で用いたドラムの音をどうせならこの際アップしてみるか!と思い立ち、久方ぶりにドラム関連の話題を語ろうかな、と思います。
最近、ドラム音源は密かなブームなのか音楽誌の「数少ない」広告にも結構掲載されているようで、訊けばADやSuperior辺りが人気だそうで(笑)。まあ、左近治はBFD嫌いですからその辺りは当ブログをお読みになられている方は熟知されているとは思うんですが(笑)、まあ、どんなドラム音源にせよ、その個々のキャラクターというのはあるワケで、その辺のキャラクターが自身の好みとどれだけ近いか、というコトで選ぶ人も多いと思います。

左近治は底意地トコトンrotten to the coreなのか、ADでBFDっぽい音のキャラクター作ってみっか、と画策(笑)。どうせなら先のヤン・ハマー某の曲で丁度使ってたし、デモをそっから用意してみっか!というオヤジのヒマつぶしなワケであります。

ただ単に似せただけでも面白くないので、折角なら左近治が普段心がけているドラムの音像の「上下感」というのを少しネタバラシしながら語ってみようかな、と思いまして、ハイ。では早速デモの方をお聴きになっていただきましょうか。


と、その前に「上下感とは何を意味するの!?」というトコロから少し語りましょうか。

上下感と言っても人それぞれイメージしているモノは違うでしょうし、左近治自身がイメージしているドラムの上下感というのを先に語っておかないとマズイかな、と。

基本的に左近治は、矢倉に乗っかったドラムキットの音が好きなんですね。同じフィールドで段差の無いトコロにドラム置いちゃった、っていうのは正直避けたいんです(笑)。矢倉もきちんと組まないと音鳴ってくれませんけどね(笑)。

で、その矢倉というのも可動式であろうが固定式であろうがそれは構わないんですが、私個人としては矢倉本体の「タモ」が結構あるのを好むんですな。まあ、矢倉の高さというのは、ソコに座って少なくともヒザをブランブランできるくらいの高さは欲しいですな。

高さがある程度以上あるドラムの音って概ね「通り」が良いんです。だからといって実際の目線と、実際に聴こえてくるドラムの音というのは必ずしも音像としては一致しませんし、レコーディングされている音というのは現実の音のそれとは違う「作られたイメージ」でもあるワケですな。

そんな、ステージでの現実とミックス施されてレコーディングされた音との差異はあるワケですが、そのギャップを埋めつつある程度ドラムが見下ろしてくれるかのような音像で聴こえてくれたりすると結構心地良いモノであります。

上下感というのは、生活空間のたかだか数メートルの高さだって下と上とでは温度も違いますし、温度が高い方へ音は拡散しやすいトコロに加え、床や背面からの間接音の具合がよろしくないとヘッポコな音になりかねなかったりします。

とはいえ、DAW全盛の昨今、音像の「上下感」というものを、バイノーラル系のようなモノを除けば周波数をチョコチョコ弄った程度で音像が上下に見事に動いてくれるモノでもありませんし(笑)、この辺りの上下感というのは、間接音と共鳴度(音程差という視点が必要です。漠然としたモノではなく)、音の減衰具合を細かく弄っていく必要が出てきます。



そういうワケで、今回左近治はADを使ってのっけから12連符炸裂させているワケですが、フレーズとしては美しくないですね(笑)。この辺りはやっつけなのでご容赦を(笑)。

で、同じドラムフレーズを4種類用意したんですが、シンバルはボブ・クリアマウンテンのサンプル使ってますし、マルチ・アウトさせた各パーツにはMIOのゲートは全て通っております。LogicPro上でAuxチャンネル=計11ch、Bus=計5ch使用しているという内訳です。

4種類のドラムフレーズそのものは全て同じMIDIデータなワケですが、いわゆるADのマルチアウトをさせているOHとROOM用のチャンネルに用いているフィルター&EQを各種類弄っているだけで、フィルターの周波数に関しては、1つ目のデモ演奏からおおよそ2/3オクターヴずつ下に下げていっている程度です(笑)。

ただ、それらを弄るだけでも十分、音像の前の張り出しと上下感というのは如実に分かると思うので、それらを聞き分けていただければな、と思います。

本来なら、これら4種類の音はそれぞれ弄った後にさらにEQやらリミッティング等詰めていかないとマズイのでありますが、その辺は割愛しております(笑)。音によっては非常に間抜けなキックのトータルイメージになっちゃったりしておりますが、これは各ルーティングから混ざった音をさらに詰める必要性が本来なら出てきます、という意味です。