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混乱を避けるために [たわごと♪]

とりあえず今回は、これまでのブログで語ってきた事において混乱を招かないために改めて注釈を付けておかなくてはならないかな、と思うワケですが、早い話が「ハイブリッド・コードの解釈が違うのではないか?」という類のご指摘というものがあったので、それについて説明しておこうかな、と。

例えば、濱瀬元彦の「ブルーノートと調性」の159頁にハイブリッド・コードの定義なるものが載っているので興味のある方はそちらを確認していただきたいと思うワケですが、濱瀬氏のそれと私の言う所のハイブリッド・コードというのは明らかに違うワケでありますね。

私自身が何十年も前に学んだことで誤解をしている可能性もありますし、近年、そういう定義が明確化されたのかどうかは判りませんが、私のこれまでの見聞では、ポリ・コードとハイブリッド・コードの定義というのが広汎な世界で統一されているものではなかったと感じてきております。近年では厳格に定義されているのかもしれませんし、私自身が取りこぼして覚えた可能性もあるかもしれません。

いずれにせよ、私の語るハイブリッド・コードと、例えば濱瀬氏のそれとは違うワケで混同しかねないので、私はどういう理解をしているのか?という所からまず語ってみようかな、と思います。余談ですが濱瀬氏はアッパー・ストラクチャーで生じた和声の基本部分である下声部の3度オミットなどをハイブリッド・コードと定義してしまうような矮小な世界でもないことを先の著書で述べておりますので、詳しくはそちらを読んでいただいた上で左近治へのミソの付け所とやらを自虐的に語ることにしましょうかね、と(笑)。

私の語る「ポリ・コード」と「ハイブリッド・コード」というのは、双方いずれも分子・分母が「和音」であるコトを示しています。私の言う「ポリ・コード」とは、分子・分母とも和声(多くはいずれもトライアド)で、且つ分子・分母ともひとつのチャーチ・モード内に収まるモードの場合の複合化された和音のことを言っていまして、私の言う「ハイブリッド・コード」とは、分子・分母で構築されるものがチャーチ・モードに収まらない類の和音のことを述べています。

一方、分母が単音の場合は「分数コード」or「onコード」なのですが、「onコード」は分子の和声の構成音を分母に用いている時に私は使います。とはいえ「分数コード」と「onコード」においてはそれほどそれらの呼称の区別を、先の「ハイブリッド・コード」と「ポリ・コード」と比較すればさほど厳格に扱ってきたとは言えませんけどね(笑)。

まあ、過去のブログを血眼で探れば、onコードと分数コードが話の流れ的に統一しないで語っていることもあるかもしれませんが、左近治は以上のように区別して述べているので、その辺りを私の方にすり寄って解釈いただければな、と思います。


仮にそれらの定義が現在広汎に渡って統一されている、というのであればあらためてご指摘いただければと思います。

おそらくや著書や著者、教鞭を執られている方によってこれらは厳格に統一されているとは思えないんですな、今でも。まあ、揚げ足取るように会話をしたりするワケではないので、私が言う事を「ああ、この人は●●のコト言ってるんだろう」という解釈で即時対応していただいて数十年経過しているのかもしれませんし(笑)、そこまではどうなのかは判りませんが、私の中では一応曖昧にはしていないので、こういう定義を私自身は持っていて語っているということを知っていただければな、と思うワケであります。

重要なのは、ハイブリッドだろうがポリ・コードだろうが名称が先にあっての解説ではなく、音を明示的に示しているので確認していただければ私の語ることを読み取っていただけるのではないかな、と思っております。

私が報酬を頂いてこういう展開をするのであれば、真っ先にこういう誤解を生むようなことは避けて先に定義したり注釈から語ったりするのでしょうが、一応、無償であることに加え、私のペースで書き連ねる「ブログ」という性格上、どうしても各人の歩調に一人一人合わせるような対応はできないのでその辺はご勘弁願いたいな、と思うのであります(笑)。

少なくとも、マイナー・コードの構成音なのに「メジャー」とか語ったりするようなコトはしていないので(笑)、名称ありきの部分は極力排除しながら区別していきたいな、と思っている左近治であります(笑)。

たまたま手元にある理論書が1冊しかなく、それにて「定義」されていれば人によってはその定義を「完全」なものとして理解するでしょう。ただ多くの著書などでそれらが統一されているとは未だに私には思えないのですな。私自身が勉強不足なのは重々承知ですが。

名称という「代名詞」というのは、その言葉にまつわる多くの事柄を包括してくれる利便性がありまして、漢字一文字なども最たるモノでしょうな。無論、「代名詞」という共通理解が与えられればその後の理解の進捗度はより高まりますし、わざわざおさらいする必要性が極力減ってくれるという手段でもあるでしょう。

念のために申しておきますと、私の語っているのは音そのものの重要性なので、どんな名称で一括りにしようが名称が違っていようが音は必ず伝えようとしているので、そちらを重視していただきたいなと思うばかりであります。手元の楽器で音出しながらとか、鼻歌口ずさんだりとか、頭で音を浮かべたりとかですね。

音を聴いても尚、情感などそうそう伝わるような世界観を提示しているワケでもない特異な世界だったりもするんで(笑)、半ば呆れて頭の中で音を浮かべることすら等閑の方もいるかもしれませんが、それは左近治の冗長ブログがいけないんでしょうねぇ、たぶん(笑)。

読んでいる人が混乱を招いてしまっては本末転倒なのでもありますが、左近治が真理というワケではありませんので(笑)、あくまでも、刺身のツマ程度に感じ取っていただければコレ幸いでございます、ハイ(笑)。